シンゴ旅日記ジャカルタ編(23)  日帰り旅行 その5 温泉をはしごの巻

ジャカルタから日帰りで行ける温泉にできるだけ多く行ってみようと思いました。 私のインドネシアでの温泉経験は昨年の中部ジャワのグチ、バンドン近郊のチアテル、そして今年に入り訪れたスカブミ県のインド洋側のチソラックです。 他の温泉をネットで調べるとジャカルタから日帰りできるところが一杯紹介してありました。 それに載っていたボゴール近くのティルタ・サニタに行くことにしました。 しかし、今回の旅行は帰ってきてからもっとネットでの紹介をよく読んで行くべきだったと反省しました。というのは、ティルタ・サニタは温泉が一カ所でなく辺りに三か所ものの源泉があるとネットに書いてあったの、それを流し読みしたので一番奥の魅力的な源泉に行きそびれたのです。しかし、そのため時間が出来て他の場所に移動して楽しい旅行ともなりました。 朝8時にチカランを出て1時間半で目的地に着きました。 駐車場に車を停めて温泉への入り口を近くの人に聞くと、道路を挟んだ反対側にあると教えてくれました。それでそこに行き入口で入場料を払い中に入って行きました。 受け取ったチケットにはティルタ・サヤガと書いてありました。 ネットで調べたのはティルタ・サニタですので、私は違うところへ来てしまったのかと不安になりました。でも、温泉に入れるのであれば問題ないと思い、着替えを入れた袋を持って中に入りました。 入ってすぐに『Hot Spring, Tirta Sayaga』と書いた看板があり、その向こうには白い丘が見えました。 その白い丘は石灰と塩でできた丘でした。 そこは温泉地というよりも遊園地みたいでした。そしてまだ昼前でしたので訪れる人は少なかったのです。私と運転手さんは温泉を探して丘に登ったり、丘の回りを歩いてみました。 子供用のプールやセラピーと書いた建物はあるのですが温泉らしいものが見つからず結局白い丘の回りを一周しただけでした。 私は運転手さんにここは失敗だ、歩き疲れたので休憩したあとに他の温泉に行こうと言いました。 そして入口付近の売店で三位一体のインスタントコーヒーを飲むことにしました。 インドネシアのインスタントコーヒーですから粉が底に沈むまで待たねばなりません。 売店の前を歩く家族連れや団体の人たちが増えてきたので、売店のオヤジさんが店先でシャボン玉セットを実演して売り出しました。 私は運転手さんが近くの温泉をスマホで探している間にそのお手伝いをすることにしました。 スマホで調べていた運転手さんが別の温泉が駐車場の反対側にあると言ってきました。 それで休憩を切り上げて、駐車場へもどり、近くの人に聞くと、先ほどの公園とは反対の山の上に温泉があると教えてくれました。私たちはそこへ行くことにしました。 その温泉はグヌング・パンジャンで、売店と売店との間に挟まれた狭い入口で入場料を払うと側にFish Spaの生け簀があり、数人の女性客が水の中に素足を入れていました。 このFish Spaはほかでも見たことがあるのですが、私は試したことがありません。 そこのFish Spaは無料だというので運転手さんと試してみることにしました。 サンダルを外して足を入れるとフナのような小さな魚が私の足の爪から踵までに寄ってきました。 最初はあちこちをちょっと刺されるような痛みを感じましたが、慣れて来るとくすぐったくなってきました。足の古くなった皮を餌として食べているのでしょうね。申し訳ない気がしました。 片方ずつ足を入れてFish Spaを堪能したあと、そこを離れ丘の上に上っていきました。 するとそこには細い道を挟んで掘立小屋が立っていて、多くの人が休んでいました。 そしてよく見ると通路の横に岩をくり抜いた湯船が四つほどあり、そこから流れる湯がその下の池に流れ、さらに一番下の大きな池に流れ、その先は広く広がる田園風景になっていました。 私たちはで通路横に机だけ置いた場所で入浴料を払い、粗末な小屋で水泳パンツに着替え、一番上の岩の湯船に向かいました。運転手さんは私よりも先に湯船につかり先客二人と一緒に湯船のそこから泥の様なものをすくい顔や、体になすりつけては湯で洗いおとしていました。 二段目、三段目の浴槽というか池の湯の温度はほんのわずか温かいといった程度でした。 それでそこに浸かる気にはなれませんでしたが、そこから眺める田園風景は絵になるものでした。 浴槽から上がり小屋で着替えて、戻る途中に料金所で写真を撮り、丘を下りて駐車場に戻りました。 私は運転手さんにまだ昼前だから、遠くてもいいから別の温泉に行こうと提案しました。 運転手さんはまたスマホで探してくれて、そこよりももっと先に別の温泉があると言うのです。 それではそこへ行って昼食を取り、温泉に入ろうと提案しました。 次の温泉地へは田舎道ばかりを通った長いドライブで、途中で午後1時を過ぎてしまいました。 食事をしようにも麺や揚げ物の屋台のある狭い家並みは通るのですがレストランが見つかりませんでした。運転手さんにはお腹が空いたら好きなものを食べていいよと伝えましたが、彼は目的地まで行きますと言って運転を続けました。 道は次第に坂道となりどんどんと登っていくと温泉地らしいところに着きました。 するといつものように道路に料金所があり入山料、通行料などを支払いました。 その温泉地はボゴールのサラック山(標高2,210m)の麓の温泉国立公園内にあるものでした。 その日は日曜日でしたので、料金が休日料金となっていました。 私たちは温泉よりもお腹が空いたので、温泉への小さな入口を通り過ぎ、レストランらしきところを探して車を走らせました。 するとヴィラ風の建物があったので車を停めて、入り口で食事ができるかと守衛さんらしき人に尋ねるとできますということでしたので、中に入っていきました。 車を駐車場に置いてレストランがどこかを係の人に聞くと、入口横の事務所に案内され、女性担当者からノートに名前と電話番号、メールアドレスを記入してくださいと言われそうしました。 その係の女性がヴィラの案内は必要ですかと聞きましたが、私は食事だけで結構ですと答えました。そしてレストランに案内されましたが、お客さんは私たち二人だけでした。 メニューを見て食事を選び注文すると、運転手さんがトイレに立ち、席に戻ってくると外の景色が素晴らしいですよと教えてくれました。 それで私はレストランの人に外の景色を見に行っていいか尋ねるとその人はそのまま敷地内のヴィラのいくつかを案内してくれることとなりました。 そのヴィラは斜面を利用して広い土地のあちこちに立派な個室を持っていました。 また会社の会議や研修なども宿泊してできる設備も持っていました。 ヴィラでの食事は美味しいものでした、そして食事を終えてから目的の温泉地へ向かうために来た道を戻り、脇道の温泉への狭い道路に入り、さらに走った先に狭い駐車場がありました。 そこからコンクリートの急な階段を下りていくと途中に展望台のような ところがあり、山々の景色を眺めることがきました。 コンクリートの階段その段差が一律でなく歩きにくいものでした。 さらえにどんどんと下りて行きましたので帰りの坂道がしんどいものに なるだろうなと思いましたが、頑張って下りて行くと、大きな岩が 沢山ある川の中で多くの人が水遊びをしているのが見えました。 川沿いに温泉の水がパイプで引いてきてあり、頭から湯を浴びる 場所もありました。 私はゆっくり浸かれるところが無いかとあたりを見回すと、坂の上に幼稚園のプールのようなものがあり、子供たちが入って遊んでいるのが見えました。 その入口に料金所があったのでそこの人に、どこに温泉があるかを尋ねるとその子供プールを上ったところに温泉があるといいました。 私はまずそこを見せてくださいと料金を払わずに上がっていくと、そこもプールになっていて中に大勢の人たちが湯に浸かっていました。 その湯に手を入れてみましたが、あまり熱くはありませんでした。 プールの横には建物がありその中には個室のバスがあるようでしたが、私はもう帰る時間も気になり、お湯に入る気分も失せていましたので入り口で待つ運転手さんのところに戻りました。 そして彼に川の上流に掛かっている橋から向かい側に渡り、下流に掛かっている橋でこちら側に戻ってこようと伝えました。 川に掛かる橋は歩けば揺れるような橋で、また川の両側の売店兼休憩所は遠くから眺めると昔の日本の湯治場のような風景に思えました。 川から駐車場へ戻るコンクリートの坂道は予想通り私には堪(こた)えました。 時には運転手さんにタオルの端を持って引っ張ってもらったり、休んでは深呼吸し、休んでは深呼吸をしながら上っていきました。 インドネシアの温泉も駐車場から温泉場へのアクセスや湯に浸かる設備が早く整備されればいいなと思います。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(103)ワテは運転手(耳鳴り)の巻

ワテは会社の運転手でんねん。ご主人は日本人の社長さんですわ。 社長さんな、最近耳鳴りがひどいちゅうんで、ワテが病院を紹介しましたんや。 プネで一番のエエ病院ですんやで。 Ruby Hall Clinic(www.rubyhall.com)って言いますんや。 ワテが昔、肩の骨を外した時や、ちょっと前にKidney Stoneで面倒見てもらったり、それに、去年、営業マンがバイクからコケた時も連れてきた病院ですわ。そやそや、社長さんの前任者もゴルフで腰が痛いちゅう時も、お世話になったんでっせ。 そこの病院に、ワテの姉さんの旦那さんがX線の技師で働いてまんのや。 ワテの紹介やったら、待たんで、すぐに見てもらえまんのやで。 そんで、火曜日の夕方、会社終わってから社長さんとその病院に行ったんですわ。 ワテはちゃんと義兄(にい)さんに前もって連絡取ってましたがな。 6時半ちゅう時間ですわ。Ruby Hall Clinicな、24時間営業の病院なんですわ。 お願いした耳のお医者さんは夕方4時から8時勤務なんですわ。   そんで、E.N.T.の待合室に行きますとな、ちゃんと義兄さんが来て、待ってくれてましたんや。 普通なら、予約して一日かかるんやけど、ワテらは、ちょっとだけ待つだけですわ。 そやそや、E.N.T.って分かりますやろ、Ear、 Nose & Throatですがな。 なんでも、日本では耳(じ)鼻(び)咽喉(いんこう)って言うそうでんな。 なんで『みみ、はな、のど』って言わへんのでっか。 日本人やのに中国の発音するのがかっこエエみたいでんな。   そんで、ワテらすぐに呼ばれたんですわ、ドクターに。 入って行きましたがな、部屋に。一緒ですわ、ワテも義兄さんも。 そんでね、お医者さんから、いつからや、どんな具合やちゅう、質問があって、器具を使って、耳の中を見たあと、ドクターが隣の部屋に行って何か持ってきましたんや。 