シンゴ旅日記インド編(108)走れ!インど演歌(その4)の巻

走れ!インど演歌の巻 (2014年10月記) インドで働く日本人で工場を任されている人は、きっとこんな気持ちではないでしょうか?私のことではありませんよ。私の会社はきちんと納期を守り、5Sを実施し、断水も停電もありません。お~いおい、総務~、トイレの水が流れないよ~。あれっ、電気が消えたよ。ディーゼル発電機を回して~。 雪国(作詞:吉幾三) 工場長 好きよ あなた 今でも 今でも 暦はもう少しで 今年も終わりですね 逢いたくて 恋しくて 泣きたくなる夜 そばにいて 少しでも 話を聞いて 追いかけて 追いかけて 追いかけて… 雪国 うそよ あなた きのうも けさでも わたしはもう少しで 我慢も終わりですね つくってよ しっかりと 納期をまもって 現場にいて 少しでも ハッパをかけて 残業して 徹夜して 土日に出て 工場長 窓に落ちる 風と雪は 女ひとりの部屋には 悲しすぎるわ あなた 酔いたくて 泣きたくて ふるえる唇 そばに来て 少しでも わがまま聞いて 追いかけて 追いかけて 追いかけて… 雪国 床に落ちてる ボルトとナットは 整理整頓の5Sに かなり遠いは 工場長 締めがゆるく 溶接漏れで ふるえるベース そばに来て 少しでも 芯だしをして 測ってみて 動かしてみて 確認して 工場長 好きな人はいるの あなた バカね バカな女ね 意地をはってた私 逢いたくて 夜汽車乗る デッキの窓に とめどなく 頬伝う 涙のあとを 追いかけて 追いかけて 追いかけて… 雪国 買いたい客はいるの 工場長 どこよ どこにいるのよ 見積りほしい客が 逢いたくて 夜汽車乗る 予算ないから とめどなく 人が押す わたしのあとを 売りたくて ネゴしたくて 注文ほしくて 工場長 逢いたくて 恋しくて 泣きたくなる夜 そばにいて 少しでも 話を聞いて 追いかけて 追いかけて 追いかけて… 雪国 部品来ず 明日が出荷 泣きたくなる夜 業者に行って すこしでも 話をつけて 組み立てて 検査して 出荷して 工場長 (わたしの替え歌の原点みたいな『俺ら、神社に行くだ~』) ♬ハァー、鳥居ある 玉砂利ある、お神酒もスルメも食べられる、狐もいる 猿もいる ときには眠る猫もいる、稲荷もある 八幡もある 天神様もお仲間だ、幟ある お祭りある 寅さんたちが やってくる、俺 こんな神社好きだ 俺 こんな神社大好きだ、今度も行くだ 神社に行ったら、鈴を鳴らして 二礼ニ拍手だ 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(107)走れ!インど演歌(その3)の巻

走れ!インど演歌の巻 (2014年10月記) 演歌には人妻を愛する歌がたくさんあります。日本では昔から不倫や間男など、男の人が女性と遊ぶ面白さを『一盗二卑三妾四妻』で表していますもんね。かあちゃん、これは昔のことですからね、念のため。 いや、今では男女逆の時代でしょうか?かあちゃん、心から愛してるよ。 『さざんかの宿』(1982年)は大川栄策の歌です。彼は本名を荒巻逸造といい、福岡県大川市の生まれです。作曲家古賀政男の最後の弟子です。1969年に『目ン無い千鳥』でデビューしました。苦労した歌手です。 インド駐在員も苦労しています。広いインド市場を回る必要があるのであります。 さざんかの宿(作詞:吉岡治) インドの宿 くもりガラスを 手で拭いて あなた 明日が 見えますか 愛しても 愛しても あゝ他人(ひと)の妻 赤く咲いても 冬の花 咲いてさびしい さざんかの宿ぬいた指輪の 罪のあと かんでください 思いきり 燃えたって 燃えたって あゝ他人(ひと)の妻 運命(さだめ)かなしい 冬の花 明日はいらない さざんかの宿せめて朝まで 腕の中 夢を見させて くれますか つくしても つくしても あゝ他人の妻 ふたり咲いても 冬の花 春はいつくる さざんかの宿 くもるメガネを 手で拭いて あなた 工場が 見えますか さがしても さがしても ああ砂のなか 赤く染まるは グジャラート 夕陽わびしい 西インドの宿ぬけた車の タイヤあと 埋めてください 思いきり 押したって 押したって ああ泥の中 出張かなしい 雨のケララ 傘はいらない 南インドの宿せめて朝まで 部屋のなか 原価を見させて くれますか たしてたって かけたって ああ赤字です いつもきている カルカッタ 利益はいつ出る 東インドの宿 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(106)走れ!インど演歌(その2)の巻

走れ!インど演歌の巻 (2014年10月記) 『女のみち』の次は、おなじくコミックバンドの殿さまキングズが1973年にヒットさせた『なみだの操』です。インドで過ごしている駐在員は一刻も早く、家族のもとに、日本に、そして、本社に戻りたいのです。しかし、なかなか本社にも交替要員がいないのです。インドの生活の中で我慢するしかないのですよ、これも私のことではありませんから、本当に。ねっ、おさむちゃん。 なみだの操(作詞:千家和也) なみだの駐在 あなたのために 守り通した女の操 今さら人に 捧げられないわ あなたの決して お邪魔はしないから おそばに置いて ほしいのよ お別れするより 死にたいわ 女だから 家族のために 守り通した単身赴任 今なら人に 譲ってあげたいわ 本社の決して お邪魔はしないから おそばに置いて ほしいのよ 延期となるより 辞めたいわ インドだから あなたの匂い 肌に沁みつく女の操 棄てられたあと 暮らしてゆけない 私に悪いところが あるのなら 教えてきっと 直すから 恨みはしません この恋を 女だから カレーの匂い 肌に沁みつく私のからだ お仕事したあと 飲みにもいけない 和食を食べるところが あるのなら 教えてきっと さがすから 恨みはしません この町を インドだから あなたにだけは 分かるはずなの女の操 汚れを知らぬ 乙女になれたら 誰にも心変わりは あるけれど あなたを 疑いたくない 泣かずに待ちます いつまでも 女だから 前任にだけは 分かるはずなのインドのくらし 怒りを知らぬ 坊さんになれたら 誰にも我慢の限度は あるけれど 言い訳を 信じたくない 怒鳴らず待ちます いつまでも インドだから 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(105)走れ!インど演歌(その1)の巻

走れ!インど演歌の巻 (2014年10月記) 演歌の中には『ど演歌』と言われるものがあります。コブシとビブラートを強調するのです。そして、インド生活を歌う演歌は、略してインエン?インカ?いや、ど演歌なのです。 また、演歌の詩をよくよく読むと、演歌の中の男女の関係は昔の日本の会社とその従業員の関係に似ていますね。それでど演歌で昔のインド駐在員を歌ってみます。 まずは、日本の企業がインド市場を狙って業務部の担当者をインドに出張させました。帰国後、その部員が新聞雑誌のインド記事を写して増員を起案をしました。そうしたら本人がインド駐在となったのです。それを、ど演歌の決定版といわれるこの歌、ぴんから兄弟、もとい、ぴんからトリオが1972年にヒットさせた『おんなの道』 で歌います。あの~、その業務部の人というのは私ではありませんよ。えっ、実感がこもっているって。 女のみち(作詞:宮史郎) インドのみち 私がささげた その人に あなただけよと すがって泣いた うぶな私が いけないの 二度としないわ 恋なんか   これが 女のみちならば わたしが仕上げた その報告に インドの時代よと はっきり書いた 業務の私が いけないの 二度としないわ 丸写し これが わたしへの辞令ならば ぬれたひとみに またうかぶ 捨てたあなたの 面影が どうしてこんなに いじめるの 二度と来ないで つらいから これが 女のみちならば ぬれた背中が またとおる 黒い野牛(のうし)の 一団が どうしてこんなに あるいてるの 二度と来ないで 遅刻するから これが 会社へのみちならば 暗い坂道 一筋に 行けば 心の灯がともる きっとつかむわ 幸せを 二度とあかりを けさないで これが 女のみちならば 暗い業績 一筋に 聞けば 今期は利益なし きっとつかむわ 大口を 二度と 赤字にさせないわ これが インドの店ならば 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(104)町を歩けばの巻

