今日の散歩道(98)~稲~

旧盆前に毎年出掛けているお墓の草取りと、奈良の生家まわりの草取りと草刈ですが、 異常な高温続きで腰が引けて先延ばしが続いていましたが、もう待ったなし。 最近熱中症の報道が多く、少しでも涼しいうちに済ませようと、意を決して5時前に出発、淀川にかかる橋から、久々に見る朝焼けと日の出がとても綺麗でした。 幼少時から水田に囲まれた環境で育ったことも有り、綺麗に植えられ育っている稲を見ると、いつもホッとした気持ちに成りますし、稲の緑が風にそよいで波を打って揺れている情景には、しばし見入ってしまいます。 ちょうど稲穂が出始めたばかりですが、順調に育って居る様です、栽培種は「キヌヒカリ」が最近の流行りのようです。 生家の周辺は、想像をはるかに上回る各種雑草が繁茂し、どの方向から見ても、いかにも人の住んでいない家。 育てたい野菜や植物は中々思うようにいかないのに、邪魔な雑草は何故これほど逞しく育つのか不思議で成りません。 その上に小鳥が放出した実から発芽した樹までアチコチに育ち、特に桑の木の成長ぶりは驚異的で、切り株から一年で2m位の幹を伸ばします。 近所の人から、この暑い時期の日中に草刈り機を振り廻す人なんていませんよと、笑われながら、何とか人の手が入っていて住人がいそうな屋敷にして大阪に引き揚げてきました。 山仲春男

今日の散歩道(97)~テイカカズラ(定家葛)~

日本原産で本州以南に広く分布している蔓性の常緑低木で、若木は地面を這うように育つので庭の土押さえに用いられ、 また成長に伴い樹木に巻き付いたり、岩やブロック塀に気根を下ろして成長するので、生垣やグリーンカーテンに使われています。 夏場につける小さな白色の花は、ジャスミンに似た甘い香りが漂い、葉っぱは秋には美しく紅葉します。 子供の頃から身近な蔓でしたが、名前を知ったのは後年、改めて名前の由来を調べてみました。 「新古今和歌集」の選者で知られる藤原定家が、後白河天皇の皇女・式子内親王に想いを寄せた、お互いの心は通じ合っていたものの身分違いで、恋は成就しなかった。式子内親王は早死にして、その墓石にいかにも抱き着くかのように墓参する藤原定家の姿は度々目撃されたと伝わる。 また藤原定家の「明月記」には、式子内親王の記事がしばしば登場しており、両者の関係は、相当深いものであったと推定されています。内親王を愛した藤原定家が、死後も忘れられずカズラに生まれ変わって墓石に絡みついたと言う伝説に基づき、この様な名前に結びついたのが、この蔓の名前の由来とのことです。 良くできた話だとは思いますが、このありきたりな蔓性植物から、その様なストーリーが思いつくとは、昔の人は想像力が逞しかったという事でしょう。 山仲春男

今日の散歩道(94)~スベリヒユ~

畑作業を少しでも経験した人、或いは草むしりをした人なら、誰もが知ってる繁殖力の高い迷惑な雑草です。 世界中の温帯に分布し、日本では日当たりの良い場所で、地を這うように幹を伸ばし、多肉植物の様な肉厚の葉をつけて、除草しようとすると抜けきれないで残った茎片から新芽を伸ばしてきます。 花を咲かせるのは、午前中の短時間で黄色い小さな花をつけます。 東北旅行の折に、この厄介者が、道の駅で販売されているのを見てビックリ。迷惑な雑草のイメージしか無い物が、山形県の山間部では、なんと山菜の扱いとして食される人気の「ソールフード」との事。 茹でて芥子醤油や酢味噌和えで食べるほか、ゼンマイの様に乾燥させ保存食として煮物で食べるそうです。 東北他県では、このスベリヒユを食べる習慣は無いようです、その理由としては。 江戸時代に藩政改革で知られる名君・上杉鷹山が倹約の為に領民に食べる事を推奨、実際に口にすると野草独特のエグミや雑味も無くて美味なので「ひょう」と言う呼称で呼ばれ食文化として根付いたとの事。 また、地中海の一部地方では、古くからサラダとしての食用習慣が有るそうです。 身近にある食材ですので、気が向けば試食されては如何でしょうか。私はまだ口にしていませんが。 山仲春男

フランスあれこれ86 クロックムッシュウ

この言葉、、皆さんご存知ですか?一口で言えばフランスの焼きサンドというところです。図書館で適当に本の立ち見をしていた時、この単語を発見しました。それによると、1910年、マドレーヌ寺院から延びるキャプシーン街道で誕生、その痕跡を求めて訪ね歩くというエッセイでした。残念ながらその結果クロックムッシュウの原籍を見つけることが出来ずに終わったようですが、私には一つの思い出がよみがえりました。 初めてパリに赴任した夜は事務所の近くのホテルに一泊、翌日早速出社したのですが、待っていたのは、その日の午後にも田舎の町ロワール地方の中心都市トウールにフランス語の語学研修に出掛けるようにという指示でした。私の赴任が予定より遅れていたということでしょう。 昼ご飯だけは一緒にと日本人若手三人で近くのカフェに出向きました。ここでオーダーしたのがクロックムッシュウとニース風サラダです。このカフェは正にマドレーヌ寺院の麓、キャプシーン街道からちょっと入ったところにあり、街道からも見えるし利用者でいつも賑わっています。 さてクロックムッシュウですが、写真でご覧頂くように薄切りのパンにハムとチーズ(グルイエール)を挟んで焼いたものです。 『最初の食事がサンドイッチか』と思った印象は味の良さで一変、この名前は覚えておこうと考えて「時計紳士」と記憶したものです。トッピングを卵にしたものがクロックマダムだとは後日知ったことでした。(時計はClock、こちらはCroqueですが、日本人の発音では同じです)   その後、家内がご近所のパン屋さんに教えられたと言って購入したホットサンドメーカーを使って我が家流のクロックムッシュウを開発、以来50年以上、今も大活躍しています。説明よりご覧頂きましょう。   我が家での飲み会で再三登場、皆さんから好評を頂いています。 ご参考までに、多摩図書館での立ち読みの本は「パリ20区物語」吉村葉子(著)です。