追憶のオランダ(57)車社会

私はそんなに車の運転が好きな方ではない。子どもが生まれてから何となく車は持つようになったが、たまに近所を運転するくらいで、遠方と言えばゴルフに出かける時くらいだった。そのゴルフも、だれか便乗させてもらえる人がいたらお願いした。その理由は、ゴルフの後ビールを飲みたいからというだけのこと。また、日本は公共交通機関が結構網羅されているのでたとえ車がなくてもあまり不便さは感じない。特に、ハイムに住むようになってからというもの、駅が近いこともあり、なおさら車を使う頻度は減ったように思う。 オランダに住んでみて、やはり事情が日本とは大きく異なっていた。もちろん、公共交通機関はあるものの、生活そのものが車中心の生活だ。それはオランダだけに限らない。ちょっと、そこまでという買い物にも、車だ。ということで、私も赴任早々やったことと言えば、住む家の物色よりも運転免許の切り替えだった。車は定住する住まいが定まらないと購入は出来ないが、社有車は免許を切り替えさえすればできる。ともかく、車がなくては何も始まらなかった。 どこへ行くにも初めての所ばかり。これは当然のこと。しかし、初めての所へ簡単な住所だけを頼りに行くにも、通りと番地だけが分かっていれば、まずそんなに迷うことはなかった。日本だと住所だけで目指す場所を探すのは簡単ではない。何丁目という一定の広さのところにバラバラと番地が割り振られていて、あまり規則的ではないことが多いので、今のような便利なナビゲーションのシステムがなかった20年前なら、番地まで細かく入った住居地図がなければなかなかむずかしかった。しかも狭い道を地図を座席の横に置いて見比べながら家を探すのは大変だった。 それに比べてオランダだけでなくヨーロッパでは、すべての道に名前が付けられている。たとえ、袋小路のようなものにも一応名前が付けられている。まず、この点が日本とは大きく異なる。そして、その道の両側に、片方の側には奇数、反対側には偶数と順番に番号がふられている。したがって、全くの未知の土地に行ってもその通りさえ見つけられれば、後は番号を順に追って行くだけで簡単に目指す家までたどり着ける。 また、高速道路も無料だし、一般道路との接続がスムーズにできるよう合理的に設計されていて、たとえ出口を間違えてしまった時など、気がつけばすぐにまた乗り直しができるようになっている。日本だと、一旦降りてしまうと料金も別にかかるし、今度乗るためには一般道路を走り、入り口を探さなければならない。これも簡単ではない。やはり、日本は車社会になり切れていない感じがする。 そんなことから、オランダにいる間は車の運転があまり好きではない私も結構平気で出かけたものだ。ただ一つ経験する機会がなかったことは、ドーバー海峡のユーロトンネルをくぐって、左側通行のイギリスに車で乗り入れることだ。トンネルの中で左車線と右車線がねじれるようにして繋がっているのだと頭の中で想像していたが、これは違いだった。後でわかったことだが、列車に車ごと乗りこんで運んでもらうのだそうだ。 ここで、道についてのオランダ語を数えてみた。こんなのがある。カッコ内は英語。 Straat(Street)・Weg ( Way/Road )・ Laan (Avenue) ・Steeg ( Alley) ・Pad ( Path)・Baan(Path)など 。

シンゴ旅日記インド編(79)我輩は牛でんねん インドの祭りの巻

我輩は牛でんねん インドの祭りの巻 (2010年9月記) あんさん、なんか楽しそうに写真撮ってまんな。 そりゃ、今週からガネーシャ祭りやもんね、プネの一番大きな祭りやもんね。 写真のネタは一杯ありますもんね。 これから、それを見に行こうちゅうわけですか。 えっ、ちゃうってですか? エエ時に来たってですか? まあ、オレの、オレの話を聞けーってですか(どっかで聞いたことあるな、このフレーズ) そんで、何でんのん? えっ、この前の朝に会社に行く前にアパートのドアを強くたたくモンがおるんで誰やろうナー、チェンナイに帰っておった運転手が一日早よう帰ってきたのかなあと思ってドアを開けたんですか。 そしたら、いつも車を洗ってくれる子供が、二人でなんか寄付帳みたいなモンを見せて叫んでおったちゅうんですか、そんで言葉がわからへんからゆうて、ドアを閉めようとしたら、ちょっと待って、ちょっと待ってと言われて、手振り身振りでアパートで飾るガネーシャ祭りの寄付をくれって言うとることが、わかったちゅうんですか?ホ~ン。 