追憶のオランダ(36)パーキング用の1ギルダー硬貨

これは私がオランダに来て間がない頃のことです。その当時はまだホテル住まいで、自分の車もない頃です。通りを歩いていると、「旦那さん、1ギルダー恵んでください」と手を差し出して近寄ってくる物乞いに結構出会いました。オランダ語は喋れませんが、身振り手振りで明らかに物乞いと分かります。その時は、NOと言って追い払う仕草をしていました。 また、こちらが東洋人だと分かるので、よく東洋系の物乞いが中国語らしき言葉で近寄って来るので、「メイヨウ チイエン(お金持ってない)」と追っ払いました。 ある時、向こうから男性が近づいてきます。それも反対側の歩道を歩いていて道路を渡ってこちらの方に向かってきます。そして、おもむろに「1ギルダー持っていないか?」と聞いてきました。私は、それだけで、また物乞いかと思い、「No, No money」と言って急いで通り過ぎようとしました。が、その男性は手に1ギルダー硬貨とあと25セント硬貨数枚持っているのを見せるではありませんか。この野郎、まだ小銭をせびるつもりかと思い、そのままその場を去りました。 しかし、後で、それも自分が車を持つようになって、街なかで路上のパーキングに車を止めるようになって、やっとその時の男性の意図が理解できたのです。悲しいかな、言葉が通じなかったのと、パーキングメーターのことがよく分かってなかったのとで、彼には大変気の毒な事をしたことに気付きました。彼はおそらく、硬貨は持っていたものの、パーキングメーターには使えない25セント硬貨4枚を1ギルダー硬貨に交換してくれないかということを言いたかったのではないか、いや実際にはそう言っていたのに私がそれを正しく理解せず、ただの図々しい物乞いかと早合点してしまったからだと気づいたのでした。遅きに失したとはこのことです。 もう彼と会うことはありませんが、もし会えたら、あの時は御免、と言いたい気持ちです。

追憶のオランダ(35)コーヒー好きの人々

オランダ人は大のコーヒー好きである。朝起きて出勤する前に家で1-2杯、仕事場についてから仕事にかかる前にもう1杯。朝の一仕事が一段落したら、またもう1杯。朝の仕事を始めるのは意外と早い、そして、昼食の時間は12時30分くらいから1時間というのが一般的。昼食までに既に3-4杯は飲んでいる。 昼食後に1杯。3時頃にまたもう1杯。家に帰るまでに午後だけでも2-3杯は飲むことになる。多分家に帰っても飲むだろうし、夕食後は当然のように飲むことになるので、一日の合計7-8杯は飲む勘定になる。あるいはもっとかもしれない。 このコーヒー、会社などでは無論タダだが、オランダ人はケチだからただのコーヒーをたくさん飲むということではない。日本人がお茶を飲む感覚で飲んでいるだけ。 コーヒーの味だが、豆がうまいのか、煎り方がうまいのか、会社に置いてある自動のコーヒーサーバーで入れるコーヒーだが、なぜかうまいのである。そして、感心することが一つある。それは、普段はあれをやれ、これをやれと指示しないとなかなかやってくれない人でも、コーヒーサーバーのコーヒーが切れかけると、その時だけはそそくさと率先してセットしてくれる。ただ自分が飲みたいというのもあろうが、自然と体が動くようである。そんなものか、と思わずニヤリとしてしまう。やはり、コーヒー好きなのであろう。コーヒーにもいろいろな銘柄が売られていたが、我が家でも会社と同じ銘柄のコーヒーを買っていた。大体どこのスーパーでも売っているDouwe Egbert ( ダウ・エグベルト )という会社のもの。このメーカーの工場はロッテルダムから東へ行ったユトレヒトというオランダ3番目の都市郊外にある。近所まで行くと、一帯にいい香りが漂ってくる。 それを知らずに初めてユトレヒトに行った時は、どこのカフェからだろうと思ったが、かなり広い範囲から匂いが消えないので、不思議に思ったことがある。町のその一角全体がコーヒーのいい香りにつつまれている、その源がD-Eの工場だったのだ。 このコーヒーは通常250グラムの真空パックになっていて、ちょうど四角なレンガ状のカチンカチンの包装で、オランダ土産にその都度日本に持って帰ったことがある。また、帰国してからも、友人に土産に何がいいと聞かれ、迷わず、このコーヒーとジュネーバーを頼んだ。さらに、可能であれば、真空パックになったパーリング(何回か前にお話しましたね)。 それと一つ言い忘れていた。一般的にカフェなどでコーヒーを注文すると、カップの横に小さなクッキーあるいはビスケットなどがそっと添えられている。これはどこに行っても、家庭などで来客にコーヒーをすすめる時にもそうであり、オランダ流である。

