シンゴ旅日記インド編(77)我輩は牛でんねんの巻 郊外散歩

あんさん、あんさんってば、我輩でんがな。 今日はまた、えらい町外れに来てまんのやな、あんさんも。 そやそや、ヒダの仲間から聞きましたで、あんさんの田舎のギフでは男の人を呼ぶとき『アンヤ』って呼ぶんですって。 『兄貴』ちゅう意味ですってね。 これから『アンヤ、アンヤ』って呼びましょか? 恥ずかしいから、止めてくれってですか? ほんじゃ、いつも通りのあんさんで、ようおますな。 えっ、呼び方はええけど、我輩の話は政治や、経済が混じってて、おもろないってですか。 そうでっか。我輩はあんさんに『この国のかたち』を知ってもらおう思うて話とるんですわ。 なんせオトンの国から来たヒトやから、シンキンカンちゅうか、教えてあげなあかんちゅうDutyみたいなもん感じるんですわ。 そんなら今日は政治、経済抜きで話しますわ。 あっ、あんさん、この町外れにはな、昔のもんがいろいろ残っておりますやで。 ちょっと一緒に町まで歩きましょか? ええがな。一緒に歩くの嫌がらんといてなー。実はな、我輩な、今までこの近くの『草むらレストラン』でワイン・ハーフの会の仲間と一緒にフレッシュな草の食事してましたんや。 美味しおましたで。いろんな情報も交換してましたんや。 仲間はな、お腹一杯になったら、どっかへ行ってしもたんですわ。 我輩な置いてけぼりをくらいましたねん。 嫌われてまんのや、きっと我輩。 えっ、そんなに、いじけんなてですか。 おおきに、おおきに そんでな、我輩ね、この辺、久しぶりやから、一人いや一頭で、ぶらぶらしてましたんや。(自分でいうのもなんやけど、我輩って、立ち直り早いな。) そこであんさんを見つけたっていう訳でんがな。 まあ。いろんなお店がありますやろ。 まあ、見てみなはれ、屋台みたいに並んでるお店を、一番左がアイロン屋でっせ。 炭火のアイロンでんがな。 他の店では電気のアイロンを使っているとこもあるんでっせ、 そやけど、この炭火のんが一番ええんですわ。 蒸気が底板から出ませんけどね。 しっくり、いくんですわ。 シャツやズボンの伸びが電気モンと違いまっせ。 不便やないかって? インドでは停電がしょっちゅうあるさかいな、この方がかえって便利なんですわ。 それに省エネですもんね。 日本にも、ちょっと前まであったそうですな。 オトンが言ってましたわ。 えっ、知らんて。あんさん、見たことないって、へぇー、そうでっか。 でもな、これ見るとな、我輩な、仲間がな、オイドにな、ジューって番号を入れられるのを思い出すんですわ。 その隣はミシン屋ですわ。 この国ではミシンが一台あればそんで商売になるんですわ。 この店の主人は孫が遊びに来たんで仕事やめて話しを聞かせとったとこやろね。 このおじいさんイスラムやね。 イスラムの帽子を被って、ひげ生やしてはるもんね。 今は断食の月やさかい、昼間はチカラがでぇーへんのやろね、きっと。 9月の半ばが断食明けのイスラム正月やってね。 あのおじいさん、いやひょっとしたら、お父さんかもわからへんけと。どっちゃにしても、きっと家ではコーランを子供に教えてるはるのやろな。『アラー、アクバル、アラー』って。 アイロンとミシン見て思い出したわ、中国の『客家(はっか)』って種族を知ってはりまっか? あのヒトたちは『三刀』で身を立ててきたんやてね。 髪を切るハサミ、服作るハサミ、料理つくる包丁でっか。 その子孫にはシンガポールのリー・カン・ユーや台湾の李登輝や、フィリピンのアキノさんの祖先におるそうなね。 ヒトさんは、食っていくためには、なんでもええから手に職つけた方がええね。 他のお店が何を売ってはるか解りますか? あれ解りやすいですやろ。タイヤでんがな。パンク修理屋ですわ。 軒にタイヤ吊るしてはるからイチモク・リョウゼンですがな。 この辺のお店は遠くから見ただけでわかるように何でも商品を軒先に吊るすんでっせ。 帽子やサンダルやお菓子や果物や。分かりやすいでっしゃろ。 