新加坡回想録(60)ホールインワン2

この記事の題名を見ると、えっ!またやったの?とお思いの方がいるかもしれませんが、そうではありません。この事件(?)があったあとの事後報告というか後日談といったところです。 前回、私がホールインワンを達成したことを書きましたが、それに関しての話を少し追加します。この Raffles Country Club は、当時私が駐在していたシンガポールに新しくできたゴルフ場で、メンバー募集の時は人気が高く抽選となっていました。日本人の多くが応募しましたが、当選した人はごくわずかでした。この日の同伴者の一人が、運よくその抽選に当たりメンバーシップを手にしていて、彼の紹介でプレーしたものでした。 新しくできたということは、古いコースと違ってプレーした人数も、回数も当然ながら少ない。ということは、そうなんです。このゴルフ場での最初のホールインワンは私が記録したのです!クラブのマスターにも確認しましたが、それまでにホールインワンを達成した人はおらず、この事実に間違いはありませんでした。 となると、このゴルフ場が続く限り未来永劫、私の名前が残るということになるのではと同伴者の3人が騒ぎ出したのです。私自身は、やってしまったことに自分で驚いてしまってそこまで頭が回りませんでした。その3人はクラブのマスターとしきりにそんな話をしていましたが、結論をいうとそうはなりませんでした。 何故かというと、その日はまだ、オフィシャルオープンしていない期間だったのです。もし、オフィシャルオープン後であったら、確実に記録に残ったでしょうとマスターは言っていました。残念!ということで、会報で少し触れられただけで終わりました。 ついでに後日談をもうひとつ。このゴルフ場の募集価格は、日本円で100万円ほどでした。私を含めて多くの日本人が応募したのですが、抽選で当たった人はそれほどいませんでした。その数年後、なんと10倍の1000万円まで高騰したのです。当時はバブル景気の真っ最中でした。同伴者の1人U氏はまんまとこの幸運をゲットしました。 嗚呼、ホールインワンの思い出よりも、こちらの方がどれほど良かっただろうかと今更ながら思う今日この頃です。 (西 敏)

新加坡回想録(59)ホールインワン

この記事を読んでいただいている皆さんの中で、ホールインワンの経験のある方は何人いらっしゃるでしょうか。おられたら是非、コメントにご自分の体験談を書いていただきたいと思います。そうなんです。実は、私がホールインワンをやってしまったという話です。 時は、1988年7月30日、ところはシンガポールにあるラッフルズ・カントリー・クラブ、パームコースの7番、83年の赴任から数えて間もなく満5年を迎えようとしている頃でした。150メートル(165ヤード)のパー3で抜き出したクラブは5番アイアン。方向だけを意識してブンと振り出すとボールはピンに向かって一直線に飛んで行った。 グリーンの真ん中手前でトンとバウンドしてさらにトン、トンと2バウンドしたあとツーっと転がってボールが視界から消えた!同伴していた他の3人が、もしやと叫んでグリーンに向かってダッシュする!私も後から追いかけてダッシュする!キャディーもその後から懸命についてくる。果たしてボールはホールの中か、或いは。ピンの陰に隠れているのか? 一番先にホールに駆けつけた一人が歓声を上げる。「入ってるー!」2番目、3番目の同伴者、そして自分自身がホールを確かめる。確かに入っている!最後に、追いついたキャディーがもう一度歓声を上げる。頭が真っ白になる。まさか、まさかのホールインワン!すべてのゴルファーが生涯で1度できるかどうかわからないと言われるホールインワンをやってしまった! 後のホールはもうどうでもよくなって早くクラブハウスに帰って落ち着きたいと思う。このホールに来る前に好調で新記録が出る可能性があったのならば話は違うが、実は調子は良くなかった。だから、このホールも4番目に打ったのだ。こういう時、本人は興奮していて、どうしてよいのかよくわからない。同伴者の3人があれこれと今後やるべきことをアドバイスしてくれる。 まず、保険には入っているよね!と確かめる。クラブハウスに戻るとすぐに同伴者がクラブ事務所に報告して、キャディと同伴者、関係者全員の確認のサインをする。このことは保険の問題に大きく関係してくるので注意が必要で、必ずやっておかなければならない。幸いなことに、会社の取り扱っているゴルフ保険に加入しており、プレイ中人に加えた障害や道具の破損、さらにホールインワン条項も含まれていたので適用されることがわかった。 プレイ後、とりあえずゴルフ場のレストランで簡易なお祝いパーティが開催される。同伴したメンバーからお祝いされるのだが、実際には、本人からのお礼のパーティになる(この費用も領収書があれば保険でおりる)。本格的なお祝いパーティはまた別の場を設けてもっと盛大にやろうと約束してその日は解散となった。 シンガポールでは、朝早めにスタートするとお昼には18ホールが終了する。日本のようにランチタイムを1時間もとることはなく、ハーフが終われば簡単に水分補給して次の9ホールに向かう。だから、お昼時には自宅に帰って家族とランチを摂れる。従って、日本で言うゴルフウィドウということにはならないし、週末の午後の時間は家族と一緒に過ごせるのがいい。 さて、私のゴルフ人生で生涯で一度あるかないかわからないと言われるホールインワンに付き合ってくれたのは、カップヌードルで有名なN食品の社員3名でした。東南アジアでのゴルフなんていい加減で、キャディにチップをはずんでおけば、見ていないところで足で蹴飛ばして入れてくれるというような話も聞いたことがある。しかし、私の場合は、同伴者が信用のおけるメンバーだったことで誰も疑いを抱くことはなかった。 そして、暫くして、N食品シンガポールの社長からお祝いをしたいとの申し出を受け、わが社の支店長ともども高級中華レストランで食事のご招待に預かることになった。驚いたのは、その席で、ホールインワン記念品としてわざわざオーダーして作っていただいた名前入りのプレートをいただいたことだ。しかも、隣国マレーシアの名産品である「セランゴール・ピューター」(錫製)の立派なものだった。プレートにはいかのように刻まれている。 COMMEMORATIOM OF HOLE-IN-ONE MR. T. NISHI 30th July 1988 AT RAFFLES COUNTRY CLUB NO.7 HOLE. PALM COURSE IN SINGAPORE PRESENTED BY H. TOGAMI このプレートは、たかがゴルフのホールインワンの記念品ではあるが、私にとっては、5年強駐在したシンガポール生活のすべてを思い出すことのできる貴重なそして一生の宝物になった。 (西  敏)  