追憶のオランダ(34)奇妙な地形-2

周囲の地面より水面の方が高い場所もあちこちで見られます。日本でも天井川(てんじょうがわ)といって、川沿いの地面より川床の方が高い川がありますが、理屈はこれと同じです。水溜まりの周りに堤防が築かれているので、その堤防が高ければ水面と周りの地面の差がはっきりと分かります。 アムステルダムの南Oude Wetering という干拓地の近くのBraasmerMeerという池で、友人にヨット遊びに誘われた時、池の中ほどから周りを見ると、皆家々の屋根の一部しか見えません。おそく家は2階建てでしょうから、4-5mは水面が高いということです。面白い景色ではありましたが、なぜかヨットに乗っていて尻のすわりが悪く感じたのを思い出しました。この写真はヨットの上からのものです。 また、その池のすぐ西側にロッテルダムからアムステルダムに向かうA4という高速道路が通っていますが、その水溜まりから続く水路が、その高速道路の上を通っているのです。確かに道路自体がわずかに掘り下げられてアンダーパスのようになってはいますが、何とも妙な感じがします。おそらく日本なら、水路は自然の高さで流し、その上に橋を架けて高速道路を通すのではないかと思いますが、オランダではそうではないのです。水路を上にする方が合理的なのでしょうね、きっと。ということで、高速道路を走りながら、その上をレジャーボートやヨットなどの小型の舟が横切っていく光景を見るのは実に不思議な気分です。 さらに、オランダの空の玄関スキポール空港は現在このA4という高速道路をまたぐ形になっています。昔は、空港の西側を高速道路が通っていたのですが、空港の拡張をする際、東側にはスペースがなく止む無く西側への拡張せざるを得なくなったようなのです。しかしそこには高速道路が通っている。さて、どうしたものか?結論から言うと、道路の部分を掘り下げ、トンネルにして空港の敷地をそのまま西側に押し広げたのです。なんという力仕事でしょう。もちろん反対運動はあったようですが、出来上がった姿は、高速道路を走りながら空港トンネルの近くからは、その上を悠々と西側の滑走路と東側のターミナルビルの間を行き来するジャンボ機を間近に見ながら、やがてトンネルに入るということになっています。子どもたちはトンネルに近くなると飛行機が通らないかなあと期待し、運よく飛行機を見つけると大喜びです。

