スマホライフ 今日の一枚 趣味の作品展 VOICE
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石塁~詩集「流体」より

石塁   不揃いな石塁は むかしの人が積んだ 石は日に晒され 草の斜面に くねくねと連なっている わたしは俊敏な獣だった 羊の脇を駆け抜け いつもは石塁をひと飛びで越える 急な斜面を走り 遥か下方の川を目指す けれどその日は 斜面をずり落ちそうに 石塁に寄って 草に伏した そろそろだよ あのひとの声が 背骨に沿って滑って行った そうなのだとかすかに思い 身を縮めて わたしは 一匹 子を産んだ 黒とグレー 繊細な縞に毛を染め分けて 前足 後ろ足 美しかったと 獣であった自分の肢体ばかり覚えていて 産んだ子の感触はまるでない 石塁の はみ出た石に足をかけて 羊が一匹 わたしの方を見ている 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

シンゴ旅日記インド編2 赴任後初めての買い物の巻

(筆者がインドに駐在した2010年代に体験したことを日記風につづっています。) インドに来て3週間が経った日曜日に初めて町に買い物に行きました。 前任者に教えてもらったドラフジというスーパーです。そのスーパーのある通りの名しか知らないので他のところに行くことができないのです。 アパートから外に出て、炎天下で10分くらい待っているとオートが来ました。 私が運転手に言いました。『MGロード、ドラフジ。』 すると運転手は首をイヤイヤのように左右に振ります。これは理解したとの合図です。インド人のこの仕草に日本人は面食らいます。最初の頃は「ノー」と言っているのだと思うのです。 MGロードとはマハトマ・ガンジー通りのことです。大きな町には必ずある大通りの名前です。 町に入りました。前来たところです。問題ありません。ドラフジに着きました。運転手に料金を聞きました。 運転手は背中を反らせて後部座席との間の料金メーターを見ます。そして胸のポケットから換算表を出して確認して45ルピー(90円)と言いました。 私は50ルピー札を出しました。すると『5ルピーのお釣りがない』との返事です。 またですか。アジアではどこでも使い古されたセリフです。意地悪したくなりました。 『10ルピーはあるか?』と私は聞きました。『ある』との回答です。 『じゃ、55ルピー払うから10ルピーのお釣りをくれ』と私が言いました。そうすると運転手が『オー、あった、あった。』と5ルピー札のお釣りをくれました。 余談ですが、インドのお札は種類が多いのです。5、10、20,50,100,500,1000です。 1000ルピー札はあまり流通していないので、10万円を両替して5万ルピーをもらうと、時にすべて500ルピー札となることがあります。お札10枚が100枚になるのです。 オートを降りると物貰いの人が数人寄ってきました。子供を抱いた女の人が私のひじを手でつついて掌を上に向けて督促します。つらいのですが振りほどくようにスーパーに入る階段を登りました。 入り口で手荷物を預けます。預ける方が危険じゃないのと思います。パスポートは家に置いてきたし、リュックの中は手帳とボールペンだけと一瞬確認してから、手荷物を預けて、番号札をもらい中に入りました。 このスーパーは外国人やインド人のお金持ちが来るところです。品数は豊富です。冷凍ものもありますが、どのように調理したら良いか分らないのでパスします。 ニンジンとカリフラワーを細切れにして入れたこぶし大の包みがあります。早速カゴに入れました。ねぎ、にんにく、もやしのようなものも買いました。 他にミルク、卵、お酒のつまみのチーズ、バター。 日清のカップヌードルも買いました。カップヌードルにはベジとノン・ベジがあります。 日本の国旗のように四角のなかの赤丸は肉食できるノン・ベジ、緑の丸は菜食主義者のベジです。 インドの日清カップヌードルはどんな味がするのだろうと『チキン』と『ベジ』の2種類を買いました。カップを見ると日清の工場はあのITの町バンガロールと書いてありました。 勢いでスパゲッティも買いました。でも具をどうするかが問題です。「いいか、さっき買ったニンニクでぺペロンチーノにしよう」と考えました。 化粧品コーナーに来ました。ヘア・ブラシを探します。やはり豚毛の物がない。あるのは間隔のあいた針金のブラシと櫛だけです。 これは1857年のセポイの乱と同じです。あのインド独立のさきがけとなった大反乱です。日本では江戸から明治に入る直前の時のことです。 私の次の推理は当たっているのでしょうか? セポイの乱の二次的原因は英国の新式銃の玉の込め方にあります。先込め式から元込め式に換わり、その火薬包を口で噛み切る必要があったのです。 その火薬袋は豚脂、牛脂でできていました。牛を神聖視するヒンディーと豚を不浄視するイスラムの兵士(セポイ)が反乱を起こしたのです。当時インドの兵士はエリートでした。その彼らが宗主国を転覆しようとしたのです。でも結局イギリス側に鎮圧されてしまいました。 豚はインド人にとっては食べたり、肌に触れてはいけないものなのです。 だから私の愛用する豚毛のヘアーブラシがインドに見あたらないと思っているのです。実はこのブラシをインドに持ってくるのを忘れたのです。 買い物終えてレジへ行きました。3列あるレジ台の真ん中で勘定してもらっていました。 両側のレジにはお客様はいません。年配の女性が私の後ろに並びました。レジの人がその女性に右側に行けといいました。女は聞こえないのか私の後ろに並んだままでした。右のレジの係りは知らん顔して外を見ていました。 このスーパーには私が買いたかったサンダルと靴ベラがありませんでした。 スーパーを出ると道の反対側に大きなモールがありました。なかなか高級品の多いモールです。マクドナルドも入っています。本屋さんがあったので入りました。 インドの経済週刊誌買いました4冊で115ルピー(230円)。紙袋をよく見ると新聞紙でできています。『もったいない』の小泉元首相が喜びそうです。 二階に上がりました。書籍売り場です。 ヒンディー英語辞典、英語―ヒンディー辞典とCD付きヒンディー入門書、それに黒澤作品のDVD3本買いました。これで2,500ルピー(5000円)。 購入した黒澤作品は『天国と地獄』『1963年)、『まだだよ』『1993年)、『静かなる決闘』(1949年)です。他には『羅生門』『用心棒』などありました。一枚700円くらいです。 私のアパートにテレビ受像機はあるのですが、ケーブルテレビです。前任者は契約していたのですが、私はしていません。 DVDプレーヤーで昔タイで買った日本の映画を観ているのです。荷物が増えてきましたので本屋さんを出ました。 モールの地下にREEBOKの靴屋さんがありました。 サンダルを買いました900ルピー(1800円)。そんなに高いとはその時は思いませんでした。勢いで勝ってしまったのでした。単品ではこれが一番高い買い物です。 買いすぎです。もう帰ろうとモールの前で待つオートにアパートの住所を告げました。 最初の運転手は『100ルピー』と言いました。えっ、メーター料金じゃないのですか。 次の運転手は『80ルピー』。最後の運転手は『70ルピー』でした。仕方がないので70ルピーで手を打ちました。 オートは方向指示器がないので右折、左折する時は運転手が手を車外に出して合図します。日本の自転車と同じです。でも太った運転手が手で合図する姿は相撲取りが賞金もらうときの前掃いみたいです。 その夜、バスルームの温水器配管から水漏れあり。これまたいろいろありました。別の機会に書きます。

