シンゴ旅日記ジャカルタ編(14)  散歩しながら考える(砂漠のバラ)の巻

散歩しながら考えるの巻 砂漠のバラ (2019年9月記) 朝散歩のコースはアパートの近くのいくつかの住宅地をその日の気分に合わせて選んでいます。 それぞれの住宅地の入口には守衛さんがいますので、「スラマット・パギ」と挨拶しながら入っていきます。住宅地に入ると道路脇や家々の庭の木々を眺めながら歩きます。 最近は道路に面した庭先に並べてある鉢植えの花が気になるようになりました。 そして興味を惹く花があると立ちどまってゆっくりと眺めます。 そんな私が特に気になったのは根本が土偶のように太くて、枝が自由に伸びている小さな木でした。その根本の造形が素晴らしいのです。同じ形が二つとしてないのです。 見ているとその花の生い立ちがどんなんだったかを考えさせられてしまうのです。 みなさん、lこんな木をご覧になったことがありますか? 大体三軒に一軒の割合でその花の鉢植えが置いてあります。 中には盆栽のように庭先にたくさんの鉢が並べてある家もあります。 最初にその花を知ったのはその花の鉢植えがたくさん並んでいる家でした。 私がその花を眺めていると中からご主人が出てきましたので挨拶をしました。 そして、ご主人の話をしていて、私が日本人であるとわかると、彼はスンバワ島のスミトモの銅鉱山で働いたことがあると言いました。 私        この鉢に植えてある植物の名はなんですか 主人     私は知らないけど、女房が知ってると思うよ。 と言い、家に向かって大きな声を上げて奥さんを呼びました。 すると奥さんが玄関からから出てきて私に説明してくれました。 奥さん   これはカンボジアと言うのよ、同じ種類で大きな木はカンボジア・ジュパン(日本)よ。 ほら、この団地の入口にも生えているでしょ。 この花は挿し木でも増えるのよ。 でも、根本が太いのは苗から育てたもので、挿し木で育ったものは根本が太くならないのよ。よかったら、一鉢持っていきますか? 私        いいえ、結構です。私はアパート住まいだし、植物は日本には持って帰れないのです。        でも、面白い形の花ですね。   私はその木について知りたくなり、アパートに帰りネットで調べてみました。 「カンボジア」、「カンボジア・ジュパン」で検索しても出てきませんでした。 「インドネシア 植物」で検索し、現われた植物の画像を見て行くとその中にカンボジアがありました。 それは正式にはアデニウムという名の植物でした。 さらに検索して行くと「NHKの趣味の園芸」のページに次のように書いてありました。 (特徴) アデニウムの仲間は、南アフリカ、南西アフリカ、ソコトラ島、アラビア半島原産です。 美しい花が咲くものが多く、大きく肥大する幹や根が特徴の植物です。 「砂漠のバラ」と呼ばれるものがよく流通していて、そのほかにも八重咲きや多様な花色の園芸品種がつくられています。 アデニウムは、株を大きくして花を楽しむ以外にも、独特のフォルムを生かし、盆栽のように仕立て、肥大した根や幹を楽しむこともできます。 夏の暑さには強いですが、寒さには弱いので、休眠させて冬越しさせます。 日光不足だと徒長するので、春から秋はよく日に当て、堅く締まった株にします。 アデニウムの語源はアラビア半島のイエメン共和国の南端にある港町のアデンからです。 アデンはアダムのイブのエデンの園であったと言われる土地の一つです。 きっとアダムもイブの二人もアデニウムの花を見たのでしょうね。 なおインドネシアで「カンボジア・ジュパン」と呼ばれる木はレイに使われるプルメリアのことです。 アデニウムとプルメリアは幹の造形や花の形は違っても同じキョウチクトウ科の植物なのです。 植物は枝の先端を動物に食べられたり、雨風などで折られたりすると、折られた枝のすぐ下の部分から新しい芽がでて新しい枝が生えてきます。 住宅地の庭先にあるアデニウムの枝を良く観ると枝を切られて、その下のすぐ横から新しい枝が数本出ているのもありました。 ある家の庭さきで鉢に並んだアデ二ウムを眺め、写真を撮っていたら、家の中から女性が出てきて「どうして写真を撮っているの、どこにでもある花でしょ。」といわれました。きっと彼女は私が家の内部を調べている怪しい人だと思ったのでしょうね。。 アデニウムの根本の形を見ていたらその生い立ちに苦労しただろうなと思い句を作ってみました。 〇俺の過去 見ればわかると アデニウム 〇我は我 君は君だと アデニウム 〇咲くよりも 生きることだと アデニウム 〇一族が 肩寄せるよう アデニウム 〇この私 砂漠のバラと アデニウム 〇アデニウム どの花みても 個性的 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(93)ワテは運転手 地図の巻

ワテは運転手でんねん。ご主人は日本人の社長さんでんねん。 この社長さん、結構、笑える人でおますねん。 まずは、三年前に赴任して来はった時のことですわ。 あん時は、前の社長さんが、先に帰ってしまはって、今の社長さんが一人で来はったんですわ。 社長さんはその前に出張で一回プネに来てはりましたから、ワテは顔は覚えてましたんや。 なんせ、あのエラの張った四角いお顔立ちに、ちっこいおメメでっしゃろ。忘れようにも、なかなか忘れられませんがな。 そんで、夜中にムンバイの空港でお出迎えして、空港近くのホテルで一泊して、翌朝に車で4時間かかってプネのアパートまで送って行きましたんや。 荷物を4階まで運んであげて、別れ際に、ワテは『今度の日曜日はどうしまっか、買い物にでも行きまっか、お供しまっせ』って言いましたんや。 そうしたら、社長さん、日曜日にホンマにワテに電話かけて来はりましたんや。 そんなん、たまげましたで、当然、お断りしましたがな。何て言い訳したんやってですか。 決まってまんがな、車が運転できんちゅうたら、『お腹が痛いです』ですがな。 そんな時は、ちょっと声を落として話すんでっせ。 あんさんも、上の人にばれんように気ぃつけなはれや。 なんで断ったんやってですか。 ワテはインド人でっせ、人が喜びそうなことやったら、つい、何でも言ってしまいまんがな。   何でも言ってしまういうたらな、ワテ、時々、新しいお客さんのところに運転してことがありますんや。住所と電話番号だけで、車を運転しながら探して行くんでっせ。 ワテな、その場所の近くに行ったら、出来るだけ、そこに居る人に聞くことにしてまんのや。 そりゃ、インドですがな、10人に聞くと10人がとも、近寄って来て、教えてくれますんや。 けど、結構往生することがおまんのや。前に聞いた人と真反対の方向を、次に聞いた人に言われまんのや。どっちゃへ言ったらエエんか、迷いますわ。 そんで、後で聞いた人の方角に行ってな、また、別の人に聞くと最初の人の言った方角やちゅうんですがな。こんなん、しょっちゅうですがな。Noと言えないインド人ちゅうんですかな。 えっ、それに似たような題名の本が日本におましたんでっか。   それに、ワテらは地図とか書くのが苦手ですねん。 社長さんな、前にワテに地図書いてくれって言わはったんですわ。 ワテが会社の帰りに連れて行ったモールに、今度は自分で自転車に乗って買い物に行きたいさかい、道順を書いてくれって言わはったんですわ。 けど、ワテ、地図が書けませんのや。ちゅうか、書いたことがおませんのや。 ワテら、地図を書かんでも、自分で運転して行ってしまいますがな。 どこがどうで、どこの角で曲がってとか、北とか南とか、さっぱりわかりませんのや。 でも、何とか書いて持っていったら、社長さんな、黙って受け取らはって、それからは、地図書いてくれって一回も頼まれませんわ。 なんでやろか、プネの町が詳しゅう載っとるエエ地図を買いなはったんやろか。プネの地図言うても、ホテルにある大まかなものに毛の生えたもんしかありませんのやで。 ワテが聞いた話やけど、日本の町や、工場団地や、アパートには辺りの地図を描(か)いた看板があちこちに立ってるそうでんな。 インドにはそんなもんありませんで。 何でかて、そんなん、描く人も読める人もいませんがな。 そんなら、えっ、大きな空港には、現在位置がここで、搭乗口がどこやちゅう看板があるけど、インドの空港にあるかってですか。 そんなん、あらへんのとちゃいまっか。 インド人やったら、みんながみんな、人に聞きますがな。それが一番無難ですわ。 話しは変わりまっけどな、会社の車にはナビが付いてるんですわ。 ワテな、社長さんをボンベイ、いや、今はムンバイやけど、そこの空港に送っていくことが結構ありますんや。そんで社長さんな、行く途中で、ナビと遊ぶのがお好きなんですわ。 ナビが女の人の声で、『次の角を右に回ってください』とか言うと、社長さんな、後ろの席から身を乗り出して『ありがとう』とか『どうして知っているんですか』とか、『頭いいですね』とか『今度お食事ご一緒しませんか』とか言って返事して遊んでまんのや。ホンマに変わったお方ですやろ。 ワテな、何回もムンバイ空港を往復してまっしゃろ、そんで自分の運転する道がもう決まってまんのや。他の道は知らんさかい、通りたないんですわ。 この前のことですわ。空港へ行く途中で社長さんが後ろの席から、『ナビがここで曲がれって言っていますよ。どうして曲がらないんですか』って聞かはるんですわ。そんなん、ワテの通ったことのない道ですがな。 ワテは答えましたわ。 『この道の先は工事中です。行くと遠回りせなアカンので、いつもの道を走ります』 で、その次にムンバイへ行く時は、社長さん、ちょっと考えはったんですな。 いつもよりも早い時間にプネを出て、ナビの言う通りに空港に行けって言わはりましたんや。 行きましたがな、ムンバイの町の近くで、いつもは真っ直ぐに行くとこを、ナビに従って、右に回りましたがな。知らん道やがな。ナビに頼らんと行けませんがな。 そやけど、危ないんですわ。インドの道路事情を、あんさん、知ってますやろ。 こっちゃの車線やのに、前から来る車はあるし、交差点の手前で一番左から右折しようと割り込んで来る車はあるし、それにオートやバイクは無茶して走って来るわで、ナビ見ながらでは運転がしずらいのなんのって。 で、なんのかのって言っても、ナビは頭よろしいな。ちゃんと空港に行けましたがな。そんで、この前、ナビが教えてくれた空港への道をレンタカー屋の兄ちゃんに教えてやりましたわ。 でも、社長さん、時々ワテに怒りまんのや ワテな、帰りの車のなかで、あのスタッフは会社ではああ言いましたが、違いますよ、この前、車でワテと二人の時はこう言ってましたでとか、あれはよくないですわ、こうすべきでわって、つい言ってしまうことがあるんですわ。 社長さんな、最初は『そうか、そうですか。ふん、ふん』って聞いてはりまんのやけど、そのうちに、ワテが調子に乗って、えらそうなこと言うもんやさかい『ここは車の中です。言いたいことがあったら、朝の打合せの時に言いなさい』って怒らはったことが何回かあるんですわ。 ワテかて、みんなの前で言いたいですわ。でも、そんなん、できませんがな。 あの営業スタッフがワテと出張で出かけた時に、車の中で言ってたことや、庶務の仕事のやりかたのまずさなんかを、朝の打ち合わせで言うたら、私の立場がなくなるやおませんか。   そやけど、営業のスタッフも社長さんによう怒られてますで。 お客さんに出す仕様の比較表とか、訪問日程表とか、見積書のデータを作って社長さんに見てもらってる時ですわ。スタッフな、社長さんからいつも言われてますんや。『誰が見ても分る表を作りなさい。左右の余白がアンバランスです。字体がばらばらです。同じ字体を使いなさい。』 そんで、書き直しを何回もさせられてますわ。 それにせっかくエクセルで表作っても使い方を知らんようですわ。 社長さんから『エクセルには、すごい機能が一杯ついています。基本的なものをマスターしなさい。データのオートフォーマットは同じものを検索するのに便利です。引き合いのランク付けや、同じ機種を検索するのに便利です。また、グラフも自由自在に作成できます。どんどんビジュアルなものを作成してください』って言われますんや。 そんで、おんなじ様にスタッフが説教されてた時にな、そんなら、社長さんが自分で作ればええんとちゃうかとワテは思いましたんや。 そしたら、社長さんがスタッフに『いいですか、私が自分が作ったら駄目なのです。君たちが考えないといけないのです。そうでないと、いつまでたっても進歩しませんよ。』って言わはったんですびっくりしましたわ、ワテの思ったことが、社長さんに聞こえたんかと思いましたがな。 けど、社長さんの言うことも一理ありますな。   そして、あるスタッフには『休みの日には美術館に奥さんと行って絵画を見て来なさい。バランスとはどういうものかを見てきなさい』言ってはりましたわ。 そんなん、絵を見て表がうまく作れるんやろか。   ある時、社長さんがワテに、インド人は19x19まで暗算でできるんかって聞いてきましたんや。 びっくりしましたで、そんなん、出来ませんがな。誰が、そんなん言うとりますんや。 うちのスタッフで、そんなん出来るの一人もいませんで。 ワテなんか、会社の車がディーゼルで1リットル当たり何キロ走れるか計算機使っても、よう計算できませんがな。何回も間違えて、社長さんにあきれらてますがな。   大体、なんで社長さん、そんなん計算せえって言わはるんやろ。 電気代は月にいくらや、電話代はいくらや、飲料水は一ヶ月にいくらかかるって細かいことばっか言わはるんでっせ。そんなん、要るもんは要るんとちゃいまっか。   社長さんな、本社から今年のエコ関係のターゲットを作れって指令があったんやて。 そんで、悩んではりましたわ。八人しかおらん事務所で、工場もありませんがな。 事務所はレンタルやし、エコゆうても、煙や油出すもんが何にもありませんのや。 そやけど、社長さん、なんかせなアカンゆうて、電気代の10%節約って連絡したらしいですわ。 正確に言いますとな、電気代やのうて、消費電力ですわ。 Kwベースで去年よりも減らすちゅうわけですわ。 そんなん無茶でんがな、人数増えましたがな。 でもね、社長さんな、おととしと去年の電力消費量を調べたら、去年の方が少なかったっていうんでっせ。そんなん、インドは電気不足で停電が増えて、電気が来んだけやないやろか。 今年はモンスーンが来るのが遅いもんで、ダムが干上がってもうて、断水、停電が多いんでっせ。 そやさかい、あのシブチンの、いや、あのう、お金に厳しい社長さんも、重い腰あげて、ディーゼル発電機を買わはりましたんや。 けど、それが、故障ばっかりでね。そんで年間メンテ契約を結ぼうちゅうことになりましてね。 アカン、アカン、これを話しとったら、えらい時間かかりますわ。 この続きは、またにしますわ。あの社長さんを、迎えに行かなアカンのですわ。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(13)  散歩しながら考える(メラッ・プティ)の巻

