映画「はちどり」(韓国2019年)を観てのツブヤキ その4。

作品リスト:順不同、ジャンル不同です。※「」は邦題、()内の数字は日本公開年です。 「パラサイト 半地下の家族」(2019)、「1987、ある闘いの真実」(2018)、「タクシー運転手 約束は海を越えて」(2017)、「ペパーミント・キャンディー」(1999)、 「テロ・ライブ」(2015)、「シュリ」(2000)、「JSA」(2011)、「ベルリンファイル」(2013)、「黒金星」(2018)、「22年目の記憶」(2014)、「レッドファミリー」(2013)、「密偵」(2016)、 「アシュラ」(2016)、「犯罪都市」(2018)、「アンダー・ザ・ドック(二人の男)」(2016)、 「悪女」(2018)、「オールドボーイ」(2003)、「チェイサー」(2009)、「殺人者の記憶法」(2017)、「新感染」(2017)、「グエル漢江の怪物」(2006)、 「コクソン哭声」(2017)、 「グッバイシングル」(2016)、「ラッキーLuck-Key」(2017)、「母なる証明」(2019)、「国際市場であいましょう」(2015)、 以下は変化球的な作品です。 韓国製作の作品では無いものもありますが韓国の「カケラ」が見られるかも~。 「オクジョ」(2017)、「シンクロナイズドモンスター」(2016)、「スノーピアサー」(2017)、「ある優しい殺人者の記憶」(2014)←日本人監督のワンカメラ的な作品です。 それではまた~。 映画「はちどり」(韓国2019年)を観てのツブヤキは、 以上です。

追憶のオランダ(81)KLMからの手紙

読者の皆様は、以前に書いたイースターホリデーの話を覚えておられますか? これからがその「おまけの話」です。 私どもの初めてのイースターホリデーは、最後の段階で飛行機に危うく乗り損ないそうになるドタバタ劇がついていましたが無事(?)終わりました。実際問題、結果的には私ども家族は予定通りの便で帰国できたわけですが、その最終場面たるや楽しい休暇とは程遠いものであったことも事実でした。そこで、私としては一言だけは言っておきたいと、旅行代理店経由でKLM宛に簡単な手紙を書きました。決してクレームをしたわけではなく、事実だけ伝えたかったのです。要旨は、初めてのイースターの休暇は楽しんだものの、最後の段階でのオーバーブック騒ぎのためにせっかくの楽しい気分が一挙に吹き飛んでしまったことが残念だったと。 私自身は、これでこの件は一応終わったと、思っていました。 しかし、それから1か月くらいして、全く予期せぬことにKLMから手紙で返事が来たのです。そこには、せっかくの楽しい旅行を台無しにして申し訳ないという詫びる文章、から始まり、オーバーブックに関するIATA(国際航空運送協会)の規則とかいろいろ理由の説明などが丁寧に書かれていました。驚いたことに、3ページにわたる手紙の中に何度謝罪の言葉が繰り返されていたことでしょう。大体、西欧社会ではそう簡単に謝罪の言葉を使わず、事故の正当性のみを主張するものだとばかり思っていたので、それは意外なことでした。そして最後に、次回の世界のどの地域への旅行の場合でも、窓口でこの手紙を提示してくだされば家族全員のグレードアップを約束します、ということが書かれていたのです。 まさか、私の手紙にKLMからいちいち返事が来るとも思っていないし、さらにグレードアップを約束などとは信じられませんでした。しかし、それから約一年後一時帰国したときにその手紙の効果が窓口で確認でき、改めて驚いたのでした。買っていたエコノミー切符が窓口でビジネスクラスに!この約束は本当だったのです。 小市民の心をくすぐるKLM のサービスなのかどうか私は知りませんが、このようにIATAの規則で許される範囲でのオーバーブックをすることが航空会社の経営の効率化に役立っていて、他の航空会社もやっていることなんでしょうか。この手紙は、記念にと残しておいていたのですが、どこかに紛れてしまって今はちょっと見当たりません。

