Y姉の体にいい話③サーモン

今回の話題はサーモンです。この情報を知ることは体にはよくても、精神衛生上はよくないという気がします。そのつもりでお読みください。 チリの養殖サーモン、JICA(日本の国際協力機構)が後押しをしてようやく一大産業にしたのに、大量の抗生物質が投与されていると問題になったのは覚えておいでかと思います。 では、本家のノルウェー産養殖サーモンはどうなのでしょう。 ノルウェーの産業資源は10%が石油、残りはサーモン養殖に頼っています。社会保障が充実した政治的にもクリーンなイメージの国ですが、養殖業に関しては、どうもそうではないらしいのです。 日本で消費される鮭は、北海道沖で獲れる天然物が10%、残りのほとんどがチリやノルウェー産の養殖魚です。 天然鮭はマグロに似た赤い色。それに対し、ピンクでトロのような養殖サーモンは、刺身にしろ、寿司ネタにしろ、何とも言えずおいしいのですが、実はこの脂身を出すために餌の中に混入されるダイオキシンとPCB(ポリ塩化ビフェニル)の量が半端ではないのです。 (←ダイオキシンとPCBの残量比較。養殖サーモンが突出しています。図の上をクリックしていただくと大きくなります。) 焼くと大量の油が出てきますが、生を好んで食べる私たちは、この有毒油を思い切りたくさん摂取していることになります。   モンサント(枯葉剤を開発したアメリカの企業。昨年、ドイツの製薬会社バイエルの傘下に入りました)製の殺虫剤・エトクシキンは、ヨーロッパでは野菜や果物には使用禁止ながら、魚には規制がなく、堂々と使われています。 餌の原料には遺伝子組換え食品のほか、バルト海産の魚。バルト海といえば工場からの汚染水が流れ込んだまま循環されず、有害物質が溜まっていることで有名です。 さらに、2013年からは猛毒性のエンドスルファンという薬品の入ったエサを与えることが認可されました。 ノルウェー国内ではこの問題を取り上げることはタブーになっています。問題にした研究者が追放されたり、論文の発表が禁止されたり、養殖業にまつわる汚職もささやかれています。さすがに、妊婦や小さな子どもは食べるべきでないということは公然と言われているようです。 この内幕を扱ったものを探してもなかなか見つからないのですが、フランスの放送局制作のドキュメンタリーがありました。日本語字幕はなく、英語で語られるだけですが、防護マスクをした管理者が大量に殺虫剤や抗生物質を撒いている光景は、なんとも薄気味悪いものです。 養殖魚が天然ものに比べて抗生物質の投与を受けたりしてよくないというのは日本でも同じことで、例えば養殖ブリのダイオキシン量は天然物の32倍だそうです。 周囲を海に囲まれた日本では、できるだけ天然の魚を食べたい~最近は放射能汚染問題があるにしても~と思います。 (本稿を書くにあたって一番参考にしたのは、南ノルウェー田舎通信 という、ノルウェーで暮らす日本人女性のブログです。)

