シンゴ旅日記ジャカルタ編(19)  日帰り温泉地チアテルの巻の巻

日帰り温泉地チアテルの巻 (2017年10月記) 温泉と言ってもインドネシアの温泉と日本の温泉のイメージは異なります。 日本では温泉とは海や山にある大きなお風呂や露天風呂に裸でゆったりと浸かってリラックスするものです。そして美味しい地元の料理を食べたりします。インドネシアはそうではないのです。 私の今回を含めて二度目のインドネシアの温泉での経験からすると、こちらでいう温泉は山あいの小川に温かい水が流れ、そこで足湯、腰湯をするものです。そして、温泉地には家族、友人と行き持参した料理を一緒に食べるというピクニック気分だとだと思います。 私は先月末に中部ジャワのグチの温泉地に行ってから、インドネシアの温泉地に興味を持ち、きっと他には日本のように肩まで熱い湯に浸れるところがあるのではないかと期待しました。 それで会社で部下たちにジャカルタ、チカランの近郊にそんな温泉地がないか尋ねました。 そして勧められたのがバンドン近郊のチアテルでした。 ある日曜日に日本人部下と出張者とでそのチアテルに出かけることにしました。 チアテルに行ったことのある私の運転手さんが道案内を兼ねていました。 チアテルはジャカルタからは150km、私の住むチカランからは110kmの所にあります。 ネットでチアテルの写真を見ると、立派なホテル施設あり、サバイバル遊園地あり、そして美女たちが川の周りでポーズを取っている写真が紹介されており、私は期待に胸を弾ませるばかりでした。 朝8時にチカランを出発しました。 一緒に行った二人は私がタイ、インドに駐在時に機械の製作や据付で来てくれた気の置けない若い仲間でした。チアテルに向かう車中では一緒に仕事をしたころの楽しかった思い出や、ほかの仲間の失敗談などで語り合っていきました。 チアテルはバンドンの北35kmの所にあります。 バンドンへはチカランから高速道路に入り、途中の分疑点で右(南)に向かうのですが、我々はそこを曲がらず、そのまま真っ直ぐに東に進み、スバンで高速道路を下りて田舎道に入りました。 スバンの町並みを過ぎて田舎道に入ると道路脇ではパイナップルを売る小屋が立ち並んでいました。それを過ぎるとお茶畑が続く丘陵地帯でした。 あとで知ったのですがチアテルはタンクバン・パラフ(ひっくり返された船)という標高2,076mの火山の麓に位置する温泉地なのです。 この山の由来にはインドネシア人が誰でも知っていると言う有名な昔話があります。すみません、それを知りたい方はネットで『インドネシアの民話「サンクリアン」(Sangkuriang:タンクバンプラフの起源)』で検索してみてください。ギリシャ神話かディズニー映画にも出て来るような昔話なのです。 私たちは10時半に目的地のチアテルに到着しました。車で通過するゲートでひとり32,000ルピア(270円)、車30,000ルピア(250円)の入園料を払いました。 .私たちは土産物屋さんが回りに並ぶ駐車場に車を止め、車を降りて運転手さんと一緒に遊園地に向かいました。 入口近くではガメランの生演奏とラーマヤーナに出て来る人形の歓迎を受けました。チアテルの温泉地に来たことがある運転手さんの案内で園内を歩いて行くと、ここも山から流れている熱い湯の谷川を利用した温泉地であることがわかりました。 最初にあったのが足湯でした。リュックを背負ったまま湯に足をつけるとかなり熱いお湯でした。 そして足湯を終えて、谷川に沿って坂を下っていきました。 するとネットで見た広い池があり、多くの人々が腰湯をしていました。 しかしネットの画像に写っていたような若く美しい女性たちはいませんでした。 そこで湯に浸かるのかなと思っていたら、運転手さんがまだ先がありますと言って、私たちをその先に案内してくれました。 すると、人々が浸かっていた池から流れる水が滝となり、狭い谷を流れ、その両側が休憩所になっているところに出ました。その休憩所では家族連れがピクニックよろしく食事をしていたり、上半身裸で横になって気持ちよさそうにマッサージを受けている人たちもいました。 私たちはその休憩所を一周して池に戻り、近くの更衣室の入口で2,000ルピア(17円)を払って水着に着替えてから、池に向かいリュックなどの荷物を運転手さんに預け、池の中に入っていきました。池の底は丸い石が敷き詰められていてまるで川原をはだしで歩くようで、歩きにくいものでした。 それでも、慎重に前に進み、ちょっとした滝に打たれたり、三人で腰を下ろして湯に浸かりました。 私は体全体で湯に浸かりたいと思い、倒した体を後ろ手で支えようとしたら片足が上がってしまいました。その姿勢からシンクロナイズド・スイミングみたいに両足を水面に出したポーズとなりました。 それで、他の二人にも同じようなポーズを取るように言うと二人は恥ずかしがっていましたが意を決して私の真似をしました。それを荷物の番をしていた運転手さんが写真に撮ってくれました。 池から上がり、次にはいくつもの大きな急須から流れ落ちる湯を頭から浴びるところに行きました。 そこで三人で頭から湯を浴び、急須の出口を手でふさぐと他の出口の湯の流れがどうなるかなどして遊びこれで温泉も終りかなと思っていたら、運転手さんがまだ別の温泉があると言って、今度は下りて来た坂道と別の道を登って行きました。 すると湯けむりを立てて流れ落ちる滝が見えるところに出ました。 写真に撮っても湯けむりか水煙がわからないだろうねと言いながら記念撮影を取りました。 滝の場所から少し登って行くと、洋弓射撃場、カラーボールを使った戦争ゲーム場、そして薬草の足湯かと思ったら魚が古い皮膚を食べてくれるスキンケア―の池がありました。 そして歩いていると運転手さんがここにはプールもありますと言うので、私たちはそこに行くことにしました。運転手さんはプールの外でコーヒーを飲んで待つといいました。 プールの入場料はひとり45,000ルピア(380円)でした。プールは広く、深さによって二つに仕切られていました。十分に熱かったので泳ぐことよりも、ゆっくりと浸かることにしました。 ちょっと湯の中に潜ると少し塩分が混じっているのか目を開けると刺激がありました。 水中眼鏡(古い表現ですねえ)を持ってこなかったのを後悔しました。 プールから上がると12時近くになっていました。待ち合わせした運転手さんが、ここから5km先にタングバン・パラフと言う火山があると言って携帯で写真を見せてくれました。 私たちは折角ここに来たからとその火山に行くことにし、行く途中で食事をしようと言うことになりました。チアテルを出発し急な坂道に建っている食堂で鶏、ヤギ、ウサギのサテを食べました。 食事を終えて、さらに車で走り、火山の登り口に着くとゲートがあり入山料を支払うことになりました。 いくら支払うのかと運転手さんに聞くと、窓口の人が私たちにKITAS(滞在許可証)はあるかと聞いているというのです。 滞在許可証のあるかないかで入山料が違うのです。滞在許可証がある外国人の休日料金はインドネシア人と同じ3万ルピア(250円)で、それがないと30万ルピア(2,500円)とのことでした。 そして車は35,000ルピア(290円)支払う必要がありました。 平日料金はそれぞれ20,000ルピア(167円)、200,000ルピア(1,670円)でした。 それにしても10倍とはインドネシア観光局も考えねばなりませんね。 私はインドの観光地にも同様に外国人価格があったことを思い出しました。 ゲートを過ぎ山頂に向かう山道は急で、曲がりくねり、日本のように安全対策がとられていなので下りて来る車とすれ違う時はスリルのあるものでした。山頂では執拗な土産売りの人たちと楽しく会話し、ガイド代わりに火山の説明を聞き、景色を堪能してチカランに戻りました。 何年か前までは火口まで下りて行き、足湯などが出来たそうです。現在は火口を一周するコースも歩く場所が制限されています。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(98)ワテは運転手 倒れつながりの巻

ワテは運転手でんねん、ご主人は日本人ですわ。 先週は大変でしたわな、雨季がやっと来たかなと思ったら、大雨ですがな。 そやそや、会社からの帰りですわ。 いつも、社長さんを先に降ろして、そして日本人社員おふたりさんをお届けするんですわ。 朝はその逆ですけどね。 社長さんのアパートは町の中やのうで、植物園や競馬場の近くなんでっせ。 近くにちっちゃいお店があるだけですわ。 そんでもって、大きい道から、ちょっと小道に入らなアカンのですわ。 先週の帰りに、その小道に入りましたらな、すぐ前にいた乗用車が急停車して、Uターンを始めましたんや。またかいな、インド人特有の行き先間違いかいな、と思って車停めて待ってたんですわ。 そんで、その乗用車が後ろに行きよったさかいに、前に出ようとしたら、あきませんがな、木が倒れて道を塞いでましたんや。 これやったんかいな、乗用車がUターンしたんわ、と思いましたわ。 ワテらも、Uターンですわ。 路地にバックして、Uターンしようとしましたらな、社長さんが、ちょっと待てちゅうて、車を降りて写真を撮りに行かはりましたわ。 そんで、Uターンして大きい道に戻って、もう一本先の道を右に回って、軍人さんの住宅街を通り抜けて社長さんのアパートへの道に出ましたがな。 社長さんな、こんな抜け道があったんかちゅうて、窓から外を見てはりましたわ。 そして、そやそや、ここで会社からの道とぶつかるんや、休みの日には時々ここを自転車で通っとるちゅうて言わはりましたわ。社長さんのアパートから日本人おふたりさんのアパートへ行くんは、来た道と違う方向へ行くさかい、木が倒れとった道は通らんでエエのですわ。 そんで、次の日の朝ですわ。社長さんを迎えに行って、前の日の道を通りますとな、通れましたんや。 