そんで、あんさんが英語のわかる運転手が明日帰って来るから明日にしてくれゆうてもTwo Daysとか何とか言って立ち去らんかったってですか? ホ~ン、そんで、あんさんはこれが噂のガネーシャの寄付かと思ったんで、覚悟したってですか? そんで寄付するからその寄付帳を見せてくれ言うて、他の人がいくら払ったかを見たちゅうんですか、ホ~ン。 そんで、子供達は洗車料金と同じ300ルピーやと言ったけど、寄付帳どのページも100ルピーと書いてあったんで、それでエエと思って100ルピーを払ったってですか、ホ~ン。 あんさん、ケチでんな。そんで二人が帰った後に、受け取った領収書とも絵葉書ともつかぬガネーシャの絵を見とったらどっかでみたことあるなって思い出したんちゅうんですか? 何をですか?それは前任者から貰ったアパートの電話電気水道の領収書の箱の中に同じモンを見たことあるってですか? そんで、その箱を捜して、中を引っ掻き回して、領収書を見つけて、見てみたら前任者は300ルピー支払っておったってですか? あんさん、やっぱり、ケチやわ、そんなモン、思い切って払わないかんがな。 ガネーシャさんな、お金を持ってくる神さんやさかい、あんさんはケチなやっちゃちゅうて、お金を持って来てくれませんで。 えっ、まだ アパートのガネーシャ祭りの領収書続きがあるから聞けってですか? あんさん、今日は、ようけ、じゃべりなはるなあ。 そんで、その日に会社に行ったら、町内会みたいなヒトがガネーシャ祭りの寄付を集めに来て、会社の経理のヒトが500ルピー払ってエエかって聞いてきたんで、会社のお金やからエエヨゆうて払ったってですか? そんで、あんさんが、その金額は町内でどのくらいのランクやって、スタッフを通して町内会の集金のヒトに聞いたら、一番多い金額でチェアマンと同じだったってですか? 良かったやないですか、一番で。 でも、そのチェアマンって誰ですねん? 町内会長みたいなヒトやろってですか? エエ加減なヒトやな、あんさん。 えっ、そしたら、自分はアパートで100ルピー、会社で500ルピーやから全部で600ルピー払ったことになるからガネーシャさんがお金運んでくれるかなあ、ってですか? あんさん、500ルピーは会社のお金でっせ。 やっぱり、あかんわ、ガネーシャさんな、あんさんのことをきっと無視しなはるで。 えっ、それにしてもこの街はガネーシャ祭りが盛んやなあってですか? そうでんがな。このマハラシュトラ州ゆうたらな、ガネーシャさんのお寺が多いんで有名やがな。 そんで、毎年盛大にガネーシャさんの祭りがあるんでっせ。 今年はこの9月の半ばからでっせ。プネの町中がその祭りで盛り上がるんでっせ。 インド中からヒトが来まんのやで。 そんでみんなの家でもガネーシャさんの像を飾って川に流すんですがな。 いや、ちゃう、今は川が汚れる、カンキョウ・ホゴやゆうて川に流さへんのやわ。 町で飾る大きな像は一旦川に沈めるんやけどな、また川から引き上げて処分するんですわ。 そんで家で飾るちっちゃいガネーシャさんはな、町内で回収しまんのやで。 そんでな、ムンバイなんか、もっと豪勢でっせ。 海に流しますんやで、みんなして、一回見に行かはったらええわ。 えっ、そんでガネーシャさんて何やて? 知りまへんか?頭が象さんで体が人間の形した神さん? ほれ、見てみなはれ、あれでんがな、あそこの通りの両側に店がでてガネーシャさんを売ってはるやろ。 えっ、何ですって? なんか日本の年末のシメ・カザリやマツ・カザリを売っている風景みたいやってですか? 何ですのん、そのマツザカリって、我輩のニイサンのマツザカと関係ありまっか? それとも、お酒の名前でか、ニホン・ザカリ、キク・ザカリ、ナダノ・キイッポンちゅうて、オトンが昔な、ようけ飲まされたちゅうてましたで、それも一升瓶で。 そんで、お酒強うなったけど、インドに来てから、全然飲ませてくれへんもんで、さっぱりワヤや言うてまんねん。 そやけどあんさん、ガネーシャ祭りを見に行かんのでっか? えっ、会社のヒトが車では祭りを見に行けません、車を遠いとこに停めて何十分も歩いて行かなあかんし、夜は電気が点いてきれいやけど、危ないから止めたほうがエエって言ってるちゅうんですか? それに、今は豚さんのインフルが流行っておるんで人ごみは避けたほうがよろしいっててか? 残念やね。まあ、来年でも見に行きなはれ。 祭りゆうたらな、インドはな、8月の終わりからな、お祭りが続きますんやで。 8月の終わりのラクシャ・バンダンでっしゃろ。 それは何やてですか? ココナッツ・デイとも言われる祭りですわ。 今年は8月24日でしたねん。 男のヒトが腕に糸の紐飾りしてはるの見ましたやろ。 