新加坡回想録(56)娘がTVに!

その日は特に外出の用もなく一日中事務所内にいて、本社や他の支店との連絡や顧客との電話のやり取りに終始し平凡に過ぎようとしていた。夕方7時を少し回った頃一本の電話が鳴った。受話器を取ると、いつも親しく付き合いをしている会社の日本人マネジャーK氏からであった。 「西さん、直ぐにテレビを見て! 今、あなたの娘さんが出ているよ!」 「え!?どういうこと?」 「5チャンネルSBC(シンガポール放送)のニュースだよ!」 あとで知ったことだが、ある時シンガポール日本人小学校と現地の小学校(テマセック・プライマリースクール)との間で親善交流会が催されたそうな。その日は4年生の娘のクラスの生徒全員が相手校を訪問する日に当たっていた。普段の学校生活について話合った後、縄跳びやあやとりなどの遊びを披露して楽しんだそうだ。 その時、シンガポールを代表するSBC(シンガポール放送:5チャンネル、NHKみたいなもの)から取材班が来ており、生徒たちはインタビューを受けた。アナウンサーが何人かにマイクを向けて感想などを聞こうとしたが、英語が分からない生徒が多く困っていた。 3年生で移住した娘は、この時までに1年間ほど英語学校(ATT)に通っており少し話せるようになっていたので、アナウンサーの要求に応えることが出来た。そのインタビューの様子がSBCの7時のニュースで放映されたのだ。 たまたまそのニュースを視たK氏が私に即電話をくれたのだ。おまけにビデオにまで撮ってくれて後からいただいたので家族揃って見ることが出来た。事前に聞いておれば準備していたのだが、それも叶わないところ知人の機転でよい想い出の記録となった。 思えば、長女が初めて外国人相手に英語をしゃべったのは、家族でシンガポールに向かう飛行機で外国人CA(当時はまだスチュワーデスと呼んでいた!)相手につぶやいた「エクスキューズ・ミー、オレンジジュース・プリーズ」だった。たどたどしい日本語英語だったが通じて喜んでいた! この子は小さいころから物おじしないところがあり、実は移住直後に日本人学校ではなく英語が勉強できる英国系の学校に行きたいと言ったのだった。理由を聞くと、外国人の友だちが欲しいという単純なことだった。娘の希望する学校へやってもよいと思わないこともなかったが、学費が2倍と高く諦めたのだった。 学費のことは娘に内緒にして、日本人学校があるから行けないんだよと諭して諦めさせた。ところが、後から通っている生徒がいることが分かって嘘がばれた。その代わりに、英語の家庭教師を週に2度、別に英語専門学校に通わせると見る見るうちに上達していった。好きこそものの上手なれである。 その時から1年後、放送局のアナウンサーにインタビューを受けて応えている姿は親として面映ゆくもあり成長の証を見るようでもあった。 帰国後、娘は勤める会社を突然訪れた外国人に少し相手をしたことを除いては特に英語を活かすことはなく、他人からよく勿体ないと言われる。ただ、度々出かける海外旅行では旅行会社のお仕着せプランを利用せず、殆ど自由旅行を楽しんでおり言葉で困ることもないようだ。 もうテレビに出ることもないだろうから、懐かしい想い出である。 (西 敏)    