町を歩けばの巻 (2010年7月記) インドのプネに着任して三か月が経ちました。 日曜日は散歩の日です。私はゴルフはしません、というか上手くならないので止めました。日本にいるときも休日は万歩計を付けて家の近くを歩いていました。 ここはプネです。日曜日にはスーパーへ一週間分の朝食などを買いに行くのです。いつもはアパートを出るとオート(三輪のタクシー)を拾って町へ出るのですが、ある日私は散歩がてらスーパーに歩いて行くことにしました。 記憶とは不確かなものです。 いつもは会社の車で通っている道なのにスーパーへの通りになかなか出ません。全く知らないところに出てしまったようです。 それで散歩しながら面白い木が無いかなと林を見ていたらオートバイに乗ったお兄さんが200年前のお寺を見せてあげると言って近づいてきました。まじめそうな感じの青年だったので連れて行ってもらうこととしました。 オートバイの後ろに乗ると、わずか10秒のところでした。そこは瞑想の村でした。お寺の跡形はなく簡単な調理道具と数人の瞑想者が生活しているみたいです。でも廟やサイババ、ガネーシャの像がありました。みなさん親切でした。 そこを出てひとりで歩き続けていたら下町に迷い込んでしまいました。豚肉を売る店がありました。ヒンズー教の国ですから牛は食べません。そして豚も不潔な動物と思われて入れ食べません。 ヒンズー教徒にはベジタリアンが多いので豚肉ばかりか鶏も魚も食べない人がいます。またイスラム教徒も豚を食べません。でも豚肉屋さんはあるのです。しかし豚肉屋さんはこじんまりと店を構えているのです。 表通りではたむろしている若者たちがいました。私がカメラを下げているので、自分たちの写真を撮れとせがみました。私もそんな風景を撮りたいのでカメラを向けました。 また町の一角ではゲームに興じる若者たちもいました。みな愛想がいいのです。昼過ぎから歩いて3時間半。喉が渇いてペットボトル買ってしまったので小銭が無くなりました。もっているお札は500ルピーの札が数枚です。これでは大金過ぎてオートに乗れません。おつりがないと言ってぼられるのです。 歩いていると近代的な床屋さんがあったので入って小銭作りの散髪をしようと思いました。お店に入ると直ぐに着席させられました。でも前に洗面台がありません。散髪の作業が始まりました。 言葉は分らないのでOK,OKなんでもOKと答えました。すると水吹きで何回もシューシューと顔に水を掛けてきました。おいおい私は観葉植物か。 見ていると私は左分けなのにオールバックにして髪を切っていました。その次は石鹸を付けずにカミソリで生え際を剃っていきました。 髪切り20分あとフェースマッサージ、手に振動機付けての肩マッサージでみっちり1時間半かかり450ルピーでした。 そしてオートでスーパーへ向かい食材を買ってアパートにもどりました。そしてシャワーを浴びた後に鏡を見ると髪の毛が赤穂浪士の討ち入り後のようになっていました。 せっかく不足する髪を左から補っていたのに。これは写真を撮っていません。悪しからず。ぐふっ。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(103)ワテは運転手(耳鳴り)の巻

ワテは会社の運転手でんねん。ご主人は日本人の社長さんですわ。 社長さんな、最近耳鳴りがひどいちゅうんで、ワテが病院を紹介しましたんや。 プネで一番のエエ病院ですんやで。 Ruby Hall Clinic(www.rubyhall.com)って言いますんや。 ワテが昔、肩の骨を外した時や、ちょっと前にKidney Stoneで面倒見てもらったり、それに、去年、営業マンがバイクからコケた時も連れてきた病院ですわ。そやそや、社長さんの前任者もゴルフで腰が痛いちゅう時も、お世話になったんでっせ。 そこの病院に、ワテの姉さんの旦那さんがX線の技師で働いてまんのや。 ワテの紹介やったら、待たんで、すぐに見てもらえまんのやで。 そんで、火曜日の夕方、会社終わってから社長さんとその病院に行ったんですわ。 ワテはちゃんと義兄(にい)さんに前もって連絡取ってましたがな。 6時半ちゅう時間ですわ。Ruby Hall Clinicな、24時間営業の病院なんですわ。 お願いした耳のお医者さんは夕方4時から8時勤務なんですわ。   そんで、E.N.T.の待合室に行きますとな、ちゃんと義兄さんが来て、待ってくれてましたんや。 普通なら、予約して一日かかるんやけど、ワテらは、ちょっとだけ待つだけですわ。 そやそや、E.N.T.って分かりますやろ、Ear、 Nose & Throatですがな。 なんでも、日本では耳(じ)鼻(び)咽喉(いんこう)って言うそうでんな。 なんで『みみ、はな、のど』って言わへんのでっか。 日本人やのに中国の発音するのがかっこエエみたいでんな。   そんで、ワテらすぐに呼ばれたんですわ、ドクターに。 入って行きましたがな、部屋に。一緒ですわ、ワテも義兄さんも。 そんでね、お医者さんから、いつからや、どんな具合やちゅう、質問があって、器具を使って、耳の中を見たあと、ドクターが隣の部屋に行って何か持ってきましたんや。 あれっ、見たことあるわ、たしか、学校の音楽室や。Tuning Forkや、音叉やおまへんか。 ドクターな、音叉をコーンと机で叩いて、社長さんの耳の穴に当てて、聞こえるかちゅうて聞きましたんや。社長さんな、聞こえますって答えましたわ。そりゃ、そうやろな。 そしたら、今度は、コーンと叩いて、社長さんの耳の後ろにあてましたんや。 聞こえるか?聞こえません。でっせ。 その次はコーンと叩いて、社長さんが坊主にしはった頭のてっぺんに立てましたんや。 そんで、どっちの耳からやちゅうと、社長さんが、左の耳からですちゅうて答えましたわ。 検査はそんで終わりましたんや。 部屋に入ってから、5分も掛ってないんとちゃいまっか。 次の患者さんが、もう部屋に入って来て、椅子に座って待ってまんのや。 普通は外で待つんと違うんかなあ。 帰りがけのドクターとの会話ですわ。 ドクター  ;何歳ですか? 社長さん :60歳です。 ドクター  :原因はage and nerveです。 ここに書いた薬を寝る前に飲んでね。 そんで、今日は時間がないから、出来んけど、明日に聴力検査に来てね。 それでおしまいですわ。社長さんな、Age(加齢)は分かるけど、Nerveって何やって、ドクターにしつこい位聞いてましたで。 ワテが、そりゃ、神経でんがな、血管でんがな、ちゅうて説明したんやけど、納得できんみたいやったですわ。 外へ出ると、社長さんな、音叉を頭に乗せられたときは自分がギターになったような気分になったって言ってましたわ。 そんで、薬局で薬もらうとね、5粒で6ルピー(9円)でしたわ。 ドクターの検診料は500ルピー(750円)でしたんやで。 社長さんな、こんな6ルピーでもうかるのかいな、領収書の紙代にもならんのやないか、ホンマにこの薬は効くんかいなって言ってましたで。 そして、最後には、さすがジェネリックの国やちゅうて感心してはりましたわ。 そんで、車に乗ってご帰宅ですわ。 でも、明日はワテは営業マンと二泊三日でコラプールに行くことになってましたんや。 そんで、社長さんに、義兄さんの携帯番号を紙に書いてあげて、明日、10時半に病院に行ったら、義兄さんに連絡して、検査を受けてくださいって言ったんですわ。 