あれっ、見たことあるわ、たしか、学校の音楽室や。Tuning Forkや、音叉やおまへんか。 ドクターな、音叉をコーンと机で叩いて、社長さんの耳の穴に当てて、聞こえるかちゅうて聞きましたんや。社長さんな、聞こえますって答えましたわ。そりゃ、そうやろな。 そしたら、今度は、コーンと叩いて、社長さんの耳の後ろにあてましたんや。 聞こえるか?聞こえません。でっせ。 その次はコーンと叩いて、社長さんが坊主にしはった頭のてっぺんに立てましたんや。 そんで、どっちの耳からやちゅうと、社長さんが、左の耳からですちゅうて答えましたわ。 検査はそんで終わりましたんや。 部屋に入ってから、5分も掛ってないんとちゃいまっか。 次の患者さんが、もう部屋に入って来て、椅子に座って待ってまんのや。 普通は外で待つんと違うんかなあ。 帰りがけのドクターとの会話ですわ。 ドクター  ;何歳ですか? 社長さん :60歳です。 ドクター  :原因はage and nerveです。 ここに書いた薬を寝る前に飲んでね。 そんで、今日は時間がないから、出来んけど、明日に聴力検査に来てね。 それでおしまいですわ。社長さんな、Age(加齢)は分かるけど、Nerveって何やって、ドクターにしつこい位聞いてましたで。 ワテが、そりゃ、神経でんがな、血管でんがな、ちゅうて説明したんやけど、納得できんみたいやったですわ。 外へ出ると、社長さんな、音叉を頭に乗せられたときは自分がギターになったような気分になったって言ってましたわ。 そんで、薬局で薬もらうとね、5粒で6ルピー(9円)でしたわ。 ドクターの検診料は500ルピー(750円)でしたんやで。 社長さんな、こんな6ルピーでもうかるのかいな、領収書の紙代にもならんのやないか、ホンマにこの薬は効くんかいなって言ってましたで。 そして、最後には、さすがジェネリックの国やちゅうて感心してはりましたわ。 そんで、車に乗ってご帰宅ですわ。 でも、明日はワテは営業マンと二泊三日でコラプールに行くことになってましたんや。 そんで、社長さんに、義兄さんの携帯番号を紙に書いてあげて、明日、10時半に病院に行ったら、義兄さんに連絡して、検査を受けてくださいって言ったんですわ。 社長さんな、一人で行くのは不安やて言わはりましたんや。 そんで、明日は、うちの会社でしょっちゅう使っておるレンタカー会社で、社長さんも、顔見知りのジャヤンさんが来るよってに、彼にも義兄さんの電話番号を教えておきますんで、病院へジャヤンさんが連れて行くさかい、大丈夫ですよって伝えましたんや。 そんで、次の日ですわ。水曜日の朝でしたわ。 ワテは営業マンと朝の5時にプネを出て、コラプールに向かってましたんや。 8時半ころに社長さんから電話が掛かってきましたわ。 社長さん :おはよう、今日の運転手はジャヤンさんではありません。彼の弟です。 その弟は田舎から一ヶ月前に出ていたばかりで、英語が十分に話せません。 今日の私の病院での検査は、あなたがプネに戻って来てから行くことにしましょう。 来週でも構いません。あなたの義兄さんに今日はキャンセルするように伝えてください。 って言わはったんですわ。しょうがおませんわ。その旨を義兄さんに電話しましたがな。   そんでワテは翌日の木曜日の夜にプネに戻ったんで、金曜日の朝に社長さんを迎えに行きましたわ。 そんで、社長さんに病院での耳の検査はいつにしましょうって、聞きましたらな、いつでもエエよ、っていわはるんで、すぐに義兄さんに電話したら、明日の10時半からならエエよって返事でしたわ。 そんで、翌日の土曜日ですわ。 その日は半ドンやのうで、全休の土曜日でしたわ。 社長さんには朝10時に迎えに行きますって言ってましたけど、例によって遅れて、10時20分ころに迎えに行って、そして病院に行きましたんや。 E.N.T.の待合室には、また、義兄さんが来てくれてましたんや。検査まで、時間があるちゅうんで、ワテと社長さんはCoffee Shopでコーヒーとパンの朝食と取りました。 そして、待合室に戻ると、検査室に入ることができました。 検査室は狭いとこでしたわ。 でも、ワテも義兄さんも社長さんと一緒に入りましたわ。 耳の検査やさかい、音がせんようにサンダル脱いで入るんでっせ。 検査する人は女のひとでした。社長さんは狭い部屋に入れられてヘッドフォンをかけられて、音が聞こえたら手を上げてって言われました。 社長さんが、その時に、右の耳で聞こえたら右手、左の耳で聞こえたら左手を上げるのかって聞いたんやけど、女性検査官は、右手だけで結構ですちゅう、つれない返事でしたわ。 その狭い部屋に小さな窓がついてて、そこから中の様子がわかるんですわ。 部屋の中から、その窓を通して外を見ると、暗ろうて、あまりよく見えんみたいでしたわ。 そして、なんや、女性検査官は機械見ながら操作してましたわ。 ワテらには社長さんの様子が見えんかったよってに、何してはるのか、ようわかりませんでした。 検査が終わって、社長さんが狭い部屋から出てくると、検査官はなんやら書いた書類をみせて、加齢やなくて神経です、この書類をドクターに渡して、診断してもらってくださいと言わはって、終わりでしたわ。そんで、待合室に戻って、義兄さんが受付でドクターの都合を聞くと、午後4時に来てくれとのことでした。社長さんは、今日は土曜日で、メイドが来て部屋を掃除するけど、それは2時ころからで4時には終わってるから大丈夫やちゅうことでした。そんで、一旦帰って、出直すことにしましたんや。 義兄さんにお礼を行って一旦社長さんをアパートに送りましたわ。   そんで、4時にまた、社長さんをお迎えに行って病院に行きましたわ。 車の中で社長さんが、これを義兄さんに渡してくれってお札をワテにくれたんですわ。 要りません、要りません、必要ありませんって答えたんですけど、社長さんは、あかん、是非とも受け取ってくれって言わはったんで、ハイ、確かに義兄さんに渡しますってワテは受け取りましたわ。 車を駐車場に置いて、裏口から入っていくと、守衛所みたいなところにシーク教徒が二人立ってましたんや。社長さんが、あの二人は頭に怪我してんのとちゃうかいうて冗談を言わはりますんや。 そやかて、二人とも白いターバンを巻いて立ってましたさかいにな。 E.N.T.の待合室へ行くと、しばらくして、義兄さんが来てくれました。 義兄さんは、この一階の入り口付近が仕事場なんですわ。今日は手術がのうて暇そうでしたわ。 義兄さんが受付で聞くと、ドクターは別棟で手術中とのことでした。 そんで、三人でCoffee Shopで時間をつぶしましたわ。 社長さんは義兄さんに、X線技師ってどんな仕事ですか、週に何回ぐらい手術に立ち合うのですか、この病院はインドのほかの町にも支店があるのですか、ベッド数はいくつくらいですか、心臓の検査もしてくれるのですか、なんていろいろ聞いてはりましたわ。 おしまいの方では、日本のことわざに『歳を取って耳が遠い人ほど、長生きする』っていうのがあるんで、ワシも長生きの口やろなって言ってはりましたわ。 5時になったんで、待合室に戻ると、まだ、ドクターは手術中らしゅうて、待たされましたんや。 義兄さんが手術室に電話したり、終いには手術室を見てくるちゅうて行ってしまいましたわ。 社長さんは待合室の壁にかかってる、ドクターの名前や勤務時間を面白そうに見てはりましたわ。 ワシを診てくれてるドクターはどの人や、ドクターたちの勤務時間が不規則なんは、どうしてや、副業でもしてるのかって、ワテに聞くんですわ。 そうなんですわ。この病院は私立病院やさかい、お医者さんが自分の病院と掛け持ちなんですわ。公立はあきませんで、その病院以外でお仕事ができませんのや、それに公立の方は給料はグーンと安いんですわ。サービスも悪いんでっせ。 そりゃ、来る患者が貧しい人ばっかやからですわ。   […]

シンゴ旅日記ジャカルタ編(22)  日帰り旅行 その4 サーフィンと温泉の巻

日帰り旅行の4回目はインド洋を見に行きました。 私の部下がインド洋でサーフィンを楽しんでいると聞いたので、私の前任地のインドと繋がるその海を見に行きたくなったのです。また、ジャワ海の方ではサーフィンが出来る波が起きないようです。 その日は朝7時にチカランを出発しボゴールを抜けスカブミ県に入り、長い山道を上り、下るとに港町が目の前に開けました。着いたのは11時ころでした。 長時間休憩なしのドライブでしたのでコーヒーブレイクにしようと入ったレストランにはフィルターで濾したコーヒーはなくインドネシアのコピ・ヒタム(Kopi Hitam=黒いコーヒー)しかありませんでした。 それで他の店を探しましたが、どこもコピ・ヒタムばかりでした。ホテルならドリップ式コーヒーが飲めるだろうとホテルに入りましたが、ホテルのコーヒーもコピ・ヒタムでした。 私はあきらめてあの口の中にコーヒーを挽いた粒々が入ってくるコピ・ヒタムを飲むことにしました。 休憩してホテルを出ると駐車場に同じ模様の入ったオートバイが数台並んでいて車体にはGogobliと書いてありました。そして、そのオートバイたちが一台一台と駐車場から整列して出発して行きました。私は車に乗り込んで運転手さんにあの一団はGojek(オートバイタクシー)のようなものかと聞くと、オンラインで化粧品や健康食品を販売している会社ですと教えてくれました。 ホテルを出る時に運転手さんがサーフィンをする部下の車の運転手に電話をしてサーフィンをする場所を確認しました。 そして、海岸線に沿って走っていくと、道路の真ん中に机を置き、両側に人か立ち車を止めていました。独立記念日の前になると村々ではお祝い行事をするための資金を集めるために道路を走っている車を停めて運転手から小銭を徴収することがあります。 私はその寄付集めかなと思ったら海岸の通行料30,00ルピア(約240円)を払う場所でした。 そのあと運転手さんは大通りから小道に入っていきました。 すると、そこには手動式の踏切のように錘のついた竹竿が道をブロックしていました。 それは竹竿の先に紐をつけ手で上げ下げするゲートで、そこで入場料を10,000ルピア払いました。 ゲートを上げてもらい細い道をさらに進んでいくと、海がみえました。 そして海に面した狭い駐車場があり、車が三台ほど駐車していました。車から降りて海を眺めると少し沖に10人くらいのサーファーが波に浮かび、大きな波を待っているのが見えました。 そこで、サーファーたちの波と戯れる様子を眺めました。 海岸の一角には「ゴミは持ち帰りましょう」とインドネシア語、英語、そして 日本語で書いたサーフボードが立てられていました。 海を眺めているとちょうど12時になったので、私たちはから食事に行くこと にしました。 海ですから美味しい海鮮料理が食べられると期待しました。 大きな道路に戻り美味しそうな料理が食べられそうなレストランを探しました。 