新加坡回想録(55)住宅事情

シンガポーリアンの人口の約8割が「HDB」に住んでいます。HDBとは「Housing Development Board」の略で、シンガポール国民を対象とする公団住宅のこと。公団住宅なので外国人は購入できないのですが、借りることは可能です。実際、単身でシンガポールへきている日本人の多くがHDBを借りて、何人かでシェアしている場合があります。 マスタールームとコモンルームがあり、バス、トイレが2つ以上あるタイプが多いようです。お湯につかる習慣がないので、ほとんどバスタブはついていません。場所によりますが、家賃は約月700~1000Sドル(約4万5000円?6万5000円)。 HDBは賃貸料金もコンドミニアムにくらべると安く、1階はホーカーセンターや地元クリニック、スーパーも近くにある場合が多いのでとっても便利です。洗濯物を干している光景もよくみられます。上の階の人が色ものを洗濯してあまりしぼらないまま干すと、下階で干していた白い洋服に洗濯ものの水がしたたって、色がついてしまう悲劇もあるんだとか。 では、外国人がどこに住んでいるかというと、コンドミニアム(民間による高層住宅)に住んでいる場合が多いです。多くの日本人駐在員はコンドミニアムに住んでおり、もちろんシンガポーリアンも住んでいます。コンドミニアムには、プール、ジム、テニスコート、バーベキューピットなどが敷地内にあり、入り口にはたいてい24時間体制でセキュリティーがいます。 市街から離れている場合は、最寄りのMRTまでシャトルバスサービスもあり、大きなコンドミニアムになると、ちょっとしたコンビニやスパ、カフェが入っていることも。シンガポールの高層住宅で便利だなと思うのは、HBDでもコンドミニアムでも、下記のような「ダスト・シュート」が各ユニットもしくは各階についており、日本のようにきまった曜日に分別してゴミ出しをしなくていいのは楽です。 分別しないので、このゴミ出し口の大きさに入るゴミであればいつでも捨てられます。ただ、すぐに閉めないとなかからごきぶりが出てくるときもあるので要注意。 そのほか、かなり少数派ですが戸建てタイプの住宅もあります。これらの住宅は、テラスハウス、セミディタッチトハウス、バンガローに分類されます。テラスハウスとは、2階~4階建くらい住宅が数件連なって建てられているタイプ。 セミディタッチトハウスも、厳密には一戸建てではなく、片側の家の壁が隣の家とくっついて建てられているタイプです。   一見二世帯住宅のようにみえますが、隣に住んでいるのは赤の他人。壁が隣合わせになっているので、シンガポールに来たころは不思議に思う人も多いです。 バンガローは、一軒家のこと。たいてい広い庭とプールもついていることが多いので、西洋人は好んでバンガローを借りることが多いようです。 シンガポールで高級住宅街というと、やはりオーチャード近辺やリバーバレー River Vally。日本人も多く住んでいますが、06年から07年にかけて賃貸が高騰し、郊外へ引っ越す人も多くいました。ちなみに、オーチャードエリアのコンドミニアムはユニットのサイズにもよりますが、1億円からというお値段。08年には停滞していた不動産業界も、今年に入って景気の回復を見込んでか新しいコンドミニアムの販売促進が目立ちます。 シンガポールでは何軒もの物件を所有するのはめずらしくなく、投資目的にコンドミニアムを購入し、貸出しておいて、値段が上がったところで売りに出すということがよく行われています。 では、シンガポーリアンがみんな億ションを買えるほどリッチなのかというと、もちろんそうではありません。事業が成功したとてつもないお金持ちもいますが、上記のようにうまく儲けている人もいれば、失敗して借金地獄に落ちたという話もよく聞きます。ただ、株か土地、物件の売買はうまくいけば儲かる手段のようで、何人か集まるとたいていこの手の話題で盛り上がっています。 最近は外国からの投資家もこういった物件を購入しているらしく、中国本土、中近東の人たちが多いのだとか。通常の物件のほかに、2010年にはマリーベイにカジノとホテルが完成し、セントーサ島にもユニバーサルスタジオやカジノの建設が進められています。  