スマホライフ7~LINE

今回のおすすめは、今やもう知らない人がいないであろうほど有名なLINEです。LINEとはお互いが認め合って登録しておけば、スマホやパソコン経由で通信できるアプリです。最大の特徴は、通常の電子メールと違い、相手のアドレスやタイトルなどの入力が不要で、いきなり本文で連絡(トーク)し合えることです。 LINEでは、個人対個人で通信できるほかに、グループを作成して複数人で会話を共有しながら利用することもできます。お互い誰がいつどのような発言をしたがが即座にわかるので、会って話しているように会話を楽しむことができます。 私の友人のLINEグループの利用例を紹介しましょう。まずは学生時代のクラブ活動メンバーのグループ。卒業後、何度か一緒に旅行したことはあっても普段は遠く離れているのでなかなか会話ができません。ところが、このLINEグループを作って以降は、毎日誰かが何かを発言し、それに対して別の人が答えるというふうに楽しんでいます。 話題はその日の天気から始まり、育てている花や野菜の写真を撮って送ったり、孫と遊んだ話をしたりといろいろです。闘病の話があれば役立つ情報を提供したり、励まし合ったりして、まるで面と向かって話しているような感じです。50年前の学生時代の面影も蘇りつつ楽しんでいます。 一方、故郷つながりの例です。小学校、中学校、高校まで一緒に故郷で過ごした者同士が社会人となって都会に出てから長い間離れ離れでした。親御さんが元気なうちはたまの帰省で再会することもありますが、親がいなくなったり実家がなくなったりで次第に足が遠のいていきました。 ひとたびLINEグループを作ると、最初はどんなものかと興味本位での参加でしたが、そのうち過去の思い出話に花が咲いたり、今変わりつつある故郷の様子を聞いたりと思ったより楽しいことがわかりました。それ以降は、ふと思うことがある度に何でも書きこむようになりました。 特に、歳を重ねてから体の不調について独りで悩んでいたことを書き送ると、私も僕もとそれぞれの経験談を話してくれます。おかげで自分一人ではないんだとわかり励みになります。これも子供のころからよく知っている気の置けない友だからこそ恥ずかしがらずにできることです。 全国各地に散らばった竹馬の友や同窓生・同級生がLINEグループでしっかり繋がって、日々四方山話に花が咲いています。たまたまこのグループは私が作ったものだったのですが、よく作ってくれたと今だに感謝されています。 以上はうまく利用している好例ですが、グループに参加するメンバーの選定が重要なポイントとなります。LINEに限らず普通の近所付き合い、井戸端会議でも人間関係は難しいものであることは言うまでもありません。万が一トラブルがある時は、登録の解除、参加の拒否、グループの削除などができます。 平均寿命が延びて高齢者が元気なのはいいことですが、一方で最近、一人暮らし老人の孤独死のニュースもよく聞きます。社会との繋がりを保っていればそんなことも少くなるのではないでしょうか。そのためのツールとしてLINEの利用はとても有効だと思います。元々信頼できるグループ内での対話ツールなので、よくあるネットでの誹謗中傷などの問題とは無縁のものです。 若者は未来について語り、高齢者は思い出を語るものです。友人と毎日のように話ができるのは嬉しいことです。こうして人と繋がることで社会と繋がり、精神的にも健康になると思います。

父の想い出~3 . 巨人・阪神

昭和33年栄光の巨人軍に入団以来、日本人の心を鷲掴みにしてきたミスター・プロ野球、長嶋茂雄が大好きでした。和歌山県新宮市、田舎で生まれ育った私は、当時、家にまだテレビがなくラジオにかじりついてその活躍ぶりに胸をワクワクさせていました。 そのうち、近所のお金持ちの家(木材会社経営)でテレビを見せてもらった時に画面から伝わって来たあの躍動感は他の選手とは全く違ったものでした。今でもたまに当時の白黒映像を見ることがありますが、やはり長嶋(当時はまだ「長島」と書いた)一人だけ輝いて見えました。 小学校時代は明けても暮れてもソフトボール。少年野球チームはまだなかったですが、学校ではクラスで、帰宅後は近所でチームを作っていました。今のように子供用のユニフォームを着ているものなど一人もいなく、せいぜい好きなチームのマークの付いた野球帽だけでした。 実況中継は、澄んだ声が印象的な志村正順アナウンサー、解説は「何と申しましょうか」で有名な小西得郎。いつもこの二人のモノマネをしたものです。二人の声は今でも耳に残っています・・・。 そしてその昔、北海高校と同じく古豪と言われた新宮高校野球部から甲子園へ出場するのが夢でした。中学に上がると早速野球部に入部。登校前と放課後の練習は思いのほか厳しく、昔のことですから今は禁止されているウサギ飛びなどは当然のことでした。 毎日、朝4時に起きて、近くの蓬莱山の石段の上り下り、また、別の日には、新宮川の砂浜を細かい砂に足を取られながらOKが出るまで走り続けました。この苦しさを乗り越えないと上に行けないと信じていたので諦めずに頑張りました。 そして、半年後、野球部全員が身体検査を受けることになりました。結果、私は急性腎臓病(ネフローゼ症候群)を発症しており、即、退部させられました。しかも一人ではなく同級の1年生合計9人が同じ病気でクビになりました。練習がいかに厳しかったかの証拠です。青春の夢がたった半年で儚く消えてしまったのです。 プロ野球選手になりたいという夢はあっという間に消えてしまいましたが、ジャイアンツ愛はずっと続き、その後もずっと巨人ファンでした。 高校まで実家から通っていて、大学進学とともに初めて親元を離れることになりました。学生時代は下宿生活、一人暮らしの寂しさはありましたが友人も出来てそれなりに楽しんでいました。 初めての夏休みに帰郷した時、ふと見ると親父がテレビで野球を見ています。阪神の選手が映っていたので巨人阪神戦かと思って横から見ると、巨人戦ではない!今日は試合がないのと親父に聞くとすぐにチャンネルを切り替えてくれました。相手がどこだったかは忘れたましたが、巨人戦を見ていなかったのです。驚いたことに、何と親父は根っからの阪神ファンだったのです。 この時の驚きは今でも忘れらません。長嶋がどうのこうのと仕入れた話を親父に言うと、そうそう凄いよな!と調子を合わせてくれました。だから、てっきり親父も巨人ファンだと信じ切っていたのです。私が家にいる間は巨人ファンである私のために自分が阪神ファンであることを隠していたのです。 何もそこまでしなくても。普通、一家の主ならテレビチャンネルの選択くらい我を通してもいいのでは。何と言っても毎日懸命に働いて一家を喰わせているのですから。それが・・・。 このことを後で母に確かめると、私が親元を離れて以降、親父はずっと阪神戦を見ていたそうです。そういわれてみると、他にも思い当ることがありました。何かについて話をした時も、私の考え方、意見をよく聞いて、間違っていないと思う限りはうんうんとよく頷いてくれました。たかが、テレビチャンネルの話ですが、そんなところにも親父のやさしさがありました。 もちろんたまに口喧嘩したこともありました。普段物静かな親父が、ある時、驚くほどの大声をあげたこともありました。しかし、親から何かを押し付けたりすることはなく、すべて私が思うように自由にさせてくれました。 後になって思うと、息子の成長をじっと見守ってくれていたことを実感しました。親元を離れるまでそれに気付かなかった自分は随分子供だったと思いました。そして親父のやさしさにようやく気がついたのでした。