追憶のオランダ(33)奇妙な地形-1

オランダの地図を見ていると奇妙な地形があることに気付きます。10万分の1の縮尺の地図であれば、それははっきりと分かります。そこは水であることを示す青色で塗られていて、○○Meer(メーア), △△Plas(プラス)と 書かれています。池か、沼か、はたまた湖かと思われるのですが、その形が何とも奇妙なのです。広い面積の水の中に細い紐のような道が見えるのです。下のReeuwijk(レーウワイク)の地図をご覧ください。 Reeuwijkは、チーズで有名な Gouda(ハウダと読みます、日本ではこの地名がついたチーズをゴーダチーズといいますが。)の近くの小さな村です。その青く塗られた中に見える奇妙な紐のような細いものは確かに道ですが、その道幅は車が一台通れるだけのものなのです。その奇妙な道に車を走ることになったのは、筆者が漆を習っていた先生のお宅がこの地図の右端に見える Oukoop(アウコープ)の先にあったからなのです。毎週土曜日ロッテルダムから通っていたのです。初めてこの細い道を走った時は、路肩の崩れやすそうな様子にちょっと不安な感じがしたのを思い出します。しかも、この道は一方通行ではないのです。もし対向車が来たら、そのままではすれ違えません。さて、どうするのか。道のところどころ(ほんとうに所どころ)に、待避所のようなものが設けられていて、車がお互いに出くわすと、おそらく「とても親切な人」か、「気の弱い人」がそこまでバックで下がって対向車をやり過ごすことになります。しかし、この道をバックで待避所までさがるのは、下手するとかえって脱輪しそうで、これまたとても怖いのです。したがって、向こうから対向車があると分かれば自分から早めに待避所に入って対向車をやり過ごして、対向車のいなくなったのを確認してから進むのが安全です。また、この道は、両側が水というところが結構多く(この地図で青いところはすべて水です)、その水面は路面から数十センチあるかなしかなので、風の強い日などは、両側から水がバシャバシャと路肩を洗い、路面をも簡単に乗り越えてきて、一瞬道路が全く見えなくなることさえあります。 ある晩秋の嵐の日、行きはまだよかったのですが、夕方の帰り道は最悪の状況になっていました。その時はさすがに心細さを通り越して恐怖さえおぼえたものです。この時期オランダでは日の暮れが早く既に辺りは真っ暗闇、明かりというのは自分の車のライトだけ。今思うと、何だか Stand by me の歌い出しのようでもありました。この道には街灯もなく完全な無灯火なのです。唯一の明かりである自分の車のライトも吹きつける雨のためフロントガラス越しには滲んで、視界は一層悪くなっていたのです。「どこが道だーー!」と思わず一人で大声で叫んでいました。この道に乗り入れてしまった以上、ゆっくりでもいいから前に進むしかない。後ろに下がっても問題は解決しないばかりか、より危険。ということで、四苦八苦の末になんとかその場を切り抜けることができました。このあたりに住むオランダ人でさえ時々路肩から脱輪して車ごと水没することが度々あるそうです。筆者のこの先生も、また近くに住む先生の友人も車を水没させ、結局、新車を買わざるを得なくなったとか。 しかし、そんな場所を観光名所にしている地域もあり、オランダ人はなかなか商魂たくましい。この地形ですが、もともとはライン川に下流に出来た低湿地に太古の時代から生えていた植物などの堆積物から出来た泥炭を燃料として長年掘り採った後の窪地に水がたまったものなのです。したがって、溜まっている水は植物のタンニンが溶け出して褐色をしています。「クラーリンゲンのお化け屋敷」でも書きましたクラーリンゲンプラスというのも「クラーリンゲンの水たまり」ということなのです。それと、現在は水こそ溜まってはいませんが、オランダには□□veen(フェーン)という地名がたくさんありますが、例えばアムステルダム郊外で近年発展している町Amsterveenなども昔は泥炭を掘った後なのです。ということで、その一帯は掘り取った分だけ周囲よりは地面が低くなっています。しかし、土地が低い割には全くジメジメはしていないところが面白いところです。

