新加坡回想録(19)ワインとの出会いI

私のワインとの出会いはシンガポールで始まった。ワインの話で”シンガポール?”と不思議がる方もおられると思うが、勿論シンガポールでは、ワインは製造されていないだろう。赤道直下の国では、ワインの製造に適したブドウは出来ない。 ワインの生産される主な地域は 北緯30度~50度 南緯30度~50度、平均気温10℃~16℃の地域に限られていて、この地域を称してワインベルトと呼ばれている。多くの植物がそうであるように、ブドウにも栽培適地があり、ワイン用ブドウ品種の栽培適地がこの範囲となっているのだ。 5年以上の駐在期間に多くの訪問客のアテンドをしてきたが、その中で特に印象に残る一人がいた。その人は、日本の某チョコレートメーカーの技術者で、シンガポールのココア製造メーカーとマレーシアのカカオ農園を視察に来星していた一団の一人であった。 一日の仕事を終えた後、夕食にと海岸近くのシーフード・レストランに招待した。フレッシュな魚や貝に舌鼓を打っていただいたが、その時、ビールを飲む人が多い中一人だけワインを所望された。「牡蠣にはシャブリ」ときたものだから、ああ、この人も例の蘊蓄語りの嫌な人物かと訝しい思いでいた。 大事なお客だからむげにも出来ずふんふんと話を聞いていくうちに、少し違うものを感じるようになっていった。どうも、自分の知識をひけらかしているだけではないような気がして、敢えて意地悪な質問をいくつかぶつけてみた。すると、いかにも技術者らしくひとつひとつ丁寧に解説してくれた。 その中で、一つ気に入った言葉があった。それは、長い歴史の中で培われえてきたワインだから先人の言うことには一理はあるけれど、何も教科書通りに飲む必要はない。”牡蠣にはシャブリ”と言われるのもそれなりの理由があって言われているが、”一人だけが美味しいと感じるワインもある。” ボトルを開けるたびに私もご相伴に預かっていたが、さほどの感激もなく美味しいとも思わなかった。それまでワインを美味しいと思ったことはなく、炎天下で飲むビールが最高と思っていた。仕事の話はそっちのけで、この人にいろいろな質問をぶつけていくうちにワインに対する興味が少しだけ湧いてきた。 ~ワインとの出会いⅡにつづく~ (西 敏)

新加坡回想録(18)中華レストラン

シンガポールには中華レストランが数え切れないほどあります。今は、世界中のどの国でも中華レストランのないところはないでしょうが、とくにシンガポールは多いです。それもそのはず、国民の4分の3が中華系の人たちですから。 観光立国として今や人口の3倍もの外国人観光客が訪れる国ですから、食の文化は発展しています。もっとも、発展と言っても新しい料理ができるという意味ではなく、昔からある伝統的な料理のバラエティが多く揃っているということでしょう。 同僚たちとは、どこの海鮮料理が美味しかったとか、今どこで上海ガニが食べられるとか、いつも情報交換をしていました。そして、休みの日になると家族で行ってその真偽をたしかめ、仕事上のお付き合いにも生かしていました。 ある時、美味しいと評判の中華レストランに行ってみたところ、味が変わっていてがっかりして帰ったことがありました。後で聞いてみると、そこは、シェフが引き抜きに会って交代してから味が落ちたとの話でした。勿論、個人個人好みは違うし一概には言えないのでしょうが、中華料理はやはり香港が世界一で、シンガポールで美味しいと評判をとる店はほとんど香港からシェフを呼んでいるとのことでした。 たまたま、私は食品関係の仕事を担当していたこともあって、シンガポールのほとんどの日本レストランとお付き合いがあり、日本人の板前さんから食に関する情報は入りやすいという事情がありました。今や超有名な和食調理人とゴルフを一緒に楽しむこともしょっちゅうでした。苦労話や裏話もあれこれ聞いたはずですが、正直あまり覚えていません。 同じ材料を使ってもシェフの腕次第で旨くもまずくもなる料理の世界は複雑で奥が深いですね。 (西 敏)

