ピアノと私 悲惨第2楽章・・・発表会の魔物

発表会デビューから3年・・・ ピアノ歴 ピアノを習っていたのは10才までの3年間、それ以降では唯一高校3年生の頃、受験勉強の気晴らしに好きだったベートーヴェンのソナタ月光第1楽章をかじりつくように弾いていました。ゆっくりとした厳かで美しい曲です。以来半世紀超、この曲は今でも弾けますがそれ以外には何も弾けなかったので新たなる曲に挑戦しています。 なんでまた、3年前に発表会デビュー? 発表会でベートーヴェンのソナタ「悲愴第3楽章」の演奏を観客として聴いて大いに感動、刺激を受け、4年前に新年の誓いとして「悲愴第3楽章」を自分で弾きたい、半世紀のブランクを埋めるため毎日少なくとも30分練習すると決めました。誓いをほぼ実行した結果1年半でなんとか最後までたどりついたことからこの際、思い切って発表会に出てみようと今から思えばまさに無謀かつ分不相応な決断をしたのですが・・・結果は惨憺たるもの、冒頭で頭が真っ白になって、生まれて初めての発表会は、弾き始めてすぐに立ち往生してしまい忘れられないデビューとなりました。これが3年前。 悲愴第2楽章に再度挑戦 そして、昨年の発表会では癒やしの曲として余りにも有名な悲愴第2楽章に挑戦したものの、あちこちでとちりまくり大いに不満な結果となりました。あれではベートーヴェンさんに申し訳ないと、今回もう一度完璧を期して挑むことにしたのですが2年も弾いているのでそれなりにいけそうとの安心感もあり、余裕で臨むはずが・・・ 悪夢再現と最悪のリハーサル 発表会が近づいてくると、それまで弾けていたところに妙な迷いが出て訳がわからなくなるという恐ろしい現象が何カ所かで出始め3年前の悪夢を彷彿をさせます。モグラ叩きのごとくこれをなんとか克服して、当日を迎え出発前の家での練習は問題なし。そして演奏会場での直前のリハーサルで潰したはずのモグラたちのことを心配しながら弾きだしたところ、なんといきなり3行目(因みに、相変わらずすらすら読めない楽譜は抜きで指に覚え込ませるタイプ)で新たなるモグラが出現しどうにも身動きがとれなくなり、楽譜を出しても指が動かないという極限状態に陥ったところでリハ持ち時間終了・・・最悪! 窮余の一策 しばらくして演奏本番が始まり、だんだんと出番が近づき千々に乱れる我が心・・・このまま弾いても98%の確率で、いきなり最初で立ち往生することは目に見えています・・・そこで思いついたのは、プログラム無視で唯一弾けるソナタ月光の第1楽章への切り替え。これなら弾けるはず。プロだったら「金返せ!」となるところでしょうが赦されよ! そして、いよいよ出番。出だしだけはよかったものの10秒くらいで指が迷いだし、月光なのに・・・ブルータス汝もか?! そこで最初は飛ばして、三分の一くらいの途中から再開、そこからは大きな事故はなくなんとか弾き終えました。 それにしても どうして、こんなに本番に弱いのか?発表会には魔物がいるのか(他の人はちゃんと弾けてます)? 悲愴第2楽章の冒頭にベートーヴェンの指示として Adagio cantabile(アダージョ カンタービレ 緩やかに歌うように)と記されています。こんなはずではなかった! だいたい弾いた曲からして違ってる!!!    

