シンゴ旅日記インド編(その70)続・指計算の巻

先にインド人の指計算で、指のしわ3本を数えて片手で15まで数えることをお伝えしました。 これ大好評でした。その時の写真を再掲します。 他のインド人に話したら、その人は指のしわで3までに加え指の天辺を4にして、一本の指で4まで数えるので、片手で20まで数えることができると言いました。でも私は相変わらず19まで。 また、ある時に日本人の技術者にこのインド人の指計算の話をしました。すると、彼は指を二進法にして使えば片手で2の五乗の32まで、両方を使えば2の十乗の1,024まで数えることができるといいました。それは次のとおりです。最初の数字は十進法、カッコ内は二進法です。 これを両手で行えば2の十乗の1028まで数えれるということです。その32、33,。、、、1022,1023は次の通りです。0を加えて104。皆さんできますか、この指の動き。私は10に行く前で指がつってしまいました。   その時の付録に座高の違いもありました。その後に出会った若者との写真です。   座ると私が説教を出来るような高さなのですが、説教が終わり、立ち上がるとこうです。何でこうなるの?もう嫌です。 今度は相撲でも取って腰が低いほうが有利なところを見せ付けてあげようと思いました。  

新加坡回想録(30)「唐草」「双喜」「龍と鳳凰」模様

子供の頃から幾度となく見てきたラーメン鉢によくつかわれている模様の話です。「唐草模様」「双喜模様」「龍と鳳凰模様」など、なんとなく中国風のイメージは感じられますが、今まで深く考えたことがありませんでした。 唐草模様は、正確には「雷文」といい、「唐」の名があらわすように中国でよくつかわれる模様で、”魔除け”の意味があります。 双喜模様は、「喜」の漢字を横に二つ並べたもので、喜びが二つですからこれはわかりやすいですよね。 龍と鳳凰模様は、中国に古くから伝わる伝説の生き物である「龍」と「鳳凰」を描いています。これらはいずれも、非常におめでたいことを意味しています。 日本では、節分の日に豆をまいて鬼が家のなかに入ってこないようにする「魔除け」をします。中国にも、同じような豆まきの習慣がありますが、豆を投げつけるのではなく、魔物に拾わせるために豆をまくそうです。 撒いた豆を魔物が拾い集めているときに唐草模様があれば、魔物は迷路のような唐草模様のせいで道に迷い 逃げていってしまうのだそうです。唐草模様は、中国人にとっては、魔物を追い払ってくれる、とてもにありがたい模様なのです。 双喜模様は、おめでたい「喜」の字が二つ並ぶのだから、非常におめでたい意味を持つのはいうまでもありません。 「龍」は、昔は皇帝の紋章として用いられた絵柄で、かつては皇帝しか使うことが許されなかったほど尊い模様です。それがやがて、一般の人たちにも使うことが許され、丼の模様などにも描かれるようになりました。ただし、皇帝とまったく同じように使えるのではなく、一般庶民の場合は、5本指の龍しか描くことができなかったといいます。因みに皇帝の使う龍は6本指の龍です。 「鳳凰」も、日本でも京都・宇治の平等院鳳凰堂などに使われているように、非常に高貴とされる生き物です。中国では、聖天子の治政の兆しとして現れると言われています。龍と鳳凰という、中国で最も尊い意味をもつ幻獣2匹を描いた模様は、たしかにラーメン丼の模様のなかでもひときわ格調高い雰囲気を出しているようです。 これら3つのタイプの模様が、日本のラーメン丼に使われるようになったのは、大正末期から昭和初期にかけてといわれています。唐草、双喜、龍と鳳凰など、おめでたい模様の丼に盛られたラーメンは、食べ物のなかでも特に縁起がいい食べ物という訳わけですから、これからは、有難く食べたいと思います。 (今回の話題は、特にシンガポールと関係が深いという訳ではありませんが、国民の76%が中華系の人という環境から住んでいるとどうしても中国文化を身近に感じることになります。旧正月の時期ともなれば、街は”赤”くなります。 (西 敏)

