シンゴ旅日記インド編(102)ワテは運転手(組合)の巻

ワテは運転手でんねん、ご主人は日本人ですわ。 えっ、8月はインドがえらい世界のニュースになったんですか。 ロンドン・オリンピックの見知らぬ女性が選手団と行進、マルチ・スズキの暴動、ニューデリーの大停電、ルピーの暴落なんかですか? ワテがオリンピックでびっくりしたんは、選手の男の人がターバン巻いてたことですわ。あれな、ウソでっせ。ターバン巻くんわ、あれシーク教徒のもんでっせ。インド全体で2%もいませんのやで。 また、世界中に誤解を与えてしまいましたがな。 アカンなあ、インド人の何でもエエからみんなを喜ばせようとするサービス精神ちゅう技ですわ。 それに選手団と一緒に行進していた女の人誰か知ってまっか? 開会式のエキストラで踊るダンサーやったんやて、そんで、会場に入る許可証を持っておったって新聞に書いてあったんですわ。バンガロール出身の女の子でしたんやてな。全く悪気は無かったって帰国してからコメントしてましたで。 それにしてもなんでやろね、同じ位の人口を持つ中国が88個のメダルをとって、インドが6個、それも銀と銅だけちゅうのは、なんででっしゃろね。 それに、日本も可哀相でんな、ソフトボールや野球で日本が優勝してまうと、オリンピックの競技から外されてしまいますもんね。 インドでスポーツちゅうたら、クリケットが国技みたいなもんでんがな。 オリンピックにはクリケットがおませんがな、それがあったらインドは金を取れてたと思いますわ。   そやそや、社長さんが言ってはりましたけど、日本の『巨人の星』ちゅう野球のアニメがインドでクリケットに置き替えられて始まるそうですわ。 タイトルは「ライジング・スター」ちゅうて、日本とインドの共同制作らしいでっせ。 お父さんの厳しい指導を受けた男の子が、いろんな試練や葛藤を乗り越えながら、クリケット界の頂点を目指すという話やそうですわそんでね、舞台は建設ラッシュに沸くムンバイなんやて。 男の子の名前はスーラジちゅうて、そのお父さんのシャームは3輪タクシー「オートリキシャ」の運転手なんやて。ライバルになるビクラムは大手財閥系企業の御曹司なんやて。 野球少年が投げた魔球のようなもんまで出てくるちゅう話でっせ。 インドとおんなじようにクリケットの人気が高いコモン・ウェルスのパキスタン、バングラデシュ、スリランカなどの南アジアや、オーストラリアや南アフリカなどでの放映も見込んでるそうでっせ。 日本での新聞記事の話題ちゅうとマルチ・スズキの暴動でんがな。 日立製作所さんもエアコンの工場で火災に遭いましたが、マルチ・スズキさんの方が、損害やこれから来はる外国の企業さんたちへの影響が多きいんとちゃいまっか。 日本のスズキさんな、インドに来てからもう30年経ちますやろ。 マルチ・スズキの車ちゅうたら、もうインドの国民車ですがな。 最初のグルガオン工場、第二工場のマネサールもハリヤナ州にあるんですがな。 こんなことがあるんで、スズキさんは嫌気さして、グジャラート州に第三工場を作りはるやろうなあ。そやけど、グジャラード州も宗教的には大変なとこでっせ。 マルチ・スズキさんな、2009年に生産が追いつかんゆうて、第一工場とおんなじハリアナ州のマネサールに第二工場をつくったんですわ。これが原因でんな。 マルチ・スズキさんのマネサール工場な、去年は4回もストありましたんやで。この第二工場な、大体3000人くらいの人が働いていまんのや。 けど、正社員が60%、契約社員が40%でんのや。 インドって、ブリティシュの植民地やったから、結構、会社法とか労働法とかうるさいんですわ。 そやから、正社員やのうて、簡単に辞めさせることができる契約社員を使ってる会社が多いんでっせ。ワテがそうでしたがな。今年四月まで契約社員やっったんでっせ。 運転手は正社員と条件が違うゆうて、四年前に入社した時に言われてそのままでしたんや。 それを二年前に来はった今の社長さんが、正社員と契約社員と何が違うんや、明確せぇーって、経理に確認しはったんですわ。そしたら、経理が会社の保険に入れんとか、働く時間帯が違うとか言ってましたわ。 そしたら、社長さんが、働く時間を運転手だけ変えて、正社員にしてあげなさいって、言わはって、今年から正社員になれたんですわ。 そやけど、経理は、ワテが正社員になることに、なんであんまりエエ顔してないんやろな。   そやそや、マルチ・スズキの話やわ。 正社員って言うてもね、入社して三年間の実習生と、その後の正社員とがあるんですわ。 実習生と正社員では、お給料がかなり違うみたいでっせ。 そんで、契約社員の方もな、技能労働者とお掃除する係りがありますんや。 この契約社員はハリアナ州と話し合って、地元の人を採用せなアカンことになっとったんですわ。 第二工場やから、働く人の平均年齢が若いんのが特徴ですわ。25歳以下ですんや。 第一工場のグルガオンは、もう平均年齢はゆうに30歳を超えてるらしいでっせ。 そんでや、その第二工場のマネサールに第二組合を作れちゅう動きが出てきたんですわ。 裏では共産党系の組合が糸ひいてまんのや。あの毛沢東路線の反政府の政党AITUCですわ。 インドってね、ようけ、労働組合がありますんや。全国レベルでも次のようになってますわ。 BMS(インド労働連盟) :民族奉仕団(RSS) 832万人 INTUC(インド全国労働組合会議) :国民会議派 784万人 AITUC(全インド労働組合会議) :インド共産党 461万人 HMS(インド労働者連盟) :なし(社会主義系) 535万人 CITU(インド労働組合センター) :インド共産党(マルクス主義) 343万人 UTUC(統一労働組合会議(LS)) 160万人 TUCC(労働組合協同センター) 89万人 AICCTU(全インド労働組合中央評議会) 67万人 UTUC(統一労働組合会議) :革命社会党 78万人 出所:国際労働財団のホームページから 組合ちゅうても、組織率は5%程度のもんちゃいまっか。 そんで、そのマネサール工場の第二組合ですが、要求が無茶苦茶ですわ。 組合員のメンバーの三分の一まで外部のモンを入れよちゅうのですから。 暴動が起こった理由は第二組合問題だけやなくて、カーストや、賃金差別やいろんなモンがあったと思いますわ。 うちの社長さんな、日本のスズキが好きなんやて。 なぜかっちゅうとな、スズキのスズキ会長さんの生まれが、社長さんとおんなじギフで、社長さんの息子さんもスズキのスィフトに乗ってるからやって。   話変わりますけどね、横暴な組合ちゅうたら、この前のエア・インディアの操縦士のストですわ。 あれで、運賃が上がって出張費用が増えとるって社長さんが、こぼしてはりましたで。 今のエアー・インディア(AI)ってね、2007年にインディアン航空(CI)と合併してできたんですわ。このインディアン航空ちゅうのは、めちゃんこアカン飛行機会社やったらしいでんな。 当時のプログにこんなんがありますわ。 『インディアン航空の地上職員の名言。 私        「どうしてディレイしてるんだ?」 職員     「知らない」 私        「何で知らないんだ、無責任だろ!」 職員     「遅れた原因を知ったからといって飛行機が早く着くわけじゃないだろ」 私        「・・・・・」』   インドは1953年に8社あった民間航空会社が国有化されてもうて、国際線はエア・インディア、国内および国際線近距離はインディアン・航空となってましたんや。二社の独占でんがな。 けど、1990年代の民営化路線になってから、民間の航空会社がようけ出来てきたんですわ。 キングフィシャーさんは、一時は飛ぶ鳥の勢いでしたが、今は泡の雫ですがな。 これな、鳥のキングフィシャー(カワセミ)と親会社がビール会社ちゅうのを掛けた洒落でっせ。   そんでエア・インディアやがな。この2007年の合併後も操縦士さんの組合が別々なんですわ。 エア・インディアはIPG言うて、インデァン・パイロット・ギルドで、インディアン航空はICPAちゅうてインディアン・コマーシャル・パイロット連盟なんですわ。 これが仲が悪いのなんのって。今回のストはエア・インディアの操縦士さんの側ですわ。 お腹が痛いって、体調が悪いって、嘘を言って休んだんでっせ。 そんで、日本への便は全便欠航ですがな。 このストね、なんでしはったか、知ってはりまっか、会社が今度ボーイングのドリームライナーちゅうてB787の最新式の機体を買わはるんですわ。 旧エア・インディアさんはボーイング社の機体をずっーっと買ってきたんですが、インディアン航空さんはエアバス社の機体が中心やったんですわ。 飛行機の型式が変わったり、メーカーが違うと操縦士さんも訓練し直さなあきませんやろ。 そんで、エア・インディアの操縦士さんたちが、インディアン航空出身の操縦士が訓練を受けるのは、この会社がもうかっておらんこの時期に、コスト高になるよってに、せんでエエちゅうたんですわ。自分たちのお仕事を奪われんようにしたんですわ。 話代わりますけど、これってCAもおんなじでっせ。 ボーイング社の機体に乗るCAがエアブス、ちゃう、エアバスに乗るときや、その逆の場合も、それぞれ社内試験受けなアカンのでっせ。 このエア・インディアさんの操縦士さんのストね、これまた、伏線がありまんのや。 ちゅうのはね、エア・インデァさんは、正操縦士になるのに10年かかりまんのや、10年たてば自動的に正操縦士になれまんのやわ。怖い航空会社でんな。 インディアン航空さんは、それが6年ですねん。 それに、二つの組合があるんで、まだお給料なんかの待遇はエア・インディアの方がエア・インディアちゃう、エラい、エエンですわ。ちょっと舌噛みそうになりました、すんません。 そんで、去年な、インディアン航空の操縦士さんがお給料改善のストをやって、会社から増額を認められたんですわ。 それを根にもって、今度はエア・インディアの操縦士さんのストですわ。 そんなことやっててエアん、いやエエんですかいな。 […]