あれな女のキョウダイから男のキョウダイへ贈るんでっせ。 私を守ってくださいって意味なんやて。 何でも、昔な、戦争の時に姉妹から兄弟に私達を守って、勝って来てチョウダイゆうてな、組み紐を兄弟の手首に巻いて見送くったんやて。 その組み紐のことな、ラキっていうんでっせ。 ラッキーでんな。(あかん、このシャレ言わんとこと思ったけど、つい言ってしもたわ、けど、おっさんの反応ないわ、我輩の話を聞いておらんとちゃうか) そんで、ようけ巻いとるヒトと、何にもないヒトを見たってですか? そりゃ、ほんまモンの姉妹の他にもイトコやハトコがようけおるヒトもおるし、最近は一人っ子ちゅうて兄弟がおらんヒトもおりますがな。 そんで、その次のお祭りがガネーシャ祭りかって? ちゃいまんのやわ、そうあわてなさんな、その次はな8月30日から9月8日までキリストさんのオカンのマリアさんの生まれた日を祝う祭りがあるんですわ。 これなキリスト教徒さんの多いバンガロールやチェンナイで盛んなんや。そしてな、9月2日がクリシュナさんの誕生日でしたわ、可愛いかったでっせ、子供のころのクリシュナさん。 ほんまモンは見たことないけど。 そして大きいなってもな、モテたんでっせ。 彼女が一杯おらはってね。ヨメはんだけを愛してます我輩とえらい違いまんねん。 プネではね、町の角々でな、紐にセラミックの入れモン下げてな、みんなで組み体操みたいにしてな、その入れモンを誰が一番早よう取るか競争するんでっせ。 そんなモン簡単に取らせへんでゆうて、みんなで水掛けて邪魔しまんのや。 そんでその賞金がな、なんと、日本円で60万円も出るところがあるんでっせ。 その次のお祭りはな、9月11日からのイスラムさんの断食明けの正月や。イードル・フィトル言いまんねん。 インドはな、ヒンズーのお寺はオレンジ色の旗で、イスラムは緑色なんやで。 あそこな、奥にイスラムのモスクがあってな、表にヒンズーのお寺あるさかい、両方の旗が見えるやろ。 でもな、今な断食明けやろ、そやさかい、緑色の旗が多いんですわ。 イスラムのお正月な、これな毎年な、日にちが違うんやで。 イスラムさんな、お月さんコヨミがな。 我輩らの違うてな、毎年な、11日くらい少のうなっとるんでっせ。 イスラムは何で断食をするのかってですか? 何でもゴジラ、ちゃうわ、ヘジラちゅうて、イスラムの神さんのマホメットさんがな、メッカちゅう所に移る時の道中の苦労を忘れたらアカンでーゆうて断食するんやて。 それをな、イスラムの9番目のラマダーンちゅう月にするんやて、そんでラマダーン明けの正月っても言うんやて。 今年はな、8月11日から断食してたんやて。 そんで来年は断食の始まりが8月1日になるんやて。 でもな、断食ゆうてもおヒーが沈んだら食べてエエさかいに、逆に食べ過ぎて太るヒトがおるんやて。 おかしな話しやわな。 ヒンズー教でも一杯断食があるんやで。 例えばな、あのガネーシャさんを祀ってるヒトたちな、毎月満月から4日目は断食日やゆうて、土の上に生えてるモンは食べへんのやで。 そやそや、イスラムのヒトやったな。 インドでもイスラムのヒト多いねんで、一割以上もおるんやで。 そんでな、ガネーシャさんのお祭りや。 えっ、お前の話があっちこっちに飛んでるってですか? そんなん言うてもな、インドな、この頃祭りが多いさかいいちいち説明しきれへんのでっせ。 そんでガネーシャさんの祭りや、これな今年はイスラムの正月と同じ11日から始まるんですがな。イスラムとヒンズーとな、暦が違うけど今年は何でか11日で同じでんねん。 その日は新月やがな。 えっ、9月9日は日本でも重陽の節句いうて祝っとるんですってか? それ新月とちゃいまんのやろ。 単なる月日のゾロメのゴロあわせでっしゃろ。 33、55、そして77の次でんがな。 中国のヒトは奇数が好きで、陰陽ゆうて奇数を陽にして一番多けな数字が9やから重陽っていうんですやろ。 よう知っとるなってですか? そんなん、インドの吾輩ら牛族の常識でんがな。 そんでな、ガネーシャさんの次がドゥルガー祭りで、そんで次が一番有名なデワリやわな。 […]

新加坡回想録(39)カラオケ

