新加坡回想録(9)多言語国家

シンガポールの官庁やビジネスマンの言語は、ほぼ英語ですが、華人の間では華語(マンダリン)も使われます。しかし、チャイナタウンや公団住宅のマーケットで買い物をする年配の華人、さらには若い華人同士でもくつろぐ時には福建語、広東語、潮州語などの方言が好んで使われています。そして、マレー人同士はマレー語、インド人同士はタミル語とそれぞれの言語が飛び交っているのです。 日本の場合、会社では標準語を話しても、同じ郷里出身者同士でくつろいでいる時は田舎の方言で話すのと似ています。ただその方言が、大阪弁や東北弁、または鹿児島弁というのではなく、中国語、マレー語、タミル語というれっきとした外国語なのです。彼らはシンガポール国民であるはずなのに、それぞれの文化、宗教、ことばが全く違うので「シンガポール人」というアイデンティティがないようにみえます。 実は、このことをリー・クアンユーも懸念し、どうすれば同じアイデンティティを持てるのかを考えた末に打ち出したのが英語を重視する政策でした。人口の75%以上を占める華人には、英語を学ぶグループと、英語を重視せず祖先から受け継いだ華語のみで育つグループに分かれていました。有力者でも英語を話さない人々がいました。わずかにあったマレーシア産の錫を加工する軽工業で財を成した華人は英語を話さないグループでした。 しかし、資金、技術、輸出市場を持ち込んでくれ、さらに雇用機会まで提供してくれる多国籍企業の誘致のためには英語は必須の言葉であったし、政府系の人々が英語教育を受け正しい英語を話すグループであったのは当然です。リー・クアンユーは自らはケンブリッジ大学で学びましたが、官僚として採用していったのも英才教育で選別した英語を話す精鋭ばかりでした。 さて、シンガポールの国語はマレー語です。英語でもなければ華語でもタミル語でもありません。このことは、マレーシアと一体になって発展していこうとしていたシンガポール政府(リー・クアンユー)のマレーシアに対するメッセージでした。また、シンガポールの国歌「Majulah Singapura(マジュラ・シンガプーラ)」の歌詞はマレー語になっており、今でも建国記念日の式典など公式の場ではシンガポール国民全員がマレー語で歌います。 ところが、マレー系民族以外のシンガポール国民の多くはマレー語の意味を理解することができないため、国語としてのマレー語の位置づけは、儀礼的なものでしかありません。因みに、シンガポール日本人学校の卒業生はみな、このマレー語のシンガポール国歌を歌うことができます。我が娘二人も完璧に覚えていますが、意味は殆どわかっていないようです。 ♪マリキターヤ ラサ シンガプーラ・・・ (西 敏)  

荻悦子詩集「時の娘」〜「果汁」

果汁 ふるさとのみかんを ジューサーにかける 滴り落ちる果汁の 香り高い優しさ なんて 安易な思い入れに 陥るのはよそう 銘ずべきは 季節のはしりを 送ってくれた 叔父夫婦の心根であって 果汁では まして メカニックな ジューサーではない テーブルに残った 艶のある厚い皮は バスタブに浮かべ 芳香のなか 蜜柑色の夢を見る のも もうたくさん 海の魚に 風に 鳥に ただの石の柱にさえ なりたい人 なってしまった人が あまりにたくさん と知ったから 樹になりたかった日々のことは 忘れることにし わたしは にんげん ミューズからは 脳髄の襞を盗む すてきにオリジナルな 詩句を吐き 二人 三人 四人 五人の 男ぐらいは惑わす美女 となりたいつぶやき シャワーがかき消し なまやさしく 目をつむりたくない二月の咽喉に 絞りたての果汁は にくい ほろ苦さ 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