散歩しながら考えるの巻 その14 メラッ・プティ   (2019年8月記) 今年のインドネシアの8月は11日(日)が生贄祭で17日(土)が独立記念日でした。 私の会社は昨年と同じく二匹のヤギを買い、一匹は近くのイスラム寺院に寄付をし、もう一匹は会社で儀式をおこなって屠殺し、お肉を料理して社員で分け合っていただきました。 今年のインドネシアは独立後74周年になります。 それで町のあちこちでは紅白旗(メラッ・プティ)やお祝いの垂れ幕が飾られています。 この紅白旗の赤(メラッ)は勇気と情熱を、白(プティ)は真実と聖なる心を表しています。 また、赤色は太陽を、白色は月を表しているともいわれます。 レストランやスーパーでは17日に引っかけた17%引きの商品が出回っていました。 なお、インドネシアの紅白旗について日本では、第二次世界大戦とその後の独立戦争でインドネシアの独立に寄与した日本の日章旗の影響を受けているという説もあります。 インドネシアが独立したのは1945年8月17日です。 日本が連合軍に降伏した日よりも2日遅れています。 その理由をWikipediaの記事から抜粋します。 「1945年3月に日本軍政当局は独立準備調査会を発足させ、スカルノやハッタらに独立後の憲法を審議させました。 そして同年8月7日スカルノを主席とする独立準備委員会が設立されました。 その第1回会議が8月18日に開催されるはずでしたが8月15日に日本が連合軍に降伏したことによって、この軍政当局の主導による独立準備は中止されることとなりました。 1945年8月15日、ジャカルタの街に日本が連合軍に降伏したという噂が拡がっていたため、スカルノとハッタは山本茂一郎軍政監と接触して、確実な情報を得ようと務めましたが徒労に終わりました。そこで二人は同日14時半頃前田精海軍少将を訪ねたところ、前田は公式な情報がないという理由で回答を留保しました。 翌8月16日早朝、スカルノとハッタは、無傷の日本軍と敵対してでも即時に独立宣言すべきと主張する青年グループに拉致されました。 スカルノ、ハッタおよびスバルジョは青年グループを説得し、8月17日の正午までに準備を整え独立を宣言をするべきと主張し、解放されてジャカルタへ向かいました。 8月16日23時頃、スカルノ、ハッタらは前田精海軍少将邸に集まり、既に起草されていた憲法前文の独立宣言に関連した箇所に基づいて独立宣言を起草し採択しました。 8月17日10時頃、スカルノらインドネシアの民族主義者たち自身が、連合国の了解を得ることなく、スカルノの私邸に集まった約1000名の立会いを得て、インドネシア独立宣言を発表しスカルノを首班とするインドネシア共和国が成立したのです。」 ムルデカ(独立)広場中央に聳える高さ137mの独立記念塔(モナス)があります。 この地下1階に、インドネシアの「三種の神器」(独立宣言書・独立時に掲揚された国旗・国章)が奉納されています。 そのインドネシア独立宣言草案の宣言の日付が「05年」となっています。 それは当時日本が使っていた「皇紀2605年」を指しているのです。 独立宣言 我らインドネシア人民はここにインドネシアの独立を宣言する。 権力及びその他の委譲に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。 ジャカルタ、05年8月17日 インドネシア人民の名において スカルノ/ハッタ また、インドネシアの最高額紙幣の10万ルピアです。三年前に新しいお札に切り替えられましたが、 そのデザインにはスカルノとハッタで変わっていません。 上が新札、下が旧札です。旧札は今でもまだたくさん流通しています。 スカルノ1901年- 1970年 インドネシアの植民地時代(オランダ領東インド時代)から民族主義運動、独立運動において大きな足跡を残した政治家である。 初代大統領となり、雄弁な演説とカリスマ性によって、大衆の民族意識を鼓舞した。1965年の「9月30日事件」によって失脚した後は不遇の晩年を送ったが、いまなお国民には「ブン・カルノ」(カルノ兄さん)と呼ばれ、国父(建国の父)として敬意をもって愛され続けている。 モハマッド・ハッタ(1902年- 1980年)は初代副大統領(1945年-1956年)です。 スカルノとは出自、性格、信条において極めて対照的であり、スカルノの鋭い批判者でもありました。

