思い出の品

先日奈良の田舎の家じまい作業で見つかった、亡父の想い出に繋がる品です。 亡父は1940年から、イタリアに駐在していました、公用パスポートには外務大臣とし て、国際連盟脱退宣言で知られる松岡洋右の名前が記載されています。 パスポートの出入国スタンプで、最も回数が多いのはドイツ、次いでスペイン スイ ス ソビエト ルーマニア 他諸国にも頻繁に出入りしています、おそらく諜報活動 の一環だったのでしょう。 オメガ懐中時計は10年ぐらい前に書棚で見つけ、動かなくなっていたのを、インター ネットで修理して貰える店を見つけて、6万円強かけて動く様に修理済。 ただ実用的でない物は使う気に成らず、保存しています。 ライカカメラは私が小学生の頃に、これで撮影して貰った記憶がありますが、所在不 明となっていたのを、家じまい作業中に押し入れの奥から、作業員が見つけてくれま した。 手に取ってみると昨今のカメラと違ってずっしりと重く、しかもフィルムカ メラ。長年放置してあった為か動きません、今更これを使って撮影する事もないの で、修理せぬままコレクション棚に入れる事にしました。 時計 カメラ 共に亡父が駐在時代に入手したと聞いています、手元で思い出の品と して保存する事にしますが、皆さんにご披露まで。 山仲春男

珍名植物~オオイヌノフグリ

ヨーロッパからの帰化植物で多年草、春先の畦道で径5ミリ以下ブルーが際立つ可憐な花をつけています。子供の頃この花が咲く草叢で遊んだ想い出が残る懐かしい植物です。 オオイヌノフグリとの命名者は、植物学の権威・牧野富太郎博士ですが、大きな犬のフグリ(陰嚢)などと言う名前を思いついたのか不思議でなりません。花の後で付ける果実も、ゴマ粒より小さいサイズです。 牧野博士はユニークな人物だった様で、この他にも珍名をつけていて、代表的なのは*ヘクソカズラ⇒名前のとおり物凄い異臭で、金網等に巻き付いているのに触れるだけで手が臭い匂い。 子供の頃、田舎で農耕用の牛を飼っていました、畦に生えている草を刈ってきて与え、暫くしていくと、器用により分けて、ヘクソカズラだけは食べ残していたものです。 *ママコノシリヌグイ⇒タデ科で花は小さく、茎に小さなトゲがある植物ですが、名前を読み替えると 「憎い継子の尻を、トゲだらけの草で拭く」となります。 この植物の姿から牧野博士は、どういう発想でこの様な命名を思いついたのか、それが不思議で成りません。 山仲春男

春の風物詩・本日入荷 2024/03/11

買い物途上で、野菜・水産物のDS店舗周辺の歩道が人で溢れ返って、警官が通行の支障にならない様に歩道の中央を開ける様に整理中でした。 本日が、春を告げる播磨灘のイカナゴの解禁日、悪天候で遅れていたもので、今朝8時ぐらいから水揚げが始まっているそうで、水揚げ港からの情報では、極端な不漁で初セリは、7千円以上になりそうとの事(昨年は3,520円で資源保護の観点から早々に操業中止になった由) 2015年頃から水揚げが急減し、それ以前の五分の一位の漁に落ち込み、近年それが更に減少傾向にあるようで、不良の原因は海水が綺麗に成り過ぎてイカナゴのエサとなるプランクトンの発生が少ないからとの説が有力とか。2015年頃までは、キロ千円以下で買えたのですが・・・・ 尚 大阪湾は試験操業の結果、資源保護の観点から、本年の操業中止を早々に決定済のようです。 イカナゴのくぎ煮作りには、根強い人気があり、どうしても買いたい人が長時間待ちを覚悟でパイプ椅子に座って明石でセリを終えたイカナゴの到着を待つ訳です。僕が通りすがった時は、10時半でしたがその時点で並んでいる人は既に7~80人、お店の従業員に聞くと、魚が届くのは早くても12時半過ぎとの事で、店員が長蛇の列の後ろの方の人に「並んで頂いても、どれ位の量が確保できるか解りませんので、売り切れに成って仕舞うかも知れません」と、説明していました。 ふんだんに漁獲が有った頃は、熱心なファンは10キロ以上も原魚を買い込み、生姜 醤油 砂糖を使って調理して、季節の挨拶として知人や親族に送っていたのですが、この漁獲状況では、最早無理でしょうね。 山仲春男

今日の散歩道~オオキバナカタバミ

所用で外出、どんよりとした雲が立ち込めていたのが、雲の切れ目から陽が射し始めたので、近所を散歩。 オオキバナカタバミがケヤキの街路樹を取り囲むように、今年も窮屈な場所で繁茂していました。 寒さ厳しい2月頃、突然青い葉を伸ばし始め、春先に鮮やかな黄色の花をつけ、日中の陽当たる時間だけ開花、今日の様な曇り空では、この様な開花状態です。 この植物は南アフリカ原産カタバミ科の多年草で繁殖力が強く、当初観賞用として導入され、今では世界に幅広く帰化植物として定着しています。日本に観賞用としての導入は1900年頃、それが近年になって一挙に繫殖域を広げています、吹田市で目にする様に成ったのは20年位前から、街路樹の根っこの狭い場所に、 この様に盛り上がるように繁り、花が終わる初夏の頃には地上部はスッカリ枯れて忍者の様に姿を消してしまいます。 この植物と競う様に、帰化したヒメリュウキンカの黄色い花、こちらは花壇や空き地に急速に勢力を競って伸ばしているのが目につきます。私の奈良の田舎では、この2種は未だに定着していません。 山仲春男