追憶のオランダ(26)パーリング

皆さん、「パーリング (Paling)」ってご存知でしょうか? これはオランダで食べられるウナギの燻製のことです。ウナギを燻製にして、中骨を抜き皮を剥ぎ蒲焼にする時のように開いたものが売られています。酒の肴にはぴったりの食べ物です。結構油が強く、ジュネーバーという酒には実によく合います。 オランダでは、ちょうどスモーク・サーモンの真空パックと同じように、パックに入ったものがスーパーなどでも売られています。また、スキポール空港でもオランダ土産としてチーズなどと一緒に置いてあります。私も日本への土産に持ち帰ったことがあり、呑兵衛には大うけでした。わが息子などは、「これはいける」と、とても気に入っていました。 任期を終え帰国してから、この味を思い出し、輸入食品を扱っている店などでいろいろ探しましたが、一度だけ、紀伊国屋で見つけたことがありましたが、その後紀伊国屋でも見かけなくなりました。日本人の好みには合わないから?それとも、他の理由で仕入れを止めた?のでしょうか。筆者個人としては非常に残念でなりません。未練がましく、それ以降もインターネットでいろいろ調べては見るものの、オランダ産の gerookte paling の紹介はありません。ただ、イギリスの smoked eel、ドイツの raucher aalがあり、材料も調理方法もそのものずばりですが、オランダのものとはどこか違うように思います。少なくとも、日本のウナギの燻製という名でネットで売られているのは全く違う代物のように見受けられます。ということで、この写真からどのようなものなのかご想像いただけますでしょうか? これは全くの偶然ですが、このパーリングを作っている工場の前を通りかかったことがありました。あたりは燻製を作るいぶした煙の臭いが立ち込め、どこかで燻製を作っていることはすぐに分かりました。すると一つの建物の扉が開き、そこから黄金色というかヤニ色というか、細いものがたくさんぶら下がってどんどん運び出されているではありませんか。ちょうど、洋服を陳列する時にハンガーごとつるすキャスターのついたもの。これにぶら下っているのはすべて燻し終えたウナギなのでした。ああ、これがさらに身の部分だけに調理加工され真空パックになって店先に並ぶのか、と思いながら通り過ぎたことを思い出しました。 最後に、最近知り合った友人が結構飲める方で、酒の席でこのパーリングの話をしたところ、オランダで食べてすっかりはまってしまったとか。しかし、この方も日本で食べられないのが残念と、私と同じようなことを言っていたのを聞いて、なぜか親近感が湧きました。パーリング仲間といったところです。

シンゴ旅日記インド編(その49)インドの衣装の巻

インド女性の衣装は色使いが鮮やかです。街を歩くとそのカラフルさに見とれてしまいます。 自分を主張するために他人が着ない色を探すのでしょうか? インド女性の伝統的服装はサリーとパンツタイプ゚のパンジャビー・ドレスです。 値段は共に200ルピー程度から金糸を使った何十万ルピーもするものまであります。 サリーの材質や絵柄でどのカーストか分かるとも言われているようです。 まずサリーの写真です。 最初の3枚のモデルは事務所のメイドさんです。メイドさんでもお洒落ですよね。 他の写真に女性の後ろ向きが多いのは私がお尻に興味があるのではありません。 私は女性に向かって写真を撮らせて下さいという勇気が無いのです。 ですからこんな写真となってしまいました。 次の3枚は結婚式での正装用サリーです。金糸が使ってあり、かなり高そうですね。 下の写真はパンツタイプのパンジャビー・ドレスです。パジャマーの女性版です。 このドレスは活動的になるのか若い人に多いように思われます。 上着は男性と同じクルターと呼ばれます。ドゥパッタというスカーフと一緒にお洒落に装います。 男性の着る物はご存知パジャーマー(ズポン)とクルター(シャツ)です(右の写真) パジャーマーは北インドが発祥の地ですがパジャーマーという言葉はペルシャ語が元とのことです。     この他にルンギー(巻スカート)とドーディー(腰巻)があります。 左の写真の足を隠しているのがルンギーです。 ドーティは本来、ルンギー同様に一枚の布を腰に巻いていたのですが、今では簡素化されてすでにワッカ状にしてズボンのように縫い合わされて、巻かないで穿くようになっています。 上級カーストの着る腰巻であるとも聞きました。 町の中でなかなかドーティを巻きつけている人を見かけません。 それで町の壁に書いてあった絵物語の人物のを借用しました。 ガンジーが暗殺された時にもドーティを着用しており、その時のドーティがマドライのガンジー博物館に陳列されています。 これらの材質は木綿です。風通しがよく気持ちいいですよ。 日本のステテコと同じようなものですよね。   丹羽慎吾