コッツウォルズ紀行③旅程をつくる

旅行に出かけようというときには誰でも少しは予備知識が欲しいものだ。まして今回は行き先が海外でもあり、すべての計画を自分達で作らねばならない。そこでガイドブックを数冊買い求め、さらに7年間ロンドンに住んでいた親友のE夫妻にアドバイスを受けることにする。 現地に住んだ経験のある人の話しは貴重だ。自分もシンガポール駐在時、アテンドしたお客さんには出来るだけガイドブックに載っていない情報を伝えるようにしたものだ。さっそく電話で計画を伝えると、久しぶりということもあり柏からハイムまで車で駆けつけてくれた。行きたい場所、目的、その他の希望を言うと以下のような的確なアドバイスが返ってきた。 【友人のアドバイスのまとめ】 1) イギリス旅行に良い季節は6月から7月にかけての花のシーズンだそうだ。 2) コッツウオルズに行くならレンタカーが良い。住所がわかっていて地図さえあれば、初めてでも必ず目的地へ辿り着ける。ただし、ロンドン市内では車の運転はやめておいたほうが良い。道がわかりにくいし車も多いから。 3) ロンドンでは曜日によってクローズしている店があるので要注意。特に我々の目指すアンテイークショップの並ぶカムデンパッセージやポートベローは毎週土曜日のみのオープンだ。また、日曜日はほとんどの店がクローズなので買い物はまず出来ない。 さて、仕入れた予備知識に基づいて旅程を検討する。休暇は1週間程度しか取れないので期間は8日間が限界だ。買い物は土/月曜日に回し、店の閉まっている日曜日は主に博物館、美術館にあてよう。いろいろな要素を加味して妻が出した結論は、火曜日に出発して火曜日に帰国するというものであった。 先にコッツウォルズを周った後ロンドンに戻り買い物+見物(家内は2度目だが私は初めてなので少しは市内見物も許可(?)された)というスケジュールにしよう。かくしておおまかな旅程は次のように決まった。 6/29(火) 成田-ロンドン 6/30(水) ロンドン-コッツウオルズ 7/01(木) (コッツウオルズ) 7/02(金) (コッツウオルズ) 7/03(土) コッツウオルズ-ロンドン 7/04(日) (ロンドン) 7/05(月) ロンドン- 7/06(火) 成田 ~つづく~