新加坡回想録(17)ギックリ腰

あれは、30歳代半ば、シンガポールに駐在中の出来事だった。ある日、親しくなった友人夫婦4組で、「まる一日スポーツデイ」を開催しようということになった。普段から夫婦でテニスを一緒に楽しんでいた気の置けない仲間だったので、とんとん拍子で話が進み、朝から夕方にかけて、①テニス②スカッシュ③卓球④ボウリングの4種目をこなし、点数をつけて個人総合優勝を目指すというものだった。 スカッシュの経験者が一人しかいなくてその彼が優勢だと思われたが、テニスはそれ程得意ではなく3種目目までは混戦模様だ。最後のボウリングで決着がつくといった展開だったのでみんな張り切って勝負に臨んだ。3ゲームトータルの点数で決まるので息が抜けない。 3種目を終えてトップにいた私は、ボウリングも得意な方だったので自信たっぷりだった。過去には200アップしたこともあったが随分昔のことで、その後は170平均というところだった。それでも十分優勝できると張り切っていたが、ここで事件が起こった。2ゲーム目の中盤、フォームに注意しながらボールを投げた瞬間、腰にピリッと違和感が走った。 「あ!」やってしまった!そこそこ体力には自信があったし、これまで腰を痛めたことは一度もなかった。いきなり激痛という訳ではなく、何となく重くなったという感じでたいしたことはないと思いそのまま残りのゲームも投げ通した。結果、点数はかなり落ちたが前半のリードが効いて見事優勝したのであるが、嬉しさも半ばなりけり・・・だ。 全ての競技を終え、子供たちとも合流して夕食会&表彰式を開催。細かいことは忘れたが、とにかく私が優勝して商品をいただいた。かくして、四夫婦八名によるスポーツデイが終わり楽しい一日が過ぎていった。帰宅後も、少し痛みはあったが、特に手当てもせずそのまま就寝した。 明けて翌朝のこと、腰に激痛が走り、いつもよりずいぶん早く目覚めた!トイレに行くのも大変な状態になった。普通なら、その日は休んで治療に専念するところだが、私の場合はそうはいかない。現地社員が数人いても日本人マネジャーとしては自分一人しかいない部署だったので、何としても出勤しなければならない。 ただ、ひとつだけよかったことは、会社の運転手付きの車で出社させてもらっていたことだ。電車通勤の日本ではとても無理だが、痛みをこらえながらその車でなんとか出社した。事務所で、いつもは背中を曲げた悪い姿勢で座っているのに、今日は何故か腰をピンと伸ばして座っている。事情を聞いた同僚がみな笑い飛ばして通り過ぎる。 病院で診てもらうとやはり見事な「ギックリ腰」だ。湿布を貼ってもらって、最低でも1週間、できれば2週間腰を動かさないようにと言われた。できればそうしたが、先程の理由でそれができない。結局、一日も休むことなく出社して仕事は何とか乗り切ったが、その後4~5回ギックリ腰を繰り返すことになったのは、この時完全に治療しなかったからかもしれない。 このところは大きなぎっくり腰はやっていないが、今でも同じ姿勢を長く続けていると軽い痛みが出る。一度やったら繰り返すとはよく言われるが本当だと思う。若さに任せてバカ騒ぎをやったために起こした35年ほど前の若き日の思い出だ。皆さんもご注意を! (西 敏)

新加坡回想録(16)運動会

赴任してどれくらい経った頃だったのか、はたまた主催は日本人会だったのか学校だったのかも忘れてしまいましたが、シンガポール在住日本人の大運動会がありました。この日は、日本人家族がほぼ全員参加して一日を過ごすというとても楽しい企画でした。 昔から日本の小学校で行われていた騎馬戦、二人三脚、玉入れ、ムカデ競争、パン食い競争などそっくりそのままの種目があり、とても懐かしく親たちも子供時代に戻ったような気分になりました。ちょっと変わったところでは、スタートして、10mほど走ったところに瓶ビールがおいてあり、それを飲み干してからゴールにかけていくというレースがあり、私も参加して見事1等賞をゲットしました。 こどもたちも、徒競走や、競技名は忘れましたが、ズタ袋に入ってぴょんぴょん跳ねながらゴールするという競技などに参加していました。こんな運動会は、在留の日本人が多く、学校がかなり大きくないとできないことです。その意味では、シンガポールには当時、世界最大の小中学校があったのです。 この日ばかりは、こどもたちより親の方がワクワクドキドキして楽しんでいたような気がします。子供たちにとっては、日本でやろうと海外でやろうと同じ事でしょうが、親たちは、昔日本で子供の頃にやった運動会が、海外に来てこんなところでまたできるとは夢にも思っていなかったからです。こうして楽しい一日が過ぎていきました。 (西 敏)