新加坡回回想録(49)テレビ事情

シンガポールでテレビのチャンネルをひねると、英語、中国語、マレー語、タミール語と様々な言語が耳に飛び込んできます。多民族国家であるシンガポールならではの多言語放送と言う訳です。これらの言葉を全部理解出来たらこんな楽しいことはないのかもしれませんが、日本人の殆どはあまり見ていなかったようです。 シンガポールは日本に比べると非常にお堅いお国柄で、暴力的なシーンやヌードなどの性に絡んだシーンは、すべて国が事前に検閲してカットしています。 ちなみに、シンガポールのテレビの受信方式は、日本のNTSC方式とは異なるPAL方式でした。 シンガポールのテレビ放送は、合計7チャンネルありますが、場所によっては、シンガポールに隣接するマレーシアのテレビ放送(TV Satu、TV Dua、TV Tiga)なども受信できましたが、これもまず見ることはありませんでした。 シンガポールのテレビ局 チャンネル5(英語) ニュース、ドラマ、コメディ、映画、バラエティ、ゲーム、音楽などのプログラムが、24時間放送されています。 チャンネル8(中国語) 香港や台湾の映画、ドラマ、バラエティや、シンガポール制作のドラマ、それに、日本のアニメやドラマなどのブログラムが放送されていました。シンガポールらしいのは、広東語や日本語が中国語(マンダリン)に吹き替えられたり、広東語、福建語の字幕もあったりするところです。 (西 敏)

映画「はちどり」(韓国2019年)を観てのツブヤキ その2。

七月、まだ梅雨でした。映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観に映画館へ行ったのですが上映予定時間があわず、かわりにフッと観た作品が「はちどり」でした。 「はちどり」は2019年韓国公開の映画です。2019年と言えば「パラサイト 半地下の家族」と同じ年になります。 「パラサイト~」はアカデミー賞受賞作品ですので観られた方も少なくはないと思います。様々な意味で好き嫌いのわかれる作品かもしれません。 「はちどり」は韓国国内で「パラサイト~」に次ぐ興行成績だった作品です。1994年が舞台です。主人公の14歳の女子中学生を透して見た韓国社会(日常)を描いています。 ソウル五輪が確か1988年、80年代のニュースで私の記憶にあるのはソウル市内の大手百貨店の建物が崩落したのを今でも覚えています。凄い光景だった。 韓国は当時、軍事政権下でした。そこから徐々に民主化されていったことを思い出しました。まだ、民主化されて30年あまりなんだとあらためて思いました。 その頃の94年を生き日常を過ごす女子中学生(中学二年生)の眼から観た家族、友人、学校、大人などを描いています。 映画のはじめの方は主人公の目線での物語で進みます。終盤に近くにしたがい、ひとりの女子中学生の目線と言うのではなく普遍的な「何か」を映画を観る者に感じさせるようになります。不思議な作品です。 主人公の女子中学生の後ろ姿の映像が多いです。この後ろ姿で語られていることは何?かしら、気になりますね。 また主人公の母親のカットが印象的です。この画がカットが示す意味は?気になりますね。 主人公、友人、母、姉、クラスメイト、彼氏の母、塾の先生、その先生の母、など女性が多く出てきます。韓国社会の中での女性のことを描いた映画でもあります。 1994年当時、韓国はすでに日常はハングルのはずと思うのですが、女子中学生が学習塾以外に漢文塾(漢詩)に普通に通っている。韓国文化の底に流れる「何か」を感じられます。 題名の「はちどり」も不思議ですね。はちどりは世界で一番小さな「鳥」です。「鳥」なのに花の蜜を吸います。 そして、小さな体で1秒間に80回も羽ばたく小さな「鳥」です。でも決して、か弱くない。 映画を見終わったあとに、この題名がなんとなくじんわりと解ってきます。 その3へ、つづく~。