新加坡回想録(54)食べ歩きのすすめ

シンガポール人ほど食道楽な国民はいないんじゃないかと思えるほどこの町にはレストランが多い。人口の7割強を中国人が占めている以上中国料理店の多さは他を圧倒しているがその料理のバリエーションの幅の広さも特筆ものである。 広東料理をはじめ潮州、福建、海南、四川に北京そして日本ではなかなか味わえない客家料理の店もある。 日本人に人気があるのはエビやカニをふんだんに使った海鮮料理。 生きたエビをブランデーで酔わせて生のまま食べる料理(Drunken Prawn)などは珍しく日本人受けするようだ。また、シンガポールらしさを体験したい人には現地の人たちに混じって屋台での食事も楽しい。 インドやマレー料理などアジアの地方食豊かな郷土料理もある。そしてねね料理というマレー料理と中国料理とがミックスされたシンガポール独特の料理もある。シンガポールの文化を象徴する料理である。 これらのアジアの料理以外にもフランス料理からイタリア、ドイツ、スイス、メキシコと世界のレストランが勢揃い。 本格的な西洋料理もゴージャスな雰囲気の中で味わえるここはアジア最大のグルメシティである 。 極論すればシンガポールでは名所旧跡巡りはそこそこにして 世界の味めぐりを楽しんだ方が得策かもしれない。この街では食べることとショッピングに集中したほうがずっと旅の思い出として残るだろう。 食べて買うことに興味がある人には何日滞在しても飽きることがない街である。 (西 敏)