社長さんな、一人で行くのは不安やて言わはりましたんや。 そんで、明日は、うちの会社でしょっちゅう使っておるレンタカー会社で、社長さんも、顔見知りのジャヤンさんが来るよってに、彼にも義兄さんの電話番号を教えておきますんで、病院へジャヤンさんが連れて行くさかい、大丈夫ですよって伝えましたんや。 そんで、次の日ですわ。水曜日の朝でしたわ。 ワテは営業マンと朝の5時にプネを出て、コラプールに向かってましたんや。 8時半ころに社長さんから電話が掛かってきましたわ。 社長さん :おはよう、今日の運転手はジャヤンさんではありません。彼の弟です。 その弟は田舎から一ヶ月前に出ていたばかりで、英語が十分に話せません。 今日の私の病院での検査は、あなたがプネに戻って来てから行くことにしましょう。 来週でも構いません。あなたの義兄さんに今日はキャンセルするように伝えてください。 って言わはったんですわ。しょうがおませんわ。その旨を義兄さんに電話しましたがな。   そんでワテは翌日の木曜日の夜にプネに戻ったんで、金曜日の朝に社長さんを迎えに行きましたわ。 そんで、社長さんに病院での耳の検査はいつにしましょうって、聞きましたらな、いつでもエエよ、っていわはるんで、すぐに義兄さんに電話したら、明日の10時半からならエエよって返事でしたわ。 そんで、翌日の土曜日ですわ。 その日は半ドンやのうで、全休の土曜日でしたわ。 社長さんには朝10時に迎えに行きますって言ってましたけど、例によって遅れて、10時20分ころに迎えに行って、そして病院に行きましたんや。 E.N.T.の待合室には、また、義兄さんが来てくれてましたんや。検査まで、時間があるちゅうんで、ワテと社長さんはCoffee Shopでコーヒーとパンの朝食と取りました。 そして、待合室に戻ると、検査室に入ることができました。 検査室は狭いとこでしたわ。 でも、ワテも義兄さんも社長さんと一緒に入りましたわ。 耳の検査やさかい、音がせんようにサンダル脱いで入るんでっせ。 検査する人は女のひとでした。社長さんは狭い部屋に入れられてヘッドフォンをかけられて、音が聞こえたら手を上げてって言われました。 社長さんが、その時に、右の耳で聞こえたら右手、左の耳で聞こえたら左手を上げるのかって聞いたんやけど、女性検査官は、右手だけで結構ですちゅう、つれない返事でしたわ。 その狭い部屋に小さな窓がついてて、そこから中の様子がわかるんですわ。 部屋の中から、その窓を通して外を見ると、暗ろうて、あまりよく見えんみたいでしたわ。 そして、なんや、女性検査官は機械見ながら操作してましたわ。 ワテらには社長さんの様子が見えんかったよってに、何してはるのか、ようわかりませんでした。 検査が終わって、社長さんが狭い部屋から出てくると、検査官はなんやら書いた書類をみせて、加齢やなくて神経です、この書類をドクターに渡して、診断してもらってくださいと言わはって、終わりでしたわ。そんで、待合室に戻って、義兄さんが受付でドクターの都合を聞くと、午後4時に来てくれとのことでした。社長さんは、今日は土曜日で、メイドが来て部屋を掃除するけど、それは2時ころからで4時には終わってるから大丈夫やちゅうことでした。そんで、一旦帰って、出直すことにしましたんや。 義兄さんにお礼を行って一旦社長さんをアパートに送りましたわ。   そんで、4時にまた、社長さんをお迎えに行って病院に行きましたわ。 車の中で社長さんが、これを義兄さんに渡してくれってお札をワテにくれたんですわ。 要りません、要りません、必要ありませんって答えたんですけど、社長さんは、あかん、是非とも受け取ってくれって言わはったんで、ハイ、確かに義兄さんに渡しますってワテは受け取りましたわ。 車を駐車場に置いて、裏口から入っていくと、守衛所みたいなところにシーク教徒が二人立ってましたんや。社長さんが、あの二人は頭に怪我してんのとちゃうかいうて冗談を言わはりますんや。 そやかて、二人とも白いターバンを巻いて立ってましたさかいにな。 E.N.T.の待合室へ行くと、しばらくして、義兄さんが来てくれました。 義兄さんは、この一階の入り口付近が仕事場なんですわ。今日は手術がのうて暇そうでしたわ。 義兄さんが受付で聞くと、ドクターは別棟で手術中とのことでした。 そんで、三人でCoffee Shopで時間をつぶしましたわ。 社長さんは義兄さんに、X線技師ってどんな仕事ですか、週に何回ぐらい手術に立ち合うのですか、この病院はインドのほかの町にも支店があるのですか、ベッド数はいくつくらいですか、心臓の検査もしてくれるのですか、なんていろいろ聞いてはりましたわ。 おしまいの方では、日本のことわざに『歳を取って耳が遠い人ほど、長生きする』っていうのがあるんで、ワシも長生きの口やろなって言ってはりましたわ。 5時になったんで、待合室に戻ると、まだ、ドクターは手術中らしゅうて、待たされましたんや。 義兄さんが手術室に電話したり、終いには手術室を見てくるちゅうて行ってしまいましたわ。 社長さんは待合室の壁にかかってる、ドクターの名前や勤務時間を面白そうに見てはりましたわ。 ワシを診てくれてるドクターはどの人や、ドクターたちの勤務時間が不規則なんは、どうしてや、副業でもしてるのかって、ワテに聞くんですわ。 そうなんですわ。この病院は私立病院やさかい、お医者さんが自分の病院と掛け持ちなんですわ。公立はあきませんで、その病院以外でお仕事ができませんのや、それに公立の方は給料はグーンと安いんですわ。サービスも悪いんでっせ。 そりゃ、来る患者が貧しい人ばっかやからですわ。   […]

シンゴ旅日記インド編(102)ワテは運転手(組合)の巻

ワテは運転手でんねん、ご主人は日本人ですわ。 えっ、8月はインドがえらい世界のニュースになったんですか。 ロンドン・オリンピックの見知らぬ女性が選手団と行進、マルチ・スズキの暴動、ニューデリーの大停電、ルピーの暴落なんかですか? ワテがオリンピックでびっくりしたんは、選手の男の人がターバン巻いてたことですわ。あれな、ウソでっせ。ターバン巻くんわ、あれシーク教徒のもんでっせ。インド全体で2%もいませんのやで。 また、世界中に誤解を与えてしまいましたがな。 アカンなあ、インド人の何でもエエからみんなを喜ばせようとするサービス精神ちゅう技ですわ。 それに選手団と一緒に行進していた女の人誰か知ってまっか? 開会式のエキストラで踊るダンサーやったんやて、そんで、会場に入る許可証を持っておったって新聞に書いてあったんですわ。バンガロール出身の女の子でしたんやてな。全く悪気は無かったって帰国してからコメントしてましたで。 それにしてもなんでやろね、同じ位の人口を持つ中国が88個のメダルをとって、インドが6個、それも銀と銅だけちゅうのは、なんででっしゃろね。 それに、日本も可哀相でんな、ソフトボールや野球で日本が優勝してまうと、オリンピックの競技から外されてしまいますもんね。 インドでスポーツちゅうたら、クリケットが国技みたいなもんでんがな。 オリンピックにはクリケットがおませんがな、それがあったらインドは金を取れてたと思いますわ。   そやそや、社長さんが言ってはりましたけど、日本の『巨人の星』ちゅう野球のアニメがインドでクリケットに置き替えられて始まるそうですわ。 タイトルは「ライジング・スター」ちゅうて、日本とインドの共同制作らしいでっせ。 お父さんの厳しい指導を受けた男の子が、いろんな試練や葛藤を乗り越えながら、クリケット界の頂点を目指すという話やそうですわそんでね、舞台は建設ラッシュに沸くムンバイなんやて。 男の子の名前はスーラジちゅうて、そのお父さんのシャームは3輪タクシー「オートリキシャ」の運転手なんやて。ライバルになるビクラムは大手財閥系企業の御曹司なんやて。 野球少年が投げた魔球のようなもんまで出てくるちゅう話でっせ。 