そしてちょっとしたホテルのような建物を見つけ、入り口の人に聞くとレストラン があるというので車を駐車場に入れ、建物に入っていき、階段を上がり2階に 行くと、テラスから海を眺めながら食事ができところでした。 しかし、お客さんは私と運転手さんの二人だけでした。 料理を注文し、出て来るまで運転手さんと写真を撮り合いました。 料理が出て来るのに時間がかかるので運転手さんが二回ほど調理場に督促に行きました。 結局料理が出てきたのは注文して一時間経ってからでした。 料理中に運転手さんがこの近くに温泉があると教えてくれました。それで料理を食べ終わってからそこに行くことにしました。 レストランから出て海岸線を少し西に走り山の方に上っていき ました。するとまた道路上で通行料を払いました。 なんでこんな山道で通行料を払うのだろうと運転手さんに聞くと そこが温泉地への入場料だったのです。 売店が並ぶ駐車場に車には大型バスが何台も停まっていました。 私たちも車を停め、売店横の坂道を降りて行きました。 すると川から蒸気が吹き上がる光景が目に入ってきました。 川に近づいて行くと硫黄の匂いが鼻に入ってきました。 川の中では噴き上がる蒸気の回りで多くの人が水に浸かっていました。 しかし、川の水がちょっと汚れていたので私は川に浸かるのをあきらめました。 すると運転手さんがお湯に浸かれるところがあると言い、そちらを見ると温水プールの入口がありました。入場料は一人2,500ルピア(約20円)でした。中に入ると近くに大きなプールがありました。 私は海に行くためにとTシャツと短パンの着替えは持って来ていましたが、下着は準備していなかったのでプールに浸かることはやめました。 すると係のおじさんが奥にもっと熱いプールがあるよと教えてくれました。 それでは足湯をしてみようとそこに向かうと、すでに多くの人がプールの縁に腰かけていました。 私も腰かけて足を入れてみると熱くてとても2秒と浸かっていることのできない湯でした。 私は顔を上げてプールの対面を見ると座っている人たちが私の様子をみていました。 帽子を被った日本人か韓国人がわからない人物が来て、足湯をしているのが珍しかったのでしょうね。なかには私の方を見ながら自分は熱い湯に太ももまで浸かることが出来るぞとプールに足を突っ込んでくれる人がいました。すると回りからはやんやの声が湧き上がりました。 私の運転手さんはこうなることがわかっていたのか、早々と入り口近くの低い温度のプールに浸かっていました。私は彼を呼びに行き他のお客さんと一緒に足を湯に入れているところの写真を撮ってもらいました。そして彼にちょっと湯に足を入れてみてと頼むとその暑さにびっくりしていました。そしてまた低い温度のプールに戻って行きました。 私も足湯を終えて低い温度のプールで運転手さんが上がるのを待っていたら、マッサージをしませんかと呼びかけて来る人がいました。でも、どんなマッサージがわからなかったので躊躇していると、その人は「ちょっと試してみて、ダメでもいいですよ」と言いました。 近くにいた運転手さんも「まだ時間があるので、行って来て下さい」とすすめてくれました。 それで私はマッサージを試してみることにしました。 案内されたところはシャワールームにタイルの段があるところでした。 中にはおじさんがいて、ホースで温泉の湯を高圧で体に掛けて行くというものでした。 下着はつけたままでよいということでした。替えを持ってこなかった私はこれまた躊躇しましたが、帰りは下着なしで短パンをはけばよいと決心してマッサージを受けることにしました。 高圧のお湯が最初に足、そしてタイルの上にうつぶせで背中に掛けられ、それが終わると、湯の華のようなものを体に刷り込みながら湯を掛けてくれました。気持ち良かったです。 マッサージを終えると帰りの時間が気になったのですぐに着替えて帰途に着きました。 帰りは来た道とは違う道を通って帰りましょうと運転手さんに言いました。 そして私はマッサージの後の気持ち良さと車の振動で眠ってしまいました。 そして目を覚ますと辺りはすでに暗くなっていました。スマホで位置の確認をするとまだボゴールの手前でした。来るときは4時間かかっただけでしたので、もうとっくにアパートに着いている時刻のはずですが、運転手さんが道を間違えたようでした。 彼はしきりにスマホの地図を見ながら帰り道を確認していました。帰り道は違う道を通ろうと言ったのは私ですので文句が言えません。アパートには出発してから7時間後の夜10時に到着しました。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(102)ワテは運転手(組合)の巻

ワテは運転手でんねん、ご主人は日本人ですわ。 えっ、8月はインドがえらい世界のニュースになったんですか。 ロンドン・オリンピックの見知らぬ女性が選手団と行進、マルチ・スズキの暴動、ニューデリーの大停電、ルピーの暴落なんかですか? ワテがオリンピックでびっくりしたんは、選手の男の人がターバン巻いてたことですわ。あれな、ウソでっせ。ターバン巻くんわ、あれシーク教徒のもんでっせ。インド全体で2%もいませんのやで。 また、世界中に誤解を与えてしまいましたがな。 アカンなあ、インド人の何でもエエからみんなを喜ばせようとするサービス精神ちゅう技ですわ。 それに選手団と一緒に行進していた女の人誰か知ってまっか? 開会式のエキストラで踊るダンサーやったんやて、そんで、会場に入る許可証を持っておったって新聞に書いてあったんですわ。バンガロール出身の女の子でしたんやてな。全く悪気は無かったって帰国してからコメントしてましたで。 それにしてもなんでやろね、同じ位の人口を持つ中国が88個のメダルをとって、インドが6個、それも銀と銅だけちゅうのは、なんででっしゃろね。 それに、日本も可哀相でんな、ソフトボールや野球で日本が優勝してまうと、オリンピックの競技から外されてしまいますもんね。 インドでスポーツちゅうたら、クリケットが国技みたいなもんでんがな。 オリンピックにはクリケットがおませんがな、それがあったらインドは金を取れてたと思いますわ。   そやそや、社長さんが言ってはりましたけど、日本の『巨人の星』ちゅう野球のアニメがインドでクリケットに置き替えられて始まるそうですわ。 タイトルは「ライジング・スター」ちゅうて、日本とインドの共同制作らしいでっせ。 お父さんの厳しい指導を受けた男の子が、いろんな試練や葛藤を乗り越えながら、クリケット界の頂点を目指すという話やそうですわそんでね、舞台は建設ラッシュに沸くムンバイなんやて。 男の子の名前はスーラジちゅうて、そのお父さんのシャームは3輪タクシー「オートリキシャ」の運転手なんやて。ライバルになるビクラムは大手財閥系企業の御曹司なんやて。 野球少年が投げた魔球のようなもんまで出てくるちゅう話でっせ。 インドとおんなじようにクリケットの人気が高いコモン・ウェルスのパキスタン、バングラデシュ、スリランカなどの南アジアや、オーストラリアや南アフリカなどでの放映も見込んでるそうでっせ。 日本での新聞記事の話題ちゅうとマルチ・スズキの暴動でんがな。 日立製作所さんもエアコンの工場で火災に遭いましたが、マルチ・スズキさんの方が、損害やこれから来はる外国の企業さんたちへの影響が多きいんとちゃいまっか。 日本のスズキさんな、インドに来てからもう30年経ちますやろ。 マルチ・スズキの車ちゅうたら、もうインドの国民車ですがな。 最初のグルガオン工場、第二工場のマネサールもハリヤナ州にあるんですがな。 こんなことがあるんで、スズキさんは嫌気さして、グジャラート州に第三工場を作りはるやろうなあ。そやけど、グジャラード州も宗教的には大変なとこでっせ。 マルチ・スズキさんな、2009年に生産が追いつかんゆうて、第一工場とおんなじハリアナ州のマネサールに第二工場をつくったんですわ。これが原因でんな。 マルチ・スズキさんのマネサール工場な、去年は4回もストありましたんやで。この第二工場な、大体3000人くらいの人が働いていまんのや。 けど、正社員が60%、契約社員が40%でんのや。 インドって、ブリティシュの植民地やったから、結構、会社法とか労働法とかうるさいんですわ。 そやから、正社員やのうて、簡単に辞めさせることができる契約社員を使ってる会社が多いんでっせ。ワテがそうでしたがな。今年四月まで契約社員やっったんでっせ。 運転手は正社員と条件が違うゆうて、四年前に入社した時に言われてそのままでしたんや。 それを二年前に来はった今の社長さんが、正社員と契約社員と何が違うんや、明確せぇーって、経理に確認しはったんですわ。そしたら、経理が会社の保険に入れんとか、働く時間帯が違うとか言ってましたわ。 そしたら、社長さんが、働く時間を運転手だけ変えて、正社員にしてあげなさいって、言わはって、今年から正社員になれたんですわ。 そやけど、経理は、ワテが正社員になることに、なんであんまりエエ顔してないんやろな。   そやそや、マルチ・スズキの話やわ。 正社員って言うてもね、入社して三年間の実習生と、その後の正社員とがあるんですわ。 実習生と正社員では、お給料がかなり違うみたいでっせ。 そんで、契約社員の方もな、技能労働者とお掃除する係りがありますんや。 この契約社員はハリアナ州と話し合って、地元の人を採用せなアカンことになっとったんですわ。 第二工場やから、働く人の平均年齢が若いんのが特徴ですわ。25歳以下ですんや。 第一工場のグルガオンは、もう平均年齢はゆうに30歳を超えてるらしいでっせ。 そんでや、その第二工場のマネサールに第二組合を作れちゅう動きが出てきたんですわ。 裏では共産党系の組合が糸ひいてまんのや。あの毛沢東路線の反政府の政党AITUCですわ。 インドってね、ようけ、労働組合がありますんや。全国レベルでも次のようになってますわ。 BMS(インド労働連盟) :民族奉仕団(RSS) 832万人 INTUC(インド全国労働組合会議) :国民会議派 784万人 AITUC(全インド労働組合会議) :インド共産党 461万人 HMS(インド労働者連盟) :なし(社会主義系) 535万人 CITU(インド労働組合センター) :インド共産党(マルクス主義) 343万人 UTUC(統一労働組合会議(LS)) 160万人 TUCC(労働組合協同センター) 89万人 AICCTU(全インド労働組合中央評議会) 67万人 UTUC(統一労働組合会議) :革命社会党 78万人 出所:国際労働財団のホームページから 組合ちゅうても、組織率は5%程度のもんちゃいまっか。 そんで、そのマネサール工場の第二組合ですが、要求が無茶苦茶ですわ。 組合員のメンバーの三分の一まで外部のモンを入れよちゅうのですから。 