ワインと私~松村隆太郎

毎日ワインを飲みます。どのくらい? ボトル半分がノルマ、時々1本・・・(家内も少なからず飲む)。その前に缶ビールを一つ。いつの間にかすっかりワインが生活必需品として定着してしまいました。赤ワインが心臓疾患の予防になるといういわゆる「フレンチパラドックス」(フランス人は肉やバターなど動物性脂肪をたくさん取るにもかかわらず、心臓疾患による死亡率が低いのは赤ワインを飲むからだという説)に影響され薬として飲んでいるわけではなく、ただ単に好きなのです。それにこの数年は赤と違って、殺菌作用があるだけとされる白ワインに傾倒しています。 「いつの間にか」となんとなく書きましたが、思い返してみると実際には40年余にも亘る経緯があるのに気づきました。 20歳: 下戸だった父がよくもらってくるポルトガルのロゼワインのラベルに記された「果実酒」という言葉に不思議な印象は持ったものの味には興味なし。 日本酒党。 22歳: 商社に入社。相変わらず日本酒党でワインといえばドイツの甘めの白ワイン、新宿伊勢丹にあった十勝ワイン(ロゼ)の店が記憶にある程度。 26歳: 4年間ベルギー駐在。肉とワインと初めて接するフランス語という生活に浸り(注:もちろん仕事もそれなりにしてはいました)、美食の国ベルギーでだんだん赤ワインの魅力にとりつかれ、帰国後には飲めなかろうと時々少々値の張るのも混ぜながら連日赤ワインの日々を送る。白ワインには興味なし。 30歳: 帰国後、日本産ワインに幻滅、予感通り高い輸入ワインには手が出ず日本酒党に完全復帰し郷に入っては郷に従いを実践。 38歳: 米国出張が続きワインで有名な西海岸のナパ、ソノマを訪れワインへ復帰の兆しあり。 41歳: 10年振りのベルギー、フランス訪問を機にワインへの復帰を決定。 45歳: 日本酒を飲む度に睡眠時無呼吸症候群を発症。日本酒を完全に断ち今日に至る。 ワインの神様に操られたような気もしますが、落ち着くところに落ち着いた感があります。ところで、ワインといえば乾杯でグラス同士の「チン」、なぜするのでしょう? 「そもそもマナー違反」から始まって諸説ありますが、私が一番気に入っているのは: 「ワインがグラスに注がれるのをじっと見つめる。ルビー色、黄金色、或いはピンク・・・」、 「繊細なグラスを手にとって重さを感じ」、「少し廻してワインを空気に触れさせ本来の味を引き出すとともにグラスに溜めた香りを確かめ」、「最初の一口を含んで舌先で転がして味わって」、「飲み込んだら喉越しで鼻に抜け出るさらに深みのある香りを楽しむ」。 見て、触って、嗅いで、味わってまた嗅ぐ。おやっ、何か足りない? 視覚、触覚、嗅覚、味覚があるのに「聴覚」がありません。そこでそれを補うために「チン」するのです。そしてやっぱり合言葉は「Santé !」(健康を祈って:サンテというより鼻に抜けたスォンテくらいの発音の方がフランスっぽい)。 そうです、五感を駆使して楽しむのがワインです。 松村隆太郎

ルーヴルと私 怖い思い出

パリに行ってルーヴル美術館を訪問しなかったことはありません。何度訪れても感激を新たにするのですが、その中でも特に忘れられない思い出をひとつ・・・ mats ルーヴルが好き 今まで何度行っているのだろう?と振り返るとその昔ベルギーに駐在員として暮らしていた数年間には2回行っただけなのに、帰国してからは出張や旅行でフランスに行く度に必ず訪れているので少なくとも15回くらいは行っていることになります。概ね、ルーヴルが古代から1800年代半ばまでの作品、オルセーがそれ以降、第一次世界大戦勃発の1914年までの印象派・ポスト印象派を中心とする作品、ポンピドゥがその後の作品というように時代で区分して各美術館で展示されていますが、オルセー5回、ポンピドゥに到ってはただの1回だけと訪問回数に大きな差があり、私はルーヴルファンなのです。ピラミッドから入館して、サモトラケのニケの像に続く階段を目の前にすると、「ああ、またやってきた」という感慨に浸るのですがこの階段を上ってしばらく人の流れに乗って進むと自動的にモナリザの部屋に至ります。常にひときわごったがえしていて、みんなある種の興奮状態で人混みのスキマから絵を見よう、スマホで撮ろうと必死です。私の場合はモナリザを遠目に確かめてから、その部屋が位置するドゥノン翼からシュリー翼、リシュリュー翼とヨーロッパ絵画を中心に巨大迷路のような美術館を延々と見て廻り4~5時間を過ごします。見たことのあるものばかりのはずなのにその都度新鮮な感動と、顔見知りに再会したような親近感を覚えます。         モナリザと過ごした時間 随分昔ですがパリに3週間ほど休暇で滞在した折に、フランス人建築家の友人と何日か過ごしたことがあります。彼が設計している住宅の工事現場を訪れ、また、クラシックな迎賓館の修復工事の現場会議にも出席(単に友人というだけの立場)したのですが、その時にルーヴルでも改修工事の設計をやっているので現場会議に出てみるかい?ときかれました。普通ではあり得ない話なのでもちろん答は「ウィ!」です。ルーヴルでのこのような会議、展示品の移設作業などは、夜間あるいは休館日である火曜に行われることが多いようで、彼は私のために火曜の業務用入館パス(当日限り有効)を取得してくれました。火曜、入口のピラミッドから二人で入館、誰もいない館内を改修計画について説明してもらいながら進みモナリザの部屋まで一緒に行くと、「もし特に会議に興味がなかったら館内を散歩していてもいいよ」と言われ、本音のところ会議で一人ポツンと座っていてもそれほど面白くはないのでそれに飛びつきました。かくして私は部屋に残り彼は会議に向かいました。それからモナリザ(フランスでは“ジョコンド”で通っています)を目の前で眺め、ある意味では対話してたっぷり1時間以上、他には誰もいない、一人きり、いや二人きりで時空を越えたひとときを過ごしました。その後、部屋を出るとイタリア絵画の廊下で同じくレオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」の撮影作業を何人かでやっていましたが、それ以外は誰もいませんでした。喧噪に満ちたいつもの雰囲気とは別世界の静寂と孤独に包まれます。 怖い話  そんななかでふと、シュリー翼の3階にあるジャック・ステラ(17世紀のフランスの画家)の何枚かの絵を見たくなり、ドゥノン翼の隣に位置するシュリー翼を目指しました。ところが、無人の館内をずいぶん歩いた末に何かがおかしい・・・ちっとも目的の方に向かっていないのに気がつきました。こんな展開になるとは思ってはいなかったので館内マップも持っていません。ただ、館内の表示は至れり尽くせりで、現在位置と方向は示されている、例え迷ってもあちこちにピラミッドマークがあり、それに従えば全館の中央に位置する入口のピラミッド地下部分に簡単に出られるはずなので焦る必要はないのですが、さらに進んでいくうちに完全に迷っていることがわかりました。とたんに恐ろしくなりステラの絵はもうどうでもいいからとにかく出たい・・・ところがピラミッドマークの標識のあるいくつかのドアがロックされていて開かず、廊下なりに暗い館内を進まざるを得なくなり、巨大な迷路なのか、それともそれよりもっと恐ろしいものではないのかと無人の美術館の恐怖に怯えました。「ナイトミュージアム」という、夜になると博物館の展示物たちが動き出すという荒唐無稽な映画がありましたがそんなことまで思い出す始末。さらに、古い展示物の中には昼間は観客たちの喧噪の中でおとなしくしているものの怨念を抱えたものも少なくないのでは?そして、あろうことか進行方向の先の表示を見ると「古代エジプト」、こんな時には一番近づきたくないところですが、今更戻るわけにも行かず走り抜けるようになんとか無事通過、そこからやっとのことでピラミッドの明るい地下部分がまるでトンネルの出口でもあるかのように廊下のずっと先の方に見えて全身から力が抜けるほど安堵した時までは余り記憶が定かではありません。至福と恐怖がみごとにセットになった一日でした。