ほな、これどないだすか?そうでんがな。MR. KEYでんがな。 えっ、DR.でっか?そうでっか? この国な、物騒ですやろ。家にいくつもんの鍵がありまんのやで。 あっこで道を掃除してるヒトがいまっしゃろ。 ほうき見えますか? えらい短いほうきでっしゃろ。 あんなじゃ、ヒトさんは腰を痛めまんのやろ。 我輩らは腰イタは関係おまへんで。 ヒトさんだけやてね。腰イタあるんは。 腰痛って言いまんのか。 なんでも漢字やね、そんで英語やね、最近の日本のヒトは。 なんでヤマトコトバを使わんのでっか。 話がそれてもたね。でもその腰イタな、原因は何ですねん。 えっ、わからへんて?日本では1,580万人の腰イタ患者がおるのにその85%が原因不明やてでっか。 セイシンシッカンと関係あるってでっか? なんですか、そのなんとかドッカンちゅうのは。 ドッカンやない?シッカン。 へぇー、うつ病でっか、腰イタとうつ病とが関係あるんでっか? 初耳でんなぁ。 じゃあ、あのほうきと材料の関係を知ってまっか? 『腰イタ』と『ほうき』と関係があるのかって? ありまんがな『腰イタと掛けて?』『ほうきと解く』』『そのこころは?』『一人では立っておれませんってね。』 えっ、座布団は無しやて。そんな殺生な。一枚くらいおくれーな。 そやそや、あのほうきを何で作ったか知ってまっか。 竹やおませんで。あれやがな、あの木の葉っぱ。 そうでんがな、椰子の葉っぱの筋ですわ。 一個コウたら四個上げる あの葉っぱのな、薄いとこちぎってな、真ん中の筋だけにしてな、それを集めて作ってるんですわ。ところ変われば品変  わるっちゅうわけですな。家で使うほうきは違いますで。あれはイネみたいな柔らかい植物からつくるんですわ。日本でも一緒ですやろ。 だんだん町に近づいてきましたな。 何ですか?おかしいですか? あの『BUY  1  TAEKE  4』の看板がでっか。 簡単でんがな。一個分買うたら、4個持ってけっ、ちゅうことでんがな。 つまり3個タダでんがな。 そんなにおかしいですか?他にもいっぱいありまっせ、 2個買うたら5個タダとか、3個買うたら10個タダとか。あの看板は一個買うたら、3個タダちゅうことですわ。 つまり一個の値段で4個もらえるちゅうことですやろ。 おかしいでっか? 日本でもおますやろ、抱き合わせ販売ちゅうのが。 それと一緒と違いまっか?違うってですか。 そんなもん、もともと一個の値段に4個分の値段が入っとるのですって。えっ。そんなら一個だけ買ったら損ですがな。 ちゃうか、最初から4個もらえるのか。ようわからんわ。 我輩らには。モノ買ったことないさかい。 あんさん、今度は上を見てばっかりでんな。 我輩らな、上見るような体のつくりになってへんのですわ。 何ですか?同じ顔したヒトの看板がようけあるが何やてですか。 あれね、この州の大臣の誕生日を祝う垂れ幕でんがな。 町中にいろんなポーズでありまっせ。 一緒に写ってるヒトが祝ってまんのや。 一種のセザミ・グラインディングでんな? 何やそれはてでっか? […]

シンゴ旅日記インド編(76)額のマークの巻

インドの人は額に白や赤い色のマークをつけています。 それらにはティルカ、ビンディ、シンドゥールの3種類があります。 項目 ティルカ/ティーカ ビンディ シンドゥール 1.性別 男女とも 女性一般 既婚、夫が在命中の女性 2.材料 練り物あるいは粉 練り物、シールあるいは宝石 練り物 3.目的 儀式、お祈りのとき 結婚式あるいは化粧 既婚の印 4.宗教 インド人一般 ヒンドゥー教徒のみ ヒンドゥー教徒のみ 5.場所 額と他の体の部分にも 額の真ん中 額の生え際に 6.その他 シヴァ神が第3の目から炎を出すときは世界の滅亡の時です。   額は神聖な場所 最近は宝石を付けたりし、ファッションになって来ました。 最初は結婚式で新郎が 新婦に施します。   ティルカにもいろいろ種類があるのです。 