追憶のオランダ(79)オランダの切手

子どもの頃熱中したものの中に切手の収集というのがあった。もっぱら、日本の切手だったが、たまに外国の切手を友達の間の交換で手に入れることがあり、どんな国なのか興味を持った記憶がある。 一度は熱中した切手収集だが、高校の頃にはその熱は完全に冷めていた。そして、それまでに収集した切手・ストックブックは本棚の片隅で長い休眠に入っていた。 それが、また再び日の目を見たのは子供たちが小学校に入るころだった。この年頃の子供はどうも興味を持つものらしい。仕事の関係で海外からの郵便物に貼られている切手をもらってきた。その頃は中南米・ヨーロッパの国々のものが多かったが、その個性的なデザインに心が再び動き、親の私自身も再び収集することになった。 そして、オランダに赴任。家族が来るまでの間の単身生活の間、休みの日にはあちこちで開かれているマーケットや催しなどを見て回った中に切手の市がロッテルダム市のセントローレンス教会の広場で毎週に開かれていた。その市に何度か足を運んだ結果、今度はオランダの切手を収集してみようということになった。大きな袋に入った封筒から切り取っただけの古い使用済みのものから、ある程度値段が張る古い未使用のものまで。また、いくつかのシリーズものに限定して探したりもした。貨幣価値があまり感じられなかった頃の出費だが、あとで思えば随分無駄遣いのようだった。さらには、1-2年前に発行された比較的新しいものは、郵便局に収集家向けの窓口が毎週金曜日だったか開かれていて、これは額面通りの価格でまとめて購入することができた。 しかし、家族が来て雑用も増えると、それまでの切手収集からは次第に遠ざかっていくこととなった。やはり、暇つぶしであったのか。それでも、新しく発行されるものだけは帰国直前まで定期的に郵便局に足を運んでは買っていた。そのなかで、タイルをモチーフにしたものが発行された時(実は、発行日は1998年1月2日、私の誕生日だった)、秘書の女性が「こんな切手が出たが知っているか?」と実物をもって見せに来た。私がアンティークタイルを収集していることを知っていてのこと。有難うと礼を言って、すぐ郵便局に直行した。下2枚の写真がその切手です。やはりオランダらしい。このデザインは「子供の遊び」の伝統的なモチーフのひとつ「逆立ち」です。

シンゴ旅日記ジャカルタ編(22)  日帰り旅行 その3 階段畑の巻

ボゴール植物園、タマン・ブンガ・ヌサンタラ(庭園)と続いた日曜毎の日帰り旅行の三回目は運転手さんに頼んで滝を見に行くことにしました。 彼が選んでくれた滝はジャカルタから東に車で三時間ほど行ったマジャレンカ県のセレメ(Cereme)山(標高3,078m)の麓でした。マジャレンカ県は運転手さんの出身県でもあるのです。 マジャレンカといえば今年5月に西ジャワ国際空港が開港したことで有名です。 滝はセレメ山の麓に登る途中にあったのですが、運転手さんはそこを通り過ぎて山麓の中腹まで車を走らせました。 セレメ山の頂上へは車で行くことができません。自動車で行ける道路がまだ出来ていないのです。 また、途中までの道路もつづら折りの狭い道で対向車に出会うと一方が停まって待っていなければすれ違いが出来ないほどでした。 滝を見に来たのにどんどん山道を車で登っていきました。 そして、標高1200メートルのところの茶店の横に車を停め、近くの見晴らしの良い丘に登ることにしました。上り口で一人5,000ルピア(約40円)の入山料?を支払いました。 細い畑の横の道を通って丘に登り、そこから見渡す景色は素晴らしいものでした。 急な斜面に作られた畑は畝が一列だけで、段々畑というより階段のような畑でした。 丘の上では家族連れ、恋人同士、友人同士など多くの人々が景色を眺め、写真を撮っていました。上から斜面下の駐車場を見下ろすと沢山のオートバイと数台の車が停めてありました。 みんなオートバイに乗ってあの急な坂道を登って来たのです。 私と運転手さんは360度見渡せるその丘の上で写真を撮りまくりました。 こんな急峻な山の斜面を耕して野菜を作るという人々の生活力に感動しました。 丘を下りる時は上りと違う道を通りました。その道は足で土を踏み固めただけの細道でした。 片側に竹で作った素朴な手すりがあり、足を滑らせないようにそれにつかまりながら下りていきました。坂道を下りて道路にでると脇に茶店があり、その横に停まっていたオートバイの後部座席の両側にカゴの中にはドリアンが一杯入っていました。 私が運転手さんにこれは買うことが出来るのかと聞くと、彼が茶店に座っているそのドリアン売りらしき人に聞くと、ここで売っているということでした。 それでその人に良く熟れたドリアンを一個選んでもらい運転手さんと二人で食べました。 ドリアンを食べ終わるとドリアン売りはもっと食べるかと聞いてきましたが、お腹が一杯となったのでもう十分ですと答えました。 そして、売店でペットボトルを買いドリアンを食べてべトついた手をその水で洗いました。 ちなみにドリアン一個は50,000ルピア(約400円です)でした。 ドリアンを食べたあと駐車場までの上りの坂を息を切らせて歩きました。 そして、朝来るときに素通りした滝を見に行くことにしました。 滝の駐車場に着いて入口で入場料を支払いました。ひとり15,000ルピア(約120円)でした。 滝を見るためには坂道を歩いて下りて行かねばなりませんでした。 最初は両側がキャベツ畑の緩やかな坂だったのですが、途中からコンクリートの階段となり急な坂道となりました。 私は運転手さんに「こんな坂を下ると帰りは大変だよ。まだ昼ごはんも食べていないし。」とぐちりました。急な階段を下りる途中で滝は見えたのですが、折角歩いて来たのだからと更に階段を下り、滝そのものの近くまで下りて行きました。そして滝の入口で1000ルピア(8円)の料金を払いました。 滝を見て、写真を撮り、駐車場へ戻ることにしました。上りの坂道は心臓にきついものでした。 私は休んでは深呼吸し、休んでは深呼吸して上っていきました。 コンクリートの階段を上り切り、畑の中の緩い坂道の途中で畑に種を蒔いている夫婦がいました。 私はそれは何ですかと声を掛けると、奥さんはわざわざ私の傍まで近づいてきて籠の中のタネを見せてくれました。それはキャベツのタネで、この地域では4カ月で大きくなるとのことでした。 この高原の村の家々はきれいなものでした。きっと高原野菜が年中取れて、ジャカルタなどに即日配達できるので収入が安定しているのであろうと思いました。 駐車場に戻り、私は運転手さんに『次は昼ごはんを食べよう、私は糖質制限中だからご飯は要らない、お魚とお肉と野菜が食べたい』とお願いしました。 それまでの高原の茶店や滝のお店ではカップヌードルや揚げ物ばかり販売していたので、食事をしなかったのです。車で麓に下って行く途中に展望レストランがありました。 朝登って来るときにそこで休憩しようと思いましたが運転手さんがまだ大丈夫ですと言ってそのまま通り過ぎたところでした。そこで私は鶏と魚の焼き物ともやし炒めを頼んで空腹を満たしました。 帰りの車中で私は疲れた足からサンダルを脱ぎ、シートに持たれ、眠りながら帰宅しました。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(101)ワテは運転手(新聞係)の巻