倒れた木が車が通れる位に切ってありましたんや。 社長さんな、ちょっと車を止めぇって言わはって、また写真撮影でんがな。お好きですな写真撮るのが。 そんで、その日は午前中に、珍しく社長さんと営業マンが車の一時間のお客さんところに行くことになりましたんや。 なんでも機械の据付状況の確認らしいですわ。 そんで、お客さんのとこに行って、用事が済んで、事務所に戻るんが、昼をちょっと過ぎたんで、ランチを買って帰ろうちゅうことになったんですわ。 ワテがいつもノンベジのランチを買う店に行きましたんや。そんで道端に車を停めて、ワテはランチ買いに出て、社長さんと営業マンが車の中で待ってましたんや。 ワテが、ランチを買って、持って、車に戻りますとね、社長さんが、車の外に出ておって、歩道に立ってますんや。なんやろうなて思うたら、ここも雨で木が倒れてて、その木がノコギリで刻んでありましたんや。 社長さんの側に行きましたな、社長さんがちょっと見てみい、この木は幹がえぐれてる木で、そこに歩道を掃除するホウキなんかがしまえるようになっておる。そして、集めたゴミをそこで燃やした跡があるって言わはるんですわ。ワテはそんなもんかなあって思って、ランチ持って車に乗りましたわ。   車に戻った社長さんが言ってはりましたわ。 シンガポールやタイでもそうやった、日が射すから、雨に濡れるからと言って木陰に車を置いて、戻って来ると、大きな枝が車の上に落っこちて来ておったりしたそうですわ。 先週は、そやそや、社長さんがデジタル表示のメーターが付いたオートの話題もありますわ。 ワテら、滅多にオートに乗らへんから、知らんへんかったけど、デジタルのメーターが付いたオートが、最近はあるらしいでんな。 その日は、あれですわ。ワテ、最近ちゅうか、雨季になりますとな、痛めた右肩が痛みますんや。 ディスロケーション、つまり脱臼したことがあるんですわ。 昔、教会で高いとこに飾り付けしようとして、落っこちて脱臼したんですわ。 そんで、その日は午後から医者に行くちゅうて、会社を早引きさせてもらったんですわ。 そんで、社長さんや日本人社員さんはオートでアパートに帰りなはったんですわ。 その次の日ですわ、社長さんを迎えに行くと、社長さんな、ドア開けて、席につくなり、乗ったでぇ、乗ったでぇ、デジタル表示のメーターが付いてオートに乗ったでぇ、って興奮してじゃべり始めたんでっせ。そして、日本人社員さんにしつこい位、何が書いてかった、料金体系はこうやったって説明してはりましたわ。それから、社長さん、デジタルと違って、旧式のオートのメーターの場合は距離が表示されておって、オートを降りる時には、運転手が体を後ろに向いてメーターで距離を確認して、料金換算表をポケットから出して、いくらやって言うとか、社長さんのアパートからモールに買い物に行くと、行きはメーター料金で支払ったけど、帰りにモールのオート乗り場では、社長さんのアパートに行くとその帰りにお客がいないちゅうて三倍もの料金をふっかけられるとか話してはりましたで。 社長さん、そんなに、興奮するほど、デジタルのオートの料金表が珍しいんでっしゃろかなぁ。 しょうがおませんわな。社長さんアナログの人やし、携帯やでもノキアとプロバイダーの違いをご存知ないし、パソコン見てはって、ニュースが読めるのに、なぜメールができんのやって、ハードとソフトとプロバイダーがごっちゃ混ぜになってる人やから、仕方がおませんな。 今日の話でっか、木も倒れるし、メーターも倒すさかいに、倒れつながりちゅう話でんな。 ほな、さいなら。えっ、今日はえらい短い話やないかってですか。 ほな、おまけですわ。オートの料金の説明をしまっさ。1ルピーは1.4円で計算して下さいな。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(18)  散歩しながら考える(ひこばえ)の巻

散歩しながら考えるの巻 ひこばえ (2019年10月記) 朝散歩で道路脇や家の庭先の花々や木々を眺めます。 植物はじっとしていて、動物のように動き回りませんが、したたかに生きています。 そのたくましく生きる力を「接ぎ木」や「挿し木」に見た時には驚きました。 さらに驚いたのは幹が根元や途中から切られても、残った幹から生えている枝とか葉を見た時です。元の幹の成長が止まってしまっても、それを乗り越えて生きて行こうとする若い枝や葉です。 それを見ると思わず「頑張れよ」と言いたくなってしまいます。 この幹を切られても生えてくる葉や枝のことを「蘖(ひこばえ)」ということを知りました。 大きな幹に対して若芽がまるで孫(ひこ)のようなので「孫生え」と名付けられたのです この「ひこばえ」は広葉樹によく見られる現象で、スギやマツなどの針葉樹ではあまりみられないようです。 このひこばえ(蘖)に昔から日本人は生命力の強さを感じ俳句にしています、 ひこばえは春から夏に掛けて見られるので春の季語になっています。 蘖や 涙に古き 涙はなし   中村草田男(1901年~1983年) 私がこの句に出会ったとき想像した場面は次のとおりです。 ある老人が幹を切られ朽ちかけた古い株に新しく生えてきたみずみずしいひこばえを見ました。 そして老人は思いました。 ああ、大木は切り取られてしまったが、新しい芽が出てきて生きようとしている。 まだ古い切株は死んだように見えても、その力を若い芽に与えようとしているのだ、若い芽に自分の知識や経験を与えようとしているのだ。 そして、若いひこばえは古い切株の代わりに生きて行こうと思っているのだ。 私もこの切株のように年を取ってしまったが、心の中ではひこばえのように生きる力があるのだ。 ああ、感動して思わず涙が流れ出てきてしまう。 ああ、この私の体は古い切株だが、今流れ出るこの私の涙は今の私だ、このひこばえのようだ。 「ひこばえ」でネットを検索していましたら、朝日新聞に重松清が「ひこばえ」という題名で小説を書いていました。2018年の6月1日にスタートして2019年9月30日に終了しました。 その小説の掲載前の作者紹介と作者の言葉は次のとおりです。 (作者紹介) 重松さんは1963年、岡山県生まれ。91年「ビフォア・ラン」でデビュー。 98年に本紙で連載した「エイジ」で翌年の山本周五郎賞を受賞しました。 01年に「ビタミンF」で直木賞。10年「十字架」で吉川英治文学賞。早稲田大学教授。 「ひこばえ」は父の死をテーマとした物語です。 弔いをめぐる様々な問題を通して、現代の家族の姿を見つめます。 (作者の言葉) 一昨年、父を亡くし、大学の教壇に立つようになって、自分は前の世代からなにを受け継ぎ、次の世代になにを手渡すのか、いわばリレーのバトンについて考えることが増えました。 新しいお話では、その問いを正面から、腰を据えて見つめるつもりです。 若い頃から父親と息子の物語を好んで書いてきた僕も、55歳。亡くなった親との付き合い方、すなわち、親をどう弔い、どう偲(しの)んでいくか……。 そんな問いも折り込みつつ、いまの歳でなければ書けないお話に挑みます。   なお、刈り取った稲の株から生えてくるひこばえを「ひつじ」と呼び穭、稲孫と書きます。 また、穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)といいます。俳句では秋の季語になります。 ひつぢ田に紅葉ちりかかる夕日哉   蕪村 「蕪村句集」 ひつぢ田の案山子もあちらこちらむき 蕪村 「夜半叟句集」 ひつぢ田や青みにうつる薄氷      一茶 「寛政句帖」   日本人の自然や季節を観察する鋭く優しい目、そしてそれを言葉や文字 に替えていく感性って素敵ですね。   丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(97)ワテは運転手 携帯置忘れの巻

ワテは運転手でんねん。社長さんは日本人ですわ。ちょっとボケというか、物忘れが多い人ですわ。 何でかちゅうとね、しょっちゅうやないけど、アパートの鍵は忘れる、ガスコンロの火を止めたか心配や、バンガロールの空港でインターネットのモデムを置き忘れる、海外行くのにパスポートは忘れる、それに、この前なんか携帯をコチ空港の充電台の上に忘れてプネに戻って来はったんでっせ。 その日は日曜日やったけど、ワテお迎えに行ったんですわ。 そんで、いつものように空港の外で社長さんから電話があるんを待ってたんですわ。 プネの空港な、ビルの側に車を止めることができんのですわ。 ちょっと止まるだけで、すぐに警備ちゅうか軍人さんみたいな人が来て、早う車を動かせーて、うるさいんですわ。 そやから、いったん空港を出て、また入ってと、ぐるぐる回ったりすることもありますんや。 そやけど到着時間がとっくに過ぎても、社長さんからの電話がおませんのや。 そんで、こっちから電話したら、なかなか出んのですわ。 何回かかけ直していると『誰や、お前は』ちゅう声が聞こえましたんや。 びっくりですわ。てっきり社長さんが、ちょっと荷物が出てくるのが遅れてるとか、今着いたとこやちゅうて言わはるかと思てたのに、『誰や、お前は』ですわ。 そんで、その電話の主にその携帯は私のボスのものですちゅうて、話をし出すと、どうも携帯がコチの空港の充電台に置いてあったらしゅうて、電話に出た人は空港の人やったみたいですわ。 そんで、その人は社長さんが乗らはった飛行機会社SpiceJetの人から連絡があって、待合室の携帯充電台に電話の忘れもんがあったんで、それを今さっき預かっておるちゅう話でしたわ。 社長さん、また、やりはったなって思いましたんや。 それで、社長さんは携帯がないもんで電話してこんのやわと思(おも)たんですわ。 そやから、車を空港の外の駐車場に入れて、到着出迎えのところにいきましたんや。 そうして待っておったら、社長さんが荷物転がして出てきはりましたわ。 