写真左はヴィシュ派でVが大きく描かれます。 写真右はシヴァ派です。ティルカの上にも少しマークがありますね。ここに大きく3本の白い線を描く人もいます。 ティルカの白い色はビャクダン(サンダル・ウッド)の灰を使います。 赤い色の原料はキク科のベニハナと言われています。ベニハナから取れる色素には殺菌効果がありミイラの布に使われたり、皮膚病の治療にも使われていたそうです。 私がシンガポールに駐在していた時、かつて同国に駐在して先輩からリトルインディアでインド人が額につける黒い顔料を買ってきてくれ言われました。 白髪染めに使うと一番いいとのことでした。 あれもティルカのことかと思い出し、赤でなく黒いティルカがあるのかとこちらで私のスタッフに聞きました。 あるのです。 通常は赤い顔料ですがヴィシュヌ神が化身するある神だけは黒いティルカをつけるそうです。シンガポールにはその宗教を崇拝するインド人(タミール人)が多いのでしょうね 次の写真は額にビンディと髪の生え際にシンドゥールを施している事務所のメイドさんです。 なぜ額にマークをつけるのか、インドには漢方みたいな自然医学であるアーユルヴェータがあります。 その医学では額には急所のひとつがあり、そこにティルカをつけることにより精神が落ち着くと言われます。 皆さんも一度試してみてはいかがですか? また、額とは別に女性が腕や手に施す入れイレズミ風の模様をメンディと言います。 これは結婚式で新婦やその友人、デバーリ(インドの正月)に多く見られます。 男性も結婚式だけこのメンディを施すそうです。 下の写真は南インドの客先の結婚式で見てびっくりした花嫁の入れイレズミです。 他の地域でも時々見かけるのですが、写真を取らせてもらう勇気がありません。 メンディの原料はへナという草です。 日本でも髪の手入れに使われるなど人気があるみたいですね。 このメンディの写真は私のスタッフから貰った彼の奥さんのです。__  

シンゴ旅日記インド編(75)インドの南北関係の巻 

私が住んでいた愛知県はその昔に『尾張』と『三河』に分かれていました。 名古屋のある『尾張』は商人の国、岡崎がある『三河』は農民の国です。 三河の人は尾張の人をずる賢い嘘つき、金の亡者と思っていました。 それが岡崎の味噌小屋に忍び込んだ秀吉の物語の現れていると司馬遼太郎が『街道を行く』に書いていたと記憶しています。 秀吉は店の人に見つかり、井戸に落ちたと見せかけて石を投げ込んで逃げました。 その味噌屋さんは今でもあり、その井戸も残っています。 そして矢作川を渡る国道一号線の橋の尾張側に秀吉と蜂須賀小六の石像が建っています。 戦国三英傑の信長、秀吉は尾張の人で、次の家康は三河の人です。 前者は2代と続かず、後者は15代続きました。 楽市楽座を行った尾張武士と鳴くまで待った三河武士の違いでしょうか? そして言葉も尾張弁と三河弁では違うのです。すみません、前置きが長くなりました。   インドでも『北の人』は『南の人』に嫌われているようです。 北の人はずる賢い商人、嘘つきのように見られています。人種が違うのでしょうね。 インドは昔アーリア人が北西からやって来て領土を広げて行きました。 金属鋳造をもった遊牧民であるアーリア人が先住民であり農業国であったムンダ人やドラビタ人を征服して行ったのです。 そして先住民は南へ、南へと追われるように逃げていったのです。 ですから今の南インドの人たちにとって北インドの人は坂上田村麻呂、織田信長のような存在なのではないでしょうか。 インドの公用語のヒンディー語は北インドの言葉です。 インドでは州毎にそれぞれの地方語を話します。 なぜならインドは独立後の1956年に州を言語別に再編したからです。 そして、その時にムンバイとパンジャブは2言語の州でしたので、その後にムンバイはマラティー語のマハラシュトラ州とグジャラティ語のグジャラート州に別れ、パンジャブはパンジャピ語のパンジャブ州とヒンディー語のハリヤナ州に分かれました。 