シンゴ旅日記インド編(その47)神様は仏様の巻

日本の仏さま、神さまって面白いですね。 仏さまは仏教ですから実家はインドです。 しかし当時の本流はバラモン教でした、仏教はそれに反発し飛び出して来た新興宗教です。 仏教にはバラモン教の神さまたちがお釈迦さまに帰依してドンドン入って来ました。 そして、日本に来る途中にペルシャや中国の宗教やその神様も取り入れて来ました。 また、日本の神社の神さまたちも奈良時代から始まった神仏習合、本地垂迹により明治維新まで仏様の生まれ変わりとなっていました。 ということは日本の神さまや仏さまたちはインド人やペルシャ人、中国人との混血だったわけですね。 国際化は昔からそして神様から始まっていたのですね。 日本本来と言われる神様がインドのどの仏さまの生まれ変わりだったのかを調べてみました。 (八幡大菩薩) それはUSAから始まったのです。 神仏習合の始まりは大分県の宇佐(うさ)八幡宮です。 伊勢神宮、出雲大社と並ぶ大きな神社だったのです。 主神は応神天皇(仲哀天皇と神功皇后の子、15代天皇)で、元々は海と日(火=鍛冶)の要素を持つ地方の神さまでした。 八幡と名のつく地名は日本中にあり鍛冶関係が多いようです。 この神社は道鏡と関係があります。 聖武天皇(45代)の娘に当たる称徳天皇(48代)に愛された道鏡が権勢を振るっていた時に、この神社の宣託で道鏡を皇位につけるべしと出たため、朝廷は和気清麻呂を派遣して真意を再確認しました。 そうすると『皇族でないものは皇位に就けない』と最初と反対のお告げが出て道鏡失脚の原因となったのです。769年のことです。 神仏習合はその事件の前のことです。 東大寺の大仏造立プロジェクト(745年製作開始、752年大仏開眼)が仏像の製作に行き詰っていた時に宇佐八幡宮は『協力して大仏鋳造を達成しよう』と八幡神のご宣託があったとして協力することになりました。 そして749年に東大寺の近くに手向山八幡宮が造営されました。 あの怨霊化する菅原道真が『このたびは 幣もとりあえず 手向山、、、、』と詠んだ神社です。 神社の中で一番早く仏教に結び付いたと言われています。 そして朝廷の崇敬を受け八幡神が『菩薩』の号を貰ったのです。 これが八幡大菩薩です。 平安遷都に対しては王城鎮護のため京の西南に岩清水八幡宮護国寺が建てられ宮と寺が一緒になった『宮寺』という様式が生まれました。 その後、神宮寺という神道と仏教の混じったお寺が日本各地に沢山建てられました。 八幡大菩薩は鎌倉時代には源氏の守り神とされ鶴岡八幡宮が設営されました。 そして武士や庶民の間に八幡信仰が広がって行きました。 話が戻りますが、昔ジーパンにMade In USAと縫い込んであり、アメリカ製と思って買ったら、日本の宇佐であったという笑い話もありました。 (アマテラス) 伊勢神宮に祀られているアマテラスも神仏習合により、最初は十一面観音菩薩そして大日如来の生まれ変わりと見られていました。 確かに太陽神ですから大日如来がふさわしいかもしれません。 また、世界の神話では太陽神は普通、男の神様なのでアマテラスも男の神様ではないかと言われています。 そうですよね、アメノイワドでストリップ見たさに岩陰からコッソリ覗くって男性の要素ですよね。 ちなみに天皇家=アマテラスに対抗して徳川家康は東照権現のアズマテラスとなりました。 権現とは仏が人々を救うために神などの権(かり)の姿で現れることを言います。 (熊野権現) 熊野大社は本宮大社、速玉大社、那智大社と三社あります。 順番にスサノオ、イザナギ、イザナミをお祭りしていましたが神仏習合で阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩が本尊となってしまいました。 (八坂神社) 京都の八坂神社は祇園祭りで有名です。 スサノオと牛頭天王を祀っています。 アマテラスの弟のスサノオは新羅に渡って金、銀、木材を持ち帰り植林を日本に伝えたと言われています。 高句麗から来た八坂氏の先祖が新羅国の牛頭山に祀られていたスサノオを勧請し牛頭天王と名づけて祀ったのが始まりです。 この牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神であり、薬師如来の化身と言われます。 また、スサノオが化身した神が蘇民将来という一族を疫病から守ったという話から祇園祀りでは『蘇民将来之子孫也』という護符を付けたりします。 スサノオ=牛頭天王=祇園神=薬師如来と習合したのです。 祇園祭りは葵祭り、時代祭りとともに京都三大祭りの一つです。 また元旦のおけら詣りではキク科の薬草のかがり火から火を移し、消えないようにくるくる回しながら持ち帰り、仏壇、神棚に灯明を上げ雑煮を煮る火種にすると一年間無病息災が得られるといわれます。 (お稲荷さん) 伏見稲荷が本社です。 稲荷はイネナリで日本の穀物の神様ウカノミタマが祭神です。 この神様の別名をミケツカミといいケツは狐の古語であり三狐神と呼ばれ、狐が稲荷のお使いとなりました。 そして伏見稲荷は真言密教の東寺の守護神となり、真言密教で狐に乗っている神様の荼吉尼天(だきにてん)=白晨狐王(びゃくしんこおう)菩薩と習合されました。 荼吉尼天はヒンズー教のシヴァ神の妻カーリーの侍女で人肉を食べる夜叉でしたが大日如来が善神として立ち直らせたものです。 お稲荷さんは真言密教との関係から呪術的な要素があり除災福招の神として都市部でもてはやされました。武家の屋敷でも祠を設けるほどに流行したようです。 江戸の川柳に『町内に伊勢屋稲荷に犬の糞』というのがあります。 伊勢屋は伊勢商人のことで、戦国時代から木綿の販売で財をなし、江戸時代には越後屋、丹波屋などの商店が多くあったそうです。 (天神さま) 天神さまはご存知の菅原道真(903年没)を祭る京都の北野天満宮です。 この天満宮の社挌は朝廷公認の二十二社の一つでした。 天皇以外の人を最初に祭神とした神社です。 そのため『宮』の文字は天皇一族を祭神とする神社寺社に使われるため、明治時代には北野神社と呼ばれました。 天満宮と復活したのは戦後でした。 天神さまの正式名称は『天満大自在天神』です。 そして大自在天と言えば、インドの破壊の神シヴァ神です。 仏教に帰依し大黒自在天となり天神さまと同一視されています。 道真が左遷され死去した後に京都に多くの災難が襲いました。 雷がなると『くわばら、くわばら』と唱えるのは道真の京都の家が桑原の地にあり、そこだけは落雷の被害が無かったからです。