暴動が起こった理由は第二組合問題だけやなくて、カーストや、賃金差別やいろんなモンがあったと思いますわ。 うちの社長さんな、日本のスズキが好きなんやて。 なぜかっちゅうとな、スズキのスズキ会長さんの生まれが、社長さんとおんなじギフで、社長さんの息子さんもスズキのスィフトに乗ってるからやって。   話変わりますけどね、横暴な組合ちゅうたら、この前のエア・インディアの操縦士のストですわ。 あれで、運賃が上がって出張費用が増えとるって社長さんが、こぼしてはりましたで。 今のエアー・インディア(AI)ってね、2007年にインディアン航空(CI)と合併してできたんですわ。このインディアン航空ちゅうのは、めちゃんこアカン飛行機会社やったらしいでんな。 当時のプログにこんなんがありますわ。 『インディアン航空の地上職員の名言。 私        「どうしてディレイしてるんだ?」 職員     「知らない」 私        「何で知らないんだ、無責任だろ!」 職員     「遅れた原因を知ったからといって飛行機が早く着くわけじゃないだろ」 私        「・・・・・」』   インドは1953年に8社あった民間航空会社が国有化されてもうて、国際線はエア・インディア、国内および国際線近距離はインディアン・航空となってましたんや。二社の独占でんがな。 けど、1990年代の民営化路線になってから、民間の航空会社がようけ出来てきたんですわ。 キングフィシャーさんは、一時は飛ぶ鳥の勢いでしたが、今は泡の雫ですがな。 これな、鳥のキングフィシャー(カワセミ)と親会社がビール会社ちゅうのを掛けた洒落でっせ。   そんでエア・インディアやがな。この2007年の合併後も操縦士さんの組合が別々なんですわ。 エア・インディアはIPG言うて、インデァン・パイロット・ギルドで、インディアン航空はICPAちゅうてインディアン・コマーシャル・パイロット連盟なんですわ。 これが仲が悪いのなんのって。今回のストはエア・インディアの操縦士さんの側ですわ。 お腹が痛いって、体調が悪いって、嘘を言って休んだんでっせ。 そんで、日本への便は全便欠航ですがな。 このストね、なんでしはったか、知ってはりまっか、会社が今度ボーイングのドリームライナーちゅうてB787の最新式の機体を買わはるんですわ。 旧エア・インディアさんはボーイング社の機体をずっーっと買ってきたんですが、インディアン航空さんはエアバス社の機体が中心やったんですわ。 飛行機の型式が変わったり、メーカーが違うと操縦士さんも訓練し直さなあきませんやろ。 そんで、エア・インディアの操縦士さんたちが、インディアン航空出身の操縦士が訓練を受けるのは、この会社がもうかっておらんこの時期に、コスト高になるよってに、せんでエエちゅうたんですわ。自分たちのお仕事を奪われんようにしたんですわ。 話代わりますけど、これってCAもおんなじでっせ。 ボーイング社の機体に乗るCAがエアブス、ちゃう、エアバスに乗るときや、その逆の場合も、それぞれ社内試験受けなアカンのでっせ。 このエア・インディアさんの操縦士さんのストね、これまた、伏線がありまんのや。 ちゅうのはね、エア・インデァさんは、正操縦士になるのに10年かかりまんのや、10年たてば自動的に正操縦士になれまんのやわ。怖い航空会社でんな。 インディアン航空さんは、それが6年ですねん。 それに、二つの組合があるんで、まだお給料なんかの待遇はエア・インディアの方がエア・インディアちゃう、エラい、エエンですわ。ちょっと舌噛みそうになりました、すんません。 そんで、去年な、インディアン航空の操縦士さんがお給料改善のストをやって、会社から増額を認められたんですわ。 それを根にもって、今度はエア・インディアの操縦士さんのストですわ。 そんなことやっててエアん、いやエエんですかいな。 […]

シンゴ旅日記ジャカルタ編(22)  日帰り旅行 その3 階段畑の巻

ボゴール植物園、タマン・ブンガ・ヌサンタラ(庭園)と続いた日曜毎の日帰り旅行の三回目は運転手さんに頼んで滝を見に行くことにしました。 彼が選んでくれた滝はジャカルタから東に車で三時間ほど行ったマジャレンカ県のセレメ(Cereme)山(標高3,078m)の麓でした。マジャレンカ県は運転手さんの出身県でもあるのです。 マジャレンカといえば今年5月に西ジャワ国際空港が開港したことで有名です。 滝はセレメ山の麓に登る途中にあったのですが、運転手さんはそこを通り過ぎて山麓の中腹まで車を走らせました。 セレメ山の頂上へは車で行くことができません。自動車で行ける道路がまだ出来ていないのです。 また、途中までの道路もつづら折りの狭い道で対向車に出会うと一方が停まって待っていなければすれ違いが出来ないほどでした。 滝を見に来たのにどんどん山道を車で登っていきました。 そして、標高1200メートルのところの茶店の横に車を停め、近くの見晴らしの良い丘に登ることにしました。上り口で一人5,000ルピア(約40円)の入山料?を支払いました。 細い畑の横の道を通って丘に登り、そこから見渡す景色は素晴らしいものでした。 急な斜面に作られた畑は畝が一列だけで、段々畑というより階段のような畑でした。 丘の上では家族連れ、恋人同士、友人同士など多くの人々が景色を眺め、写真を撮っていました。上から斜面下の駐車場を見下ろすと沢山のオートバイと数台の車が停めてありました。 みんなオートバイに乗ってあの急な坂道を登って来たのです。 私と運転手さんは360度見渡せるその丘の上で写真を撮りまくりました。 こんな急峻な山の斜面を耕して野菜を作るという人々の生活力に感動しました。 丘を下りる時は上りと違う道を通りました。その道は足で土を踏み固めただけの細道でした。 片側に竹で作った素朴な手すりがあり、足を滑らせないようにそれにつかまりながら下りていきました。坂道を下りて道路にでると脇に茶店があり、その横に停まっていたオートバイの後部座席の両側にカゴの中にはドリアンが一杯入っていました。 私が運転手さんにこれは買うことが出来るのかと聞くと、彼が茶店に座っているそのドリアン売りらしき人に聞くと、ここで売っているということでした。 それでその人に良く熟れたドリアンを一個選んでもらい運転手さんと二人で食べました。 ドリアンを食べ終わるとドリアン売りはもっと食べるかと聞いてきましたが、お腹が一杯となったのでもう十分ですと答えました。 そして、売店でペットボトルを買いドリアンを食べてべトついた手をその水で洗いました。 ちなみにドリアン一個は50,000ルピア(約400円です)でした。 ドリアンを食べたあと駐車場までの上りの坂を息を切らせて歩きました。 そして、朝来るときに素通りした滝を見に行くことにしました。 滝の駐車場に着いて入口で入場料を支払いました。ひとり15,000ルピア(約120円)でした。 滝を見るためには坂道を歩いて下りて行かねばなりませんでした。 最初は両側がキャベツ畑の緩やかな坂だったのですが、途中からコンクリートの階段となり急な坂道となりました。 私は運転手さんに「こんな坂を下ると帰りは大変だよ。まだ昼ごはんも食べていないし。」とぐちりました。急な階段を下りる途中で滝は見えたのですが、折角歩いて来たのだからと更に階段を下り、滝そのものの近くまで下りて行きました。そして滝の入口で1000ルピア(8円)の料金を払いました。 滝を見て、写真を撮り、駐車場へ戻ることにしました。上りの坂道は心臓にきついものでした。 私は休んでは深呼吸し、休んでは深呼吸して上っていきました。 コンクリートの階段を上り切り、畑の中の緩い坂道の途中で畑に種を蒔いている夫婦がいました。 私はそれは何ですかと声を掛けると、奥さんはわざわざ私の傍まで近づいてきて籠の中のタネを見せてくれました。それはキャベツのタネで、この地域では4カ月で大きくなるとのことでした。 この高原の村の家々はきれいなものでした。きっと高原野菜が年中取れて、ジャカルタなどに即日配達できるので収入が安定しているのであろうと思いました。 駐車場に戻り、私は運転手さんに『次は昼ごはんを食べよう、私は糖質制限中だからご飯は要らない、お魚とお肉と野菜が食べたい』とお願いしました。 それまでの高原の茶店や滝のお店ではカップヌードルや揚げ物ばかり販売していたので、食事をしなかったのです。車で麓に下って行く途中に展望レストランがありました。 朝登って来るときにそこで休憩しようと思いましたが運転手さんがまだ大丈夫ですと言ってそのまま通り過ぎたところでした。そこで私は鶏と魚の焼き物ともやし炒めを頼んで空腹を満たしました。 帰りの車中で私は疲れた足からサンダルを脱ぎ、シートに持たれ、眠りながら帰宅しました。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(101)ワテは運転手(新聞係)の巻

ワテは運転手でんねん。ご主人は日本人の社長さんですわ。 その社長さんが来られたばっかの時に言わはったことがありますわ。 『私が(会社で)仕事をしている時は、あなたは仕事(運転)をしていません。あなたが仕事をしている時は、私は仕事ができません。』 そんなん言われても困りましたで、運転手やもん、しょうがおませんがな。 けどな、今は違いまっせ。その時からスタッフが増えましたんや。 今は事務所の二階の天井の低い部屋で、社長さんと経理とワテの三人が座っていますんや。 前は、ちゅうか、日本人の若いお二人さんが来る前は、ワテは、朝、社長さんを乗っけて会社に行きますやろ、それから先、これといった仕事がおませんでしたんや。 社長さんの送り迎えの他は、経理が銀行や役所に行くときに車を運転しまんのやけど、後は社長さんとワテの昼食を買いに行く時くらいしか用がおませんでしたんや。 そんで、会社に行って、ワテにとっては針の山に座るような朝の打合せが終わると、ワテは会社でとってる新聞に目を通すのが日課みたいなもんでしたんや。 その新聞読みが、今では仕事のひとつになりましたわ。 社長さんがワテの仕事にしてしもうたんですわ。 『あなたは事務所では新聞を読むことが仕事です。そして大きな出来事が載っていたら、私に教えてください』って言わはったんでっせ。 そんなん、社長さん、ご自分ですることやないのかなあ。 それに、今では新聞を読むことの他に、事務所にいるときは経理のファイリングなんかもワテの仕事になってまんねん。 新聞を読む仕事は結構、社長さんに報告事項があるんでっせ。 プネのダムの水位が下がってもうたとか、Kingfisherが借金で首が回らんとか、前の日に社長さんが通ったムンバイ――プネの高速道路で5台の車が衝突して5人死にはったとか、毎日報告する出来事がありまんのや。 ワテな、最初のページはあんまり、ちゅうか、まったく読まんのですわ。 ホンマのこと言うと政治や経済ってようわからんのですわ。 