すまん、すまん、携帯をコチの空港に忘れたって言わはるんですわ。 そんで、荷物を持ってあげて、駐車場まで歩いて行って、車に乗ったら、それからは、社長さんのおしゃべりですわ。ワテからいかにワテが心配しておったちゅう話をする間がおませでしたんや。   社長さんな、コチの空港で搭乗券をもらった時に、まず、こりゃアカンと思いなはったらしいですわ。 座席番号が13Aやったんやて。 社長さんな、コチへは本社の人と一緒に行かはったんですわ。その人はチェンナイに戻るんやけど、コチ空港を飛び立つ時間がほとんど一緒やったから、ホテルから空港へ一緒に行ったんですって。 そしたら、その人はエンジニアでパソコン以外にもなんやかんや電子機器をいっぱいカバンに詰めてはったんやて。 それに、その人はタバコを吸う人で、背広の内ポケットにライターを一個内緒で入れて置いたんやて。 インドではライター一個でも、飛行機への持ち込み禁止なんを、その人は知っておったんやけど、まあ見つかってもライター一個やて、思ってたそうですわ。 そんで、社長さんがボディ・チェックを先に済ませて近くで待っておったら、その本社の人は、ライターは見つかって取り上げられるわ、カバンは全部ひっくり返して中身をまたX線の機械にいれらるわで、検査が終わるのに時間が掛かりそうやったちゅうんですわ。 そんで、社長さんな、待合室に先に入って、ぐるぐる歩いて見とったら、携帯の充電台があって、線が何本も出てたんを見て、自分の携帯のバッテリーの残りが少ないことが気になっていたんで、携帯にピンを差し込んで台の上に置いたらしいですわ。 そうしたら、本社の人が検査を終えて待合室に来たんで、そのまんま、その人の側に行って、混んでる待合室で二人座れる席を探してコチの町はよかったなあって、話とったら、すぐに社長さんの乗るプネ行きの搭乗案内があったんで、ゲートに向かって飛行機に乗ったんやて。 13のAの席な、窓際やったけど、ちょうど窓のない席やったんやて。 社長さんな、これが13Aの縁起の悪いもんかって思ったんやて。 しゃあないから本を読んでいこうと思って、通路側に、まだ誰も座っておらへんかったんで、通路に出て、それ、あの、頭の上の棚、そうそう、オーバーヘッド・コンパートメントちゅうんですか、そこに入れたカバンから日本の文庫本を取り出して、本を読み始めたんやて。 そして、客がどんどん入って来て、通路側の座席に太った人が座ったんやて、真ん中の席は誰も座らんかったそうですわ。 そんで、社長さん、いつものように携帯のモードGENERALからFLIGHTに変えようと胸ポケット触っても携帯がなかったんで、あれっと思って足元に置いた肩かけカバンの中を見ても携帯がなかったんやて、おかしいなあ、携帯はチェックインする前に、運転手、ワテのことですわ、にかけたはずやし、X線の機械を通す時に携帯を肩かけカバンの中にいれたはずやし、あっ、そうや、充電台に置いたまんまやって思い出したんですって。 空港のゲートから飛行機までは歩いて来たし、まだ、タラップが掛かっておるし、出発まで10分以上もあるしと思うて、飛行機の入口まで行こうとしたんやて。 そんで、通路側に座ってた太った人に『すみません、すみません』ちゅうて通らせて貰おうとしたら、その人は一旦締めたシートベルトを手間取って外しながら『What Happened?』って聞かはったらしいですわ。そして、めんどくさそうに通路に立って、社長さんを通してくれたんやて。 社長さんな、入口まで狭い通路を急いで歩いて、タラップの上にいる3人の乗務員に携帯を空港に忘れた、行って取ってくるちゅうたんですって。 そしたら、もうアカン、行くことはできん、携帯のモデルは何や、色は何や、どこら辺に置いたんかちゅうて聞かれたそうですわ。 社長さんな、乗務員の人が取って来てくれると思ったんやて。 そして、席に戻りなさいって言われたんで、また狭い通路を歩いて13の列に行って、また13Cの太った人に、めんどくさそうに立ってもらって13Aの窓のない席に座ったんやて。 13Cの太った人が、社長さんにあんたは日本人か、どうしたんやと聞かれたんで、社長さんは、日本人です、携帯を空港に忘れましたって答えたそうですわ。そうしたら、その13Cの人は通路を挟んだ 13Dの奥さんみたいな人に、社長さんのことを説明してはったそうですわ。 そして、社長さんが、その13Cの人と話をすると、その人はデリーの人で、13のD・E・Fに座ってる家族の人たちとコチに三日間の休暇で来てたらしいですわ。 社長さんは、乗務員から何にも連絡がないし、タラップが外れかけたんで、心配そうな顔をしたら、13Cの人が頭の上の乗務員呼び出しのボタンを押してくれたんやて。 そしたら、CAが席にやって来たんで、社長さんが、私の携帯は見つかりましたかって聞いたら『We can’t find it.』 って言ったんやて。そんで、とうとう離陸やったそうですわ。 社長さんな、コチは初めてのところなんで、窓際に座って飛び立つ時にコチの景色を写真に取ろうと思てたのに、窓はあらへんし、大事な商売道具の携帯は忘れるわで、落ち込んでおったらしいですんや。 そんで、インドで携帯を失くしても出て来るのやろか、空港で失くしたから大丈夫やろか、けど、シンガポール時代に携帯を失くしたお友達が、一日経って携帯の紛失届けを出したけど、その一日の間に中近東かどこかに通話されておって、どえらい通話料を取られたことを思い出したり、いや、二時間でプネに着くさかい、そしたら、運転手、ワテのことですわ、に言うて、すぐにキャンセルすればエエのや、インドは同じ番号で再登録できるはずや、っていろいろ考えてはったらしいですわ。   そんで、ちょっとは落ち着いたら、ホテルから空港に来る間の車のなかで、本社からの出張者さんが、用意してくれて、全部飲んでもたペットボトルの水が効いて来て、おトイレに行きたくなったんやて。 そんで、おトイレに行こうと13Cの人を見たら、その人は顔を上に向けて、いびきをかいて寝てはったんやて。 社長さんな、その人を起こすのもなんやと思って、我慢しようと思いなはったらしいわ。 そやけど、飛び立って30分位経って、プネへは、まだ1時間半あるって思ったら我慢できんようになって、13Cの人に近づいて、そん人の肩を叩いて起こして、まだめんどくさそうに立ってもらって、トイレに行って用を済ましたんやて。 そんで、自分の席に戻ろうと思ったら、13Cの人はまた、ぐっすり寝込んではったんで、手ェーを伸ばして、13Bの席に置いてあったご自分の肩掛けカバンをとって、二つ前の空いてる席に座ったんやて。その間、13Cの席の人は寝たままやったそうですわ。 二つ前の列だけAからFまで席が空いてたそうですわ。 さあ、窓際に座って外の景色をと思ったら、背もたれのところにある折りたたみのテーブルが壊れておってガムテープで留めてあったそうですわ。 それに、外はもう雲の上の方を飛んでるんで、写真も撮れんので、11のB席に座って寝ていったそうですわ。 プネに降りるちゅう放送で目を覚まして、運転手が待っておるやろな、どうやって連絡しようか、それよりもSpiceJetの事務所が先やなと思いなが着陸するんを待ったんやて。 社長さんな、着陸してからの『携帯は空港ビルまでスイッチを入れないでください』ちゅう放送にちょっとさみしさを感じたんやて。そんで、周りで喧しく鳴る携帯の音にいらついたらしいですわ。 そんで皆と同じように席を立って、通路に並んで、通路をちょっと戻ってカバンをオーバー・ヘッド・コンパートメントから取り出した、降りるのをまったんやって。ドアが開いて、出口に向かうと、出発した時に携帯が見つかったかどうかを尋ねたCAがタラップの下のスタッフにどうしたらいいか聞いて下さいと言ったんやて。タラップの下では係りの人が搭乗券をチェックしてたんですわ。 社長さんらが乗らはったフライトはプネを経由してデリーまで行くさかいに、間違って降りる人がいないように搭乗券をチェックしてまんのやて。 社長さんな、そのタラップの下の人に携帯をコチ空港に忘れたんやけどちゅうと、その人は降りる人の搭乗券を確認しながら、『手荷物を受け取ってからSpiceJetの事務所に行って下さい』て言ったんやて。 社長さんな、一旦は荷物取り場に行ったんやけど、荷物が出てくるのが待てんさかいで、SpiceJetの空港内事務所に行ったんやて。 そしたら、係りの女性が親切に聞いてくれて、コチの空港に電話して確認するさかい、ちょっと待ってくださいって言われたんで、また荷物取り場に行って、カバンをとってSpiceJetの事務所に戻ってきて、返事を待ったんやて。結構、時間がかかったそうですわ。 その間に窓越しに、ワテが車の中で電話しているのが見えたそうですわ。 でも、声が届かんし、まどろっこしいなぁて思たんやて。 そやけど、空港内には駐車ができんから、ワテの車は外に出ていったそうですわ。 そのうちに、コチから乗った飛行機の乗務員の人たちも事務所に来て、なんや記帳して出て行ったりしたんやて。その中には携帯が見つかったどうか聞いたCAもいたんやて。 そんで社長さん、待っておったら、ハンドトーキーみたいな電話を持った男の掛かりの人が来て、あたたの電話が見つかりました。Authorization Letterを書いて下さいって言われたんやて。 何や、それは、って社長さんは思いなはったんやて。 そしたらその係りの人が真っ白なA4用紙を持って来て、ここに、コチ空港関係者様から始まって、私は空港に電話を置き忘れました、SpiceJetの係りのものに受け取りを委任します。携帯のモデルはノキア、色は黒って書いて名前を書いてサインをしたんやって。 そんで、明日のフライトでプネに到着すると思うから本人か代理の人が取りに来てくださいと言われたそうですわ。 そんで、やっと、ホットして出口に向かって急ぎ足で来て、外で待ってたワテと出会えてちゅう寸法ですわ。