上司からシンガポール転勤を告げられたのは、名古屋支店に勤務中の時でした。航空券を手配してくれる総務部の女子社員が「シンガポールってマレーシアだったわよね?」というほど一般の日本人にはまだそれほど馴染みのない国でした。 その6年前に大阪から名古屋に転勤する頃からカラオケが大流行しており、名古屋支店のお客さんたちも連日のように夜遅くまでカラオケに興じていました。そんな状況の中に飛び込んでいったので、私自身もその波に飲み込まれていきました。夕方、5時頃になると得意先がふらっと事務所に現れ30分程よもやま話をし、最後に来月分の契約を決めると、「さあ、飯でもいこまいか!」となります。食事の後は、当然のごとくカラオケに行こうと誘われ、女子大小路の夜に繰り出すのです。 転勤して間もない頃は出来るだけ早く新しい職場に溶け込もうと懸命になっていたこともあって誘われれば断らず、家庭のことも顧みず毎晩のように午前様になっていました。若い頃フォークバンドをやっていたこともあって歌は昔から好きでしたので、よくもまあ毎晩毎晩飽きずにつづくなあと思われたかもしれません。しかし、~芸は身を助ける~ではないですが、得意先の社長や部長と早く親しくなるための仕事のつもりでした。 海外出張して初めて歌を歌ったのは、東マレーシアサラワク州シブにあるレストランでした。メーカー兼輸出業者である福建人経営の会社を訪問し、晩餐に招待された時にそこにいたバンドをバックに歌を歌えとねだられた時でした。まだ中国語は学び始めていませんでしたが、いつか役に立つだろうと覚えていた「榕樹下(北国の春)」を歌うとこれが受けました。 それまで、彼らに対して「你好」も言ったことがなかったのに、いきなり中国語で歌いだしたので驚いたのでしょう。そしてご存知の通りこの歌は千昌夫の大ヒット曲で、中国でも東南アジアでも結構知られていたようです。だから、バンドに歌の題名を言うとすぐさまOKと言って前奏を始めたことでもその人気ぶりがわかります。それからしばらくして、カラオケ機も導入されるようになりました。 その頃シンガポールでも当然カラオケは流行っており、日本でいういわゆるカラオケスナックはたくさんありました。日本ほど高くはなくたしかボトルがあれば20Sドルほどで飲めたと記憶しています。中にはテレサ・テンばりに「つぐない」を日本語で上手に歌いこなす女性がいたりして結構盛り上がっていました。私は日本でのオーバーワーク(カラオケも仕事だと思っていましたから!)のこともあったので控え気味でしたけど。 (西 敏)

追憶のオランダ(56)世界一短い挨拶

「あー」とか「おー」とかの感嘆詞でのコミュニケーションは世界中大体どこの国でもあると思います。これは言葉でのあいさつ・会話という以前のものです。 筆者がオランダに住み始めてすぐの頃、彼らオランダ人同士の会話の中でよく耳にする非常に気になる言葉(言葉というよりこれも感嘆詞のような感じだった)がありました。それは、どう聞いても「ダー」としか聞こえません。ある時、何を言っているのか訊ねて疑問は氷解。彼らは「Dag!」と言っていたのです。特にお互い別れ際に、必ずと言っていいほどそう言っているのでした。要は、英語流に言えば「Have a good day!」の最後の「Day」の部分だけ言っていたのでした。英語のDayは、オランダ語でDag。日本語表記にするのは難しいのですが、あえて書くと「ダーツハ」なのです。数回前の「ヒートホーン」でも少し触れましたが、この最後の「G」のオランダ語の発音がとても厄介なのです。喉の奥を擦るような音で、同じゲルマン民族である隣のドイツ人などもなかなかこの音は出しにくいと言います。昔(今もそうかもしれませんが)、アントニオ猪木が「1・2・3、ダー」というのをくりかえしていましたが、まさにそんな感じですが、もっと軽く明るく言うのです。これは言葉が大幅に省略されてはいますが、立派な、もしかすると世界で一番短い挨拶(会話)の言葉かもしれません。たったの一音。 そして、このDag!は筆者が赴任した時の引継ぎを受けた前任者の一人息子(まだ1歳そこそこ)が、手を振ってさよならの仕草をすると「ダー」と声を出して言っていたのを思い出しました。日本語が喋れないこんな小さい子がオランダ語で挨拶をしていたのです。今、彼は20台後半の年齢になっているはずですが、オランダ語を忘れず話しているでしょうか。因みに、彼の父親は歴代の駐在員の中でもオランダ語が話せる数少ない御仁でした。  

シンゴ旅日記ジャカルタ編(1) ジャカルタを走る日本の通勤電車の巻