荒れ地のアーモンド~詩集「流体」より

荒地のアーモンド 明け方 荒れ地を伝って来た風が 木枠の窓を揺すった 光の筋が裂かれ 壁の上で目まぐるしく踊る この風がアーモンドを落とすだろう だが その音は聞こえず 男の歌声をかすかに聞いた 呟くように息を継ぎ タント ラ ヴィタ 若くない声だった 窓際のベッドに目覚め 見たいのは アーモンドの花ざかりの木だと思った 人が幹を打ち アーモンドの実が降って来る 池の水面をせき立てて 香草が縁取る岸辺に降りしきる 草の葉のビロードを叩き 白く痛く 足の速い雨 上方へ 葉の繁みの中へ音がかき消える はげしい音に脅えた後 薄緑の林檎の実は 葉の下で暗い影になっている 石灰質の土地 アーモンドの幹を叩く人は 歌ったりはしない 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

オランダ点描(3)風車

オランダといえば、風車という程に有名ですが、現在オランダ中に一体何基の風車が残っているのか残念ながら私は正確な数を知りません。うーん、当て推量ですがざっと1000基といったところでしょうかね。 一口に風車といってもその形・大きさ・構造・用途はさまざま。今もなお昔ながらに粉を挽いたり、油を搾ったり、低地の水を汲み上げ排水していたりと現役で立派に動き続けているもの、もはや実際の使用には耐えず観光のためだけに維持・保存されているものいろいろです。最近は、北海に面した風の強い場所に大きな飛行機のプロペラのような3枚羽根の風力発電機(味気ない)が何基も回っているのが見られるようになりましたが、それまではまさに風車から自然の再生可能エネルギーを得ていたのです。 郊外に出て、どこまでも平坦に広がる田園風景の一角に小さな風車の姿を見つけると、私は日本人なのになぜか懐かしい気持ちになり心が和みます。 しかし、実物をすぐ目の当たりに見るとその印象はまるで違ってきます。長い年月で少しくたびれたところはあるものの、前に向かって力強く今にも動きだそうとしている巨大な機械、というよりも、生き物を感じさせられます。4枚ある羽根も、その一枚の羽根自体が想像以上におおきく、畳を何枚も敷き詰められるくらいの大きさ。もちろん、カンバス地の布を4枚の羽根全面に広げて回りだすと、大きい音は言うに及ばず、そのスピード・迫力に圧倒され近寄るのが怖くなるほどです。 もし、すごい勢いで回る羽根に触れようものなら重傷を負うこと間違いなしで、命も補償の限りではありません。風車は、羽根が取り付けられている頭の部分が360度回転するようにできており、常に風をとらえることができ、しかも風の強さによって布の張り方を変えて(羽根の面積を変える)羽根の回転数を調整できるようになっています。 一旦、風車の土台部分の狭い入り口から一歩中に入ると、さらにまた趣をがらりと変えます。すべての居住部分は小さめの寸法で作られていて、船の中のキャビンを連想させます。ともかく、我が物顔に場所を占める機械部分(中心部に、木製の巨大な歯車と回転軸がある)に遠慮するかのように効率よく空間を利用して設計されています。ちょっと驚かされるのは、寝室に組み込まれているベッドの寸法の小さいこと。今街を闊歩しているオランダ人はいずれ劣らず大男・大女なのにと、不思議な気がしました。 でも、古い風車を維持補修することを条件に、風車守りとして住みたいという人が多いと聞きます。 宮川直遠