新加坡回想録(15)映画

シンガポールはよく文化のない国といわれます。文化のない国などあるはずがない、大なり小なりあるはずだと反論する方もおられるでしょう。考えてみるとどちらも正しい一面があります。要は、何をもって文化と定義するかの問題です。 ただ、歴史の長短がひとつのポイントになることは間違いないでしょう。まず単純に、独立して半世紀しかたっていないシンガポールでは所謂、長期間に亘って醸し出される民族伝統の文化が育つ素地はありませんでした。 国民は、中国、マレーシア、インドというそれぞれが長い歴史を持つ国から流れてきた人々が大半です。彼らは元いた国の文化を持ってこの国に来ましたが、その文化を自分達の民族社会で引き続き守っています。シンガポーリアンとしての文化はまだ育っておらず、これから何年もかけて新しい文化を作っていくことになるのでしょう。 たとえば映画の事情を見てみましょう。シンガポール人は映画が大好きです。映画館も充実していて、あちこちにありとにかく安いのがうれしい。聞くと最近は、9ドル(750円)~13ドル(1100円)程らしいですが、35年前は、2ドル(240円)~4ドル(480円)でびっくりするほど安かったのを覚えています。おまけに、ハリウッド映画が日本より早く来るケースも多く、もう見たよと言うのがちょっとした自慢になったこともあります。 ただし、字幕は中国語字幕で日本語字幕はありません。英語をよく理解できなくて何度も同じ映画を見た人もいました。そうでなくても好きな映画なら何度も見ることがありますから安いことはこれ以上ないメリットでした。 ハリウッドをはじめ、ヨーロッパ、日本、香港、台湾、インドなど世界中の映画を見ることには事欠かないのですが、地元の制作会社作った映画と言うのは聞いたことがありませんでした。映画製作の盛んな国と言うとやはり大きな人口をかかえているという背景があります。比較的安いチケットで大衆が楽しめるようにするためには、やはり多くの観客を対象にしていなければ採算が取れないのでしょう。たかが数百万人の人口では事業として見合わないということです。 ただ、シンガポールは当時既に発展途上国から先進国の仲間入りを果たした国でしたから、国民はそういった文化、特にエンターテインメントを楽しむ余裕は充分出来ていました。おそらくこの30年の間に事情は大きく変わっていると思います。最近の事情をご存知の方は是非教えていただきたいと思います。 (西 敏)  

新加坡回想録(14)半袖スーツ

シンガポールは赤道直下の熱帯の国です。その暑さは半端ないものなので、服装は当然それに合わせたものになります。休日ならTシャツに短パンで充分で衣装入らずということもできますが、それが却って、ファッションを楽しむことができないと嘆く女性もいたようです。 その分、家でも事務所でもエアコンをガンガンに効かせている場合が多く、しかもそのエアコンは当時冷やし過ぎを調節できないものでした。半袖でいると寒くなるので事務所では、カーディガンを着たり長袖のシャツを着ているのが一般的でした。外でも強烈な紫外線を避けるためには長袖の方がよかったのです。 ただ、初めて会うお客さんに上着無しのシャツにノーネクタイでは失礼だと思った時に便利なものがこの半袖スーツでした。シンガポールやインドネシア、マレーシアの駐在員は大体一人一着は持っていたようです。アンダーシャツにこれを着てノーネクタイでいると割合と過ごしやすかったように思います。 日本でも一時、当時の羽田首相が着て話題になりましたが、その後人気が出ず結局はすたれてしまったようですね。今は日本でも夏場のクールビズが当然のようになっていますが、それでも未だにノーネクタイはダメと言うところは多いのでしょうか。IT企業などを中心に、働きやすい事務所環境とともに、服装も自由になってきているのはいいことだ思います。 (西 敏)

