シンゴ旅日記インド編(83)我輩は牛でんねん シヴァさんの巻

我輩は牛でんねん シヴァさんの巻(2010年9月記) 何ですって? インドから日本に帰って来たヒトから、スーパー・ウィルスが見つかって、それはどんな薬にも抵抗力を持っておるってですか。ホ~ン。 そんで、その細菌の名前がNDM1ちゅうて、最初のNDがニュー・デリーの略やちゅうんですか、ホ~ン。 えっ、ヒトさんは昔からウィルスとの戦いやったんですか? ヒトがウィルスをやっつけようと薬を作ると、今度はその薬が効かんようなウィルスが出て来るちゅうんですか? ウィルスは何でも取り込んで生き延びて来たちゅうんですか、ホ~ン。 それやったらヒンズー教と同じようなモンでんな。 何でかですって。 知ってまっか、わずかに3500年くらい前やろか、インドの北からな、アーリアちゅうヒトたちがな、攻めてきたんですわ。 インドの北の方やちゅうてもな、今な、問題になっとるアフガニスタンかパキスタンあたりでっせ。 そのころのな、インダス川にはモヘンジョダロやハラッパちゅう大きな都市があってな、ドラヴィタと呼ばれるヒトたちがおって栄えていたんやて。 そやけどな、北から来たヒトに勝てんかったのですわ。 北のヒトは馬に乗ってはったし、鉄を作ってはったんで、南の農業やっとるヒトではチカラで勝てんのでしたわ。 南のヒトの使うとる動物は我輩ら牛でっしゃろ、そりゃ馬さんには負けますわな。 アカン、先祖さんの牛の悪口言ってもた、先祖さん、カンニンやで。 そんでドラヴィタさんたちな、もっと南へ、さらに南へと移りはったんですわ。 さらに西へちゅうたのは日本の昔のシンカンセンですってね。 すんません。話が飛んでもて。 アーリアのヒトたちな、バラモン教ちゅう宗教を持ってたんですわ。 バラモンですよ。シナモン、ゴエモン、ポケモンとちゃいまっせ。 そんなダシャレ言わんでもエエってですか?すんません。 その頃のな、バラモン教はお酒を飲んではったり、牛を神さんに祀って食べたりしてたんでっせ。 この話は止めますわ。牛を食べる話は、あっちゃに置いときますわ。 我輩な、牛の一族として食べられると思うとちょっとだけ気分が悪うなるんですわ。 そのバラモン教な、ヴェーダちゅう神話みたいな、宗教儀式を書いたようなモンがありましたんや。 そんでね、それには神に仕えるバラモンが一番エライって書いてあったんですわ。 カースト制度の始まりでんな。 そしてね、インドの東側のガンジス川の方までアーリアさんが広がってね、町が大きくなって行ったんですわ。 そうするとな、商売をするヒトが増えてきて自由にモノを考えるヒトが増えてきたんですわ、バラモンはおかしい、バカモンやないかちゅうヒトたちが出てきたんですわ。 えっ、そのシャレはおもろないってですか? すんません。(なんか今日は謝ってばっかしやな、我輩) それやったら、言い直しますわ、今から2500年くらい前にバラモンはアカンちゅう宗教が出て来たんですわ。 それの代表選手がゴータマ・シッタルダさんでんがな。 この人を知ったるだ?(アカン、またダシャレになってもた。オッサンが分からんうちに続けたろ)お釈迦さんやで。それでバラモン教が下火になったんですわ。 バラモンのヒトたちな、信者を取られてしまうんで、こりゃ、アカン、おマンマ食えんようになるちゅうことでな、こりゃ何でも取り入れた方がエエワちゅうことになってね。地場の神さんたちもどんどんバラモン教に取り込んで行きましたんや。 そうしてバラモンさんたちな、仏教の真似して牛を食べてはアカンて言い出したんですわ。 その頃でんな、インドラさんやブラフマンさんたちみたいなアーリアの元々の神さんが人気が無くのうてもて、シヴァさんとヴィシュヌさんちゅうアーリアでない神さんに人気が集中して来たんですわ。世代交代ちゅうやつでんな。 そんでバラモンさんたちな、お釈迦さんはホンマはヴィシュヌさんの化身やちゅう話も作りあげたんでっせ。 これ、ネツゾウでっせ。何でもありのマージャン・ゲームみたいなモンでんな。 えっ、何でそんなゲームを知っとるんやってですか? こう見えても何でも知ってるインテリでんがな、我輩。 日本の文化、風習、歴史、風俗をみんな勉強しましたで。 風俗の時が一番おもろかったですな。グフッ、フクワラ、ヨシワラ、オゴトでっしゃろ、あんさんのギフのヤナガセのカナズエンでんがな。 アカン、あの角のとこに我輩のヨメはんが友達と来たんのが見えましたがな。 話を戻しまっさ。 アーリヤのヒトって国は征服したけど、宗教は地場の神さんに征服されたてしもたんやね。そんでね、その頃からバラモン教やのうてヒンズー教って呼ばれるようになったんですわ。 紀元400年ころやろか、グプタ朝の王さんたちがヒンズー教を援助しはってな、ようけお金を寄付したさかいな、ヒンズー教がワーッて広まったんですわ。 でね、ヒンズー教にはキリストさんとか、モハメッドさんとか、お釈迦さんみたいな創業者がおりませんのや。 そんで聖書もコーランもお経もおませんのや。 さっきゆうたヴェーダちゅうもんがあるんやけどな、今のヒンズー教とは全く関係おませんのや。 そんでな、ヒンズー教のヒトたちな、なんか難しいこと言うヒトもおるし、おチンチンを祀るヒトもおるし、それね、リンガって言うんですわ。リンガでっせ。覚えといてくださいな。 そんでな、酒飲んだらアカンゆうヒトもおるし、逆にお酒飲め飲め飲めちゅうウタゲもあったそうですわ。 そしてね、ガンジーさんが言うとった殺したらアカンちゅうアヒンサーがあるかと思ったら、首からドクロ下げていつもイケニエを求める女の神さんもおりますのや。何でもありでっせ。いろんな神さんを取り入れてきたからでっせ。そんでさっきのヴェーダの次にな、プラーナいう物語見たいなモンがようけ作られてな、シヴァさんやヴィシュヌさんがどうしたって書かれておるんでっせ。 これって日本と同じやってオトンが言ってましたで、日本でもな、キキちゅう神話があるそうでんな。へぇー、コジキ、ニホンショキやからキキちゅうんでっか。 今やったら日本は経済と政治が危ないからセイケイ・キキでんな。 えっ、余分なこと言うなってですか?すんません。(アカン、また謝ってもた) そのキキな、神さんがどうやって日本を作らはって、その神さんがどうやってテンノーさんになって、そしていろんな国をやっつけてきたか、国を治めて来たかちゅうことが書いてあるそうでんな。 そんで最初の何人かのテンノーさんは実際におらへんかったそうそうやね。 ツジツマを合わせるためにつくられたそうでんな。 そんで神さんがな、国を作らなアカンゆうて、オトコとオナゴの神さんがアメノヌボコで海かき混ぜたら島が出来たんやて。(あれっ、これってヒンズー教の乳海攪拌と一緒やな、全く。乳海攪拌ゆうてもおっさんは分からへんやろうから説明するのは、あとにしとこ) そんでリンガみたいな柱な、アメノミハシラと言うんでっか、それをオトコとオナゴの神さんが回って手を繋いだんやて、そしたらな、一回目はな、オナゴの神さんが先に声を出さはったんやて、その時に何て言ったんかは知らんけどね。 そんでうまいこと国が出来んかったんやて、そんで今度はな、反対回りしてな、また手を繋いだんやて、そして男の神さんが先に声出したんやて、何て言ったんかは吾輩は知りませんがね。 何か明るい感じでエエね、日本のキキは。そんでアワジシマができたんやて。 アワジシマゆうたら渡哲也やがな、阿久悠でんがな、我輩なファンでんねん。 それに海原千里万理、妹の方な今の上沼恵美子でんがな。 ようしゃべりまんな、あのヒト。 大阪城と通天閣は自分のモンやって言うてまっせ。(アカン、また話がそれてもた。) そんでな、このキキちゅうお話な、次々と日本の国が出来て行ったんやて。 そやけどその時なオトンがマグワイって言っとったけど何のことやろね。 オトン教えてくれへんかったわ。あんさん、知ってまっか、えっ、知らんでエエってですか。まあエエわ、そんでな、そのころは神さんが空の上に住んでましてな、そのうちある神さんが地球に行きたいゆうたんやて、テンソン・コーリンやがな。 これな、まるでアムルタを天界で獲って戻るときにヴィシュヌさんと戦ったガルーダさんの話見たいやな。分かりまっか?分からへんてか? まあよろしおま。あと知ってまっか? ヤタガラスや、オオクニヌシや、イナバのシロウサギや、三種のジンギや言うて、キキって大スペクタクル・アドベンチャー&ロマン&サスペンス&コメディでんなあ。 スピルバーグさんと映画作ったら世界中できっと売れまっせ。 大もうけ出来まっせ。えっ、もうそれをもとに作ったってですか、ホーン。 何ですか?日本のキキの話はもうエエってですか? そんでお前はシヴァとヴィシュヌとどっちの神さんが好きやってですか? あんさん、それな、グモンでっせ。我輩な、こうみえてもな、シヴァさんファミリーの一員の子孫でんがな。 我輩な、シヴァさんに仕える一族のマツエイなんでっせ。 シヴァさんのブロマイドには我輩の先祖さんが必ず横にいてはるんですわ。 えっ、そんなに、ムキになるなってですか? ならんでかいな。乳海攪拌って知ってまっか?そんなの知らんてですか? バンコクの空港に飾ってあるそうやないですか? 我輩の先祖の最初の牛はそこから生まれたんですわ。 でもな、この話おかしいんでっせ。 シヴァさんのライバルのヴィシュヌさんの物語やのに、我輩らの先祖の始まりが出てくるんでっせ。何でもありでんな、まったく。 まあ、その話はな、山をスリコギにして海をこねて色んなものが出て来たっちゅう訳でんがな。 なんと、最初に出て来たんが牛、我輩たちの先祖さんやね。 これメス牛でんがな、そのメス牛さんとある仙人さんの間に出来たオス牛がシヴァさんの乗ってはるナンディンでんがな。 バンコクちゅうたらな、あんさん知ってまっか、タイは仏教の国や言いますけどな、タイの王様さんはな、ヒンズー教でんねん。大体名前がラーマて言いますやろ。 そやさい王宮のカザリなヒンズー教のモンばっかでっしゃろ。 仏教は平等でっしゃろ、そうしたら王様さんはショミンと同じになってしまいまんがな。 今度タイに行ったら、王宮をよう見て下さいな、ヒンズー教のモンばっかでっせ。 アカン、また話が飛んでもた。 シヴァさんな、インドの南の方で人気ある神さんですわ。 南インドな、女の神さんが多かったんでっせ。 そんでバラモンのヒトたちな、みんなシヴァさんのヨメはんやちゅうことにしてもうたんですがな。 そんで、あれですがな、あれ、ほれ、『踊るはマハラジャ』って映画知ってまっか? 話が飛んでるってですか? すんまへん、我輩な、この後にワイン・ハーフの会の寄り合いがありまんねん。 我輩は副会長ですやろ、それに今日はどうしても行かなあかん用事がありまんのや。 ほんでね、『踊るマハラジャ』でんがな、インドの有名な映画でんがな。 日本では『踊る警官』ちゅう漫画ありましたな。(また関係ないこことをいうてもた) そんでな、『踊る神さん』ゆうたらな、シヴァさんのことでんがな、その横で伴奏してるんがナンディンでんねん。 ナンディンてシヴァさんの運転手兼ミュージシャン兼プロデュサーでんねん。 インドでよく見るシヴァ・ナタラージャちゅうブロンズ像ありますやろ、あれなコビトの悪魔を踏ん付けて踊ってるシヴァさんでっせ。 えっ、おんなじように鬼を踏みつけている仏像が日本にもあるってですか?ホーン。 それにシヴァさんゆうたら破壊の神さんでっせ。 […]