ワテは運転手でんねん。ご主人は日本人の社長さんですわ。 その社長さんが来られたばっかの時に言わはったことがありますわ。 『私が(会社で)仕事をしている時は、あなたは仕事(運転)をしていません。あなたが仕事をしている時は、私は仕事ができません。』 そんなん言われても困りましたで、運転手やもん、しょうがおませんがな。 けどな、今は違いまっせ。その時からスタッフが増えましたんや。 今は事務所の二階の天井の低い部屋で、社長さんと経理とワテの三人が座っていますんや。 前は、ちゅうか、日本人の若いお二人さんが来る前は、ワテは、朝、社長さんを乗っけて会社に行きますやろ、それから先、これといった仕事がおませんでしたんや。 社長さんの送り迎えの他は、経理が銀行や役所に行くときに車を運転しまんのやけど、後は社長さんとワテの昼食を買いに行く時くらいしか用がおませんでしたんや。 そんで、会社に行って、ワテにとっては針の山に座るような朝の打合せが終わると、ワテは会社でとってる新聞に目を通すのが日課みたいなもんでしたんや。 その新聞読みが、今では仕事のひとつになりましたわ。 社長さんがワテの仕事にしてしもうたんですわ。 『あなたは事務所では新聞を読むことが仕事です。そして大きな出来事が載っていたら、私に教えてください』って言わはったんでっせ。 そんなん、社長さん、ご自分ですることやないのかなあ。 それに、今では新聞を読むことの他に、事務所にいるときは経理のファイリングなんかもワテの仕事になってまんねん。 新聞を読む仕事は結構、社長さんに報告事項があるんでっせ。 プネのダムの水位が下がってもうたとか、Kingfisherが借金で首が回らんとか、前の日に社長さんが通ったムンバイ――プネの高速道路で5台の車が衝突して5人死にはったとか、毎日報告する出来事がありまんのや。 ワテな、最初のページはあんまり、ちゅうか、まったく読まんのですわ。 ホンマのこと言うと政治や経済ってようわからんのですわ。 社長さんは、地方の州の選挙結果とか、中央の党と地方がどうゆう関係にあるとか、今年の予算はどないやって聞きはりますけど、ワテはあんまり関心がおませんのや、ようわからんのですわ。 ワテが最近報告して社長さんが関心しはったんは罰金の記事ですわ。 プネ市がごみのポイ捨てなんかに罰金の支払いを取り入れたんですわ。 社長さんな、プネもシンガポール並みに、綺麗になるんやろかって言うてはりましたで。 でも、そんなん、無理ですわ。みんな守りませんで。 オートバイのヘルメットかて、一旦、かぶらなアカンことになったんやけど、すぐに守らんようになりましたがな。これって、みんなが強いんやろか、それとも市がエエかげんなんやろか。 そういえばこんなことがありましたわ。あれは社長さんが来はった二年前やろか。 社長さんと営業マンを乗せて、ワテがコラプールから運転してた帰りのことですわ。 運転するワテの横に営業マンが座ってましたわ。 すっかり夜も更けてましてね、もうすぐプネに入るかなちゅうとこで、営業マンが車の窓を開けたと思ったら、飲みかけやった二リットルのペットボトルを窓から投げ捨てたんですわ。 社長さん、びっくりしはって、営業マンを怒りましたんや。 『なんてことをするのですか?窓からペットボトルを投げ捨てるなんて。誰が掃除をするのですか?それに人がいたら危ないではないですか。』 営業マンな、キョトンとしてましたで、社長さんが何を怒ってはるのか意味が分からんみたいでしたわ。これからは、そんなことしたら、罰金になるんでっせ。わかっとるのかなぁ、あの営業マン。 朝の打合せで、これからは罰金払わなアカンのやでって言ったろかしら。 社長さんな、この前ラジャスタン州のジャイプールへの出張から帰って来はって、教えてくれましたで、ジャイプールではオートバイの運転手も後ろに座る人もヘルメットの着用が義務付けられたんやて。 久しぶりにジャイプールに行って町の景色を眺めていたら、何か違うんで、同行したメンテ担当に何か違わへんかって聞いたら、オートバイの運転手も同乗者もヘルメットをかぶることになったんやちゅうことですわ。ちゃんと守っとる町もあるんやなあ。なんでやろ、人の違いやろか、市の姿勢やろか。 話変わりまんのやけど、ワテは家ではパソコンやってますんや、その話を社長さんにしたら、ワテ用のラップトップを与えられて、Eメールアドレスも作ってもらえたんでっせ。 ワテにも事務所におるときは事務所の仕事をせいちゅうことですわ。 けどな、このラップトップな、ホンマはワテ専用に買うてもろたんと違いますんや。 この前、辞めはった顧問さんのんを、返してもろたんで、社長さんがワテに使えちゅうて言うたんですわ。そんで、最初にワテが打ったメールは、社長さんの出張のフライトを旅行代理店に申し込むことやってんです。フライトの予約は経理が担当するのやけど、経理はその日休んでおって、おらんかったんですわ。ワテな、ちゃんと社長さんにも代理店へのメールのコピーを落としましたがな。 そうしたら、社長さんが、それを読まはってな『Checkのつづりが違っていますよ。Cheakになってますよ。これがCheekやったら、ほっぺたのことですよ。Cheek danceって知ってますか』って言わはりましたんや。Cheek danceって日本語英語でっせ。それに朝から変なこと言わはる社長さんでんねん。ワテな、おかしいなあ、Checkはそんなつづりやったかなぁ、社長さんが間違っているのやないかって思ってましたんや。 そしたらな、次に社長さんから書類を渡されて、サービス売上の源泉税の支払い確認を税務署のネットから見てくれって言われましたんや。ホンマは、これも経理の仕事でんがな。 ラップトップもろても、あんまりいいことないなって、ちょびっと思いましたわ。 そんで、その、ネットからの確認を、どうやってすればエエのか知らんかったんで、休んでる経理に電話して、うちの会社のパスワードなんかを聞いて教えてもろたんですわ。 そのネットからの税金の支払確認は存外簡単なものでしたわ。 その時ですわ、書類にcheck ちゅう文字があったんで、社長さんに、合ってますよ、Checkちゅう単語のつづりは社長さんが言わはったんが正しいですよって報告したんですわ。 社長さん、そうやろ、私が辞書そのものや、これからは歩く辞書って読んでくれって言って、自慢顔してはりましたわ。 