新加坡回忆录(13)ジャカルタの美人社員

ここまで少々堅い話が続きましたので、このあたりで少しやわらかい話をしましょう。 当時、インドネシアのジャカルタ支店の食料部に評判の美人がいました。歳の頃なら20代前半、身長も高くスラっとした姿はミスコンテストに出てもいいようなそれはそれは美しい人でした。 ある日のこと、彼女が休暇でシンガポールを訪れることになり、事前に彼女の上司からよろしく頼むとの連絡が来ていました。私自身彼女には、以前ジャカルタに出張したときに会っており顔見知りだったので喜んで引き受けました。 写真は、当時私の部下の一人の中華系女性と一緒に夕食をとった時のもの。その後、ちょっと飲めるクラブのようなところに案内しました。フロアでは、大勢の人がダンスをして楽しんでいました。どうですか、踊りましょうかと声をかけると、素直についてきたのですが、手を組み腰に手をまわしてダンスの姿勢になったとき、彼女は細かく震えていました。聞くと、男性とダンスなどしたことがないといいます。 当時はバブル絶頂期で、日本の若い女性たちは六本木あたりのディスコに繰り出して、ワンレン・ボディコン・ミニスカで連日踊り狂っていた時代です。そんな彼女たちと比べて何と素朴で純粋なことか。話題の超美人とダンスをしてもらうという光栄に預かり喜びも一入と言ったところでしたが、同時に、純真な彼女の心に触れたことにとても感激したのを覚えています。 小説風に表現するなら、「少し浅黒い肌はしっとりと輝き、黒い大きな瞳は男心を魅惑の世界へ誘う」といった感じでしょうか。支店長以下支店の他の男性社員からも羨望の目で見られました。今どうしているのかわかりませんが、若かりし日の思い出のひとつです。 (西 敏)

新加坡回想録(12)北京語を習う

ことばについての記事が3回続きましたが、今回は私の北京語学習体験についてお話しします。 シンガポールへの駐在が決まる前によくマレーシアへ出張していました。東マレーシアのボルネオ島からサゴ澱粉(サゴ椰子の幹から取れる澱粉)の輸入を担当しており、行き帰りに必ずシンガポールに立ち寄っていました。当時からシンガポール国民の75%以上が中国系の人々でしたが、マレーシアの取引相手も実は、中国系(福建省出身)の会社でした。 私は英語しかできなかったのですべて話は英語でしたが、先方の社長は福建省出身で英語が得意ではありませんでした。普段は、シンガポール支店のローカル社員(後に私の部下となる福建人)と福建語で話をするので全く問題はなかったのです。出張で私が訪問した時は直接話さなければならないので英語で話すのですが、時々分かりにくいことがありました。そんな時は、社長の長女や長男が中に入って通訳してくれたのです。長男の英語はシングリッシュに近いものでしたが、長女は大学を出ておりきれいな英語を話しました。 出張の目的は、減少傾向にあった原料澱粉をできるだけ確保することで、輸出会社を経営するその社長と一緒に、サプライヤーの工場を訪ねて歩くことでした。歩くと言っても、工場はジャングルの中の辺鄙なところにあったので、交通手段はボートでした。マングローブが生い茂り泥のような色をした川を、船尾に”KAWASAKI”のモーターを付けた小さなボートで1軒1軒回って在庫をチェックするのです。社長はその場で次の船積みに間に合うロットが何トンになるかを確認して工場と値決めをします。 この時に、社長と工場のオーナーが交わす会話は福建語でした。工場側の人々は全く英語が話せないので直接話が出来ず、聞きたいことは全部社長に通訳してもらいます。肝腎の値決めをしている時に思いました。 「言葉がわかったら相場がわかるし、最後にするこの社長との値決め交渉に役立つのになあ・・・。こっそりと福建語を勉強してやろうかな」と。 このことがきっかけになったのは確かですが、さすがに福建語を学ぼうとは思いませんでした。この仕事以外にもシンガポールの会社との取引がいくつかあり、その相手の会社の中に中国系の会社が何社かありました。福建人でも、広東人でも、潮州人でも標準語である北京語は理解します。中国語を学ぶならやはり標準語である北京語(華語・普通語)ということになりました。 赴任してまもなく、シンガポール日本人会に北京語のクラス「中文班」があることを知りそこでの受講を決めました。そこでの授業は毎週火曜日の夜7時から8時半までで、講師は年配の中国人女性でした。先生は日本語が出来ないので英語で北京語を教えるというかたちでしたが、ほとんど北京語ですすめていました。生徒は男女合わせて10名前後いました。 週一回だけなのでなかなか進みませんでしたが、少しずつ慣れていき次第に溶け込めるようになったころ、先生から班長を任命されました。学習は順調に進んでいたのですが、来客の接待など仕事で欠席することが多くなり、そのうち辞めることになってしまいました。結局は半年くらいしか続かず中途半端に終わってしまい、あとは自習ということになりました。もう少しやっておけばよかったと今更ながら思います。 簡単な挨拶くらいはできるようになったので、取引先の人相手に時々話したりしているうちに、実際には大してできないにもかかわらず、この人は北京語が話せるといって紹介されるようになりました。食事会などの時にもその話題になることが多く、少しだけ披露すると、発音がいいとか、凄いとかおだてられていい気持ちになったものです。ずっと続けるとボロが出るので自然と英語に切り替えていましたが、先方もそれほど期待している訳ではないので問題ありませんでした。話題の一つになっただけプラスになったと思います。 (西 敏)