シンゴ旅日記インド編(92)ワテは運転手 ボケ防止の巻

ワテは運転手でんねん。ご主人は日本人の社長さんですわ。 そして、この人が結構、笑えるお方なんですわ。 つい最近のことですわ、アパートの近くの、ちっこいショップでタマゴを買わはったんですって、そしたら、モールのタマゴみたいに洗って売っておったいうて感心してはりますのや。 そりゃ、インドではタマゴは汚れたまんま売るのが普通ですわ。 なんでかちゅうとな、タマゴを洗うときに割ってしまうからやないかと思いますわ。 聞いた話ですけど、日本人って、生のタマゴをご飯に混ぜて食べるそうでんな。 恐ろしい人たちですな。そんな国って日本だけとちゃいまんのか。 それに、それを手で食べたら手がべチャべチャにならへんのでっか。 インドでは、生のタマゴを食べるってこと、絶対に出来まへんで。ああ、気色ワルー。 ちゅうか、日本人は何でも生で食べるそうでんな。 タマゴだけやのうて、肉や魚も生で食べるそうやないですか。 社長さんな、日本人が肉を食べるようになったんは、150年くらい前に日本の政府が外国に DoorをOpenしてからやって言うてはりましたが、ホンマでっか。 ホンマは、その前から、生の肉を食べてたんとちゃいまっか。 なんせ聞いた話やけど、日本のお寺の坊さんて、頭に毛ぇーを生やしてて、結婚してて、奥さんや子供さんがおって、お酒飲んでも、肉食べてもよろしいそうでんな。 社長さん、言ってはりましたで、タイのお坊さんが、日本の坊さんの生活を知ったら、たまげるやろなって。 そんで、社長さんのことや、この前な、日本で言う『おじや』ちゅうんですか、イタリア料理のリゾット見たいなもんをこさえるけど、タマゴを先に入れるべきか、ご飯を先に入れるべきか悩みはったそうですわ。そんで、ワテに、どっちを先に入れたらエエんやろかって聞かはりましたんや。 ワテ、答えましたわ。そんなん、タマゴとご飯と一緒に入れたらどないですかって。 あの時、社長さん、なるほどって言ってはりましたわ。 なんでも、日本で焼き飯をこさえる時に、ご飯にタマゴ入れて混ぜてから、炒める方法があるらしいんやって。けど、どんなタマゴ・オジヤになったんやろか。 この社長さんな、最近ボケが多くなりましたんや。 まあ、来はったときから、ボケ顔やなぁ、とは思うてましたんやけどね。 朝、お迎えに行く時は、着く前に社長さんの携帯に電話入れて、もうちょっとで着きまっせちゅうて連絡しますんや。 そうしますとな、車がアパートに着く頃に社長さんが、4階からリフトで玄関に降りて来てはって、車で着くワテらを待ってるちゅう寸法ですわ。 でも、この前な、アパートの守衛さんのおるとこを通った時は、社長さんがすでに玄関口に突っ立ってワテらをまってるんが見えたんやけど、敷地内をぐるっと回って玄関に着いたら、ご本人さんがいませんのや。そして、ちょっと待ってましたらな、リフトが開いて社長さんが出て来はったんですわ。どうしたんですかって聞きますと、ガスの火を止めたんかな、電気切ったかな、玄関のドアを閉めたんかなと気になったんで、降りてからまた、4階に上がって行って、確認してきたんやて。 社長さんな、ガスを点けっぱなしで寝たことが二回あるんやて。 なんか焦げ臭いちゅうて目をさましたら鍋が真っ黒けやったそうですわ。 そのうちに、あのアパートは爆発するんとちゃいまっか。   この前はな、会社から帰ってのことですわ。 会社が終わって社長さんをアパートで降ろして、さあ次に、若いお二人さんをアパートへと向かってましたんや。そうしたら、社長さんから、戻って来てくれちゅう電話かかってきましたんや。 Uターンですがな。そして、社長さんのアパートに着いて、社長さんが乗り込んで来て、『二人をアパートに送ってから会社に行ってくれ』って言わはるんですわ。 なんでも、アパートの玄関の鍵を部屋の中に忘れたんで、会社に置いてあるスペア・キィーを取りに行くちゅうわけですわ。ワテの家な、日本人スタッフお二人のアパートの近くですねん。 結局、お二人さんを送って行って、また会社に戻ってから社長さんを送り届けて、車を日本人スタッフのアパートに置いて、バイクで自分の家に戻りましたんや。甥っ子と一緒に食事しようと約束してましたんやが、もう寝てましたわ。しょうがおませんですわ。でも、残業時間をキッチリつけさせてもらいましたわ。   社長さんのボケね、特に朝が多いみたいなんでっせ。 ある朝ですわ、営業マンがコラプールちゅう町に行ったときにワテが運転して行って、ワテも一泊しましたんや。 ちゃんと出発する日の朝の打合せで、ワテがみんなに発表しとるんでっせ。 そやのに、翌朝ですわ、コラプールのホテルに居るワテの携帯に社長さんから電話が入って来たんですわ。 『事務所の鍵を持っている庶務が、今朝になって、急に休暇を取りました。スペアキィーを持っている営業が出張でいません。庶務の家に鍵をもらいに行くので、今朝は早く迎えにください』って言ってまんのや。ワテがその営業マンとコラプールに来てるちゅうのにでっせ。 そんで、ワテはコラプールにいまっせちゅうと、社長さん『ああ、そうやった』かですわ。 結局、もうひとつの鍵は出張に来てた営業マンが、事務所に残るスタッフにちゃんと渡して置いたんで問題なかったんやけどね。   社長さんはあれやろか、朝起きると仕事のことばっかり考えてはるんやろか。 それとも、頭がスタートするのに時間がかかるんやろか。きっと古い機械と一緒なんやろな。 社長さんな、ご自分のボケを気にしてはるのか知らんけど、なんか日記書いてはるらしいでっせ。 そんで、そのネタ集めるのが好きなんですわ。 肩掛けカバンのフックに小型カメラのケースをくっつけて、歩いてまんのやで。   この前は大変でしたで。 プネの近くの山の中腹に有名なヴィシュヌ神のお寺があって、年に一回大勢の人がお参りするんですわ。そりゃあ、めちゃくちゃ仰山の人たちでっせ。 巡礼ちゅうんですか、行列ちゅうんですか、行進ちゅうんですか、それらが『プネに入った、町を通った、お寺に着いた』って三日掛かりで、写真入りで新聞の一面に載るんでっせ。そんで、その朝のことですわ。 日本人スタッフお二人さんを乗せ、社長さんを迎えに行って、アパートから本道に出ようとしたら、通行止めですわ。いつもは競馬場のそばやもんで、そのお馬さんのお通りで止められることは毎朝おまんのやけど。 その日は道路に通行止めの柵があって、それ以上行けんかったんですわ。 なんのこっちゃいうたら巡礼のコースに当っとんたんですわ。 去年はおなじように行列はあったけど、通行止めには、ならんかったと思うけどなあ。 そやから、今回は回り道せなアカンのですわ。 そんで、道を曲がってちょっと行ったら、また、ストップですわ。 ワテらの通る道が巡礼さんの行進する道路と交差するんで、車が列をなして止まってるんですわ。 こりゃ、当分、動けんなと思ってましたらな、社長さん、すぐにドア開けて降りて、行列に向かって歩いて行きましたわ。 残ったお二人さんも社長さんに続きましたわ。 行列は延々と続いてましたで。 そんで、ワテらの車が通れるように、お巡りさんが行列を止めては、車を横切らせるんやけど、時間がかかりまんのや。 社長さんと日本人のお二人さんは、もう写真撮って、撮って、撮りまくってましたで。 そんなに珍しいんやろか。 珍しいちゅうというとな、社長さん、始めて来はった時なんか、ウシが歩いとる、ラクダがおるって言わはって、車の窓開けて、写真ばっか撮らはったんでっせ。 そして、そのうちに動物ばかりでのうて、町を一緒に歩いておっても、マンホールがコンクリートや、電柱がH鋼でできとるちゅうて、えろう感動しはって、これまた写真を撮りまくってはりましたわ。 聞いた話ですけど、日本ではマンホールは鋳物製で、電柱はコンクリート製らしいそうでんな。 そんなん、インドでマンホールが鋳物製やったら、すぐに誰かに持ってかれて、売られてしまいますわ。 そして、木ですわ。プネってな、一年中おんなじような気候やけど、やっぱり違うんですわ。 社長さんな、気にいってる木が町の何箇所かにありますんや。これしゃれやおまへんで。 そして、時々同じ位置から写真撮ってはりまんのや。 花が咲いた、葉っぱだけになった。枝だけやちゅうて、その時々に感心してはりまんのや。 それに、最初のころは、ワテに、あの花はなんちゅうのや、この木はなんちゅうのやて聞かはりましたけどな、ワテ、さっぱりでんのや、知りませんがな。木や花の名前言うてもしりませんがな。 みんなかって言うてまっせ、黄色い花とか、白い花が咲く木ちゅうくらいなもんでっせ。 そんで、社長さん、最近は花を見ても、木を見ても、なんも聞いてこんようになりましたわ。 でも、ワテな、食いもんの名前は何でも知ってまんのや。 町の食堂に社長さんを連れて行っても何でも答えられますんや。 社長さんがインドに来はったころに、豆やお米を売ってるお店に連れて行ったんでっせ。 社長さん、喜んで写真撮ってはりましたわ。そんなに変わってまっか、インドの豆やお米は。 でも、お米には、ジャポニカ米、インディカ米ちゅうて、日本とインドの名前がついてまんのやね。 そやけど米ちゅう字はアメリカのことやそうですな。 アメリカの人は、お米を食べてはらへんのにね。麦ってしたらどうでっか。 面倒やね、そんなら、中国語では日米、印米ちゅうたら日本のお米や、インドのお米のことやのうて日本とアメリカ、インドとアメリカの国のことを言うんですか。へぇー。 えっ、中国語ではアメリカを美国と書くんですか。へぇー。 ほな、大統領のオバマは何て書くんですか。小浜ですか。えっ、奥巴馬ちゅうんですか。へぇー。 そんで、オバマ大統領は結構神経質な人で、発音が実際に近い欧巴馬を使って欲しいと言ってたらしいちゅうんですか。けど、中国は欧という字にヨーロッパの意味があるからやめたんでっか。 オバマ大統領はホワイトハウスを中国語で白宮と呼ぶんも、アメリカには宮殿がないからちゅうて白屋にしてくれって注文を中国側につけたんですってか。へぇー。 えっ、欧巴馬ちゅうたら、中国では日本のオバサンにあたる欧巴(おうば)桑(さん)ちゅうのが一部で流行っておるんで、欧巴馬は良くないイメージやちゅうとるんですって。へぇー。   そやそや、お米の話やけど、世界中ではインディカ米の方がジャポニカ米の4倍くらいようけ作られてまんのやで。ジャポニカ米が作られてるんのは日本だけやそうでっせ。 これも聞いた話やけど、日本のお米って、食べるとおなかが張るらしいでんな。 それにカレーには合わんそうやわ。えっ、フライドライスにも合わんのでっか。 それに日本ではご飯を炊く専用の鍋があるそうでんな、炊飯器ちゅうんですか。 インドでも最近な、パナソニックちゅう会社がインドのお米用のその鍋を売ってまんのや。日本の人がインドのお米をどうやったら炊飯器で炊けるか、いろいろ勉強しはったそうですわ。今年は100万台売れるそうでっせ。インドで半分のシェアーをもってるんやて。 ワテんとこは、ご飯は圧力釜で煮まっせ。圧力釜な、これ便利もんなんですわ。 ピューと鳴って、蒸気が出てきて、その音が止んで、またピューって鳴りますやろ、その鳴る回数によって早(はよ)う煮えるもんと、時間がかかるもんとを決めますのや。 ご飯なんかは、ピューが二回ですわ。ダルカレー、これは豆のカレーですけどな、4回ですわ。 圧力釜な、野菜に肉と、マサラと入れてフタして火ぃー点けるだけですやろ。簡単ですわ。 聞いた話やけど、日本の人って、ご飯の焦げたノンをおいしい、おいしいって食べるそうでんな。 ワテも、一回、おかずぎょうさん作らなあかん時があって、ご飯を焦がしたことありますんや。 しまった思うて、食べてみたけど、焦げ臭いばっかりで、おいしなかってでっせ。 やっぱり日本人って変わってまんな。 社長さん、言ってましたで、『私は単身赴任です。嫁さんも日本で単身生活です。お互いにその単身の生活を楽しんでいるのです。』って。ホンマやろか。 聞いた話やけど、日本のProverbに『男やもめにウジがわき、女やもめに花が咲く』ちゅうのがあるそうでんな。こんなん、英語におませんで。日本の文化ちゅうものですかいな。 なんや、今日はオチがありませんでしたな。かんにんやで。ほな、さいなら。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(12)  散歩しながら考える(メジロ)の巻

