シンゴ旅日記インド編(その50)インドの航空会社の巻

インドの航空業界は1991年の経済開放から自由化が進んでいます。 しかし競争が厳しくなり、かつての国営会社エア・インディア、インデァン・エアラインズは多額の債務を抱え政府の管理下に入っています。あれっ、日本もそうでしたっけ。 民間航空会社が乱立しており、生き残るため機内サービスを有料とする格安航空会社が増えて来ています。 エア・インディア(AI):かつての国営航空会社。国際線がエア・インディア、国内線がインディアン・エアラインズ(IC)に分かれていました。2007年に合併し、エア・インディア一本になりました。かつての国有航空会社だけにインド各地に細かい路線網を持っています。しかし、お役所仕事的でサービスは今ひとつのようです。 ジェット・エアウェイズ(9W):1993年から運行開始。民間航空会社の草分け的存在かつ最大手です。拠点はムンバイ。国内42都市とバンコク、シンガポール、香港など海外18都市を結んでいます。2008年からANAと提携しムンバイへの共同運航便を就航。エア・インディアを追い上げていました。最近はキングフィシャー社に人気を抜かれています。保有機台数77機。 ジェット・ライト(S2):1991年サハラ・エアラインとして設立。2000年にエア・サハラに社名変更。2007年にジェットエアウェイズが買収し、ジェット・ライトに社名変更。格安航空会社。 国際線はジェットエアウェイズの路線に引き継がれた。デリー、コルコタ、ムンバイ、チェンナイを中心に国内26都市を結んでいる。 保有機数28機。 キングフィッシャー(IT):ビールで有名な財閥(United breweries社)が2004年に設立。国内線を就航して以来、質の良いサービスと低価格で急成長し、もっとも人気のある航空会社になっています。拠点はバンガロールです。2005年には同じくバンガロールを拠点とするエア・デカン(2003年設立、格安航空会社)を吸収しました。ロンドン、バンコク、シンガポール、香港のほかにドバイ、コロンボ、ダッカの国際線もあります。ジェットエアウィズを追い抜きインド第二の航空会社となりました。また航空会社の格付けでもシンガポール航空、キャセイ航空と並ぶ五つ星です。保有機台数66機、エアバス380を5機発注済(2014年納入予定)   インディゴ(6E):2005年設立。 2011年1月にインド政府から国際線の運航権が与えられた。シンガポール、バンコク、ドバイ、マスカットを予定。同月エアバスA320neoを150機発注しました。   スパイスジェット(SG):2005年設立。オンライン予約で低価格航空券の販売を売りにしている。ムンバイやチェンナイを中心に国内18都市を結んでいます。2010年10月からカトマンズ、コロンボに運航し国際線に進出しました。ボーイング737-800を200機、同900を5機所有     ゴー・エア(G8):2005年設立。国内のみで18都市に運航。A320を10機所有。   以上のほかにエアインディアにより2005年に設立され、中近東を中心にインドと結ぶ国際線を運航するエア・インディア・エクスプレス(IX)があります。

シンゴ旅日記インド編(その34)私と運転手との会話の巻

地震について 私 『インドに地震はあるの?』         運転手  『あります。』 私 『火山が近くにあるの?』          運転手  『ないです。』 私 『火山がないのに、どうして地震が起きるの?』 運転手  『ダムです。ダムが余った水を流す時に地面が揺れるのです。』   市営バスについて 私        『インドのバスはドアがなくて危ないよね。』 運転手  『ドアがないのは市内を走るバスだけです。長距離バスにはドアがあります。日本の市営バスの停留所の間隔はどれくらいですか?』 私        『近いところでは500メートルくらいかな。』 運転手  『インドもそうです。それなのにドアを開けたり閉めたりするのですか?車掌さんが毎回大変ですね。』 私        『ちゃんと油圧シリンダーで開閉するのだよ。運転手さんが一人でするんだよ。』 運転手  『乗ろうとしている人がいるに閉まったら危ないです。』 私        『ちゃんと乗ってから閉めるのだよ。』 運転手  『それにドアを閉めて走ったら、子供がタダで乗ることができなくなります。』   観光地の入場料について 私        『外国人とインド人で20倍も料金が違うのはおかしいよね。』 運転手  『おかしくないですよ。外国人は一回しか行かないけど、インド人は何回も行くからです。』   ベジタリアンについて。 私        『ベジって、お肉を食べないから体が大きくならないのでは?』 運転手  『なんでですか。牛も、象も草食ですよ。』   次はホテルのボーイさんです。 ボーイ    『Coffee or tea?』 私 『Tea WITH MILK, please』 そしてteaが運ばれて来てボーイさんが聞きます。 ボーイ    『with milk?』 私 『Yes』(注文する時に言ったのに) ボーイさんがミルクポットを部屋の隅のテーブルに取りに行き、それが空だったのでキッチンに取りに歩いて行きました。 丹羽慎吾  