新加坡回想録(8)厳しい罰金制度

クリーンシティともグリーンシティとも言われるシンガポールですが、どうしてこんなに街がきれいなんだろうと疑問に思ったことはないでしょうか。私自身、駐在前に何度か出張で訪れたときに「これが東南アジアの国か?」と驚きました。仕事の相手先は主に隣国のマレーシア、それも東マレーシアであるボルネオ島だったので、数日間の仕事帰りにシンガポールに戻ると、美しい街並みを見てほっとした気持ちになったものです。 シンガポーリアンは、街角でゴミやガム、たばこのぽい捨てをしない礼儀正しい国民だったでしょうか。いやそうではありません。現地でこんな話を聞いたことがあります。ある時、華人が二階の窓から自転車を投げ捨てたといいます。どこの国の人でも、時には気がふれているのかと思うおかしい人はいますが、この話は、過去シンガポールに移民してきた中国人の礼儀知らず、道徳のなさを象徴して言った言葉だと思います。 このような社会道徳を持たない人々を世界に通用する国民に仕立て上げるために、政府(リー・クアンユー首相)が取った苦肉の策がこの罰金制度であったと思います。今ではもう有名になりましたが、シンガポールには厳しい罰金制度がいろいろとあります。その中でもポピュラーなものをいくつか紹介しましょう。 ゴミのポイ捨て 道路でゴミをポイ捨てするのが見つかると500ドル(現在約40000円)。しかし、それでも結構平気でゴミを捨てる人も多く、 見つからなければ平気だと思っているシンガポーリアンも多いようです。最近の事情はどうでしょうか。 煙草の持ち込み 海外からの煙草の持ち込みはすごく厳しい。何しろ税金が高く1箱700円ぐらいで売られていて、毎年値上げしています。空港で日本人の男性が一人で入国する場合、調べられるケースが多かったと聞きます。勿論、税金を払えば持ち込めますが、日本から持ち込んだ税金不払いの煙草をホーカーセンターで吸っているのを見つかり、罰金500ドルを支払う羽目になった日本人がいたそうです。 ガムの持ち込み これも有名になりましたが結構見かけます。日本からのお土産でガムを持っていくと喜ばれました。空港での煙草のチェックは厳しいですがガムはあまり調べられないとか聞いたこともありました。2004年に一部解禁:薬局で指定の商品のみを、登録した消費者のみに販売できるようになったとかいう話も聞きました。その後どうなっているのかわかりません。 禁止区域での喫煙 公共の施設・乗物・デパート・空調施設のあるレストランなどでは全て禁煙です。例外は、パブ・ディスコ・カラオケバー。違反すると、1000ドル以下の罰金です。 交通違反 日本同様いろいろな罰金があります。スピード違反、ピーク時のバスレーン走行、追い越しなど。特に駐車違反はうるさく、あちこちににカメラが据え付けられていて、交通違反は結構発見されるようです。 車内での飲食 最近日本では満員電車の中でも堂々と飲食している若者もいますが、シンガポールでは公共の乗物内での飲食は罰金を課せられます。 タンやつば吐き 結構罪は重く、初犯でも1000ドル、再犯は2000ドルの罰金です。 香港のディズニーランドでの中国人のタン・つば吐きのマナーの悪さがニュースになっていたことがありました、このように罰金制度を決めないと中国人は平気でタンやつばを吐くと言われている。 ボウフラ発生 赴任した時に最初にこのことを言われたような気がします。これは蚊の発生により感染しデング熱やマラリアに罹ることを防止するため。コンドミニアムでも定期的に薬の散布を行っていました。 トイレの水の流し忘れ 冗談みたいですが本当の話。放っておくと流さない人が多いらしいです。 その他、重犯罪で特に厳しく罰せられるのが、 ドラッグの所持・販売 これに関しては他の東南アジア諸国でも同様ですが非常に厳しい。シンガポールでは、大麻500g以上の所持は、有無を言わさず死刑になります。たまに外国人が捕まり、母国の政府が嘆願したが死刑は覆らなかったという話がニュースになりました。 わいせつ物所持・販売、賭博行為 小さい国だけあってマフィアは存在しませんが小悪人は結構います。仲間内での賭け事をこっそりやっている人は多いです。何しろ中国人は博打が大好きですが、賭博行為は見つかると重犯罪です。 罰としては、死刑以外に強制労働・鞭打ちなどがありますが、これは思ったよりかなりきつく、暫く立ち直れないと聞きます。 きれいな街と厳しい罰金制度を揶揄して「Fine City」と言われます。 英語で”fine”には、「素敵な」という意味のほかに「罰金」という意味があります。 (西 敏)