新加坡回想録(53)ゲンティンハイランド

ゲンティンハイランド(Genting Highland、中国語 雲頂高原)はマレーシアのクアラルンプールから東へ約1時間、パハン州にある標高約1,700mの高原にあります。ゲンティングループが保有するカジノと遊園地、ゴルフコースがある一大高原リゾートである。 マレーシアのラスベガスとも称され、マレーシアで唯一政府公認カジノであり、マレーシアのみでなく、シンガポール、中国ほかアジア中から観光客が訪れる。ゲンティンとその子会社によるホテルも多数あり、特にファーストワールドは6118室を誇る巨大ホテル。イスラム教徒は賭博をすることができないこともあり、カジノ以外にインドア・アウトドアテーマパークやショッピングモール、ゴルフ場があり、イスラム教徒でも楽しめるリゾートになっている。コンサートホール、コンベンションセンターもあり、観光客は世界各地からやってくる。 周辺は100万年前の熱帯雨林が残っており、ゲンティンハイランドへのロープウェイ(ゲンティンスカイウェイ)からは、眼下に見ることができる。 標高が1,700mであるため、気温は年中14℃~25℃で非常に涼しい。因みにクアラルンプールの気温は25℃~31℃くらいだ。の涼しさが熱帯地方に在住する日本人にとっては貴重で、ここにいるときだけ日本の秋を感じることができる。熱帯の中の冷涼な気候から、高原自体が雲に隠れることが多い。 クアラルンプールの人々は、熱帯の街からこの冷涼な気候を求めて日々やってくることが多く、特に若者はクアラルンプールの街で着る事がほとんどない長袖シャツや冬用ジャケットなどを着ることができ、ゲンティンハイランド用のファッションにも気を使っている。このことは、シンガポール在住の日本人がたまにはセーターが期待と言うのと似ている。 そんなゲンティンハイランドは2018年にリニューアルオープンした。 ゲンティンハイランド・マレーシアの基本情報 夕方からは半袖だと肌寒く感じるので、長袖や厚手ジャケットが必要なくらいだ。ちなみに中は屋外・屋内遊園地、25以上のレストランやカフェ、政府公認カジノ、7つのホテル、スパ、ショッピングール、映画館、アウトレットやゴルフコースなどがある。 クアラルンプールからゲンティンハイランドへの行き方 https://www.klia2.info/buses/bus-stop/genting-highlands/ 直通バス まず空港から直接アクセス可能な「KLIAエクスプレス」が通るKLセントラル駅まで行きます。駅に着くと地下にバス乗り場があり、ゲンティンハイランド直通のバスがある。バスは、ゲンティンハイランドの入り口であるロープウェイまで行き、15分ほどかけて山の頂上まで行く。 バス運行時間:平日朝8時~20時、金~日 朝8時~21時 運行間隔は1時間に1本 料金:ロープウェイとセットでRM12(約310円) ロープウェー運行時間:月〜木7:30〜23:30 / 金〜日7:30〜24:00 料金:片道RM5(約100円) タクシー マレーシア タクシー https://narui.my/malaysia-taxi-app/ 流しのタクシーだと交渉にもよるが、おそらくRM150~(約3800円)になるだろう。ただ、流しのタクシーはボッタクリが多いので、オススメではない。もしタクシーを使いたい方はタクシー配車アプリ「GRAB」タクシーが安全で便利で、安く行けるらしいが経験はなく定かではない。まずこのアプリをダウンロードし、ユーザー登録する。そして行き先を入力するだけで、タクシー(といっても、一般人ドライバーの自家用車)が現在地まで迎えに来てくれるとのこと。 乗車前に目的地までの料金や到着予定時間、ドライバーの顔写真や評価などが表示されるので、とても安心して乗車できる。 KL中心地から、ゲンティンハイランドまでGRABを使えばRM50-70くらいで行けるので流しタクシーよりは安く乗れる。(ピーク時間は値段が高くなる) ネット利用が安全につながるというのが今どきの風潮とはこれいかにだ。 (西 敏)

新加坡回想録(52)キャメロンハイランド

マレーシアの避暑地として有名な『キャメロンハイランド』は首都アラルンプールの北約150Km、パハン州にある高原リゾートで、標高が1500mを越えるため年間を通じて気温が20度前後と涼しいところだ。ここは、タイのシルク王として知られたジム・トンプソンが謎の失踪を遂げた場所としても有名である。 英国統治時代の国土調査官、ウィリアム・キャメロンによって1885年によって開発されたので、その名から命名され、丘陵を利用した茶葉生産が盛んなところである。現在でもマレーシア最大の茶葉生産地域で高原野菜などの生産も非常に盛んだ。 四季のある日本と違って1年中暑い熱帯の国マレーシアやシンガポールに住んでいる日本人にとって、涼しいキャメロンハイランドはある意味別世界で何度でも行きたいところなのだ。近年では年金生活者を中心として、日本人の長期滞在者も増えており、彼ら向けのコンドミニアムの建設も盛んとなっているようだ。 クアラルンプールからキャメロンハイランドまでは、車道を利用して行くしか方法がない。レンタカー、バス、自家用車で行く。混んでいなければ片道4時間半くらいで辿り着くが、週末になると当日のバスは満席になることもあるので事前の予約をしておいた方がよいだろう。 キャメロンハイランドの空気は本当に綺麗で、鳥のさえずりや川のせせらぎも聞こえて心も癒される。外の素敵な庭でアフタヌーンティーを飲めば本当に優雅な時間を味わえる。ディナーは、トマトバジルスープ、蒸しサーモン、クリームブリュレ、キャメロンハイランドティーなどが人気のようで、ディナーで訪れる人も多く予約で満席になることもあるようだ。 朝食は、インターコンチネンタルタイプ、ワッフル、オムレツなどから選ぶ事が出来、フルーツやヨーグルトのデザートと牛乳やお茶などのドリンクは自由に取って味わえる。全ての食事が高原野菜で美味しく心温まるどこか懐かしい故郷に戻って来たような味わいで美味しい。 (西 敏)