Y姉の体にいい話②砂糖

体にいい話の第二回は、砂糖を取り上げてみます。 砂糖は私たちの食生活に欠かせないものです。一方で、摂り過ぎは体に悪いと言われます。 前回のような用語の説明は避けたいので、Wikipedia で砂糖を検索して、最後の方に出てくる『健康問題』・『健康管理』のところをお読みいただけたらと思います。 ずいぶん前のことですが、私もケーキ作りに凝ったことがあります。が、材料に使うバターと砂糖(グラニュー糖)の量には驚きました。 だからと言って減らすと、うまく膨れなかったり、おいしくなかったり、失敗に終わります。 その点、和菓子なら、餡に入れる砂糖の量はもともと少ないし、さらにウンと減らしても大丈夫です。ケーキは大好きだけど、あまり食べてはいけないと思うようになったのはその時からです。 砂糖にもいくつか種類があります。一番使われているのが上白糖、次いでグラニュー糖や三温糖。果実酒づくりには氷砂糖。 ご存じの方も多いと思いますが、これらの砂糖は健康上はお勧めできないのです。精製して造ったものだから、ミネラルなどの栄養分がほとんど失われているのです。 ミネラルが残っているのは、黒糖、さとうきび糖、てんさい糖など。 わが家では黒糖は癖が強いので、料理に使うのはちょっと抵抗がありますし、てんさい糖は手に入れられないでいるのですが、さとうきび糖なら『きび砂糖』という名前でスーパーで売っているし、癖もないので、これを使っています。 もうひとつ気を付けていただきたいのは飲料に入っている糖分を知らぬ間にたくさんの取りすぎることです。ふた昔ほど前に『ペットボトル症候群』という呼び名が流行りましたが、ジュースのみならず清涼飲料水には菓子の何倍もの甘味料(500ccサイダー1本に角砂糖7個分とか)が含まれているので、飲んでも飲んでも喉が渇く、ペットボトル2本くらい、すぐに飲んでしまう、というのです。ブドウ糖果糖液などが、スポーツ飲料にも入っています。 確かに、疲れたときには甘いものを食べるとほっとします。絶対我慢となるとストレスが溜まる気がします。何事にもほどほどが肝心、なのでしょうね。

家じまい

貰い手の無い置物 奈良の生家の家じまい、今週はシルバー人材が大勢投入されて、家や蔵に詰まっていた家具・家財の搬出が始まっており、中日の明日は作業の様子見に出掛ける予定です。降り続く雨で作業する人達は苦労していることでしょう。 これ迄に親戚の人や、友人 知人に欲しい物が有るなら、何でも持って行ってと声掛けしていたので、見える部分の荷物は少なくなり、先週神棚じまいに行く機会に、それに合わせて、元の取引先のN氏が友人とトラックで登場、大きな座敷机 茶道で使う釜 臼 杵 漆器類 僕の使っていた耕運機を始めとする農機具 ETC.量が多くて一度で積み切れず2往復したとか。 スッカリ物が消え去った後に、誰からも声が掛からず残っていたのが添付の写真。由来は不明ですが多分中国製、僕が物心がついた頃から座敷の床に鎮座していたものなので、おそらく100年近く経っていると推定。 家内はその様な物を持って帰らないでという目つきで冷ややかに見ていました。 どちらも40センチ位のサイズ、テレビを観ながら、木像は何種類かの布と隙間を綿棒で拭いて、最後に薄くワックスを掛けて仕上げ。座像が据わる布団は退色しているので裏返して使用しています。 陶器製の人形(鐘馗?)は、洗剤を使ってブラシで洗うとイカ墨の様な泡立ち、隙間はこれも綿棒で時間を掛けて掃除。遥か昔に生家に到来、長年かけて見る影もない程に汚れを積み重ねていたものですが、この様に綺麗にすると廃棄しなくて良かったと思いますが、さてこれらを我が家の何処に安置するかと思案中です。 山仲春男