ピアノと私  頭の中が真っ白・・・発表会デビュー

生まれて初めてのピアノ発表会、弾き始めてすぐに立ち往生してしまい忘れられない発表会デビューとなりました。一念発起して長期間練習を重ねた大曲をひっさげてのデビューだったのですが・・・ mats ピアノ歴 ピアノを習っていたのは10歳までの3年間、それ以降では唯一高校3年生の頃、受験勉強の気晴らしに好きだったベートーヴェンのソナタ月光第1楽章をかじりつくように弾いていました。ゆっくりとした厳かで美しい曲です。以来半世紀、この曲は今でも弾けますがそれ以外は何も弾けません。 なんでまた、この期に及んで発表会デビュー? 家内がピアノを教えています。生徒さんたちが以前の発表会でベートーヴェンのソナタ「悲愴第3楽章」、同じく「テンペスト第3楽章」を弾かれているのを聴いて大いに感動、刺激を受け、昨年の新年の誓いとして「悲愴第3楽章」をかじりついてでも自分で弾きたい、半世紀のブランクを埋めるため毎日少なくとも30分練習すると決めました。誓いをほぼ実行した結果1年半でなんとか最後までたどり着いたことからこの際、思い切って発表会に出てみようと今から思えばまさに無謀かつ分不相応な決断をしたのです。 つぎつぎ起こる不思議な現象 楽譜がスラスラ読めないので指で覚えるしかないのですが「悲愴第3楽章」は7ページにわたる長い曲、なんとか弾けるようになったとはいえ発表会が迫ってくるとモグラタタキの様相に・・・ ①3日前:冒頭で出てくるこの楽章のメインテーマ、その後も繰り返し出てくる美しいメロディーがスムーズに弾けなくなった。最初の出だしが弾き直さないと弾けない、2回目以降は普通に弾けるのにもかかわらず1回目が弾けずこれはあまりに致命的。 ②2日前:それまで全くとちらず弾けていた2ページ目の和音を含む2小節がどうしても弾けない。 ③1日前:上の二つを何度も繰り返してなんとか乱れていた頭と指のバランスは回復、ただ、ふと「2ページ目の最初の数小節」、左右の指がバラバラと動くところではあるが1年以上問題なく弾けていたので「こんなところで行き詰まったら万事休すだけど、これまで大丈夫だったのだから指を信じよう」と。これが頭の隅にこびりついた悪魔の囁きであった。 ④当日朝:あろうことか、その「2ページ目の最初の数小節」の訳が分らなくなり焦って何度もやり直し、ようやくうまく弾けたところで練習をやめ、あとは指を信じて本番に臨んだのだが・・・ 本番演奏開始 出だしからもたつきましたが、いよいよ「2ページ目の最初の数小節」のところでいわゆる「頭の中が真っ白」状態に陥り、聴衆を前に3度ほど弾き直しを試みるも頭も指も動きません。諦めて途中退場する方に心が傾いたところで、家内の唯一のアドバイス、「わからなくなったら4ページから出直せば?」を思い出しこれに従うことにしました(因みに時間切れで家内のレッスンは受けずじまい)。4ページでは曲が突然、ころっと牧歌的雰囲気に変わり極めて弾きにくく苦手なところだったのですが他に選択肢もなく、まさに一か八かの賭けでした。結果的には奇跡的に持ち直し、もたつきながらも最後まで到達することができました・・・とはいえ7ページのうち2ページもすっ飛ばして5ページで済ませたのですからベートーヴェンさんごめんなさい!!かくして、挫折感(大失敗)と達成感(あの状態からの復活)が相半ばしたデビューとなりました。 現時点での思い 楽譜が読めないとだめだ~!!  ビデオ? 絶対見たくない!!  来年は? ウーン・・・

