今日の散歩道(170)~ミゾソバ(溝蕎麦)

今日も爽やかな青空が広がっています、休耕田の排水口の溝の周辺に周辺に小さな花をつけた、この草花が繁っていました。 田舎の田圃の湿気の多い溝を埋めつくす様に繁っているので、鍬で掻きだすように言われて作業していると、サワガニやらドジョウがビックリして泥から出て来た田舎での記憶が蘇ります。 この植物は草姿と花が「ソバ」に似て、水田の「溝」の様な湿った場所に生える事が名前の由来になってますが、東アジア原産(日本では全国に分布)、タデ科の一年草です。 晩夏から秋にかけて、金平糖の様な花穂をつけ、先端に赤っぽい白い花を咲かせ、季節が進んで紅葉後には、枯れてしまいます。 開花の後にソバの実に似た3ミリ位の小さな実を付け、飢饉の時には食用とされた事もあったようです。 食べれる野草の本では、お薦め野草の一つですが、シュウ酸成分が多いので多食は控えた方が良いとの事、天婦羅やオヒタシでの食を薦めています。 新選組で知られる土方歳三の生家が販売していた民間薬「石田散薬」は、骨折 打ち身 筋肉痛に効果有りとして、其れなりの顧客がいたようですが、このミゾソバを乾燥後、焼却して出来た灰から作りだされていたようですが、成分的には効用をとなえていた治療に、ある程度の効果が期待できるものも含まれているようです。 山仲春男

今日の散歩道(168)~カクレミノ

定期的に植木鉢を入れ替え、季節ごとの草花で通行人の目を楽しませてくれている旧家の門前に、先週からこの樹が並んでいます。 花の雰囲気はヤツデにそっくりですが、葉っぱの状態を見ると少し違います。 ヤツデは葉っぱの切れ込みが7~9カ所ですが、種から育てた幼木は、この写真と同様に切れ込みが3カ所の事もあるのですが、花をつけるのは春の時期なので、この時期での開花はあり得ないので、ヤツデでは無さそう。 これはヤツデと同じウコギ科に分類される常緑樹の「カクレミノ」という樹です、葉に3~5か所に切れ込みが入り、その葉の形は成長に伴い形が変化して、大きく育つと、最後には葉の切れ込みが消えて卵型に成ります。 天狗の民話に出て来る隠れ蓑に似た形をしているのが、この名前の由来となったと言われてます。 この樹は、日本原産で、関東以西の山野に自生していて、熟した黒い実はヒヨドリ ツグミ等の野鳥が好み、種を糞にして放出されるので、野外での分布が拡大しています。 神社や公園等に植栽されているのは高木に成長していますが、個人の宅でも大きく育たない様に切り戻し管理して内部が見えない様に目隠し目的で植えているのを見かける事が有ります。 山仲春男

今日の散歩道(167)~温州ミカン

今日も快晴、青空を背景に色付き始めた温州みかんが、輝いています。 買い物途上の、元農家と思われる敷地の一角に植わっているこの樹は、まだ10年未満の若木、立派なサイズの果実ですが皮が分厚くゴツゴツした感じで、内袋も分厚く飲み込むには違和感が有る筈です。 見た目の豪華さと味わいは別のものです。  私は奈良の生家の敷地で温州ミカンの木を2株植えていました、園芸店で既に実がついている苗木を見ますが、栽培する時は、先ずは実を付けさせずに樹勢を整えて、5年目ぐらいから実を付けさせるようにと聞いていました。 10年目位で外皮が手で剥き易い薄くなり、内袋も薄くなって、袋のまま食べれます、そして30年目ぐらい迄、毎年安定した美味しいミカンが鈴なりに実り、1株の木で5~600個位の収穫が有りました。 肥料は菜種油粕と有機化成肥料を、寒肥の後、初夏肥 そして7月頃に追肥、収穫後にはお礼肥料を株の周辺に埋める だけの管理で毎年沢山の収穫を楽しんできました。 その後、壮年期を過ぎると、人間と同じで病虫害(アブラムシ カイガラムシの排泄物にカビが発生してスス病)の被害が樹勢の衰えを加速させて、葉っぱも小さく、枯れ枝が目立ち始め、急に実の付きが少なく成り、黄色く熟して始めて気がつく程度です。 温州ミカンは500年ぐらい前に中国から鹿児島に持ち込まれた実の種から芽ばえたのが最初といわれてますが、現在は実生ではなく、100%カラタチの台木にミカンの枝を接木して苗木を作っています、株元を見ればその痕跡がハッキリ確認出来ます。 昨今は野菜苗も接ぎ木が多く、キュウリやメロンの台木はカボチャ、西瓜はカンピョウ、ナスやトマトも同様、吸水力と栄養分の吸収力のあり、病虫害耐性ある台木を使った接ぎ木苗が主流に成っている様です。 山仲春男