シンゴ旅日記ジャカルタ編(5)  新型コロナと朝散歩の巻

インドネシアでは新型コロナウィルスの感染者は 2 月までゼロでした。 ところが3 月2 日に2 名の感染者が確認されると3月末には感染者数1,528 人、死者138 人、そして4 月16 日には感染者数5,516 人、死者496 人と一挙に増え、その後も感染者数は毎日300 人ベースで増えています。 チカランに住む私は当初新型コロナ感染がジャカルタの出来事であると安心していましたが、3 月9 日の朝にアパートを出る時に受付嬢たち三人がマスクを着けているのをみてチカランも警戒するようになってきたのだなと思いました。 そして感染者や死者が増えるにつれジャカルタでは日本の緊急事態宣言に似た大規模社会的制   限という規制が4 月10 日に出され、15 日にはチカランのあるブカシ県も同じ規制が始まりました。 ブカシ県の規制の期間は4 月15 日(水)~28 日(火)の二週間です。 これは保険、食料、エネルギー、金融、ホテル、物流や工業団地のような生活に必要な企業の営    業は可能ですが、製造メーカーは産業省の許可のもと操業が可能で、商業関係は原則として在宅  勤務を行うというものです。 飲食店は店内での食事は禁止で、持ち帰り弁当の販売だけ可能となりました。 オートバイタクシーも人を乗せてはダメで、物だけの運送に限定されました。 乗用車は運転手を入れて三人までとなり、車内でもマスク着用が義務付けられました。 町のところどころにチェックポイントが設置され軍人、警察、セキュリティの人たちが違反者を監視するようになりました。 その規則の中に『60歳以上の者は在宅勤務とする』という項目がありました。  そのため私は15日(水)からアパートでテレ・ワークとなりました。 一方、新型コロナの騒ぎとは関係なく、チカランの朝方は青空が見えるようになってきました。 私はそれまでは雨が降っているとか、道が濡れているとか、雨が降りそうだという理由をつけてさぼ っていたアパートの周りの住宅地を巡る朝散歩を在宅勤務を機に再開しました。 アパートを出て最初の住宅地を通りすぎるときにその守衛所を見てびっくりしました。 そこには新型コロナへの注意喚起の看板があり、DESINFECTACT    と書かれた消毒ブースが設置されていたのです。 私はそこの守衛さんに中に入って散歩できますかと聞くと、ダメですとの回答でした。外来者は中に入れず、商品のデリバリーも守衛所で引き渡しをするとのことでした。 そして、その最初の住宅地を通りすぎ、広い敷地を歩いて回れる別の住宅地にたどり着くと、そこに    も消毒ブースがありました。守衛さんが住宅地の中に入れてくれるか心配でしたが、前に散歩していた私を覚えていてくれたのか私が挨拶すると彼らも笑顔で挨拶を返してくれました。私が消毒ブースを通らなければならないのと聞くと、どうぞといった感じでブースの中に入るように言いました。 ブースの中に入ると内側に垂れ下がるホースについている小さなノズルから消毒液が霧のように少し噴き出してきました。その中で体を一回転させて消毒液の霧を浴びるのです。   そしてブースを出てから住宅地の中を何カ月ぶりかで歩いて回りました。 コロナ禍でも植物たちは雨季の間にたっぷりと水分補給したのか葉は緑色で、白いや赤やピンクの    花を咲かせていました。 朝散歩初日は久しぶりに2時間歩き足の筋肉は問題なかったのですがちょっと息切れがしました。そして、二、三日目も同じ住宅地を散歩すると息切れは少なくなりましたが、ふくらはぎが張ってき    ました。それで四日目の散歩は中止しました。長い目で体調管理に努めます。 休んだ翌日は思い切って自動車道路を挟みチカランで最初にできた広い住宅地まで足をのばしました。ここには他の住宅地を三つ足したくらいの敷地があるのです。 その広い住宅地の入り口の守衛所も同じような垂れ幕が掲げてありました。 ここの守衛さんもインドネシア人特有の愛想のよさでニコニコ笑って私を通してくれました。 散歩をするときは熱中症にならないように水の入ったペットボトルを腰のホルダーに差して歩きます。 アパートから持ち出したペットボトルの水を散歩の途中で飲み干してしまう場合は、散歩途中にある     コンビニ(ローソン)で新しいペットボトルを買います。 ある日にコンビニでペットボトルを買おうとするとカウンターにインドネシアの漢方であるジャムゥ(Jamu)の入った箱が目につきました。 インドネシアでは新型コロナにジャムゥが効くとも言われています。私は何に効くジャムウだろうと箱から一個取り上げると‘Tolak Angin、Obat untuk Masuk Angin’と書いてあり、それは風邪の予防用でした。私は物は試しと思い三種類を一袋づつ買いました。ひと袋5,000 ルピア(35 円)でした。 ネットで調べると日本のアマゾンでも販売していました。 みなさんも通販で『Tolak Angin』を購入してインドネシアのジャムゥを試してみませんか?     丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(2)  湯の町グチの巻

湯の町グチの巻 (2017年9月記) インドネシアは日本と同じように火山が多くあり、温泉地が何カ所もある国です。 有名な温泉地はバンドン郊外のチアトルですが、中部ジャワにもグチという山あいの温泉地があるのです。 ジャカルタから高速道路で東へ300km行くとジャワ島の北の海岸沿いにチレボンという町があります。チレボンは西部ジャワ州の東の端といった感じです。そこからさらに高速道路で東に80km行くと中部ジャワ州になり、テガルという町があり、そこは砂糖やジャスミン茶の生産地で有名です。 またテガルの料理はほかの都市でワルテグ(Warung Tegal=Warteg)と呼ばれ、屋台(Warung)や小さな食堂で提供されており、西スマトラのパダン料理とともに有名です。 そのテガルに初めて機械を納入し、その据付に社員三名が二泊3日で出張しました。 私もお客様への挨拶のため最終日の金曜日にテガルに向かいました。 と、いうのはテガルに設備の納入が決まったとき、社員からテガルに近いところにグチという温泉地があることを聞いたからです。金曜日の夜を温泉に入って過ごそうと計画していたのです。 なお、グチの近くにはジャワ島で二番目に高い山のスラメト山(標高3,428m)があります。 無事に機械の納入が終わり、社員たちとともに車二台でテガルの町を出発しました。 田舎道を走り山道に入りました。窓を開けると空気が涼しくなってきました。 手入れされた棚田や段々畑がところどころに見えてきました。 山の中腹にはグチ地区へ入るための料金所があり、一人5,000ルピア(約40円)を払いました。 そしてまた曲がりくねった山道を登り、少し降りて民宿風のホテルにチェックインしました。 スマホのアプリで標高を調べると1,095mとありました。 私たちは部屋からバスタオルを持ち出して車で温泉場に向かいました。 ホテルからの山道を降り、さらに奥に入り、坂を上り、そして降りると狭い谷川が流れていました。 その谷川の橋から上流を眺めると左手の山側で人々が水に浸かっているのが目に入ってきました。駐車場が先にあるというのでその橋を通り過ぎると、狭い坂道の両側に小さなお土産屋さんが立ち並び、軒にかけてある商品に車が触れるかのように上りきると、そこには広い駐車場がありました。車を置いて、谷川に向かって歩いて行きました。 温泉に行くと言うのに、私は着替えを全く持たずに参加していましたので、お土産屋さんに立ち寄り水泳パンツとサンダルとグチの名前入りのTシャツを買いました。 谷川の温泉場に着くと着替えを預ける小屋が二か所ありましたが、私たちはそこに預けず、そのまま湯が流れているところに向かい、湯がかからないところで着替えて、脱いだものをまとめて置きました。谷川の温泉は日本の施設と比べると質素というか貧弱なものでした。 数本のホースを山肌に差して湯を落とし、コンクリートの仕切りで囲っただけなのです。 足場はヌルヌルとしていて、滑りやすく気を付けなくてはなりません。 私は転ぶのが怖くて、コンクリートに手をついてそれを乗り越えゆっくりと温泉に入って行きました。 温泉と言ってもそんなに熱くはなかったのです。でも少し多目の湯が落ちてくるところで、修験者のように滝を頭から受けたり、最近凝っている肩に打たせ湯をしたりしました。 湯から上がると、現地社員がバスタブに浸かれるところがありますよというので、人で込み合っている谷川温泉よりもゆっくりできるだろうと思い、そこに行ってみることにしました。 その建物は入口の両側に個室が5室ずつあり、各部屋の中にはバスタブだけがあり、湯が蛇口のないパイプから直接バスタブに注ぎこまれていました。入浴料は3,500ルピア(約30円)でした。 谷川温泉と違い湯温は40度ほどあり十分に体を温めることのできるところでした。 私はこのバスタブ温泉が気に入ったので明日の朝また来ようと皆に伝えました。 バスタブ温泉から上がり外に出ると、もう暗くなっていました。 そしてホテルに引き上げ、食堂で社員から今回一緒にきていない社員の噂話を聞いたりしながら、ゆっくりと食事をした後、それぞれの部屋に引き上げました。ビールはありませんでした。 夜は冷えたので布団のような分厚い毛布にくるまって寝ました。運転手のひとりは寒くて三時まで寝られなかったそうです。翌朝は7時に皆で朝食を取り、8時に温泉に再び出かけました。 途中にある駐車場を通ろうとするとすでにお店を開いているお土産物屋さんでジャムー(ハーブ薬)を籠にいれて売っているおばさんがいました。 私はおばさん近づきKunyit Asam(ウコン)はありますかと聞くと、おばさんはあるよと言って何本もボトルが入った籠の中から一つを取りだし、コップを布で拭き、それに黄色い液を注いでくれました。 私がそれを飲み干すと、おばさんは次にJahei(ショウガ)のハーブ薬を飲めと私に勧め、それを飲み干すと、今度はお米で作ったハーブ薬を勧めてきました。私はそれも飲み干しました。 私は新しいボトルに入ったウコンのハーブ薬を一本買いました。賞味期限は三日間とのことでした。 買ったジャムーを駐車場に停めてある車の中に置いて、バスタブ温泉でなく谷川温泉に行きました。と、いうのは運転手のひとりが、前日は体の調子が悪く、谷川温泉に入っておらず、朝になると調子が良くなったので是非とも谷川温泉に浸かりたいと言いだしたのです。 それで朝の明るい光の中で写真を撮りたかった私も谷川温泉に向かったのです。 結局、谷川温泉に少し浸かり、写真を撮ってから、日本人駐在員と二人でバスタブ温泉に行きました。入口で入浴料を払おうとすると土曜日でしたので入浴料が5,000ルピア(40円)と昨日より1,500ルピア高い休日料金になっていました。 バスタブには10分ほどずつ二度浸かり、満足して、駐車場に引き上げました。 駐車場には温泉に入らずお土産を買い込んで大きな袋を下げた社員二名と出会いました。 社員からここではウサギのサテがおいしいですよ、と聞いたのでそれを皆で食べることにしました。 ウサギは子供の頃に学校や家で飼ったことはありますが、食べたことはありません。 駐車場の横のお店に入り、ゴザの上に胡坐をかいて、ウサギ肉のサテを頼み、出来上がるまではテガル名産のお茶を飲みました。しばらくすると、サテが出来上がってきましたが、鶏肉のサテと姿形は一緒です。これがウサギの肉ですと言われてもその味の違いがよくわかりませんでした。 サテを食べてからホテルに戻り、帰り仕度をし、11時ころにホテルを出発しました。 前日に来たときは霧がかかっていて、はっきりとは風景が見えませんでしたが、帰りはすっかり晴れていたので高原野菜のキャベツ畑や、手入れされた段々畑、棚田がよく見えました。 山を下りてテガルの町に入ると、ベチャやオートバイトラックがたくさん街角を走っていました。 テガルから高速道路に入る前に、町で社員たちが名産のアヒルの茹で卵、焼き卵を大量に買いました。アヒルの茹で卵はチカランでも売っているのですが、焼き卵はテガルにしかないとのことでした。私はジャスミン茶(Melati)を買いました。中国風に急須に一袋ずつ入れて飲むタイプです。 お茶のブランド名のポチ(POCI)は急須(土瓶)のことです。急須はテコ(TEKO)とも言います。 買い物を終え、高速道路に入りチカランまでノンストップで走りました。その高速道路から眺める田園風景を見るとインドネシアは広大で肥沃な土地が多くあることを実感させられるものでした。 (おまけ)グチの温泉場の駐車場で宝石の指輪を箱に入れて売り歩く人たちがいました。 良く見かける猫目石とか、アフリカの石などを並べて執拗に寄ってくる人たちです。 私は興味がないよとはねつけていたのですが、水気のある指でこすると赤く発光する石を見せられました。私はびっくりして、それは何という石かと売り子に聞くと化石の一種だというのです。 私       : いくらするの? 売り子   : 150,000ルピア(約1,300円) 私        : 高すぎるよ。 売り子   : いくらなら買うのか 私        : 80,000ルピア(約700円) 売り子はそれはできないと言って一旦はその場を離れていきました。きっとその不思議な石を欲しそうにしている私が呼び止めると思ったのでしょう。でも、私はアジアでのこうゆう場面の買い物の駆け引きを心得ています。欲しくてもすぐに追いかけてはいけないのです。 私は心の中では100,000ルピア(約850円)なら買ってもいいと思っていました。 一旦離れて行った宝石売りは、やはり、すぐに戻ってきました。 そして100,000ルピアでどうかと値段を下げてきましたので、私は思わず財布を取り出して買ってしまいました。 そして、チカランのマンションに戻ってから、早速、水の入ったコップにその指輪を入れるとなんと本当にピカッと光り続けているのです。 私はスマホで映像を撮り、妻にこんな石を買ったけどみたことがありますかとラインで送りました。 妻が「見たことがない、面白いですね。なんという宝石ですか?」と聞いてきました。 私はネットで調べても赤く光る石のことが載っていなかったので、夜遅くに日本にいる博学の先輩にラインで同じ映像を送り、これは何という石ですか教えてくださいと書き送りました。 翌朝、早くその先輩から返事がありました。 「これは中にLEDが入っていて水に入れると短絡して光ります。日本では氷の形状をしたものがヒットしています。ワィンとかカクテル等に入れて光らせています。」とのことでした。 私は「LEDですと寿命がありますね」と返信すると、「そうですLEDは大丈夫ですが、寿命は電池で決まります。」との返事でした。 妻にその説明をラインで送ると「信じ易い人ですね~。払ったお金は勉強代でしたね(笑)」と返事がありました。実はその光る石の不思議さに驚き、私は二個も買ってしまっていたのです。 そして私はグチの駐車場でその石を私が買う時に社員たちが平然としていた理由に納得しました。 はやく悔しさを忘れて、インドネシアの温泉地を探してあちこちの湯に浸かってみたいと思います。 左の図は地震の発生場所です。地震と火山は関係がありますよね?地震は地球の海側のプレートが陸側のプレートに潜り込み、その先端がゆがむことによって発生すると言われます。 日本と同じようにインドネシアもインド・オーストラリアプレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレートに囲まれた地震国なのです。 かつて私が駐在したシンガポール、バンコク、インド(西部、南部)は地震がほとんどないことが左の図でもわかります。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(82)我輩は牛でんねん 方言の巻