散歩しながら考えるの巻 メジロ  (2018年4月記) 昨年末からの朝散歩を続けています。 犬を連れて散歩している人を見ると、子供のころに犬を飼ったことを思い出します。 雌犬を飼った時には子犬が何匹も生まれ一匹を残して残りを保健所に渡ししました。 母犬を散歩に連れ出そうとすると家の床下や物置に子犬たちがいるのではないかと探し始めました。その必死に探し続ける母犬の姿や、鎖を引っ張る強さを今でも忘れることができません。 散歩中に猫を見かけると、これまた猫を飼った時のことを思い出します。 犬と同じように首を紐でつないで散歩しようとすると紐がスルリと外れて逃げて行ってしまいました。 こちらでは住宅地で鳥かごが軒下や歩道の立木に吊るしてあるのを見かけることがあります。 そうです、小鳥を飼って楽しんでいる人たちがいるのです。 私も子供のころに小鳥も飼ったことがあります。ジユウシマツ、インコ、メジロなどです。 小鳥の世話は大変です。毎日餌や水の取り換え、糞の掃除をしなければなりません。 シンガポールに駐在していた時には、朝に多くの人が鳥かごを頭上に吊るし、鳴き声を聞きながら話し合っている一角(Bird Singing Corner)に出合ったことがあります。 タイでも鳥を飼う人を見かけたたような気がしますが、インドでは鳥を飼って楽しむ人は見かけなかったように思います。 飼われている鳥はインコのような色鮮やかな鳥が多いのですが、ある朝、びっくりしました。 歩道の木に吊るしてある鳥カゴの中を覗くと日本のメジロと同じような鳥が中にいたのです。 その家の方を見るとさらに鳥カゴが三つほど吊してあり、同じようにメジロ似の鳥が入っていました。 そこの飼い主が道路脇で鳥カゴを手入れをしていたので、私は近づいて行って話を聞きました。 私        この鳥の名前は何というのですか? 飼い主  プリチです。 私        プリチ?P-E-、、、? 飼い主  P‐L-E-C-I 私        これはジャワの鳥ですか? 飼い主 黒いカゴにいるのは東ジャワです。真ん中のはロンボクからです。 ロンボクの方が体が大きいです。 私        日本にも同じ鳥がいます。マタ・プティ(白い目)です。 飼い主  この鳥はメガネ鳥(マタ・カチャン)とも呼ばれますよ。 私        ちょっと待ってください。(スマホで日本のメジロの写真を検索して) 見てください。日本のプリチです。同じでしょ。 飼い主  ロンボクの方はヒヨコのような声で鳴きます。 私        ツー、ツー(鳴き声を真似ようとするができない) 私は子供のころ、山にこの鳥を獲りに行きました。枝にトリモチ(グタ)を巻いて、この鳥が入っているカゴに差して、カゴを木に吊るして、隠れるのです。 そしてやってきた仲間が枝にとまるとすぐに行って、捕まえるのです。 飼い主  こちらでも同じように捕まえますよ。 私        これは売るためですか? 飼い主  いいえ、私は鳥が好きなのです。この鳥はここでは私しか飼っていません。 私        買うといくらくらいするのですか? 飼い主  30万ルピア(2。3千円)と言われます。 私        私の頃の餌はミカンやリンゴや焼いたイモでした。 飼い主  ミカンをやることもありますが、私は専用の餌を食べさせています。 この左端の鳥はすでに6歳です。 私        えっ、そんなに長生きするのですか? 飼い主  飼い方次第ですよ。 そんな会話をしてそこを離れ、しばらくあるくと、長い鳥かごをシーソーにして、中の鳥を右左に移動させて遊んでいる人がいました。近づいていくと、その人は水鉄砲で鳥に水をかけているのです。 鳥が嫌がって反対側の止まり木に行くと、鳥カゴが傾くのです。 鳥カゴの底にはゴムボールが入っていて、傾くたびにコロコロと低い方に転がっていきました。 その人の傍にはまだ眠い顔をした小さな女の子がくっついていました。 私        あなたのお子さんですか 父親     そうです。 私        名前は何というのですか 父親     エンジェルです。 私        良い名前ですね。エンジェルは背中に羽根があって鳥のようですものね。 メジロ(スズメ目、メジロ科、メジロ属、メジロ種) 目の周りの白い輪が特徴であり、名前の由来ともなっている・ メジロ科に属する鳥は英名でも “White-eye” と呼ばれ、また 中国語名では「繡眼鳥」と呼ばれる。 またメジロは比較的警戒心が緩く、頻繁に鳴き交わしつつ群れで行動するため、慣れた人だと口笛で仲間がいると思いこませ、群れを呼び寄せることもできたという。 そして、メジロは良い声でさえずるため、古くから和鳥として飼われてきた。 江戸時代からメジロを鳴き合わせる競技(道楽)があった。 メジロにはお互いに押し合うように、ぴったりと枝に並ぶ習性がある。このことから、込み合っていることや物事が多くあることを意味する慣用句として「目白押し」がある。 和歌山県、大分県の県鳥に指定されている。 環境省は2012年4月からメジロの愛玩飼養を目的とした捕獲を原則許可しないことを発表した。これにより捕獲が許可される野鳥の種類は原則として皆無となった。(ウィキペディアから)