福岡県の木

二十年以上前の話です。 私が川崎転勤の辞令をもらったその年は桜の開花が遅く、4月1日には当時の勤務先『久留米』で、満開の桜の下、お別れの写真を撮りました。 新任地は煙突の中だと覚悟していたのに、近代的なビルに囲まれ、中野島では再びの桜に続いて、一面白い梨の花が満開。予想はいい方に外れました。 そして5月。ハイムを彩る大輪のつつじに驚かされました。 この一文を書くために調べてみたら、『ツツジは交配・品種改良が進み、実に多くの種類があり、分類説明しても混乱するだけ』とありました。ざっと言うと、ヒラドツツジの一種なのでしょう。 川崎市の花がツツジで、当時、独立した地下街としては八重洲に次いで全国二位の川崎市地下街にアゼリアという名前が付けられていることも納得でした。 生まれも育ちも勤めもずっと福岡なのに、県の木を知らない私、調べてみたら、これがなんとツツジ。それもゆかりは、福岡での最後の勤務地『久留米』だったのです。 絣とゴムで栄え、ブリヂストン発祥の地なのですが、古くからツツジの栽培が盛んで、輸出もしていたのだそうです。 そういえば福岡ではあちこちの家の生け垣にツツジが植えてありました。それも、ヒラドツツジとは対照的な、花が小ぶりのクルメツヅジでした。 ※ ツツジも放っておくと2メートルにもなるそうですが、普通は刈り込んで形を整えますから、福岡県のように『木』に分類するよりも、川崎市の『花』の方がしっくりくるような気がします。 では、福岡県の『花』が何かと調べてみると『梅』です。 藤原氏の奸計で太宰府に流されるとき「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」と詠んだ菅原道真を慕い、都から飛んできた飛梅の伝説に因んでいるのです。 菅原道真と言えば学問の神様、道真を祀った太宰府天満宮には、年間850万人以上が合格祈願で訪れるのだとか。 我が家の息子たちは幼い時から遠足などで何度行ったか分からないのに、福岡を離れたのが小中学生のときで、関東育ちのように、湯島天神こそ霊験あらたかと信じていたのです。面白いものです。

コッツウォルズ紀行②ベランダ菜園からイングリッシュガーデンへ!

はじめに この旅行記は、旅の思い出を綴ったものであると同時に、初めて自由旅行を自ら企画・実行した、その奮戦の記録でもある。いままで旅行といえば、旅行社のパックツアーに頼っていた私達が、「自分の行きたい所を厳選し、気に入れば何時間でもそこに居られる」という自由気ままな旅の演出に如何にして取り組んだかを詳細に記録したものである。 ロンドンの北西、東はウッドストック、西はチェルトナム、南はテットベリー、北はストラットフォードに囲まれた緑の丘陵地帯をコッツウォルズという。コッツウォルズは13~14世紀には羊毛産業にて栄えたが、18世紀後半の産業革命による機械化に追いつけず次第に衰退していった。また、この地方一帯は地盤が弱く鉄道網も発達しなかったため時代から取り残されることになったが、そのことがかえって昔ながらの街並みを保存することにつながったのである。 黄昏時に、ライムストーン(石灰岩)で造られた家々が穏やかな日差しを浴びて蜂蜜色に輝くのを見ていると、まるでお伽の国に迷い込んだような錯覚に陥る。絵に描いたような豊かな自然に溶け込みながら美しい村々を訪れてまったりする。そんな旅もいいだろう。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ ベランダ菜園からイングリッシュガーデンへ! ある日のこと、妻がふと、「イギリスに旅行しない?コッツウォルズに行って、イングリッシュガーデンをじっくり見たいわ」という。今年は、銀婚式ということで、どこかに旅行でもと考えていた私は即座にいいね!と応えたのでした。 二人とも旅行は好きだが、子供のことや何やかやで今まであまり実現できていない。3年前に、勤続25年のごほうびということで会社から旅行をプレゼントされ、友人の住むロスアンゼルスへ行ったきりだ。 何故イギリスに?友人は皆不思議がる。もっと他にいいところがあるでしょうにと。実は、妻が趣味にしていた「ハーブ」でおつき合いのある友人から、「コッツウォルズ旅行」の話を仕入れてきたのだ。その友人の旅は、コッツウォルズを中心にイギリスの田舎をゆっくり周り、豪華な食事がついてしかも土地土地のマナーハウスに泊まるという豪華絢爛なものであったらしい。なかでも、あちこちで見たイングリッシュガーデンが素晴らしかったそうな。こんな話を聞いたときの妻はきっと目を輝かせていたに違いない。 妻の趣味はハーブ、ガーデニング、陶磁器、おまけにアンテイークなどなど・・・とくればイギリスは打ってつけの国なのである。ロンドンは彼女自身遠い昔の学生時代に行ったことがあり、博物館以外の市内観光にはそれほど興味はないという。で、いったいいくらかかるのか? 友人の話に似たツアーを調べてみると、何と一人50万はする、二人で100万円?中には行きたくないところも含まれているし、あまり気乗りがしない。そしてこれが最後の旅行ならいざしらず、まだまだ他の国へも行きたいしもう少し何とかできないものなのか? 旅行会社が主催するツアーは楽だ。特にガイドつきのツアーは、ただお金さえ払えば何も考える必要はない。旅券やホテル、出発の時間、なんでもかんでも決めてくれる。時には食事のメニューまで。楽には楽なんだけれどあまりにもお仕着せで、たまにはもっと自由な旅がしたいと思う。よ~し!ここはツアーに乗っかってばかりいないで、自分達だけの旅を創ろうじゃないか。行きたい所を厳選し、気に入れば何時間でもそこで時間をつぶす。しかも費用は出来るだけ抑える。 あっちの旅行が50万円ならこっちは半額の25万円でどうか、いやもっと安く出来ないのか、20万では?・・・かくして、自ら旅を創るという初めての挑戦がここに始まったのである。以下、記事中の料金等は1999年当時の相場である) ~つづく~