シンゴ旅日記インド編2 赴任後初めての買い物の巻

(筆者がインドに駐在した2010年代に体験したことを日記風につづっています。) インドに来て3週間が経った日曜日に初めて町に買い物に行きました。 前任者に教えてもらったドラフジというスーパーです。そのスーパーのある通りの名しか知らないので他のところに行くことができないのです。 アパートから外に出て、炎天下で10分くらい待っているとオートが来ました。 私が運転手に言いました。『MGロード、ドラフジ。』 すると運転手は首をイヤイヤのように左右に振ります。これは理解したとの合図です。インド人のこの仕草に日本人は面食らいます。最初の頃は「ノー」と言っているのだと思うのです。 MGロードとはマハトマ・ガンジー通りのことです。大きな町には必ずある大通りの名前です。 町に入りました。前来たところです。問題ありません。ドラフジに着きました。運転手に料金を聞きました。 運転手は背中を反らせて後部座席との間の料金メーターを見ます。そして胸のポケットから換算表を出して確認して45ルピー(90円)と言いました。 私は50ルピー札を出しました。すると『5ルピーのお釣りがない』との返事です。 またですか。アジアではどこでも使い古されたセリフです。意地悪したくなりました。 『10ルピーはあるか?』と私は聞きました。『ある』との回答です。 『じゃ、55ルピー払うから10ルピーのお釣りをくれ』と私が言いました。そうすると運転手が『オー、あった、あった。』と5ルピー札のお釣りをくれました。 余談ですが、インドのお札は種類が多いのです。5、10、20,50,100,500,1000です。 1000ルピー札はあまり流通していないので、10万円を両替して5万ルピーをもらうと、時にすべて500ルピー札となることがあります。お札10枚が100枚になるのです。 オートを降りると物貰いの人が数人寄ってきました。子供を抱いた女の人が私のひじを手でつついて掌を上に向けて督促します。つらいのですが振りほどくようにスーパーに入る階段を登りました。 入り口で手荷物を預けます。預ける方が危険じゃないのと思います。パスポートは家に置いてきたし、リュックの中は手帳とボールペンだけと一瞬確認してから、手荷物を預けて、番号札をもらい中に入りました。 このスーパーは外国人やインド人のお金持ちが来るところです。品数は豊富です。冷凍ものもありますが、どのように調理したら良いか分らないのでパスします。 ニンジンとカリフラワーを細切れにして入れたこぶし大の包みがあります。早速カゴに入れました。ねぎ、にんにく、もやしのようなものも買いました。 他にミルク、卵、お酒のつまみのチーズ、バター。 日清のカップヌードルも買いました。カップヌードルにはベジとノン・ベジがあります。 日本の国旗のように四角のなかの赤丸は肉食できるノン・ベジ、緑の丸は菜食主義者のベジです。 インドの日清カップヌードルはどんな味がするのだろうと『チキン』と『ベジ』の2種類を買いました。カップを見ると日清の工場はあのITの町バンガロールと書いてありました。 勢いでスパゲッティも買いました。でも具をどうするかが問題です。「いいか、さっき買ったニンニクでぺペロンチーノにしよう」と考えました。 化粧品コーナーに来ました。ヘア・ブラシを探します。やはり豚毛の物がない。あるのは間隔のあいた針金のブラシと櫛だけです。 これは1857年のセポイの乱と同じです。あのインド独立のさきがけとなった大反乱です。日本では江戸から明治に入る直前の時のことです。 私の次の推理は当たっているのでしょうか? セポイの乱の二次的原因は英国の新式銃の玉の込め方にあります。先込め式から元込め式に換わり、その火薬包を口で噛み切る必要があったのです。 その火薬袋は豚脂、牛脂でできていました。牛を神聖視するヒンディーと豚を不浄視するイスラムの兵士(セポイ)が反乱を起こしたのです。当時インドの兵士はエリートでした。その彼らが宗主国を転覆しようとしたのです。でも結局イギリス側に鎮圧されてしまいました。 豚はインド人にとっては食べたり、肌に触れてはいけないものなのです。 だから私の愛用する豚毛のヘアーブラシがインドに見あたらないと思っているのです。実はこのブラシをインドに持ってくるのを忘れたのです。 買い物終えてレジへ行きました。3列あるレジ台の真ん中で勘定してもらっていました。 両側のレジにはお客様はいません。年配の女性が私の後ろに並びました。レジの人がその女性に右側に行けといいました。女は聞こえないのか私の後ろに並んだままでした。右のレジの係りは知らん顔して外を見ていました。 このスーパーには私が買いたかったサンダルと靴ベラがありませんでした。 スーパーを出ると道の反対側に大きなモールがありました。なかなか高級品の多いモールです。マクドナルドも入っています。本屋さんがあったので入りました。 インドの経済週刊誌買いました4冊で115ルピー(230円)。紙袋をよく見ると新聞紙でできています。『もったいない』の小泉元首相が喜びそうです。 二階に上がりました。書籍売り場です。 ヒンディー英語辞典、英語―ヒンディー辞典とCD付きヒンディー入門書、それに黒澤作品のDVD3本買いました。これで2,500ルピー(5000円)。 購入した黒澤作品は『天国と地獄』『1963年)、『まだだよ』『1993年)、『静かなる決闘』(1949年)です。他には『羅生門』『用心棒』などありました。一枚700円くらいです。 私のアパートにテレビ受像機はあるのですが、ケーブルテレビです。前任者は契約していたのですが、私はしていません。 DVDプレーヤーで昔タイで買った日本の映画を観ているのです。荷物が増えてきましたので本屋さんを出ました。 モールの地下にREEBOKの靴屋さんがありました。 サンダルを買いました900ルピー(1800円)。そんなに高いとはその時は思いませんでした。勢いで勝ってしまったのでした。単品ではこれが一番高い買い物です。 買いすぎです。もう帰ろうとモールの前で待つオートにアパートの住所を告げました。 最初の運転手は『100ルピー』と言いました。えっ、メーター料金じゃないのですか。 次の運転手は『80ルピー』。最後の運転手は『70ルピー』でした。仕方がないので70ルピーで手を打ちました。 オートは方向指示器がないので右折、左折する時は運転手が手を車外に出して合図します。日本の自転車と同じです。でも太った運転手が手で合図する姿は相撲取りが賞金もらうときの前掃いみたいです。 その夜、バスルームの温水器配管から水漏れあり。これまたいろいろありました。別の機会に書きます。