シンゴ旅日記インド編(91)ワテは運転手 日印食事の巻

ワテは会社の運転手で、ご主人は日本人の社長さんでんねん。 前の日本人社長さんに丸二年、そして今の社長さんに仕えて三年目ですんや。 その前は韓国人の社長さんの運転手もしたことありますんや。   ちょっと前のことですわ。うちの社長さんの誕生日でしたわ。インドで三回目ですわ。 今年でちょうど60歳にならはったんやて。そんな歳に見えへんけどなあ。 そんで、60歳には見えませんねって、みんなで言うと、『そんなことないでしょう。そうですかぁ? 60歳には見えませんかぁ?もっと若く見えますかぁ?それは50歳くらいということですかぁ?』って、なんかへんに言葉がひっくり返ってもうて、ワテらにしつこく聞いてはりましたわ。 そんなん、お世辞に決まってまんがな。結構、単純な社長さんでんねん。   それからですわ、お客さんが来はるたんびに、『自分は60歳になりました、還暦です。』って言ってはるそうですわ。きっと、お客さんから『えっ、そうなんですか?そんなお年には見えませんよ。』って言われるんを心待ちにしてはるんでっせ。これな聞いた話やけど。   会社には社長さんの他に、去年の4月に来はった日本人の若いスタッフが二人いてはるんですわ。不思議なことに、このお二人さんも、社長さんと同じ5月生まれなんですわ。 うちの会社ではスタッフの誕生日には昼食後にケーキでお祝いすることになってまんのや。 けど、インドではそのケーキの一部を誕生日の人の顔に塗って祝ったりするんですわ。 聞いた話やけど、日本にも顔に墨を塗ったり、田んぼの泥を塗って健康を祝う行事があるそうでんな。それって、インドから行ったんとちゃいまっしゃろか。 誕生日の話しやわ。今年は三人とも忙しかったさかい、なかなか一緒になる機会がおませんでしたんや。 そんで、一度に三人さんの誕生会をしたんですわ。 けど、今年はケーキの顔塗りはしませんでしたわ。   その誕生会では日本人の部下の人たちは日本から買うて来たジャパニーズ・ワインを社長さんに贈ってはりましたわ。結構ゴマすってまんな。ワテらインド人スタッフは、社長さんにワインを二本あげましたんや。 それも、ちゃんと綺麗な紙に包んでリボンつけたんでっせ。 けどね、これな、日本人の部下の人がおらん時にやで。 そやかて、日本人の部下の人には何にもあげてへんさかいな。 二人には内緒にしといて下さいね。 けど、二本で2500ルピー(4千円)近い買いモンでしたんやで。 一人500ルピー(800円)やがな。ワテにとっては痛い出費ですわ。 簡単な昼食10回分ですわ。ワダパウなら50個はゆうに買えますわ。 しょうがおませんわ。ワテらの給料を決めはるのは社長さんやもんね。 それに、この前はワテの不注意で会社の車をぶつけた時に、右のヘッドランプの修理費用を会社で払ってくれはったたんでっせ。 ワテは自分のせいやよってに、いったん自腹を覚悟してましたんや。 そうしたら、社長さんが領収書もって来いって言わはりましたんや。 助かりましたわ。ワテの給料の四分の一くらいがふっとんでしまう金額でしたんや。 社長さん、見た目通り、デブ、いや太っ腹でんな。   ワテな、社長さんが毎晩食事せんと、ワインだけを飲んではるって知ってまんのや。 毎日ちゅうくらいに、会社帰りにワインショップの前に、車を止めさせて、インド産のワインを買って帰らはるんでっせ。今日はどんなんがあるんやとか、高いんとちゃうかなんて、お店の人と楽しそうに話してるのが車の中から見えますわ。 はよう帰りとうて待つワテらの身にもなって欲しいわ。 そやさかい、社長さんがお酒はワインしか飲まんちゅうことをみんなも知ってますんや。そんで、去年も今年もワイン贈ったんでっせ。 けど、三日目には、もうワインショップに寄って買うてはりましたで。 二本を二日で飲んでしまはったんやろか。 インドは、最終商品価格を商品に表示しますねん。ワインの場合はボトルの裏ラベルに表示したるから、社長さんがそれを見はったら、いくらのワインか分るンやけどなあ。ちゃんと、読んでてくれてはるかなあ。 いつも社長さんが買うとはるのより、高いワインなんやけどなあ。 けど、部下から、もらいはったジャパニーズ・ワインはどないしたんやろか。   それに社長さんな、朝もお食事をせずに、コーヒーがジュースだけ飲ははるだけらしいですわ。 そやから、お食事は会社で食べる昼ごはんだけですわ。 それはチキンカレーやったり、ベジ・ブリヤニやったり、タリーやったりですわ。 最近は日本人の部下の人と中華料理をみなさんで取って分けて食べてはりますわ。 そやそや、今年もまた日本人スタッフがゾウインされるんやて。 そんで、若い日本人スタッフのお一人がそのランチの目で見るメニューを作るちゅうことで、届いたランチを食べる前に毎日写真を撮らはったんですわ。その間、社長さんと、もう一人の日本人スタッフは『まだか』って顔して待ってはったんでっせ。 そんでも、あれでんな。インドの料理は写真を撮っても、色がおんなじやよってに、どれがチキンカレーで、どれがダルカレーやわかりませんけど、中華料理ちゅうのは見た目で色が違うもんでんな。 そやけど、中華料理って言ってもね、インドに中国人はおらへんから、北インド人が作ってる料理なんでっせ。顔は中国人みたいやけど、ネパールや、ミヤンマーに近いところのインド人ですんや。 社長さんらは、まあインドの中華料理やから、こんなもんかなって食べてはりますわ。   社長さんな、『空腹が人を健康にする』ちゅう本を読まはったらしいですわ。『一日一食』で20歳若返る!!ちゅうタイトルらしいでっせ。本の帯には『おなかがグーッと鳴ると、体中の細胞が活性化する! 健康は見た目に表れます。生命力遺伝子を活用して美しく元気に生きる方法!』って書いてあるらしいようでっせ。聞いた話やけど。食べすぎこそ病気の始まり、ごはんを食べたらすぐ寝ようとかが内容らしいですわ。   そやけど、社長さんが一日一食なんは、単なる不精なようやけどな。 一日一食やったら、夜中にお腹が空かんのやろか。ワテやったら、もたんわ。 まあ、ワイン飲んではるから、酔っばらって寝てまうだけやろうな。 それに、社長さんな、なんでもきれい過ぎるのは良くないって毎日シャワーを浴びとらんちゅう話でっせ。せっかく自分の体が作った抵抗力を石鹸で洗い流す必要はないって言ってはるそうやわ。これって、日本の小説家の五木寛之って人が言ってはるらしいですわ。聞いた話やけど。   社長さんな、別の時にも清潔過ぎるのは良くないって言わはった時がおますんやで。 その時は、確か、『No fish in clean water』やって言わはったわ。 社長さんな、インドでも日本でも政治家はお金をもらうもんや、ダンゴーも必要悪や、日本でも学校の先生や、入院先の医者にお礼を渡すやないかって意味のわからんこと言ってはりましたわ。 でも、この英語は社長さんが勝手に作りはった英語やろうけど、わかるような気がしますわ。 ワテらの国やったら、『Too many fish in very dirty water』やろか。 ワテの食事でっか、あきませんがな、インド人ですがな。 間食しますんや。この間食ちゅうか、スナックが多いんですわ。 インドって、油で揚げるもんが多いでっしゃろ。 そんで若いときから太ってしまうんですわ。 ワテがベジかってですか? ちゃいまんがな、ワテはクリスチャンでんがな。ノンベジでっせ。 うちの事務所の他のスタッフはみんなベジですけどな。 それに宗教が絡んでますやろ。 プネはガネーシャ祭りで有名な町でんねん。 ガネーシャの牙は右側が折れてますやろ。 あれって何でか知ってまっか? ワテ、クリスチャンやけど、知ってますで。 お月さんでんがな。 えっ、牙がお月さんかって?ちゃいまんがな。 お腹の出たガネーシャさんを笑ったお月さんをガネーシャさんが牙を折ってのろいを掛けて投げつけたんで、それから不吉になったお月さんは蓮の花の中に隠れて出てこんようになったんですわ。 そんで、神さんたちがガネーシャにお月さんを許してやってくれって頼んで、お月さんが出てこられるようになったんやけど、ガネーシャの祭りの期間だけは月を見ることが不吉となったんですわ。 そんでかどうか知らんけど、うちのスタッフの一人は満月から4っ日目と、毎週木曜日は断食の日なんですわ。 断食ゆうても、食べてもエエもんがあるらしくて、いつもはチャパティと野菜やけど、断食の日は何かツルツルのもんを食べてますわ。 サゴ・ライスって言ってましたで。 もう一人のスタッフは土曜日が断食の日らしいけど、うちの会社は土曜日は休みやったり、半ドンやさかい、ランチを会社で取らんのですわ。そんで、彼が会社で断食の食事をするんを見たことがありませんわ。   日本の人がインドで食べもんに苦労するように、インドの人も日本に行くと苦労するようでんな。 この前、社長さんが二人のインド人を日本に連れて行ったときのことを話してくれましたわ。 二人ともPure Vegetarianでしたんやて。 四日ほど日本にいたんやけど、毎日がインド料理やったんやて。 日本のインド料理っていうても、ベジとノンベジがごっちゃになっとるそうでんな。 それにネパールやパキスタンやバングラの人たちもインド料理やって店出してはるらしいですね。 これって、チェンナイにあるモモヤマちゅう日本の居酒屋風の店のオーナーが韓国人やちゅうのとおんなじことやろか。 社長さんが二人を連れていったんはアイチケンちゅうとこの田舎やったそうですわ。 そんなとこにも、インド料理店さんがあるんやね。 その日は、ちょうどお昼ころに、小さな町中を車で客先へと走っていたら、あんじょうインド料理ちゅう看板が見えたんで、慌ててそこに入ったんやて。 社長さんと運転してはった本社の人は、セットメニューを頼みはったそうやけど、インド人二人はメニューを見て、ネパール人らしい店長を呼んで、なんやかんや聞いたりして、なかなか注文をせんかったらしいですわ。。やっと注文が決まって店長に伝えたら、しばらくして店長が二人のそばに来て、何か言ったそうですわ。そうしたら、二人がまたメニューを見て注文し直したらしいですわ。そんで、出てきたもんはちょっとだけの野菜とパパルやったんやて。 […]

シンゴ旅日記ジャカルタ編(11)  散歩しながら考える(イヌとネコと)の巻

散歩しながら考えるの巻 イヌとネコと (2018年3月記) 早朝散歩で出会う動物はまずイヌです。 イヌを連れて散歩する人たちと出会います。 イスラム教ではイヌは忌み嫌われる動物ですから、イヌを飼っている家は中国系の人か外国人が大半だと思います。 中にはインドネシア人のメイドさんが朝の散歩をさせているところも見かけます。 そして首輪のない野良犬にも出会います。まだ夜が明け切れない薄暗い時に、野良犬が近づいてくると怖いです。というのは、私は狂犬病の予防接種を受けていないからです。 会社でスタッフにイヌとネコの鳴き声をインドネシア語で何というのか聞いてみました。 イヌはグッ、グッ(guk-guk)で、ネコはメオン、メオン(meong-meong)と鳴くそうです。 お国が変わると動物の鳴き声も変わるもんですね。   イヌの次にはネコを見かけます。 普通は家の玄関先に座っていたり、家から道路に出てきた時に出会います。 でも、一度、草地を走り抜けるネコを見かけたことがあります。 まるでヒョウかチーターのような走り方でした。 それもそのはずで動物分類では、ネコもライオンもトラもヒョウも種は別々ですが、その上の科はネコなのです。ネコがライオン科でなく、ライオンがネコ科なのです。 イヌもネコももともとは肉食の野生動物です。でも、その狩猟方法が違うのです。 イヌは追跡型で、草原を走り抜ける長い足を持ち、相手が息を切らして休むところを狙います。 でも、イヌは木には登れません。 一方、ネコは待ち伏せ型で、木に登って獲物がやってくるのを待ちます。 ネコが木に登ることができるのは、小さな鎖骨があり抱きつくことができるからです。   イヌとネコどちらがヒトとの関わりが長いかというとイヌの方なのです。 世界の歴史からみるとイヌはヒトの狩猟時代から獲物を追う猟犬や番犬として付き合ってきました。 しかし、ネコはヒトが農耕時代に入ってからの付き合いなのです。 ヒトが穀物を貯蔵するようになり、ネズミの被害から穀物を守るためにネコが飼われ始めたようです。日本では中国から経典を持ち帰るときに船内で大切な経典をネズミにかじられないようにとネコが船に持ち込まれ、それが日本に入って来たようです。 日本の歴史で書物にネコが現われるのは885年の宇多天皇(第59代、867年~931年)の日記に先の天皇の光孝天皇(第58代、830年~887年)から中国産のネコをもらった時の描写があります。   ネコよりもイヌの方が先に人間と関わった証拠として、漢字が示しています。 「けものへん」の犭が犬という字形からできていて、ネコの漢字『猫』にけものへんが使われているからです。 今年の干支は戌年です。でもなぜ十二支にネコがいないのでしょうか。 神様  動物たちよ、お前たちは喧嘩ばかりしているのでリーダーを決めることにするぞ。 正月に一番最初に私のところに挨拶に来たものをリーダーとする。 そして、翌年からはその来た順番に入れ替わりとする。 ネコ    ネズミさん、ごめん、今、ボク寝てたんで、神様が何と言ったか教えてください なんか、神様は元旦の朝に集まれっていったんだよね。 ネズミ  違うよ、ネコさん、元旦はゆっくりしてください、その代わりに二日の日に集まれっておっしゃ たんだよ ネコ  そうか、二日の朝か、じゃあ元日はゆっくり寝ていよう となったわけです。 そして、なぜ小さなネズミが一等になったかというと、ウシさんが「ボクは足が遅いから大晦日から出かけることにしよう」と言うのを聞いたネズミが広いウシの背中にこっそりと乗り込み、その上で寝て行ったのです。 そして神様の家の前に着くと、さっと起き上がって「ありがとうウシさん」と言って牛の背中から下りて一番乗りしたからなのです。 二日に神様の所へ行ったネコの後日談です。 ネコ     あけましておめでとうございます。 今日は誰もまだ来ていません、私が一番乗りですね。 神様     たわけたことを申すでない、来いと言ったのは昨日の元旦のことじゃ。 何を寝ぼけたことを言っておるのじゃ。顔を洗って出直して来い ということとなり、ネコはいつも顔を手で洗うようになり、そして、自分をだましたネズミを追っかけるようになったのです。 でも、ネコさん、安心してください。十二支には国によって動物の入れ替わりがあり、ネコさんの入る国もあるのですよ。 それらはチベット、タイ、ベトナムで、ウサギさんの代わりにネコさんが入っているのです。 良かったですね。ネコさん。 また、ほかの国ではイノシシがブタになったり、トラがヒョウになったりします。 なお、十二支の動物にはそれぞれ縁起の意味があります。 十二支 動物 縁起 十二支 動物 縁起 子 ねずみ 子孫繁栄、財 午 うま 健康、ほがらかさ 丑 うし 誠実さ 未 ひつじ 豊作、人情 寅 とら 決断力、物事の始まり 申 さる 日和、柔軟さ 卯 うさぎ 家内安全、温厚さ 酉 とり 収穫、世話好き 辰 たつ 生命活動、正義感、信頼 戌 いぬ 安産、努力 巳 へび 情熱、追求心 亥 いのしし 無病息災、勇気 でも、十二支の漢字をみても動物とは関係ありませんよね。 十二支は本来は動物ではありませんでした。 もともとは12年で天を一周する木星の天の位置を示すための「年」の数詞だったのです。 それが月日や時間、方角に使用されるようになったのです。 方角では北東の「ウシトラ」、南東の「タツミ」、南西の「ヒツジサル」、北西の「イヌイ」が漢字の艮、巽、坤、乾となりました。   私は散歩中に一回だけウサギを見たことがあります。 野生ではありません、飼いウサギだったのですが、よその家の庭の草を食べていました。 イヌ、ネコ、ウサギ以外では、朝や夕方に飛びかう鳥たちです。 きっと、巣で待つ小鳥たちにエサを与えるために飛び交う小さな虫をとらえているのでしょうね。 それを見ると私は子供の頃のテンカラ釣りを思いだします。 夏の夕立が来そうな時は面に羽根のある小さな虫たちが飛び交うのです。 […]