インドとおんなじようにクリケットの人気が高いコモン・ウェルスのパキスタン、バングラデシュ、スリランカなどの南アジアや、オーストラリアや南アフリカなどでの放映も見込んでるそうでっせ。 日本での新聞記事の話題ちゅうとマルチ・スズキの暴動でんがな。 日立製作所さんもエアコンの工場で火災に遭いましたが、マルチ・スズキさんの方が、損害やこれから来はる外国の企業さんたちへの影響が多きいんとちゃいまっか。 日本のスズキさんな、インドに来てからもう30年経ちますやろ。 マルチ・スズキの車ちゅうたら、もうインドの国民車ですがな。 最初のグルガオン工場、第二工場のマネサールもハリヤナ州にあるんですがな。 こんなことがあるんで、スズキさんは嫌気さして、グジャラート州に第三工場を作りはるやろうなあ。そやけど、グジャラード州も宗教的には大変なとこでっせ。 マルチ・スズキさんな、2009年に生産が追いつかんゆうて、第一工場とおんなじハリアナ州のマネサールに第二工場をつくったんですわ。これが原因でんな。 マルチ・スズキさんのマネサール工場な、去年は4回もストありましたんやで。この第二工場な、大体3000人くらいの人が働いていまんのや。 けど、正社員が60%、契約社員が40%でんのや。 インドって、ブリティシュの植民地やったから、結構、会社法とか労働法とかうるさいんですわ。 そやから、正社員やのうて、簡単に辞めさせることができる契約社員を使ってる会社が多いんでっせ。ワテがそうでしたがな。今年四月まで契約社員やっったんでっせ。 運転手は正社員と条件が違うゆうて、四年前に入社した時に言われてそのままでしたんや。 それを二年前に来はった今の社長さんが、正社員と契約社員と何が違うんや、明確せぇーって、経理に確認しはったんですわ。そしたら、経理が会社の保険に入れんとか、働く時間帯が違うとか言ってましたわ。 そしたら、社長さんが、働く時間を運転手だけ変えて、正社員にしてあげなさいって、言わはって、今年から正社員になれたんですわ。 そやけど、経理は、ワテが正社員になることに、なんであんまりエエ顔してないんやろな。   そやそや、マルチ・スズキの話やわ。 正社員って言うてもね、入社して三年間の実習生と、その後の正社員とがあるんですわ。 実習生と正社員では、お給料がかなり違うみたいでっせ。 そんで、契約社員の方もな、技能労働者とお掃除する係りがありますんや。 この契約社員はハリアナ州と話し合って、地元の人を採用せなアカンことになっとったんですわ。 第二工場やから、働く人の平均年齢が若いんのが特徴ですわ。25歳以下ですんや。 第一工場のグルガオンは、もう平均年齢はゆうに30歳を超えてるらしいでっせ。 そんでや、その第二工場のマネサールに第二組合を作れちゅう動きが出てきたんですわ。 裏では共産党系の組合が糸ひいてまんのや。あの毛沢東路線の反政府の政党AITUCですわ。 インドってね、ようけ、労働組合がありますんや。全国レベルでも次のようになってますわ。 BMS(インド労働連盟) :民族奉仕団(RSS) 832万人 INTUC(インド全国労働組合会議) :国民会議派 784万人 AITUC(全インド労働組合会議) :インド共産党 461万人 HMS(インド労働者連盟) :なし(社会主義系) 535万人 CITU(インド労働組合センター) :インド共産党(マルクス主義) 343万人 UTUC(統一労働組合会議(LS)) 160万人 TUCC(労働組合協同センター) 89万人 AICCTU(全インド労働組合中央評議会) 67万人 UTUC(統一労働組合会議) :革命社会党 78万人 出所:国際労働財団のホームページから 組合ちゅうても、組織率は5%程度のもんちゃいまっか。 そんで、そのマネサール工場の第二組合ですが、要求が無茶苦茶ですわ。 組合員のメンバーの三分の一まで外部のモンを入れよちゅうのですから。 暴動が起こった理由は第二組合問題だけやなくて、カーストや、賃金差別やいろんなモンがあったと思いますわ。 うちの社長さんな、日本のスズキが好きなんやて。 なぜかっちゅうとな、スズキのスズキ会長さんの生まれが、社長さんとおんなじギフで、社長さんの息子さんもスズキのスィフトに乗ってるからやって。   話変わりますけどね、横暴な組合ちゅうたら、この前のエア・インディアの操縦士のストですわ。 あれで、運賃が上がって出張費用が増えとるって社長さんが、こぼしてはりましたで。 今のエアー・インディア(AI)ってね、2007年にインディアン航空(CI)と合併してできたんですわ。このインディアン航空ちゅうのは、めちゃんこアカン飛行機会社やったらしいでんな。 当時のプログにこんなんがありますわ。 『インディアン航空の地上職員の名言。 私        「どうしてディレイしてるんだ?」 職員     「知らない」 私        「何で知らないんだ、無責任だろ!」 職員     「遅れた原因を知ったからといって飛行機が早く着くわけじゃないだろ」 私        「・・・・・」』   インドは1953年に8社あった民間航空会社が国有化されてもうて、国際線はエア・インディア、国内および国際線近距離はインディアン・航空となってましたんや。二社の独占でんがな。 けど、1990年代の民営化路線になってから、民間の航空会社がようけ出来てきたんですわ。 キングフィシャーさんは、一時は飛ぶ鳥の勢いでしたが、今は泡の雫ですがな。 これな、鳥のキングフィシャー(カワセミ)と親会社がビール会社ちゅうのを掛けた洒落でっせ。   そんでエア・インディアやがな。この2007年の合併後も操縦士さんの組合が別々なんですわ。 エア・インディアはIPG言うて、インデァン・パイロット・ギルドで、インディアン航空はICPAちゅうてインディアン・コマーシャル・パイロット連盟なんですわ。 これが仲が悪いのなんのって。今回のストはエア・インディアの操縦士さんの側ですわ。 お腹が痛いって、体調が悪いって、嘘を言って休んだんでっせ。 そんで、日本への便は全便欠航ですがな。 このストね、なんでしはったか、知ってはりまっか、会社が今度ボーイングのドリームライナーちゅうてB787の最新式の機体を買わはるんですわ。 旧エア・インディアさんはボーイング社の機体をずっーっと買ってきたんですが、インディアン航空さんはエアバス社の機体が中心やったんですわ。 飛行機の型式が変わったり、メーカーが違うと操縦士さんも訓練し直さなあきませんやろ。 そんで、エア・インディアの操縦士さんたちが、インディアン航空出身の操縦士が訓練を受けるのは、この会社がもうかっておらんこの時期に、コスト高になるよってに、せんでエエちゅうたんですわ。自分たちのお仕事を奪われんようにしたんですわ。 話代わりますけど、これってCAもおんなじでっせ。 ボーイング社の機体に乗るCAがエアブス、ちゃう、エアバスに乗るときや、その逆の場合も、それぞれ社内試験受けなアカンのでっせ。 このエア・インディアさんの操縦士さんのストね、これまた、伏線がありまんのや。 ちゅうのはね、エア・インデァさんは、正操縦士になるのに10年かかりまんのや、10年たてば自動的に正操縦士になれまんのやわ。怖い航空会社でんな。 インディアン航空さんは、それが6年ですねん。 それに、二つの組合があるんで、まだお給料なんかの待遇はエア・インディアの方がエア・インディアちゃう、エラい、エエンですわ。ちょっと舌噛みそうになりました、すんません。 そんで、去年な、インディアン航空の操縦士さんがお給料改善のストをやって、会社から増額を認められたんですわ。 それを根にもって、今度はエア・インディアの操縦士さんのストですわ。 そんなことやっててエアん、いやエエんですかいな。 […]

シンゴ旅日記インド編(101)ワテは運転手(新聞係)の巻