ワテな、英語を話すのは事務所で、一番に上手(うま)いんやと思うけど、書くのは苦手なんですわ。 インドの学校は、英語で授業する学校と、その州の言葉で授業する学校がありますんや。 ワテでっか、そりゃ、もちろん、英語授業学校ですがな。 ワテは、両親がチェンナイ生まれのクリスチャンで、家の中では英語使ってましたやろ、それに学校も教会系やったさかい、英語は問題ありませんのや。 経理でっか、彼はマラティー語授業の学校やったから、英語の授業は小学校の五年生からあったそうでっせ。 そやけど、ワテな書くことは苦手でんねん。 この前も、社長さんが毎朝提出する運転記録を見ながら『これはamですかpmですか、はっきり分るように書いてください』って言われたことがありましたわ。 その日は、まだまだ、事務所のお仕事がありましたで、経理が休んだからでっせ。 社長さんな、ちょっと銀行からのメールを転送するんでチェックしてくれって言わはったんでっせ。 またチェックでっせ。社長さん、チェックちゅう言葉好きなんやね。 何かと思うたら、海外からの入金確認連絡ですわ。 社長さんな、これを夕べ銀行からメールで受け取ったんやて。 うちの会社な、本社や国内のお客さんからの送金は時々あるけど、海外の他の会社からの入金はまずありませんのや。 社長さんが言わはることには、そのメールを読むと、バーレンから1万ドル以上の入金がうちの会社があるけど、その入金目的のコードは何やて書いてあるらしいちゅうんでっせ。 そんで、銀行の担当者に、そんな入金は無いけど、何かの間違いや無いかって聞いてくれって言わはったんですわ。いつもやったら、これも経理の仕事でんがな、明らかに。 けど、その日は、経理が休んでおったさかい、ワテがせなアカンかったんですわ。 そりゃ、ワテかて、うちの銀行の担当者の名前くらい知ってまんがな。 そんで、社長さんが転送してくれはったメールを、よう読むと、入金する会社の名前が、うちの会社の名前とよう似てるけど、まったく別の会社ちゅうことがわかったんですわ。 社長さんにそれを言うと、『そうですか、そうですか』ちゅうて、もう一回ご自分でメールを読んで確認してはりましたわ。 そんで、ワテな、銀行に電話して、銀行の担当者に間違ってまっせて、伝えたんですわ。 そうしたら、しばらくして、社長さんのメールに銀行から申し訳ないちゅうメールが入ったらしいですわ。 社長さんな、こんな簡単な間違いをインドの銀行はするんやなあって感心ちゅうか、呆れてはりましたわ。そして、入金するのはうちの会社ですって嘘つけばよかったかなぁて言ってはりましたわ。 社長さんな、これで、銀行にさらに不信感持ちはったみたいですねん。 ちゅうのは、何ヶ月前にな、ニセ小切手の事件があったんですわ。 これな、おかしな話やけど、経理が展示会への展示機の輸送費用を、小切手でチェンナイの業者にクーリエで送ったんですわ。チェンナイはタミールナド州でっせ。 そうしたら、隣のケララ州の銀行で小切手の金額に一本余分に1ちゅう数字が足されて引き出されてしまったんですわ。何万ルピーやったかが十何万ルピーかになって落とされてしもうたんですわ。 銀行な、5千ルピー(7500円)以上の入出金があると、社長さんのパソコンにAlertちゅうて連絡がきまんのや。 そんで、社長さんは、それをそのまんま経理に転送してますんや。 すると経理は社長さんがエクセルで作った残高表に記入して銀行残高を確認してますんや。 けど、入出金連絡が来ても、それは金額と小切手番号だけで、どこに支払ったかの明細は銀行から来ぉへんから、それがブラインドスポットちゅうか、盲点でしたんやな。 経理な、いちいち、その引き落とされた金額がどこへの支払いかCheckしませんのや。 そんで、その事件が起きてから、社長さんな、経理にCheck(小切手)を発行したら、エクセルにすぐに記入しなさい、そして銀行から出金連絡があったら、金額をCheckして色をつけなさい。そうすれば、CheckがCheckできるやろって、洒落をいいながら指示してはりましたで。 それで、そのニセ小切手でんがな、これな、何で偽造されたかわかったかちゅうと、そうでんがな、本来の小切手の受取人が約束の日が過ぎて、やっとう待ってても、小切手が届かんちゅうで営業に電話してきましたんや。 クーリエで送ったんで、クーリエの会社に支払い先の業者に届けたかどうか確認しましたんやが、プネからチェンナイへはまとめて送っているんで、一件、一件の確認は取ってないちゅうんでっせ。 それにクーリエは小切手の金額の保証はせんちゅうものらしいですわ。 そんで、社長さんな、経理に銀行に文句言えー、その偽の小切手を取り寄せぇーちゅうて大騒ぎですわ。 そして取り寄せた偽の小切手は、元の金額やサインなんかを薬品できれいに消されて書き直されていましたわ。 社長さんの魚の骨のようなあのサインも、誰が見てもわかる違った魚の骨になってましたわ。 ホンマにあるんでんな、ニセ小切手なんて。簡単にできるもんなんですな。 新聞には、ようこの類の事件が載っておるやけど、まさか、うちの会社が被害にあうとは思ってもいませんでしたわ。 そんで、続きがありますんや、ちょっとしてな、銀行のお客様サービス係が、何にも知らんと、挨拶に来たそうですわ。 そんで、社長さんが対応して、お客様サービス係やったら、何とかニセ小切手の問題を解決して、責任取ってお金を返してくれって言わはったそうですわ。聞いた話やけどね。 それからですわ。社長さんは経理が銀行に行くたんびに、このニセ小切手の解決はどうなっておるんや、確認して来いって言わはるんです。 そんで、昨日もワテが経理と銀行へ行く前に同じことを言わはったんでっせ。 やけども、銀行は、毎回おんなじの、ちょっと待ってちゅう返事ですわ。 ええですな、銀行は、受取小切手は、すぐ入金してくれんし、送金する時には、あの書類出せ、この書類が足らんちゅうて、すぐにやってくれへんのに、問題が起こると、ちょっと待ってくれ、そんで、自分の責任やと分るとかんにんのメール一発で済ませますんや。 ワテかて、失敗したら、かんにんの一発で済すませたいわ。 銀行さん、かんにんで済むんやったら、お巡りさんがいらんのやで。アカン、インドでは、お巡りさんの方がもっと、かんにんだらけや。 新聞係りな、結構ええ仕事ですわ。 新聞読めて、お給料もらえてTwo birds with one stoneですわ。 丹羽慎吾