シンゴ旅日記インド編(90)ワテは運転手 謝るは負けの巻

ワテは運転手 謝るは負けの巻 ワテは会社の運転手でんねん。 ご主人は日本人の社長さんですわ。 前の日本人の社長さんに二年、そして今の社長さんには二年以上仕えてまんのや。 前の社長さんは、奥さんと二人でインドに来てはりましたんやで。 今の社長さんは単身赴任ちゅうやつですわ。 そんで、前の社長さんが住んではったアパートに入りはったんで、3LDKに女中部屋がついてる広いアパートに一人で住んではるんですわ。 今の社長さんの奥さん、一回もインドに来てはらへんのやわ。きっと、ワテんとこみたいに、夫婦仲が悪いんとちゃうかなあって思ってましたんや。そんで、ある時な、社長さんに、奥さんはインドにいつ来(き)はるんですかってお聞きしたことがあるんでっせ。 そうしましたらな、社長さん、言わはったんでっせ。 『前に駐在していたタイも、単身赴任でした。タイは奥さんがいない方が良いんですよ。 でも、インドはそれとは違う意味で、奥さんを連れて来ない方が良いのです。』 ワテな、それが、どういう意味か今でもようわかりまへんのや。 この社長さんな、インドのもんを何でも食べはるんですわ。 前の社長さんは、奥さんがこさえた日本食の弁当を会社に持って来はって食べてはりましたわ。 でも、今の社長さんな、プネに来はってから毎日昼飯はインド食ですねんわ。 と、言うてもな、ここでは日本のレストランはオー・ホテルの中にある『原宿』だけですんや。 チェンナイやバンガロールなんかと違(ちご)うて日本食の弁当なんかありまへんのや。 最初の頃はワテがお店からもらってきたメニューをお見せして、チャーハンやカレーや、おかずやちゅうて注文して食べてはりましたけど、そのうちに毎日チキンカレーかベジ・ブリヤニになりましたわ。 ブリヤニって何かってですか、何ちゅうのかなあ、お米料理ですわ。 中華のチャーハンでものうて、イタリア料理のリゾットでものうて、そうそう日本の釜飯ちゅうか、炊き込みご飯みたいなもんですわ。 えっ、料理のことぎょうさん知っとるやないかってですか? ワテ、こう見えても、料理得意なんでっせ。 前に社長さんのお家で人が集まらはった時に、インド料理を作ってあげたこともあるんでっせ。 そういえば、最近、社長さんはインド料理を作ってくれっていいませんな。 あの時に買(こ)うといた香辛料のパウダーはまだあるんやろか。もう封切ってから一年以上たっとるさかい、賞味期限が切れとるはずやわ。 今度社長さんに聞いてみたろ。 そやそや、その社長さんのランチのことやった。 社長さんな、毎日続けてインド料理ばっか食べてましたんや。 ようも飽きんと毎日食べてはったと思いますわ。 そやからビスネスマンのことを日本では商人(あきんど)といいますんかいな。 去年来(き)はった若い日本人のスタッフ二人も社長さんの真似して毎日インド料理を食べてはったんでっせ。最初はタリーとかダルカレーとかばっかりでしたけどな。最近では中華料理まがいの店を見つけて、そこから中華料理を取って、三人で分けて食べてはりますわ。 うちの社長さんな、いつもは冗談ばっかり言ってはるけど、時々、カッーとなりはるんですわ。 たとえばですか、そうやなあ、そうそう、うちの会社な、去年から現地法人化されたんやて。 その前は駐在員事務所ちゅうステータスやったんやて。 そんで、この前な、庶務担当が駐在員事務所を閉鎖する続きで、銀行へ追加で提出する書類の作成で間違いをしましたんや。 ワテな、事務所におるときは、二人の近くに座ってますのやけど、お仕事は関係あらへんからね、何のことやら、てんで、わからへんかったんですわ。 社長さんが書類にサインする前に言わはったんですわ。 『何ですか、これは、少し、おかしいのと違いますか。 私がサインする書類ばかりでなく、会計士が提出する書類も、うちのレターヘッドになっていますよ。それに、そのレターヘッドが駐在員事務所のものでなく、今の法人会社のものですよ。 前のレターヘッドで作り直しなさい。』って言わはったんですわ。 庶務担当な、その時、社長の方を見んと、パソコンを見つめてじっーと黙ってたんですわ。 いつもやったら、ようけ言い訳する奴なんですわ。でも、その時は、自分が悪いってことが、バレバレやさかい、言い訳が出来んかったんでしゃろな。 そして、ちょっとしてから、社長さんに言われた通りに、書類を作り直して、印刷して、何も口利かんで、そぅーっと社長さんの机の上に置いたんです。 そしたら、社長さんが、『あのね、私に書類を出す前には、しっかりと確認をしなさいね。今回は何を間違えたのか、わかりましたか?そして、間違っていたら、すみませんと言わなければいけませんよ。』て、ちょっと強い口調で庶務担当を叱りはったんですわ。 そんでも、庶務担当は、またじっーと黙ってパソコンを見つめたまんまでしたねん。 ワテ、インド人でしゃろ。庶務担当の気持ちは全部分かりますわ。 そんなん、自分がミスしても、謝ったら負けでんがな。絶対に謝ったらアカンのでっせ。 庶務担当な、黙っておったんで、社長さんな、アップセットしてシャウトしだしましたんや。 『おいおい、誰にも間違いはあります。しかし、間違ったらすみませんと謝るのが普通ですよ。 そう思いませんか』て言うて説教口調になりましたんや。 これ標準語で言うと、怒っているように見えませんね。 関西人やったら『おい、わりゃ、どこ見てけつかるねん。ちょっと、わいの話し聞かんかい。 そんなん、間違いなんか、誰でもするがな。そやけどな、間違えとったら、カンニンやって謝るやろ。そんなん、当たり前やんけ。ワレ、どついたろか、いてまうで。』 て、言うんやろか。でも、怒鳴る時は何でか、河内弁がちょびっと入ってしまいまんな。 そんで、会社が終わって、ワテが社長さんをアパートに送る時のことですわ。 その時は、いつも一緒に帰る日本人スタッフ二人は出張に行っておって、おらんかったんですわ。社長さん、独り言のように、でも、ワテに聞くかのように言わはったんですわ。 『ミスしても謝らないのは個人の問題でしょうか、それともインド人一般の問題でしょうか』 ワテな、運転しながら、ルーム・ミラーでちょびっと社長さんの顔を覗いてから答えましたんや。 『社長さん、それは個人の問題です。インド人一般や思われたらつらいです。』 ワテな、『謝らないのは、インド人一般であると決まっていますよ。』って本当は言いたかったんや。 そやけど、社長さんが、きっとそれは個人の問題やって思いたがってはりますやろ、そやから、つい『それは、個人の問題です』って口に出てしもうたんですわ。ワテも、ええ加減な人間でんな。 ワテもインド人やさかい、場に合わせてしゃべるんが、うまいんやろなあ。 そやそや、この社長さんが来てから、ワテらスタッフな、毎朝打合せをしますんや。 運転手のワテも入れてでっせ。そんなん、まず、時間通りに始まりませんわ。 うちのスタッフは私を除いて、みんなバイクを運転して会社に来るんでっせ。 ぴたっと、8時半に会社に来れまっか。絶対5人のうち一人は何分か遅れまんのや。 社長さんな、遅れるときは電話せいって言わはって、最初は、みんな、まじめに5分遅れます、10分遅れますって社長さんに電話してましたわ。 そやけど、今は連絡してこん人もいますんや。誰かって、そんなん、名前は言えませんがな。 そりゃ、バイクの運転中に携帯使って、ちょっと遅れまっせって言うのは面倒ですもんね。 そんで、社長さんも心得たもんで、8時半からやのうて、みんなが会社に来てパソコン開いて、メールを一通り読んだと思われる8時45分ころから打ち合わせを始めるんでっせ。 みんな言うても、ワテだけパソコンはありませんけどね。 打合せは、これまた、狭い会議室に入るんですわ。 六人しか座われん部屋に八人が入るんでっせ。そやさかい、椅子が足りませんがな。 二人は、どうしても自分の机の椅子を持ってくる必要があるんですわ。 で、部屋に入るのに手間取っておるのんがいても、社長さんな、無視して『Good Mooorning』って始めてしまうんでっせ。早うせい、時間通りに始めるちゅう意味やそうですわ。 そして、社長さんが、まず全体的なことや、ご自分がその日にすることをしゃべりはりますわ。 社長さんな、気分がいい時は、今の季節は日本ではこんなんやとか、今日は中国と日本では何々を祝う日ですとか、タイではこんなことがありましたとか、いろんなこと話してくれますわ。 そして、今度のインドの祝日は何の神様を祝うんやとか、隣の州の選挙結果とか、ご自分が見はったり、聞かはったりして分らんことをスタッフに聞いたりしまんのや。 ワテら、ちゅうか、ヒンズーの人な、ファミリーゴッドがまちまちなんですわ。 インドの文化についてはお互いが違うこと言ったり、知りませんって言うと、社長さんな、ニコニコ笑って、これがインドなんやなあって顔してはりますわ。それに、社長さんな、ワテらの知らんインドのことを時々しゃべらはる時もあるんでっせ。どこでそんなこと調べてはるんやろか。 社長さんの話しが終わると、座っとる順番に今日することを話すんですがな。 他の仲間はええですわ。 営業もメンテも庶務もすることあるさかい。無かっても昨日やったこと報告すれば済みますがな。 ワテは庶務の補助も兼ねてますけど、メインが運転手ですやろ、その日にするお仕事とってほとんどおませんのですわ。でも、社長さんな、聞いてきよるんですわ。『全くすることが無いというわけではないでしょう。何かあるでしょう。一日中机に座ってるだけですか』これ、いじめとちゃいますか。 そんで、ファイリングを手伝いますとか、電話代を支払いに行ってきますとか、エアコンの掃除を頼みますとか、いろいろ考えなアカンのですわ。運転手はつらいよ、ですわ。 そんで、ある時な、、、アカン、アカン、もう社長さんを空港に迎えに行く時間やわ。 ちょっと遅れると、すぐ電話かけてきよるんでっせ。あの社長さん。 そんなん、インドですがな。時間通りになりませんがな。 この前な、社長さんが出張から帰って来て言ってはりましたで。 『飛行機が到着し、CAがアナウンスで、時間通りに到着しました。時間を守るのは大切なことですって言いましたよ。しかし、その飛行機は定刻20分前に離陸してたんですよ。』 そんなもんでっせ。インドは。アカン、もうアカン、また今度お話しまっさ。 まあ、今の社長さんが来てから毎日おもろいことばっかでんがな。楽しいおまんな。運転手は。 あっ、ワテ、さっきはつらいって言ったばっかりやのに。 まあ、インド人は、間違っても謝らんし、知らんでも知っとる顔するちゅうことですわ。 なんせ、謝ったら負けやし、それに知らん言うて相手をがっかりさせんとこ思うてますのや。 付け加えときますけどな、社長さん、すぐ怒鳴る人やけど、スタッフとは仲が良いんでっせ。 さっきの庶務担当なんか社長さんを先生か父親見たいに思ってますわ。ほな、さいなら。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(89)我輩は牛でんねん 祭りの巻