我輩は牛でんねん 方言の巻 (2010年9月記) 誰でっか、我輩を呼ぶんわ。 あれっ、ギフのオッサンやないですか? 珍しいでんな、そっちから声掛けてくるやなんで。 ほんじゃ、『やっとかめや、なも』。 えっ、恥かしいから、ギフ弁で言うなって。そやけど長いことお会いしませんでしたな。 えっ、あっちゃこっちゃへ出張で行ってましたんかいな。 どこへ行きましたん?ベンガルール、チェンナイ、コルコタですって。 何やそれを言うならバンガロール、マドラス、カルカッタでんがな。 どこもかしこも、町の名前を勝手に変えてしもて。 いやいや、我輩の承認は要りませんけどね。 我輩、よう分からんのですわ。 例えばな、ムンバイゆうたら、昔のボンベイやがな、ボンベイのまんまでエエがな。 歴史ある名前やないか。 あれっ、あんさん、何か勘違いしてませんか?ポンペイと。 それイタリアのナボリの近くにあった町やがな。 火山の灰で埋もれてもた町やがな。世界遺産なんやで。 そんでもな、インドのボンベイの名前な、まだ今でも使われてまっせ。 昔の名前で出ています、ちゅうやつでんな。 ボンベイ証券取引所、BSEでっせ。 有名な株式指数はSENSEX30でっせ。 あんさん、なんか変なこと考えたんとちがいまっか、一瞬目つきが変わりましたで。 そしてボリウッドでんがな。 ムンバイやったらほんまは『ムリウッド』でんがな、けど、そりゃ、無理ウッド。 えっ、分からんてですか、このシャレ。すんません。 そんで、あんさん、どないしたんでっか、何か言いたそうやないですか。 言いなはれ、言いなはれ。イワンの馬鹿なんちゃって(しもた、古いシャレ言ってしもた。)。 何ですって、行った場所、場所で言葉と文字が全部違ったて、ちゅうんですか? そうでんがな、バンガロールはカンダナ語やし、マドラスはタミール語やし、カルカッタはベンガル語でんがな。 それがどないか、しはりましたか? えっ、夕食を済ませて、ホテルへ戻って、すること無いもんで、テレビを見とったら、その地方の文字と言葉で喋っとるようやったんで、びっくりしたってですか? 新聞も、その土地の文字で書いてあるようやったってですか? あんさん、そりゃ、そうでんがな、当たり前だの何とかでんがな。これ何ですかって? 当たり前だのって、知りませんか。 昔、流行ったそうでんがな。マコト・フジタ、ミノル・シラキそれにウタコ&ケイスケでんがな。イチローさんもいましたな。 マリナーズのかって?ちゃいまんがな、そんな時にスズキさんまだ生まれていませんがな。ザイズさんでんがな。『~してチョウダイ』でんがな。 これらな、みんなコーべのイトコが教えてくれましてねん。 どうやって教えてくれたってですか? そりゃ、ITB、インターナショナル・テレバシー・バンドちゅうやつですわ。 あのな、神さんのな、衛星のな、、おっと、アカン、アカン、もうちょっとで、神さんに怒られるとこやった。 あんさん、聞かんかったことにしといてや。 絶対やで。指切りやで、指切りゆうても我輩の場合はヒズメ切りやけどね。 そんでな、この国ではな、国というか、州ごとにな、文字と言葉があるんでっせ。 そんで、そのお国ごとにTVでも新聞でも使う言葉が違うんですわ。 日本でもそうとちゃうんでっか? 我輩のオトンはコーべでカンサイやろ、あんさんの田舎のヒダはナゴヤ地方やろ、そんでナンブはトーホクやろ。 そんで、それぞれの言葉でニュースを言い、新聞に書くんでっしゃろ? そやそや、地方の言葉ちゅうたらな、この前なワギュウ・ハーフの会でな、わてな、こう見えても、副会長でんねん。 前に聞いたってでっか? 会長は誰やってるか知ってまっか?マツサカのニイサンでんねん。 ニイサンとこが何でも我輩らのタネモトらしいですわ。 そんでな、ハーフの会でな、ナンブの奴がな、自分のことをオトンの田舎の言葉では『オラ』ちゅうと言ってまんのや。 おもろかったでっせ。オラ、オラでっせ。なんやそれ。 玉蹴りの応援か。(あれはオレオレか、ちゃう、それは詐欺やな。よう分からんわ。) そんでな、みんなでな、自分のな、オトンの産まれた田舎の言葉で話そうやないかってことになりましてな。 トーキョーのな、アナウンサーさんが言ったことをな、みんなのオトンの国の言葉でどない言うかってことになったんですわ。 アナウンサーさんが、『ただ今、ニュースが入りました。今朝、富士山が400年ぶりに噴火しました。その火山灰が1500m上空まで舞い上がりました。しかし、飛行機の運行には影響していません。亡くなった方もなく、近くの人はみな非難して無事でした。』って言ったちゅう寸法ですわ。 そんでな、エヘン、副会長やろ、我輩。 そやから、一番先に話なさなあかんやろ。よってにな、オトンから聞いとった同じコーべ出身のな、ヨドガワさんの口調で言うたんや。 『ハイ、みなさん、大変ですねぇ。大変ですねぇ。富士山が火を噴いたんですねぇ。400年ぶりですねぇ。まぁ、恐ろしいですねぇ、怖いですねぇ。火のハイが舞い上がったんですよ。1500mですよ。高いですねぇ。本当に高いところですねぇ。ハイ、タワーリン グ・インフェルノですねぇ。飛行機には影響がありましせんでした。ハイ、大空港です。エアポート75です。77も80もありましたねぇ。でも、お亡くなりになった方ありませんよ。奇跡ですねぇ。奇跡の人ですねぇ。ハイ、ヘレン・ケラーですねぇ。アニー・サリバンですねぇ。1959年と言えば昭和34年ですよ。知ってはりますか?その奇跡の人の舞台で誰が主人公をしたか。ハイ、実はあのパティ・デュークなんですねぇ。日本でもテレビで人気ありましたねぇ。パティ・デューク・ショー。ご存知ですね。あのお転婆娘ですねぇ。1962年のアカデミー賞ではサリバン役のアン・バンクロフトが女優主演賞、ヘレン・ケラー役のパティが女優助演賞を取りましたね。ハイ、良かったですねぇ。良かったですねぇ。それから17年後の1979年のリメーク版ではパティはサリバン役で出ていましたねぇ。時代はメ グルですねぇ。そうそう、富士山の噴火でしたねぇ。近くのみなさんはね、大脱走したんですよ、逃亡者ですねぇ。ハイ、デビット・ジャンセンです。さびしい顔、してましたねぇ。追われる人の表情、うまく出していましたねぇ。しびれますねぇ。1993年のリメークではハリソン・フォードが主演していましたねぇ。ちょっと雰囲気が違いましたねぇ。この逃亡者のドラマの最後がどうなるか、それはみなさん、映画を観てのお楽しみですよ。ハイ、それでは、サイナラ、サイナラ、サイナラ』ってね。 しかしな、これな、あんまり受けませんでしたわ。 長すぎたんですわ。それに我輩の仲間な、ヨドガワさんを知りませんねん。 けどな、これな、オトンには受けたんでっせ。『映画って本当にいいもんですね』ってバージョンもありまんねん。 えっ、エエ画の話は、もう、エエってですか? そんでな、次にな、ヒダの奴がな、ギフ弁ちゅうか、ナゴヤ弁で言うたんでっせ。 あの口下手のヒダがでっせ。 『おミャーさんた、ドエリャアことがおきたでナモ。オソギャーで、イカンわ。冨士山がヨー、ケサヨー、ヒィー吹いてヨー、飛行機にはヨー、エーキ ョ―がニャーと言っとらっせるでナモ。死んでまった人はヨー、おらんでナモ。みんな逃げんさったでナモ。そんで、次のキャーのニュースも見てチョーよ。えっ、ワテかね?ミナミだがね。トシアキだがね。テイキ ョ―は「エビ・フリャ-もあるでヨー」のアツタ食品だがね。トロイこと言っとったらアカンでね。』 これね、ちょっと受けたんですよ。でもね、ナンブの奴が、よう分からん言うんですよ。 それでね、ナンブの番になってね。あいつがね、こう言うたんですわ。 『オバンでガス。オラ、オッタマゲターでガス。スンズリ・カエッタース。スズサンがスンカスナスったダト。ヘーッコがスラにあがったんダドモ、へコーキはモンダーナーでガス。スンだシトさ、イネーでガス。にげたシトさ、ばっかダー。ダバ、ヌースみてケロや。』と言ったんですよ。 メチャ受けでんがな。 みんなが何のことか理解できんゆうてね。 どこの国の言葉だって。我輩ら2世やから、お互いにオカンの国のことばで理解し合えまんのやけど、ナンブのオトンの国の言葉はよくワカンネーナ。 あれっ、ナンブの言葉がうつってしまいましたがな。 そんでね、いつもはその会に参加してもね、隅におるサツマの奴にね、オトンの国の言葉では、どう言うかって聞いたんですわ。そしたらね、あいつのオトンの国ではオスはあんまりじゃべらん、と言いますのや。 エエから言ってみぃ、ちゅうたらね。 『オイドンは、びっくりしたでゴワス。富士サンが、火ば吹いチョルとモースとでゴワス。桜島と同じでゴワス。空とぶ黒船は問題ナカ。タミも問題ナカ。西郷ドンば殺した維新は間違っとるでゴワス。』って何か意味のよう分からんこと言うんですわ。 おもろい奴でっしゃろ。 でね、その時ね、トーキョーに行ったことがあるちゅう奴がいましてね。 シンシュウ出身のモトチジオって言いまんのや、そいつ。 トウキョウでは『ひ』と『し』が入れ替わるちゅうんですわ。 『火の用心』を『シのヨウジン』て言うんですって。 そんで『火の後始末』は『シのアトヒマツ』って言うんですって。 あれっ、ヒマツといえば我輩の『飛沫』があんさんの足にかかりましたか? 我輩な、分からんようにしたつもりやけど。最近な、緩んでまんのや。 ちょっと年やさかい。カンニンやで。 我輩らもな、友達と会うとな『ケツアツ』やとか、『トウニゥウ』やとか、『ニゥウサン』やって言うてな、会話が始まりますんでっせ。 あんさんの同窓会も同じやってですか。 えっ、『ケツアツ』が牛にもあるのかって? 『穴(ケツ)圧』でっせ。 わてら牛はケツ圧が大事でんねん。食事の場所取るにも、フンギリするにもケツ圧が必要やがな。 お尻フリフリちゅうやつでんがな。 『糖尿』?違いまんがな。『ニョウ』やのうて『ニュウ』でんがな、『糖乳』でんがな。 メスさんたちな、乳の中なの糖分を気にしてまんのや。 高う売れるかどうか糖乳値によって決まるさかいな。 イマドキのな、若いもんな、ダイエットやゆうで、あんまり糖分を採らんのでっせ。 何考えてるかよう分からんわ。 えっ、日本でも喫茶店で出る砂糖は2gか4g入りですって? インドはまだ8gが主体なんとちゃいまっか、砂糖な、生産国はブラジル、インド、中国、タイの順でっせ。 ブラジルは中国の3倍、インドは同じく2倍ありまんのや。 そんで消費国はな、インド、中国、ブラジルですねん。 インドな、減産してもうて輸入国になってまんのや。 これから砂糖も世界の商売になりまっせ。 食いモンが商売になりまっせ。そんなら『ニュウサン』は『乳酸』か一杯に2袋て? 近う、おま。でも違いまんねん、『乳三』でんな。 […]