荻悦子詩集「樫の火」より「樫の火」

樫の火 空から うわの空へ 肉塊や果実を投げて ようやく七曜を繋げて来た 庭にある炉に古い樫の薪を入れる 二十年余り納屋に積まれていて 樫の薪には虫がつかない ひび割れているが 灰色の樹皮は剝がれていない 堅い樫は火力がある 火持ちが良い 長く燃える火で 落ち鮎を焼く 遠くから来た七面鳥を燻す 風に揺れる茅草のように 冬の水辺にそのようにと思いなし 失うものなど何もないとうそぶいた まやかしだったと その嘘も燃やす 樫の木はかって炭に焼かれた 樽や四角い櫃になった 桶職人の佐倉さんが泊まり込んで 桶や柄杓の柄を作ってくれた 佐倉さんはそのあと郵便配達人に転職し 毎日のように笑顔で庭に入ってきた 離れの土間には猟犬のパルがいた ビーグル犬と柴犬の混血だった 母がパルの食材を計るのを見て 私は心底驚いた 決った食事をしなくても 犬ならば生きて行けると思っていた パルにご飯が要るのと訊いて 母にひどく叱られた 日の当たる水辺に 茅草のようにと念じながら その茎に合わない洞を抱えた 十歳の冬のころ既にあった 虚 熱い炉の中 幹を縦に八つに割った樫が反る ひらりひらりと炎がゆらぎ 灰を散らさずきれいに燃える 夏には 母が熱中症で入院した 佐倉さんが見舞いに来て 枕元で腰をかがめて話をした 佐倉さんも老いていた いくら勧めても とうとう椅子に座らなかった 母は間もなく回復したが 佐倉さんが亡くなった 腹痛を訴え救急車で運ばれる時 掛かりつけの病院を望んだのが不運だった 総合病院へ行っていれば・・・・・・ 熱い炉に寄ってきて 隣人たちが交わす繰り言 憶測や 悔やみきれない悔恨を 樫の火で燃やす 空から うわの空へ 燻される肉の匂い 樫の火の煙 枇杷の花 戸を開けて 犬を放してやろう パルは石塁を駆け上がる 裏山に樫の木はもうない パルはすっかりビーグルに戻って 杉の森の暗がりに紛れてしまう 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

フランスあれこれ36~エルメノンヴィルの森(トルコ航空墜落事件)

古いアルバムで見つけた一枚の写真、子供がまだ5歳の時の遊園地での思い出です。 シャンティーの森の東に森続きと言える状態で拡がる33,000ヘクタールのエルメノンヴィルの森。地質はシャンティーと同じ砂岩系で、この森の中程にちょっとした砂丘「砂の海」(Mer de Sabre)があり、その一角に一大遊園地が出来ています。すぐ近くに池(Les Etangs)、があり、そしてそこから程近くに古い修道院(シャーリ修道院”Abbey de Charlis”)があります。 この修道院の創立が1136年、ルイ6世時代と言います。キリスト教(カトリック)の教示に従い修行を目的に農・工・水産の労働の下で共同生活をする、所謂修行場です。 18世紀に建て替えられましたが、この時古い教会の石材を利用したという事もあって、歴史遺産たるべき発足当時の面影は教会の一部の白壁だけとなっています。 1974年3月3日、この森で痛ましい事件が起こりました。トルコ航空981便(DC10)が墜落、乗員乗客346人全員が死亡しました。そのうち48名が日本人、そして私の会社(商社)とグループを同じくする銀行、保険会社などの入社内定者38名の欧州研修旅行の一行が含まれていました。 当日オルリー空港を東に向かって飛び立った後、パリを迂回して目的地ロンドンに方向転換した直後、機体後部の貨物ドアが脱落してバランスを失った。離陸後10分、高度3600mからの墜落だったと言います。場所は砂の海遊園地から西に約3kmで森のほぼ中央(やや南)。 私はその時は国内勤務だったが2度目の赴任をして暫くして遺族をお迎えしました。 これから社会へと言う若人のご両親やご兄弟の心情を思い心が痛みました。ましてやその時は十七 回忌の法要の一環、皆さんそれなりに歳を召され今回がグループでの参拝は最後と耳にしました。 墜落現場に集った時の皆さんの表情今も目に浮かびます。 現地に慰霊塔が経っています。現場付近で墜落飛行機の部品を拾い慰霊塔の前に捧げたのですがどなたかがお持ちになったのでしょうか、現場を立ち去る時にはなくなっていました。(その後も有志による遺族会が続いたようですが既に半世紀以上、現在は如何なものでしょうか。)  