今日の散歩道(165)~キク

早いもので、今日からもう11月、好天続きで空気や地面が乾ききっていたので、久し振りに恵みの雨です。 近所に奈良時代に瓦や須恵器を焼いた登り窯遺跡がある吉志部神社があり、その境内で例年開催されている菊花展を覗いてみました。 地域有志の、菊愛好家が並べているものですが、高齢化の為か年々並べている鉢数が、減少傾向に成っています。 僕は小学校の高学年の頃から、何故か年寄り臭い菊作りにハマり込み、近所の老人を師匠に菊作りを始めました、添付写真に有るような3本仕立てが中心でした。 今の時代と違ってホームセンターなんて便利な店もないので、老人を真似て全てを自分で調達。 培養土は鎮守の森にある照葉樹から出来た腐葉土を持ち帰り、それに川砂、米糠、籾殻、田んぼの土を混ぜて熟成。 肥料は菜種粕に水を加えて発酵させ(これが物凄く臭い)それを日干しする。 それと湿地場所でミズゴケを収穫してきた物を陰干し、これで一通りの準備完了。 菊作りで、重要なポイントは葉っぱが根元から花下まで同じサイズと間隔でついている事、水をやり過ぎると葉っぱの間隔が間延びして仕舞う、降雨などの跳ね返りで葉っぱの裏に土砂が着くと、根元に近い部分の葉が枯れて仕舞うので、それを防止し、且つ鉢の土質の湿度維持の為に、表土にミズゴケを敷くのが効果的。 同じ鉢で最後まで育てるのではなく、成長するのに従い、ワンランク大きい鉢に植え替え、花が咲く時期までに2~3回植え替えたような記憶があります。 仕立てる花は同じ高さ、同じ大きさの花で揃える必要があり、伸びすぎた茎には裁縫針を刺して成長調整したものです。 進学で郷里を離れた後は、亡母が引継ぎ、近所のゲートボール仲間に手伝って貰って続けてくれました。 山仲春男