シンゴ旅日記ジャカルタ編(4)  巨大都市開発メイカルタの巻

メイカルタの巻 (2017年9月記) テレビの前のみなさん、こんにちは、報道特集『火を吹く小ドラゴンたち』の時間です。 この番組では活気あふれるアジアの国々の発展の模様を個別のプロジェクトを通して検証して行こうとする番組です。 第一回目の中国のレンタル自転車市場、二回目のシンガポールの観光事情に続き、今回はインドネシアから大型都市開発をお伝えします。 中国は日本を抜いてGDPで世界第二位の国となり、援助される国から援助する国へと大きく変貌しました。また、シンガポールは何も資源のない島国から、今では一人当たりのGDPが日本を追い抜きました。 かつて発展途上国といわれていたアジアの国々が日本を追い越し、あるいは間もなく追いつこうとしているその裏側には、その国々に合った政府の対策、民間の努力があると思います。 インドネシアもかつては石油、ガスの輸出により貿易が成り立っていましたが、現在ではそのころとは様変わりです。今ではOPECのメンバーではなく、石油ガス以外の輸出により貿易黒字を計上するまでになりました。 今回は首都ジャカルタから離れたチカランという町で建設中の巨大都市に焦点を当ててみました。 かつてアジアの国ぐには日本を先頭にして発展していく雁行経済と呼ばれたことがあります。 しかし、今では失われた20年の日本よりも、世界の大国となった中国がアジアの国々に大きな影響を与えています。それで、この番組では一帯一路という名目で経済圏構想を打ち出した中国を竜の親と見立て、アジアの国々をその影響を受けている小さな竜に見立たてて実情を報告していくものです。 では早速現地からの報告をごらんください。 MG5テレビのジャカルタ支局の草刈正雄です。 私は今、建設用クレーンが数多く立ち並んでいる工事現場に来ています。 ここはジャカルタから高速道路に乗って東に40kmほど走ったチカランという田舎です。 このあたりには日本の商社が中心になり開発したいくつかの工業団地があり、インドネシア産業に大きなウエートを占めている地域なのです。それらの工業団地にはトヨタ自動車をはじめとする日本、韓国、そして欧米の自動車メーカー、その下請け、そのほか電気、電子、機械、食品そして化粧品で有名なマンダム社などあらゆる企業が進出してきています。(あっ、いけないスポンサーは資生堂だった。) 工業団地で働く人たちは現地の人も、駐在員の方も一部はブカシやチカランに住んでおられますが、まだジャカルタから朝晩の混雑にも負けず二時間、三時間と時間をかけて通勤されています。 そんな中、ブカシ近辺の将来の発展、人口の増加を見越して巨大都市を目指して建設が始まったプロジェクトがあります。その巨大都市名はメイカルタといいます。 メイカルタはインドネシアで第7位の華人財閥であるリッポー・グループが開発主体です。 リッポー・グループは1929年にマランで生まれた華人のモフタル・リアディ氏が1948年にリッポーバンクを設立したのが始まりです。そして同氏はブアナバンク、パニンバンクで銀行家として名を上げていきました。1975年に当時インドネシアで最大の華人財閥であったサリム・グループ総帥のスドノ・サリム氏の誘いでバンク・セントラル・アジア、通称BCAの共同経営者となりました。 モフタル氏は1990年の円満退社まで頭取として腕をふるい、BCAをインドネシア最大の民間銀行に育て上げました。しかし、リッポーバンクは2009年のアジア通貨危機のあと他の銀行に合併されました。しかし、モフタル氏の息子世代がビジネスを引きついて事業を拡大させていきました。 長男のアンドリュー氏はシンガポールや香港で不動産事業を成長させ、次男のジェームス氏がグループの社長としてインドネシアを担当し、不動産事業を中心として、メディア、通信、小売、医療、教育など多くの事業に参入しています。 また、インドネシア最大の小売り店であるマタハリ・モールはリッポーが展開しています。 そのリッポーは1990年にチカランに最初の工業団地リッポーチカランを完成させ、1994年にはジャカルタの西のバンテン州タンゲランのカラワチに、さらに南スラウェシ、ボゴールなどへと開発の足をのばしまして行きました。2007年には韓国に進出、さらに香港にもリッポーセンターという超高層ビルを所有しています。 そしてチカランでは工業団地ばかりでなく、牧場、ホテル、娯楽、ショッピング。モールなど様々な事業を展開しています。そしてついに二年前の2015年に、ここチカランに東南アジア最大で、かつ美しい、理想の都市の実現を目指してメイカルタを建設することを発表したのです。 なお、メイカルタのメイは創始者のモルタル氏の奥様の名前から名付けられたと聞いて言います。 このメイカルタの工事現場は私が赴任してきた昨年の11月は、まだのどかな田圃風景で、水田が広がり、なだらかな斜面では牛たちが草を食べていたところでした。 それが今年の5月ころからタンクローリーにコンクリートを積む設備が急にでき上がり、一般道路路の両側にメイカルタの完成図の写真を大きく張り付けた派手な塀に囲まれていきました。 そしてこの工事現場にはMという文字の入った大きなバルーンが所狭しと無数に上がっているのです。今回、私はその工事現場に入ることができました、できましたというより、工事中にも拘わらず、一部完成した場所には一般の人も自由に出入りすることができるのです。 リッポーグループが今年5月に発表したこの巨大都市の構想は次のとおりです。 今から20年以内にブカシ、カラワンなどジャカルタの東部首都圏の人口が2千万人規模となる。そうなると過密都市ジャカルタでは渋滞、住居不足に陥るのでその解決策としてチカランに最終的には投資総額278兆ルピア、約2.3兆円の大規模なニュータウンを建設する。その第一段階として3年の計画で200万人が住むための40万戸の住居の建築を始める。さらに長期的には40兆ルピア、約3.3千億円を投資して国際空港を、23兆ルピア、約2千億円d絵モノレールを建設するとしています。この8月末現在でまだ建設中の住宅が13万戸予約済となったとの発表がありました。 この巨大都市の面積は最終的に5、000Ha、東京ドーム約1000個分ともいわれますが、現場の事務所で確認したところ、三菱商事が当初計画していたオレンジ・カウンティという商業施設とその周辺の土地500Haが第一期の開発面積のようです。 それにしても工事現場の広さと建設機器の多さには圧倒されます。 私は今、番組の冒頭で紹介した現場から車で10分ほど離れた小高い丘の上に登ってきました。 ここから眺めると、辺り一体にすべてMの文字の入ったバルーンが浮き上がり、まるでおとぎの国のキノコにかこまれているような錯覚におちいります。 そして、ここでも工事現場には数多くの建設クレーンが立ち並び、忙しくタンクローリーが行きかい、作業者が立ち働き、工事現場を囲った塀にある数か所の入り口では守衛さんローリーが早く出入りできるように一般道路の車の通行の整理をしています。 このメイカルタには商業、住宅、文教地区だけでなく、東京ドームの約40倍もの広さをもつ広大な公園がつくられる予定で、その予定地にはすでに大きな池が出来上がっているのです。 では、その公園に行ってみましょう。はい、ここがその大きな池のある広い公園です。 この池の周りには、ごらんのようにすでに大きな木々やきれいな草花が植えられて、一般の人々が散策を楽しんでいます。とても日本の建設現場では考えられない風景です。 この公園には休日には朝から家族連れの人々散歩を楽しみ、平日の夕方には池の回りのベンチで夕涼みをしたりしている風景が見られます。また、そんな人々を当て込んで、食べものを売る車も来ています。 私が工事現場を取材中していた時に、東南アジア各国に長く駐在したことがあるという年配の日本人の方に出合いました。その人の話では、このような大規模な工事現場はかつて見たことがない、あえていうならば1970年代のシンガポールのジュロンの工業団地の建設現場を思い出す程度であるとのことでした。 ここでの工事は昼間ばかりでなく夜を通して行われています。私は夜の工事現場にも行ってみました。そこでは暗い空に建設クレーンのアームにいくつかの灯りが点き美しい光景を写しだしていました。日本ではかつて工場夜景クルーズとい工業地帯の工場エリアの夜景を船上から見学するツアーがありましたが、メイカルタの夜景もそれに勝るとも劣らないくらいの迫力があります。 私にはまるで夜の造船所かコンテナヤードのような風景にみえました。中には灯りが点いたまま動いているクレーンや、土を運ぶトラックが出入りしているところもありました。 また、昼間に訪れたた公園に行ってみると、そこにはベンチに座っているカップルたちがいました。 驚きました。インドネシアのある地域では夜9時を過ぎて歩いている男女は結婚しなければならないといった規則があると聞いています。ここチカランにはその規則が適用されているのでしょうか。 それでは最後になりましたが、リッポーが発表しているメイカルタの完成予想図をご紹介します。 (取材の合間に)私は空高く浮かぶバルーン見ていて、一体どれくらいの力で浮いているのか知りたく思い、バルーンに近づき固定している紐を引っ張ってみました。かなりの力で浮いています。数個をまとめれば私が宙に浮いてしまうような感じでした。取材のため使用した車の運転手も、公園内の写真を撮ったり私と風船で戯れたりしました。