映画「はちどり」(韓国2019年)を観てのツブヤキ その1。

『映画に混ざる「カケラ」』 映画に限ったことではないと思いますが、人が生み落としました作品タチ(音楽、美術、文学、演劇、舞踊などなど)には、その時その場のなにがしらかの「カケラ」が混ざり込んでいる(映り込んでいる)ように感じます。 *「カケラ」(=欠片、一片、一端、薄片、断片、切れ端、微粒子などなど)。 もちろん、映画に描かれていること語られていることが全て正しいわけではありません。 でも、そこには真実の「カケラ」、創り出された時(時代)や場所(空気)の「カケラ」が混ざり込んでいます。それら「カケラ」は映画の作り手タチ、特に監督が見て観察した様々な何かの「カケラ」です。 映画ですと、その時(時代)その場(空気)を観てその場に居ないと脚本は書けないし撮れないように思います。映画監督は、社会(時代)を観察しないと出来ない仕事だから、その時代の「カケラ」が映画には混ざり込みます。 その「カケラ」は時には国家、民族、歴史、宗教、文化、民俗、価値観などなどを表すモノでしたりもします。 ある人は言います「芸術家の使命は観察が出来る人、観察をする人」。 映画作品を観て楽しみ、見終わった後に落ち着いてから自分の「眼」で「カケラ」を探してみましょう~(^-^)。 その2へ、つづく~。

追憶のオランダ(78)高速道路でコンボイに遊ばれる

ある時、高速道路を走っていて大きなトラックの一団に出くわした。二連になったものもいるし、これらのトラックはかなり大きいものばかりだ。そんなトラックの後ろについてしまうと、前が見通せないので、一刻も早くこの一団とは離れたかった。何とか何台かを追い越したもののまだまだ先がいるようだ。しかし、追い越し車線に入っても、すぐ前にも大きいのが立ち塞がっている。しかし、しばらく走っても退いてくれそうにない。真横には、当然壁のように大きい別のトラックが並んで走っているが、私の運転席からはトラックの運転手の様子を見ることはできない。トラックの方は高いところからこちらの動きがよくわかるようだ。後ろはと、ミラーを見るとすぐ真後ろまで大きなトラックがピタリと付いてきている。完全に雪隠詰めの状態が続いた。その間、スピードは100km以上出ている。そのうち、前にトラックが走行車線に戻るウインカーを出したので、前に出られるかと期待したのだが見事に裏切られた。さらに前にも別の大きいのが立ふさがっていて、状況は全く変わらない。トラックの運転手たちは、どうも仲間同士で連携して遊んでいるようなのだ。一台がそれほど長い時間道を塞いでいるわけではないが、ともかく数が多い。同じことを繰り返しながら一台ずつ躱しながら一番先頭に出るまで随分長い時間がかかったように感じた。逃げ場がない状態で、圧迫感をひしひしと感じながら、トラックの連中と同じ速度を保ちながら運転するのは非常に緊張した。おそらく、私の車以外にも、同じように遊ばれていた車もいたことだろう。

シンゴ旅日記ジャカルタ編(21)  日帰り旅行 その2 花公園の巻

インドネシアの草花が見たくなり、ボゴール植物園に行きましたが、そこは樹木が主体の植物園でした。それで期待したように沢山の草花を見ることができませんでした。 私は運転手さんに頼んで、どこかに大きな花畑がないかを調べてもらいました。 彼が紹介してくれたのがボゴールを過ぎプンチャック峠を越えたチアンジュール県にあるタマン・ブンガ・ヌサンタラでした。それでボゴール植物園に行った次の日曜日にそのお花畑というか庭園というか植物園に行ってみました。 そこは私の住むチカランからボゴール経由で110km、車で3時間ちょっとのところでした。 ボゴールを過ぎてプンチャック峠で標高をスマホのアプリで測ると標高1500m近い高さでした。 出発して二時間以上経っていましたので、峠のテッペンのレストランでコーヒー休憩としました。 屋外のベランダに立つと、吹き寄せて来る風が肌に冷たかったです。 休憩後に峠を越えて行くとそこは斜面となり、坂となった畑が広がっていました。 そして、峠からさらに一時間ほど走ると目的のタマン・ブンガ・ヌサンタラに到着しました この庭園は故スハルト元大統領の夫人ティエン・スハルトが1995年に作ったものです。 広さは23ヘクタールあり、様々な展示物があります。例えば、フランス庭園、バリ庭園、日本庭園、温室、バラ園、地中海の庭、ヤシの庭、花の絨毯の他、ウォーターパーク、迷路、恐竜、等々があります。入場料は一人40,000ルピア(約320円)でした。 入ってすぐの広場にはクジャクや白鳥を花で作った大きなモニュメントがありました。 広い庭園をどこから回るか悩みましたが、ボゴールの植物園の時と同様に、庭園の全体図を見て、 右回りに歩いて行くことにしました。 歩き始めて最初にあった建物はベゴニアばかりが集められた温室でした。 建物の入口で一人5,000ルピア(約40円)と言われお金払いましたが、もらった領収書に印刷されているのは2,000ルピアで、赤いスタンプで5,000ルピアと押されていました。日曜日は特別料金としているのです。 ベゴニアの温室を見終わって外に出ると、隣に日本園がありました。 和風の門から中に入って樹木の名前が書いてある立札を見ると、多くの樹木は中国、ブラジル、ヒマラヤそしてインドネシアのものでした。 日本園の中は日本庭園を模して池が作られ中には鯉が泳いでおり、橋も架かっていました。 紫陽花があったので、運転手さんにこれは日本原産だよと説明し、花の名前を書いたプレートを探したのですが見つかりませんでした。 日本園には池や、宍脅し、灯篭などが配置してありました 衣装を着せて写真を撮るコーナーがありましたが、その衣装はなんと中国服でした。 日本園をでてどんどん歩いていきました。広い庭園の中を無料のバスが走っていました。 しかし、私と運転手さんはそれに乗らずに歩いて回りました。 すると生垣で作った迷路があり、そばには四階建てのような塔が立って いました。 運転手さんが上に登って行って迷路を眺めようと言いました。 私はすでに歩き疲れ、お腹も空いてきていたので、階段を上って行くのが 億劫になっていました。 高い塔だからエレベーターがあるだろうとその塔に近づきました。 するとやはりエレベーターはあったのですが壊れていて使用不可でした。 私はちょっと疲れていましたが、折角来た庭園だからこの際、その塔に 登ってみようと決心し、二人で階段を上っていきました。 息を切らして最上階まで上って、下を見下ろし、迷路をバックに運転手さんが取るポーズをカメラに収めたり、高い位置から見える庭園の景色をパノラマで撮影したりしました。 塔の上で時間を費やしたあと等を下り、食事をするためにレストランを探しました。 庭園の中にはあちこちに小さな食堂はあるのですが、どこもご飯ものと麺類ばかりなのです。 それらは糖質制限中の私にはご法度の料理ばかりなのです。 私は炭水化物(デンプン)でなく、タンパク質豊富な魚やお肉が食べたいのです。 お肉が食べられそうな食堂に立ち寄ったのですが、ご飯が付く定食ばかりでした。 それで、その店の人にお肉や魚が食べられるレストランがありませんかと聞くと、その先の遊園地の中にあるといいました。 私たちはさらに歩いて行き、釣り堀を眺めながら食事ができるところで昼食を取りました。 食後はフランス園、バラ園、ダリア園などを見て回りながら入口に向かいました。 多くの家族が来ていましたが、目に付いたのはアラブの家族連れでした。 目だけで頭からすっぽりかぶるニカブを被った女性たちもたくさんいました。 運転手さんとあれでは自分の奥さんかどうかわからないのではないだろうかと冗談を言いながら歩いて行きました。ジャカルタ近郊にはアラブ人の人たちが住む一角があるそうです。同じイスラム教徒と言ってもアラブ人とインドネシア人は宗教に対して大きく違いがあるような気がしました。 食後に歩いたので二人ともちょっと疲れてきました。もう庭園散策を切り上げて帰ろうと言うことになり出口い向かって歩いて行きました。するとその庭園のシンボルになっている女神像があり、その前で女神像と同じポーズで写真を撮ったり、大きな花時計をバックに写真に納まりました。 とても一日で回り切れる庭園ではありませんでした。 そして、私たちは駐車場に戻り、来た道と違う道で帰ることにしました。 帰りはヤシ畑やゴム畑を通る山道で、少し麓に近づくと段々畑の見える 高台に出ました。 私は一軒しかない小さな茶店の横に車を止めさせ、 車から下り、また坂道を下りて段々畑の写真を撮りに行きました。 樹木に囲まれてあまり良い写真が撮れず、坂道を登って茶店に戻って くると、運転手さんが地元の年配の人とコーヒーを飲んでいました。 年配の人は近くにヤギの餌となる草を毎日山に取りにくるそうで、近くの オートバイの後部座席に刈り込んだ草が丸めて積んでありました。 年配の人に年を聞くと70歳でした。 私が元気でいいですねというと、彼は自分の歯が少なくなり、私の歯が 沢山あっていいですねと答えてきました。 年配の人と話したあと車に乗って走り出すと、運転手さんが先ほどの人 は私が田を見に坂を下りて行ったので日本人が土地を買いに来たのだ と思ったようですと話してくれました。 私は次の休みは滝のあるところに行きたいと旅行案内人でもある運転手 さんにお願いすると、わかりましたと返事が返ってきました。 その日アパートに戻ったのは夜の8時を過ぎていました。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(100)ワテは運転手(インド土産)の巻

