フランスあれこれ47~ヴァン・ゴッホ終焉の地 ”オーヴェール シュル オワーズ”

過日フランス南部プロヴァンスのローマ遺跡でアルルの町を紹介させて頂きました。 現在のアルルはヴァンセント・ゴッホの名前で観光客を呼ぶ街になっています。ゴッホは当地でゴーギャンと同居するうちに仲違いが原因?で自分の耳を切り落とします。そして精神病院を経て今日ご紹介のオーヴェール(Auveres sur Oise)に参ります。  オ-ヴェールはパリの北北西30キロ、セーヌ河の支流オワーズ川に寄り添う風光明媚な、そして聊か寂しい街です。まずドービニーが自身の小舟のアトリエでオワーズ河流域にアトリエを構えたのが1860年頃、その後このオワーズ川の岸辺の風情が多くの印象派画家を呼びました。セザンヌ、コロー、ピサロなど・・・アルルで精神を病んだヴァンセント・ヴァン・ゴッホをこの地に連れて来たのはゴッホの弟テオドール(通称テオ)、ピサロがテオに教えたと言います。テオはパリで画商をやっていて画家達とは近い距離にあったようです。ゴッホが描いた絵の一枚に「ガシエ医師」がありますが、この医師は絵画の収集家でもあり精神科の医師でもありました。パリで医師をしていますが鉄道が開通して非常に便利になったこともあり、パリとオーヴェールを往復していたようです。この医師はフランス独特と思われるミネラル系の漢方(免疫療法の一つ)を研究していたらしい。残念ながら効果を見る猶予もなくゴッホはピストル自殺を計ります。オーヴェール滞在わずか数か月の滞在でこの地で他界しました。(1890年7月没)この間に数十点の作品を描いたと言われます。)  弟テオもすぐあと追って亡くなったようです。やはり精神を病んでいたようです。(1891年1月没) ゴッホ兄弟の墓を訪ねました。(1989年暮れ)(左がヴァン・ゴッホで右がテオの墓です。) ゴッホが自殺を図ったと言われる館(シャトー・オーヴェール)の裏庭、代表作の一つ「ノートルダム教会」(12~13世紀)、そして写真でご紹介の墓地、村役場、ゴッホ美術館などが見どころでしょう。

フランスあれこれ46~ハッピー・リタイヤメント(3)フランス年金制度の裏街道

 この話、お酒の席での話でもあり、私も特に勉強した訳でもないので内容について責任は取れません。 先ずは日本と同じ年金制度(Pension)があり、毎年積み立ててリタイヤの後受給する。受給資格は62歳、但し満額受給は65歳から。その昔聞いた話では支給額は国鉄、続いて公務員や国営企業が多いとか。もともと同業組合ごとにこの制度が拡充されたようです。農業が一番遅かったとも聞きます。ともかく日本と最も違うのは就業期間3か月で受給資格が得られること。 もう一つフランス独特の年金(Rente)と言う私たちの概念と異なる年金があります。むしろこちらの方が歴史的にも古い制度らしい。例えば理解しやすいものに農業があります。広大な農地を持ち、種々の農機具を供え、安定した顧客を持っているとしましょう。ぼつぼつリタイヤを考えた時、これら一切の資産を一括して売りに出す。ただしその対価を一括支払いではなく年金として死ぬまで払い続けてもらう。若し早く死ねば買った人の儲け、予想以上に長生きすればその間は減収となる訳です。多分公証人でしょうか立派な斡旋業務となっていると言うのです。この資産を引き受ける(買い取る)人としても一括して大金を払う必要もなく、日頃の稼ぎで十分利益が出るならば問題はないはず。いつかその日が来て気が付けば全てが我が資産という事でしょう。同時に自分の老後の心配もなくなる。 私の得た結論を一言。フランス人はリタイヤした後が人生本来の目標だと。その証拠は「あなたの職業は?」と聞かれたときの返事は「私はルトレット(退職者)です」と胸を張ります。人生から一歩後退と言う雰囲気は全くありません。

フランスあれこれ45~原子力発電=ジスカルデスタン元大統領(追稿)