シンゴ旅日記ジャカルタ編(23)  日帰り旅行 その5 温泉をはしごの巻

ジャカルタから日帰りで行ける温泉にできるだけ多く行ってみようと思いました。 私のインドネシアでの温泉経験は昨年の中部ジャワのグチ、バンドン近郊のチアテル、そして今年に入り訪れたスカブミ県のインド洋側のチソラックです。 他の温泉をネットで調べるとジャカルタから日帰りできるところが一杯紹介してありました。 それに載っていたボゴール近くのティルタ・サニタに行くことにしました。 しかし、今回の旅行は帰ってきてからもっとネットでの紹介をよく読んで行くべきだったと反省しました。というのは、ティルタ・サニタは温泉が一カ所でなく辺りに三か所ものの源泉があるとネットに書いてあったの、それを流し読みしたので一番奥の魅力的な源泉に行きそびれたのです。しかし、そのため時間が出来て他の場所に移動して楽しい旅行ともなりました。 朝8時にチカランを出て1時間半で目的地に着きました。 駐車場に車を停めて温泉への入り口を近くの人に聞くと、道路を挟んだ反対側にあると教えてくれました。それでそこに行き入口で入場料を払い中に入って行きました。 受け取ったチケットにはティルタ・サヤガと書いてありました。 ネットで調べたのはティルタ・サニタですので、私は違うところへ来てしまったのかと不安になりました。でも、温泉に入れるのであれば問題ないと思い、着替えを入れた袋を持って中に入りました。 入ってすぐに『Hot Spring, Tirta Sayaga』と書いた看板があり、その向こうには白い丘が見えました。 その白い丘は石灰と塩でできた丘でした。 そこは温泉地というよりも遊園地みたいでした。そしてまだ昼前でしたので訪れる人は少なかったのです。私と運転手さんは温泉を探して丘に登ったり、丘の回りを歩いてみました。 子供用のプールやセラピーと書いた建物はあるのですが温泉らしいものが見つからず結局白い丘の回りを一周しただけでした。 私は運転手さんにここは失敗だ、歩き疲れたので休憩したあとに他の温泉に行こうと言いました。 そして入口付近の売店で三位一体のインスタントコーヒーを飲むことにしました。 インドネシアのインスタントコーヒーですから粉が底に沈むまで待たねばなりません。 売店の前を歩く家族連れや団体の人たちが増えてきたので、売店のオヤジさんが店先でシャボン玉セットを実演して売り出しました。 私は運転手さんが近くの温泉をスマホで探している間にそのお手伝いをすることにしました。 スマホで調べていた運転手さんが別の温泉が駐車場の反対側にあると言ってきました。 それで休憩を切り上げて、駐車場へもどり、近くの人に聞くと、先ほどの公園とは反対の山の上に温泉があると教えてくれました。私たちはそこへ行くことにしました。 その温泉はグヌング・パンジャンで、売店と売店との間に挟まれた狭い入口で入場料を払うと側にFish Spaの生け簀があり、数人の女性客が水の中に素足を入れていました。 このFish Spaはほかでも見たことがあるのですが、私は試したことがありません。 そこのFish Spaは無料だというので運転手さんと試してみることにしました。 サンダルを外して足を入れるとフナのような小さな魚が私の足の爪から踵までに寄ってきました。 最初はあちこちをちょっと刺されるような痛みを感じましたが、慣れて来るとくすぐったくなってきました。足の古くなった皮を餌として食べているのでしょうね。申し訳ない気がしました。 片方ずつ足を入れてFish Spaを堪能したあと、そこを離れ丘の上に上っていきました。 するとそこには細い道を挟んで掘立小屋が立っていて、多くの人が休んでいました。 そしてよく見ると通路の横に岩をくり抜いた湯船が四つほどあり、そこから流れる湯がその下の池に流れ、さらに一番下の大きな池に流れ、その先は広く広がる田園風景になっていました。 私たちはで通路横に机だけ置いた場所で入浴料を払い、粗末な小屋で水泳パンツに着替え、一番上の岩の湯船に向かいました。運転手さんは私よりも先に湯船につかり先客二人と一緒に湯船のそこから泥の様なものをすくい顔や、体になすりつけては湯で洗いおとしていました。 二段目、三段目の浴槽というか池の湯の温度はほんのわずか温かいといった程度でした。 それでそこに浸かる気にはなれませんでしたが、そこから眺める田園風景は絵になるものでした。 浴槽から上がり小屋で着替えて、戻る途中に料金所で写真を撮り、丘を下りて駐車場に戻りました。 私は運転手さんにまだ昼前だから、遠くてもいいから別の温泉に行こうと提案しました。 運転手さんはまたスマホで探してくれて、そこよりももっと先に別の温泉があると言うのです。 それではそこへ行って昼食を取り、温泉に入ろうと提案しました。 次の温泉地へは田舎道ばかりを通った長いドライブで、途中で午後1時を過ぎてしまいました。 食事をしようにも麺や揚げ物の屋台のある狭い家並みは通るのですがレストランが見つかりませんでした。運転手さんにはお腹が空いたら好きなものを食べていいよと伝えましたが、彼は目的地まで行きますと言って運転を続けました。 道は次第に坂道となりどんどんと登っていくと温泉地らしいところに着きました。 するといつものように道路に料金所があり入山料、通行料などを支払いました。 その温泉地はボゴールのサラック山(標高2,210m)の麓の温泉国立公園内にあるものでした。 その日は日曜日でしたので、料金が休日料金となっていました。 私たちは温泉よりもお腹が空いたので、温泉への小さな入口を通り過ぎ、レストランらしきところを探して車を走らせました。 するとヴィラ風の建物があったので車を停めて、入り口で食事ができるかと守衛さんらしき人に尋ねるとできますということでしたので、中に入っていきました。 車を駐車場に置いてレストランがどこかを係の人に聞くと、入口横の事務所に案内され、女性担当者からノートに名前と電話番号、メールアドレスを記入してくださいと言われそうしました。 その係の女性がヴィラの案内は必要ですかと聞きましたが、私は食事だけで結構ですと答えました。そしてレストランに案内されましたが、お客さんは私たち二人だけでした。 メニューを見て食事を選び注文すると、運転手さんがトイレに立ち、席に戻ってくると外の景色が素晴らしいですよと教えてくれました。 それで私はレストランの人に外の景色を見に行っていいか尋ねるとその人はそのまま敷地内のヴィラのいくつかを案内してくれることとなりました。 そのヴィラは斜面を利用して広い土地のあちこちに立派な個室を持っていました。 また会社の会議や研修なども宿泊してできる設備も持っていました。 ヴィラでの食事は美味しいものでした、そして食事を終えてから目的の温泉地へ向かうために来た道を戻り、脇道の温泉への狭い道路に入り、さらに走った先に狭い駐車場がありました。 そこからコンクリートの急な階段を下りていくと途中に展望台のような ところがあり、山々の景色を眺めることがきました。 コンクリートの階段その段差が一律でなく歩きにくいものでした。 さらえにどんどんと下りて行きましたので帰りの坂道がしんどいものに なるだろうなと思いましたが、頑張って下りて行くと、大きな岩が 沢山ある川の中で多くの人が水遊びをしているのが見えました。 川沿いに温泉の水がパイプで引いてきてあり、頭から湯を浴びる 場所もありました。 私はゆっくり浸かれるところが無いかとあたりを見回すと、坂の上に幼稚園のプールのようなものがあり、子供たちが入って遊んでいるのが見えました。 その入口に料金所があったのでそこの人に、どこに温泉があるかを尋ねるとその子供プールを上ったところに温泉があるといいました。 私はまずそこを見せてくださいと料金を払わずに上がっていくと、そこもプールになっていて中に大勢の人たちが湯に浸かっていました。 その湯に手を入れてみましたが、あまり熱くはありませんでした。 プールの横には建物がありその中には個室のバスがあるようでしたが、私はもう帰る時間も気になり、お湯に入る気分も失せていましたので入り口で待つ運転手さんのところに戻りました。 そして彼に川の上流に掛かっている橋から向かい側に渡り、下流に掛かっている橋でこちら側に戻ってこようと伝えました。 川に掛かる橋は歩けば揺れるような橋で、また川の両側の売店兼休憩所は遠くから眺めると昔の日本の湯治場のような風景に思えました。 川から駐車場へ戻るコンクリートの坂道は予想通り私には堪(こた)えました。 時には運転手さんにタオルの端を持って引っ張ってもらったり、休んでは深呼吸し、休んでは深呼吸をしながら上っていきました。 インドネシアの温泉も駐車場から温泉場へのアクセスや湯に浸かる設備が早く整備されればいいなと思います。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(103)ワテは運転手(耳鳴り)の巻