シンゴ旅日記インド編(81)我輩は牛でんねん 三位一体の巻

我輩は牛でんねん 三位一体の巻(2010年9月記) 今日は日曜日やけど、『ギフのオッサン』の匂いが、まだせえへんなあ。 きっと、どっかへ仕事で出かけてはるんやろか。 でもな、日本ちゅう国いうたら考えてみたら不思議な国やな。 言葉は一つやけど、文字が三つもあるやないか。 カンジやろ、ヒラ・ガナやろ、それにカタ・カナや。 ひとつの言葉で三つの文字を使う国って世界にあるんかいな。 それもやで、ヒラ・ガナとカタ・カナはカンジから生まれたちゅうやないか。 不思議な話やな、例えば、オトンがカンジなら我輩と弟がヒラ・ガナとカタ・カナちゅうわけやな。 そしたらオカンはなんや、カンジやのうてイクジか? グフッ、あかん、自分でシャレゆうて自分で笑うてもた。 オトン言うたらな、日本の言葉のことをよう知っとるで。 当たり前か、日本生まれやもんな、それもメイジ生まれやで。 ブンメイ・カイカやフコク・セイメイ、ちゃうわ、シバタ・キョウヘイ、これもちゃうわ、そうやフコク・キョウヘイやった。 そんで英語も中国語も韓国語も少しづつやけどできるんやて、コーベちゅう街はいろんな国のヒトがおるんで知らんうちに覚えたとゆうとったわ。 そんで英語も中国語も一つの言葉で一つの文字やねんて。 韓国語はな、昔は漢字とハングルを一緒に使っとった時があったけどな、今はハングルに統一されたちゅうとったな。 よそさんの国のヒトから見たら、日本の三つの文字をな、どうやって使い分けるのか不思議でたまらんやろな。 どうゆう時がヒラ・ガナで、どうゆう時がカタ・カナでとか、きっとその時のカンジで使うんやろか。 あかん、これもひとりでにシャレになっとるわ。 そういえばオトンが言うとったな、カタ・カナは、坊さんがお経を読むときに解りやすいようにカンジの一部分を取り出しでつくたんや。 ヒラ・ガナは、マンヨウ・カナゆうてな、歌を詠むときに出来たんやて。その頃のオバサン作家さんらが使って日記とかを書いとったって。 そやそや、オトンがこの前、ヒラとカタのな、元となる漢字を教えてくれたわ。 例えば最初の『あいうえお』は『安以宇衣於』、『アイウエオ』は『阿伊宇江於』から取ったってゆうで。あれっ、ヒラとカタで元のカンジが違うやないか。 そやけど、ヒラとカタがどんなカンジから出来たって日本のヒトはみんな知ってはるのやろか? あのギフのオッサンは、知らんできっと。 今度聞いたろ。今では『あいうえお』っていうけど、昔は『いろはにおへど、、、』ゆうて、なんでも『色は匂へど、、、』と詩にして詠んで覚えたそうやな。風流なもんやな、日本人て。 でもな、オカンも言うとったでイギリスにも同じようにABCの全部入った詩があるゆうて。 確か『A QUICK BROWN FOX JUMPS OVER THE LAZY DOG』ゆうとったかな。 なんでオカンは英語知っとるのやろ、オトンと付き合う前のステディがイングリッシュ・スピーキング・カントリーやったのやろか? そしたら、我輩のファーザーになるポシビリティのあったパーソン、いやブルやったかもしれんな。 そやけど、どこの国も、おもろいこと考えるんもんやな。 そんでも日本てな、世界に文字を持たん国があるのに、よう三つの文字を持っとるわな。 これって日本人のもつギジュツのシンズイやろか、他人からのモンを自分のモンにして行くちゅう。 それもな、元のモンよりエエモンにしていくちゅうんは、日本人のランプ、ちゃう、デントウやな。 なんか今日も単語がスッキリ出てこーへんな。年やろか。 でもランプとデントウって、これ受けんかなあ、あかんかなあ、インドは停電多いさかいにデントウゆうてもパッっとせえへんかなあ。 でもええわ、今度ワイン・ハーフの会でいっぺん使ってみたろ。 ギジュツいうたらな、タネガシマに流れ着いたポルトガル人が持っとった鉄砲をその数年後にはポルトガルよりもセイミツに大量生産しとったちゅうもんな。 オトンの生まれたメイジのブンメイ・カイカ、アメリカやヨーロッパからのギジュツ・ドウニュウも同じことやろうな。 カンジ、カタ・カナ、ヒラ・ガナ、これは三位一体やな。 そんでオトンなカンジにも書き方が色々あるって言うとったわ。 カンジは本家の中国ではカイショ、やギョウショやソーショやいろんな書き方があんのに、日本に来てからカブキや、ヨセや、スモウや、チョウチンや、カゴや、ヒゲや、カクやゆうて書き方を変えて行ったそうや。 これも日本のギジュツ・カイリョウやろうな。 機械でゆうたら、CDラジカセやな、 CDとラジオとカセットちゅう別々のモンの三位一体やがな。 しかし、CDゆうたらレコードとそっくりやのに、なんで針が要らへんのやろ。 あんなにちいそうてな、30cmのレコードよりも、ようさん歌が聞けるそうやないか、不思議やなあ。 そやオトンから聞いた日本の家も考えてみれば三位一体や、ツチノマとイタノマとタタミノマや。 ジョウモンとカマクラとムロマチが家の中で一体になっとるわ。 三つの間でサンノマか、何か、聞いたことあるな、サンノマ、何か、コーベと関係あるんか、サンノマ、そうや、サンノミヤやがな。 我輩、ボケとツッコミを一人でやっとるがな。 これで笑う客をやったら、お笑いの三位一体やな。 そやそや、一人でやるゆうたらな、聞いたことあるで、日本のバスの運転手な、運転して、案内して、切符を切って、一人で3人分の仕事するんやて。 なんかこれも三位一体やろか。 空港のターミナル・バスの運転手さんなんかな、手荷物も手伝って出し入れしてくれるらしいで。 運転手さん3人分の給料をもらうんやろか? それに日本人の宗教や、正月はお宮参りや、結婚はキリストさんや、そんで死んだらお寺さんやて。これも日本の宗教の三位一体や。 オトンがいうとったで、家のなかに神棚と仏壇があってな、その前でクリスマスケーキ食べとるちゅう話やて。 ヨソの国のヒトがそれ見たらどない思うんやろ。 やけど、日本のヒトって、どうやって神さんを使い分けとるんやろ。 カンジ、ヒラ・ガナ、カタ・カナと同じようなもんなんやろか。 神さんたちも大変やで、いつ自分の出番があるか準備しとらなアカンがな。 もしな、ちょっとおっちょこちょいのお釈迦さんがおってな、寝坊してな、あかん、出番や、それって出て行ったらみんなでケーキ食べとるとこやったりして。 そんで、今の三位一体ゆうたらパソコンやがな、計算だけやのうてメールも打てるしテレビも見えるし、DVDで映画も見えるし、音楽も聴けるちゅうし。 どうなるんやパソコンの将来は。 そやそや、パソコンゆうたら日本語の3つの文字をパソコンで表すんは難しい技術やったそうやな。 けどな、それを出来るようにしたんのは日本人技師やちゅう話やな。 それが出来たんで中国語もパソコン化が出来るようになったんやな。 中国のヒトは日本のヒトに感謝せなあかんがな。 すごいギジュツを持っとる国、日本やな。 今度、ギフのオッサンにおうたら尊敬せなアカンな。 でもあのオッサンはパソコンは文章しか打てません、エクセルは難しゅうおす、パワーポイント、ビジオはお手上げでちゅう顔してはるな。 とても日本を代表するようなギジュツを持っとるように思えんけどな。 あれっ、オッサンがいますがな。 あんなとこで立ってオートを待ってまんがな。 ちょっと行ってからかってこ。オッサン、オッサン。今日もスーパーで買い物でっか。 今日は何を買いはったんでっか?ラーメン? 何ですのそれ。メンやて。オンはどうしはりました? シャレかそれはってですか? そうです。シャレです。(いちいちシャレか、そうやないか言わなアカンのかいな。) そんで、ラーメンがどないしはりましたん? えっ、日本から持って来たインスタント・ラーメンが切れたんで、買いに来たってですか? それでありましたんかいな? あったけど、日本で食べとったモンはなかってですか、ニッシンのベジとノンベジがあったのでそれを買ったんですって。 そのほかにも韓国のラーメンやうどん、タイや中国のメン類があったってですか? あんさんな、どんなラーメンが好きなんですか。 ミソ・ラーメン、ショウユ・ラーメンにモヤシ・ラーメンですって。 それって材料は何ですの? 全部大豆やて、そうしたらラーメンの三味一体でんな。 えっ、他にもマーボー・トーフ・ラーメンが好きやってですか。 そして、それも大豆が原料やってですか? そしたらラーメンの四味一体ですわな。 (なんか、落語のオチみたいやな、まんじゅうこわいみたいやわ。 けどもやな、何でインドにラーメンがないんやろか? こんなけ、小麦もお米も取れる国やのに。なぜかラーメンでは中国に負けまんがな。 うどんでは日本に負けまんがな。スパゲッティではあのイタリアに負けまんがな、 まあ、ええわ、我輩は時間あるよってにゆっくりと考えたろ。) 丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(3)  インドネシアのお墓の巻