新加坡回想録(51)リトルインディア

シンガポールのセラングーンロード周辺にリトルインディアと呼ばれる地域がある。ここを訪れると、カレー粉やスパイスにジャスミンと線香などの強烈な臭いが溶け合って道路に漂っているからすぐにわかる。土産物屋の店先に置かれたラジカセからインド音楽が流れてきたり、サリーを着た女性が数人通りを歩いているのを見ると、まるでインドの街角に佇んでいるような錯覚に陥ってしまう。 あちこちのお店にはインドシルクや金銀細工などが並べられ見るだけでもエスニック気分満喫で楽しい。またバナナの葉に盛られたカレーなどを味わえば気分はもうインドそのもになる。彼らインド人のほとんどは南インド出身のタミール族である。シンガポールは元々イギリス領インドの一部であったのでこの辺りにインド人が集まってきたのは自然の成り行きだった。 1825年イギリスは大量のインド人労働者をシンガポールに送り込み道路やビルの建設に従事させた。 彼らはシンガポール建国の貴重な労働力であったのだ。セラングーンロードにイギリス人が住み着き始めたのは1880年に入ってからである。 この約7%を締めるインド人の生活を見るのもシンガポールの理解に役立つだろう。 1840年代には、当時の主な社交場であった競馬場があり、ここリトルインディアにヨーロッパ人が多くに住んでいた。また、牛飼いがいて、煉瓦釜があった。牛の売買が定着すると、そのほとんどがインド人によって売買されるようになった。商人がインド人移民労働者を雇ったためである。特定の商品やサービスがよく売れ出し、モスクやヒンズー教寺院が建った。 しかし、こうした場所も人も今は姿を消してしまった。この歴史的な場所の時間は止まったままのようで、花輪売り、モダンなレストラン、デザイナーズホテル、アート集団など、古くからある商売と新しい事業が隣りあって並んでいる。 現代のリトル・インディアは、シンガポールでも指折りの活気ある地区だ。セラングーン・ロードやその辺りの通りを散策する時には、混在するヒンズー教寺院、中国寺院、モスク、教会を見てまわるとよい。 お腹をいっぱいにするなら、南インドのベジタリアン料理や、北インドのタンドリー料理、ロティ・プラタ(丸いパンケーキ)やテタレ(マレーの「引き茶」)などの地元料理で。店員が熱いミルクティを「引く」姿に、ぜひご注目を――ちょっと面白いすばらしい演出だ。 ショッピングも、お忘れなく。24時間営業のショッピングモール、ムスタファ・センターには、電子機器から食料雑貨まであらゆるものが売られている。オープンエアのテッカ・センター、金細工店、サリー屋もある。中心市街に近く、ボヘミアンな雰囲気が漂っているために、リトル・インディアを自分の巣と呼ぶアーティストも少なくない。 ディパバリ(通常は10月~11月)やポンガル(1月半ば)の期間中にぜひ訪れてみるとよい。喜びに満ちたお祝いを楽しく見学できるだろう。 (西 敏)

新加坡回回想録(49)テレビ事情

シンガポールでテレビのチャンネルをひねると、英語、中国語、マレー語、タミール語と様々な言語が耳に飛び込んできます。多民族国家であるシンガポールならではの多言語放送と言う訳です。これらの言葉を全部理解出来たらこんな楽しいことはないのかもしれませんが、日本人の殆どはあまり見ていなかったようです。 シンガポールは日本に比べると非常にお堅いお国柄で、暴力的なシーンやヌードなどの性に絡んだシーンは、すべて国が事前に検閲してカットしています。 ちなみに、シンガポールのテレビの受信方式は、日本のNTSC方式とは異なるPAL方式でした。 シンガポールのテレビ放送は、合計7チャンネルありますが、場所によっては、シンガポールに隣接するマレーシアのテレビ放送(TV Satu、TV Dua、TV Tiga)なども受信できましたが、これもまず見ることはありませんでした。 シンガポールのテレビ局 チャンネル5(英語) ニュース、ドラマ、コメディ、映画、バラエティ、ゲーム、音楽などのプログラムが、24時間放送されています。 チャンネル8(中国語) 香港や台湾の映画、ドラマ、バラエティや、シンガポール制作のドラマ、それに、日本のアニメやドラマなどのブログラムが放送されていました。シンガポールらしいのは、広東語や日本語が中国語(マンダリン)に吹き替えられたり、広東語、福建語の字幕もあったりするところです。 (西 敏)