ワテは会社の運転手でんねん。ご主人は日本人の社長さんですわ。 社長さんな、最近耳鳴りがひどいちゅうんで、ワテが病院を紹介しましたんや。 プネで一番のエエ病院ですんやで。 Ruby Hall Clinic(www.rubyhall.com)って言いますんや。 ワテが昔、肩の骨を外した時や、ちょっと前にKidney Stoneで面倒見てもらったり、それに、去年、営業マンがバイクからコケた時も連れてきた病院ですわ。そやそや、社長さんの前任者もゴルフで腰が痛いちゅう時も、お世話になったんでっせ。 そこの病院に、ワテの姉さんの旦那さんがX線の技師で働いてまんのや。 ワテの紹介やったら、待たんで、すぐに見てもらえまんのやで。 そんで、火曜日の夕方、会社終わってから社長さんとその病院に行ったんですわ。 ワテはちゃんと義兄(にい)さんに前もって連絡取ってましたがな。 6時半ちゅう時間ですわ。Ruby Hall Clinicな、24時間営業の病院なんですわ。 お願いした耳のお医者さんは夕方4時から8時勤務なんですわ。   そんで、E.N.T.の待合室に行きますとな、ちゃんと義兄さんが来て、待ってくれてましたんや。 普通なら、予約して一日かかるんやけど、ワテらは、ちょっとだけ待つだけですわ。 そやそや、E.N.T.って分かりますやろ、Ear、 Nose & Throatですがな。 なんでも、日本では耳(じ)鼻(び)咽喉(いんこう)って言うそうでんな。 なんで『みみ、はな、のど』って言わへんのでっか。 日本人やのに中国の発音するのがかっこエエみたいでんな。   そんで、ワテらすぐに呼ばれたんですわ、ドクターに。 入って行きましたがな、部屋に。一緒ですわ、ワテも義兄さんも。 そんでね、お医者さんから、いつからや、どんな具合やちゅう、質問があって、器具を使って、耳の中を見たあと、ドクターが隣の部屋に行って何か持ってきましたんや。 あれっ、見たことあるわ、たしか、学校の音楽室や。Tuning Forkや、音叉やおまへんか。 ドクターな、音叉をコーンと机で叩いて、社長さんの耳の穴に当てて、聞こえるかちゅうて聞きましたんや。社長さんな、聞こえますって答えましたわ。そりゃ、そうやろな。 そしたら、今度は、コーンと叩いて、社長さんの耳の後ろにあてましたんや。 聞こえるか?聞こえません。でっせ。 その次はコーンと叩いて、社長さんが坊主にしはった頭のてっぺんに立てましたんや。 そんで、どっちの耳からやちゅうと、社長さんが、左の耳からですちゅうて答えましたわ。 検査はそんで終わりましたんや。 部屋に入ってから、5分も掛ってないんとちゃいまっか。 次の患者さんが、もう部屋に入って来て、椅子に座って待ってまんのや。 普通は外で待つんと違うんかなあ。 帰りがけのドクターとの会話ですわ。 ドクター  ;何歳ですか? 社長さん :60歳です。 ドクター  :原因はage and nerveです。 ここに書いた薬を寝る前に飲んでね。 そんで、今日は時間がないから、出来んけど、明日に聴力検査に来てね。 それでおしまいですわ。社長さんな、Age(加齢)は分かるけど、Nerveって何やって、ドクターにしつこい位聞いてましたで。 ワテが、そりゃ、神経でんがな、血管でんがな、ちゅうて説明したんやけど、納得できんみたいやったですわ。 外へ出ると、社長さんな、音叉を頭に乗せられたときは自分がギターになったような気分になったって言ってましたわ。 そんで、薬局で薬もらうとね、5粒で6ルピー(9円)でしたわ。 ドクターの検診料は500ルピー(750円)でしたんやで。 社長さんな、こんな6ルピーでもうかるのかいな、領収書の紙代にもならんのやないか、ホンマにこの薬は効くんかいなって言ってましたで。 そして、最後には、さすがジェネリックの国やちゅうて感心してはりましたわ。 そんで、車に乗ってご帰宅ですわ。 でも、明日はワテは営業マンと二泊三日でコラプールに行くことになってましたんや。 そんで、社長さんに、義兄さんの携帯番号を紙に書いてあげて、明日、10時半に病院に行ったら、義兄さんに連絡して、検査を受けてくださいって言ったんですわ。 社長さんな、一人で行くのは不安やて言わはりましたんや。 そんで、明日は、うちの会社でしょっちゅう使っておるレンタカー会社で、社長さんも、顔見知りのジャヤンさんが来るよってに、彼にも義兄さんの電話番号を教えておきますんで、病院へジャヤンさんが連れて行くさかい、大丈夫ですよって伝えましたんや。 そんで、次の日ですわ。水曜日の朝でしたわ。 ワテは営業マンと朝の5時にプネを出て、コラプールに向かってましたんや。 8時半ころに社長さんから電話が掛かってきましたわ。 社長さん :おはよう、今日の運転手はジャヤンさんではありません。彼の弟です。 その弟は田舎から一ヶ月前に出ていたばかりで、英語が十分に話せません。 