インドネシアのお墓の巻 (2017年8月記) ジャカルタから高速道路で東に向かうと日系商社各社が開発した工業団地群があります。 その中の一つの工業団地に隣接して大きな霊園が二つあります。 一つは中国人とキリスト教徒の霊園、もう一つはキリスト教徒とイスラム教徒の霊園です。 そして工業団地からは霊園の側に抜けるゲートがあり、いつもは閉まっているのですが、午後4時からはラッシュアワーを緩和するために解放されています。 ポチョン ある日、工業団地のお客様を訪問した後で、墓地に抜けるゲートを通って帰ろうとすると、そこには私設の通行税徴収者がお金を入れる缶を持ち、その側には白い布に身を包んだ人が立っていました。 私は運転手に聞きました。 私       : あの白い布を被った人は何ですか。 運転手 : ポチョンです。 私       : ポチョン? 運転手 : イスラム教では人が亡くなると、服を脱がされ、白い布で体をくるむのです。 頭の上の布を紐で結び、体と足は紐で縛ります。 私       : どうして裸なの? 運転手 : 人は生まれた時も裸で、死ぬ時も裸だからです。 私        : イスラム教もキリスト教と同じで、死んでもいつか神様が助けに来るんだよね、 運転手 : そうです。 私       : その時に、裸ではカッコ悪いんじゃないの。神様が服や靴を買ってくれるの? 運転手  : ..... その時はそんな会話をしただけでしたが、私はそれらの霊園に行って見たくなりました。 ある土曜日にその工業団地での客先との打合せが午前中で終わったので、私は運転手にこの前見た霊園の横を通ろうといいました。すると、運転手は霊園の中に入れますよというのです。それで霊園をゆっくりと見学することにしました。まずは中国人とキリスト教徒の霊園です。 私       : 昔の中国の葬式ではお金をお墓に埋めたりしたんだよ。 運転手 : そうです、だから昔は中国人のお墓がお金目当てで荒らされたことがあります。 イスラム教では死人は頭を北に、足を南に向けて置く姿勢をとります。 そして、右の頬を地面に付けるのです。 私        : 頬を地面って、棺桶に入れるんじゃないの? 運転手 : イスラムでは棺桶はありません。 私        : 頭が北で右頬を地面に付けるってことは、西を向くってことだね。 それはメッカの方角だからなの? 運転手  : そうです。イスラム教の中心はメッカなのです。 私        : じゃあ、メッカの西にあるアフリカの人は左頬を地面に付けることになるね。 運転手 : (自身なさげに)そうです。 私        : じゃあ、ロシアのイスラム教徒はどうするの?頭は西の方角それとも東の方角? 運転手 :.... 私たちは車を降りて広場のような墓地を歩きました。私はスマホを取り出してコンパスのアプリで方角を確認すると、確かにイスラム教のお墓は長手方向が南北になっていました。 私        : あれっ、この人は1985年に亡くなったと書いてあるよ。 でも、その頃に、ここの墓地はなかったんじゃない。 運転手  : 昔は人が死ぬと家の近くに埋めました。引っ越しするときはそこを掘り起こして土を持っ て新しい土地に行って埋めました。きっと、これもそうしたのでしょう。 私        :でも、死んだ人を棺桶に入れないで土に埋めると、息苦しいよね。 運転手 :(私の冗談を無視して)イスラム教はそのまま土をかぶせますから、お墓が低いのです。 私        : ヘェー、 運転手 : 見てください、イスラム教のお墓が同じ向きに並んでいるでしょう。 あちらのキリスト教のお墓は向きがバラバラです。 私        : なるほと。 運転手 : あっ、この人は大金持ちのひとです。 私        : なぜわかるの。 運転手 : この人の家族の名前が有名なお金持ちの一族だからです。 私は彼からこのほかにイスラム教では亡くなると一週間は家族がみそぎをすること、40日間はお祈りしたりすること、イスラム教でも死ねばそれきりと言った宗派があることを聞いたりしました。 また、お墓に花を蒔いてその花が萎れるまではなんとかであると聞いたのですが、忘れました。 2.中国式のお墓 華僑のお墓は中国式とキリスト教式の二種類があります。中国式の墓碑は中国語だけでなく、英語、インドネシア語で書いてあったり、ミックスして書いてあるものがあります。 どの墓石にも漢字で「金玉満堂」の表現がありました。 その意味が分からなかったのでアパートに帰ってから調べると「きんぎょくまんどう」と読み、「財産が蔵にたくさん集まるように」という願い事でした。 ちなみに、中国人のお店でよく見る逆さの「福」の字は、中国語で「福倒了」(福が逆さ)と言い、その発音が「福到了」(福来たる)と同じとなり、これまた「福が来ますように」というシャレになっているそうです。 他にも「母徳如山重」、「親恩以海深」、「子孫前世澤」「孫可継家聲」とか感謝の言葉や願い事がたくさん書いてありました。 また、日本のお墓でも夫婦が同じ墓石に名前を入れる場合、亡くなっていない方は朱色としますが、それと同じものもありました。 華僑のキリスト教式墓地では、聖書の一説が漢字とインドネシア語書いてある石碑が多くありました。イスラム教の墓石は生年月日と没年月日そして出身地と亡くなった土地だけでしたが、華僑の墓石にはそのほかに子や、孫、外孫まで掘ってあるものもありました。 余談: 寝仏 お釈迦様が涅槃に入る時の姿を仏像にしたものが寝仏像です。 その眠る姿勢は右胸を下にするでしょうか、左胸を下にするのでしょうか? 私の知っているタイの寝仏はほとんどが右胸を下にしていました。 ですから、お釈迦様は心臓が悪かったので左胸を上にして、血液を体に回りやすくしているのだと私は皆に冗談で説明していました。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(80)我輩は牛でんねん 円高ドル安の巻