新加坡回想録(11)シングリッシュⅡ

前回、シングリッシュについての特徴や、どのようにしてシングリッシュが生まれたのかを私の推測を含めて紹介してきましたが、今回は、実際に使われている場面や考え方について少し捕捉したいと思います。 【代表的なシングリッシュの例】 シングリッシュの例として私が気にいっているものに次のような使い方があります。 あるお店での会話。 ——————- 客 :Discount, Can?(安くできますか?) 店員 : Can!              (できますよ!) 客   :Can?              (本当に?) 店員:Can, can!         (もちろんできますよ!) お分かりのように ”Can” だけで会話が成立している好例です。このような会話は、お店だけでなく事務所でも街中でもあらゆるところで実際によく耳にします。どうでしょうか?日本人にとっても分かりやすく、これなら英語が苦手と言う人でも簡単に会話できるのではないでしょうか。 他にも語尾に「ラ」を付けて、”Can lah” ”OK lah” (「できるよ」「いいよ」という意味)という表現も頻繁に使われています。この「ラ」は私は、中国語の「了(ラ)」から来ているのではとずっと思っているのですが、確かめたことはありません。 シンガポール人のシングリッシュと英語の使い分け シングリッシュは長らく、外国人に理解されない間違った英語だとみなされてきました。リー・クアンユー元首相をはじめ政府は、シングリッシュを「シンガポール人に負わせてはならないハンディキャップ」とし、正しい英語を話すよう国民に呼びかけてきました。 現在シンガポールのテレビなどの公共放送では、シングリッシュの使用が禁止され、一般的な英語で放送が行われています。政府のこうした働きかけにも関わらず、シンガポール人は自分たちならではの言語として、シングリッシュを好んで使い続けてきました。私見ですが、今やシングリッシュの使用は、文化がないと言われるシンガポールでこれこそが一つの文化であると言っても過言ではないかもしれません。 親しい友人との日常会話はシングリッシュで、ビジネスなど改まった場での会話は正しい英語で、というように使い分けるシンガポーリアンが多くなったようです。また、同じ民族の人との会話にはシングリッシュと中国語、シングリッシュとマレー語のように、シングリッシュと自分たちの母語をごちゃ混ぜにして使うことも多くあるようです。使い分けることができるということは正しい英語も話せるシンガポーリアンが増えたという証拠でもあるのです。 以上のようにみてくると、どんな言語を使おうと相手ときちんと意思疎通ができれば問題ない、というシンガポール人の言語に対する柔軟な考え方が感じられます。先に書いた ”Can”  だけで会話が成立する例など、笑い話のようでもあり、揶揄する人も多いですが私自身は嫌いではありません。むしろ、異文化のひとつとして聞いていて楽しくなります。 政府の熱心な正しい英語教育にもかかわらず、そして使い分けも出来るにもかかわらず、依然としてシングリッシュを使い続けている様子を見ていると、これは私の勝手な解釈ですが、このシングリッシュこそが多民族で構成されるシンガポーリアンのアイデンティティなのではないかと思うのです。 (西 敏)

