森本剛史君との思い出10~シンガポール2・炒飯編

剛やんと久しぶりにシンガポールで再会して以降も、妻の弟家族や長女の幼稚園のときの先生など様々な友人たちが来星してくれました。国内にいてもなかなか会えない人たちにも、外国にいるからこそ会えるということもあったと思います。 ある日、剛やんから、待望の一冊が届きました。彼がシンガポールで取材し、私がわずかながらも協力したあの一冊「海外食べあるき・ショッピング シンガポール」(1988年10月初版発行・S社)でした。 見ると、あの「幻の炒飯」は、どの高級レンストランよりも、どの一流ホテルよりも大きく、見開き2ページに亘って紹介されていました。やるな!剛やん。やっぱり感性は一緒やった!うれしかった!おまけに、あいつ、協力者として、私の名前まで巻末に紹介してくれていました。 でもこの本はもう、書店で見ることはありませんので、「幻の炒飯」のページのみ紹介したいと思います。 ◇究極の炒飯ここにあり◇ シンガポールに住んでいる日本人の間でつとに有名な幻の炒飯に遭遇することができた。 店の入り口左に炭火のかまどがあり、ここが調理場。痩せたおばさんが煙のなかで大きな中華鍋を握っていた。彼女の細腕の右の力こぶだけは小さなお餅をのっけたように盛り上がっている。鍋から空中に放り投げられた飯が炎と交差する時、ジャッと音が出た。香ばしい匂いが店内に漂う。 おばさんは米の一粒一粒がくっつかないように、しかも米の一粒一粒に卵がまんべんなく絡むように力を込めて鍋をかきまわし、飯を宙に舞い上げる。まるで、炎と決闘しているようだ。声をかけたが、口も利きいてくれない。注文は別のおばさんがとりに来た。 9卓の丸テーブルは全部ふさがり、お客は黙って待っている。その上をふたつの扇風機がゆっくり回っている。奥には神棚があり、その下には油でテカテカ光っているオレンジ色の電話機。隣の食器棚のガラス戸には12枚の茶色に変色したサッカーチームの絵葉書が貼ってあった。 30分たって、大きな皿に盛った3人前の炒飯ができ上がった。カニ肉をはじめとしてシーフードもたっぷりと入っている。口に入れてみると、ふわふわでしかもパラッとしている。口一杯にカニ肉のいい香りが広がった。実に気品のある、この逸品だった。 この店の名前は「榕光」(YONG KUANG)。チャイナタウンを横切るサウス・ブリッジ・ロードからネイル・ロードに入ってカントンメント・ロードの1本手前を右に入ったところにある。左斜め前が広東料理で有名な「マジェスティック・レストラン」だ。 ちなみにこの炒飯のお値段、1人前で10Sドル(標準の3倍)、3人前だと25Sドル。シンガポールで料金が一番高い究極の炒飯である。 「榕光」(YONG KUANG) 31, Teo Hong Rd. 11:00~16:00(無休) (文:ライター・伊藤ユキ子さん) ~つづく~ 西 敏

新加坡回想録(62)「ピ!ポ!パ!」

40年ほど前、まもなく30歳になろうかというくらいの時の話。後に駐在することになるシンガポールに初めて行くことになった。商社で澱粉の輸入を担当していた私は、東マレーシアのボルネオ島で生産されるサゴ澱粉(サゴ椰子の幹から抽出される澱粉)の仕入れ契約のために出張した。 現物の商品はボルネオから北上して直接日本に輸入されるが、取引は当時のシンガポール支店(現在は現地法人)経由でなされていたため、行き帰りは必ずシンガポールに立ち寄っていた。時には販売先である大手薬品会社の担当者を案内することもあり、その意味では、当時から観光地として人気のあったシンガポールに立ち寄ることがいい接待にもなった。 今や、世界でも先進国の仲間入りをしたと言っても過言ではないシンガポールだが、土地が狭い(淡路島くらいの面積)ことを逆手にとった政府の政策が功を奏し、当時でもロンドン、ニューヨークに次いで、世界の”3大金融都市”のひとつと言われるまでになっていた。 日本と大きく違うのは多民族国家であることで、国民の約70%が中国系、約15%がマレー系、約9%がインド系とさまざまな人種で構成されていた。開発途上国の中では成長率が著しく良かったので、そこに欧米をはじめ多くの国が進出していった。日本も負けじと多くの会社が事務所を置いていたので、世界でも珍しいほど日本人学校も充実しており、医療事情などと併せて日本人にとって住みやすい都市国家であった。 教育面でも、小学校3年生で生徒の最初の能力選別が始まるとういう徹底した英才教育で知られていた。多民族国家であるから、もちろん家庭ではそれぞれの出身の国の言葉を話すが、国語として指定されたのはマレー語と英語である。国民として英語を話す必要に迫られたが、年配の人やあまり教育を受けていない人たちの英語はよく言われる「シングリッシュ」で発音がよくなかった。 ある日のこと、多くの人々で賑わう旧ニュートンサーカスの屋台で食事を楽しんでいた。昔から屋台は有名だが観光化し過ぎた最近の屋台とは少し事情が違いまだ素朴さがたくさん残っていた。ガヤガヤと騒がしい中で隣のテーブルからひときわ大きい声が聞こえてきた。 「ピ、ポ、パ!」と叫ぶ声が聴こえる。「うん?、ピ、ポ、パ!」って何のこと?プッシュホンでもあるまいし。 耳をすましてよく聞いてみると、話しているのは紛れもなく中国系の人たちだが、言葉は中国語ではなくどうも英語らしい。悪いとは思いつつも、もう少し聞き耳をたててみた。 よく聞いてみてようやく意味がわかった。それは、「ピープルズパーク(People’s Park)」のことだった! 現地の人の英語の特徴のひとつで短く切るように話すのでそう聞こえたのだった。いわゆる「シングリッシュ」だ。シングリッシュをしゃべる彼らは、もっぱら中国系が多いように思う。それも中国南部地域特に福建省出身の人たちが多かった。しかし、この「シングリッシュ」を軽蔑することはできない。 発音がどうであろうと、日本人である私の目から(耳から)見ると、少なくとも彼らは、母国語以外の外国語を話している訳で、外国語を受けつけようとしない多くの日本人とは違う。それに、「ピ、ポ、パ!」に関しては、イントネーションを強調しているわけだから、案外日本人の平坦な発音よりは英語に近いとも言えなくもない。 多民族国家であることで、必要に迫られて毎日生活するために使っている英語。決してきれいな発音ではないが意思疎通には問題がない。帰国してこのことを同僚に話すと、笑い話のようにとられることが多かったが、40年経った今でも、本質は別のところにあると思っている。 世界中の誰もが母国語のように英語をしゃべることが重要ではない。それよりも母国語でしか話せないような”内容”をいかに世界で通用する言葉で伝えることができるかが重要ではないか。日本語で言えば、「寿司」や「津波」などよりも「わび」「さび」が英語で伝えられるようになることのほうが大事なのではないかと思う。歴史や文化の違いを乗り越えて国民感情の奥底にある機微を理解しあえれば無用な諍いがなくなるような気がしてならない。 西  敏