社長さんは、地方の州の選挙結果とか、中央の党と地方がどうゆう関係にあるとか、今年の予算はどないやって聞きはりますけど、ワテはあんまり関心がおませんのや、ようわからんのですわ。 ワテが最近報告して社長さんが関心しはったんは罰金の記事ですわ。 プネ市がごみのポイ捨てなんかに罰金の支払いを取り入れたんですわ。 社長さんな、プネもシンガポール並みに、綺麗になるんやろかって言うてはりましたで。 でも、そんなん、無理ですわ。みんな守りませんで。 オートバイのヘルメットかて、一旦、かぶらなアカンことになったんやけど、すぐに守らんようになりましたがな。これって、みんなが強いんやろか、それとも市がエエかげんなんやろか。 そういえばこんなことがありましたわ。あれは社長さんが来はった二年前やろか。 社長さんと営業マンを乗せて、ワテがコラプールから運転してた帰りのことですわ。 運転するワテの横に営業マンが座ってましたわ。 すっかり夜も更けてましてね、もうすぐプネに入るかなちゅうとこで、営業マンが車の窓を開けたと思ったら、飲みかけやった二リットルのペットボトルを窓から投げ捨てたんですわ。 社長さん、びっくりしはって、営業マンを怒りましたんや。 『なんてことをするのですか?窓からペットボトルを投げ捨てるなんて。誰が掃除をするのですか?それに人がいたら危ないではないですか。』 営業マンな、キョトンとしてましたで、社長さんが何を怒ってはるのか意味が分からんみたいでしたわ。これからは、そんなことしたら、罰金になるんでっせ。わかっとるのかなぁ、あの営業マン。 朝の打合せで、これからは罰金払わなアカンのやでって言ったろかしら。 社長さんな、この前ラジャスタン州のジャイプールへの出張から帰って来はって、教えてくれましたで、ジャイプールではオートバイの運転手も後ろに座る人もヘルメットの着用が義務付けられたんやて。 久しぶりにジャイプールに行って町の景色を眺めていたら、何か違うんで、同行したメンテ担当に何か違わへんかって聞いたら、オートバイの運転手も同乗者もヘルメットをかぶることになったんやちゅうことですわ。ちゃんと守っとる町もあるんやなあ。なんでやろ、人の違いやろか、市の姿勢やろか。 話変わりまんのやけど、ワテは家ではパソコンやってますんや、その話を社長さんにしたら、ワテ用のラップトップを与えられて、Eメールアドレスも作ってもらえたんでっせ。 ワテにも事務所におるときは事務所の仕事をせいちゅうことですわ。 けどな、このラップトップな、ホンマはワテ専用に買うてもろたんと違いますんや。 この前、辞めはった顧問さんのんを、返してもろたんで、社長さんがワテに使えちゅうて言うたんですわ。そんで、最初にワテが打ったメールは、社長さんの出張のフライトを旅行代理店に申し込むことやってんです。フライトの予約は経理が担当するのやけど、経理はその日休んでおって、おらんかったんですわ。ワテな、ちゃんと社長さんにも代理店へのメールのコピーを落としましたがな。 そうしたら、社長さんが、それを読まはってな『Checkのつづりが違っていますよ。Cheakになってますよ。これがCheekやったら、ほっぺたのことですよ。Cheek danceって知ってますか』って言わはりましたんや。Cheek danceって日本語英語でっせ。それに朝から変なこと言わはる社長さんでんねん。ワテな、おかしいなあ、Checkはそんなつづりやったかなぁ、社長さんが間違っているのやないかって思ってましたんや。 そしたらな、次に社長さんから書類を渡されて、サービス売上の源泉税の支払い確認を税務署のネットから見てくれって言われましたんや。ホンマは、これも経理の仕事でんがな。 ラップトップもろても、あんまりいいことないなって、ちょびっと思いましたわ。 そんで、その、ネットからの確認を、どうやってすればエエのか知らんかったんで、休んでる経理に電話して、うちの会社のパスワードなんかを聞いて教えてもろたんですわ。 そのネットからの税金の支払確認は存外簡単なものでしたわ。 その時ですわ、書類にcheck ちゅう文字があったんで、社長さんに、合ってますよ、Checkちゅう単語のつづりは社長さんが言わはったんが正しいですよって報告したんですわ。 社長さん、そうやろ、私が辞書そのものや、これからは歩く辞書って読んでくれって言って、自慢顔してはりましたわ。 ワテな、英語を話すのは事務所で、一番に上手(うま)いんやと思うけど、書くのは苦手なんですわ。 インドの学校は、英語で授業する学校と、その州の言葉で授業する学校がありますんや。 ワテでっか、そりゃ、もちろん、英語授業学校ですがな。 ワテは、両親がチェンナイ生まれのクリスチャンで、家の中では英語使ってましたやろ、それに学校も教会系やったさかい、英語は問題ありませんのや。 経理でっか、彼はマラティー語授業の学校やったから、英語の授業は小学校の五年生からあったそうでっせ。 そやけど、ワテな書くことは苦手でんねん。 この前も、社長さんが毎朝提出する運転記録を見ながら『これはamですかpmですか、はっきり分るように書いてください』って言われたことがありましたわ。 その日は、まだまだ、事務所のお仕事がありましたで、経理が休んだからでっせ。 社長さんな、ちょっと銀行からのメールを転送するんでチェックしてくれって言わはったんでっせ。 またチェックでっせ。社長さん、チェックちゅう言葉好きなんやね。 何かと思うたら、海外からの入金確認連絡ですわ。 社長さんな、これを夕べ銀行からメールで受け取ったんやて。 うちの会社な、本社や国内のお客さんからの送金は時々あるけど、海外の他の会社からの入金はまずありませんのや。 社長さんが言わはることには、そのメールを読むと、バーレンから1万ドル以上の入金がうちの会社があるけど、その入金目的のコードは何やて書いてあるらしいちゅうんでっせ。 そんで、銀行の担当者に、そんな入金は無いけど、何かの間違いや無いかって聞いてくれって言わはったんですわ。いつもやったら、これも経理の仕事でんがな、明らかに。 けど、その日は、経理が休んでおったさかい、ワテがせなアカンかったんですわ。 そりゃ、ワテかて、うちの銀行の担当者の名前くらい知ってまんがな。 そんで、社長さんが転送してくれはったメールを、よう読むと、入金する会社の名前が、うちの会社の名前とよう似てるけど、まったく別の会社ちゅうことがわかったんですわ。 社長さんにそれを言うと、『そうですか、そうですか』ちゅうて、もう一回ご自分でメールを読んで確認してはりましたわ。 そんで、ワテな、銀行に電話して、銀行の担当者に間違ってまっせて、伝えたんですわ。 そうしたら、しばらくして、社長さんのメールに銀行から申し訳ないちゅうメールが入ったらしいですわ。 社長さんな、こんな簡単な間違いをインドの銀行はするんやなあって感心ちゅうか、呆れてはりましたわ。そして、入金するのはうちの会社ですって嘘つけばよかったかなぁて言ってはりましたわ。 社長さんな、これで、銀行にさらに不信感持ちはったみたいですねん。 ちゅうのは、何ヶ月前にな、ニセ小切手の事件があったんですわ。 これな、おかしな話やけど、経理が展示会への展示機の輸送費用を、小切手でチェンナイの業者にクーリエで送ったんですわ。チェンナイはタミールナド州でっせ。 そうしたら、隣のケララ州の銀行で小切手の金額に一本余分に1ちゅう数字が足されて引き出されてしまったんですわ。何万ルピーやったかが十何万ルピーかになって落とされてしもうたんですわ。 銀行な、5千ルピー(7500円)以上の入出金があると、社長さんのパソコンにAlertちゅうて連絡がきまんのや。 そんで、社長さんは、それをそのまんま経理に転送してますんや。 すると経理は社長さんがエクセルで作った残高表に記入して銀行残高を確認してますんや。 けど、入出金連絡が来ても、それは金額と小切手番号だけで、どこに支払ったかの明細は銀行から来ぉへんから、それがブラインドスポットちゅうか、盲点でしたんやな。 経理な、いちいち、その引き落とされた金額がどこへの支払いかCheckしませんのや。 そんで、その事件が起きてから、社長さんな、経理にCheck(小切手)を発行したら、エクセルにすぐに記入しなさい、そして銀行から出金連絡があったら、金額をCheckして色をつけなさい。そうすれば、CheckがCheckできるやろって、洒落をいいながら指示してはりましたで。 それで、そのニセ小切手でんがな、これな、何で偽造されたかわかったかちゅうと、そうでんがな、本来の小切手の受取人が約束の日が過ぎて、やっとう待ってても、小切手が届かんちゅうで営業に電話してきましたんや。 クーリエで送ったんで、クーリエの会社に支払い先の業者に届けたかどうか確認しましたんやが、プネからチェンナイへはまとめて送っているんで、一件、一件の確認は取ってないちゅうんでっせ。 それにクーリエは小切手の金額の保証はせんちゅうものらしいですわ。 そんで、社長さんな、経理に銀行に文句言えー、その偽の小切手を取り寄せぇーちゅうて大騒ぎですわ。 そして取り寄せた偽の小切手は、元の金額やサインなんかを薬品できれいに消されて書き直されていましたわ。 社長さんの魚の骨のようなあのサインも、誰が見てもわかる違った魚の骨になってましたわ。 ホンマにあるんでんな、ニセ小切手なんて。簡単にできるもんなんですな。 新聞には、ようこの類の事件が載っておるやけど、まさか、うちの会社が被害にあうとは思ってもいませんでしたわ。 そんで、続きがありますんや、ちょっとしてな、銀行のお客様サービス係が、何にも知らんと、挨拶に来たそうですわ。 そんで、社長さんが対応して、お客様サービス係やったら、何とかニセ小切手の問題を解決して、責任取ってお金を返してくれって言わはったそうですわ。聞いた話やけどね。 それからですわ。社長さんは経理が銀行に行くたんびに、このニセ小切手の解決はどうなっておるんや、確認して来いって言わはるんです。 そんで、昨日もワテが経理と銀行へ行く前に同じことを言わはったんでっせ。 やけども、銀行は、毎回おんなじの、ちょっと待ってちゅう返事ですわ。 ええですな、銀行は、受取小切手は、すぐ入金してくれんし、送金する時には、あの書類出せ、この書類が足らんちゅうて、すぐにやってくれへんのに、問題が起こると、ちょっと待ってくれ、そんで、自分の責任やと分るとかんにんのメール一発で済ませますんや。 ワテかて、失敗したら、かんにんの一発で済すませたいわ。 銀行さん、かんにんで済むんやったら、お巡りさんがいらんのやで。アカン、インドでは、お巡りさんの方がもっと、かんにんだらけや。 新聞係りな、結構ええ仕事ですわ。 新聞読めて、お給料もらえてTwo birds with one stoneですわ。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記ジャカルタ編(21)  日帰り旅行 その2 花公園の巻

