荻悦子詩集「時の娘」より「城」

城 風化が進行する高い城壁 ひと群れ 菊科と思われる草がとりつき 橙色の花を咲かせている 肋骨交夜穹窿 堅固な梁でドームを支え 高く より高く 鈍化への烈しい希求 絶対を求める精神は 血まみれの手を要求した 嫌悪 憎しみ 一切の感情が漂白され 相手が人でなくなる一瞬 動物を縊る 玩具を壊す 新教徒の夥しい死体が 胸壁をはみだし 城門にも吊り下げられた 切りそろえられ 積み上げられた無数の石 少しずつ 少しずつ 欠け 崩れ 四百年は かつての人間の縛り首の場 裏手の城壁のアーチ型装飾を消した 城壁の頂上近く ひと群れ 橙色の草花 ふえ続けるがいい 土の塊と化した 胸壁 城門 びっしりと橙色の花で 埋め尽くされる朝 その早春の朝の空   荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

荻悦子詩集「時の娘」より「白馬」

白馬 内海の白浜を 疾走する白馬 ざわめき揺れあがる おまえの豊かなたて髪は 波よりも優美な白銀の流れ 砕ける波頭よりも繊細な 瞬時のきらめき カマルグの原野 潮のさす沼地に戻れば おまえの仲間とともに 闘牛の牛たちも放たれている 複数の人間に痛めつけられ 地に膝をつく牛 とどめを刺す更に別の人間の小刀 血はほとばしらない 角に縄を回しかけられ 首をねじり 顎を空に 敗惨の牛 それを引くのはおまえの仲間 鈴を鳴らす二頭の馬 牛が六頭 次々に あっけなく殺されていく田舎の闘牛場 五頭目の牛の時 私は念じた 柵など飛び越えてしまえ すると どうだろう その牛はほんとうに柵の外に躍り出た 闘牛士たちは総出で走りまわり 場所ならぬ場所で緋の布がひるがえった 海水を浴び尾をはねあげる白馬よ おまえには トロンボーンに合わせて行進し 闘牛の開始を知らせる姿は似合わない 黒ずくめのピカドールを載せる馬にもなるな 首をさしのべ 曇天を見上げ そんなにも典雅な足を運びで 牛と鷺の群れる沼地に帰っていくな 稲妻 鋭い閃光が いま さあ その精悍な四肢を思いきり蹴あげ ひと飛び 空へ 次第に近づいてくる不気味な雷鳴 草が乱れ散る 水鳥が騒ぐ おまえが顔を埋めた一面のひなげし その堤も もはや崩れる すさまじい雷雨が湿原を裂く さあ空へ 天空へ たて髪をぼうぼうと振りたて いまこそ 天翔ける白馬 手綱も鞍もない 光るその背には 私を 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

荻悦子詩集「時の娘」より「塊あるいは魂」

塊あるいは魂 手を触れるだけでばらばらと落ちる小さな舟型をした緑の植物 の塊 地に落ちた肉厚の塊のひとつひとつが残らず根を出し 朽ちて行く古い塊の先には見る間に数個の芽が花びら状に寄り 合って吹き出す おびただしく殖え続ける塊 もう五年もそれを見てきた おび ただしく殖え続ける肉厚の塊に侵食されて私の肉は次第に削が れて行く 何度目かの雨の後 舟型の塊をびっしりと付けた中心の茎は蛇 のようにくねり出しさえした 塊と書こうとして何度も魂と書 いてしまう私は思う 私の肉がそがれていく分 私の魂が増殖 するのだ この植物の殖え方のようにむくむくと重く醜く 帰れない もう戻れない ふうわりと私の魂が帰るはずだった 場所 杉・樫・椎の木々のくらがり 雛壇状に配列された幾十の石塔 幼くして逝った者の丸い墓石 苔が覆いもう刻字も読みにくい 地蔵型の墓石 その並びのなかに あれは会ったことのない父 の母そして父の妹 細い道を隔てて他に一家系の墓所があるのみの深閑とした斜面 茅をかき分けて坂を降りれば刈り場に続き やがて 川  幹に空洞を抱えて何百年を生きた杉の枝にそっと止まって 辺 りの草木を数えていたかった 緑の塊の陰に蛇苺の花に似たあせた黄色の見ばえのしない花を 見つけた夕暮れ 私は手あたり次第その植物を茎から手折って ダスト・ボックスに投げ入れた 小さな舟型をした植物の肉厚 な塊は乾いた音を立てて八方に飛び散った ダスト・ボックス の中でもすぐ芽を吹きそうで私は急いで蓋を閉めた 私が折り返し 棒の如く土に立っていた折れ茎は 二2週間後 ひとつ残らずその先端に赤色を帯びた粒状の芽を吹き出した 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

荻悦子詩集「時の娘」〜「果汁」

果汁 ふるさとのみかんを ジューサーにかける 滴り落ちる果汁の 香り高い優しさ なんて 安易な思い入れに 陥るのはよそう 銘ずべきは 季節のはしりを 送ってくれた 叔父夫婦の心根であって 果汁では まして メカニックな ジューサーではない テーブルに残った 艶のある厚い皮は バスタブに浮かべ 芳香のなか 蜜柑色の夢を見る のも もうたくさん 海の魚に 風に 鳥に ただの石の柱にさえ なりたい人 なってしまった人が あまりにたくさん と知ったから 樹になりたかった日々のことは 忘れることにし わたしは にんげん ミューズからは 脳髄の襞を盗む すてきにオリジナルな 詩句を吐き 二人 三人 四人 五人の 男ぐらいは惑わす美女 となりたいつぶやき シャワーがかき消し なまやさしく 目をつむりたくない二月の咽喉に 絞りたての果汁は にくい ほろ苦さ 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。