過日ジスカルデスタン元大統領の訃報をご紹介した際、大統領の業績の一つとして原子力発電推進と書きました。彼の大統領就任の直前、第一次オイルショック(1973)に見舞われました。それが彼の原子力へのこだわりのきっかけになったことは間違いありません。 私の二度目のパリ赴任が1988年、その少し前1986年にチェルノブイリ原発事故が発生しています。赴任の当時はまだその影響を引きずっていて、フランスへの影響や、子供たちへの健康被害などよく会話のテーマになりました。しかし最も吃驚したのは当時既にフランスの電力の凡そ70%が原子力になっていたことでした。それを実感したのはパリの郊外に出ると大きな原子力研究所があり、少し遠出をすると俄かに空模様が悪くなり、更に少し走ると以前の青空に戻ると言う現象を自覚した時でした。原子炉の冷却水の蒸気が原因だったのです。冷静に考えるとセーヌ川を含めロワール川やローン川などフランスを代表する大きい川に沿って、点々と発電所が建設されていました。 ご存知のようにフランスの代表的で且つ日本でも良く知られた科学者にキューリー夫人がいます。彼女は自身の研究の放射能が原因で命を落とします。(ウラン鉱石からラジウム放射性物質を発見)しかし彼女の夫が仕事のパートナーであり、また息子が同じ分野で研究を続けました。さらに彼女の以前(19C末)にベクレルと言う言葉(放射線の単位)の語源になったアンリー・ベクレルもフランスの科学者です。フランスとしてはこれら先人の功績を放置できなったことは想像に難くありません。 2020年現在のフランスの原子力発電は6,600万KWで発電量の実に77%とのこと。発電量はアメリカに次ぐ世界第二位となっています。 本稿は原子力発電についての私見を申し上げるものではありません。参考までにイタリヤの原子力はゼロ、そしてドイツも極めて少ないですが方針として今後全面休止に向かうと宣言しています。(イタリヤはフランス・ドイツからの電力購入が多い、ドイツは天然ガス重視のようです。) (写真は2019年操業を停止したドイツの発電所)

フランスあれこれ44~元大統領ジスカルデスタンの死を悼む

第20代フランス大統領ジスカルデスタン(Valery Giscard d’Estaing)がコロナで去る12月2日逝去と言うニュースが流れました。享年94歳。 私が最初にパリに赴任した1964年当時はドゴール大統領でしたが、学生運動から始まる5月革命でポンピドー大統領へバトンタッチされました(1969)。その直後私は帰国。やがて第一次オイルショック(1973)があり、暫くしてポンピドー大統領が急逝、後任としてジスカルデスタン大統領が若く47歳で就任したのが1974年でした。フランスとは仕事のつながりもあり、又ドゴールの印象が強かったためでしょうか、その後の政治の動きが耳に入ってきたものでした。ただ特別に知識があるわけでもなく、今回のニュースで改めて各新聞やネット情報を整理してみました。 結論から申し上げるとジカルデスタンに対する評価は色々で、彼の若さと実行力から「フランスのケネディー」と呼ばれ、或いは国際感覚が豊かで「偉大なる欧州人」の評価もあれば、片や彼の着想は認めても傲慢で冷淡だとか、左右両派の信頼がなかったとのコメントもあります。表現を変えれば自信がありすぎ、一方的で、人間関係が今一つだったのかも知れません。 彼の業績の一つは1975年最初の六か国首脳会議の提案です。これがサミットのスタートとなりました。日本から三木武夫首相が出席しました。またドイツのシュミット首相と好関係を築き欧州統合を強く推進しました。欧州通貨制度でリーダーシップを取り現在の通貨ユーロへの第一歩となりました。国内ではエネルギーの将来を考え原子力発電を強力に推進したとも言われます。 1979年第二次オイルショックなどで経済が低迷、1981年二期目の再選を目指す大統領選挙で社会党のミッテラン候補に僅差で敗れました。私が二度目の赴任をしたのが1988年です。 1989年欧州議会議員に選出され、2002年欧州将来像諮問会議議長となり欧州憲法草案を提案するに至りますが皮肉なことに自国フランスの国民投票で否決されました。この間フランス政界の長老として君臨したものの彼を慕う人は少なかったようです。 今年9月肺の感染症で入院、一旦は退院したものの11月再度入院、今回はコロナ感染と診断されたと言われます。 ご冥福をお祈りします。 Tomma  