さあ、満を持してジャカルタ編の始まりです。第一回はジャカルタを走る日本の通勤電車の巻です(2017年11月・記)。 鉄道マニアでもない私がインドネシアの鉄道の駅に行き、列車の写真を撮ることになりました。 と、いうのは東京に住む友人がインドネシアの通勤電車にJR東日本(南武線)で使われていた電車が再生されて運行されているので、その列車について書いて送ってほしいとメールがあったからです。 私もジャカルタ首都圏の通勤列車がどのようになっているかは興味を持っていました。 また、この10月に路線のひとつでジャカルタからブカシまでの路線がブカシから私の住むチカランまで電化され運用されることになりました。 そのニュースを知り、一度はジャカルタの通勤列車がどんなものかを見に行こうと思っていました。 ジャカルタ首都圏通勤電車網は日本のJICAにより1980年代に計画され、円借款により電化、複線化、信号システムの導入がおこなわれてきました。 当初は新しい車両を日本やドイツから購入し、一部は国産化していたのですが、1997年のアジア通貨危機により資金が不足したり、国産車両に故障がでたりしたときに、姉妹都市であった東京都から都営地下鉄の中古車両の譲渡がなされたのです。それ以来、日本の鉄道会社から中古(廃車?)車両を購入し、再生して運用しているのです。すでに1,000両ほどの車両があると言われます。インドネシアの鉄道はオランダ時代に敷設されていたので、その上を日本の車両が走っているのです。軌間は狭軌の1067mmです。 ジャカルタ首都圏鉄道は2008年に民営化されたインドネシア国鉄の子会社のボデタベック通勤電車会社(PT KAI Commuter Jabodetabek)が運営していました。 ジャボデタベックとはジャカルタ首都圏の総称でジャカルタ、ボゴール、デポック、タンゲラン、ブカシの各都市の頭文字を組み合わせたものです。そして路線網が拡大したことにより2017年9月から社名がPT Kereta Commuter Indonesia(KCI)となりました。 その拡大した一つがブカシ線です。 ブカシ線はジャカルタ・コタ駅からブカシ駅まで運行されていたのですが、今年10月にブカシーチカラン間の18kmが電化されたのです。 チカランの駅舎も日本の援助で立派なものになりました。 しかし、現在はまだチカラン駅までの全面開通は行われておらず、日に5往復のようです。 私はこのチカラン駅にはまだ行っていませんが、友人から開所式当日の写真を送ってもらいましたのでここで紹介します。 今回、私が見に行ったのはブカシ駅の方なのです。 と、いうのは会社の運転手がチカラン駅よりもブカシ駅の方が電車が多いという助言に従ったからです。ブカシ駅は北口と南口があります。私たちは駐車場のある北口に向かいました。 車を道路脇の駐車場に入れ、そこからオートバイがたくさん並んで置いてあるところを抜けて駅の切符売り場に着きました。切符売り場、自動券売機などが並んでいました。 私がホームで電車が見たいと運転手に言うと、彼がプリペードカードをポケットから出してこれで入ってくださいといいました。入場料は3500ルピア(30円)だと言いました。 チケットには何回も使えるカードと、一日払いのカードがあり、一日タイプは使用したあとに窓口で精算すると残金が払い戻しされるとのことでした。 マルチタイプが日本のようにチャージして使えるかどうかは聴くのをわすれました。 改札口は遊園地にあるバーを体で押して回転させて抜けていくものでした。 駅のホームへは線路を横切ればすぐそこなのですが、ちょうどその時に通過電車が来たため警備員が手を広げて制止したので通過電車を待つこととなりました。 ブカシ線はジャカルタからジャワ島の北部を通りチカンペック、チレボン、スマランを抜けてスラバヤに向かう720kmの北本線の一部区間です。 それでジャカルタからスマランやスラバヤを結ぶ中遠距離列車はブカシ駅に停車しないのです。 電車の通過を待って線路を横切ると、電車が二台というか二編成が停車していました。 これが東京を走っていた車両なんだと思うと少しうれしい気持ちでした。 JR東日本の南武線の車両がインドネシアの線路を走った時のエピソードがあります。 2015年の年末、南武線の205系車両が引退する最終日に乗車した大学生が着席して短時間眠った際にスマホを紛失してしまいました。どこを探しても見つからず諦めていたところ翌2016年の春、突然その大学生のフェイスブックにジャカルタから「スマホを預かっている」というメッセージが届いたのです。シートのすき間に落ちたスマホが車両ごと海を渡ってインドネシアに輸出され、その車両の点検をしていた技師が発見して連絡したのでした。 そんな話を思い出しながら、私は線路を横切って列車を見ることにしました。 私はホームに上がり、歩きながら客車を覗いたり、ホームで電車を待つ人たちの写真を撮りました。 私がブカシ駅に行ったのは土曜日でした。 電車が到着すると大勢の人がおりてくるので改札とホームをの間のを結ぶ通路は混雑しました。 