追憶のオランダ(32)KLMのおまけ

オランダのナショナル・フラッグ・キャリアのことを日本ではKLMオランダ航空と呼んでいますが、KLMの正式名称 Koninklijke Luchtvaart Maatschappij にはオランダという国名はついていません。逐語訳すれば、王立航空会社というだけのこと。しかし、民営の会社で、「王立」の名称の使用が許されているという航空会社なのです。英語名にして、初めてRoyal Dutch Airlinesということでオランダの会社ということがわかるのです。 私はオランダ勤務時代それほど頻繁に飛行機を利用することはありませんでしたし、利用するにしてもほとんどがエコノミークラスでビジネスクラスに搭乗することはそれほどありませんでした。KLMはビジネスクラスに搭乗すると、必ずあるものがもらえるのです。それは、オランダの17世紀頃の建物を模したデルフト焼きの小さな瓶なのです。左の写真をご覧ください。各ページの左に見えるのがその瓶です。その中には私が今も愛飲するオランダのスピリッツ、BOLS社のジュネーバーが入っています。瓶自体小さいので封を切るとほんの一瞬で中身はなくなってしまいます。一番最初にそれをもらった時は、「なーんだ」くらいに思っていましたが、帰りの便でもう一個形の違うものをもらいました。それで隣の客を見ると、これまた違う形の瓶をもらっています。その後、KLMのFlying Dutchmanというメンバーに加入して分かったのですが、このジュネーバーのはいったデルフト焼きの瓶はKLM名物のコレクションアイテムになっていたのです。何十個も、オランダ各都市で有名な実在する建物を模したシリーズ物になっていたのです。私がいた頃は70数個のコレクションになっていました。聞くところによると、かなりのファンがいて、お互いダブっているものを交換する会などもあるようでした。それ以降、できればビジネスクラスを利用できることを期待もしていましたが、残念ながらそれほどの数にはなりませんでした。 ある時、メンバー向けのサービスとして、それまでに作られた全建物(瓶ですが)を網羅し解説をつけた小冊子を無料で配布するということで、すぐに申し込み入手することが出来ました。右の写真です。どの町の、どの通りにある、何という建物か、何年に建てられたか等々詳しく記されているものでした。上の写真は中の解説をしたページです。 しかし、日本に帰国するまでに集まったのは、たったの9軒ですが、今我家の食器棚の中で他の食器類と同格にオランダの街並みを再現して並んでいます。アムステルダムなどの運河沿いにずらりと並んだ建物と同じように。それにしても、なぜ5往復分10軒ではなく、9軒(4往復とあと片道分)になったのか・・・。

追憶のオランダ(31)セントラルヒーティング

オランダの冬は、確かに寒い。雪は少ないが、そこらじゅうカチンカチンに凍る寒さ。でも、家の中ではとても快適に過ごせます。というのも、殆どの住宅では窓はすべて二重ガラスの窓になっていて、窓が大きい割には熱が逃げにくい造りになっています。また、私たちが住んでいたような棟割長屋でも、暖房はそれぞれの家庭ごとにボイラーが設置されていて、セントラルヒーティングですべて部屋にラジエーターが設置されているので空気も汚さず、また石油ストーブなどのように余分な水分を出さないので外がどんなに寒くても窓も結露せず快適です。 余談ですが、筆者が少年時代を過ごした札幌の冬を思い出しました。当時まだ石炭ストーブが主流で、家屋は防寒対策として一応ガラス窓が二重になっていました。つまり外窓と内窓の間にある空間で多少なりとも断熱をしていたのです。しかし、ストーブの上には乾燥し過ぎを防ぐため常にヤカンなどが置かれていて、朝になり内窓を開けると部屋の水蒸気が外窓のガラスの内側一面に大きな霜の花柄模様を作っていました。これはこれで、毎日ひとつとして同じものがないほど変化に富み、鑑賞に値すると当時も思っていました。オランダでは、似たような気候風土ながら、二重ガラスの窓と、セントラルヒーティングのため、この花模様は見られませんでした。 そんな冬のある土曜日の夕方、何だか部屋が少し涼しくなってきたようなので、何かおかしいと思いラジエーターを触ってみたところ全く熱くないのです。どうやら、セントラルヒーティングのボイラーが故障したようなのです。年中、種火が付いていて、温度センサーで暖房が必要な温度(大体20度で設定されています)になると自然に稼働するようになっているのですが、その時は何かのはずみで肝心のボイラーの種火が消えてしまっていたのです。さて、困ったことになったと思いましたが、どうしたものか分からず、月曜日まで寒いのを我慢かと半ば諦め気味に先輩格の日本人に電話でそのことを話してみました。すると、信じられない答えが返ってくるではありませんか。このトラブルはガスを供給している地域の会社に電話すれば、たとえ休みの日でもすぐに修理に来てくれるというのです。これは意外や意外、この時の驚きはまた格別のものでした。日本と比べ、休日は店も何もかも休みでおよそサービス精神などないものとこちらが勝手に思っていただけにほんとうにいい意味で驚きました。暖房が使えなくなるということは冬場のオランダでは命にかかわることでもあり、こればかりはいかなる時でも24時間対応をしてくれるというのです。この先輩も以前に同じことを経験されたとのことで、私と同じことを思ったそうです。 電話すると15分程度で修理の担当が駆けつけてくれあっという間に修理完了。しばらくするとまた快適な暖かさが戻ってくることになり、おかげで一家ぐるみでの凍死を免れました。