ワテは運転手でんねん。ご主人は日本人の社長さんですわ。 その社長さんが来られたばっかの時に言わはったことがありますわ。 『私が(会社で)仕事をしている時は、あなたは仕事(運転)をしていません。あなたが仕事をしている時は、私は仕事ができません。』 そんなん言われても困りましたで、運転手やもん、しょうがおませんがな。 けどな、今は違いまっせ。その時からスタッフが増えましたんや。 今は事務所の二階の天井の低い部屋で、社長さんと経理とワテの三人が座っていますんや。 前は、ちゅうか、日本人の若いお二人さんが来る前は、ワテは、朝、社長さんを乗っけて会社に行きますやろ、それから先、これといった仕事がおませんでしたんや。 社長さんの送り迎えの他は、経理が銀行や役所に行くときに車を運転しまんのやけど、後は社長さんとワテの昼食を買いに行く時くらいしか用がおませんでしたんや。 そんで、会社に行って、ワテにとっては針の山に座るような朝の打合せが終わると、ワテは会社でとってる新聞に目を通すのが日課みたいなもんでしたんや。 その新聞読みが、今では仕事のひとつになりましたわ。 社長さんがワテの仕事にしてしもうたんですわ。 『あなたは事務所では新聞を読むことが仕事です。そして大きな出来事が載っていたら、私に教えてください』って言わはったんでっせ。 そんなん、社長さん、ご自分ですることやないのかなあ。 それに、今では新聞を読むことの他に、事務所にいるときは経理のファイリングなんかもワテの仕事になってまんねん。 新聞を読む仕事は結構、社長さんに報告事項があるんでっせ。 プネのダムの水位が下がってもうたとか、Kingfisherが借金で首が回らんとか、前の日に社長さんが通ったムンバイ――プネの高速道路で5台の車が衝突して5人死にはったとか、毎日報告する出来事がありまんのや。 ワテな、最初のページはあんまり、ちゅうか、まったく読まんのですわ。 ホンマのこと言うと政治や経済ってようわからんのですわ。 社長さんは、地方の州の選挙結果とか、中央の党と地方がどうゆう関係にあるとか、今年の予算はどないやって聞きはりますけど、ワテはあんまり関心がおませんのや、ようわからんのですわ。 ワテが最近報告して社長さんが関心しはったんは罰金の記事ですわ。 プネ市がごみのポイ捨てなんかに罰金の支払いを取り入れたんですわ。 社長さんな、プネもシンガポール並みに、綺麗になるんやろかって言うてはりましたで。 でも、そんなん、無理ですわ。みんな守りませんで。 オートバイのヘルメットかて、一旦、かぶらなアカンことになったんやけど、すぐに守らんようになりましたがな。これって、みんなが強いんやろか、それとも市がエエかげんなんやろか。 そういえばこんなことがありましたわ。あれは社長さんが来はった二年前やろか。 社長さんと営業マンを乗せて、ワテがコラプールから運転してた帰りのことですわ。 運転するワテの横に営業マンが座ってましたわ。 すっかり夜も更けてましてね、もうすぐプネに入るかなちゅうとこで、営業マンが車の窓を開けたと思ったら、飲みかけやった二リットルのペットボトルを窓から投げ捨てたんですわ。 社長さん、びっくりしはって、営業マンを怒りましたんや。 『なんてことをするのですか?窓からペットボトルを投げ捨てるなんて。誰が掃除をするのですか?それに人がいたら危ないではないですか。』 営業マンな、キョトンとしてましたで、社長さんが何を怒ってはるのか意味が分からんみたいでしたわ。これからは、そんなことしたら、罰金になるんでっせ。わかっとるのかなぁ、あの営業マン。 朝の打合せで、これからは罰金払わなアカンのやでって言ったろかしら。 社長さんな、この前ラジャスタン州のジャイプールへの出張から帰って来はって、教えてくれましたで、ジャイプールではオートバイの運転手も後ろに座る人もヘルメットの着用が義務付けられたんやて。 久しぶりにジャイプールに行って町の景色を眺めていたら、何か違うんで、同行したメンテ担当に何か違わへんかって聞いたら、オートバイの運転手も同乗者もヘルメットをかぶることになったんやちゅうことですわ。ちゃんと守っとる町もあるんやなあ。なんでやろ、人の違いやろか、市の姿勢やろか。 話変わりまんのやけど、ワテは家ではパソコンやってますんや、その話を社長さんにしたら、ワテ用のラップトップを与えられて、Eメールアドレスも作ってもらえたんでっせ。 ワテにも事務所におるときは事務所の仕事をせいちゅうことですわ。 けどな、このラップトップな、ホンマはワテ専用に買うてもろたんと違いますんや。 この前、辞めはった顧問さんのんを、返してもろたんで、社長さんがワテに使えちゅうて言うたんですわ。そんで、最初にワテが打ったメールは、社長さんの出張のフライトを旅行代理店に申し込むことやってんです。フライトの予約は経理が担当するのやけど、経理はその日休んでおって、おらんかったんですわ。ワテな、ちゃんと社長さんにも代理店へのメールのコピーを落としましたがな。 そうしたら、社長さんが、それを読まはってな『Checkのつづりが違っていますよ。Cheakになってますよ。これがCheekやったら、ほっぺたのことですよ。Cheek danceって知ってますか』って言わはりましたんや。Cheek danceって日本語英語でっせ。それに朝から変なこと言わはる社長さんでんねん。ワテな、おかしいなあ、Checkはそんなつづりやったかなぁ、社長さんが間違っているのやないかって思ってましたんや。 そしたらな、次に社長さんから書類を渡されて、サービス売上の源泉税の支払い確認を税務署のネットから見てくれって言われましたんや。ホンマは、これも経理の仕事でんがな。 ラップトップもろても、あんまりいいことないなって、ちょびっと思いましたわ。 そんで、その、ネットからの確認を、どうやってすればエエのか知らんかったんで、休んでる経理に電話して、うちの会社のパスワードなんかを聞いて教えてもろたんですわ。 そのネットからの税金の支払確認は存外簡単なものでしたわ。 その時ですわ、書類にcheck ちゅう文字があったんで、社長さんに、合ってますよ、Checkちゅう単語のつづりは社長さんが言わはったんが正しいですよって報告したんですわ。 社長さん、そうやろ、私が辞書そのものや、これからは歩く辞書って読んでくれって言って、自慢顔してはりましたわ。 ワテな、英語を話すのは事務所で、一番に上手(うま)いんやと思うけど、書くのは苦手なんですわ。 インドの学校は、英語で授業する学校と、その州の言葉で授業する学校がありますんや。 ワテでっか、そりゃ、もちろん、英語授業学校ですがな。 ワテは、両親がチェンナイ生まれのクリスチャンで、家の中では英語使ってましたやろ、それに学校も教会系やったさかい、英語は問題ありませんのや。 経理でっか、彼はマラティー語授業の学校やったから、英語の授業は小学校の五年生からあったそうでっせ。 そやけど、ワテな書くことは苦手でんねん。 この前も、社長さんが毎朝提出する運転記録を見ながら『これはamですかpmですか、はっきり分るように書いてください』って言われたことがありましたわ。 その日は、まだまだ、事務所のお仕事がありましたで、経理が休んだからでっせ。 社長さんな、ちょっと銀行からのメールを転送するんでチェックしてくれって言わはったんでっせ。 またチェックでっせ。社長さん、チェックちゅう言葉好きなんやね。 何かと思うたら、海外からの入金確認連絡ですわ。 社長さんな、これを夕べ銀行からメールで受け取ったんやて。 うちの会社な、本社や国内のお客さんからの送金は時々あるけど、海外の他の会社からの入金はまずありませんのや。 社長さんが言わはることには、そのメールを読むと、バーレンから1万ドル以上の入金がうちの会社があるけど、その入金目的のコードは何やて書いてあるらしいちゅうんでっせ。 そんで、銀行の担当者に、そんな入金は無いけど、何かの間違いや無いかって聞いてくれって言わはったんですわ。いつもやったら、これも経理の仕事でんがな、明らかに。 けど、その日は、経理が休んでおったさかい、ワテがせなアカンかったんですわ。 