今日の私の病院での検査は、あなたがプネに戻って来てから行くことにしましょう。 来週でも構いません。あなたの義兄さんに今日はキャンセルするように伝えてください。 って言わはったんですわ。しょうがおませんわ。その旨を義兄さんに電話しましたがな。   そんでワテは翌日の木曜日の夜にプネに戻ったんで、金曜日の朝に社長さんを迎えに行きましたわ。 そんで、社長さんに病院での耳の検査はいつにしましょうって、聞きましたらな、いつでもエエよ、っていわはるんで、すぐに義兄さんに電話したら、明日の10時半からならエエよって返事でしたわ。 そんで、翌日の土曜日ですわ。 その日は半ドンやのうで、全休の土曜日でしたわ。 社長さんには朝10時に迎えに行きますって言ってましたけど、例によって遅れて、10時20分ころに迎えに行って、そして病院に行きましたんや。 E.N.T.の待合室には、また、義兄さんが来てくれてましたんや。検査まで、時間があるちゅうんで、ワテと社長さんはCoffee Shopでコーヒーとパンの朝食と取りました。 そして、待合室に戻ると、検査室に入ることができました。 検査室は狭いとこでしたわ。 でも、ワテも義兄さんも社長さんと一緒に入りましたわ。 耳の検査やさかい、音がせんようにサンダル脱いで入るんでっせ。 検査する人は女のひとでした。社長さんは狭い部屋に入れられてヘッドフォンをかけられて、音が聞こえたら手を上げてって言われました。 社長さんが、その時に、右の耳で聞こえたら右手、左の耳で聞こえたら左手を上げるのかって聞いたんやけど、女性検査官は、右手だけで結構ですちゅう、つれない返事でしたわ。 その狭い部屋に小さな窓がついてて、そこから中の様子がわかるんですわ。 部屋の中から、その窓を通して外を見ると、暗ろうて、あまりよく見えんみたいでしたわ。 そして、なんや、女性検査官は機械見ながら操作してましたわ。 ワテらには社長さんの様子が見えんかったよってに、何してはるのか、ようわかりませんでした。 検査が終わって、社長さんが狭い部屋から出てくると、検査官はなんやら書いた書類をみせて、加齢やなくて神経です、この書類をドクターに渡して、診断してもらってくださいと言わはって、終わりでしたわ。そんで、待合室に戻って、義兄さんが受付でドクターの都合を聞くと、午後4時に来てくれとのことでした。社長さんは、今日は土曜日で、メイドが来て部屋を掃除するけど、それは2時ころからで4時には終わってるから大丈夫やちゅうことでした。そんで、一旦帰って、出直すことにしましたんや。 義兄さんにお礼を行って一旦社長さんをアパートに送りましたわ。   そんで、4時にまた、社長さんをお迎えに行って病院に行きましたわ。 車の中で社長さんが、これを義兄さんに渡してくれってお札をワテにくれたんですわ。 要りません、要りません、必要ありませんって答えたんですけど、社長さんは、あかん、是非とも受け取ってくれって言わはったんで、ハイ、確かに義兄さんに渡しますってワテは受け取りましたわ。 車を駐車場に置いて、裏口から入っていくと、守衛所みたいなところにシーク教徒が二人立ってましたんや。社長さんが、あの二人は頭に怪我してんのとちゃうかいうて冗談を言わはりますんや。 そやかて、二人とも白いターバンを巻いて立ってましたさかいにな。 E.N.T.の待合室へ行くと、しばらくして、義兄さんが来てくれました。 義兄さんは、この一階の入り口付近が仕事場なんですわ。今日は手術がのうて暇そうでしたわ。 義兄さんが受付で聞くと、ドクターは別棟で手術中とのことでした。 そんで、三人でCoffee Shopで時間をつぶしましたわ。 社長さんは義兄さんに、X線技師ってどんな仕事ですか、週に何回ぐらい手術に立ち合うのですか、この病院はインドのほかの町にも支店があるのですか、ベッド数はいくつくらいですか、心臓の検査もしてくれるのですか、なんていろいろ聞いてはりましたわ。 おしまいの方では、日本のことわざに『歳を取って耳が遠い人ほど、長生きする』っていうのがあるんで、ワシも長生きの口やろなって言ってはりましたわ。 5時になったんで、待合室に戻ると、まだ、ドクターは手術中らしゅうて、待たされましたんや。 義兄さんが手術室に電話したり、終いには手術室を見てくるちゅうて行ってしまいましたわ。 社長さんは待合室の壁にかかってる、ドクターの名前や勤務時間を面白そうに見てはりましたわ。 ワシを診てくれてるドクターはどの人や、ドクターたちの勤務時間が不規則なんは、どうしてや、副業でもしてるのかって、ワテに聞くんですわ。 そうなんですわ。この病院は私立病院やさかい、お医者さんが自分の病院と掛け持ちなんですわ。公立はあきませんで、その病院以外でお仕事ができませんのや、それに公立の方は給料はグーンと安いんですわ。サービスも悪いんでっせ。 そりゃ、来る患者が貧しい人ばっかやからですわ。   […]