フランスあれこれ(16)ラングドック(南仏)の想い出=フランスの別世界=

50年以上前の思い出です。パリに赴任して暫くの頃、内地から一通の手紙が来ました。調査依頼です。内容を簡単に説明します。粉末ジュースなど食品添加物の一つ酒石酸と言う化学品があります。酸味料の一つとして欠かせないものですが、従来フランスのマルセイユの「カサドー商会」から輸入されていたが、最近カサドーさんが亡くなったため連絡がつかず商品の調達の目途が立たなくなった。至急実情を調査して対案を探してほしいというもの。早速行動を開始したもののどうしても電話がつながらないので、ここは行くしかないと夜行列車でマルセイユに向かいました。 マルセイユには早朝の到着で時間を持て余し、駅前で朝食、公園を散策、やっと目的地に到着して目にしたのはドアに貼られた手書きの案内でした。内容は単純ですが極めて読みづらい文字でしたが何とか記載の連絡先をメモして公衆電話からコンタクトを試みました。 私はまだまともにフランス語が出来ない頃で電話の相手は英語が出来ない、それでも何とか住所を教えて貰って伺うことが出来ました。さほど遠くないお宅に伺ったのですが、玄関先で待って頂いたようでした。若い人でしたが急遽仕事をお休みして私に面談することにした様子。英語とフランス語双方ともたどたどしく、筆談も交えての会話でした。 カサドーさんは日本人でフランス人と結婚、長くマルセイユに住んでいた。面会の人はどうやら奥さんの関係らしい。でも仕事の内容は殆ど知らないという。それでも彼から耳に入ったのはマルセイユに酒石酸のメーカーがあること、その原料はワインの搾りかすで「アルゴール」とか「タートル」と言い、ベジエという町の商工会議所が力を持っているなど。 マルセイユの駅に戻って電話帳で耳にした酒石酸のメーカーを探して早速電話。先ほどの面談者の紹介だと話してすぐに訪問することが出来ました。社長直々に面談、極めて有意義と言うか、先方もちょっと途方に暮れていたタイミングだったらしい。ここでもカサドーさんに全幅の信頼をしていた様子で私に対しても丁重、しかもすべてを教えてくれた次第で順風満帆という結果でした。 ここまでの状況を事務所に電話連絡してマルセイユにもう一泊、更に原料のワイン滓事情を調べておこうと考えて翌日ベジエに向かうことにしました。ベジエはマルセイユから列車で2時間くらい西方。ベジエの駅で商工会議所を教えてもらって直行、何とか事情を説明して紹介されたのが“Tartre Union”(「タルトル・ユニオン」あえて言えばワイン滓組合)と言う同業組合、小さな事務所だったが待つこと暫く大物らしいお爺さんが現れた。これがまた全く言葉が通じない。歯がなく口先でもぐもぐ喋っているのだがどうもフランス語でもなそうだ。一人二人と関係者が駆け付け来たが矢張り殆ど通じないまま時間が経過した。お昼近くなって車に乗れという事で案内願ったのがワインヤード、広大な見渡す限りのブドウ畑だった。 そして大農園の中央にそびえる背の高い矢倉に着いた。1階は作業道具置き場でトラックターなども散見、階段を上がった2階が結構広い食堂兼居間、四方が窓になっていて遥かな彼方まで見渡すことが出来る。彼は黙って窓を開け、ポケットから笛を取り出し一発“ピー・ピーピー!” 畑のあちらこちらから黒い頭が見えた。出稼ぎ労働者が皆さぼっていたという事らしい。同時に我が農園はこれほど広いのだ!と私に示したかったのかもしれない。そこでワインを開けてしっかりご馳走になって事務所に戻り、ちょっとドタバタしているうちに学生らしいのが現れた。英語の通訳の心算だったようだが残念でした。 パリに帰った翌日、秘書にこの同業組合の長老に電話をさせて会話の内容を確認しようとしたのだが、これがまた不思議。言葉が通じなかった。秘書が電話にかじりついて汗をかきながら顔を赤くして必死に説明しているのだが一向に通じない様子。私がすぐにわれらが事務所の長老(ご存知のメムランさん)を呼び秘書に代わらせたがやはり思うように通じなかった。我が長老いわく、相手はフランス語をしゃべっていない!でも明後日通訳を連れて上京、即ちパリに来ることになったと聞きました。 長老の説明によると、この地域は“Langue d’Oc”(ラングドック)と言って今でも古くからの方言が日常使われているようだ。フランスの憲法で「フランス国民はフランス語を国語とする」と規定されているのだが・・・という事だった。この地方ではオック語と言う方言を使う事からLangue d’Oc即ちオック語地方(ラングドック地方)と呼ばれる由。 その後ベジエの長老が通訳を連れて現れ、すべての事情が判明した。私が最初にあったカサドー商会関係の人の話、酒石酸製造メーカーを訪問したこと、私の行動の全てが耳に入っていた由。カサドーさんが亡くなって立ち往生していた時に私が現れたという事らしい。 フランスワインに詳しい人なら「ラングドック」という言葉は聞かれたことがあると思います。著名なワインのブランドの一つです。この地方のワインは天候に恵まれ大量生産されるので良いワインでも価格的に高い評価にはならないそうだ。そこで地域を限って、例えば「ラングドック・ルシオン」などと銘打ってブランドの差別化を図っている様子。 余談は止めて仕事の方?ですか。お蔭で極めて順調に新しいビジネスがスタート出来ました。緊急事態に需要と供給ががっちり握手と言ったところでしょうか。 (追記します。多分この地方の今の人たちはしっかりフランス語を話していると思います。この思い出話はあくまでも50年以上前の経験です。)