そりゃ、ワテかて、うちの銀行の担当者の名前くらい知ってまんがな。 そんで、社長さんが転送してくれはったメールを、よう読むと、入金する会社の名前が、うちの会社の名前とよう似てるけど、まったく別の会社ちゅうことがわかったんですわ。 社長さんにそれを言うと、『そうですか、そうですか』ちゅうて、もう一回ご自分でメールを読んで確認してはりましたわ。 そんで、ワテな、銀行に電話して、銀行の担当者に間違ってまっせて、伝えたんですわ。 そうしたら、しばらくして、社長さんのメールに銀行から申し訳ないちゅうメールが入ったらしいですわ。 社長さんな、こんな簡単な間違いをインドの銀行はするんやなあって感心ちゅうか、呆れてはりましたわ。そして、入金するのはうちの会社ですって嘘つけばよかったかなぁて言ってはりましたわ。 社長さんな、これで、銀行にさらに不信感持ちはったみたいですねん。 ちゅうのは、何ヶ月前にな、ニセ小切手の事件があったんですわ。 これな、おかしな話やけど、経理が展示会への展示機の輸送費用を、小切手でチェンナイの業者にクーリエで送ったんですわ。チェンナイはタミールナド州でっせ。 そうしたら、隣のケララ州の銀行で小切手の金額に一本余分に1ちゅう数字が足されて引き出されてしまったんですわ。何万ルピーやったかが十何万ルピーかになって落とされてしもうたんですわ。 銀行な、5千ルピー(7500円)以上の入出金があると、社長さんのパソコンにAlertちゅうて連絡がきまんのや。 そんで、社長さんは、それをそのまんま経理に転送してますんや。 すると経理は社長さんがエクセルで作った残高表に記入して銀行残高を確認してますんや。 けど、入出金連絡が来ても、それは金額と小切手番号だけで、どこに支払ったかの明細は銀行から来ぉへんから、それがブラインドスポットちゅうか、盲点でしたんやな。 経理な、いちいち、その引き落とされた金額がどこへの支払いかCheckしませんのや。 そんで、その事件が起きてから、社長さんな、経理にCheck(小切手)を発行したら、エクセルにすぐに記入しなさい、そして銀行から出金連絡があったら、金額をCheckして色をつけなさい。そうすれば、CheckがCheckできるやろって、洒落をいいながら指示してはりましたで。 それで、そのニセ小切手でんがな、これな、何で偽造されたかわかったかちゅうと、そうでんがな、本来の小切手の受取人が約束の日が過ぎて、やっとう待ってても、小切手が届かんちゅうで営業に電話してきましたんや。 クーリエで送ったんで、クーリエの会社に支払い先の業者に届けたかどうか確認しましたんやが、プネからチェンナイへはまとめて送っているんで、一件、一件の確認は取ってないちゅうんでっせ。 それにクーリエは小切手の金額の保証はせんちゅうものらしいですわ。 そんで、社長さんな、経理に銀行に文句言えー、その偽の小切手を取り寄せぇーちゅうて大騒ぎですわ。 そして取り寄せた偽の小切手は、元の金額やサインなんかを薬品できれいに消されて書き直されていましたわ。 社長さんの魚の骨のようなあのサインも、誰が見てもわかる違った魚の骨になってましたわ。 ホンマにあるんでんな、ニセ小切手なんて。簡単にできるもんなんですな。 新聞には、ようこの類の事件が載っておるやけど、まさか、うちの会社が被害にあうとは思ってもいませんでしたわ。 そんで、続きがありますんや、ちょっとしてな、銀行のお客様サービス係が、何にも知らんと、挨拶に来たそうですわ。 そんで、社長さんが対応して、お客様サービス係やったら、何とかニセ小切手の問題を解決して、責任取ってお金を返してくれって言わはったそうですわ。聞いた話やけどね。 それからですわ。社長さんは経理が銀行に行くたんびに、このニセ小切手の解決はどうなっておるんや、確認して来いって言わはるんです。 そんで、昨日もワテが経理と銀行へ行く前に同じことを言わはったんでっせ。 やけども、銀行は、毎回おんなじの、ちょっと待ってちゅう返事ですわ。 ええですな、銀行は、受取小切手は、すぐ入金してくれんし、送金する時には、あの書類出せ、この書類が足らんちゅうて、すぐにやってくれへんのに、問題が起こると、ちょっと待ってくれ、そんで、自分の責任やと分るとかんにんのメール一発で済ませますんや。 ワテかて、失敗したら、かんにんの一発で済すませたいわ。 銀行さん、かんにんで済むんやったら、お巡りさんがいらんのやで。アカン、インドでは、お巡りさんの方がもっと、かんにんだらけや。 新聞係りな、結構ええ仕事ですわ。 新聞読めて、お給料もらえてTwo birds with one stoneですわ。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(100)ワテは運転手(インド土産)の巻

ワテは運転手でんねん。ご主人は日本人社長さんですわ。 この社長さんな、年に何回か、日本に一時帰国されますんや。 そんでそのお土産を買うちゅうんで、この前の休みやった土曜日に、お供したちゅうわけですわ。 社長さんな、二年前に来られて初めて一時帰国しはった時は、サリーやら、パンジャブ・スーツをぎょうさん買って帰りはったんでっせ。 そやけど、ご家族の人からはそれらに興味を持ってもらえんかったんやて。 そんな、派手派手のモンを、誰も、よう着んちゅうのが理由やったそうですわ。 けど、娘さんたちが、友達にあげるちゅうて受け取ってくれたんやて。 そんで、この前帰った時に奥さんから、タンスの中にまだ残ってるモンが何着かあるって、聞かはったそうですわ。 その次の帰国の時はマフラーでしたわ。 お正月休みに帰らはったんで、絹や綿のマフラーが安いちゅうんで、これもまた、ぎょうさん買って帰らはったんですが、ご家族からの評価は前とおんなじやったそうですわ。 けど、マフラーを持ってなかった息子さんが二つもらってくれたそうですわ。 社長さんな、センスがないんですわ。 安ければエエ、ぎょうさん買えればエエちゅうタイプですわ。 なんせ、田舎育ちで、家族や近所の人、それにおじさん、おばさん、従兄弟が多かったんで、お土産は数で勝負する性格になりはったみたいですわ。 もっとも、社長さんな、自分のことを『日本の百円ショップ大好きおじさん』やって言ってはりますわ。 きっと、Penny wise and pound foolish(安物買いの銭失い)の典型でんな。 その次に、ぎょうさんお土産として買いはったんは食いモンでしたわ。 インド料理が日本では人気やちゅうんで、インドのレトルト食品を買って帰りなはったんでっせ。 いろんな種類のカレーや、炒めもんや、ベジやノンベジやちゅうて、会社の近くの商店の在庫がなくなるくらいに買って行かはったんですわ。そんで、これもアカンかったようですわ。 家族の人がインド料理や、エスニックやちゅうて食べてくれるかと思ったら、本場のインド料理は日本人の舌には合わんそうですわ。 このレトルト食品も、その次に帰国した時に、台所の隅にある箱にまだ残っておったそうですわ。 そやそや、去年は親戚にインドの映画が好きやちゅう子がいるのがわかって、インド映画のDVDや映画音楽をぎょうさん買って帰りはったことがありましたで。 そんで、会社にも持って行って若い子の人気取ろうと配ったけど、みんなそんなんイランちゅうて、断られたそうですわ。   社長さんな、そのほかにも、食後に口直しで食べるソーンフちゅうお砂糖でくるんだモンの詰め合わせとか、チャイのパックとか、甘いお菓子とか、ヒンドゥー教の宗教画とか、いろんなモンを買って帰らはったんですが、どれもこれも、家族や会社の人には喜んでもらえんかったらしいですわ。 そんで、空港でチョコレートを買ったり、バンコクでトランジットする場合には、空港の売店で香料とか、石鹸とか、仏像、唐三彩みたいな陶器のベンジャロンとかを買って帰らはるらしいですわ。 そりゃあ、そうですわな、インドのモンでせいぜい世界的に有名なんわ、ダージリン・ティぐらいなもんですわな。 