追憶のオランダ(30) コロッケ

コロッケと言えば、日本でも庶民的な食べ物の一つです。ジャガイモに牛のひき肉で作ったオーソドックスなものから何を一緒に入れるかでいろいろな変わり種コロッケが楽しまれています。日本ではどちらかというと、コロッケはご飯のおかずといった感覚ですね。また、形についても日本では小判型あるいは俵型が多いように思います。しかし、オランダで一般的な形は日本のとは少しちがってもっと細長く、衣が日本のパン粉とはちがっていて固くカリカリッと揚がっています一般的な(写真上)。 オランダではコロッケとは言わず、クロケットという言い方ですが、ここではあえてコロッケで話を進めます。これは庶民の好物の一つですが、日本のように副菜(おかず)ではなく、スナックとしてなのです。そして、その売り方も非常に興味深いのです。というのは、駅などの一角でよく見かけるものはコロッケの自動販売機(写真中)。そうです、自動販売機で売られているのです。いくつも小さな小窓になっているそれぞれの横に硬貨を入れ、自分で扉を開いて中のコロッケを取り出すというシステム。基本的に日本ほどに自動販売機自体の設置が無いにも拘わらず、なぜかコロッケの自動販売機だけはたくさん設置されていて意外な気がします。 自動販売機といっても対面販売をしていないと言うだけで、日本で見る清涼飲料水やたばこなどの自動販売機とは少しちがっています。自動販売機の向こう側ではせっせとコロッケを作り揚げて、扉の向こう側からどんどん熱々のものを補充しているのです。このまるで下足箱のような販売機の向こう側が厨房なのです。チーズのはいったものなどは、とろーっとしているので何気なくガブリとやると口の中を火傷しかねませんので、要注意。旅行者が駅などでの初めてこのコロッケに出会うと、最初の印象が結構強く、意外にはまってしまうことでしょう。短い滞在期間でも何回かは食べることになるのではないでしょうか。 それと、もう一つ、このコロッケの兄弟分とも言えるものがあります。その名は、ビターバレン。こちらはカフェ・バーなどでビールを飲む時によく食べられるおつまみの一種で、丸い一口サイズになったものです。これも周りがカリカリに揚がっていて、ビールのつまみには最適。私などは夏場夕方テラス席で傾いた太陽の光の中でビールを飲む時は、つまみはこのビターバレン・チーズ・サラミ(チーズ・サラミもスライスではなくサイコロ状に切ってあります)。ビターバレンにはマスタードを付けて、爪楊枝で突き刺して食べるのがオランダ流なのです(写真下)。