停車している電車が一体何両編成なのかと車両ごとに数えて行きました。しかし車両をよく見るとドアの上のところにジャカルタに向かって先頭から1,2,3と番号が書いてありました。 一番最後の車両には10と書いてありました。 新しく到着した電車の中では床を清掃している人の姿もみかけました。 また駅のあちこちには多くの警備員がいてみなKCI(Kereta Commuter Indonesia)と書かれたヘルメットをかぶっていました。 私は最初の電車を見終り、反対側に停車している電車をみにホームを移りました。 その二台目の電車を見ている間に、最初に見た電車が出発し、少し経つと次の電車がそのホームに入ってきました。それで私は二台目の車両を観終わってから線路を渡り隣のホームに行きました。到着した電車の座席はきれいな色使いでした。インドネシアで交換したのでしょうね。 車内に入って歩いていると、車両の一番端の角に消火器が設置してあり、「綾瀬検車区」の表示が目に飛び込んできました。そして消火器から視線をあげて、車両の上部をみるとそこには「日本車両」と製作会社の銘板がそのまま残っていました。 もっと日本の痕跡がないだろうかと見てみようと、先頭車両に行き操縦席を覗いてみました。 するといくつかの計器の表示が日本語のままでした。 きっともっと日本語表示があるに違いないと思い、先頭車両からホームに沿ってあるきながら車両台車の部分を見ていくと、やっぱりいくつかの日本語表示が残っていました。 ホームを折り返してきてもう見学を引き上げようと、後部車両の前を通ると、今まで気が付かなかったのですが、窓ガラスには「乗務員室」の文字が浮かんでいました。 インドネシアを含むアジアでは日本の中古機械がまだ多くつかわれています。 道路では日本の運送会社の名前が入ったトラックが、工事現場では日本の工事会社の名前の入ったクレーンを見ることがでます。ある時、現地の人に日本の中古機械を使うのかときいたことがあります。答えは「日本でしっかり動いていたから新品よりも信頼ができる」とのことでした。 丹羽慎吾

シンゴ旅日記インド編(78)我輩は牛でんねんの巻 プネの町

あんさん、あんさん、こっちゃでっせ。またお会いしましたな。 そんな嫌がらんと、嬉しい顔して欲しいわー。 我輩だってこう見えても結構忙しんでっせ。 ワインギュウ・ハーフの会の副会長とか、若きコブ牛の会の副理事とか、、、 えっ、みんな『副』やないかってですか? そんで、我輩がそんな若い仲間の中に入っておってええのかですか? そんなもん、我輩が自分で若いと思っとったら、それが青春でんがな。 それでしまいでんがな。オトンみたいに昔は良かったと言い出したら、年取った証拠でんがな。ちゃいまっか? えっ、お前も結構、昔は良かったと、言っとるってですか?すんません。 えっ、何ですか、そんなんはええけどこの町はえらいオートバイが多いなあですって。 そうでんがな。プネちゅう町はな、世界でオートバイの数が一番ようけある町なんでっせ。 えっ、オートバイに乗ってるヒトが殆どへルメット被ってないのは何でやってですか?インドでもヘルメットを、ほんまは被らなあかんちゅう決まりですねん。 でもな、プネの人はそれを被ると前が見えへんゆうて、反対してるんですわ。 そんなこと許されるのかって。ええ、当然でんがな。ここはインドでっせ。 怪我したって、死んでもうても、そりゃあんさん、自分の責任ちゅうもんでんがな。 それにシーク教のシンさんたちな、あんな大きなターバンを頭に巻いてはるヒトたちやで、どないなヘルメットを被るんでっか? 大きなバケツ見たいなんを被らなあきまへんがな。そんなん売ってる店を知ってまっか?ヘルメットだけやおませんで。プネではな、オートバイのバックミラーを付けんのが流行りでんねん。 そやなぁ、オートバイの半分は本当なら2個あるバックミラーが1個しかないか、全く付けとらんちゅうわけですわ。どうしてか知ってはりまっか? 何でも学生がカッコいいちゅうて始めてから、それがみんなにワァーって広がって行ったちゅう話ですわ。 ええ、プネはな、有名な大学が多いちゅうて『インドのオックスフォド』とも言われるんですわ。オックスゆうても『マルバツ』やおませんで。これ、冗談でっせ。 えっ、あんさんの田舎では『マルバツ』やのうて『マルペケ』っていうんですか。 おもろいでんなぁ。ペケですか。ほんでも、やっぱ、牛に関係ありますやろ。 何でやてですか?OXでんがな。オス牛。 えっ、オートバイに3人も4人も乗っておるけど大丈夫ですかって? あんさん、全く我輩の話を聞いてませんね。 