インドネシアの草花が見たくなり、ボゴール植物園に行きましたが、そこは樹木が主体の植物園でした。それで期待したように沢山の草花を見ることができませんでした。 私は運転手さんに頼んで、どこかに大きな花畑がないかを調べてもらいました。 彼が紹介してくれたのがボゴールを過ぎプンチャック峠を越えたチアンジュール県にあるタマン・ブンガ・ヌサンタラでした。それでボゴール植物園に行った次の日曜日にそのお花畑というか庭園というか植物園に行ってみました。 そこは私の住むチカランからボゴール経由で110km、車で3時間ちょっとのところでした。 ボゴールを過ぎてプンチャック峠で標高をスマホのアプリで測ると標高1500m近い高さでした。 出発して二時間以上経っていましたので、峠のテッペンのレストランでコーヒー休憩としました。 屋外のベランダに立つと、吹き寄せて来る風が肌に冷たかったです。 休憩後に峠を越えて行くとそこは斜面となり、坂となった畑が広がっていました。 そして、峠からさらに一時間ほど走ると目的のタマン・ブンガ・ヌサンタラに到着しました この庭園は故スハルト元大統領の夫人ティエン・スハルトが1995年に作ったものです。 広さは23ヘクタールあり、様々な展示物があります。例えば、フランス庭園、バリ庭園、日本庭園、温室、バラ園、地中海の庭、ヤシの庭、花の絨毯の他、ウォーターパーク、迷路、恐竜、等々があります。入場料は一人40,000ルピア(約320円)でした。 入ってすぐの広場にはクジャクや白鳥を花で作った大きなモニュメントがありました。 広い庭園をどこから回るか悩みましたが、ボゴールの植物園の時と同様に、庭園の全体図を見て、 右回りに歩いて行くことにしました。 歩き始めて最初にあった建物はベゴニアばかりが集められた温室でした。 建物の入口で一人5,000ルピア(約40円)と言われお金払いましたが、もらった領収書に印刷されているのは2,000ルピアで、赤いスタンプで5,000ルピアと押されていました。日曜日は特別料金としているのです。 ベゴニアの温室を見終わって外に出ると、隣に日本園がありました。 和風の門から中に入って樹木の名前が書いてある立札を見ると、多くの樹木は中国、ブラジル、ヒマラヤそしてインドネシアのものでした。 日本園の中は日本庭園を模して池が作られ中には鯉が泳いでおり、橋も架かっていました。 紫陽花があったので、運転手さんにこれは日本原産だよと説明し、花の名前を書いたプレートを探したのですが見つかりませんでした。 日本園には池や、宍脅し、灯篭などが配置してありました 衣装を着せて写真を撮るコーナーがありましたが、その衣装はなんと中国服でした。 日本園をでてどんどん歩いていきました。広い庭園の中を無料のバスが走っていました。 しかし、私と運転手さんはそれに乗らずに歩いて回りました。 すると生垣で作った迷路があり、そばには四階建てのような塔が立って いました。 運転手さんが上に登って行って迷路を眺めようと言いました。 私はすでに歩き疲れ、お腹も空いてきていたので、階段を上って行くのが 億劫になっていました。 高い塔だからエレベーターがあるだろうとその塔に近づきました。 するとやはりエレベーターはあったのですが壊れていて使用不可でした。 私はちょっと疲れていましたが、折角来た庭園だからこの際、その塔に 登ってみようと決心し、二人で階段を上っていきました。 息を切らして最上階まで上って、下を見下ろし、迷路をバックに運転手さんが取るポーズをカメラに収めたり、高い位置から見える庭園の景色をパノラマで撮影したりしました。 塔の上で時間を費やしたあと等を下り、食事をするためにレストランを探しました。 庭園の中にはあちこちに小さな食堂はあるのですが、どこもご飯ものと麺類ばかりなのです。 それらは糖質制限中の私にはご法度の料理ばかりなのです。 私は炭水化物(デンプン)でなく、タンパク質豊富な魚やお肉が食べたいのです。 お肉が食べられそうな食堂に立ち寄ったのですが、ご飯が付く定食ばかりでした。 それで、その店の人にお肉や魚が食べられるレストランがありませんかと聞くと、その先の遊園地の中にあるといいました。 私たちはさらに歩いて行き、釣り堀を眺めながら食事ができるところで昼食を取りました。 食後はフランス園、バラ園、ダリア園などを見て回りながら入口に向かいました。 多くの家族が来ていましたが、目に付いたのはアラブの家族連れでした。 目だけで頭からすっぽりかぶるニカブを被った女性たちもたくさんいました。 運転手さんとあれでは自分の奥さんかどうかわからないのではないだろうかと冗談を言いながら歩いて行きました。ジャカルタ近郊にはアラブ人の人たちが住む一角があるそうです。同じイスラム教徒と言ってもアラブ人とインドネシア人は宗教に対して大きく違いがあるような気がしました。 食後に歩いたので二人ともちょっと疲れてきました。もう庭園散策を切り上げて帰ろうと言うことになり出口い向かって歩いて行きました。するとその庭園のシンボルになっている女神像があり、その前で女神像と同じポーズで写真を撮ったり、大きな花時計をバックに写真に納まりました。 とても一日で回り切れる庭園ではありませんでした。 そして、私たちは駐車場に戻り、来た道と違う道で帰ることにしました。 帰りはヤシ畑やゴム畑を通る山道で、少し麓に近づくと段々畑の見える 高台に出ました。 私は一軒しかない小さな茶店の横に車を止めさせ、 車から下り、また坂道を下りて段々畑の写真を撮りに行きました。 樹木に囲まれてあまり良い写真が撮れず、坂道を登って茶店に戻って くると、運転手さんが地元の年配の人とコーヒーを飲んでいました。 年配の人は近くにヤギの餌となる草を毎日山に取りにくるそうで、近くの オートバイの後部座席に刈り込んだ草が丸めて積んでありました。 年配の人に年を聞くと70歳でした。 私が元気でいいですねというと、彼は自分の歯が少なくなり、私の歯が 沢山あっていいですねと答えてきました。 年配の人と話したあと車に乗って走り出すと、運転手さんが先ほどの人 は私が田を見に坂を下りて行ったので日本人が土地を買いに来たのだ と思ったようですと話してくれました。 私は次の休みは滝のあるところに行きたいと旅行案内人でもある運転手 さんにお願いすると、わかりましたと返事が返ってきました。 その日アパートに戻ったのは夜の8時を過ぎていました。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(100)ワテは運転手(インド土産)の巻

ワテは運転手でんねん。ご主人は日本人社長さんですわ。 この社長さんな、年に何回か、日本に一時帰国されますんや。 そんでそのお土産を買うちゅうんで、この前の休みやった土曜日に、お供したちゅうわけですわ。 社長さんな、二年前に来られて初めて一時帰国しはった時は、サリーやら、パンジャブ・スーツをぎょうさん買って帰りはったんでっせ。 そやけど、ご家族の人からはそれらに興味を持ってもらえんかったんやて。 そんな、派手派手のモンを、誰も、よう着んちゅうのが理由やったそうですわ。 けど、娘さんたちが、友達にあげるちゅうて受け取ってくれたんやて。 そんで、この前帰った時に奥さんから、タンスの中にまだ残ってるモンが何着かあるって、聞かはったそうですわ。 その次の帰国の時はマフラーでしたわ。 お正月休みに帰らはったんで、絹や綿のマフラーが安いちゅうんで、これもまた、ぎょうさん買って帰らはったんですが、ご家族からの評価は前とおんなじやったそうですわ。 けど、マフラーを持ってなかった息子さんが二つもらってくれたそうですわ。 社長さんな、センスがないんですわ。 安ければエエ、ぎょうさん買えればエエちゅうタイプですわ。 なんせ、田舎育ちで、家族や近所の人、それにおじさん、おばさん、従兄弟が多かったんで、お土産は数で勝負する性格になりはったみたいですわ。 もっとも、社長さんな、自分のことを『日本の百円ショップ大好きおじさん』やって言ってはりますわ。 きっと、Penny wise and pound foolish(安物買いの銭失い)の典型でんな。 その次に、ぎょうさんお土産として買いはったんは食いモンでしたわ。 インド料理が日本では人気やちゅうんで、インドのレトルト食品を買って帰りなはったんでっせ。 いろんな種類のカレーや、炒めもんや、ベジやノンベジやちゅうて、会社の近くの商店の在庫がなくなるくらいに買って行かはったんですわ。そんで、これもアカンかったようですわ。 家族の人がインド料理や、エスニックやちゅうて食べてくれるかと思ったら、本場のインド料理は日本人の舌には合わんそうですわ。 このレトルト食品も、その次に帰国した時に、台所の隅にある箱にまだ残っておったそうですわ。 そやそや、去年は親戚にインドの映画が好きやちゅう子がいるのがわかって、インド映画のDVDや映画音楽をぎょうさん買って帰りはったことがありましたで。 そんで、会社にも持って行って若い子の人気取ろうと配ったけど、みんなそんなんイランちゅうて、断られたそうですわ。   社長さんな、そのほかにも、食後に口直しで食べるソーンフちゅうお砂糖でくるんだモンの詰め合わせとか、チャイのパックとか、甘いお菓子とか、ヒンドゥー教の宗教画とか、いろんなモンを買って帰らはったんですが、どれもこれも、家族や会社の人には喜んでもらえんかったらしいですわ。 そんで、空港でチョコレートを買ったり、バンコクでトランジットする場合には、空港の売店で香料とか、石鹸とか、仏像、唐三彩みたいな陶器のベンジャロンとかを買って帰らはるらしいですわ。 そりゃあ、そうですわな、インドのモンでせいぜい世界的に有名なんわ、ダージリン・ティぐらいなもんですわな。 そんで今回ですがな。 なんや知らんけど、奥さんからインド綿を買って来てくれって頼まれたそうですわ。 奥さんが知り合いにあげたいから縫っておらん、生地を買って来て頂戴と言われたそうですわ。 社長さんな、奥さんからインド綿の依頼が来る前は、石で作っった象で、体に穴が開いておって、その中にまた小さな石が入っとるちゅうやつを買ってこうと思ってたんやて。 しかし、石は重いし、前にシヴァ神のリンガを息子さんに買って、持って帰って、カバンを開けたら、真ん中の棒が割れておって、瞬間接着材でくっつけたそうですわ。 そんで、今度は何を買っていったらエエのか悩んではりましたんや。 社長さんな、火曜日の夜の便で帰ることになりましたんや。 そんで、その前の週の休みになる土曜日に買い物に行きたいって言わはったんですわ。 ワテにですわ、しょうがおませんがな、社長さんに、お付き合いするしか。 ワテが経理にエエ店がないかを聞きましたんや、そして、教えてもらったお店は狭い路地にあるんで車では行けませのんや。