新加坡回想録(10)シングリッシュI

シングリッシュとは、シンガポールとイングリッシュを合わせた造語で、シンガポールで話されている独特な英語のことをいいます。シングリッシュはイギリス英語をベースにし、そこにシンガポール国民の母語である福建語やマレー語、タミル語など複数の言語が混じりあって生まれた言葉です。 シングリッシュは「ブロークンイングリッシュ」「なまりがひどい」「文法的におかしい」などと揶揄されることも多いですが、多民族・多文化国家であるシンガポール人の間でそれなりにコミュニケーションの手段として機能していると言えます。 シングリッシュの特徴 英語のわかる人がシングリッシュを耳にすると、最初全くの他言語だと思ったり、何を言っているのかまったくわからず面食らうことが多いようです。その原因のひとつは、次のようなシングリッシュの持つ独特の発音にあるからです。(以下、若干、私自身の推測も入ります。もし間違いがあるようでしたらご指摘ください) ・単語の最後の音が消える シングリッシュでは、単語の語尾にある子音が発音されず消えてしまいます。たとえば ”People’s Park” の発音は「ピープーパッ」と発音され、極端に言うと「ピポパ!」と聞こえます。 “No Need” (要りませんの意味)は「ノニッ」というような発音になります。 これは福建語や広東語など中国南部の方言に見られる現象で、マレー語にも同じような特徴があります。シンガポール人の大部分がこれらの地域の言語を母語にしているので、その特徴がシングリッシュに出ていると思います。勿論、きちんとした英語や米語を学んだことのない人の場合です。 ・ “th” の発音が “t” や “d” になることがある 通常の英語では、”th” は舌の先を上下前歯の間に軽く挟んで「スー」に近い音になります。しかし、シングリッシュの場合、「考える」という意味の “think” は「ティンク」と “t” の音で発音され、「彼ら」という意味の “they” は「デイ」と “d” の音で発音されています。この例は、和歌山県の一部で、「ぜんぜん」ということを「でんでん」という例があるのと少し似ています。 ・文章のリズムや強弱のつけ方に中国語の影響がある 通常の英語は、単語と単語の間をあまり空けず、流れるように発音する特徴があります。たとえば “I like it” を「アイ ライク イット」とは言わず、「アライキット」のように繋げて発音します。しかしシングリッシュの場合には、一語一語をしっかり区切って発音することが多くな多い。このことは英語の不得意な日本人の発音にも同じことが言えるでしょう。 ・一つの文章の中で音を上下させて、複数の強弱をつけて発音する これは一音ごとに声のトーンが変わる「四声」を持つ中国語の発音の特徴が出ていると思われます。文章全体のリズムも、中国語でのリズムに英単語を乗せているように聞こえることが多くあります。 シングリッシュの文法上の特徴 シングリッシュでは、英語本来の文法を大胆に単純化することがあります。これも、日本人が単語を並べて何とかしようとしている姿がダブります。 ・動詞の変化が少ない 過去形、未来形など時制による動詞の変化がない。たとえば “I meet him yesterday.” のように、時制を表す副詞やほかの単語を一緒に使うことで “I met him yesterday.” のように動詞を過去形に替えることをしません。これはまさに中国語やマレー語の文法に則しているように思えます。 ・3人称単数の主語の場合でも、動詞の語尾に “s” が付かない ・主語や to be動詞 などを省略する ・名詞を複数形にしない ・同じ言葉を繰り返す  同じ単語を2回3回と繰り返し使って、「強調」の意味を持たせる。これも中国語やマレー語の特徴を受けていると思われます。(因みに京都ことばでも「大きい大きい」と繰りかえしで強調することがあるのと似ています。) ・文末に「ラ」や「マ」をつける シングリッシュと言えば「OKラァ~」というイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。シンガポール人が語尾に多用する「ラ」は “lah” や “leh” という綴りになり、「ラァ」と少し伸ばすような発音になります。この「ラ」自体にあまり大きな意味はなく、日本語の「~だよ」「~ね」に当たる音だとされています。 ~シングリッシュ(下)につづく~ (西 敏)