そんで今回ですがな。 なんや知らんけど、奥さんからインド綿を買って来てくれって頼まれたそうですわ。 奥さんが知り合いにあげたいから縫っておらん、生地を買って来て頂戴と言われたそうですわ。 社長さんな、奥さんからインド綿の依頼が来る前は、石で作っった象で、体に穴が開いておって、その中にまた小さな石が入っとるちゅうやつを買ってこうと思ってたんやて。 しかし、石は重いし、前にシヴァ神のリンガを息子さんに買って、持って帰って、カバンを開けたら、真ん中の棒が割れておって、瞬間接着材でくっつけたそうですわ。 そんで、今度は何を買っていったらエエのか悩んではりましたんや。 社長さんな、火曜日の夜の便で帰ることになりましたんや。 そんで、その前の週の休みになる土曜日に買い物に行きたいって言わはったんですわ。 ワテにですわ、しょうがおませんがな、社長さんに、お付き合いするしか。 ワテが経理にエエ店がないかを聞きましたんや、そして、教えてもらったお店は狭い路地にあるんで車では行けませのんや。そんで、ワテが土曜の朝9時に社長さんのアパートにオートで行ってから、一緒に行きましょうって言いましたんや。   それに、金曜日と土曜日は社有車を車検に出してましたんで、どっちみち社有車では行けませんでしたんや。 この車検をする、せんについても、木曜日に社長さんとの間でちょっと、ひと悶着がありましたんやで。 ワテ      :社長さん、火曜日にムンバイ空港にお送りするんで、車を明日金曜日に車検に出します。 社長さん           :いつもどれだけの走行距離で点検に出しているのですか。 ワテ      :5千キロ毎です。 社長さん:前回の点検はいつでしたか? ワテ      :二ヶ月前です。 社長さん:そんなに、頻繁に点検に出すのですか? その度に部品を取り変えて、点検会社の言いなりにお金を払うのですか? ワテ      :仕方がありませんわ、1年間の保証が5千キロ点検をするちゅう条件ですさかいに。 社長さん           :ちょっと待ってください。   社長さんな、日本人社員の一人を呼びはって、なんか質問して、その社員の人が席へ戻って、しばらくして、また、来はって、社長さんになんか報告にしてはりましたわ。 そしたら、社長さんが、ワテに、点検をしなさいって言わはったんですわ。 後で、その日本人社員の人に聞いたら、社長さんから、日本での車を点検する走行距離を聞かれたんで、本社に確認したら、3千キロ点検をしてるって連絡があったんで、そう答えはったそうですわ。 そんでやわ、社長さんすぐにOKを出しはったんわ。   そんで、社有車を車検に出したもんやさかい、金曜日は日本人の社員さんはオートで帰る予定してたんやけど、間がエエちゅうんですか、いつも使ってるレンタカー会社の社長さんが先月の請求書を持って来たんで、その帰りを利用して三人さんがアパートに送って貰いなはったんですわ。タダですわ。 ワテですか。オートで帰りましたで。 けど、来週の月曜日と火曜日に休暇を取って、15日の独立記念日と合わせて5連休を取りよる経理が仕事を終わるのを待って、事務所のシャッターを降ろして、経理がロックした鍵を、ワテが受け取って帰ったんですわ。 土曜日ですか、社長さんには9時に行きますって約束してましたけど、社長さんの家に着いたんは、 10時ちょっと前でしたわ。 けど、社長さんな、前みたいに、なんで約束時間が守れんのやちゅうような、すねたような顔をしてませんでしたで。きっと、インドの時間感覚ちゅうのを会得しはったんやろね。 そんで、ワテが乗って来たオートに一緒に乗らはって、クリシュナ通りに向かったんですわ。   その日は、買いもんの他にマネーチャンジャーにも行くことになってましたんや。 社長さんな、今回はルピーを円に替えて持って行くちゅうんですわ。 ルピーが毎日、安うなっていくんで、心配にならはったんやろか。それともヘソクリやろか。 そんで、前の日の金曜日に、ワテがマネーチェンジャーに電話して、社長さんが円を買いたいちゅうてるでって言うたら、そんなら、先に社長さんの口座からインターネット・バンキング・システムを使って、送金してくれって言われましたんや。そうしたら、入金を確認して、その日のうちに円を持って行くって言われたんで、そう社長さんに伝えましたんや。 社長さんな、インターネットを使って送金したことがないもんで、ワテが側についておって、ID番号や、パスワードを入れて、いや、パスワード入れる時はワテは側を離れましたけどな、そうやって操作したんやけど、送金が出来んかったんですわ。 なんでかちゅうとね、インターネットで送金するには、パスワードの他に携帯番号登録を銀行に行って済ませておかなアカンかったんですわ。 けど、社長さん、その手続きしてませんでしたんや。 そんで、結局、小切手で支払うことになって、これもワテが小切手に支払い先と金額を書いてあげましたんやで。 そして、その小切手を金曜日にワテが銀行に持っていって、マネーチェンジャーが入金を確認してから、次の日の土曜日に円を渡すちゅうことになりましたんや。 長い話やけど、結局金曜日には円が貰えんで、土曜日にマネーチェンジャーのお店にワテと社長さんとで取りに行くことになりましたんや。   そんで、土曜日はお買い物と両替の二つのことをすることになりましたんや。 けど、ワテは車の点検が土曜日の夕方に終わるんで、社長さんとご一緒したあとに、車を取りに行かなあきませんでしたけどな。 そんで、インド綿のお店には、オートの後ろに社長さんと二人で座っていきましたんや。 社長さんな、朝から、うるさいんですわ。 社長さん           :おいおい、このオートは旧式の料金メーターですよ。 このメーターは金額を表すのですか、距離を表すのですか ワテ      :これは距離を表しまっせ。下の二桁がメートルで、それからが左の数字がキロです。 社長さん:そうですか、私はてっきり、金額を表すのかと思っていました。なぜなら、降りる時に、 いつも運転手さんがメーターを見てから、胸ポケットから取り出す表を見るので、メーターには旧料金が表示されていて、表で旧料金と新料金の換算をしているのかと思っていました。 ワテ      :ちゃいまんがな。あのー、運転手さん、料金表を見せてやって。 ちゅうて、ワテは社長さんに料金表をお見せしたんですわ。 社長さんな、そうやったんかって、料金表を見ながら関心してはりましたわ。   そして、背中をかがめて、オートの中から町を眺めて、あの古い建物は何や、この匂いは何や、あの人だかりは何やって聞きはりますのや。 そのたんびに、あれは、プネで一番古いアパートです。あれはオフィスです。この匂いは近くに魚市場があるからですって説明せなあきませんのや。 そんで、野良犬狩りの車があったんで、あれは野良犬狩りをしてるんですちゅうと、犬はどうなるのや、どこかの町に捨てるのか、ドッグショップに引き取ってもらうんかって聞かはりますんで、ちゃいます、殺して処分するんですって答えましたわ。   そんで、やっと、インド綿のお店の近くに着いて、社長さんがオートの代金170ルピーを払ってくれて、オートを降りて、お店に向かいましたんや。社長さんな、また、おしゃべりですわ。 ここは何回か来たことのあるとこやないか、あの古い市場があるとこやろ、あの大きな建物がそうやろ。この通りは前は、あっちから歩いて来たことあるで、この店は確か、お客さんの結婚祝いの食器を買いにきたとこやって言いながら歩かはるんでっせ。 そして、時々カメラを取り出しては、写真を撮りなはるんでっせ。 お店では、社長さんな、買うもんを決めておられんかったんか、生地もんと仕立てもんの両方を買ってはりましたわ。 お店の人にこれもエエですなって言われると、お値段を聞いて、安いとすぐに二つ下さいって言わはるんですわ。そんな主体性のない買い物する人おるんやろか。 社長さんな、今度の帰国でホームタウンに、お父さんのお墓参りに行くんやって、そんでお兄さんのお嫁さんや、妹さんや、姪っ子さんや甥っ子とさんのお嫁さんや、女性陣がようけおられるんやて。 […]