追憶のオランダ(29)牛蒡を植えたら

ちょうど蕗をさがしていた頃、これまた別の日本人の知り合い(御夫妻とも音楽家で、ロッテルダムのご自宅で補習校をなさったり、日本人の子女教育に大変貢献された方々です)のお宅にお邪魔した時、外の小さな菜園に何やら見たことのあるものが植えられています。牛蒡です。昔、大東亜戦争の頃に日本軍が捕虜を虐待して木の根っこを食べさせたといわれたその牛蒡です。目の前にあるのは、本物の牛蒡で、一部花が咲き終わって綿帽子のような種が出来ています。いい物を発見。後でその種を少し分けて頂きました。 その頃、我家は棟割長屋だったのですが表と裏にそれぞれ庭がついており、少し広い裏庭にハーブ類やらと一緒にその頂いた牛蒡の種を撒いてみました。翌年夏過ぎまでに5株がかなり成長して、まずは葉っぱの部分から頂き、葉牛蒡よりも少し硬いが美味しく食べられました。 さて、本体や如何に。ここからが苦労話となります。 オランダの庭は砂が多いサクサクの土で、表面から浅いところは耕すにもそれほど苦労はしませんでした。したがって、牛蒡もすくすく真っ直ぐ伸びるものと思っていたのです。それが甘かった。まず一本目の牛蒡。地表から30センチ近くまでは太い牛蒡をこの目で見ながら掘り進んだのでした。しかし、真っ直ぐそのまま下に伸びていると確信しつつ見えている牛蒡に沿ってスコップをさらに真下に押し込むとザクっと何かを断ち切った感じが・・・。なんと、牛蒡がすぐその下あたりで水平方向に急角度に曲がって横に2本伸びていたらしく、その一本をスコップで断ち切ったのでした。そこで、今度は横へとまたまた掘る土が増えてしまったのです。残りの株も似たような育ち方をしており、後になるほど掘るコツをつかみ、うまく掘れるようにはなったのですが、結局悪戦苦闘の末、2時間以上かかってしまいました。すべてを掘り終え、5本分の切れ切れの貴重な牛蒡を収穫。掘っている時から、牛蒡の何とも言えぬ香りがしていました。肝心の味ですが、いとよし。労働の対価としては上々というところでした。 なぜこうなるのか?それはオランダでは地面の下にはかなりの厚さで泥炭層が広がっており、家などを建てる時にはその上に粘土質の土を敷いて地表からの火が入らないように言わば防火壁ならぬ防火層が作られているのです。野菜や草花などは粘土層の上に多少砂の多めの通常の土を入れたところに植えられるので問題ありませんが、牛蒡のように根が長く下に伸びるものは、場所により、硬い粘土層に遮られてそこで根を横に伸ばさざるを得ないということらしいのです。 因みに、オランダではキャンプ場などでもそうですが、地面での焚火は禁止されています。一旦泥炭層に火が入るとちょっとやそっとでは消火できないといわれます。泥炭地の上で焚火をするということは、薪の上で焚火をするのも同じということなのです。

追憶のオランダ(28)パナクック

パナクック (Pannekoek) って何だろう? これは小麦粉をベースにして焼いた薄いお菓子で、日本でも一般的なホットケーキあるいはパンケーキの先祖で、オランダではこう呼びます。ということで、一度パナクックなるものを食べてみようと専門にやっている店に行き、メニューを見て、一瞬、おやっと思いました。ホットケーキはバターとメープルシロップをかけて食べるものという既成概念を持っていたため、メニューに書いてあることが信じられなかったのです。小麦粉で焼いたものの上にトッピングとしていろいろな果物を乗せるところまではそれほど無理なく理解できましたが、さらにチーズ・ベーコン・ハムなどちょっとお菓子に組み合わせるにはどうかと思えるようなバリエーションがいろいろ書いてあるのです。もちろん、テーブルにはオランダでは定番のストロープ・シロップという甘いシロップも用意されているし、粉砂糖も置いてあります。これらは好みによって出されたパナクックに振りかけるものです。 いざ出て来たものは、筆者が考えていたパンケーキよりもはるかに薄くペラペラの感じで、しかも直径が30cm前後もあろうかという大きいものでした。じつは、何がお勧めかと店員に聞いてベーコン・チーズ・パイナップルをトッピングしたものを注文したのです。なんという取り合わせとは思ったのですが、食べてみると意外や意外、これはお菓子の類ではなく、腹持ちのする軽食そのものだと感じました。あまりにホットケーキというお菓子の頭があっただけに驚きと同時に新しい世界を味わいました。このようなパナクックを食べさせる店はあちこちにあり、オランダの国民的な食べ物だということがよく分かりました。余談ですが、私が初めてパナクックを食べたデルフトの広場に面した店には、アメリカの大統領ビル・クリントンが来て食べたと、店の壁に写真が貼りだしてありました。 大きなパナクックとは対照的に、ポファチェス(Poffertjes)という極小の一種のパンケーキがあります。材料はパナクックとほぼ同じ、小麦粉・卵・牛乳ですが、パナクックは大きなフライパンで焼くのですが、ポファチェスは大きな鉄板に浅いくぼみがたくさん空いたタコ焼き器のようなものに流し込んでやいたものです。タコ焼き機のくぼみは半球ですが、ポファチェスのものはそれよりずっと浅いのです。注文すると十数個のポファチェスが皿に盛られてその上に粉砂糖がたっぷり振りかけられています。これも結構腹に溜まりますが、これはどちらかというとホットケーキのようにおやつにいいお菓子です。