追憶のオランダ(47)日蘭交流400年

日蘭交流400年を祝う行事は、日本・オランダ双方でいろいろ企画され実施されたようだ。私はそのごく一部、オランダでの行事を目撃し、参加できるタイミングでオランダに住んでいたので、ほんの少しご紹介しよう。 400年と一言でいうが、何年から数えて400年なのか?これはどうもはっきりしない。 多分、多分である。5隻のオランダ商船がロッテルダム港を出港した時点1598年6月が一つの起点。だが、出航時点ではバタビアに向かう予定であったはずで日本などは眼中になかったはずだ。それが運命の悪戯で、偶然にも途中嵐で僚船も失い漂流して豊後の臼杵(現在の大分県臼杵市)に漂着した慶長5年3月(1600年4月)がもう一つの起点となる。因みに、慶長5年と言えば、その年の秋に関ケ原の戦いが起こる。実際は、日蘭がお互い初めて出会ったのは後者の1600年ということになろうが、そんな細かいことはどうでもいい。 それで、ロッテルダムでは1998年からはいろいろな行事が予定されていた。昔出航した6月27日にはロッテルダム港では、市が主催するデリーフデ号出航を再現する式典が開催された。この写真の中央に当時の衣装の男性とその横に、オランダ側での400年の起点である1598という数字が見える。もっといい写真が撮れていないことが返す返すも残念。当時は、まだデジタルカメラがなかったので、フィルムを現像するまでどんな写真が撮れているか確認できなかった。今なら、何度でも撮り直しができるのに・・・。 また、特に日本人コミュニティーでも、ロッテルダム・ジャパンクラブなど日蘭の企業関係者などで祝賀パーティーなどいくつもの行事が催された。ロッテルダム日本人学校生徒たちも一役かって、6月17日に招かれたロッテルダム市庁舎で日頃練習していた和太鼓「マース川太鼓」の演技を披露し、集まった多くの日蘭関係者の盛大な歓待をうけた。余談だが、中央の法被姿がわが娘。

十男17歳 高2 “恋人”を奪われた

「女の子の人気投票」が高校2年時、男子の保健体育の自習時間に行われた。クラスの塩道哲也が『お気に入りの女子』総選挙を提案したのだ。塩道は「あしたのジョー」の力石徹のような奴で顔も体も声もデカい、押しもある。クラスはすぐまとまる。中島四郎、山中富雄、山下勤など率先して選挙管理委員になる。選考対象は同学年全クラスの女子。 ボクは「三浦法子(のりこ)さん」という人に投票した。「スーちゃん」こと田中好子さんに似ており、静かな物腰で日本的、ボクは好感をもっていた。 第1回選挙、総投票数約20票。投・開票は黒板に「正」の字。結果は日頃の評判通りだった 1位 富永二恵 7票 2位 斎藤京子 5票 3位 工藤久恵 4票 …… 上位は頭も良いし、美人だ。私の三浦票は1票だけ、最下位だった。 塩道は「おい、誰や!貴重な1票を三浦ごときに入れとるのは」と笑った。ボクは黙っていた。 ボクは次回もその次も投票した。が、いつも1票だった。だが5回目くらいの選挙から様子が変わった。三浦票が1票、また1票と増えてきたのだ。ついにある日、あろうことか三浦法子がトップになったのだ!。 ボクは落胆した。自分一人のものであった彼女がヒロインに上り詰め、はるか遠い存在になってしまったのだ(ボクとの距離は初めから遠かったのだが)。 「まぁいいや、ボクの見る目が正しかったのだ」と自分を慰め言いきかせた。「三浦法子」は以降、トップや2位を守り続けた。 卒業して数年後、「高校卒業者名簿」が届き、ボクはクラスの卒業年度を見て仰天した。 「塩道(旧姓三浦)法子」とあった。夫はあの明日のジョーの「塩道」ではないか! 「貴重な1票を」とホザいた(つい、あしからず)塩道じゃないか! ともあれ十男ボクの初めての〝失恋〟だった。 (一部仮名にしました) 吉原和文

シンゴ旅日記インド編(69)私のアパート物語の巻

お酒のつまみ その158 私のアパート物語の巻 私のアパートにベランダが2箇所あります。ハトが来て汚して行きます。 毎週掃除をしなければなりません。日本で同様に悩んでいた妻に聞きました。 カラスの模型をベランダに置くのが効果があるとのことでした。それでカラスをワインの空き瓶と買い物袋で作ってみました。 効果はあるようです。ベランダの掃除の回数が減りました。 2番目の写真:カラスの材料です。3番目の写真:インドの酒屋さんは必ず黒い袋にワインを入れてくれますが、ある店では違う色の袋をくれました。 一番右の写真:日本から買ってきた密閉袋入りのおつまみ、ラーメンなどです。パンパンに膨れ上がってしまいます。これはプネが海抜600mで気圧が低く、また暑さのせいでしょうか? 4月からインドは乾季に入りました。断水の季節です。左の写真:私のアパートは時々タンクローリーが水を運んできます。真ん中の写真:インドの包丁の刃はのこぎり模様です。引くだけで切れます。日本の包丁にはこんなギザギザありませんよね。左の写真:日本に一時帰国すると長期保存のできる缶詰類を購入してきます。台所の棚がお店のようになります。 また断水の季節です。 全ての刃がギザギザです。 お店ではありません。 私のアパートの目の前にはバラック小屋がありました。しかし、ある朝外を見たらバラック小屋が跡形もなくなっていました。住んでいた人は何処に行ってしまったのでしょうか?