オランダ点描(2)運河

何百年も数知れず多くの人々が踏みしめ、あたかも石工が最初から磨き上げたように光沢と丸みを帯びた街なかの石畳の細い道。その道に沿って静かに水をたたえている運河。水面は地面からわずか20センチあるかなしかで、考えようによっては危なっかしい感じもしないではありませんが、水がごく身近にありむしろ親しみが感じられます。 同じ街なかのものでも、何百年前のシックな赤いレンガ造りの7-8階建の建物が両岸からこちらに玄関を向けて隙間なく立ち並ぶその間を縫うように造られた運河。観光客を乗せた運河めぐりの船がゆっくりと行きかいます。両岸の建物の前の幅の狭い道にくらべると、昔この運河が交通・輸送の面で果たした役割の大きさが容易に想像できます。 街なかから少し離れた閑静な住宅地で、道路に沿って路肩から始まる緩やかな草のスロープを下り自然に水の中に滑り込んでいきそうな運河。また、なぜこんなところにまでわざわざ水を引き込んでいるのかと思うように住宅ギリギリのところまで迫っています。水辺の住人にとって運河は道路代り、自前のボートで気軽に移動します。 さらに郊外に出ると、ところどころ牛や羊たちが悠々と草を食んでいる果てしなく広がる牧草地。その緑を切り裂いて遥かかなたの町まで続いている運河。 そんな運河も季節によって表情は変わります。冬ともなると、一面分厚い氷が張り詰め、あちこちの運河が子供たちのスケート場に早変わり。オランダ北部のフリースラント州では毎年ではありませんが、1月か2月の厳冬期に氷の張り具合を見定めて、まさに突然、Elfstedentocht(11都市巡り)という名の言わばスケートマラソンが開催されます。 その舞台は、Leuwarden市からスタートして各都市を運河伝いにめぐってスタート地点に帰ってくる全走行距離は200kmのコース。まだ薄暗い早朝にスタートしますが、なお夜になっても滑り続け暗闇のなかゴールする人も大勢います。滑る当人も大変ですが、それをコース沿いにサポートする家族・友人たちの苦労も並大抵ではありません。給水・食事・医療支援・トイレ休憩などなど。さらに、コース沿いの牧草地などは大勢の人で荒らされ放題、農家の人はお気の毒です。 夏場に運河で見られるのは、長い棒を持って運河を跳び越すFierljeppen(フィエルヤッペン)というオランダならではのユニークな遊びです。これは、春先、牧草地に野鳥(タゲリの一種)が産んだ卵を食用に採集する習慣があり、牧草地を区切る運河・水路を跳び越す手段として始まったということです。今では、夏場のスポーツになっています。 宮川直遠

運河~詩集「流体」より

運河 キャナールでは 何を話せばいいのか うねらないクラリネットは 膝ほどの水位 右足がもたついて カポックの蔭 女の人たちの名前は忘れてしまった 窓際に沈むにしても 泥の水面 運河の水はほとんど動かず 葉のまばらな木々と 電車の高架線路 藍色が恐ろしいほど深かった海水の 鮮やかな残像には 蔦がうつうつと伸びてくる 湾からコテージまで 船を入れるための運河 赤煉瓦で区画され 丘の上から見おろすと 雪の結晶の形に似て入り組んでいた その水には 人の声に反応してまっすぐに宙へ飛ぶ ずんぐりした魚が棲んでいた というのは夢想だったと 動かない水が自白をせまる いま通過する九両目 輪郭の消えた顔の渦が 影の帯となって運び去られる 遠くないビルの四階あたり 人体がたくさん裸体をさらしている 首のないのが 腹部にだけ肌着をつけている 影の帯も 数秒後それを見るだろう 濁り水の際に店を開き キャナールと名づけた人が それら人体の持ち主であると 動かない水が私にささやく 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

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