長い話ですわ。アパートに着くまでその話ばっかでしたわ。 ただ、途中で美味しいインド・ワイン買うちゅうてリッカーショップとタマゴが要るちゅうて、タマゴ屋に寄りましたけどね。 社長さんな、物忘れが多いもんで、ご自分で色々と対応策ちゅうのを考えてはるらしいでっせ。 社長さんな、ちょっと高血圧で、毎朝二錠づつ、お薬飲まなアカンらしいんでっせ。 そんでも、時々飲むのを忘れるんやて。 そやから錠剤の入った薄っぺらい入れもんの裏にマーカーで日にちを書いて、飲んだか、飲まんかったか調べてはるらしいですわ。 特に、出張に行った時や、飲みすぎた翌日は、薬を飲むのを忘れるちゅうことらしいですわ。 そういえば、前の社長さんも、玄関に『携帯、手帳、ハンカチ、財布、、』って書いた紙を玄関横に貼ってはりましたわ。 ワテでっか、物忘れなんかしませんで。けど、今朝、社長さんから『会社で飲むコーヒー用の砂糖を明日買って、朝持ってきますって言ったのに、なぜ買ってこなかったのですか』って聞かれましたわ。 ワテは、すんませんって小さな声で謝りましたけど、昨日の帰りがけは、買って来るつもりやってんでっせ。そやけと、そんなん、ワテはチャイしか飲まんし、会社に来てから買いに行けばエエと思ったし、急ぎのことやないと思ったんでっせ、えっ、これを物忘れちゅうんですか。 ちゃうとおもうけどなあ。無関心ちゅうやつやろか。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(17)  散歩しながら考える(接ぎ木)の巻

散歩しながら考えるの巻 接ぎ木    (2019年9月記) 朝散歩で住宅地のお家の庭先の草花を眺めて歩きます。 ところどころに色の違う花の咲いたハイビスカスの植木や、すくっと伸びた幹の先に葉がトリミングされた植木がありました。 一本の木に複数の色を持つ花が咲くのだろうか? 綺麗にトリミングできる木があるのだろうか? それらの木々に近づいて枝をよーく見てみるとそれらは「接ぎ木」だったのです。 植物が子孫を増やしていくための生殖方法には有性生殖と無性生殖があります。 接ぎ木は無性生殖のうちの一つである栄養生殖なのです。 そして接ぎ木と言えば桜のソメイヨシノが有名です。 ソメイヨシノは江戸後期に伊豆諸島のオオシマザクラとエドヒガンとの交配で作られたクローンなのです。ソメイヨシノは江戸の染井村の植木職人たちによってつくられ、西行法師で有名な吉野と合わせて名付けられ、昭和の高度成長期に日本中にたくさん植えられました。 そのソメイヨシノは地域ごとで一斉に花を咲かせます。 それはソメイヨシノが接ぎ木や挿し木で増えていったからです。 接ぎ木の根のある下の部分を台木といい、切断してつなぐ上の部分を穂木(接ぎ穂)と言います。植物の根の上(台木)に目的の植物の枝(穂木)をつなぐため台木と穂木は近縁な方が定着しやすいのですが、実際には同種ではない組合せもよく使われます。うまくいけばつないだ部分で互いの組織が癒合し、一つの植物のような姿で成長します。接触させた位置より上は穂木から生長したものであり、それより下は台木の植物のものであり、遺伝的に異なっています。 ソメイヨシノは自家不和合性植物で同じ木の花のめしべとおしべでは受精しません。 違う木のソメイヨシノとは受精し種子はできるのですがクローンなので発芽できません。 他の桜の花とは受精しますが違う遺伝子を持つ桜になってしまいます。 ですから接ぎ木でできたソメイヨシノはすべてが同じ遺伝子を持っているので地域ごとに同時に花を咲かせるのです。そして、同じ遺伝子を持つがゆえに耐性のない病虫害には全ての木がやられてしまうという弱点も持つことになるのです。 ソメイヨシノの両親であるオオシマザクラは成長が早く、エドヒガンは丈夫で長生きする桜だったため、根が浅く広く張ります。それで最近では根本近くまで舗装されたり、花見の人で土の表面が固まって成長が阻害されたり、温暖化による悪影響も受けつつあるようです。 青森の弘前城のある弘前公園には日本一古いと言われる樹齢130年のソメイヨシノがあり、東京の小石川植物園には樹齢140年のソメイヨシノの株があります。 なお、日本には桜の種類は野生種10種、自生種100種、園芸品種200種の桜があるとのことです。さて、私の好きなアデニウムにも接ぎ木で色の違う花を咲かせている植木もありました。 また、接ぎ木を野菜に応用したトムテト(またはポメト)はご存じですよね。 ナスとジャガイモの組み合わせはエッグ・アンド・チップスというのですよ。 でも接ぎ木は人間世界でいうと昔の武家や商家のご主人様がふがいない跡取りの代わりに優秀な婿養子をもらってお家の跡を継がせていくのに似ていますね。   丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(96)ワテは運転手 国勢調査の巻

ワテは会社の運転手でんねん。 えっ、何やてですか? ワテがどうやって車の免許を取ったのかってですか? 言ってもエエのやろか、言わん方がエエのやろか、はたまた、言ってもエエのやろか。 ワテな、正規の手続きで免許を取ったんとは違いますねん。 それはワテが15,16才の頃ですわ。 そのころはまだ親父(おやじ)が生きておって、車を持っておりましたんや。 親父ですか、チェンナイ生まれですけどね、プネのTATA自動車に勤めておったんですわ。 メカニックですわ。ワテの親父って結構苦労しはった人ですねん。 そんで、そのころ、ワテな、親父の車をちょっと借りてわ、乗り回しておったんですわ。 若いときはちょっとワルでしたんやで。 その頃のワテな。今は飲みませんけどな、ウィスキーをようけ飲んでましたんやで。 そやから、今の社長さんの二日酔いの気持ちもよう分りますんや。 車の免許でっか、ホンマやったら、まず試験所に行って、簡単な交通規則をYes、Noのボタンで押して規則を知ってるかがチェックされ、その場でOKかそうや無いか決まるんですわ。そして、一ヶ月間の仮免許がもらえるんですわ。その間に助手席にブレーキが付いとる車に指導員に乗ってもらって、一ヶ月後のテストでOKが出れば、免許がもらえるんでっせ。 けどな、ワテは代理店を通じて免許を買うたんです。 インドは昔も免許を取れるのは18歳以上やったけど、ワテは16歳で取った、いえ、買うたんです。 払ったお金はたしか2000ルピーでしたわ。 免許証と言えば、インドはIDカード、納税番号カード(PAN)、ガスボンベ購入証明書やいろんな証明カードが必要なんですわ。今度も新しいカードが出来たんでっせ。Aadhaarって言いますんや。 これな10年に一回な、1のつく年に国民みんなの調査、そうそう国勢調査(センサス)があってな、そのためやそうですわ。今までのいろんな証明書が、ひとつになるんちゅうのでっせ。12桁番号のあるカードですわ。 そやから、ガスボンベを買う時も通帳は要らんようになるんですわ。 いままでは、ガスポンベ専用の通帳にいつガスを充填したかって手で書いてたんでっせ。 けど、これからは、この番号を言えば、コンピューターで一発で登録できるんでっせ。 すぐれもんでっしゃろ。 そやけど、今はまだ、この通帳がないとガスの充填ができませんのや。 そやから、この前日本人駐在員がガスが切れたからボンベを買いたいちゅうて言わはったけど、この通帳持ってはらへんかったから、表向きでは買うことができませんでしたんや。 表向きでっせ。世の中、コインと一緒で裏表がありまんのやで。 ついでに言いますとな、ボンベを一本買うたらね、次に買えるのは20日以上たたなアカンのでっせ。 この新しいIDカードのデータの中には、ワテがワテであるちゅう証拠の指紋や掌の紋それに目の虹彩(アイリス)も登録されてまんのやで。つまり、国勢調査の内容が全部分かってしもうとるんですわ。   今回の国勢調査な、すごかったでっせ。 A3用紙くらいの紙の裏表に質問がびっしりですわ。 家族は何人や、宗教は何やとか、自転車は何台あるか、車やパソコンや携帯は持ってるか、土地はどれくらいで、家は自分のものか、それらを買ったお金はどこからやってですわ。 まだ、ありまっせ、給料は何ぼや、家にトイレはあるか、それは排水溝付か無しか、煮炊きはガスか薪かなんかですわ。 今回の調査な、270万人の調査員の人が20日間で150世帯ずつを回って、3億4千万の調査票を集めはったそうですわ。 けどワテの場合は近くの集会所に行って、記入したんでっせ。 みんなが、みんなでおませんのや。 うちの弟なんか、長い列やったんで行かへんかったんですわ。 けど、そのうちに新しいID番号が必要になるちゅうと、役所に行って、質問に答えんとカードがもらえんらしいそうですわ。 そんで、インドですがな、質問状の言葉は一つやおませんのや。 16種類の言葉で使い分けしたんでっせ。 けど、田舎から出て来て、あの道路に座って生活しとる人にもいちいち質問してきいたんやろか。 この国勢調査でわかったんが、インドの人口は12億1千万人で、世界人口のまあ2割弱を占めるちゅうことですわ。日本が1億2千8百万人ちゅうさかい日本の9.5倍あるんでっせ。 1950年(昭和25年)の統計ではインドの人口は3億7千万人でしたんや。 そやから60年間で3倍以上の増え方ですわ。けど、ようけ増えてまんなあ。 中国も60年前は5億4千万人で、今では13億4千万人でっしゃろ。 2.5倍しかおませんやろ、中国とは昔、戦争で負けたけど、人口の増え方ではインドの勝ちですわ。 日本は60年前が8千3百万人やったから1.4倍にしかおませんな。 これから約40年後の2050年にはインドが世界一の16億1千万人になって、二番目が中国の14億1千万人になるんでっせ。 日本でっか、今から人口が減って行ってもうて、1億人ですわ。 もっと、きばらなあきませんで。