そんで、ワテが土曜の朝9時に社長さんのアパートにオートで行ってから、一緒に行きましょうって言いましたんや。   それに、金曜日と土曜日は社有車を車検に出してましたんで、どっちみち社有車では行けませんでしたんや。 この車検をする、せんについても、木曜日に社長さんとの間でちょっと、ひと悶着がありましたんやで。 ワテ      :社長さん、火曜日にムンバイ空港にお送りするんで、車を明日金曜日に車検に出します。 社長さん           :いつもどれだけの走行距離で点検に出しているのですか。 ワテ      :5千キロ毎です。 社長さん:前回の点検はいつでしたか? ワテ      :二ヶ月前です。 社長さん:そんなに、頻繁に点検に出すのですか? その度に部品を取り変えて、点検会社の言いなりにお金を払うのですか? ワテ      :仕方がありませんわ、1年間の保証が5千キロ点検をするちゅう条件ですさかいに。 社長さん           :ちょっと待ってください。   社長さんな、日本人社員の一人を呼びはって、なんか質問して、その社員の人が席へ戻って、しばらくして、また、来はって、社長さんになんか報告にしてはりましたわ。 そしたら、社長さんが、ワテに、点検をしなさいって言わはったんですわ。 後で、その日本人社員の人に聞いたら、社長さんから、日本での車を点検する走行距離を聞かれたんで、本社に確認したら、3千キロ点検をしてるって連絡があったんで、そう答えはったそうですわ。 そんでやわ、社長さんすぐにOKを出しはったんわ。   そんで、社有車を車検に出したもんやさかい、金曜日は日本人の社員さんはオートで帰る予定してたんやけど、間がエエちゅうんですか、いつも使ってるレンタカー会社の社長さんが先月の請求書を持って来たんで、その帰りを利用して三人さんがアパートに送って貰いなはったんですわ。タダですわ。 ワテですか。オートで帰りましたで。 けど、来週の月曜日と火曜日に休暇を取って、15日の独立記念日と合わせて5連休を取りよる経理が仕事を終わるのを待って、事務所のシャッターを降ろして、経理がロックした鍵を、ワテが受け取って帰ったんですわ。 土曜日ですか、社長さんには9時に行きますって約束してましたけど、社長さんの家に着いたんは、 10時ちょっと前でしたわ。 けど、社長さんな、前みたいに、なんで約束時間が守れんのやちゅうような、すねたような顔をしてませんでしたで。きっと、インドの時間感覚ちゅうのを会得しはったんやろね。 そんで、ワテが乗って来たオートに一緒に乗らはって、クリシュナ通りに向かったんですわ。   その日は、買いもんの他にマネーチャンジャーにも行くことになってましたんや。 社長さんな、今回はルピーを円に替えて持って行くちゅうんですわ。 ルピーが毎日、安うなっていくんで、心配にならはったんやろか。それともヘソクリやろか。 そんで、前の日の金曜日に、ワテがマネーチェンジャーに電話して、社長さんが円を買いたいちゅうてるでって言うたら、そんなら、先に社長さんの口座からインターネット・バンキング・システムを使って、送金してくれって言われましたんや。そうしたら、入金を確認して、その日のうちに円を持って行くって言われたんで、そう社長さんに伝えましたんや。 社長さんな、インターネットを使って送金したことがないもんで、ワテが側についておって、ID番号や、パスワードを入れて、いや、パスワード入れる時はワテは側を離れましたけどな、そうやって操作したんやけど、送金が出来んかったんですわ。 なんでかちゅうとね、インターネットで送金するには、パスワードの他に携帯番号登録を銀行に行って済ませておかなアカンかったんですわ。 けど、社長さん、その手続きしてませんでしたんや。 そんで、結局、小切手で支払うことになって、これもワテが小切手に支払い先と金額を書いてあげましたんやで。 そして、その小切手を金曜日にワテが銀行に持っていって、マネーチェンジャーが入金を確認してから、次の日の土曜日に円を渡すちゅうことになりましたんや。 長い話やけど、結局金曜日には円が貰えんで、土曜日にマネーチェンジャーのお店にワテと社長さんとで取りに行くことになりましたんや。   そんで、土曜日はお買い物と両替の二つのことをすることになりましたんや。 けど、ワテは車の点検が土曜日の夕方に終わるんで、社長さんとご一緒したあとに、車を取りに行かなあきませんでしたけどな。 そんで、インド綿のお店には、オートの後ろに社長さんと二人で座っていきましたんや。 社長さんな、朝から、うるさいんですわ。 社長さん           :おいおい、このオートは旧式の料金メーターですよ。 このメーターは金額を表すのですか、距離を表すのですか ワテ      :これは距離を表しまっせ。下の二桁がメートルで、それからが左の数字がキロです。 社長さん:そうですか、私はてっきり、金額を表すのかと思っていました。なぜなら、降りる時に、 いつも運転手さんがメーターを見てから、胸ポケットから取り出す表を見るので、メーターには旧料金が表示されていて、表で旧料金と新料金の換算をしているのかと思っていました。 ワテ      :ちゃいまんがな。あのー、運転手さん、料金表を見せてやって。 ちゅうて、ワテは社長さんに料金表をお見せしたんですわ。 社長さんな、そうやったんかって、料金表を見ながら関心してはりましたわ。   そして、背中をかがめて、オートの中から町を眺めて、あの古い建物は何や、この匂いは何や、あの人だかりは何やって聞きはりますのや。 そのたんびに、あれは、プネで一番古いアパートです。あれはオフィスです。この匂いは近くに魚市場があるからですって説明せなあきませんのや。 そんで、野良犬狩りの車があったんで、あれは野良犬狩りをしてるんですちゅうと、犬はどうなるのや、どこかの町に捨てるのか、ドッグショップに引き取ってもらうんかって聞かはりますんで、ちゃいます、殺して処分するんですって答えましたわ。   そんで、やっと、インド綿のお店の近くに着いて、社長さんがオートの代金170ルピーを払ってくれて、オートを降りて、お店に向かいましたんや。社長さんな、また、おしゃべりですわ。 ここは何回か来たことのあるとこやないか、あの古い市場があるとこやろ、あの大きな建物がそうやろ。この通りは前は、あっちから歩いて来たことあるで、この店は確か、お客さんの結婚祝いの食器を買いにきたとこやって言いながら歩かはるんでっせ。 そして、時々カメラを取り出しては、写真を撮りなはるんでっせ。 お店では、社長さんな、買うもんを決めておられんかったんか、生地もんと仕立てもんの両方を買ってはりましたわ。 お店の人にこれもエエですなって言われると、お値段を聞いて、安いとすぐに二つ下さいって言わはるんですわ。そんな主体性のない買い物する人おるんやろか。 社長さんな、今度の帰国でホームタウンに、お父さんのお墓参りに行くんやって、そんでお兄さんのお嫁さんや、妹さんや、姪っ子さんや甥っ子とさんのお嫁さんや、女性陣がようけおられるんやて。 […]

シンゴ旅日記ジャカルタ編(20)  日帰り旅行 その1 ボゴール植物園の巻

日帰り旅行 その1 ボゴール植物園の巻 インドネシアの草花が見たくなり、ある日曜日にボゴール植物園(クブン・ラヤ)に行きました。 しかし、そこは樹木が主体でしたので、期待したように沢山の草花を見ることができませんでした。 (ウィキペディアからの抜粋) ボゴール植物園はクブン・ラヤ(大植物園)といって、世界でも有数の大きな植物園です。植物園の面積は80ha以上あり、15,000種以上の植物を見ることができます。オランダの統治時代にボゴールはオランダ人居留地として発展しました。そして、ボコール植物園も元々は蘭印総督府の庭園だったのです。その後、一時的にジャワ島の支配が英国に移った1812-1816年に、ボロブドール遺跡を発見したり、巨大な花のラフレシアの発見で知られる英国人のラッフルズ(1781年~1826年、シンガポールの創設者)がボゴールに居住し、庭園も改造してイギリス風庭園としたのです。そして、英国の撤退後にオランダの所管に戻った1817年に正式に植物園として開園しました。この植物園はオランダの植民地経営がもたらしたアジアにおける輸出産品・育種研究の歴史的遺産の一つであり、タバコ、コーヒー、キャッサバ芋等の普及はボゴール植物園なくしては語れないとまで言われています。この他にも天然ゴムや茶,コーヒー,コショウ,サトウキビ,綿花,オイル・パームなどはこの植民地戦略に基づいて世界各地で栽培されるまでになったのです。日本の統治下では、植物園と標本館ともに、植物学者の中井猛之進が園長に就任し、日本軍隊からの大木の伐採要請を拒否して園を守ったとされています。 私と運転手さんは朝の7時にチカランを出発しました。 ボコールへの高速道路は混んでいなくて、9時前にボゴールの町に入りました。 歩道にはトレーニングウェアーを着た大勢の人たちが歩いていました。 運転手さんが休みの日はウォーキングが盛んであると説明してくれました。 朝食を食べて居たかったので運転手さんと植物園の近くのKFCに入って腹ごしらえをしました。 店内は多くの人たちで混雑していました。 インドネシアもファーストフードのお店が人々の生活に溶け込んできたのでしょうね。 その後植物園に行きました。入場料は一人16,000ルピア(約130円)でしたが、赤十字財団の寄付みたいなものを1,000ルピア(約80円)追加されました。 入場するとすぐに園内の案内板があり、それを見てどちらから回ろうかと運転手さんと相談しました。園内はあまりに広いでの一日では回り切れないだろうから、右回りに外側を歩いて行くことにしました。まず最初に歩いたところは道路の両脇がヤシの木ばかりのところでした。 そして歩けども歩けども大きな樹木ばかりでした。 私は歩きながら運転手さんに本で仕入れた植物のにわか知識を披露して行きました。 園内にはシードバンクの棟もありましたが、そこは閉まっていましたので、外側から窓を通して中を眺めると、いろいろな植物のタネが展示してありました。 また売店があり、お土産品として食虫植物のウツボカズラやハエトリクサも販売されていました。 私は運転手さんにこのように昆虫を食べる植物があるんだよと説明すると彼はびっくりし、ウツボカズラの中を覗いて虫がいるのを見てこれまた驚いた表情をしていました。 園内をどんどん歩いて行くと、高い木々ばかりに出合いました。 あるところでは太い、大きな木が二本並び、空に向かって高くそびえて立っていました。 私が商社の木材部時代にインドネシアから輸出したメランティ(フタバガキ科)の大木でした。 板根とは 樹木の地表近くからの側根の上部が平板状に著しく偏心肥大し樹木の支持や通気の働きをする根のこと。