山ちゃんのお出かけ日記~京都南域ドライブ散策 2024/03/07

いくらか肌寒さは残るものの、菜種梅雨が小休止となったので、京都南域をドライブ散策してきました。 城南宮 平安京への遷都の際に、国の安泰と都の守護を願って創建されたもので、「方よけの大社」として知られ、平安人が熊野詣に出掛ける時は7日程滞在して、身を清めて旅の無事を祈って出発したそうです。近世では明治維新を告げる鳥羽伏見の戦いは、ここ城南宮の参道が発端に成ったと言われる。昨今は「150本のしだれ梅」と「各種取り混ぜ400本の椿」の庭で人気を呼んでいます。外人観光客の姿も多数。 1-月光 2-苔庭に映える、3-千羽鶴 4-燕返し 等珍しい品種が多数、しだれ梅と落ち椿。 5、6-「曲水の宴」が催される平安の庭、池を覗き込むと、何故か錦コイが集まってきてビックリ、鯉にも人徳が解る様です。 黄檗宗大本山「萬福寺」 萬福寺は江戸時代初期、中国福建省から渡来した隠元禅師(インゲンマメを日本に持ち込んだ僧)が、創建した日本三禅宗の一つで、黄檗宗の大本山です。城南宮と違って、こちらは観光客の訪れも無く静まり返った境内の空気を満喫しました。 7-山門 8-弥勒菩薩(布袋)坐像、親近感を感じる体型に癒されました。 9-静まり返った回廊 10-本堂である大雄寶殿の本尊は釈迦如来です。 この後、国宝男山八幡宮を巡って帰宅、この境内にはエジソンの記念碑があり、エジソンが発熱電球の発明に際し、フィラメント粗材として、世界中から約1,000種の素材を取り寄せて最終的に、男山八幡宮に自生する竹を起用して発明に至ったのを記念したもので、記念碑は米国から寄贈されたものです。 11、12、13-は、国宝・石清水八幡宮(日本にある八幡宮の総本山)建物も実に迫力あり、本殿に続く長い参道の佇まいは見事なもの、頼朝 信長 秀吉 家康など殆どの武将はお参り、寄進しています。石碑は、エジソンの偉業をたたえて米国から寄贈された、この地の竹から作ったフィラメントが、唯一連続1,000時間も灯り続ける事で採用された。 14、15-枚方市、「片埜(かたの)神社」本殿と、鬼門封じの鬼面。この神社は、豊臣秀頼の寄進によるもので重文指定。 山仲春男

続・家じまい

廃棄物からピックアップ 奈良の田舎の家じまい作業で、家具や家財の搬出作業にシルバー人材投入、廃棄して良いかどうかを躊躇う物だけ除けて有り、その確認を求められて作業現場に。 寝具、衣類、書籍、台所用品などは片っぱしから搬出し、タンス類は分解して搬出済で、家の中はスッカリ空っぽに成ったなかで、うず高く積まれていたのはアルバム類でした。無断で処理して仕舞うと、後で苦情が出る事が多いからとの事でした。 そのまま持ち帰っても置き場がないので、何枚かの写真だけ外して持ち帰りました。 第三者には全く興味が無いでしょうが、左の写真は5歳の時の稚児装束、右の写真は7歳小学校の入学時に妹と、こんな時もあったのかと懐かしく持ち帰りました。 家の中に長年馴染みが有った物がスッカリ無くなってしまうと、それと一緒に想い出も消失、寂しい気持ちも一緒に消えてしまい、スッキリしました。 耕運機や草刈り機も欲しい人に持ち帰って貰い、もう家まわりの草刈りや野菜栽培もしなくて良いかと思うと、寂しい反面でホッとしています。 墓じまい 仏壇じまい 神棚じまいから始まった一連の作業もこれで、一応の目途がつきましたが、本当に面倒なものです。 山仲春男

家じまい

貰い手の無い置物 奈良の生家の家じまい、今週はシルバー人材が大勢投入されて、家や蔵に詰まっていた家具・家財の搬出が始まっており、中日の明日は作業の様子見に出掛ける予定です。降り続く雨で作業する人達は苦労していることでしょう。 これ迄に親戚の人や、友人 知人に欲しい物が有るなら、何でも持って行ってと声掛けしていたので、見える部分の荷物は少なくなり、先週神棚じまいに行く機会に、それに合わせて、元の取引先のN氏が友人とトラックで登場、大きな座敷机 茶道で使う釜 臼 杵 漆器類 僕の使っていた耕運機を始めとする農機具 ETC.量が多くて一度で積み切れず2往復したとか。 スッカリ物が消え去った後に、誰からも声が掛からず残っていたのが添付の写真。由来は不明ですが多分中国製、僕が物心がついた頃から座敷の床に鎮座していたものなので、おそらく100年近く経っていると推定。 家内はその様な物を持って帰らないでという目つきで冷ややかに見ていました。 どちらも40センチ位のサイズ、テレビを観ながら、木像は何種類かの布と隙間を綿棒で拭いて、最後に薄くワックスを掛けて仕上げ。座像が据わる布団は退色しているので裏返して使用しています。 陶器製の人形(鐘馗?)は、洗剤を使ってブラシで洗うとイカ墨の様な泡立ち、隙間はこれも綿棒で時間を掛けて掃除。遥か昔に生家に到来、長年かけて見る影もない程に汚れを積み重ねていたものですが、この様に綺麗にすると廃棄しなくて良かったと思いますが、さてこれらを我が家の何処に安置するかと思案中です。 山仲春男