そのうちに日本に人がおらんようになるんとちゃいまっか。 えっ、心配せんでもエエってですか?何でですか。 子供を産む人は産む、産まん人は産まん。産まん人は子孫を残さん。産む人はどんどん子孫を残す。そやよってに仰山子供を産む遺伝子を持っとる人ばっかが残るから、子供が仰山できる。 そやから人口は減らんてですか。へぇー。なんか、風吹けば、イケヤ、ちゃう、桶屋がもうかるちゅう日本の三段論法のような話でんな。 そやけど、タイに多いオカマさんは子供が作れんはずやけど、なんで、ぎょうさんおるんでっか。 えっ、それは知らんってですか。 そんで、インドの世帯数は2億4千6百万ですわ。ちゅうことは、一軒あたり4.9人ちゅうことですわ。 日本は2千2百万世帯やから、一軒あたり2,5人ちゅうとこですか。 えっ、一番の多いんのが山形県の3.0人で、一番少ないんのが東京の2.1人ちゅうんですか。 インドな、文字を読める人も増えたんでっせ。10年前と比べて9.2%増の74.0%ですわ。 日本は99.8%もあるんやてね。すごい国でんな。日本は。えっ、日本には昔から寺子屋があって、読み書きソロバンを教えておったちゅうんですか。ヘェー。 インドでは平均しますとな、男の人は読み書きが82.1%やけど、女の人が65.5%でんねん。。 そして、これな、地方によってバラつきがあるんですわ。 北部のラジャスタン州やと、男の人が80.5%で、女の人が52.7%でんねん。 まだまだ男尊女卑であるちゅうことがはっきりしてますねん。 話は変わりますけどな、おうちにオトイレがあるかどうかも調べてまんのやで。 そんでおうちに、おトイレがあるんは47%ですわ。半分の家がおトイレがおませんのですわ。 ちゅうことは、半分以上の人が外でしとるちゅうことでですわ。 そやけどな、携帯も含めて電話を持っとる家が63%もあるんですわ。 ちゅうことは、携帯もって野原で用を足してる風景があるちゅうことですわな。 日本でもあれでっしゃろ、おトイレはほとんどあるそうですけど、ポットン式やタンクに溜めるもんとかがあって、パイプで流していく下水道は70%くらいやそうないですか、そんで田舎ではまだまだ、下水道は整備されとらんちゅう話でっせ。あんまり変わりがないんとちゃいまっか。 えっ、下水道とトイレはまったく同じではないんですか。ヘェー。 そんでな、肝心の電気や水道ですわ。 電気の来ているおうちは70%で、水道は43.5%ですねん。 おうちに電気や水道なんかがのうても、生活できますちゅうことですわ。 水道が無い人はどうしてますかって、共同の水くみ場を利用してますんや。 よう、地方へ行くと見ますやろ、頭に水がめ乗っけて歩いてる女の人や、手に水タンクもって運んどる子供たちを。 電気が来ん家は夜はどうするのかってですか、そりゃ寝るしかおませんな。 そやさかい、人口がどんどん増えていくんやろか。 そうやったら、日本も人口減少を防ぐために電気の来ん夜を週に一回か二回設けたらどないでっか。 お料理を作るときにガスや電気を使ってるんは都会では65%やけど、地方では11%で、平均しますとな、29%だけですわ。そんえ、67%の人たちが、まだ薪や牛の糞を燃やしてまんねん。 これも、もうご存知のごとくちゅうやつですわ。 テレビのある家は増えてまっせ。43%でんがな。 日本では白黒テレビが1960年(昭和35年)で44.7%でやったから、インドも今の生活レベルはそのくらいのもんでっしゃろか。 けど、今は全部カラーテレビやし、日本でカラーテレビが40%を超えたんは、それから11年後の1971年(昭和46年)ころやから、インドのレベルは日本のその頃になるのやろか。 さあ、わからんなあ、どうなんやろ。 自動車は今回の国勢調査はようわからんので、他で調べてみますとね、インドは人口千人あたりで、18台(2009年)ですわ、日本は576台(2011年)ですから、まだまだでんな。ちゅうかこれからですわ。 お給料でっか。これでんがな、問題は。 インドにいてはる日本人の奥さんが新聞発表から作らはった表がありますんで、それをご紹介しますわ。その人のプログからのコピーでんねん。 そんで国勢調査な、けったいな質問もありましたで。 ワテのほかにワテの親父やお袋や嫁さんはどこの町で生まれましたか、あなたが生まれたところと、今いるところが違うばやいは、今のところに来て、何年経ちますか、なんで今のところに居ますか、ちゅう質問がありましたんや。 ワテは親父の生まれた町は知ってますけど、お袋も嫁さんもどこの町で生まれたか知りませんのや。 そんで、お袋と嫁さんに聞いてくれって書きましたがな。 お袋ですか、死んでからもう10年経ちますけどね。 ワテは生まれはチェンナイやけど、ワテが生まれてすぐに親父とお袋がプネに引っ越したんですわ。 そやから親父に聞いてくれって書きましたわ。 親父ですか、死んでもう7年経ちますわ。ほな、さいなら。   丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(16)  散歩しながら考える(愛しのアデニウム)の巻

散歩しながら考えるの巻 愛しのアデニウム  (2019年9月記) 根本が千種万様の形を持つ「砂漠のバラ」と言われるアデニウムに私は魅せられてしまいました。 人は物を好きになると自分の手元に置きたくなるものですよね、私も自分で育てたくなりました。 それで休日に運転手さんに頼んで花屋さんに連れて行ってもらいました。 花屋さんと言っても自動車道路沿いに鉢植えの植物が沢山並べてあるところでした。 そのうちの一つのお店というか小屋に入り、アデニウムの小さな苗木を二個買いました。 お店の人はこの花は乾燥を好むので水は与えず、そのまま育てれば良いといいました。 私はプラスチックの鉢と新しい土を買い花屋さんに苗木を入れ替えてもらいました。 そして鉢二個を車に積んで会社に向かいました。 というのは、私のアパートの部屋にはベランダないので、平日の大半を過ごす会社でアデニウムを育て、社員たちにも見せてあげたかったのです。 会社に着いて、玄関の入口の日当たりが良い場所に鉢を並べました。 そして毎日玄関を出入りするたびに苗木を眺め、我が子の成長記録のように写真を撮りました。 私は購入した時にすでに枝の先端が切られていた方の苗木が気になりました。 一週間経つとその苗木の切り口の横から葉が生えてきました。 そして、一ヶ月経つとその葉の枚数も増えてきました。 しかし、それから二ヶ月、三ヶ月経つと成長が止まったように見えました。 逆に根本のふくらみが買った時よりも痩せてきたようです。それはもう一方の苗木も同じようでした。 これはきっと栄養が足りないのではないかと思い、肥料を買おうと思いました。それでまた休日に運転手さんと肥料を買いに花屋さんが集合している団地のようなところへ出かけました。 その花屋団地の入口のお店に入りました。花の手入れをしていた若い青年に私は木が痩せて来たので肥料を下さいと言うと、その青年はきっと水をやり過ぎたのでしょうと言いました。 そして、私を案内して、店先に並んだ花木の間を縫うようにアデニウムの苗木の所に行き、その苗木を鉢から引っこ抜いてその根を見せて、このように水分が多いと成長が止まってしまうと説明してくれました。そして痩せたアデニウムの対処方法として、苗木を鉢から引き抜いて土を良く払い、逆さまにして三日間陰干しして植え直すようにとアドバイスしてくれました。 するとその時に側に居た私の運転手さんが土は替えなくていいのかと尋ねると、 青年は現在どんな土を使っているのかと聞き、運転手さんが最初に苗を買った 時のままだと答えました。 すると青年はパシール・マラン(マラン地方の砂)にしなさいと言って、砂という より粗い玉土のようなものが入った袋を勧めてくれました。 私は土を変えただけでは心配だったので小さな箱入りの肥料も砂と一緒に買い 会社に向かいました。 会社に着くと休日だったので守衛さんが何をしに来たのかと驚きましたが、 私は運転手さんと二人で苗木を鉢から引き抜き土を払い、紐で苗を縛って玄関前の陽のあたらない木陰に吊るしました。そして花の面倒をも見てくれてもいる守衛さんに、私たちの作業の説明をするとともに、絶対に水はやらないようにと念を押しました。 それから三日後の平日の午後になり私は、鉢への植え替えの約束をしていた運転手さんを電話で呼び出しても出ないので、私は待ちきれずに席を外して、玄関に向かい、陰干ししている苗木を紐から外して、新しくパシール・マランを入れた鉢に植え替え肥料を少し与えました。 今度は根本をすっかり覆うように砂を盛りあげました。 今は毎朝、会社に行くと「早く育てよ、早く太れよ」とアデニウムを眺めるばかりです。 それにしても、あの花屋の好青年が親切にそして熱っぽくアデニウムの対処方法を教えてくれた姿が忘れられません。花を愛する人は優しい人が多いのでしょうね。それは私も含めて。グフッ。 (余談)植え替えをして二日目の夕方、退社時に玄関に行くと鉢植えが玄関の中の受付の台の上においてありました。守衛さんに鉢がどうして受付台の上にあるのと聞くと、先ほど雨が少し降ったので花が濡れると私が怒ると聞いていたので中に入れましたとのことでした。守衛さんは夜と昼で交代します。雨が降り花を中に入れた守衛さんは私が水をやるなと言った守衛さんとは違いましたが、守衛さん同士できっと引き継ぎをしていたのでしょうね。ありがたきかな。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(95)ワテは運転手 見る管理の巻