我輩は牛でんねん 円高ドル安の巻 (2010年9月記) いつもやったら、この時間にあのギフのおっさんがここら辺を通るンやけど、今日は見かけんなあー。 あのおっさん、休みの日に一人でカメラ下げてブラプラしてはるけど、大丈夫なんやろか? うちでヨメさんが待ってるんとちがうんやろか? でも、いつもリュック背負っ取るか、買い物袋下げとるから、きっとヨメさんにちょっとスーパー行ってコオーて来てチョウダイって、優しくコキ使われてれてるんのやろな。 でも、あのおっさんな、ギフのヒトやからあんまりパッとせんな。 言葉も顔もはっきりせんし、カンサイ弁とナゴヤ弁の混じった日本語を話しとるし、日本語の基本が出来ておらんとちゃうかなあ? オトンが言っとったでギフ出身のな、芸能人は昔からあんまりおらんて。 あの若いノグチ・ゴローくらいやないかって? もう、若くないのかなあ。 でもデビュー曲は『博多みれん』らしいなあ。 いつから東京の私鉄の駅の改札口で待っとるようになったんやろ。 落語家でもギフ出身のヒトの名前聞いたことないって言うとったわ。 エンラクの跡継ぎを争ったエンジョーはナゴヤ出身やてな。 なんでギフ出身の有名なヒトおらへんのやろ? ギフの言葉が邪魔するのやろか?   あれっ、噂をすれば何とかや、オッサン、歩いとるがな。 いつものガニマタで、こっちに来たがな。 おーい、ギフのオッサン、ここやで、我輩や。オッサン。 えっ、あんまり、オッサン、オッサンと呼ぶなって、恥ずかしいやないかってですか? そんで、大声出して他のヒトに怪しまれないかってですか? 大丈夫でんがな、テレパシーでんがな、誰も気付づかへんで。 ただ我輩がな、あんさんの近くで口をモグモグ動かしとるくらいにか見えませんで。 あんさん、今日もたくさん買い物袋をブラ下げて、どないしたんでっか。 えっ、この先のスーパーで一週間分の買い物したんですってか、ホ~ン。 あんさんとこ、メイドさん、おらんのかいな。 ヨメさんからアナタ、たくさんコオーて来てチョウダイって優しく言われてまんのか? えっ、タンシン・フニンやって。 ブフッ、そりゃ、あんさん、タンシンではニンシンできませんやろ。 違うって?一人で住んどることをタンシン・フニンて言うんでっか。 ヘェー、きょうび、そんな言葉があるんやな。 知らんかったわ、覚えてこ。 今日は何や、エロー、浮かん顔してはりまんな、どないしましたんや。 えっ、エンダカで困っとるってですか? 自動車レースですか?あのアフリカの?それはパリダカやってですか? じゃあ、何でんねん、聞いてもエンダカ? えっ、冗談を言うなってですか。 そんで、85を切ったってでっか、よろしいおすがな、85切ったんでしゃろ。 体重ですか?ウエストですか、それともゴルフでっか? えっ、タワケってですか?なんです?そのタワケって。 田舎の言葉でアホちゅうことやってですか? へぇー、おもろい言葉でんな。 そんで、85を切ったエンダガがどうしていけませんのや? えっ、日本から輸出する設備が高うなって、売れへんようになるからやってですっか? 何ででっか、設備は設備やないですか? 日本とアメリカは、お金の種類が違うからやってですか。 そんで昔は一ドルが360円やったのに今は80円やってですか。 あんさん、ちょっと待っておくんなはれや。 そんなアホな、そうやったら安うなっとるやないですか? 360円から80円ですやろ。 お金を使わん我輩でも分かりまっせ。 あれっ、また、タワケって言いましたな?(もう、訳のわからん言葉は止めて欲しいわ、タワケ、タワケって我輩はワケノキヨマロか? (誰やねん、このキヨマロってヒト?自分で言っといて誰のことやわからへんわ。) 何ですか? 1ドルが360円から80円に安うなったということは、逆に円が高くなったということやってですか?ほんならドル安と言うのとちゃいまっか? そうとも言うってですか。 なんかもったいつけはるな、あんさん。 そんなら一ドルが何ぼや言うて、ドル相場やーって言うべきやないですか? オトンが言ってましたで、米相場ちゅうんはお米がいくらや、小豆相場ちゅうのは小豆がいくらやって言うもんやったって。 1ドルが85円やってゆうなら、そりゃドル相場ちゅうもんですがな。 円相場って言うんでしたら1円が0,012ドルと、アカン、これやとあんまりコンマイんで、100円が1ドル20セントとか言うべきでっせ。 えっ、そんなにオレを責めるなって、日本では新聞、テレビでは円相場と言うたら一ドルがなんぼやって言うとるてですか。おかしな国ですねえ。 なんでエンダカになるんでっか、アメリカと中国のせいやってですか? アメリカのファンドが円を買っとるんでっか、中国がようけある外貨をドルから円に換えとるんですか? 何ですか?そのファンタちゅうの、ジュースちゃいまんのか? ド・タワケってですか?何ですノン、そのド・タワケって? えっ、関西でいうとド・アホちゅう意味ですって。 あーびっくりした。フランス語かと思ったわ。 そんで、ファンドちゅうもんは、お金持ちから、お金を集めてバクチ打つヒトたち、やってですか? 悪いヒトでんな、まるでヤクザでんがな。同じようなモンやてですか、ホ~ン。 そんでファンドが今一番安全なのは円やからドルを売って円を買っておるんですってか? お金でお金が買えるんでっか、お金で買うのはモノとちがいまんのか? あんさん、またド・タワケっていわはりましたな。 かなわんなー、あんさんの田舎の言葉でタワケ、ド・タワケって言われると、我輩にはホンマもんのアホのように聞こえまんのや。 お前はサカタやって言われてるような気がしますんや。 分かりまっか、このシャレ?知っとるけど、笑えんてですか? そうやそうや、カントーの仲間はな、反対のことを言ってましたわ、アホって言われると本当のバカ呼ばわりされてるみたいで、気ィ悪るーするて。 あのな、でもな、カンサイ生まれにとってはな、アホちゅう言葉はな、半分褒め言葉なんやて。 ワテもアホやけど、あんさんもアホやなーちゅう思いやりちゅうか、愛情が入ってまんのやで。 タワケって言われるとな、愛情ゼロ、憎しみ100ちゅうもんでんがな。 えっ、わかったから、話を戻せってですか? モー、どこまで話したか忘れてしモーたわ。エーと、モーどうでもエエわ、 そやけど、なんで中国が円を買うんでっか? えっ、買うのは円やないって、日本の国債を買っとるんやってですか? どうしてでっか? 中国はぎょうさん持っとるドルを使こうて、中国の元が高くなっとるんで、競争力を取り戻すために円をこうて円高にするんやってですか? ホ~ン。ようわかりませんわ、そやけどな、アメリカと中国が円を買うっちゅうことは、円に魅力がありまんのやろな。 日本ってそんなに景気がエエんでっか、金利が高いんでっか? えっ、景気はさっぱりワヤ、金利は無いも同然ですってか? そんでも、アメリカも中国も円を買わはるんですか? えっ『トーキ』ですって、それって、セラミックでっか?セトでっか?イマリでっか?マイセンでっか? ちがう『スペキュレーション』やってですか? よう、わかりませんなあ、おかしいんとちゃいまっかコーラの考えは。(これ、ファンタをコーラゆうて外したけど、おっさんの反応があらへんな、よっぽど、エンダカで困っとんやな、よっしゃ、励ましたろ) そんでも、エンダカやったらエエんとちゃいまっか、あんさんのお給金が増えるんやないですか? えっ、何でっか、給料はルピーでもらっとるんで、エンダカは損やてですか?(あかん、おっさん、もっと沈んでしもた。) えっ、おもろないから、話題を変えるってですか? おかしいといえば、NHKの海外放送の『海外安全情報』ちゅう外務省の番組がおかしいってですか?あんさん、急にコロッと話題が変わりますなあ。 忍者ですか?歌舞伎ですか?ミカワ・ケンイチですか?(あれっ、これって前にも言うたような気がするな。 おっさんが気付かん内にごまかそっと。)あんさん、ついてけませんで、我輩は。 何ですかNHKとかの番組は? バンコクにおるとき見とったテレビのミニ番組やけど、その内容は、どこどこで暴動があったんで行ったらアブナイとか、どこどこで病気が流行っているからアブナイいんで気をつけて下さいとか、どこどこの町は渡航者へのひったくりが多いんでアブナイから気を付けて下さいという世界アブナイ情報をやってるんですってか? そんで、そんなら『海外危険情報』に名前を変えろってですか? そりゃそうですわな。 我輩もな、おかしいゆうたらな。知ってまっか、インドもケイタイがよーけ増えてきましてな。 えっ、我輩の話が急に飛んでるってですか? そうかなあ。そうは思わんけどね。 そんでね、インドはケイタイが多いでっしゃろ。 歩いてるヒトも、チャイを飲んでるヒトも、車を運転してるヒトも、見てみなはれ、ラクダに乗ったヒトまでケイタイしてまんがな。 […]

シンゴ旅日記インド編(79)我輩は牛でんねん インドの祭りの巻

我輩は牛でんねん インドの祭りの巻 (2010年9月記) あんさん、なんか楽しそうに写真撮ってまんな。 そりゃ、今週からガネーシャ祭りやもんね、プネの一番大きな祭りやもんね。 写真のネタは一杯ありますもんね。 これから、それを見に行こうちゅうわけですか。 えっ、ちゃうってですか? エエ時に来たってですか? まあ、オレの、オレの話を聞けーってですか(どっかで聞いたことあるな、このフレーズ) そんで、何でんのん? えっ、この前の朝に会社に行く前にアパートのドアを強くたたくモンがおるんで誰やろうナー、チェンナイに帰っておった運転手が一日早よう帰ってきたのかなあと思ってドアを開けたんですか。 そしたら、いつも車を洗ってくれる子供が、二人でなんか寄付帳みたいなモンを見せて叫んでおったちゅうんですか、そんで言葉がわからへんからゆうて、ドアを閉めようとしたら、ちょっと待って、ちょっと待ってと言われて、手振り身振りでアパートで飾るガネーシャ祭りの寄付をくれって言うとることが、わかったちゅうんですか?ホ~ン。 そんで、あんさんが英語のわかる運転手が明日帰って来るから明日にしてくれゆうてもTwo Daysとか何とか言って立ち去らんかったってですか? ホ~ン、そんで、あんさんはこれが噂のガネーシャの寄付かと思ったんで、覚悟したってですか? そんで寄付するからその寄付帳を見せてくれ言うて、他の人がいくら払ったかを見たちゅうんですか、ホ~ン。 そんで、子供達は洗車料金と同じ300ルピーやと言ったけど、寄付帳どのページも100ルピーと書いてあったんで、それでエエと思って100ルピーを払ったってですか、ホ~ン。 あんさん、ケチでんな。そんで二人が帰った後に、受け取った領収書とも絵葉書ともつかぬガネーシャの絵を見とったらどっかでみたことあるなって思い出したんちゅうんですか? 何をですか?それは前任者から貰ったアパートの電話電気水道の領収書の箱の中に同じモンを見たことあるってですか? そんで、その箱を捜して、中を引っ掻き回して、領収書を見つけて、見てみたら前任者は300ルピー支払っておったってですか? あんさん、やっぱり、ケチやわ、そんなモン、思い切って払わないかんがな。 ガネーシャさんな、お金を持ってくる神さんやさかい、あんさんはケチなやっちゃちゅうて、お金を持って来てくれませんで。 えっ、まだ アパートのガネーシャ祭りの領収書続きがあるから聞けってですか? あんさん、今日は、ようけ、じゃべりなはるなあ。 そんで、その日に会社に行ったら、町内会みたいなヒトがガネーシャ祭りの寄付を集めに来て、会社の経理のヒトが500ルピー払ってエエかって聞いてきたんで、会社のお金やからエエヨゆうて払ったってですか? そんで、あんさんが、その金額は町内でどのくらいのランクやって、スタッフを通して町内会の集金のヒトに聞いたら、一番多い金額でチェアマンと同じだったってですか? 良かったやないですか、一番で。 でも、そのチェアマンって誰ですねん? 町内会長みたいなヒトやろってですか? エエ加減なヒトやな、あんさん。 えっ、そしたら、自分はアパートで100ルピー、会社で500ルピーやから全部で600ルピー払ったことになるからガネーシャさんがお金運んでくれるかなあ、ってですか? あんさん、500ルピーは会社のお金でっせ。 やっぱり、あかんわ、ガネーシャさんな、あんさんのことをきっと無視しなはるで。 えっ、それにしてもこの街はガネーシャ祭りが盛んやなあってですか? そうでんがな。このマハラシュトラ州ゆうたらな、ガネーシャさんのお寺が多いんで有名やがな。 そんで、毎年盛大にガネーシャさんの祭りがあるんでっせ。 今年はこの9月の半ばからでっせ。プネの町中がその祭りで盛り上がるんでっせ。 インド中からヒトが来まんのやで。 そんでみんなの家でもガネーシャさんの像を飾って川に流すんですがな。 いや、ちゃう、今は川が汚れる、カンキョウ・ホゴやゆうて川に流さへんのやわ。 町で飾る大きな像は一旦川に沈めるんやけどな、また川から引き上げて処分するんですわ。 そんで家で飾るちっちゃいガネーシャさんはな、町内で回収しまんのやで。 そんでな、ムンバイなんか、もっと豪勢でっせ。 海に流しますんやで、みんなして、一回見に行かはったらええわ。 えっ、そんでガネーシャさんて何やて? 知りまへんか?頭が象さんで体が人間の形した神さん? ほれ、見てみなはれ、あれでんがな、あそこの通りの両側に店がでてガネーシャさんを売ってはるやろ。 えっ、何ですって? なんか日本の年末のシメ・カザリやマツ・カザリを売っている風景みたいやってですか? 何ですのん、そのマツザカリって、我輩のニイサンのマツザカと関係ありまっか? それとも、お酒の名前でか、ニホン・ザカリ、キク・ザカリ、ナダノ・キイッポンちゅうて、オトンが昔な、ようけ飲まされたちゅうてましたで、それも一升瓶で。 そんで、お酒強うなったけど、インドに来てから、全然飲ませてくれへんもんで、さっぱりワヤや言うてまんねん。 そやけどあんさん、ガネーシャ祭りを見に行かんのでっか? えっ、会社のヒトが車では祭りを見に行けません、車を遠いとこに停めて何十分も歩いて行かなあかんし、夜は電気が点いてきれいやけど、危ないから止めたほうがエエって言ってるちゅうんですか? それに、今は豚さんのインフルが流行っておるんで人ごみは避けたほうがよろしいっててか? 残念やね。まあ、来年でも見に行きなはれ。 祭りゆうたらな、インドはな、8月の終わりからな、お祭りが続きますんやで。 8月の終わりのラクシャ・バンダンでっしゃろ。 それは何やてですか? ココナッツ・デイとも言われる祭りですわ。 今年は8月24日でしたねん。 男のヒトが腕に糸の紐飾りしてはるの見ましたやろ。 あれな女のキョウダイから男のキョウダイへ贈るんでっせ。 私を守ってくださいって意味なんやて。 何でも、昔な、戦争の時に姉妹から兄弟に私達を守って、勝って来てチョウダイゆうてな、組み紐を兄弟の手首に巻いて見送くったんやて。 その組み紐のことな、ラキっていうんでっせ。 ラッキーでんな。(あかん、このシャレ言わんとこと思ったけど、つい言ってしもたわ、けど、おっさんの反応ないわ、我輩の話を聞いておらんとちゃうか) そんで、ようけ巻いとるヒトと、何にもないヒトを見たってですか? そりゃ、ほんまモンの姉妹の他にもイトコやハトコがようけおるヒトもおるし、最近は一人っ子ちゅうて兄弟がおらんヒトもおりますがな。 そんで、その次のお祭りがガネーシャ祭りかって? ちゃいまんのやわ、そうあわてなさんな、その次はな8月30日から9月8日までキリストさんのオカンのマリアさんの生まれた日を祝う祭りがあるんですわ。 これなキリスト教徒さんの多いバンガロールやチェンナイで盛んなんや。そしてな、9月2日がクリシュナさんの誕生日でしたわ、可愛いかったでっせ、子供のころのクリシュナさん。 ほんまモンは見たことないけど。 そして大きいなってもな、モテたんでっせ。 彼女が一杯おらはってね。ヨメはんだけを愛してます我輩とえらい違いまんねん。 プネではね、町の角々でな、紐にセラミックの入れモン下げてな、みんなで組み体操みたいにしてな、その入れモンを誰が一番早よう取るか競争するんでっせ。 そんなモン簡単に取らせへんでゆうて、みんなで水掛けて邪魔しまんのや。 そんでその賞金がな、なんと、日本円で60万円も出るところがあるんでっせ。 その次のお祭りはな、9月11日からのイスラムさんの断食明けの正月や。イードル・フィトル言いまんねん。 インドはな、ヒンズーのお寺はオレンジ色の旗で、イスラムは緑色なんやで。 あそこな、奥にイスラムのモスクがあってな、表にヒンズーのお寺あるさかい、両方の旗が見えるやろ。 でもな、今な断食明けやろ、そやさかい、緑色の旗が多いんですわ。 イスラムのお正月な、これな毎年な、日にちが違うんやで。 イスラムさんな、お月さんコヨミがな。 我輩らの違うてな、毎年な、11日くらい少のうなっとるんでっせ。 イスラムは何で断食をするのかってですか? 何でもゴジラ、ちゃうわ、ヘジラちゅうて、イスラムの神さんのマホメットさんがな、メッカちゅう所に移る時の道中の苦労を忘れたらアカンでーゆうて断食するんやて。 それをな、イスラムの9番目のラマダーンちゅう月にするんやて、そんでラマダーン明けの正月っても言うんやて。 今年はな、8月11日から断食してたんやて。 そんで来年は断食の始まりが8月1日になるんやて。 でもな、断食ゆうてもおヒーが沈んだら食べてエエさかいに、逆に食べ過ぎて太るヒトがおるんやて。 おかしな話しやわな。 ヒンズー教でも一杯断食があるんやで。 例えばな、あのガネーシャさんを祀ってるヒトたちな、毎月満月から4日目は断食日やゆうて、土の上に生えてるモンは食べへんのやで。 そやそや、イスラムのヒトやったな。 インドでもイスラムのヒト多いねんで、一割以上もおるんやで。 そんでな、ガネーシャさんのお祭りや。 えっ、お前の話があっちこっちに飛んでるってですか? そんなん言うてもな、インドな、この頃祭りが多いさかいいちいち説明しきれへんのでっせ。 そんでガネーシャさんの祭りや、これな今年はイスラムの正月と同じ11日から始まるんですがな。イスラムとヒンズーとな、暦が違うけど今年は何でか11日で同じでんねん。 その日は新月やがな。 えっ、9月9日は日本でも重陽の節句いうて祝っとるんですってか? それ新月とちゃいまんのやろ。 単なる月日のゾロメのゴロあわせでっしゃろ。 33、55、そして77の次でんがな。 中国のヒトは奇数が好きで、陰陽ゆうて奇数を陽にして一番多けな数字が9やから重陽っていうんですやろ。 よう知っとるなってですか? そんなん、インドの吾輩ら牛族の常識でんがな。 そんでな、ガネーシャさんの次がドゥルガー祭りで、そんで次が一番有名なデワリやわな。 […]