シンゴ旅日記インド編(99)ワテは運転手(コチ)の巻

シンゴ旅日記インド編(99)ワテは運転手(コチ)の巻 ワテは会社の運転手でんねん。社長さんは日本人ですわ 。 ワテな8月15日の独立記念日の休日に休暇を4日半もらって土日をくっつけて 7 日間の休みをもらいましたんや。 独立記念日は1847年の8月やさかい、今年で65回目なんですわ。 日本では今年は67回目の独立記念日なんですってね。 何でワテが七日間も休みを取るのかってですか? それは、ワテの 従兄弟 の結婚式にコチちゅうとこに行くんですわ。 結婚する従兄弟ちゅうのは、死んだオカンの弟の息子ですわ。 コチは昔でいうコーチンですわ。最近の地方語優先の風潮でコチちゅうて、名前が変わりましたんや。ボンベイがムンバイ、マドラスがチェンナイと変わったんとおんなじですわ。 そや、今日はコチをコーチンって言いますわ。 コーチンは南インドのケララ州の町ですわ。州都はトリヴァンドラムで、州の人口は33百万人ですわ。南インド言うたら、チェンナイのあるタミール・ナド州、バンガロールのあるカルナータカ州、ハイデラバードのあるアーンドラ・プラデシュ州、そしてコーチンのあるケララ州で、インドの南部 4州って呼ばれてますんでっせ。 それぞれの州はタミール語、カンダナ語、テ ルグ語、マラヤーラム語が主要言語なんですわ。みんなドラヴィタ系の言語で文字も、ちょっと似てるようで違うんでっせ。 プネからコーチンまででっか、そりゃ、電車で 丸一日かけて行くんですわ。飛行機なら二時間もかからんと行けますけどね。 プネから電車に乗ってコラプールちゅう、内陸の町を通って、ご存知のゴアちゅう港町に出て、それか ら海岸沿いをずーっと走ってく電車なんですわ。ケララ・エクスプレスちゅうんですわ。 料金でっか、片道1500ルピー(2100円)ですわ。二段ベッドの寝台列車でAC付でっせ、料金は三段ベッドよりもちょっと高いけど、個室よりも安いんですわ。 プネから弟と妹と妹の息子と結婚式に行きますんや。弟は仕事の都合で後で来るちゅうんで、妹と甥っ子と一緒の電車で行きますんや。 コーチンより途中停車するゴアの方がもっとエエ町なんでっせ。 ここは歴史があって、海もきれいで、外国人観光客もおおて、アカン、アカン、話題が逸れそうやから、コーチンの方に戻りますわ。 コーチンもゴアに劣らず昔からの歴史ある港町なんですわ。ともにアラビア海に面してますやろ、昔からローマ帝国とか、イスラム商人とか、ポルトガルと、オラン ダとか、イギリスと商売したりしてたとこですわ。 そやから、ほかのインドの町と比べて、結構、早うからキリスト教が入って来てましたんや。 そんで、コーチンの町は大きく分けて三つに別れますんや。東側が鉄道やバスのある内陸部分で、その隣にウィリントンちゅう人 工の島があって、その隣がアラビア海に面したフォート・コーチンで すわ。この昔からの風情を残すフォート・コーチンが見所ですわ。 そこにはポルトガルの航海士のヴァスコダ・ダ・ガマ(1469年?~1524年)の墓のある教会がありますんやで。遺体はポルトガルに送られたんやけど、その後が残ってますわ。その教会の名前は聖フランシス教会ちゅうんですわ。 ポルトガルはカトリックやけど、その後に来たプロテスタントのオランダが1663年からコーチンを占領したもんで、教会はプロテスタントに変わってもうて、オランダ人のお墓もあるんでっせ。 その教会の近くには、同じようにポルトガル時代に作られたもっと古い教会で、サンタ・クルス聖堂がおますんやで。 それに、ポルトガル時代の1555年にコーチンの藩王につくられた宮殿が、その後に来たオランダの総督の屋敷になったんで、ダッチ・パレスと呼ばれるニ階建ての建物がありますんや。今は昔のまんまの家具なんかが展示されておって博物館みたいになってますわ。ユダヤ教の礼拝堂シナゴーグもありますんやで、紀元一世紀ごろにローマ帝国に滅ぼされたパレスチナのユダヤ人が、商人になって世界各地に散ったんですわ。 その一部がインドの西側や東側にやってきたんでっせ。コーチンではユダヤ人町ができるくらい大勢 いたんですわ。香辛料貿易を一手に引き受けていたんでっせ。 そやけど、コーチンのユダヤ人は『十分にユダヤ的であり、インド的である』といわれたんですわ。 きびしいユダヤ教のしきたりを守ったんやけど、生活にヒンドゥー教を取り入れたりしたんですって。けど、1948年にイスラエルが建国されると、みんな行ってもて、もう3家族しかおらんちゅう話でっせ。 教会は無料で入れるけど、ダッチ・パレスは一人10ルピー払わなあきませんのや。それに写真の撮 影が禁止なんですわ。 シナゴーグですか、ワテは入ったことないんで、入場料がいるかどうか分かりませんのや。そうそう、フォート・コーチンの一番北の海岸沿いではチャイニーズ・フィッシング・ネットを使った魚取り を見ることができますんやで。 石のオモリと人力で、沈めたり上げたりする網がズラーっと、海岸沿いに並んでおって、そこで取れたての魚を道端で売ってまんのや。 それにお土産屋さんも道端に並んでおって、ちょっとした観光地ですわ。そやさかい、見学にくる外国の人も多いんでっせ。インド人かて、ようけ見に来てまっせ。海鮮レストランや、バーなんかもありますわ。けど、お酒はゴアの方が安いんでっせ。税金が少ないからですわ。アカン、アカン、どうしてもゴアが出て来てしまいますわ。 博物館と言えば、つい三年ほど前に出来て、個人が集めたものを展示してるForklore Musiumちゅう博物館は見ものでっせ。 入場料は200ルピー、カメラ持ち込みは50ルピーとちょっとお金を払わなあかんけど、紀元前からの遺物なんかも集めたちょっとした博物館ですわ。入口で裸足にならないけませんで。 そんで帰りには受付でコメント書いたりできますよや。その博物館を紹介した40分もののDVDを200 ルピーで売ってますんやで。 またコーチンは、そりゃー、なんといっても、食いモンですわ。 海のすぐ側やさかいに、お魚、エビ、カニ、イカなんでもありですわ。料理方法も外国人観光客が多いよってに、ヨーロッパ風やったり、日本の天ぷら風な盛り付けもある んでっせ。社長さんが来はったったら、毎晩ワインと海鮮料理でニコニコ顔やろうね、きっと。 えっ、ワテらが長いことコーチンに行って、どこに泊まるのかってですか。心配いりませんのや。 ワテの叔父さん、国立の銀行勤めですんや。その奥さんは国鉄勤めですわ。 その子供たち、ワテの従兄弟たちは、ガルフ(中東)に働きに行ってますんや。そんで、今度結婚する従兄弟はガルフから帰って来て、なんや商売するらしいですわ。そんで、叔父さんの家かて、フォート・コーチンの海岸沿いにある、めっちゃ広い家なんですわ。ワテら兄弟家族が何人行っても泊まることができるんでっせ。それに、結婚式は二日続きですがな。まあ、大勢の人が集まると思いますわ。オカンですか?男2人、女4人おる兄弟だったんでっせ。 みんな、政府や大きな会社に勤めてますんや。ワテだけですわ。運転手やってますんわ。トホホですわ。 あっ、そうそう、ケララ州は識字率(リテラシー)がインドで一番高いんでっせ。それにキリスト教徒が多くて、英語を話す人も多いんで、街の中の看板は英語表示が多いんですわ。 いっぺん、行ってみなはれ、コーチンはエエとこでっせ。 日本も土佐のコーチンちゅうところは海の町らしいでんな。海鮮料理が『ごじゃんとうまい』って言うらしいそうでんな。ほな、ワテ、ちょとコチへ行ってきますわ。 ワテがおらんでも忘れなさんなよ、『コチ吹かば思い起こせよ』ちゅうやつですわ。ほな、さいなら。 付録:Forklore Meseum ミニ案内 三階はステージになっていて、定期的に民族踊りなどを上演します。 丹羽慎吾