熱帯雨林の高木やマンぐろーず植物に多い 園内を右回りにどんどん歩いて行くと守衛さんが立っている門がありました。 そこは大統領の住むボゴール宮殿でした。デヴィ夫人も住んだところなのでしょうね。 ボゴール宮殿の建物は、1834年のサラック山の大噴火の後に再建されたもので、歴代のオランダ総督とイギリス総督一人 (ラッフルズ) そして戦中のジャワ島司令官だった今村中将が住んだ歴史があるそうです。   初代園長ラインヴァルト(1773年~1854年) ドイツ生れ、アムステルダムで植物、化学を学ぶ。 インドネシアがオランダの所管に戻った1817年にボゴールに着任。ジャワ人が家庭や医術で使用する植生の収集に乗り出した。農業と園芸におけるプロモーションを目的に、整備が進んだ。 在任中の1822年までに、約900種を47haの敷地に栽植・整備した。(ウィキペディアから抜粋) 日曜日でしたので植物園のあちこちでは家族連れ、会社のグループ、友達同士たちがあちこちに座り、食事をしたり、中にはカラオケをしているグループもありました。 私たちは9時前に入園し三時間以上歩き通しでしたので、ちょっと疲れ、お腹も空いてきました。 私は運転手さんにまだお昼だし、もっとお花が多い公園が近くにないか調べてもらいました。 すると、スマホで調べていた運転手さんがありますと答えましたので、そこへ向かうことにしました。 Callicrpa Jopanica クマツヅラ科ムラサキシキブ属の落葉低木。湿り気の多いところを好む 6月ころに淡い紫色の花を咲かせるが晩秋まで残る美しい紫色の実の方が印象的である。花の名は源氏物語の紫式部に由来する。 KFCの駐車場まで戻り、そこから花の多い公園をめざしました。 途中でスンダ料理のお店で食事をとりました。 食後に高速で花の多い公園を目指して高速道路を走っていると、渋滞に出合いました。 車がちっとも進まないので、その花の多い公園には次の日曜日に出かけることにして、その日の旅行は切り上げてチカランに戻りました。 大航海時代とモルッカ諸島(香料諸島) 15世紀初めからポルトガル、スペインによる大航海時代が始まりました。 そしてそれにオランダや英国などが加わりました。 大航海時代が始まった理由はインドネシアのモルッカ諸島で獲れる香辛料(ナツメグ、クローブなど)を獲得することであったと言っても過言ではないと思います。 香辛料は当時の西洋諸国において高価な商品だったのです。 それまでの地中海経由、イスラム商人経由でなくヨーロッパ諸国がインドネシアを目指したのです。 日本に初めてキリスト教をもたらしたイエスズ会のザビエルもポルトガルの商人、軍隊など一緒にアジアに来ました。 ザビエルはモルッカ諸島にも布教に出かけ、そしてマレーシアのマラッカで日本人のヤジローに出会い、日本に興味を持ち来日したのです。 一方、スペインは西回りで香料を入手できると思い、南北アメリカ大陸に向かいました。 歴史って面白いですね。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(99)ワテは運転手(コチ)の巻

シンゴ旅日記インド編(99)ワテは運転手(コチ)の巻 ワテは会社の運転手でんねん。社長さんは日本人ですわ 。 ワテな8月15日の独立記念日の休日に休暇を4日半もらって土日をくっつけて 7 日間の休みをもらいましたんや。 独立記念日は1847年の8月やさかい、今年で65回目なんですわ。 日本では今年は67回目の独立記念日なんですってね。 何でワテが七日間も休みを取るのかってですか? それは、ワテの 従兄弟 の結婚式にコチちゅうとこに行くんですわ。 結婚する従兄弟ちゅうのは、死んだオカンの弟の息子ですわ。 コチは昔でいうコーチンですわ。最近の地方語優先の風潮でコチちゅうて、名前が変わりましたんや。ボンベイがムンバイ、マドラスがチェンナイと変わったんとおんなじですわ。 そや、今日はコチをコーチンって言いますわ。 コーチンは南インドのケララ州の町ですわ。州都はトリヴァンドラムで、州の人口は33百万人ですわ。南インド言うたら、チェンナイのあるタミール・ナド州、バンガロールのあるカルナータカ州、ハイデラバードのあるアーンドラ・プラデシュ州、そしてコーチンのあるケララ州で、インドの南部 4州って呼ばれてますんでっせ。 それぞれの州はタミール語、カンダナ語、テ ルグ語、マラヤーラム語が主要言語なんですわ。みんなドラヴィタ系の言語で文字も、ちょっと似てるようで違うんでっせ。 プネからコーチンまででっか、そりゃ、電車で 丸一日かけて行くんですわ。飛行機なら二時間もかからんと行けますけどね。 プネから電車に乗ってコラプールちゅう、内陸の町を通って、ご存知のゴアちゅう港町に出て、それか ら海岸沿いをずーっと走ってく電車なんですわ。ケララ・エクスプレスちゅうんですわ。 料金でっか、片道1500ルピー(2100円)ですわ。二段ベッドの寝台列車でAC付でっせ、料金は三段ベッドよりもちょっと高いけど、個室よりも安いんですわ。 プネから弟と妹と妹の息子と結婚式に行きますんや。弟は仕事の都合で後で来るちゅうんで、妹と甥っ子と一緒の電車で行きますんや。 コーチンより途中停車するゴアの方がもっとエエ町なんでっせ。 ここは歴史があって、海もきれいで、外国人観光客もおおて、アカン、アカン、話題が逸れそうやから、コーチンの方に戻りますわ。 コーチンもゴアに劣らず昔からの歴史ある港町なんですわ。ともにアラビア海に面してますやろ、昔からローマ帝国とか、イスラム商人とか、ポルトガルと、オラン ダとか、イギリスと商売したりしてたとこですわ。 そやから、ほかのインドの町と比べて、結構、早うからキリスト教が入って来てましたんや。 そんで、コーチンの町は大きく分けて三つに別れますんや。東側が鉄道やバスのある内陸部分で、その隣にウィリントンちゅう人 工の島があって、その隣がアラビア海に面したフォート・コーチンで すわ。この昔からの風情を残すフォート・コーチンが見所ですわ。 そこにはポルトガルの航海士のヴァスコダ・ダ・ガマ(1469年?~1524年)の墓のある教会がありますんやで。遺体はポルトガルに送られたんやけど、その後が残ってますわ。その教会の名前は聖フランシス教会ちゅうんですわ。 ポルトガルはカトリックやけど、その後に来たプロテスタントのオランダが1663年からコーチンを占領したもんで、教会はプロテスタントに変わってもうて、オランダ人のお墓もあるんでっせ。 その教会の近くには、同じようにポルトガル時代に作られたもっと古い教会で、サンタ・クルス聖堂がおますんやで。 それに、ポルトガル時代の1555年にコーチンの藩王につくられた宮殿が、その後に来たオランダの総督の屋敷になったんで、ダッチ・パレスと呼ばれるニ階建ての建物がありますんや。今は昔のまんまの家具なんかが展示されておって博物館みたいになってますわ。ユダヤ教の礼拝堂シナゴーグもありますんやで、紀元一世紀ごろにローマ帝国に滅ぼされたパレスチナのユダヤ人が、商人になって世界各地に散ったんですわ。 その一部がインドの西側や東側にやってきたんでっせ。コーチンではユダヤ人町ができるくらい大勢 いたんですわ。香辛料貿易を一手に引き受けていたんでっせ。 そやけど、コーチンのユダヤ人は『十分にユダヤ的であり、インド的である』といわれたんですわ。 きびしいユダヤ教のしきたりを守ったんやけど、生活にヒンドゥー教を取り入れたりしたんですって。けど、1948年にイスラエルが建国されると、みんな行ってもて、もう3家族しかおらんちゅう話でっせ。 教会は無料で入れるけど、ダッチ・パレスは一人10ルピー払わなあきませんのや。それに写真の撮 影が禁止なんですわ。 シナゴーグですか、ワテは入ったことないんで、入場料がいるかどうか分かりませんのや。そうそう、フォート・コーチンの一番北の海岸沿いではチャイニーズ・フィッシング・ネットを使った魚取り を見ることができますんやで。 石のオモリと人力で、沈めたり上げたりする網がズラーっと、海岸沿いに並んでおって、そこで取れたての魚を道端で売ってまんのや。 それにお土産屋さんも道端に並んでおって、ちょっとした観光地ですわ。そやさかい、見学にくる外国の人も多いんでっせ。インド人かて、ようけ見に来てまっせ。海鮮レストランや、バーなんかもありますわ。けど、お酒はゴアの方が安いんでっせ。税金が少ないからですわ。アカン、アカン、どうしてもゴアが出て来てしまいますわ。 博物館と言えば、つい三年ほど前に出来て、個人が集めたものを展示してるForklore Musiumちゅう博物館は見ものでっせ。 入場料は200ルピー、カメラ持ち込みは50ルピーとちょっとお金を払わなあかんけど、紀元前からの遺物なんかも集めたちょっとした博物館ですわ。入口で裸足にならないけませんで。 そんで帰りには受付でコメント書いたりできますよや。その博物館を紹介した40分もののDVDを200 ルピーで売ってますんやで。 またコーチンは、そりゃー、なんといっても、食いモンですわ。 海のすぐ側やさかいに、お魚、エビ、カニ、イカなんでもありですわ。料理方法も外国人観光客が多いよってに、ヨーロッパ風やったり、日本の天ぷら風な盛り付けもある んでっせ。社長さんが来はったったら、毎晩ワインと海鮮料理でニコニコ顔やろうね、きっと。 えっ、ワテらが長いことコーチンに行って、どこに泊まるのかってですか。心配いりませんのや。 ワテの叔父さん、国立の銀行勤めですんや。その奥さんは国鉄勤めですわ。 その子供たち、ワテの従兄弟たちは、ガルフ(中東)に働きに行ってますんや。そんで、今度結婚する従兄弟はガルフから帰って来て、なんや商売するらしいですわ。そんで、叔父さんの家かて、フォート・コーチンの海岸沿いにある、めっちゃ広い家なんですわ。ワテら兄弟家族が何人行っても泊まることができるんでっせ。それに、結婚式は二日続きですがな。まあ、大勢の人が集まると思いますわ。オカンですか?男2人、女4人おる兄弟だったんでっせ。 みんな、政府や大きな会社に勤めてますんや。ワテだけですわ。運転手やってますんわ。トホホですわ。 あっ、そうそう、ケララ州は識字率(リテラシー)がインドで一番高いんでっせ。それにキリスト教徒が多くて、英語を話す人も多いんで、街の中の看板は英語表示が多いんですわ。 いっぺん、行ってみなはれ、コーチンはエエとこでっせ。 日本も土佐のコーチンちゅうところは海の町らしいでんな。海鮮料理が『ごじゃんとうまい』って言うらしいそうでんな。ほな、ワテ、ちょとコチへ行ってきますわ。 ワテがおらんでも忘れなさんなよ、『コチ吹かば思い起こせよ』ちゅうやつですわ。ほな、さいなら。 付録:Forklore Meseum ミニ案内 三階はステージになっていて、定期的に民族踊りなどを上演します。 丹羽慎吾