シンゴ旅日記ジャカルタ編(1) ジャカルタを走る日本の通勤電車の巻

さあ、満を持してジャカルタ編の始まりです。第一回はジャカルタを走る日本の通勤電車の巻です(2017年11月・記)。 鉄道マニアでもない私がインドネシアの鉄道の駅に行き、列車の写真を撮ることになりました。 と、いうのは東京に住む友人がインドネシアの通勤電車にJR東日本(南武線)で使われていた電車が再生されて運行されているので、その列車について書いて送ってほしいとメールがあったからです。 私もジャカルタ首都圏の通勤列車がどのようになっているかは興味を持っていました。 また、この10月に路線のひとつでジャカルタからブカシまでの路線がブカシから私の住むチカランまで電化され運用されることになりました。 そのニュースを知り、一度はジャカルタの通勤列車がどんなものかを見に行こうと思っていました。 ジャカルタ首都圏通勤電車網は日本のJICAにより1980年代に計画され、円借款により電化、複線化、信号システムの導入がおこなわれてきました。 当初は新しい車両を日本やドイツから購入し、一部は国産化していたのですが、1997年のアジア通貨危機により資金が不足したり、国産車両に故障がでたりしたときに、姉妹都市であった東京都から都営地下鉄の中古車両の譲渡がなされたのです。それ以来、日本の鉄道会社から中古(廃車?)車両を購入し、再生して運用しているのです。すでに1,000両ほどの車両があると言われます。インドネシアの鉄道はオランダ時代に敷設されていたので、その上を日本の車両が走っているのです。軌間は狭軌の1067mmです。 ジャカルタ首都圏鉄道は2008年に民営化されたインドネシア国鉄の子会社のボデタベック通勤電車会社(PT KAI Commuter Jabodetabek)が運営していました。 ジャボデタベックとはジャカルタ首都圏の総称でジャカルタ、ボゴール、デポック、タンゲラン、ブカシの各都市の頭文字を組み合わせたものです。そして路線網が拡大したことにより2017年9月から社名がPT Kereta Commuter Indonesia(KCI)となりました。 その拡大した一つがブカシ線です。 ブカシ線はジャカルタ・コタ駅からブカシ駅まで運行されていたのですが、今年10月にブカシーチカラン間の18kmが電化されたのです。 チカランの駅舎も日本の援助で立派なものになりました。 しかし、現在はまだチカラン駅までの全面開通は行われておらず、日に5往復のようです。 私はこのチカラン駅にはまだ行っていませんが、友人から開所式当日の写真を送ってもらいましたのでここで紹介します。 今回、私が見に行ったのはブカシ駅の方なのです。 と、いうのは会社の運転手がチカラン駅よりもブカシ駅の方が電車が多いという助言に従ったからです。ブカシ駅は北口と南口があります。私たちは駐車場のある北口に向かいました。 車を道路脇の駐車場に入れ、そこからオートバイがたくさん並んで置いてあるところを抜けて駅の切符売り場に着きました。切符売り場、自動券売機などが並んでいました。 私がホームで電車が見たいと運転手に言うと、彼がプリペードカードをポケットから出してこれで入ってくださいといいました。入場料は3500ルピア(30円)だと言いました。 チケットには何回も使えるカードと、一日払いのカードがあり、一日タイプは使用したあとに窓口で精算すると残金が払い戻しされるとのことでした。 マルチタイプが日本のようにチャージして使えるかどうかは聴くのをわすれました。 改札口は遊園地にあるバーを体で押して回転させて抜けていくものでした。 駅のホームへは線路を横切ればすぐそこなのですが、ちょうどその時に通過電車が来たため警備員が手を広げて制止したので通過電車を待つこととなりました。 ブカシ線はジャカルタからジャワ島の北部を通りチカンペック、チレボン、スマランを抜けてスラバヤに向かう720kmの北本線の一部区間です。 それでジャカルタからスマランやスラバヤを結ぶ中遠距離列車はブカシ駅に停車しないのです。 電車の通過を待って線路を横切ると、電車が二台というか二編成が停車していました。 これが東京を走っていた車両なんだと思うと少しうれしい気持ちでした。 JR東日本の南武線の車両がインドネシアの線路を走った時のエピソードがあります。 2015年の年末、南武線の205系車両が引退する最終日に乗車した大学生が着席して短時間眠った際にスマホを紛失してしまいました。どこを探しても見つからず諦めていたところ翌2016年の春、突然その大学生のフェイスブックにジャカルタから「スマホを預かっている」というメッセージが届いたのです。シートのすき間に落ちたスマホが車両ごと海を渡ってインドネシアに輸出され、その車両の点検をしていた技師が発見して連絡したのでした。 そんな話を思い出しながら、私は線路を横切って列車を見ることにしました。 私はホームに上がり、歩きながら客車を覗いたり、ホームで電車を待つ人たちの写真を撮りました。 私がブカシ駅に行ったのは土曜日でした。 電車が到着すると大勢の人がおりてくるので改札とホームをの間のを結ぶ通路は混雑しました。 停車している電車が一体何両編成なのかと車両ごとに数えて行きました。しかし車両をよく見るとドアの上のところにジャカルタに向かって先頭から1,2,3と番号が書いてありました。 一番最後の車両には10と書いてありました。 新しく到着した電車の中では床を清掃している人の姿もみかけました。 また駅のあちこちには多くの警備員がいてみなKCI(Kereta Commuter Indonesia)と書かれたヘルメットをかぶっていました。 私は最初の電車を見終り、反対側に停車している電車をみにホームを移りました。 その二台目の電車を見ている間に、最初に見た電車が出発し、少し経つと次の電車がそのホームに入ってきました。それで私は二台目の車両を観終わってから線路を渡り隣のホームに行きました。到着した電車の座席はきれいな色使いでした。インドネシアで交換したのでしょうね。 車内に入って歩いていると、車両の一番端の角に消火器が設置してあり、「綾瀬検車区」の表示が目に飛び込んできました。そして消火器から視線をあげて、車両の上部をみるとそこには「日本車両」と製作会社の銘板がそのまま残っていました。 もっと日本の痕跡がないだろうかと見てみようと、先頭車両に行き操縦席を覗いてみました。 するといくつかの計器の表示が日本語のままでした。 きっともっと日本語表示があるに違いないと思い、先頭車両からホームに沿ってあるきながら車両台車の部分を見ていくと、やっぱりいくつかの日本語表示が残っていました。 ホームを折り返してきてもう見学を引き上げようと、後部車両の前を通ると、今まで気が付かなかったのですが、窓ガラスには「乗務員室」の文字が浮かんでいました。 インドネシアを含むアジアでは日本の中古機械がまだ多くつかわれています。 道路では日本の運送会社の名前が入ったトラックが、工事現場では日本の工事会社の名前の入ったクレーンを見ることがでます。ある時、現地の人に日本の中古機械を使うのかときいたことがあります。答えは「日本でしっかり動いていたから新品よりも信頼ができる」とのことでした。 丹羽慎吾