ワテは会社の運転手でんねん。社長さんは日本人ですわ。 この社長さん二年前に来はったんやけど、前の社長さんと違って、結構、おもろい人でんねん。 ワテが最初にこの会社に入った四年前は、今の社長さんやのうて、前の社長さんの時代でしたわ。 その時は前の社長さんと、この前定年しはったインド人の営業マンとワテだけの三人でしたんやで。 お二人がバンガロールからプネに引っ越して来られたんですわ。 前の社長さんも営業マンも奥さん連れでしたわ。 その営業マンな、プネの生活に慣れへんかったんやろか、一年位して体調を崩して、バンガロールに奥さんと帰ってしまわれたんですわ。 カルナータカ州とマハーラシュトラ州では言葉が違ったからやろか。けど、その営業マンはインドの5つくらいの州の言葉を話せましたんやで。今おる営業マンとはえらい違いですんや。 でもな、会社は、その前の営業マンの人を、コンサルタントちゅうか、顧問ちゅう肩書きで、引き続いてお給料を払って、時々お仕事をお願いしてたんですわ。 ワテと同じ契約社員でしたんや。けど、ワテは今年から正社員になりましたけどな。 そやけど、今年の5月にその契約が切れた時に、退社になってしもうたんですわ。 今の社長さんが、バンガロールまで行って、その辞めはる営業マンさんに挨拶してきはりましたわ。 その営業マンさんな、まだ63歳やから、まだ働きたいちゅうてたらしいですが、社長さんが、自分も60歳になりました。もう若い世代に仕事を任せようやないかちゅうて、決めはったちゅうことですわ。 結構冷たい人でんな、社長さん。 社長さんな、日本の本社では、ワテと反対に今年から契約社員になったそうですわ。 でも、やってはる仕事は今までと変わりませんのやで。   ワテが会社に入った時は、前の社長さんたちがバンガロールから来はったばっかしで、事務所もあらへんかったんで、社長さんのアパートでお仕事をしながら、事務所を探して、今のこのショップに入ったんですわ。二階建てで、お店がずっーと並んでおる集合店舗ですわ。 そのうちの四つのショップを借りたんですわ。 番号でいうと43,44,45,46ですわ。 そやけど、その時は、今みたいに、会議室やトイレや食器洗うとこまだできておらんで、コンクリートの打ちっぱなしでしたわ。 そんで、そのショップの上にお店がある業者に内装をお願いしたんですわ。43と44の間の壁と、45と46の間の壁をそれぞれぶち破って二部屋にしたんでっせ。 それに、メゾネットタイプゆうて、事務所の中に二階がありまんのや。低い天井の二階やけどね。 今、事務所としてみなが使ってますんは、43と44をぶち抜いた部屋の方ですわ。 45と46の方は、一階はテーブルを置いて昼食ができるようにしましたんや。そして、その二階は書類や、部品なんかの物置として使ってまんのや。 その時の改造な、いろいろありましたんや。 今の社長さんが来はった時にも、まだ、やらなあかん工事は残ってたし、支払いも残ってたんでっせ。 発電機なんか、最初はディーゼルの見積もりやったけど、終いにはバッテリーに代わってましたんや。 そんで、今の社長さんが、もうエエ、元の契約書に基づいて、出来たもんと、出来んもんをはっきり分けぇー、追加は追加で別項目や、払った金額をはっきりせぇーちゅうて、一遍に決めてしもたんですわ。見かけによらず強引なとこあるんですわ、社長さん。   この事務所の家賃の支払いは四つのショップごとに四つに分かれてまんのでっせ。 オーナーはインド人のお父さんと息子3人の4人の名義ですわ。 家族で名前を分散してまんのや。税金対策やろね。 そんで、この事務所に移ってから、今の営業マン、経理そしてメンテマンが入って来たちゅう訳ですわ。そやから、今の社長さんが来はった二年前は、ワテを入れてインド人は4人でしたんや。 ワテは、前の社長さんがバンガロールから来はった時からの社員やから、一番古い社員ですねん。   そんで、今の社長さんが来はった時は4人が一階で、みんなで仕事してましたんや。 そやけど、すぐに社長さんは会議室で仕事するって言うて、会議室を自分のお部屋にしはりましたんや。きっと、会議室を作ったんわエエけど、まったく使われてへんかったんで、アメリカ映画みたいに、自分の部屋として使いたかったんでしゃろか、それよか、あの営業マンの電話の大声が、うるそーて仕事が出来んかったんとちゃいまっか。 そんで、ちょっと経ってから、経理に二階に移りなさいって言わはったんです。 何でも、事務所のお金や、個人の給与や、税金のことを、他のスタッフがおるところやのうて、別のところでせなアカンちゅうわけですわ。その時はワテは、まだ、下のグループでしたんや。   そして、去年な、日本人社員さん二人とインド人一人が会社に入ってきましたんや。 そんで下のスペースが狭うなって来ましたやろ、ワテにも二階に行けちゅうことになりましてな。 その次に社長さんも二階に移らはったんですわ。二階の天井な、高さが175センチしかおませんのや、ちっこい経理やワテは天井の高さは関係おませんけどな、社長さん自称180センチですんや。ホンマは、177センチやそうでっせ。けど、社長さんが二階で歩く時は、かがんで歩かはるんでっせ。社長さんな、アリス・イン・ワンダーランドになったみたいやちゅうてはりますわ。そんなこと、ゆうたら可愛いアリスさんが可哀想やけどな。 今の社長さんな、来はってから、目で見る管理や、表にせぇー、グラフにせぇーてうるさいほど言わはるんですわ。 そんで、来はってすぐに、時計を買って来い、インドの地図を買ってこい、壁にボードを貼れ、会議室に黒板ちゅうか、白板を買ぇーちゅうて、部屋中をボードだらけにしはりましたわ。 そして、日本に一時帰国されますとな、マグネットの玉や棒みたいなもんを買って来はりますのや。 この前は日本人形や日本の景色のついたマグネットを買うて来はりましたで。 日本て、100円ショップちゅうのがあるらしいでんな。社長さんな、そこで買うて来はるらしいわ。 社長さんな、その100円ショップちゅうのがえらい好きらしゅうて、その他にも、黄色いマーカーや鉛筆や、ビニールファイルや、なんやかんあ、全部そこで、ぎょうさん買うて来はるみたいでっせ。   そんでや、社長さんな、営業には壁に掛けた地図に納入先の名前と機械の型式と写真を入れた紙をはって表示せえ、ボードには見積もり案件を一覧表にして張り出せーでっしゃろ、メンテには設備の仕様書を張り出せぇー、メンテ予定表を張り出せぇーですわ。 前の社長さんのときの部屋の雰囲気がまるっきり変わってしまいましたがな、えろーにぎやかな事務所になりましたで。 そんでね、ちょっと古うなったデータをいつまでも、張ってますとな、『何ですかこれは。いつの時代のものですか。ここに張り出してあるものは、あなたたちの今の頭の中にあるものですよ。あなたたちの今やってる仕事は、過去のものですか』って、嫌味を言わはるんでっせ。   嫌味といえば経理が最近では、一番の被害者ですわ。 なんせ社長さんと一緒に毎日二階におりますもんね。 社長さんな、来はった年の年末に帰らはった時に、机の上に置く一ヶ月毎のカレンダーを経理に渡して、『これに一ヶ月の予定を記入しなさい、そして毎日その予定を見て、一日が終わったら、その日の実績を記入しなさい』ってやってましたけどな、これあきませんな。 インドの場合は電気や電話の支払いが不定期なんですわ。 メールで来たり、代理店が持ってきたりですわ。 それに、入出金や外国人登録から昼飯の手配まで経理が一人でやってまんのや。 経理に言わせると、そんなんや、あんなんで、書類のファイルも満足にする時間もありませんちゅうのですわ。するとな、社長さんな、運転手のワテに経理を手伝ぇーですわ。 そして、キングファイルを買って来い、旧式の留め具やのうて、新しい留め具のやつですわ。 そんで、ワテがファイルを買ってきますとな、経費ごとにまとめて仕切れぇー、月別にせぇー、担当者別にせぇー、って、ワテがファイルばっかせなアカンのですわ。 社長さんな、経理ばかりか、営業にも、まずファイルがしっかり出来ん奴は、頭の中が整理でき取らん証拠やちゅうてはりますんや。その割にはご自分の机の上は書類だらけですけどな。 そんで、ワテは運転手の仕事のほかに、ファイルは買いに行かされるし、請求書を受け取って来なあかんし、支払いに行って来なあかんし、ファイリングせなあかんし、えらい忙がしゅうなりましたわ。 それに、経理がワテを部下みたいに使い出したんがちょっと気にいりませんのや。 ワテの方が年はちょっと下ですが、入社は経理よりも、営業よりも、メンテよりも、それに社長さんよりも先輩なんでっせ。   そんで、社長さんな、経理にも壁一杯の大きなボートを買うたりましたんや。今度は、それに一ヶ月のカレンダーを書いて、予定を入れろ、未処理案件を書き出せぇー、終了予定日と実際の予定日を記入せえー、未処理案件は毎日確認せえって言ってはりますのや。   そんなん、予定立てろって言うても、インド人には無理でっせ。インド人は、やるかやらんかが問題で、いつ、やるかちゅうとこは関係おませんのや。 そんなん、社長さんも、ご自分が好きなインドの神話を読んでもらえば分りそうなもんですわ。 日本の神話には嘘かホンマかしらんけど、一応ちゃんと年代が書いてあるそうでんな。 そやけど、インドの神話はいつの出来事かわかりませんのや。 ビシュヌさんなんか10も、20も変身しまんのやで、時間を追っておったら話しが進みませんのや。 それに、時間が書いてあっても何万年とか、何億年とかメチャクチャ長い時間ですんや。わかりますやろ。インド人に時間の感覚がないんのが。   そんで去年の末ですわ。 社長さんな、お客さんに配るちゅうてダイアリーブックを200部も注文しましたんや。 そして、ワテら一人一人にもそのダイアリーを配らはって、これで毎日やることを記入しなさい、朝の打合せの時に使用しなさいって言わはったんですわ。 ワテな、英語はしゃべれますけどな、書くことが苦手なんですわ。 運転日誌でも、社長さんから、これはamですかpmと書いてあるのですか、この訪問先は何と書いてあるのですかって、毎朝いじめられているんでっせ。 