現在インドには28州がありますが、言語はヒンディー語が公用語で、英語が補助公用語です。これらを含めて18の主要言語と800以上の方言があると言われています。 そして南インドにはヒンディー語を話せない人がいると言います。 ヒンディー語を教えない学校もあるそうです。 インドの識字率は65%と言われますが、これは地方語を含めての数字です。 英語もヒンディー語も自分の州の言葉も話せる識字率は何%でしょうか? 英語を話し、書ける人は10%に満たないのでは無いでしょうか? うちのスタッフはマハラシュトラ州生まれです。 この前チェンナイに一緒に出張しタクシーに乗ったら、運転手が何を言っているのか分らないとブツブツ言っていました。 彼もチェンナイには13年前に一度来たことがあるだけなのです。 チェンナイはタミール・ナドゥ州です。タミール語なのです。 南インドにはドラビタ系の4言語があります。 タミール、カンダナ、テルグーそしてマラヤラムです。 それぞれ文字が違うのです。 チェンナイ空港のフライト掲示板には3つの文字で表示されます。 英語、ヒンディー文字、タミール文字です。 右の写真はバンガロール空港での水を飲む場所の表示です。 英語、カンダナ字、そしてヒンズー文字表示です。 インド人で営業をする人は5言語は話す必要があると言われます。 英語にヒンズー語、自分の州の言語と南インド、東インドの代表的な州の言葉です。 日本が明治に入ってまず行ったことは言葉の統一でした。 軍隊で命令が方言で指示したりしていては統率が取れないからです。 インドの言語事情、南北問題がこれからの国の発展の妨げにならなければいいのですが。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(74)我輩は牛でんねんの巻初めまして(下)

話それましたな、インドと日本の関係でんがな。 戦争が終わってな、最初のインドの首相になりったネルーさんが日本に象さんを贈ったんですわ。 なんで我輩らを贈らへんかったんやろな。 1949年でっせ。あんさんまだ生まれてませんか、その頃? 日本がサンフランシスコ条約で独り立ちする3年前でっせ。 その象さんの名前知ってますか。インデラちゅうんですわ。 ネルーさんの娘さんの名前ですわ。その娘さんね、後でガンジーって苗字になるんですわ。なぜか知ってはりますか? ガンジーさんの隠し子ちがいまっせ。不謹慎やな我輩の発言。 まあ、その訳はちょっとややこしいんで省略しますわ。 そのインデラ・ガンジーさんはお父さんのネルーさんの後をついでインドの首相になりはるんですよ。 でもな、ガンジーさんもインデラさんも暗殺されてしまいよるんですわ。 この辺もまたややこしいさかい省略しますわ。 そんでな、インドと日本が仲が良かったんわその頃までですのや。 その後は日本はアメリカの仲間になって、お金儲けにまっしぐらになったり、 インドがアメリカの敵さんのソ連の仲間になってしもて、社会主義にはまって、貧しさをみんなで分け合ったりして。そんで中国に追いつけちゅうて核実験したりしたんですわ。 そんでもって日本との仲がさらに離れていったんですわ。あんさん、聞いとります か?あんまり、歴史に興味がないんでっか? 道端で寝てるヒトの方に興味があるんでっか。 寝てるヒトは撮らんといてね。それはジンギちゅうもんでしゃろ。 えっ、どうしても撮りたい。しょうがおませんな。 そんならあの角で座ってひげ剃ってるちゅうのはどうでっか。 あれっ、もうカメラ向けてまんな。一回5ルピーですねんよ、あんさん剃ってもらったらどないです。いつ床屋さんに行ったんでっか? えっ、この屋台の軒にぶら下がっているのは何ですかって? あんさん、変なとこばっか見て、変なもんばっか気が付かはるね。 これはね『7  チリー  1ライム』って言いまんねん。 悪霊払いちゅうか、ドラキュラとニンニクの関係ちゅうか、まあいろんなところにぶら下げるんですわ。 