我輩は牛でんねん 祭りの巻 (2014年4月記) もしもし、そこにおるんはギフのおっさんやないですか。 久しぶりでんなあ。 あれっ、何ですか頭を剃って、髭を生やしてもうて。 日本から来た坊さんかと思いましたで。ナンマンダブ、ナンマンダブ。 えっ、あんさん、チェンナイに移ってしもたんですか。 そんで、月に一回はプネに来るけど、アパートを引き払ったんで、ホテルに泊まっておるちゅうんですか。 チェンナイでっか、ホ~ン、そこには我輩の弟がおりますんやで。 えっ、なんで我輩の弟がチェンナイにおるんやってですか。 我輩も弟も、生まれはバンガロールなんですけどね。 我輩らは大東亜戦争が始まって食糧不足を補うための和牛と印牛をコーハイさせるワイン計画で生まれたもんやさかい、えっ、前に教えてあげたんやけど、もう忘れてしもたんですか。 やっぱ、齢でんなあ、気ぃつけなはれや、嫁さんの誕生日とか、結婚記念日覚えてまっか。 ワイン計画ってね、日本とインドの優秀な牛をコーハイさせて、粗食やけど、おいしい乳や肉がぎょうさんできる牛を作ろうっちゅう計画でしたがな。 我輩や弟の場合はコーベ牛のオトンとバンガロール生まれのオカンのコーハイの結果ですわ。 そんで我輩はプネに、弟はチェンナイに送られたちゅうわけですわ。 オトンもオカンも、後に生まれた妹もバンガロールにおりますわ。 弟のおるチェンナイにはバンガロールで生まれた仲間も、そこにようけおるんでっせ。 ヒダの弟のミノも、マツサカの兄のシマもおりまっせ。 ミヤギの弟は、えーと、あれっ、ワテも名前が出てこんようになってもうたは。歳やろか。 まあ、こいつらはコーハイの後輩ちゅうわけですわ。   なんで、インドでワイン計画が行われたか知ってまっか。 ここなら、どんなおいしい肉が出来る牛ができても、インドやったら、それを食べる人がおらんちゅう発想ですわ。 中国でしたら、あきまへんがな、コーハイする前に食べられてしまいますやろ。 それにしても、あのころは日本とインドは仲が良かったんでっせ。 けど、なんで、日本にビーフカレーとか、ポークカレーちゅうて、インド人が聞いたら怒るような料理がでけたんやろか。 まったく、けったいな国でんな、日本は。 そうやったら、カレー・スパゲッティ、カレー・バーガー、カレー茶漬けちゅうもんも、でけてるんとちゃいまっか。 こうなると、日本と世界の国の料理のコーハイでんな。 えっ、日本料理が世界遺産になったんですか。 ビーフ・カレーも世界遺産になるんやろか。   コーハイちゅうたら、オトンの一族のコーベギュウもな、もとは田んぼで仕事しとったタジマギュウと西洋のブラウン・スイス種ちゅう乳や肉がぎょうさん取れる牛とのコーハイやそうですわ。 あれっ、ちゅうことは、我輩にはスイスの牛の血が流れておるちゅうわけですな。 我輩はこれでちょっと仲間に対して鼻が高(たこ)うなりますな。   あんさん、日本では、売られてる牛肉に『和牛』と『国産牛』の表示があるそうですな。 和牛はわかりますが、国産牛ってなんですのん。 えっ、外国から輸入した牛でも、日本で飼育し期間が外国で飼育していた期間よりも長いと国産牛になるんですって。外国におった方が長かったら輸入牛になるんですか。 ホーン、そしたら人間やったら、帰化するようなもんですな。 けど、そうやったら、外国で長いこと飼育されて、日本に輸入された牛と和牛とをコーハイさせてできた牛は和牛なのやろか、国産なのなやろか、それとも外国産なのやろか。 我輩にはようわからんですわ。 えっ、日本の牛肉の生産量を知ってるかってですか。 2010年度の日本の牛肉の生産量は、和牛が155千トンで、 国産牛が202千トンで、国産牛の方が和牛を大きく上回る量が生産されておるんですか。 そして1991年から自由化されている『輸入牛』の輸入量は、国内の生産量(357千トン)を大きく上回る、511千トンやったというんですか。ホーン。 ちゅうことはあんさんは、畜産関係のひとでっか?   えっ、何ですか?チェンナイにおる我輩の弟はどんな奴かってですか。 あんさん、相変わらず、話がつながらん人でんな。 今、牛肉の生産について話しておったばっかやないですか。 弟でっか、牛でっせ。えっ、そうやのうて、どんな性格やってですか。 弟な、なんせチェンナイに行きましたやろ、タミルナドゥ州ですがな。 タミル人ちゅうたら、独立心が強うて、言葉もヒンズー語とまったく違うクルクル文字でっせ。 お尻文字とも言う人がいますけどな。 それにお祭りや儀式の多いタミル人の社会やないですか。 そんで、おとなしい我輩と違うて、弟はお祭り好きで、独立心旺盛な牛になりましたんやで。 えっ、誰がおとなしいってですか。あんさん、結構耳がよろしいおまんな。 そんでね、弟とも時々、テレパシー通信で近況を連絡し合っておりますわ。 そうするとね、なんか偉そうにインドの政治や、経済の話をして来ますわ。 我輩な、あんさんのことも、時々弟に連絡してましたさかい、チェンナイに行かはったことを弟に伝えておきますわ。 我輩らの通信は言葉だけやのうて、映像も送ることが出来るんでっせ。   そやけど、お祭りちゅうたら、日本にはコーハイ、ちゃうコーハク・ソング・バトルちゅうんですか、12月の終わりの日にぎょうさんの歌い手さんが順番に出て来て歌う祭りがありますやろ。 あれで、最後にサブやんが、よう歌ってましたな『まつり』ちゅうやつを。 我輩は、こう見えてもサブやんのファンですねん。 えっ、サブやんやない、サブちゃんですって。 サブやんゆうたら、パチンコのクギシですって、なんですかクギシって。 パチンコちゅう遊ぶ台のピンを調整して玉が穴にはいることを加減する人ですって。 へぇー、パチンコちゅうたらあの昭和の始めに西洋のコリントゲームとかウォールゲームからスタートしてできたギャンブルでんな。 なんかオトンから聞いたことがありますわ。 けど、インドにはそんなんは、おませんで。 えっ、その漫画の原作は牛(ぎゅう)次郎っていうんですか。 なんか我輩らと関係がありそうでんな。 そんで、その牛さんは1986年に臨済宗妙心寺派で出家しはって牛込(うしごめ)覚(かく)心(しん)と名乗り、1989年に自分で設計したお寺を静岡県伊東市に建てられたちゅうんですか。 ホーン、ますますインドに関係が深いひとですなあ。   そんでね、サブやん、ちゃう、サブちゃんが歌うときにな 『ねぶた』ちゅうもんが出てきますやんか。 我輩はそれを最初に聞いたときに『寝豚』かと思いましたわ。 酢豚は知ってましたけどな、ネブタは知りりませんでしたで、 何で祭りに寝てる豚が出るんやろうと思うて不思議でしたわ。 そんでな、弟の祭り好きはオトンの血も引いてるようですわ。 オトンな、葵祭りなんかにも、よう出ておったらしいですよ。 えっ、葵祭りってなんやてですか。 あんさん、葵祭りをご存知ありませんか。 石清水祭、春日祭と共に歴史のある京都の三勅祭(ちょくさい)の一つやおませんか。 勅祭わかりますか?朝廷、つまり天皇さんが音頭を取る祭りでっせ。 そやから、一般の人たちの祭りの祇園祭に対して、葵祭りは賀茂氏と朝廷の行事として行っていたのを貴族たちが見物にいくようになったちゅう由緒ある祭ですのやで。 それに、京都三大祭りの一つですがな。 えっ、京都の三大祭りってなにやってですか。 これまた、難儀やなあ。 そやそや、あんさん、岐阜の生まれでしたさかい、ご存知おませんのやね。 岐阜の祭りについては、あのヒダの奴から聞いたことがありましたわ。 岐阜の三大祭ゆうたら、タカヤーマ祭り、グジョー祭りそしてドーサン祭りやて、これホンマでっか。 ドーサンちゅうたら京都出身のお侍が油売りになって、岐阜に移って、土岐氏滅ぼして、斎藤家をのっとって美濃を押さえたマムシのドーサンのことですやろ。   そんで、話は戻りますけどな、京都の三大祭りゆうたら、5月の葵祭、7月の八坂神社の祇園祭、それに10月の平安神宮で行われる時代祭りですがな。 これもオトンの受け売りですけどな。   葵祭りは、正式には賀茂祭ちゅうてましてな、賀茂(かも)御祖(みおや)神社(下鴨神社)と賀茂別(わけ)雷(いかずち)神社(上賀茂神社)で、本来は陰暦四月の中の酉の日やったけど、今は5月15日に行なわれてますわ。   祭りの行列の人達の冠や牛車や桟敷(さじき)の御簾(みす)をフタバアオイとカツラで作った葵(きっ)桂(けい)で飾ることから『葵祭』と呼ばれるようになったとのことですわ。 これね、葵がメスで、桂がオスやちゅう説もおますんやで。 こんな話があるなんて、昔の人は粋やったんやね。 葵祭りな、さっき言いました三勅祭りの一つの石清水八幡宮の『南祭』に対し『北祭』ともいわれますんやで。 そして、平安時代に祭といえば葵祭り、つまり賀茂祭のことやとオトンが言ってましたで。 あれっ、オトンはそのころ生きておったんやろか。   そんでや、ここからでっせオトンの出番は。 […]