追憶のオランダ(25)バケツ一杯のムール貝

初めてムール貝というものを食べたのは30年以上前に出張でオランダに行った時だった。その時、友人とレストランへ行き、その友人が注文してくれた。そして出てきたのが小ぶりながら金属製のバケツ一杯の黒い貝。これがムール貝というものか、でも磯の岩についているムラサキ貝に似た貝で、これを食べるのかと思ったものだ。 いざ食べてみると意外にうまい。白ワインを飲みながら一つ一つ。そこで友人に教えられたのは、貝の身を一つ一つフォークで外すのではなく、一つ食べたあとの貝殻をピンセットのように持って、次の貝の身を挟んで外すやり方。そして、貝殻はその前に食べた貝の殻に入れ子にして重ねていくのだ。そうすると、バラバラに捨てると随分かさ張るが貝がスッキリと片付く。それを聞いて、自分でやってみて、なるほどと納得し、妙に感心したことを思い出す。 二人でバケツ一杯、気が付くとアッと言う間に空っぽになってしまった。注文した貝が出て来た時は、二人でとはいえ、そんなに貝ばかり食べられるものかと思ったが、食べ終わってみると、あとを引く食べ物だとも思った。 それからの数年はこの貝には縁がなかったが、オランダに赴任することになり、再度ご対面となった。今度は、わざわざレストランで食べなくてもそこらのスーパーで1キロ・2キロと袋詰めで売られているものを一緒に煮込む薬味(香草類を刻んだもの)とともに買ってきて自分で料理する。料理という大層なものではなく、白ワインを入れて香草類と一緒に大鍋で煮るだけ。要はムール貝のワイン蒸し。アサリの酒蒸しと同じ要領だ。私は、さらにタイム・ローズマリー・クローブ・レモン・ネギ、それにセロリーをたっぷり加えるのが好みである。要は、香り付けは何でも好きなものでよい。 この食べ方は日本に帰国してからも続いている。しかし、なかなかいいムール貝にお目にかかれない。たまにスーパー・魚屋で5-6個を大事そうにパックに入れたものを見かけるが、数が少なすぎ、オランダの時のように食べようと思うと、何パックも買わねばならず結構高い食事になってしまうのが難点。でも、昔を思い出しながら、貝のピンセットで身を外し、入れ子の貝をたくさん作りながら食べている。 この貝は、やはりムラサキ貝の近縁のものだが、ムラサキ貝のように貝毒はなく、オランダでは南西部のゼーラント州の汽水域でたくさんとれる。オランダだけではなく、フランス・ベルギーのレストランで出されるものの大半はオランダ産が輸出されたものと聞く。日本で手に入るものはどこで獲れるものだろう?