ワインと私~松村隆太郎

毎日ワインを飲みます。どのくらい? ボトル半分がノルマ、時々1本・・・(家内も少なからず飲む)。その前に缶ビールを一つ。いつの間にかすっかりワインが生活必需品として定着してしまいました。赤ワインが心臓疾患の予防になるといういわゆる「フレンチパラドックス」(フランス人は肉やバターなど動物性脂肪をたくさん取るにもかかわらず、心臓疾患による死亡率が低いのは赤ワインを飲むからだという説)に影響され薬として飲んでいるわけではなく、ただ単に好きなのです。それにこの数年は赤と違って、殺菌作用があるだけとされる白ワインに傾倒しています。 「いつの間にか」となんとなく書きましたが、思い返してみると実際には40年余にも亘る経緯があるのに気づきました。 20歳: 下戸だった父がよくもらってくるポルトガルのロゼワインのラベルに記された「果実酒」という言葉に不思議な印象は持ったものの味には興味なし。 日本酒党。 22歳: 商社に入社。相変わらず日本酒党でワインといえばドイツの甘めの白ワイン、新宿伊勢丹にあった十勝ワイン(ロゼ)の店が記憶にある程度。 26歳: 4年間ベルギー駐在。肉とワインと初めて接するフランス語という生活に浸り(注:もちろん仕事もそれなりにしてはいました)、美食の国ベルギーでだんだん赤ワインの魅力にとりつかれ、帰国後には飲めなかろうと時々少々値の張るのも混ぜながら連日赤ワインの日々を送る。白ワインには興味なし。 30歳: 帰国後、日本産ワインに幻滅、予感通り高い輸入ワインには手が出ず日本酒党に完全復帰し郷に入っては郷に従いを実践。 38歳: 米国出張が続きワインで有名な西海岸のナパ、ソノマを訪れワインへ復帰の兆しあり。 41歳: 10年振りのベルギー、フランス訪問を機にワインへの復帰を決定。 45歳: 日本酒を飲む度に睡眠時無呼吸症候群を発症。日本酒を完全に断ち今日に至る。 ワインの神様に操られたような気もしますが、落ち着くところに落ち着いた感があります。ところで、ワインといえば乾杯でグラス同士の「チン」、なぜするのでしょう? 「そもそもマナー違反」から始まって諸説ありますが、私が一番気に入っているのは: 「ワインがグラスに注がれるのをじっと見つめる。ルビー色、黄金色、或いはピンク・・・」、 「繊細なグラスを手にとって重さを感じ」、「少し廻してワインを空気に触れさせ本来の味を引き出すとともにグラスに溜めた香りを確かめ」、「最初の一口を含んで舌先で転がして味わって」、「飲み込んだら喉越しで鼻に抜け出るさらに深みのある香りを楽しむ」。 見て、触って、嗅いで、味わってまた嗅ぐ。おやっ、何か足りない? 視覚、触覚、嗅覚、味覚があるのに「聴覚」がありません。そこでそれを補うために「チン」するのです。そしてやっぱり合言葉は「Santé !」(健康を祈って:サンテというより鼻に抜けたスォンテくらいの発音の方がフランスっぽい)。 そうです、五感を駆使して楽しむのがワインです。 松村隆太郎

今日の散歩道(163)~富有柿

渋抜きした柿だけが並んでいたスーパーの店頭に、今日から富有柿が並び始めました。 帰路に無人の家を覗くと、塀の内側に植わっている富有柿は少し色づきが遅れています、枝の剪定をせず、余分な実の摘果もしてない放置状態なので、通常サイズよりかなり小さいが、それでもこの様に実を付けてるので、今年の柿は豊作の年に当たるのでしょう。 私の郷里、奈良県五條市は柿の生産が日本一、郊外の丘陵部には一面の柿畑が広がっています。 殆どの家では、敷地内に自家用の柿の木を植えてあり、私の生家にも敷地内に柿の大木が何本か植わっていて、7月頃に「ヘタムシ」駆除の為の消毒(溶かした硫酸銅液と白い液剤を混ぜたもの)、竹竿で高い場所に噴霧するので、液剤をポンプで送るのが子供の役割でした。 柿が色ずく秋には、傷が無く形の良い物を選び、父が知人などに送っていました。   幼少時はスーパーもなく、魚は和歌山から汽車に乗って、大きなブリキ缶を背負って行商に来るオバサンが仕入れルートでした。 この和歌山の塩サバが五條で柿の葉と出会って、出来たのが「柿の葉寿司」です。 柿の葉には防腐効果があり、農繁期で忙しい時期には保存が効く柿の葉寿司を作る家庭は多く、柿の葉っぱで包んで仕込む木枠は皆さん保有していました。 今や順調に業容を拡大して、全国の有名百貨店に店舗を置く「柿の葉寿司本舗 田中」の本店は、元五條警察署の跡地に建っています。創業時は家族経営で、和歌山の鯖は今は脂の良いノルウェー産に入れ替わっている様です。  山仲春男