フランスあれこれ92 ヴァンドーム広場のナポレオン

オペラ座を背にして正面にオペラ通り(Avenue de l’Opera)、そして右前方に30度程の角度で平和通り(rue de la Paix)、この道を入ること約300mでヴァンドーム広場(Place Vendome)があります。中央に聳え立つナポレオンの記念塔。右の写真は平和通からヴァンドーム広場中央のナポレオンの記念塔を遠望、そして次は一歩広場に足を踏み入れた眺めです。 広場の面積はほぼハイム全体がすっぽり入るくらいでしょうか。中央に建つ記念塔は高さ43m、最上段の像はローマのシーザー風に立つナポレオンです。そしてこの広場の地下が広大な駐車場です。 実は私はパリ駐在の最後の三年間、事務所が平和通り(上の写真)の左側中央付近3階にあり、毎日車通勤で広場の地下に駐車していました。 中央に聳えるナポレオン像ですが、最初の像はナポレオン自身がアウステルリッツの戦勝を記念して建造(1810年頃)したのですが、後に短期間のパリコミューン(1871)で取り壊され、直後の第三帝政の初代大統領ティエールがすかさず再建したと言われています。塔の胴回りは螺旋状の彫り物、ナポレオンの戦場を描いていると言います。 今も昔も、平和通りとヴァンドーム広場はパリ最高級のブティック街として知られています。皆さんのご存知の名前ではカルチエ、ティファニー、バカラ、ルイ・ヴィトン、その他多くの宝石商、更にはホテル・リッツなど。 一般にフランス人でも若い人は寄り付きません。多くは旅行者で外国人です。まあ、いわば物見遊山でしょうか。最近ではスリなどが非常に多くなったと聞いています。一見に値しますがお出掛けの際は充分にご注意をと申し上げます。

フランスあれこれ91 オルセー美術館

20世紀を迎え、しかも記念すべきパリ・オリンピックの年、即ち1900年に第5回パリ万国博覧会が開催されました。それを記念して建造された幾つかの建築遺産が残っています。代表的なものとしては万博会場グランパレ(大会場)とプチパレ(小会場)で何れもシャンデリゼ通りの少し下った緑の一角、次はセーヌ河にかかるアレクサンドル三世橋(これはロシア皇帝ニコライ二世の寄贈によるもの)、そして国鉄オルレアン鉄道のパリ発着駅オルセー駅などです。このオルセー駅ですが私にはわずかに2~3度の記憶しかありません。 (前回の「石畳」記事の余談で記載した道路工事はまさにこの駅周辺での道路の改修工事の記憶です)20年近くたって2度目のパリ赴任した時、この鉄道駅は名前こそ残れ大幅に縮小され、少し移動していました。そして元の駅舎を利用した新しい“オルセー美術館”が出来ていました。内装には元の駅舎の風情を充分に残しています。 さてこの美術館ですが日本には非常になじみの深い印象派の名画がずらりと並んでいます。誰もが知るミレーの「晩鐘」「落ち穂ひろい」、セザンヌ、アンリー・ルソー、ヴァン・ゴッホ、ルノワール、モネー、ゴーギャンなど。 当時の事務所はルーブル美術館の近くでもあり、セーヌを渡ればすぐ近くと言えるほどの距離。日本からの来客の多くの人にご紹介させて頂きました。多分皆さんのパリ旅行の想い出の一つとして本物を見た!という強い印象が残られたことでしょう。             (みなさんお馴染みのミレーの「落穂拾い」です)

今日の散歩道(137)~紫苑(しおん)

青空を背景に薄っすらと紫がかった紫苑の花が咲いてます、今日も30℃を越えて、暑くなりそうです。 紫苑は背丈が2m近くと大きく成長、現世代人の好みに合わないのか、都市部で目にする機会は滅多に有りません。 この写真は、旧家を更地にした敷地の隅っこで、たまたま生き残っていたものです。 私の田舎では、お供え用として敷地の隅の半日陰の場所に植えている家が多く、お彼岸に向けて花が咲き始めるので、 お供えの色花として加えていました。 無人となった私の生家の庭には、誰にも見られる事もないのに、子供の頃に見たと同じ場所に律儀に、季節ごとに花を咲かせています。 紫苑は、東アジア原産のキク科の多年草で、本州から九州に掛けて湿った山地に分布、開発が進んだ現在は絶滅危惧種に登録されています。 元々は地下茎を乾燥させて薬用に使われていましたが、平安時代には花が見直されて観賞用として植えられる身近な 存在となり、「今昔物語」には「思い草」の名前で登場しています。 彼岸花と紫苑の花は、子供の頃からの、彼岸の時期の代表的な想い出の草花です。   山仲春男