映画「はちどり」(韓国2019年)を観てのツブヤキ その3。

先に投稿しましたその1、その2をあらためて読み返してみたら、あれ?誤字脱字が!あれ~です。 鳥のハチドリの羽ばたき、毎秒は80回ですね(^-^)。それでも凄まじい。 主人公の女子中学生の気持ちは、80万回羽ばたいている感じなんです(^-^)。 韓国映画は、甘いモノ(ロマンス、ファンタジー、コメディなど)は、とっても甘く。辛いモノ(サスペンス、クライム、バイオレンスなど)は、とっても辛いです。と言う味付けのモノが多いかもしれません。 作品によって好き嫌いが別れることがあるように思います。 「はちどり」は、その中にあって淡々と流れるストーリーに惹きつけられ、あっ?と言う間の120分超です。 「はちどり」には見られませんでしたが、韓国映画での雨の映像表現、とっても気になってしまいます。雨の描き方には何か特徴があり、何か凶暴な意思のようモノを纏っている時があります。 また、地形の高低や坂にも意味を持たせているように感じます。生活や心の貧富の表現として巧みに使われていると感じるときがあります。 「パラサイト~」、「コクソン哭声」、「チェイサー」、「アシュラ」、「殺人者の記憶法」、「ある優しい殺人者の記憶」、「グエル」を見ると何となくわかります。 私は韓国映画をそんなに観ている方ではありませんが、過去に観ました作品で気になり記憶に残った作品を巻末にリストしてみます。R15、R18作品も含んでいます。 やはり、甘い作品はトコトン甘く、辛い作品はトンデモナク辛いです。DVDではなく映画館のスクリーンと言う非日常空間で観るのが本当は良いんですよね。 もし作品が意に反してグロテスクだったりエロチックだったり怖かったしても、映画館の暗転から解放され映画館を出て家路に就く途中で浄化され薄まっていくので自宅のなかに持ち込まなくてすんだりします~(^-^)。 映画作品を観て「わからない」と思うことや「わからない」場面があっても、「わからない」は否定的な意味ばかりではないです。 色調、映像、構図、音楽でも、それ以外のことでも自身の印象に残るものがあれば良いと思います。 韓国のエンターテイメントは「冬ソナ」や「愛の不時着」だけではない~。 その4へ、つづく~。