シンゴ旅日記ジャカルタ編(10)  散歩しながら考える(出会い)の巻

散歩しながら考えるの巻 出会い (2018年1月記) 2018年になりました。私は今年の健康テーマを作り「めざせ2018」と名付けました。 えっ、それはなんですかって。はい、体重の20%である18kgを今年中に減量するのです。 あれっ、これで現在の体重がばれちゃいましたね。そうです、私はメタボリックなのです。 振り返りますと2015年はインドにいて運動不足を解消するために、マンションのジムのウォーキングマシンの上を歩いていました。2016年は3月に日本に本帰国となり、そしてインドネシアへの辞令をもらい7月からチカランに移りました。そして辺りのことを知りたくて早朝散歩を始めました。 しかし、翌年の2017年はお正月の一時帰国からこちらに戻ってからは朝がまだ暗い、仕事で疲れた、二日酔いで眠いとかいろいろ言い訳を作って散歩をサポっておりました。 下のグラフは2015年、2016年、2017年の月別の一日の平均歩行距離を表したものです。 スマホのアプリです。去年は一日1.4kmとほとんど歩いていないに等しい日々でした。 昨年11月に日本で受けた健康診断の結果、運動不足と肥満により健康状態が悪くなってきていることを数字で知りました。それで、体重を落とさねばならないと決断し、年末に日本から戻って来て、早朝散歩を再開することにしました。私の朝散歩では次のコースの組み合わせです。 私のサービスアパート前の住宅地。池を半周する一本道コース、通りの名前は湖の名前です。 雑木林。森林浴コース 雑木林の向こうの住宅地。広いので右回り、左回りとその日に合わせ歩く方向を変えます。 そしてアパートへ戻る時に道路に面した住宅地を通ります。 住宅地の中にある通りにはインドネシアの山、湖、丘、花の名前が付けられています。 自動車道路には昔の王朝の名前が付けられています。 たとえば私の住むアパートの前はパジャジャラン通りです。 西ジャワにあった王朝の名前で、バンドンにある大学の名前にもなっています。 自動車道路で魚の背骨のように中心を走っている通りの名前はタムリン通りといいます。 ジャカルタの目抜き通りと同じ名前です。タムリンとはインドネシアの民族主義者の指導者であったムハマッド・フスニ・タムリン(1894年~1941年)から付けられたものです。 池をめぐる住宅地に入って行くと入口近くの家で犬を何匹も飼っている家があります。 一昨年は3人の若者たちが一人一匹ずつの子犬を連れて歩く光景に出合いました。 しかし、今回はその人数が6人以上となり、犬の数もそれだけ増えていました。 それにその子犬の群れの他に中型犬、大型犬を一匹ずつ連れて歩いている若者にも出会いました。きっとあの家の人はブリーダーをやっていて、儲かっているのでしょうね。 犬の散歩といえば排泄物の処理をしっかりしているかが気になります。 日本ですと犬を連れて散歩する人はちゃんと後始末をする小道具を持って歩いています。 こちらではどうだろうかと気になりました。 その住宅地では犬が用を足すと、連れている人がポケットから袋を出して拾って袋に入れていました。インドネシアも町をきれいにする意識が生れて来たんだ、とその時は感心しました。 しかし、すぐにびっくりしました。犬の○○が入ったその袋を道路脇に置いてそのまま歩いて行くのです。持ち歩くのが嫌だから帰りがけにそれを拾っておうちに持って行くのでしょうね。 ある朝は赤い色、別の日には白い色の袋が道路脇に点々としていました。 でも、ほかの住宅地や通りではまだ犬が用を足してもそのままにして行く光景をみかけます。 インドもそうでしたが、公衆道徳を身に付けるには時間がかかるのでしょうね。 それにしてもあのたくさんの犬を飼っている家の前を通ると犬の鳴き声でうるさいです。 せめて住宅地では一軒に二匹までか、あるいは多くても家族の人数以上の犬は飼わないように規制できないのでしょうかね。 その池をめぐる住宅地の散歩コースは行き止まりのため、その突き当りの折り返し地点はロータリー状の草地となっています。 ある朝、その草地に生えている草を鎌で刈っている人がいました。 私は農家出身なので、子供のころはおじいさんに草刈りの指導も受けました。 鎌で草を刈る時は左手で草をつかんで右手の鎌をその根元にあてて同時に引きます。 右手と左手をシンクロさせることにより右手の鎌で、左手の指や腕を傷つけることがありません。 でもその人は草を手でつかまないで、鎌で草を殴るようにして刈っていました。 これでは草を根元まできれいに揃えて切れず、切り残る茎の高さがバラバラで美しくないのです。 きっとおじいさんが生きていてその刈り方を見たら、「これこれ、こうやってかるのだよ」と指導してしまうかも、と、そんなことを考えながら眺めていました。 そして、私はその男の人が持っている鎌が日本と同じ形状なのか気になり、その人に近づいて行きました。 私        すみません、鎌を見せてもらえますか。 その人  どうぞ。 私        日本にも鎌(サビット)があるのですよ。 その人 それはなんと呼ぶのですか 私        「KAMA」です。どうして草を刈っているのですか? その人 ヤギの餌です。ヤギを10匹飼っているのです。 私        乳を取るのですか? その人 いいえ、大きくして売るのです。 私       何年くらい飼うのですか その人  二年です。 私        一日にどれくらい刈るのですか その人  この袋に二杯です。 その草を刈る人と別れ、歩いて来た道を折り返して行くと、住宅地の出口近くでエンジン式の草刈り機を持った人たちが刃を回転させながらヤスリで刃を研いでいました。 さっきの人は機械で草を刈り取られて無くなる前にヤギのエサ用に草を手当していたのでしょう。 散歩中には私と同じように歩いている人やジョッギングしている人たちとも出会います。 私の印象では男の人は一人で歩いたり、ランニングしたり、あるいは奥様連れで散歩していますが、女性は一人で散歩する人は少ないようです。 女性は旦那様かお友達と一緒に散歩しながらおしゃべりをしている人が多いようです。 その話声から韓国の人たちが多いことがわかります。 ある時はインド人とわかる中年カップルとすれ違いました。 その時、旦那さんと目が合い「Good Morning」と挨拶されたので、私も英語で挨拶しました。 そして、すれ違って数歩歩いてから、「しまった。今度出会ったら「ナマステ」と返事をしよう」と思いました。 そして、朝ですから日本と同様に新聞配達をする人やパンを配達の人にも出会います。 朝のまだ静かな商店街通りを歩いていた時のことです。 道路横でオートバイを磨いていた人が、立ちとまって見ていた私に「スラマット パギ(おはようございます)」と声を掛けてきました。 私        おはよう。新しいオートバイですね。 その人  はい、ホンダの新型です。 私        なにが新しいのですか? その人  チューブレスなのです。 私        いくらしたのですか その人  18.1百万ルピア(13万円)です。 私        分割払いですか? その人  現金払いです。 私        お仕事は何ですか? その人  警備員です。 私        警備員ってお金持ちなんですね。私も警備員に転職しようかな。 と言って分かれました。 住宅地の散歩からサービスアパートに戻る途中に大きな庭木が道路に面している住宅があります。 ある土曜日にその住宅の一軒で、たわわに生っているランプ―タンを取っている中年夫婦がいました。 旦那さんが竹の竿を使って実を枝ごとひっかいて落とし、奥さんが落ちた実を拾い集めるのです。 私は立ちどまってその作業を眺めていました。 というのは、これまた私の田舎時代の渋柿取りに似ていたからです。 田舎では竹竿の先を割いて小さな枝を挟んでY字にし、そのY字の割れたところに柿のヘタの先を挟んで捩じって取りました。 ランブータン取りの竹竿の先がどうなっているのかを観察すると、先が割れているのでなく、竿の先には針金がフック状になっていました。 その針金のフックで枝ごとひっかけてランブータンを落としているのです。 その作業を見ていると、ランプ―タンのなった小枝を拾っていた奥さんが「持って行きなさい」と言って取れたばかりのランプ―タンを何本も私に渡そうとしました。 私は一人で住んでいるのですと言って一枝だけもらってそこを後にしました。 次の週の土曜日の同じような時間にまたそこを通ると、ご主人だけが庭に出ていて、ランブータンがまだたくさん残っている木を見上げていました。 私        […]