ワテは運転手でんねん。ご主人は日本人社長さんですわ。 この社長さんな、年に何回か、日本に一時帰国されますんや。 そんでそのお土産を買うちゅうんで、この前の休みやった土曜日に、お供したちゅうわけですわ。 社長さんな、二年前に来られて初めて一時帰国しはった時は、サリーやら、パンジャブ・スーツをぎょうさん買って帰りはったんでっせ。 そやけど、ご家族の人からはそれらに興味を持ってもらえんかったんやて。 そんな、派手派手のモンを、誰も、よう着んちゅうのが理由やったそうですわ。 けど、娘さんたちが、友達にあげるちゅうて受け取ってくれたんやて。 そんで、この前帰った時に奥さんから、タンスの中にまだ残ってるモンが何着かあるって、聞かはったそうですわ。 その次の帰国の時はマフラーでしたわ。 お正月休みに帰らはったんで、絹や綿のマフラーが安いちゅうんで、これもまた、ぎょうさん買って帰らはったんですが、ご家族からの評価は前とおんなじやったそうですわ。 けど、マフラーを持ってなかった息子さんが二つもらってくれたそうですわ。 社長さんな、センスがないんですわ。 安ければエエ、ぎょうさん買えればエエちゅうタイプですわ。 なんせ、田舎育ちで、家族や近所の人、それにおじさん、おばさん、従兄弟が多かったんで、お土産は数で勝負する性格になりはったみたいですわ。 もっとも、社長さんな、自分のことを『日本の百円ショップ大好きおじさん』やって言ってはりますわ。 きっと、Penny wise and pound foolish(安物買いの銭失い)の典型でんな。 その次に、ぎょうさんお土産として買いはったんは食いモンでしたわ。 インド料理が日本では人気やちゅうんで、インドのレトルト食品を買って帰りなはったんでっせ。 いろんな種類のカレーや、炒めもんや、ベジやノンベジやちゅうて、会社の近くの商店の在庫がなくなるくらいに買って行かはったんですわ。そんで、これもアカンかったようですわ。 家族の人がインド料理や、エスニックやちゅうて食べてくれるかと思ったら、本場のインド料理は日本人の舌には合わんそうですわ。 このレトルト食品も、その次に帰国した時に、台所の隅にある箱にまだ残っておったそうですわ。 そやそや、去年は親戚にインドの映画が好きやちゅう子がいるのがわかって、インド映画のDVDや映画音楽をぎょうさん買って帰りはったことがありましたで。 そんで、会社にも持って行って若い子の人気取ろうと配ったけど、みんなそんなんイランちゅうて、断られたそうですわ。   社長さんな、そのほかにも、食後に口直しで食べるソーンフちゅうお砂糖でくるんだモンの詰め合わせとか、チャイのパックとか、甘いお菓子とか、ヒンドゥー教の宗教画とか、いろんなモンを買って帰らはったんですが、どれもこれも、家族や会社の人には喜んでもらえんかったらしいですわ。 そんで、空港でチョコレートを買ったり、バンコクでトランジットする場合には、空港の売店で香料とか、石鹸とか、仏像、唐三彩みたいな陶器のベンジャロンとかを買って帰らはるらしいですわ。 そりゃあ、そうですわな、インドのモンでせいぜい世界的に有名なんわ、ダージリン・ティぐらいなもんですわな。 そんで今回ですがな。 なんや知らんけど、奥さんからインド綿を買って来てくれって頼まれたそうですわ。 奥さんが知り合いにあげたいから縫っておらん、生地を買って来て頂戴と言われたそうですわ。 社長さんな、奥さんからインド綿の依頼が来る前は、石で作っった象で、体に穴が開いておって、その中にまた小さな石が入っとるちゅうやつを買ってこうと思ってたんやて。 しかし、石は重いし、前にシヴァ神のリンガを息子さんに買って、持って帰って、カバンを開けたら、真ん中の棒が割れておって、瞬間接着材でくっつけたそうですわ。 そんで、今度は何を買っていったらエエのか悩んではりましたんや。 社長さんな、火曜日の夜の便で帰ることになりましたんや。 そんで、その前の週の休みになる土曜日に買い物に行きたいって言わはったんですわ。 ワテにですわ、しょうがおませんがな、社長さんに、お付き合いするしか。 ワテが経理にエエ店がないかを聞きましたんや、そして、教えてもらったお店は狭い路地にあるんで車では行けませのんや。そんで、ワテが土曜の朝9時に社長さんのアパートにオートで行ってから、一緒に行きましょうって言いましたんや。   それに、金曜日と土曜日は社有車を車検に出してましたんで、どっちみち社有車では行けませんでしたんや。 この車検をする、せんについても、木曜日に社長さんとの間でちょっと、ひと悶着がありましたんやで。 ワテ      :社長さん、火曜日にムンバイ空港にお送りするんで、車を明日金曜日に車検に出します。 社長さん           :いつもどれだけの走行距離で点検に出しているのですか。 ワテ      :5千キロ毎です。 社長さん:前回の点検はいつでしたか? ワテ      :二ヶ月前です。 社長さん:そんなに、頻繁に点検に出すのですか? その度に部品を取り変えて、点検会社の言いなりにお金を払うのですか? ワテ      :仕方がありませんわ、1年間の保証が5千キロ点検をするちゅう条件ですさかいに。 社長さん           :ちょっと待ってください。   社長さんな、日本人社員の一人を呼びはって、なんか質問して、その社員の人が席へ戻って、しばらくして、また、来はって、社長さんになんか報告にしてはりましたわ。 そしたら、社長さんが、ワテに、点検をしなさいって言わはったんですわ。 後で、その日本人社員の人に聞いたら、社長さんから、日本での車を点検する走行距離を聞かれたんで、本社に確認したら、3千キロ点検をしてるって連絡があったんで、そう答えはったそうですわ。 