でもね、去年までは、ワテだけ契約社員やったんやけど、今年からは正社員にしてもらったんでっせ。運転手やから勤務時間は他の正社員とはちょっとちゃいますけどね。 労災にも入れたし、それに、出張に行きますとな、日当のほかにワテとメンテマンだけ残業代がつきまんのや。有難いことですわ。 やけど、社長さんな、その出張日当や残業代の申請書にサインしはるときに、これは何時から何時までの残業ですかとか、市外へ行く特は昼からの出発や、午前中の戻りは半日扱いですよとか、きびしゅうチェックしはるんですわ。 それに最近は車に給油するたんびに、走行距離を給油リットルで割って、リットル当たり何キロ走れるのか毎回計算してくださいとか、一日に何キロ走ったかをその日の終わりのマイレージからスタートした時のんを引いて計算してくださいとかす言わはる時がおますんや。 休みの日にワテが勝手に車を使ってると疑っておらはるんやろか。 車は日本人社員さんのアパートの駐車場に置いてくさかい、そんなこと出来んこと知ってはりますやろにね。 ちょっと前の日曜日に、社長さんがその社員さんのアパートに昼ごはんを食べに行かはった時に、車が無かったんで、次の週に、どうして車がアパートになかったんやと聞かれたことがありますわ。 ワテは、ちゃんと社長さんに、座席カバーが汚のうなったんで、車をワテの家に持って入って、その座席カバーを洗っておきますって言ってあったんやけど、それを忘れはったんやろね。 今度は社長さんに、ご自分で目で見る管理してもらわなアカンと思ってる今日この頃でんねん。   ワテな、今日も、経理と銀行へ行くゆうて出てきてまんねん。 経理な、今、そこの銀行へ行ってまんねん。そんでワテわ、ここでチャイを飲んで休んでますのや。 あっ、経理が銀行から出てきよったわ。 早う、帰らんとまた、あの社長さん、うるさいさかいに、ほな、帰りまっさ。さいなら、さいなら。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(15)  散歩しながら考える(出会う人たち)の巻

散歩しながら考えるの巻 出会う人たち (2019年9月記) 最近の早朝散歩は連夜のお酒が残っているので、毎朝は億劫になり土日の朝だけになりました。 アパートを出る時間は夜から朝に切り替わるつつある6時少し前です。 夜が明ける順番を日本語では暁(あかつき)→東雲(しののめ)→曙(あけぼの)というようですが、私が出かけるころは「朝ぼらけ」の表現が合うような気がします。 土日で大きな道路は車やオートバイが走っていますので、私はそれらの通行が少ない注宅地に入っていきます。私のアパートの周りには注宅地が5、6区画ありますのでその日の気分によって散歩する住宅地を変えています。 各住宅地の入口には守衛さんがいて、24時間体制で出入りする車やオートバイの運転手のIDカードを預かったりしていますが、歩いて出入りする人のチェックはしません。 どこの住宅地の入口の守衛さんとも私は顔見知りになりました。 住宅地に入る時には大きな声で「Selamat Pagi(お早う)」と挨拶し、出る時は「Terima Kasih(ありがとう)」と言って挨拶します。 ある朝、住宅地に入ったすぐのところに大きなバンヤンツリーがあり、気根が長く垂れ下がっていたので写真を撮ろうとすると、守衛所から一人出てきて、その気根にぶら下がり懸垂をして見せてくれました。愛嬌があるというかサービス精神が旺盛な人なのでしょうね。 また守衛さんたちは持ち場の道路の清掃もしたりしています。 オジェック(オートバイタクシー)の運転手さんも早朝からお客様を待っています。 その客待ちする場所は普通は守衛室の外ですが、広い住宅地では一定の場所に客待ち場所が決まっているようです。私のアパートの前にも朝から客待ちの運転手さんが何人か待機しています。 彼らにとって散歩する私は商売になりません。でも彼らは通り過ぎる私に「オララガ(運動)、ジャランジャラン(散歩)、クセハタン(健康)」と声を掛けてくれます。 ある住宅地では客待ちしていた暇そうにしていたゴジェックの運転手さんに写真を撮らせてくれと頼むと、喜んでと言った風にオートバイにまたがり、笑顔でポーズをとってくれました。 朝早くから商品を売り歩いている人たちとも出会います。定期的に出会うひとはインドネシアのジャムー(インドネシア古来のハーブ薬)を売り歩くおばさんです。 「ソーㇽ、ソ―ㇽ」と声を出して歩いているのは靴底ゴム張り屋さんです。 オートバイに乗り「ロティ、ロティ」と大声を出していた移動パン屋さんもいます。 ある朝は庭木の手入れをしていた素足の庭師さんもいました。 ある高級団地では血統書付の犬のブリーダーをしている家があり、毎朝若者が毛並の良い犬を連れて散歩しています。 別の家でお庭を拝見していたら家から出てきた同年配の人がこれから孫を連れて散歩すると言ってポーズを取ってくれました。このほかにも朝から鉢の木の手入れしている人と花木の手入れの仕方やどこで肥料を買うのかなどと話し込んだりしてゆっくりと2時間、時には3時間ほど散歩します。 最近見かけるようになったのがインド人グループのヨガ体操と、インドネシア人グループが楽しく踊る音楽体操です。 そして私はお日様が出てくると自分の影を写真に撮って遊んでいます。 日本と違って太陽はインドネシアの真上を通ります。その日の正午はどんな影になるのでしょうか? 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(94)ワテは運転手 ワテもつらいわの巻

お酒のつまみ その309 ワテは運転手 ワテもつらいわの巻 社長さんな、最近は朝からイライラちゅうか、ぼやいてばっかですわ。 この前の日曜日から金曜日までの一週間のことですわ。 ワテは日曜の深夜に中国の出張から帰りなさる社長さんをムンバイに迎えに行きましたんや。 空港で出迎えて、社長さんを乗っけて、プネに戻ったんが、朝の4時でしたわ。 社長さんが、『少し休んでから、11時に会社に出る』って言わはったんで、ワテも、一旦、おうちに戻ってから、ちょっと休みましたんや。 そんで、昼前に社長さんをお迎えに行って、会社に行く途中で社長さんが言わはりましたんや。 『今夜は、ムンバイから来る人と会食します。いつもの韓国料理店です。あなたのおうちの近くです』 そんで、帰りは迎えに来いって言わはるんかなあ、それともこの前みたいにオートで帰ってくれはるんかなあと聞きたいと思うたんですが、その時は、お尋ねしませんでしたわ。 そして、会社に着いて、昼ごはんを食べてからのことですわ。 ワテな、来月、甥っ子が結婚するんで、4.日半の休暇申請書いて、経理を通して社長さんに出しましたんや。来月の15日に独立記念日の水曜日から休みとりますんや。4.日半の休暇で7日間休みが取れるんですわ。なんで、4.日半ちゅう中途半端な数字かちゅうと、土曜日が半ドンで半日になるんですわ。 ワテ、要領エエでっしゃろ。社長さんな、サインしはる時に聞かはったんですわ。 社長さん :甥っ子って言うと、あなたの妹さんの子ですか。 ワテ    :ちゃいます、死んだおふくろの妹の息子です。 社長さん :それは従兄弟と呼ぶのではないですか。 ワテ    :でも、ちいちゃい時からワテのことをアンクル、アンクルって呼ぶもんやさかい、 ワテは甥っ子と呼んでますんや。 そやけど、甥っ子でも、従兄弟でも、兄弟でも、同(おんな)じようなもんちゃうのかなあ。 会社の休暇を社長さんが、去年、大きく変えはったんですわ。 それまではAnnual休暇、Casual休暇, Medical休暇と三つあったんを、Holiday休暇とCasual /Medical休暇の二つにしはったんですわ。 それまでのAnnual休暇は30日間で、Casual休暇が10日間、それにSick休暇は36日間もあったんでっせ。全部で76日間でっせ。 それを社長さんが、それは多すぎる、そして、Annualちゅう意味がよう分らんて言わはってな、去年からHoliday休暇15日、Casual/Medical休暇10日と合わせて、25日間としはったんですわ。 このHoliday休暇とCasual/Medical休暇の違いは何かちゅうと、Holiday休暇は年度末に残った日数を翌年に持ち越せるんですわ。まあ、多くて15日ちゅう限度がありますけどね。 そやけどCasual/Medical休暇は次の年に持ち越せませんのや。使い切りですわ。 このほかには、うちの会社な、女の人が、全然、全く、だあれも、いや、一人もおらへんのにMaternal休暇があるんでっせ。おもろいでっしゃろ。そしてPaternal休暇もありますんやで。 このPaternal休暇な、社長さんがおととし来はって社内規則を見直しなはった時に出来たんですわ。 インドの法律では、Maternal休暇は必ず入れなあかんのですわ。12週間取れるんでっせ。 その時な、社長さんが、そんなん、うちの会社には女の人がおらへんからMaternal休暇は必要あらへんけど、近いうちにメンテ担当にベービィが生まれるさかいに、Paternal休暇をこさえたらどないやって、日本でも父親に出産休暇があるって言わはってな、ベービィ二人までは5日間のPaternal休暇を取れるちゅうのを追加したんですわ。 けど、このメンテ担当な、ベービィが生まれたんやけど、男の子と女の子の双子でしたんや。 そんで、ベービィが二人も生まれても休暇は5日間でっせ。一人分を損したんとちゃいまっか。 ワテは、おととし結婚して、去年子供ができたんでっせ。そんで、きっちりPaternal休暇とAnnual休暇を合わせて二週間ほどもろて、嫁さんの実家のチェンナイに行ってきましたわ。 ワテは、甥っ子の結婚式やさかい、Holiday休暇で休みを取ったんですわ。 そしたら、経理も来月の独立記念日の前に2日間休んで5連休にするちゅう休暇申請を出しましたんや。