しんごのキになる話52 インドの季節の巻(その2)

インドは広いです。大きな都市はそれぞれ違った気候です。 雨季と乾季が明確に分かれています。 グラフからもわかるようにインドに来られるのであれば12月~2月頃の乾季が過ごしやすいのではないでしょうか。 ムンバイは11月から5月までピタッと雨が降らないのです。私の住んでいたプネも同じです。 (参考)各都市の気温と雨量 それでもインドは都市によって気候が全く違うのです。モンスーンの来る時期が違うのです。 北部にあるデリーでは毎年冬には凍死する人が出るのです。 私はこの暑さを利用して残飯と糞尿を発酵させて良い肥料が出来ないかと考えました。 そうすれば土地も肥え、草木も育ち食料状況もよくなり、人口増にも対応できるし、貧困もなくなるのでは愚考していました。 そしてバイオ発電も可能でではないか、と考えていた時に、日本でバイオ発電が失敗したとネットで読みました。 ガスに数%含まれる硫化水素が湿気により溶けて設備の電気系統を腐食させるのです。 硫化水素を取り除くためにコストが安くつく微生物を使う生物脱硫を使用したためとのことです。 しかし、バイオ発電は他のところでは成功例もあります。糞尿処理、発電、肥料生産ができるのであればこれから暑い地方にはバイオ発電もエネルギー生産の一つの方法になると思います。 インドの季節の巻 終わり

しんごのキになる話㊷ インドの生け花師匠の巻(その5)

また、石の象の小さな置物のお腹にクリスタル・マッドを入れて水につけてみました。 「胎像菩薩」ならぬ「胎象菩薩」を作りたかったのです。 生け花をするようになり、気に入った形が出来上がると、それをスマホで写真に撮り、コメントを沿えて妻にラインで送っています。生け花を少し学んだことのある妻は「中心になる花をフォーカルポイントといい、それは正面を向いているものです。」と教えてくれました。私はその言葉をそっくりそのまま秘書に伝えました。そして、追加して次のように言いました。 「私の部屋に生ける花は一方から見るものだから、表と裏があるのです。表に全てを表現するようにしてね」、「会議テーブルに置く花は、四方八方から人が見るので、全ての方向から美しく見えるように生けてね」、毎朝、会社が始まっての少しの間は、生け花の師匠になったような気分で過ごしています。そして、私は生けた花に題名をつけて遊んでもいます。 私の生け花作品集―わずか一日の命を生きる花たちー その1 インドの生け花師匠の巻(その6)につづく

しんごのキになる話㊵ インドの生け花師匠の巻(その3)

また、私は大きな花瓶に飽きたので、自分のアパートから空になったペットボトルを何種類か持ってきて、上部を切断して花瓶代わりに使うようにしました。その方が好きな高さに調節できるのです。 中には、大きなペットボトルをカッターナイフで半分に切り、上の部分を逆さまにして下の部分に差し込んだりしたものもあります。また食品の入っていたビンをも花瓶にしたりしています。 少し前に私の秘書が退社し、代わりに採用されたのは中年の女性でした。 彼女は掃除のおばちゃんに替わって、私の部屋の花を生けてくれるようになりました。 しかし、これまた、単に花を差し込むだけでした。 その生け方に何かもの足りなさを感じました。そこで私は彼女に生け花は自分の気持ちを表わすものであると伝えました。毎朝、今日生けた花は何が言いたいの、家族?娘さんへの愛情?幸福感?などと聞くのです。 が、彼女は私が何を言っているのか分からないようです。最近は毎朝花を生けてくれるのですが、黙って花を生けてそのまま自分の席へ戻っていくようになりました。 インドの生け花師匠の巻(その4)につづく