ワイン談義~「ワインと私」 松村隆太郎

毎日ワインを飲みます。どのくらい? ボトル半分がノルマ、時々1本・・・(家内も少なからず飲む)。その前に缶ビールを一つ。いつの間にかすっかりワインが生活必需品として定着してしまいました。赤ワインが心臓疾患の予防になるといういわゆる「フレンチパラドックス」(フランス人は肉やバターなど動物性脂肪をたくさん取るにもかかわらず、心臓疾患による死亡率が低いのは赤ワインを飲むからだという説)に影響され薬として飲んでいるわけではなく、ただ単に好きなのです。それにこの数年は赤と違って、殺菌作用があるだけとされる白ワインに傾倒しています。 「いつの間にか」となんとなく書きましたが、思い返してみると実際には40年余にも亘る経緯があるのに気づきました。 20歳: 下戸だった父がよくもらってくるポルトガルのロゼワインのラベルに記された「果実酒」という言葉に不思議な印象は持ったものの味には興味なし。 日本酒党。 22歳: 商社に入社。相変わらず日本酒党でワインといえばドイツの甘めの白ワイン、新宿伊勢丹にあった十勝ワイン(ロゼ)の店が記憶にある程度。 26歳: 4年間ベルギー駐在。肉とワインと初めて接するフランス語という生活に浸り(注:もちろん仕事もそれなりにしてはいました)、美食の国ベルギーでだんだん赤ワインの魅力にとりつかれ、帰国後には飲めなかろうと時々少々値の張るのも混ぜながら連日赤ワインの日々を送る。白ワインには興味なし。 30歳: 帰国後、日本産ワインに幻滅、予感通り高い輸入ワインには手が出ず日本酒党に完全復帰し郷に入っては郷に従いを実践。 38歳: 米国出張が続きワインで有名な西海岸のナパ、ソノマを訪れワインへ復帰の兆しあり。 41歳: 10年振りのベルギー、フランス訪問を機にワインへの復帰を決定。 45歳: 日本酒を飲む度に睡眠時無呼吸症候群を発症。日本酒を完全に断ち今日に至る。 ワインの神様に操られたような気もしますが、落ち着くところに落ち着いた感があります。ところで、ワインといえば乾杯でグラス同士の「チン」、なぜするのでしょう? 「そもそもマナー違反」から始まって諸説ありますが、私が一番気に入っているのは: 「ワインがグラスに注がれるのをじっと見つめる。ルビー色、黄金色、或いはピンク・・・」、 「繊細なグラスを手にとって重さを感じ」、「少し廻してワインを空気に触れさせ本来の味を引き出すとともにグラスに溜めた香りを確かめ」、「最初の一口を含んで舌先で転がして味わって」、「飲み込んだら喉越しで鼻に抜け出るさらに深みのある香りを楽しむ」。 見て、触って、嗅いで、味わってまた嗅ぐ。おやっ、何か足りない? 視覚、触覚、嗅覚、味覚があるのに「聴覚」がありません。そこでそれを補うために「チン」するのです。そしてやっぱり合言葉は「Santé !」(健康を祈って:サンテというより鼻に抜けたスォンテくらいの発音の方がフランスっぽい)。 そうです、五感を駆使して楽しむのがワインです。 松村隆太郎