父の想い出~2. 煙草とウィスキー

父の道楽と言えば煙草を吸うくらいで、お酒は飲まないと思っていました。煙草は、70歳過ぎまで両切りのピースを吸っていた割には長寿でした。 ある日、叔父の家の建前(宴席)で父がお酒を飲んでいるのを見て、飲めるんやと思いました。お酒が飲めないわけではないことは、ずっと後になって叔父から聞きました。 「お前の父ちゃんは、飲めないのではなく飲まないんやで。父ちゃんは、酒も飲みたいし、パチンコだってやりたくないわけやない。そうしないのはお前たちのためや。」と教えてくれました。 就職して、海外出張に出かけることが増えてきたころ、帰国時にウイスキーを買って帰るようになりました。当時はまだ並行輸入という制度がなく、一人3本まで無税で持ち込めたのです。友人たちからも毎回頼まれましたが、1本だけは「親父枠」にしていました。 故郷・新宮は近畿地方という日本の真ん中付近に位置しながら、陸の孤島と呼ばれていました。今でも我が家から、新幹線と特急電車を乗り継いで6時間ほどかかります。忙しさにかまけて何年も帰省せずに、ウイスキーはいつも送っていました。 平成23年(2011年)9月3日、紀伊半島は台風12号により各地で大きな被害を受け、わが家も床上浸水となりました。この時、親父さんは高台にある介護施設でお世話になっており安全でしたが、母は一人で家に住んでいました。床上浸水は真夜中3時ころの出来事で、母は、警察官に助けられて近くの小学校まで何とか避難できたのでした。 ずたずたになっていた鉄道の復帰を待って駆けつけてみると、腰の位置まで水が来ていたため多くの家財道具がだめになっていました。サイドボードの中にウイスキーが10本ほどありましたが、すべて捨てることになりました。これらは何年も前に私が送ったもので、すべて封は切られていませんでした。いつか私と一緒に飲むつもりだと言っていたよと、あとで聞きました。 葬儀の時、出棺前にウイスキーで最後の乾杯をしました。綿棒に少しだけ染ませて口につけるだけでしたが。 つづく

Y姉の体にいい話①牛乳

先日、ハイムの方とのよもやま話の最中に、「ひろばにしばらく投稿していない。題材がなくて」とこぼしたら、その直前に食べ物の話で盛り上がっていたので、「そんなこと書けば?」と勧められました。 考えてみると、私は食べる物に関して小うるさいのです。 興味を持っていただけるかどうか、いくつか書いてみようと思います。 まずは牛乳のお話から。 牛乳が広く飲まれるようになってから、50年あまりにしかなりません。不足しがちな貴重なカルシウム源といわれる反面、最近は骨粗鬆症の原因になると警鐘を鳴らす人がいます。日本人の85%が、ラクターゼという消化酵素を持たない乳糖不耐症(下痢をするなど、はっきりした自覚症状がある人は20%未満)のため、牛乳を消化するのに胃腸が余分な活動をしなければならず、逆に骨からカルシウム分が失われるというのです。 カルシウムを摂取するためには、むしろ、小松菜などの青菜、ひじきなどの海藻、小魚を食べる方がいいそうです。 それから、昔は牛乳を沸かすと、表面に膜が張っていました。大小さまざまの脂肪球が混じっていたからですが、今の牛乳は張りません。ホモジナイズド(均質化)と言って、脂肪球を細かく砕き、製造ラインが詰まらないで加工しやすいようにしているからです。 また、売られている牛乳の9割以上はUHT(超高温瞬間殺菌)といって、120~150度で3秒ほど殺菌したものです。むき出しになった脂肪球を高温殺菌するのですから、たんぱく質が変化して体に悪いと言われます。 ノンホモジナイズドで低温殺菌(63~65度で30分殺菌)した牛乳となると製造に手間がかかり日持ちしないので、有機無農薬野菜などを頒布する会のようなところでないと手に入りません。値段もうんと高い(1本400円~900円くらい)です。 普通の低温殺菌牛乳なら、生協やサミットでも売っていますし、賞味期限も2~3日と短くなりますが、少し値段が高いくらいなので、せめてこちらを選ばれるのがいいと思います。 と、ここまで書いて、ネットを再点検していたら、低温殺菌牛乳もよくないというのを見つけました。『たんぱく質は60度を超えると変質する、牛乳は飲むな』という主張です。そのことを書いた本に、乳業協会がいちいち本気で反論しているので、笑って済ませられる問題でもなさそうです。 私自身は夏にインスタントコーヒーをお湯で溶いたのにたっぷりの冷たい牛乳を注いで飲む、冬はリーフティーを牛乳でコトコト煮てミルクティーにして飲む程度なので、さほど影響はありませんが、牛乳を栄養源と考えて好んで飲んでおられる方は、一度ネットで調べてごらんになってはいかがでしょう。 なお、標題のY姉は、Yシと読みます。心温まるエッセイを綴っておられるX氏、独創的な手料理を披露しておられるZ氏にあやかったのですが、多少でも興味を持っていただけたら嬉しいです。 you