追憶のオランダ(80)バケツ入りの豆腐

またまた日本食材の話で恐縮だが、日本から生のままで運べないものがある。もちろん冷凍もできない。それは豆腐。海外で生活していて日本人はやはり豆腐が恋しくなるようだ。しかし、冷ややっこで食べられる豆腐を日本からそのまま取り寄せることは難しい。今ではそれも可能なのかもしれないが、当時は難しかった。そこで日本の食品会社が考えたのが、粉末の豆腐粉、これを使って本物に近い豆腐を作れるのだ。それともう一つが、牛乳パックのように紙パックに入った生の豆腐、これはパックをあけるとスルッと生の滑らかな豆腐が出てきて、十分冷ややっこでもおいしく食べられる。ということで、もっぱら豆腐粉による豆腐かパック入りの豆腐を愛用していた。 それがある時、友人経由耳寄りな情報が入った。本物の豆腐をオランダで、しかもロッテルダムの近くのパーペンドレヒトという町で作っている人がいるという。さっそく、試しにその友人に頼んで買ってきてもらった。届いたのは、4-5リットルくらいはあろうか、プラスチックのバケツのような入れ物に、白い豆腐がいっぱい入っている。 蓋を取った時から豆腐特有の大豆の香りがする。一目で、これは豆腐だと思った。 さっそくスプーンで掬って一口、やはり本物の豆腐だ。むしろ、日本でそれまで買っていたパックに入った市販品よりも本物に近いと思ったくらいだ。どんな人が作っているのか尋ねると、日本人ではなかった。なんと中国の人だとか。なぜ、このような日本の豆腐を中国人が作るようになったのか理由までは聞けなかったが、何度か友人に頼んでこの豆腐を買うことになった。しかし、何しろ3人家族には4-5リットルは多すぎる。いかに豆腐好きでも、毎食食べるわけではない。また、保存剤を使っていないこともおいしさの秘密である反面、日持ちがしない。一度は残してダメにしたこともあった。また、この人も注文を聞いてある程度まとまったらその時々に作っていたようだ。だからいつもほしい時に手に入るというものでもなかった。さらに、いつもいつも友人に頼むわけにもいかず、また近いとはいえ、豆腐だけ買いにパーペンドレヒトまで車を走らせるのも、ということでいつの間にか簡便なパック豆腐に逆戻りしていたのだった。でも、あれは確かに本物の豆腐だった。