シンゴ旅日記インド編(113)吉兆三兄弟の巻

吉兆三兄弟の巻(2010年9月記) インドに来て聞いたり見たりした『トリオ・ザ・吉兆』をご紹介します。 その1.オーム(聖音) あの麻原さんも私の住むプネの仏教施設で学んでいたと聞きました。その名も『OSHO  COMMUNE  INTERNATIONAL』。 今年の2月に爆破事件のあったGERMAN  BAKERYの対面の施設です。世界的に人気があります。同じ色をした衣をつけた各国の学生(ガクショウ)が通りを歩いています。このオームはサンスクリット語の『オー』に『ン』がついた文字です。宇宙の根本原理であるブラフマンを象徴するものです。 日本のお寺さんにもあるとか、今度よーく見てみます。A・U・Mに分解されてAは維持神ヴィシュヌ、Uは破壊神シヴァ、Mは創造神プラフマーを表わすとされています。 ちなみに電気の抵抗を表すオームはOHMでAUMとは関係ありません。 その2  卍 マンジには右マンジと左マンジがあります。日本では左マンジが多いようです。 右マンジは『力の元』を左マンジは『和の元』を示すと言われています。トロイの遺跡でシュリーマンが卍を発見しこれがインド・ヨーロッパ語族の宗教シンボルとなり、後に十字架になったことご存知でしたか、知らなかったです、私。西洋では本来『幸運のシンボル』であったのですが、ナチスが党旗、国旗としてハーケンクロイツ(右マンジ)を採用したため現在では卍はタブーになっています。 日本では少林寺拳法のシンボル・マークからの撤去(2005年)をしたり、徳島藩主の家紋が卍であったので阿波踊りの浴衣に卍があしらっていたのを2006年にドイツで阿波踊りを披露した時にはその模様を自粛したとのことです。ヒンドゥー教の団体はこの卍使用の自粛傾向に反対しています。写真は私のアパートの壁に書かれている卍マークです。新築の時にオーナーが書いたようです。卍が4個書かれています。良く見ると右マンジです。私もマンジ自粛傾向に反対します。 その3  ランゴリ 日本で言う『砂絵』です。これって世界中にあるみたいですね。ランゴリはインドの女性が結婚式などの慶事の際に庭や路面に描く吉祥文様です。米粉、小麦粉や岩粉を使います。模様は幾何学模様や花模様など多岐にわたります。ランゴリは花嫁修業のひとつとされ母親から娘へ伝えられます。うちのスタッフも書けると言います。今度見せてもらうことにしました。現在インドの都市部ではこの伝統が失われつつあります。ですので、街では写真のようなものを売っているのです。一編24cm四方で一枚10ルピーでした。 右端の写真は私のアパートの玄関の模様です。 そういえば日本でも注連縄、松飾を最近は絵で済ましていますよね。海外ではチベットの砂曼荼羅のほかにメキシコ、アフリカなどにもあるそうです。アメリカインディアンのナバホ族の砂絵が西洋のサンド・アートにつながる系譜と言われています。あのドライフラワーのビンの中の砂の模様です。 丹羽慎吾  

フランスあれこれ43~ハッピー・リタイヤメント(2)人生二度結婚すべし!

 30年位前のパリのシャンゼリゼ大通り。緑濃く陽光輝く季節、カクテルパーティーの会場に向かう途中で四輪馬車に乗ってポッカポッカとパリ観光をするカップルが通りかかりました。老紳士と若い女性、一瞬親子か?いや多分おじいちゃんとお孫さん?かと思いました。その直後うしろから同じパーティーに向かう知人から声を掛けられ振り返ってビックリ!そのカップルが熱い抱擁をしている光景を見ました。今のカップルは一体何だったのかと話しながらパーティー会場に到着。 パーティーはフランスの会社の創立記念だったと思います。参加者は50名位でそのうち日本人は5-6名だったでしょうか。日本のように開催の挨拶や乾杯もなく到着順にシャンパンを頂き、誰彼となく顔を合わせたもの同志で軽く乾杯のゼスチャーで会話に入ります。われわれ日本人だけで先ほどの光景の話をしている所にフランスの人が割り込んできました。簡単にシャンゼリゼで見た光景を説明したところ、「それは二度目の結婚、しかも大金持ち間違いなしだ。パリの住民である確率は低いと思うが、さてはニースかカンヌ、まあそんなところだろう。彼は上手くやったんだ!」と。 彼の説明=理屈は、人生二度結婚すべし。それは男も女も同じ。最初は年の違う金持ち、出来れば社会に顔を持つ人を選ぶ。要は資産を手に入れて自分の本来の人生に挑むのだ。やがてそれなりに確固たる設計が出来た段階で今度は若い相手を探して第二の結婚へ。これは男も女も同じだ。 「なあ君たち、今の話をうまく実行しているのがこの人だよ。」と言ってパーティー主催の社長さんを紹介、そして曰く「残念ながら、私は最初の段階で誤った!」と。