そりゃ、あぶのうおまんがな、すぐによけることできませんがな。 でもな、家族4人が全員オートバイで移動が出来るんでっせ。 子供が二人いてみなはれ、一人をうちに置いてく訳にはいかんでしゃろ。 可哀想でんがな。残されたボンが。 そやから、子供が3人おる場合は5人乗りもせな、しょうがおませんがな。 この国な、ほんまは『子供は一人で十分や』と、役人さんは言うてまんのや。 そんでな、ほれ、トラックの後ろに『WE TWO, OURS ONE』て書いてありますやろ。これな『わてら夫婦は二人や、子供は一人じゃ』ちゅうことでんがな。 中国の一人っ子政策とおんなじでんがな。 ただ英語にしただけでんがな。 えっ、昔、インドネシアでも街角の看板やコインにそんな表示がしてあったってですか、ホ~ン。 あんさん、なんやかんや言うて歩いておったら、町外れに来てしまいましたな。 えっ、なんですか、そうでんねん。 ちょっとこの前の時と周りの景色が違いますやろ。 モンスーンに入ってからな、草むらがモッコリ茂ってきたんですがな。 モッコリでっせ。我輩らにとって、この草むらは、雨の降らん時は、ヒトさんで言うたらな、ザル蕎麦かザルうどんみたいに味気なさそうな食べ物にしか見えんのですわ。 今ではな、見ててみなはれ、うっそうとおいしそうな草が茂って、ウナドン、カツドン、テンドン、オヤコドン、ギュウドンに見えまんのやで。 あかん、ギュウドンはあかんわ、共食いや。 まっ、そこらじゅう、牛肉の入っとらんドン、ドンだらけですわ。 つまり、あんさんが大きなスキ焼き、ちゃう、(間違うた、また共食いや)ブタしゃぶ鍋のお風呂に入っているようなもんですわ。 右を向いても、左を見ても、下を向いてもご馳走だらけのご世の中じゃありませんか、ってね。 そんでね、我輩らも、ようけ太りましたで。 えっ、他の動物の仲間はどうかってですか。 あんさんも話が飛びまんな~。 そりゃヤギさんや、ロバさんは喜んでまんがな。 犬さんは、あんまり喜んでませんわ。草を食べーへんさかいな。 豚さんはどうかって? どうやろな、あんまり仲がようないさかい、聞いたことありませんわ。 そういえばな、さっき豚さんの背中にな、鳥さんが乗って歩いてるんを見かけたんですわ。 そうしたらな、その光景になんとなく変なもんを感じたんですわ。 デジャブでもないんですわ。 鳥が豚の上に乗り、それを見る我輩は、牛ですやろ。 鳥、ブタ、牛。花札の絵柄でもないし、そやそや『ウィルス3兄弟』でんがな。 それに犬さんがおったら『ウィルス4兄弟』やね。 鳥と豚と犬のウィルスはヒトさんにようけ迷惑を掛けてまっしゃろ。 でもな、我輩ら牛のウィルスちゅうてもな、口蹄疫ちゅう病気はな、あんまりヒトさんに迷惑かけてへんのですよ。 そんでな、聞いた話やけどな、この前な、口蹄疫が日本で流行って我輩らの仲間が30万人、いや30万頭も殺されたんやて。 日本でも牛から豚さんに初めてウツッタいうてな、えらい大騒ぎやったそうですわ。 そんでな、我輩らの仲間の牛も豚さんも埋められたんでっせ。 埋める時にもな、そんな場所どこにするんや、場所があらへんいうて、これまた大騒ぎやったそうでんねん。 日本の役人さんの対応ちゅうんは、おっかないもんでんな。あきれまんな、全く。 口蹄疫っちゅうのんは、鳥や豚のアレ、アレ、インフラ、インフレ、ちゃうわ、そやそや、インフルと違いまっせ。 口蹄疫ゆうんは、読んで字の如くや、我輩らの口の中かヒズメの間に水泡が出来るだけですわ。 ヒトさんで言うならハシカみたいなもんでっせ。 口蹄疫に罹った牛の肉をヒトさんが食べても問題ありませんのやで。 そうやのに我輩の仲間をみんな殺して埋めてしまうなんて、日本の役人さんのインモウ、ちゃう、インボウに違いありませんで。 あかん、今日は、言葉がすんなり、出て来んわ。齢かなー。 そんでね、知ってはりまっか?『ワクチンを使わん国』ちゅうのを。 日本は『ワクチンを使わん国』にして置かなあかんのですわ。 一回なワクチンを使うたら『ワクチンを使うてる国』ゆうて格下げになるんやそうですわ。 『ワクチンを使うてる国』になるとな、国と国との肉の取引にな、制限が出てくるんやて。 『ワクチンを使わん国』の日本がそんなんしたら、『ワクチンを使うてる国』からの肉をな、ワクチン使うてるから買いませんて言う理由がなくなるんやて。 何でかいうとな、日本にようけの肉がドオンと入って来たらな、あかんのやて。 そうなるとな『日本の牛を飼うてるヒトが困るんや』と役所のヒトがゆうとるんやて。そんなんは、役所のわがままちゃうんかなあ。 それにな、アメリカさんも困るんやて。 