それがCasual休暇でしたんや。社長さんな、不思議に思わはったようですわ。 社長さん :このHolidayとCasualの違いは何ですか? あなたもHolidayで申請すべきではないですか? 経理   :Holidayは三日以上の休暇です、二日以内だったらCasualで取得できるのです。 そんなん、スタッフは誰でも、持ち越しのできるHolidayは取っといて、持ち越せんCasualを先に使いたいんですわ。社長さん、経理の発言にカチンと来はったようでな。言い返しはったんですわ。 社長さん :Casualというのは、突発休暇のことではないのですか? Holidayは家族と旅行に行くとか、ゆっくり休んだりとか、あらかじめ計画してRelaxするもので、Casualというのは急に役所に行かねばならないとか、急に不幸があったとかで休まねばならないもので、日数と関係ないはずです。 そんでも、経理は二日がどうの、三日がこうやて、社長さんの顔を見んと言い切りましたんや。 社長さんな、電子辞書でCasualって意味が何やろうなって調べてはったようですわ。 そやけど、それ以上言い合いしてもあかんのやろと思わはったんか、それとも根負けしはったんかどうか知らんけど、黙ってサインされてましたわ。 けど、考えてみると、ワテは4日半の休暇で7日の休みで、経理は2日の休暇で5日間や、経理の方が要領がエエんとちゃうやろか。 そして次や、ワテと社長さんと経理がおる二階は天井低いし、暑いんですわ。 経理な、社長さんと並んで、壁に背ぇ向けて座ってまんのや。 そんで、経理の真上にACがおましてな、ワテは経理と向き合って座ってまんのや。 ワテと社長さんは、暑いんでACをつけたいんやけど、経理は前から何でか寒いちゅうのですわ。 社長さんな、ワテのために去年、扇風機を買うてくれはったんやけど、扇風機がACと反対向きに風を送るし、机の上の書類が飛ぶんで、あんまりつけとうないんですわ。そんで暑いんですわ。 そやさかい、社長さんな、この前から言ってはりますんや。ACの下の経理の席にワテの席を持っていって、経理は社長さんの席の前に背中向けて座るようにってせいちゅうて。 席替えですわ。 そやけど、ワテら社長さんのお話を聞くだけで、いつものように何にもせんかったんですわ。 そしたら社長さんな、さっきの経理の態度に腹が立ったのかしらんけど、『今から、机の移動を即やれっー』て命令しはったんですわ。そやから、ワテら、慌てて机を移動したんでっせ。 そうしたら、経理な、後ろから社長さんに覗かれる格好になりましたやろ、パソコンでGoogleが自由に見えんようになりましたんや。 経理な、社長さんの席とL字型になるように席を替えはいけませんかって、社長さんにお願いしましたんや。けど、社長さんはむつーっとした顔しはって、アカンの一言ですわ。 社長さんな、今まで経理が横に並んで座っておったんで、経理がパソコンを見ておっても、お仕事をしとるんか、どうか分らんかったさかい、こりゃー、チャンスやとばかりに、後ろから覗ける席にしはったんやろね。 そんで、経理な、今までは書類を社長さんに渡すときには、横を向いて渡せばよかったんやけど、これから、いちいち後ろを向かなあかん、手間や、面倒やちゅうて、なんやらモゴモゴ、ブツブツ言ってましたわ。 けど、席替えして、早速、ワテはACのスイッチ入れることができましたんや。 そんでな、夕方の会社終わるころですわ、経理な、朝オートバイで会社に来るときのジャンバー着てきて、自分の席に座っとりますんや。 そして、社長さんに言いましたんや。 経理   :体の調子が悪いです。寒気がします。吐き気がします。会社が終わったら、クリニックに行ってきます。結果を夜に電話でご報告します。 その日の夕方は昼に社長さんが言はわったように、会社を終わってから直接韓国料理店に社長さんと日本人社員さん一人をお送りしたんですわ。 そして、社長さんが車の降りがけに『9時半ころ迎えに来てください』って言わはったんです。 ワテな、その日の朝はムンバイから運転して帰ったばかりやったし、次の日は一時帰国する日本人社員さんを昼からムンバイに送って行って、逆に日本から帰って来る、もう一人の日本人社員さんを出迎えて、またプネに夜中に走って来なあかんかったんで、『来れたら来ます』って返事したんですわ。そしたら、社長さん、『そんな返事はダメです。絶対に迎えに来てください』ちゅうて、ご自分のカバンを車の中に置いたまんまドアを閉めはったんですわ。 ワテ、そんなん、酔っ払って大声で話す人を送るよりも、疲れた体を休ませたかったんでっせ。 そんで、車を出さずに社長さんがカバンを取りに来るのをジーっと待ってたんですわ。 外で、社長さんと日本人スタッフの人が、車の外でなんかしゃべったり、こっちを向いたりしてはりましたわ。するとな、社長さんな、後ろのドアを開けて、『いいです。迎えに来なくていいです。』ちゅうてカバンを取り上げて、バタンとドアを閉めて、ビルの中に入って行かはりましたわ。 結構ワガママで、気の短いお方なんですわ。あれが無ければエエ社長さんなんやけどね。   火曜日ですわ。 朝、社長さんを迎えに行ったらな、今日と明日の二日間経理が風邪で休むと連絡があったって言わはりますんや。 経理が休んでおらんようになると、ワテが、経理の仕事をせなあかんようになりますんやで。 ワテな、席に着ついてから、社長さんに昨夜(ゆうべ)はすみませんでしたって謝りましたわ。 社長さんは、問題ない、自分かて本当は早く帰って休みたかったんやと言わはりましたわ。 分りまっか、この謝るテクニック、これが、ワテが他のスタッフと違うとこでんねん。 『日本人上司に仕える方法』ちゅうもんを熟知してまんのや。そんな本書いてもうたろかな。 そんで、給料もろた日には、ワテな、社長さんに、ありがとうございますって言うんでっせ。 そんなん、普通のインド人は絶対に謝らんし、給料もろてもありがとうございますなんて言いませんで。天上天下唯我独尊ですがな、あれっ、これってお釈迦さんの言葉でしたな。お釈迦さんもインド人やし、まあエエか。 その日に、社長さんは、本社から急に明日、明後日でジャイプールとデリーに行ってくれって言われたようですわ。けど、その飛行機とホテルと車の手配は一緒に行くメンテ担当がやってくれましたんで助かりましたけどな。 ワテな、その日は昼から帰国する日本人社員さんをムンバイ空港まで送って行って、逆に帰って来るもう一人の日本人社員さんを夜中に出迎えて、帰って来なあかんかったんですわ。 そんで、お昼ごはん食べてから、日本人社員さんと事務所を出ましたんや。やれやれでしたわ。   水曜日は静かなもんでしたわ。ちゅうても、ワテは前の晩に、日本人社員さんをムンバイで出迎えてその朝に帰って来たんで、その日本人社員さんと昼から会社に行きましたけどな。 会社に行くと、社長さんとメンテ担当は出張でおらんし、もうお一人の日本人社員さんは夕べ帰国しておらんし、経理は風邪で休んどるし、事務所におるんが4名ですわ。 下に3人、二階にワテだけやさかい、静かなもんですわ。 下の3人さんな、あんまりお互いに話す人たちやないんですわ。   その次の日の木曜日の朝ですわ。 デリーにおらはる社長さんからワテに電話があって、経理があと二日間、木曜と金曜に休みを取るちゅうんですわ。なんでも、腎臓に石ができたようで、その検査を受けて治療をどうするか病院と打ち合わすためやそうですわ。腎臓の石って、インドの水が硬水やから、結構多い病気なんですわ。痛いらしいですな、オチンチンから石が出てくる時は。治療はあれですって、薬とか、超音波とかいろいろあるらしいそうでんな。これな、雨季に多い病気なんでっせ。何でかってですか。みんな、喉が乾かんから水を飲まんようになるんですわ。水を飲まん方がエエように見えますけどね、飲んだ方がエエんですわ。おしっこが、ようけ出るんで、それで石が固まらんうちに出て行ってしまうんでっせ。その木曜日は事務所の方は昨日とおんなじように静かでしたで。   金曜日ですわ、もう話すも涙、聞くも涙でっせ。 前の晩にデリーから帰って来はった社長さんから、事務所に着いたら朝イチで指示ですわ。 社長さんな、8月の初めにケララ州のコーチンちゅうとこに出張に行くんで、チケットを取ってくれ、そして、その前に日本からの出張者がチェンナイに入って、一緒に行くんで、その人のチェンナイからコーチンまでのフライトを調べてチケットを手配してくれ、ついでに8月に一時帰国するフライトについて、バンコク立ち寄り便と東京直行便とを仮予約して、料金を調べてれちゅうて、いつも経理がする仕事をワテに振ってくるんですわ。 それに今度増員される日本人社員さんの携帯の申しこみをせなあかんし、サービス販売の源泉徴収のインターネット登録の確認やらで、運転手の仕事やのうて、経理の仕事そのものでしたわ。 あっちゅう間に一日が終わってしまいましたがな。 そやけど帰りがけに社長さんが次の日は休みの土曜やけど、ムンバイにある会計監査会社が税金関係の小切手を社長さんのアパートの方に受取に来るから小切手帳をアパートに持って帰りなはったんですわ。その小切手への書き込みもワテが書いてあげたんでっせ。本来は経理の仕事でっせ。 そんで会社終わって、ワテ、家に着いてから、小切手に会社のスタンプ押し忘れたことに気が付いたんで、社長さんに会社のスタンプ押してませんけど大丈夫ですかって電話したんですわ。 そしたら、社長さんが監査会社に聞いてみるわちゅうて電話を一旦切らはって、しばらくして社長さんから会社のスタンプは必要ないちゅう電話がありましたわ。ホッとしましたわ。 久しぶりの土曜日の休みに、スタンプ取りに会社に行かなあかんかなって、ふと心配になったんですわ。運転手はつらいよですわ、まったく。経理は、来週は出て来るやろな。まったく。   丹羽慎吾