スマホライフ6~万歩計

今、基礎疾患を持ち医者に通っている高齢者の殆どが言われているのが、毎日歩きなさいということだ。厚生労働省がいうところの基礎疾患とは、慢性の呼吸器、心臓病(高血圧を含む。)腎臓病、肝臓病(肝硬変等)インスリンや飲み薬で治療中の糖尿病などをいう。 万歩計は山佐時計計器株式会社の登録商標であり一般的には歩数計という。その歴史は古く、歩数計が開発されたのはヨーロッパで、アイデアはレオナルド・ダ・ヴィンチにまで遡るが、初めて実用化したのはスイスの時計師で、1780年のことだそうだ。 日本では、驚くなかれ、ヨーロッパ製の歩数計を江戸時代中期に平賀源内が改良して「量程器」というものを作り、江戸時代後期には伊能忠敬が日本地図の作成にあたって「量程車」という計測器と「歩度計」という歩数計を使用して全国を歩いたといわれている。 さて、一時期健康ブームに肖りこの歩数計が販売され人気を博したことがあった、時計ほど高くはなく数千円で手に入ることでよく売れた。私自身も自分のものと母親のものを買かった覚えがあり、見ると、電池の切れたものが机の底に残っていた。それはまもなく捨てられる運命なのだ。 それもそのはず今は、歩数計アプリをスマホにインストールするだけで毎日無料で利用できる。歩数だけでなく、計った血圧などを登録して一緒にデータ管理できるようになっている。かくいう私自身も高血圧で毎月通院しており、主治医からできれば1万歩歩くように言われている。以前はワンちゃんとの散歩で楽々1万歩歩いていたが、今はそれが難しくなっている。 それで、新たにアプリを入れて、今、少しずつ歩数を増やすよう努めているところだ。毎日何歩歩いたか確認することで励みにもなりお勧めである。

父の想い出~1. モールス信号

先週、まもなく満100歳を迎えようとしていた父親が天寿を全うしました。葬儀で喪主の挨拶をし始めた途端、ふと懐かしい風景を思い出しました。こみ上げるものがあり、涙が・・・。 お決まりの文句を中断して、思い出話を少しだけ話させていただきました。 旧国鉄に勤務していた父の仕事場は、新宮駅の二階にある電信室でした。 夜勤の日に、母親のつくった弁当を夕方届けるのが私たち姉弟の役割でした。 駅員さんに「とうちゃんに弁当を・・・」と言って改札を通りました。最初は遠慮がちだったのに、次第に顔パスで通れることが子ども心に誇らしく思えたものです。 父が右手で「トンツー、トンツー」と叩いていたのはモールス信号でした。横には、大きな機械(テレックス)があり、穴の空いたテープがカタカタと動いていました。 「これ何?」と尋ねると、「この穴は、A,B,Cの英語文字で、遠い遠い外国まで送れるんやで。たくさん穴が開いているけど、ここに、端のほうにひとつだけ穴があるやろ!これは「e」という意味なんや」「へー!」と不思議な感じでした。 その後、初めてABCを教えてくれたのは父でしたし、小学校から塾に通い始め、次第に英語に惹かれていったのも、駅でテレックスを見たことがきっかけだったような気がします。やがて、英語を使った仕事をしたいと思うようになり、実際、貿易の仕事では大いに役に立ちました。 つづく