シンゴ旅日記ジャカルタ編(22)  日帰り旅行 その4 サーフィンと温泉の巻

日帰り旅行の4回目はインド洋を見に行きました。 私の部下がインド洋でサーフィンを楽しんでいると聞いたので、私の前任地のインドと繋がるその海を見に行きたくなったのです。また、ジャワ海の方ではサーフィンが出来る波が起きないようです。 その日は朝7時にチカランを出発しボゴールを抜けスカブミ県に入り、長い山道を上り、下るとに港町が目の前に開けました。着いたのは11時ころでした。 長時間休憩なしのドライブでしたのでコーヒーブレイクにしようと入ったレストランにはフィルターで濾したコーヒーはなくインドネシアのコピ・ヒタム(Kopi Hitam=黒いコーヒー)しかありませんでした。 それで他の店を探しましたが、どこもコピ・ヒタムばかりでした。ホテルならドリップ式コーヒーが飲めるだろうとホテルに入りましたが、ホテルのコーヒーもコピ・ヒタムでした。 私はあきらめてあの口の中にコーヒーを挽いた粒々が入ってくるコピ・ヒタムを飲むことにしました。 休憩してホテルを出ると駐車場に同じ模様の入ったオートバイが数台並んでいて車体にはGogobliと書いてありました。そして、そのオートバイたちが一台一台と駐車場から整列して出発して行きました。私は車に乗り込んで運転手さんにあの一団はGojek(オートバイタクシー)のようなものかと聞くと、オンラインで化粧品や健康食品を販売している会社ですと教えてくれました。 ホテルを出る時に運転手さんがサーフィンをする部下の車の運転手に電話をしてサーフィンをする場所を確認しました。 そして、海岸線に沿って走っていくと、道路の真ん中に机を置き、両側に人か立ち車を止めていました。独立記念日の前になると村々ではお祝い行事をするための資金を集めるために道路を走っている車を停めて運転手から小銭を徴収することがあります。 私はその寄付集めかなと思ったら海岸の通行料30,00ルピア(約240円)を払う場所でした。 そのあと運転手さんは大通りから小道に入っていきました。 すると、そこには手動式の踏切のように錘のついた竹竿が道をブロックしていました。 それは竹竿の先に紐をつけ手で上げ下げするゲートで、そこで入場料を10,000ルピア払いました。 ゲートを上げてもらい細い道をさらに進んでいくと、海がみえました。 そして海に面した狭い駐車場があり、車が三台ほど駐車していました。車から降りて海を眺めると少し沖に10人くらいのサーファーが波に浮かび、大きな波を待っているのが見えました。 そこで、サーファーたちの波と戯れる様子を眺めました。 海岸の一角には「ゴミは持ち帰りましょう」とインドネシア語、英語、そして 日本語で書いたサーフボードが立てられていました。 海を眺めているとちょうど12時になったので、私たちはから食事に行くこと にしました。 海ですから美味しい海鮮料理が食べられると期待しました。 大きな道路に戻り美味しそうな料理が食べられそうなレストランを探しました。 そしてちょっとしたホテルのような建物を見つけ、入り口の人に聞くとレストラン があるというので車を駐車場に入れ、建物に入っていき、階段を上がり2階に 行くと、テラスから海を眺めながら食事ができところでした。 しかし、お客さんは私と運転手さんの二人だけでした。 料理を注文し、出て来るまで運転手さんと写真を撮り合いました。 料理が出て来るのに時間がかかるので運転手さんが二回ほど調理場に督促に行きました。 結局料理が出てきたのは注文して一時間経ってからでした。 料理中に運転手さんがこの近くに温泉があると教えてくれました。それで料理を食べ終わってからそこに行くことにしました。 レストランから出て海岸線を少し西に走り山の方に上っていき ました。するとまた道路上で通行料を払いました。 なんでこんな山道で通行料を払うのだろうと運転手さんに聞くと そこが温泉地への入場料だったのです。 売店が並ぶ駐車場に車には大型バスが何台も停まっていました。 私たちも車を停め、売店横の坂道を降りて行きました。 すると川から蒸気が吹き上がる光景が目に入ってきました。 川に近づいて行くと硫黄の匂いが鼻に入ってきました。 川の中では噴き上がる蒸気の回りで多くの人が水に浸かっていました。 しかし、川の水がちょっと汚れていたので私は川に浸かるのをあきらめました。 すると運転手さんがお湯に浸かれるところがあると言い、そちらを見ると温水プールの入口がありました。入場料は一人2,500ルピア(約20円)でした。中に入ると近くに大きなプールがありました。 私は海に行くためにとTシャツと短パンの着替えは持って来ていましたが、下着は準備していなかったのでプールに浸かることはやめました。 すると係のおじさんが奥にもっと熱いプールがあるよと教えてくれました。 それでは足湯をしてみようとそこに向かうと、すでに多くの人がプールの縁に腰かけていました。 私も腰かけて足を入れてみると熱くてとても2秒と浸かっていることのできない湯でした。 私は顔を上げてプールの対面を見ると座っている人たちが私の様子をみていました。 帽子を被った日本人か韓国人がわからない人物が来て、足湯をしているのが珍しかったのでしょうね。なかには私の方を見ながら自分は熱い湯に太ももまで浸かることが出来るぞとプールに足を突っ込んでくれる人がいました。すると回りからはやんやの声が湧き上がりました。 私の運転手さんはこうなることがわかっていたのか、早々と入り口近くの低い温度のプールに浸かっていました。私は彼を呼びに行き他のお客さんと一緒に足を湯に入れているところの写真を撮ってもらいました。そして彼にちょっと湯に足を入れてみてと頼むとその暑さにびっくりしていました。そしてまた低い温度のプールに戻って行きました。 私も足湯を終えて低い温度のプールで運転手さんが上がるのを待っていたら、マッサージをしませんかと呼びかけて来る人がいました。でも、どんなマッサージがわからなかったので躊躇していると、その人は「ちょっと試してみて、ダメでもいいですよ」と言いました。 近くにいた運転手さんも「まだ時間があるので、行って来て下さい」とすすめてくれました。 それで私はマッサージを試してみることにしました。 案内されたところはシャワールームにタイルの段があるところでした。 中にはおじさんがいて、ホースで温泉の湯を高圧で体に掛けて行くというものでした。 下着はつけたままでよいということでした。替えを持ってこなかった私はこれまた躊躇しましたが、帰りは下着なしで短パンをはけばよいと決心してマッサージを受けることにしました。 高圧のお湯が最初に足、そしてタイルの上にうつぶせで背中に掛けられ、それが終わると、湯の華のようなものを体に刷り込みながら湯を掛けてくれました。気持ち良かったです。 マッサージを終えると帰りの時間が気になったのですぐに着替えて帰途に着きました。 帰りは来た道とは違う道を通って帰りましょうと運転手さんに言いました。 そして私はマッサージの後の気持ち良さと車の振動で眠ってしまいました。 そして目を覚ますと辺りはすでに暗くなっていました。スマホで位置の確認をするとまだボゴールの手前でした。来るときは4時間かかっただけでしたので、もうとっくにアパートに着いている時刻のはずですが、運転手さんが道を間違えたようでした。 彼はしきりにスマホの地図を見ながら帰り道を確認していました。帰り道は違う道を通ろうと言ったのは私ですので文句が言えません。アパートには出発してから7時間後の夜10時に到着しました。 丹羽慎吾