車にも付いてますやろ。毎週土曜日に道端で売ってますんや。 日本でも年の初めに車にライムの代わりにミカン付けて走るそうですな。 それってインドから来た風習ちゃいまっか?それと似たようなもんちゃいまっか。 そういえば日本では2月か3月に小さいお魚の頭だけつけて玄関に飾る祭りがあるそうですな? 豆をまくんですって、もったいないですな。 畑にまかんと家の中や、庭に放るんですって。悪魔が来んようにですって。 家のなかで芽えーでるんかいな? えっ、我輩の話を聞いとったらお腹が空いたんですってか? なんかファーストフードはないかってですか? ありまんがな、マックが。KFCが。どんなハンバーグ出しとるかってですか? そんなん、我輩がお店の近くまで連れて行って上げるさかい、あんさん、中に入って自分の目で見てみなはれ。 ここでんがな。えっ、マックにも、KFCにもベジとノンベジがあるのかってでっか? ありまっせ。窓の写真の看板をよーく見てみなはれ。 旗のマークの緑色がベジで、赤色がノン・ベジでっせ。 包む袋やポテトチックの入れもんや、コークちゅうんですかあの黒ろーて匂いのする水の入っている缶にもそのマークが付いるそうでっせ。 飲み物いうたらコーヒー頼むとき気を付けないかんらしいですわ。 この国ではBlackかwith  Milkははっきり言わんといかんのですわ。 言わんとミルクが入ってきますで。 また砂糖の袋が大きいようですなあ。日本では2gとは3gがあるようですな。 ここでは8gか10gでっせ。それも二袋付けてくれまっせ。 この前聞いた話では日本のヒトが二人でひとつの砂糖の袋を分け合って入れていたらしいですわ。 まだもったいないの精神が残ってるんですな。 えっ、ビーフバーガーはないのかって、あんさん、恐ろしいこと言い出しはりますな。そんなんあったら店を壊されまんがな。 ほんまでっせ、マックがインドにきたころに壊された店ありまんのやで、昔。 ノン・ベジゆうてもチキンかフィッシュでっせ。 マックで一番ごっついのんがマハラジャちゅうやつですわ。 けど、KFCさんはよろしいな。チキンだけやよってに。 あんさん、お店の中が見えまっか? ぎょうさん若い人が入っとりますやろ。街では並んで歩くとこあんまり見んカップルもおりますやろ。 きょうびの若いもんはこんなん食べてまんのや。あかんで、インド人にはインド人のファーストフードちゅうもんがあるやないか。何ですかって? ドーサやがな。こんな安すーて栄養のあるもんあるのにそれを差し置いてバーガーやて。バーカーじゃないの。あかん、ヨシモトが出てもた。 えっ、ヨシノヤはないのかって。何ですそれ? えっ、ギュウドン?それって我輩ら牛の肉でっか、ビーフでっか? えっ、マツヤの方が美味しいですってか? あんさん、何回言ったら分かってもらえるんやろ。ここはインドでっせ。ヒンズー教の国でっせ。牛の肉たべんヒトがようけおる国でっせ。ヨシノヤやマツヤみたいなもんがあったら、我輩ら道で寝てることできませんがな。 ヨシノヤさんにゆうといて、ここではちょっと商売できませんよって。 けどな、内緒やけどな、バンガロール産のビーフは美味いちゅう噂でっせ。 この街にもあるんやろか、そのバンガロールのもん食わせるところが。ちょっと 仲間に聞いときますわ。 あかん、マックやKFCの前へ来たら、我輩もお腹空いてもうたわ。 あんさん、もうええから、マックに入んなはれ。そんでもってお腹一杯になったら、写真撮るのもええけど、インドのこともっと勉強しなはれ。 そんじゃ、我輩も食事に行きますわ。 じゃ、今日はここで、サイナラしますよって。また今度、町で会うたら、一緒にお話しましょな。えっ、我輩が一方的にしゃべっとるだけやないかって。すんませんな、モウ。

シンゴ旅日記インド編(その73)我輩は牛でんねんの巻初めまして(上)