新加坡回想録(58)デサルでの出来事

シンガポールに住んでいてちょっとした家族旅行に行こうとするとまずはマレーシアがも最も近い。街から車で1時間も走るとどちらの方向へ向かっても海にドボンの狭さなので、隣国であり車で行けることが最大の理由である。しかも昔は同じ国だったこともあることから文化や歴史に共通点も多く馴染みも深い。 マレーシアで有名なリゾートビーチと言えば、ペナン、マラッカ、クワンタン(地中海クラブ)、ティオマンといったところだ。観光ガイドブックなどには情報が少ないかもしれないが、現地の人ならだれでも知っているのがデサル(Desaru)ビーチだ。 移住してすこし落ち着いた頃、普段から親しくしている友人家族と一緒にこのデサルに出かけることになった。車で北の端からコーズウェイを渡りマレーシアに入る。暫く北上した後東に向かうと海岸まで1時間と少しで行ける。空港近くからフェリーで渡ることも出来るが車が便利だ。 ホテル名も覚えていないほどの小さなリゾートホテルだったが数日間海辺で過ごすには問題はない。35年前の話なので今は開発が進んで新しいホテルもいくつかできているようであるが、その状況の紹介は別の機会にしたい。ここは、前回書いた正月に紅白歌合戦のビデオを見ることが出来たホテルのひとつで、大晦日に日本で撮ったビデオを直ぐに航空便で届けてホテルのロビーで流している。 さてここで二つの出来事に遭遇した。まず一つ目は有名人との出会い。昔のプロ野球ファンなら知っているだろうが、その昔阪神タイガースには二人の辻選手がいた。そのうちの一人「ヒゲ辻」と言われた辻佳紀選手は時に弱気になるピッチャー、バッキーや村山をうまくリードして監督に重宝がられた。 その後はトレードで近鉄、大洋と移った後、コーチとして阪神に戻り、やがて解説者として活躍した。筆者は阪神ファンではなかったが、日本人で最初に髭を生やした選手として印象深い選手だったのでよく覚えている。そのヒゲ辻がロビーバーのカウンターに一人座っていたので声を掛けた。 聞くと、何かのテレビの番組で商品としてとしてもらったのがデサルへの旅だったそうな。シーズンオフで野球解説の仕事もない正月の時期を選んで一人旅としゃれこんだとのこと。話をしてみると実に気さくでいい人で、現役時代の秘話なども気軽に話してくれた。 二つ目は実はとんでもないことだった。早朝にこのビーチで日本人女性が入水自殺したと、午後になってホテルの人から聞かされた。休みのとこ悪いが同じ日本人同士でもあるので、一緒に海岸を捜索して欲しいという。つまり、砂浜か磯に遺体が打ちあがっていないかどうか手分けして探して欲しいというのだ。 驚きながらも仕方なく子供たちをホテルにおいて大人数人で捜索に協力した。しかし残念ながら結果は出なかった。後で詳しく話を聞くと、ちょうど一年前に、この女性の恋人がこのビーチで溺れて亡くなった。つまり、悲しいかな後追い自殺だった。 せっかくの正月休みが、とんでもない事件に出会って楽しさは吹っ飛んでしまった。帰国後は近所でも事務所でもこの話で持ちきりだった。われわれが偶然その場にいたことを話すと同僚はみな唖然としていた。忘れられない悲しい思い出となった。 (西 敏)