追憶のオランダ(27)不思議な醤油瓶

ある土曜日の午後、デルフトの運河沿いにたくさん並んだ骨董市を覗きながらブラブラ歩いていると、胴の張った銚子のようでもあり、一輪差しの花瓶のようにも見える陶器製の奇妙なものが目に止まりました。手に取ってみると、これまた何やら妙な手書きの文字が書いてあります。NIPPON SHOYUとアルファベットで書いてあるのはちゃんと読めますが、後は漢字の形を真似て書いたらしい漢字にはなっていないものが書かれています。明らかに、漢字を知らない人がそれらしく書いたのがすぐに分かりました。物好きだと自分自身も思いながら、興味本位ですぐその場でその奇妙なものを買いました(写真1)。正確な値段は忘れましたが、20ギルダー(1000円強)程度だったと思います。そして、その次に何週か後にまた似たものはないかと骨董市を捜してみると、意外にもよく似た形の瓶で「商標 富士 日本醤油」あるいは「商標 藤 日本醤油」などと青く印刷され陶器製の瓶が見つかりました(写真2・3 )。 江戸時代、長崎には醤油・酒などの輸出組合(コンプラと呼ばれていた)があり、波佐見焼の陶器製の瓶(写真4)に入れた醤油や酒などを輸出していました。瓶の表示は「JAPANSCHZOYA」とか「JAPANSCHZAKY」となっています。私が見つけた2つのものは明らかにそれとは違います。特に、「商標 富士」と書かれたものは、日本に商標制度が出来てから以降のものであるはずなのです。因みに、日本に商標制度ができたのが1887年(明治17年)ということなので、それ以降に作られた瓶ということになります。実際、その後も骨董市ではいくつか似たものを入手することが出来ましたので、やはり明治期以降はいくつかの醤油製造業者が各自の商標で輸出していたようです。 さて、最初に見つけたちょっと怪しい醤油瓶ですが、商標をつけて取引されていたものを意識的にコピーする形で日本以外の漢字が読み書きできない国の何者かがいわゆる海賊版として販売していたのではないかと疑われます。また、商標を使うことは遠慮したのか、書かれている手書きの文字様のものからは、「本場」という漢字を書こうとしていることが窺えます。また醤油の「醤」の文字が形になっておらず、結果として日本人から見れば実に不思議なデザインになっている瓶なのです。つまり、この瓶を使って醤油らしきもの(?)を販売していた者、またそれを買う者にとっては、NIPPON SHOYUとさえ正しく書かれていれば、後の漢字は雰囲気だけで別に正しくなくてもよかった。それらしい単なるデザインだったのかもしれません。 しかし、一体どんな人物・組織がかかわっていたのか?少なくとも日本人ではなく、さらに漢字を正しく読み書きできる国の人間ではないことだけは確かでしょう。オランダかどこかヨーロッパの国の者で、日本から醤油を輸入すれば売れる、儲かることを知っていた者ということが推測されます。果たして、内容物が本当の醤油だったかということさえも疑わしくなります。この謎は未だに解けてはいません。しかし、正体不明のまま、その怪しげな瓶は20年以上も我が家に鎮座しています。   写真1 写真2 写真3 写真4 江戸時代のコンプラ瓶 写真1・2・3は拡大できます。