モーぅし、モーぅし、そこのおっさん、こっちゃや、こっちゃや。 なにキョロキョロしてまんねん。我輩ですがな。 目の前の牛ですがな。分りましたか。 えっ、なんで牛が言葉しゃべっとるってですか? ちゃいまんがな。テレバシーちゅうもんでんがな。 声出さんと我輩の頭からあんさんの頭へと直接話してまんのやで。 この能力な、一部の動物かヒトさんにしかできませんのや、神さんがくれたんですわ。 我輩の家系ちゅうか牛系がその能力もろうてまんのや。 神様から内緒にしときやー言われてまんねん。 そやからヒトさんには話かけたら本当はあかんのですわ。 せやよってに、このこと内緒にしといてね。 そんなん、我輩が言葉を話せるゆうことが分かったら『言葉をしゃべる牛』ゆうてテレビに出なあかんがな、綺麗な女優さんとドラマ共演しなあかんがな、写真集出さなあかんがな、DVD出さなあかんがな、我輩困っちゃうな、モウ。 でもな、そうしたら、あかんのですわ、神さんとの約束ですさかい。 よって、いつもどんなこと聞いても知らん顔してまっせ。 そやけどな、声掛けるときに口をモグモグって動かす必要があるんですわ。 このこと内緒にしといてね。ほんまに。 えっ、そんなら、何であんさんに声掛けてるのかって? すんまへん。日本のヒトとちゃうかなと思ったんで、知らんうちに声が、いやテレバシーが出てしモウたんですわ。 我輩ね、実はね、内緒にしといてね、日本のコーべの牛とのハーブでんのや。 ワギュウの血が入ってまんのや。 つまりオトンがワギュウで、オカンがインギュウでんねん。 なんでかちゅうとね。戦争前ですわ、戦争ゆうても中印戦争とか印パ戦争と違いまっせ、その前の第二次世界大戦でっせ。 そのころ日本とインドは仲が良かったんですわ。 そんなんで日本の食糧事情が良うないんちゅうんで、インドと日本の牛の交配をさせて、ちょびっとの草でぎょうさんの肉の取れる牛を作ろうちゅう内緒の計画があったんですわ。 インドの牛は粗食やさかいにね、これワギュウ+インギュウ=ワインギュウ計画て言いましたねん。 これも内緒の話しでっせ、誰にも話したらあきませんで、疑われまっせ、あんさん捕まりまっせ、憲兵に、特高に。あれっ、そんなもん、もうありませんてか? あんさん、そんな計画あったことを知りませんてか? まぁ、よろしいおますわ。戦争前のな、日本の食糧改善計画ちゅうわけですわ。 そんで日本のコーべや、マツサカや、センダイや、ヒダや、タジマやらいっぱい牛たちがここに連れて来られたんですわ。 でもね、その計画ね、日本が戦争に負けはったんで中途半端のまんま終わってしもうたんですわ。 インドもイギリスの植民地に戻ったり、お金がないさかい日本から連れてこられた牛や、生まれた我輩らをそのまんま、ほったらかしにしたんですわ。 そんで我輩ら子孫がインドに散らばっておるちゅうわけですわ。 我輩らは戦争孤児、いや戦争牛児でんな。 あれっ、年が判ってしまいがんがな。けど吾輩のオトンもまだ生きてまっせ。 あれっ、オトンいくつになったんやろナ、そう言えば日本が中国かロシアに勝った時に提灯行列がコーべの街を埋め尽くしたのをロッコーの山から子牛ながらに見たことあるて言うてましたで。 オトンな、最近は昔の日本は良かった、良かったでぼやきながら草食ってまんのや。 もう年なんやろね、 きっと。そんなんでオトンから日本のことを、オカンやジージ、バーバからインドのことを道端で一緒に食事しながらよーけ聞いて育ったさかい、いろんなこと知っとりますんや。 日本の戦争ゆうたらチャンドラ・ボーズさんですな。 えっ何教の坊さんやてか?坊さんとちゃいまんがな。 日本軍と一緒にイギリスと戦ったヒトですがな、あのインパール作戦ですがな。知りませんか、あの作戦? きょうびの日本のヒトは何も知りませんな。 でもあんさんくらいの年やと知ってると思うてましたがな。 へぇ、戦後生まれでっか?我輩より若いんですか? あんさん、見た目は老け取りまんのにな。放っといてくれってですか。 すんまへん。あんさんら、あの戦争のこと詳しく学校で習ったことないってですか? いつも歴史の時間では昭和の戦争になると時間がなくて駆け足で授業進んでいくってでっか? 