そんでやわ、社長さんすぐにOKを出しはったんわ。   そんで、社有車を車検に出したもんやさかい、金曜日は日本人の社員さんはオートで帰る予定してたんやけど、間がエエちゅうんですか、いつも使ってるレンタカー会社の社長さんが先月の請求書を持って来たんで、その帰りを利用して三人さんがアパートに送って貰いなはったんですわ。タダですわ。 ワテですか。オートで帰りましたで。 けど、来週の月曜日と火曜日に休暇を取って、15日の独立記念日と合わせて5連休を取りよる経理が仕事を終わるのを待って、事務所のシャッターを降ろして、経理がロックした鍵を、ワテが受け取って帰ったんですわ。 土曜日ですか、社長さんには9時に行きますって約束してましたけど、社長さんの家に着いたんは、 10時ちょっと前でしたわ。 けど、社長さんな、前みたいに、なんで約束時間が守れんのやちゅうような、すねたような顔をしてませんでしたで。きっと、インドの時間感覚ちゅうのを会得しはったんやろね。 そんで、ワテが乗って来たオートに一緒に乗らはって、クリシュナ通りに向かったんですわ。   その日は、買いもんの他にマネーチャンジャーにも行くことになってましたんや。 社長さんな、今回はルピーを円に替えて持って行くちゅうんですわ。 ルピーが毎日、安うなっていくんで、心配にならはったんやろか。それともヘソクリやろか。 そんで、前の日の金曜日に、ワテがマネーチェンジャーに電話して、社長さんが円を買いたいちゅうてるでって言うたら、そんなら、先に社長さんの口座からインターネット・バンキング・システムを使って、送金してくれって言われましたんや。そうしたら、入金を確認して、その日のうちに円を持って行くって言われたんで、そう社長さんに伝えましたんや。 社長さんな、インターネットを使って送金したことがないもんで、ワテが側についておって、ID番号や、パスワードを入れて、いや、パスワード入れる時はワテは側を離れましたけどな、そうやって操作したんやけど、送金が出来んかったんですわ。 なんでかちゅうとね、インターネットで送金するには、パスワードの他に携帯番号登録を銀行に行って済ませておかなアカンかったんですわ。 けど、社長さん、その手続きしてませんでしたんや。 そんで、結局、小切手で支払うことになって、これもワテが小切手に支払い先と金額を書いてあげましたんやで。 そして、その小切手を金曜日にワテが銀行に持っていって、マネーチェンジャーが入金を確認してから、次の日の土曜日に円を渡すちゅうことになりましたんや。 長い話やけど、結局金曜日には円が貰えんで、土曜日にマネーチェンジャーのお店にワテと社長さんとで取りに行くことになりましたんや。   そんで、土曜日はお買い物と両替の二つのことをすることになりましたんや。 けど、ワテは車の点検が土曜日の夕方に終わるんで、社長さんとご一緒したあとに、車を取りに行かなあきませんでしたけどな。 そんで、インド綿のお店には、オートの後ろに社長さんと二人で座っていきましたんや。 社長さんな、朝から、うるさいんですわ。 社長さん           :おいおい、このオートは旧式の料金メーターですよ。 このメーターは金額を表すのですか、距離を表すのですか ワテ      :これは距離を表しまっせ。下の二桁がメートルで、それからが左の数字がキロです。 社長さん:そうですか、私はてっきり、金額を表すのかと思っていました。なぜなら、降りる時に、 いつも運転手さんがメーターを見てから、胸ポケットから取り出す表を見るので、メーターには旧料金が表示されていて、表で旧料金と新料金の換算をしているのかと思っていました。 ワテ      :ちゃいまんがな。あのー、運転手さん、料金表を見せてやって。 ちゅうて、ワテは社長さんに料金表をお見せしたんですわ。 社長さんな、そうやったんかって、料金表を見ながら関心してはりましたわ。   そして、背中をかがめて、オートの中から町を眺めて、あの古い建物は何や、この匂いは何や、あの人だかりは何やって聞きはりますのや。 そのたんびに、あれは、プネで一番古いアパートです。あれはオフィスです。この匂いは近くに魚市場があるからですって説明せなあきませんのや。 そんで、野良犬狩りの車があったんで、あれは野良犬狩りをしてるんですちゅうと、犬はどうなるのや、どこかの町に捨てるのか、ドッグショップに引き取ってもらうんかって聞かはりますんで、ちゃいます、殺して処分するんですって答えましたわ。   そんで、やっと、インド綿のお店の近くに着いて、社長さんがオートの代金170ルピーを払ってくれて、オートを降りて、お店に向かいましたんや。社長さんな、また、おしゃべりですわ。 ここは何回か来たことのあるとこやないか、あの古い市場があるとこやろ、あの大きな建物がそうやろ。この通りは前は、あっちから歩いて来たことあるで、この店は確か、お客さんの結婚祝いの食器を買いにきたとこやって言いながら歩かはるんでっせ。 そして、時々カメラを取り出しては、写真を撮りなはるんでっせ。 お店では、社長さんな、買うもんを決めておられんかったんか、生地もんと仕立てもんの両方を買ってはりましたわ。 お店の人にこれもエエですなって言われると、お値段を聞いて、安いとすぐに二つ下さいって言わはるんですわ。そんな主体性のない買い物する人おるんやろか。 社長さんな、今度の帰国でホームタウンに、お父さんのお墓参りに行くんやって、そんでお兄さんのお嫁さんや、妹さんや、姪っ子さんや甥っ子とさんのお嫁さんや、女性陣がようけおられるんやて。 […]