なんでかちゅうとな、日本がアメリカさんから牛のエサをぎょうさん買っとる国やさかいやて。我輩はようわからんわ、理屈が。 なんちゅうても、可哀想やわ、我輩らの仲間がな、大きな病気やないのに、ぎょうさん生き埋めにされてもて。 そんでな、ワクチンゆうたら、ロシアさんは国の入り口に沿ってな、牛にワクチンを打って病気が入るのを防いでるんやて。 そやから、もう『ワクチンを使わん国』に戻れませんねん。 ロシアさんは、そんでも、ええって言ってますねん。 さすが、ロシアさんはやることがしっかりはりますなあ。 オーチン・ハラショーや。関係おませんかかこれ。 えっ、今日は我輩が何か変やないかですって? そんなことおませんで。 それよりもな、アフリカのヒトたちや。 ウィルスと一緒に住んでるヒトたちでっせ。 口蹄疫の牛なんぞ、食べても平気やー、食べることが殺処分やー、って言うてはるらしいわ。 ジャンボー!(あかん、また、変な言葉でてきたわ。) 一気にしゃべってもて、興奮してもたわ。ちょっと落ち着いて話ますわ。 でもな、よう考えてみたら、牛はヒトさんに食べられるために飼われとる訳やから、ヒトさんに食べられのがホンモウやね。(よかった、〇ンモウと間違えんで。) そんでな、話変わるけど、牛とワクチンゆうたらな、あんさん、ジェンナーさん、知 ってはりますか? 天然痘のワクチンを発明したお医者さんですねん。天然痘って知ってはりまっか? 知らんてですか、そうやろね。もう世界におませんもんね。 1980年でっかWHOがもう世界にあらへんで言わはったんは。 最近までね、アジアでお顔にブツブツがあるヒトをいましたやろ、あれね、この病気に罹ったヒトやねんて。 昔はぎょうさんのヒトが死にはった恐ろしい病気やったらしいですわ。 日本でも昔は流行っとったらしいでっせ。 ナラの大仏さんをな、作りはったキッカケの一つでもありまんのやて。 これ全部オトンのオシウリ、ちゃう、ウケウリでんがな。(どうもあかんな。今日は。) その天然痘な、一旦罹るとメンエキちゅうもんができてな、二度と罹らへんちゅうことがわかってたらしいですわ。 そんでな、そのころは然痘に罹ったヒトのウミをな、罹ってへんヒトの腕に傷つけて移しておったんやって、痛そーやな~、モウ。 でもな、そんなんでは、何ぼかのヒトが死んでしまうんですがな。 […]

新加坡回想録(38)ビール工場

シンガポールにはご当地ビールと言われるビールは5つほどあるが、よく知られているのはタイガービールとアンカービールだ。現地で飲むとやはり天候に合っているのか日本人にも美味しいという人が結構多い。 タイガービールの製造メーカーは「アジア・パシフィック・ブリュワリーズ社」で同社はオランダのハイネケン社とシンガポールの”Fraser and Neave”社の合弁会社である。私自身は、仕事の関係で後者のフレイザー&ニーヴ社によく足を運んでいた。何故なら、実はこの会社は「コカ・コーラ」を製造販売しており現地の食品業界No.1の会社だったからである。 新たなビジネスを求めて毎週のように同社に通ううちに担当マネジャーととても親しくなっていった。ある時、彼から、一度ビール工場に遊びに来ないかと誘われてお邪魔することになった。日本でも大手のビール工場見学に行くと一回りした後で、最後に試飲をさせてもらえるようになっていますが、あれと同じようなものです。 ある日、この工場のバーにお邪魔したところ、既に他のグループが何組か来ておりそこはもう”パーティ会場”でした。ビール飲み競争などのゲームで大いに盛り上がっており大歓迎されてその中に加わりました。カウンターの蛇口をひねると工場のタンクに直接つながっているのでフレッシュなビールが飲み放題だ。 いろいろなゲームにも参加して随分飲んだ後、マネージャーから歌でも歌えと所望された。酔いもあってマイクを握ることになった。日本人の飲み会なら演歌の方が受けるだろうが、この時は、ヨーロッパ人とシンガポール人だったこと、話されている言葉も英語だったので英語の歌がいいだろうとフランク・シナトラの「マイ・ウェイ(My Way)」を歌った。 これが受けました。その後、このマネージャーから、いつでも来てくれてOKと、このバーへのフリーパスをいただいたのである。その後、わがシンガポール支店の支店長以下全員を連れて行ったり、日本からの出張員や顧客の訪問があった時はよく利用させてもらった。費用は一切かからなかったのでお客さんに喜ばれると同時に接待費の節約にも貢献したのだ。 (西 敏) (写真の右から2番目が親しくなったマネージャー:Mr. Yip)