先生たちが戦争のことあんまり教えてくれんかったったでっか? おかしな国でんな。 自分たちがしたことを、きっちりと子供たちに教えていかないかんのにね。 まぁ、ええですわ。あのね、日本が大東亜共栄圏やゆうてアジアのみなさんに声掛けて一緒にがんばろうって叫びはった頃にでんな、インドでもイギリスと戦って独立しようちゅうグループがあったんですわ。 日本で有名なガンジーさんね。このヒトのことは当然知ってはりますやろな? えっ、詳しくは知らんて?学校の図書館にありましたやろ、この人の伝記が。 まぁ、ええわこれも。ガンジーさんとボーズさんは同じ国民会議派ちゅう仲間でしたんや。けど二人は考え方が違うたんですわ。 ガンジーさんは暴力はあかん、我慢や、辛抱やゆうて独立をしようとしはったんですわ。 でもねボーズさんは、それではあかんて言いはってな、ドイツへ亡命したり、潜水艦で日本に運ばれはったり、シンガポールで日本の捕虜になったインドの兵隊さんとインド国民軍ちゅう軍隊つくって総司令官になりはって、そんでインパールに行かはったんですわ。 さしずめ日本の同志、戦友、盟友ちゅう訳でんな。 けどボーズさんな終戦の年に台湾上空で飛行機事故で死んでしもうたんですわ。 かわいそうにね。 その遺骨が東京に保存されてまんねん、そして多くのインドのヒトたちがそのお寺さんにお参りに行かはるんでっせ。 そやそや、あの戦争ではインドは連合国側やったから戦勝国でんがな。 でも知ってはりますか、インドは日本に賠償を求めへんかったんですよ。 インドネシや他の国はようけ貰いなはったな。 でもインドは要らんゆうて放棄したんですわ。 日本もそれに応えてな、お金ができてからお金貸してくれはったんですわ。 円借款言うんでっか?1958年くらいやったと思いますわ。早い時期ですわな。 そして2年後には皇太子さんが奥さん連れて来られましたんや。綺麗なヒトでしたな、ミチコさん。きっと日本のヒトたちがインドにありがとうって言いたかったんやね。 日本のヒトといえばミチコさんの旦那さんヒトという名前が付いてましたな。 あんさん、聞いとりまっか? 戦争についてもうちょっとしゃべってよろしいか? あの戦争の後に裁判あったん知ってはりまっか。インドのパール判事知ってはりますか?えっ、知らんてですか。ホーン。 戦争終わった後の東京裁判で裁判官の一人でしたんやが、あんまり長い判決書を書いたさかい、アメリカさんから読むこと許されず和訳も許されへんかったんですわ。 『A級戦犯』は全員無罪や、アメリカの原爆投下は国際法違反やって指摘しはったんですわ。 インドのヒトは日本が昔に中国やロシアと戦って勝ったことにごっつい共感と尊敬する気持ち持ってはったんですな。 あんさん、トルコなんか生まれた子供に『トーゴー』とか『ノギ』ちゅう名前を付けたらしいですよ。 そんで、東京裁判がおかしいって声出して言ったんはインドだけでっせ。 このパールさんの記念碑が日本の各地にが建てられているって知ってはりますか? 日本のヒトたちが尊敬しはったんですわ。 ソンノージョーイのお侍さんとおんなじ心持ちやゆうて京都の東山霊山にもあるんでっせ。 ところであんさん、最近ここらへんでよう見かけますな。いつも休みの日にカメラぶら下げてあっちゃ、こっちゃ写真を撮ってますやろ。生まれはどこでっか? ギフ県?そうでっか。あんさんの国では、久しぶりってのを『やっとかめ』ていいますやろ。『八百十日目』って書くんですって? おもろいことばですね。 じゃ、やっとかめでんな。 違うって?『やっとかめやなも』っていうんでっか?難しいでんな。 えっ、なんでそんなん知ってるかって? 先に言いましたやろ、ヒダのハーフ仲間がおりまんのや。 奴といつも話してまんねん、仲がようおまんねん。そやさかい、時々ギフ弁を教えてくれまんのや。 (下)につづく 丹羽慎吾  

シンゴ旅日記インド編(その72)マンホールもいろいろの巻

私の会社は鋳物製品を作る機械の製造販売です。仕事柄、鋳物製品にはつい目が行ってしまいます。日本ではマンホールは鋳物製品のひとつです。下上水道、電話線などのあのフタです。ということは、ある程度インフラが進まないとマンホールにはお目にかかれません。 日本ではマンホールも実用一点張りでなく。各市町村でそのデザインが違います。 マンホールを絵画みたいに扱う国は他にもあるのでしょうか?日本人の美意識が嬉しいですよね。道路が美術館みたいです。   岡崎市以外の町のマンホールをご紹介します。 インドのマンホールを捜してみました。 アパートには四角いコンクリートのフタがありました。近くの道路も四角いコンクリート製でした。 インドには丸い鋳物製のマンホールがないのかなと思ってあちこち歩いてみました。 丸いものもありますがみなコンクリート製なのです。こちらの人に聞くと昔は鋳物製であったが、お金になるからとみなが盗んでいったのでコンクリート製になったとのことでした。昔の建物などにはまだ鋳物製のマンホールが残っているそうです。  

シンゴ旅日記インド編(その70)続・指計算の巻

先にインド人の指計算で、指のしわ3本を数えて片手で15まで数えることをお伝えしました。 これ大好評でした。その時の写真を再掲します。 他のインド人に話したら、その人は指のしわで3までに加え指の天辺を4にして、一本の指で4まで数えるので、片手で20まで数えることができると言いました。でも私は相変わらず19まで。 また、ある時に日本人の技術者にこのインド人の指計算の話をしました。すると、彼は指を二進法にして使えば片手で2の五乗の32まで、両方を使えば2の十乗の1,024まで数えることができるといいました。それは次のとおりです。最初の数字は十進法、カッコ内は二進法です。 これを両手で行えば2の十乗の1028まで数えれるということです。その32、33,。、、、1022,1023は次の通りです。0を加えて104。皆さんできますか、この指の動き。私は10に行く前で指がつってしまいました。   その時の付録に座高の違いもありました。その後に出会った若者との写真です。   座ると私が説教を出来るような高さなのですが、説教が終わり、立ち上がるとこうです。何でこうなるの?もう嫌です。 今度は相撲でも取って腰が低いほうが有利なところを見せ付けてあげようと思いました。  

シンゴ旅日記インド編(69)私のアパート物語の巻

お酒のつまみ その158 私のアパート物語の巻 私のアパートにベランダが2箇所あります。ハトが来て汚して行きます。 毎週掃除をしなければなりません。日本で同様に悩んでいた妻に聞きました。 カラスの模型をベランダに置くのが効果があるとのことでした。それでカラスをワインの空き瓶と買い物袋で作ってみました。 効果はあるようです。ベランダの掃除の回数が減りました。 2番目の写真:カラスの材料です。3番目の写真:インドの酒屋さんは必ず黒い袋にワインを入れてくれますが、ある店では違う色の袋をくれました。 一番右の写真:日本から買ってきた密閉袋入りのおつまみ、ラーメンなどです。パンパンに膨れ上がってしまいます。これはプネが海抜600mで気圧が低く、また暑さのせいでしょうか? 4月からインドは乾季に入りました。断水の季節です。左の写真:私のアパートは時々タンクローリーが水を運んできます。真ん中の写真:インドの包丁の刃はのこぎり模様です。引くだけで切れます。日本の包丁にはこんなギザギザありませんよね。左の写真:日本に一時帰国すると長期保存のできる缶詰類を購入してきます。台所の棚がお店のようになります。 また断水の季節です。 全ての刃がギザギザです。 お店ではありません。 私のアパートの目の前にはバラック小屋がありました。しかし、ある朝外を見たらバラック小屋が跡形もなくなっていました。住んでいた人は何処に行ってしまったのでしょうか?