コッツウォルズ紀行㉟ブルー・ウィローの悲恋物語

1999年に、自ら企画、実行したイギリス自由旅行記「コッツウォルズの歩き方」を掲載しましたが、実はこの旅行についてのいくつかのエピソードや感想があります。随分と昔の話で恐縮ですが、書きためたものをいくつか紹介しています。 ———————— ブルー・ウィローの悲恋物語 ストラットフォードのアンテイークショップでブルー・ウイローの絵皿を見つけた。「中央に、風に吹かれてゆれる柳の木があり、その右横には中国風の建て物、また左端の家へと橋が架かっており、その橋の上には人が3人いる。 船が浮かんでいて、空には鳥が2羽飛んでいる」あの絵皿である。ひょっとして、お宅の居間の飾り棚に、あるいはコーヒーカップや受け皿にこの絵がありませんか?でも、この絵皿が悲恋の物語を語っていることを知っていますか?V&Aのギフトショップで買ったLeslie Bockol著の「WILLOW WARE」という本に以下のように載っています。 The Legend of the Plate My Willow ware plate has a story, Pictorial, painted in blue From the land of the tea and the tea plant And the little brown man with the queue. What ever the food you serve, daugter Romance enters into the feast, If you only pay heed to the legend, On the old china ware plate from the East. Khoong Shee was a mandarin’s daughter And Chang was her lover, ah me, For surely her father’s accountant Might never wed pretty Koong Shee. So Chang was expelled from the compound, The lovers’ alliance to break, And pretty Koong Shee […]

フランスあれこれ(8)下宿の叔母さん(トゥールのお母さん)への手紙(I)

こんな写真が出てきました。日付は1964年4月23日となっています。お世話になり始めて2週間くらいでしょうか。この頃は当然のことながらフランス語を話せる状態ではありませんでした。お世話になった3か月の事を思い出しながら、当時お話出来なかったハプニングをお耳に入れたいと思います。 パリ駐在を命ぜられ、東京羽田からオランダ航空で出発したのはその年の3月末だったと思います。アンカレッジ経由のボーイング707でしょうか。北極上空を通過したという証明書を貰った記憶があります。しかし目的地アムステルダムの天候不良でスコットランドの空港(Prestwick Airport)に予定を変更して緊急着陸、数時間の待機となりました。その後乗り換えも順調でなく結局最終目的地デュッセルドルフに到着したのは予定の翌日、しかもその日は復活祭の休日でした。出迎えてくれる筈の現地の駐在員とも連絡がつかず、空港で電話番号探しで右往左往しました。三日ほど打ち合わせと称して再びオランダに車で旅行、その後やっとパリに赴任しましたが、ホテルに一泊したあと事務所に顔を出したところ、すぐにもフランス語学校のあるトウールに移動するように言われました。学校は既に一週間くらい前から始まっていたようす。事務所のスタッフが列車の時間を調べてくれたり、幸いなことに丁度事務所に来ていた日本人留学生(ガイドのアルバイト探しで来ていた)が駅まで車で送ってくれました。 時間があったので軽い昼食としてサンドウィッチを買って駅の近辺で時間をつぶしました。丁度良い時間だと思って駅に帰ってびっくり!、列車は既に出発した後でした。腕時計が止まっていたのです。さて次の列車は?と調べたところ3時間位あと迄ありません。止むを得ずそれを待って再び駅に戻ったところこの列車は季節列車で不定期の由。更にその次の列車は?2時間後!パリとトゥールの距離は約230km、約3時間。そしてやっとの思いでトゥールに到着したのが夜の9時頃だったかと思います。 さて駅前でホテル探しです。駅頭に旅行鞄を置いて近くのホテルから順番にと思ったのですが、最初のホテルで満室と言われ、満室の場合はその旨の看板がドアに掛かっていることが判りました。どこも全てのホテルがコンプレ”Complet”即ち満室となっています。最初のホテルに戻って途方に暮れていたところホテルのオーナーさんでしょうか、今日は休日だからどこも満室でしょうと言います。何か良い方法?と相談しましたが英語が通じません。ちょっと待てと言って奥に入ったあと中学生くら いの女の子を連れて来て、学校で習っているのだから英語で話してみよといった感じ。結局通じなかったのですが、物置のような部屋を紹介してくれてこれで良ければという事になりました。 さて翌日フランス語の学校へ出向きました。遅れて入学の手続きと下宿の相談をしました。いずれもパリ事務所が事前に申し込んでくれていたものです。紹介された下宿は3軒、お勧めはこの順番ですとメモ付きでした。一日の勉強のあと教わった通りの順番でまず伺ったのが叔母さんのお宅でした。駅前のホテルに預けた荷物を持って参りますと伝えたのですが英語が通じなかったようです。ホテルに戻り、今度はタクシーで叔母さんのうちへ参りましたが、玄関に鍵が掛かっていました。またしても旅行鞄を玄関に置いてご近所を散策して戻ったところ今度はその鞄がなくなっていました。半分ひやひや、そして半分ヤレヤレ。結果オーライでした。 それから3か月大変お世話になりましたが、その折の思い出は次便でとさせて頂きます。 (写真はトウール駅前で噴水の周りにホテルが7軒くらい取り巻いていました) 東 孝昭

荻悦子詩集「樫の火」より~「双子座流星群」

双子座流星群   東の方 それから南へと空を仰いだ 点々ときらめきがあり 翳りのあるレモン色 光は強くない 流星は どの辺りに現れるのだろう 双子座が どんな姿をしていたか ともかく今にやって来る 北半球の 冬 主な星座の名前と形 あなた 大まかにでも話せますか 子どものころ 空が 頭上に迫るような夜にも 星座を見分けるのは 難しかった 山稜に縁取られ 丸い空いっぱいの星 谷間の夜 父が星を指指すたび 途方にくれた 夥しく光がある その輝きのなかから 柄杓や熊の輪郭を掬い取る 星と星とを 存在しない線で結ぶ 私は八歳だったが 理科を学んでいるとは思えず 遠い昔の人々が 星に絡めた地上の物語に ほとんど魅力を感じなかった なぜか 双子とされた星のまわり 塵がたなびくなかを今 地球が 私たちが過っている 強い光が 一点から溢れ出るはず 放射状に現れるはず 後から後から すぐ上に 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

追憶のオランダ(9)水よりも安いビール

私はもともと酒が嫌いではありません。ビールでもウイスキーでも日本酒でもワインでも、なんでも飲みます。しかし、アルコール依存症でもありませんし、アル中などである訳はありません。自分で言うのも変ですが、私が酒を好きというよりも、酒の方が私を好いてくれていると勝手に思っているのです。 オランダに赴任するまでは、毎日の昼食でアルコールを飲む習慣はありませんでした。まあ日本の一般的なサラリーマンの昼食ほどあわただしいものはなく、ビールにしても飲むことはほんとうにたまにしかありませんでした。 しかし、オランダでは昼食時何か飲もうと思っても、日本みたいにタダで美味しい水やお茶が黙って出されるわけではありません。何か飲みたければ、食事と一緒に何か飲み物を注文する。水も当然有料で、何ギルダーだったか忘れましたが、ボトル入りの水を注文することになります。それなら、ビールは?と聞くと、ビールの方がわずかですが水より安かったのです。じゃあ、ビールにしようとなります。(左の写真は、ビールよりも高い水です。)これは当然の帰結であり、これが私の昼アルコールの始まりでした。もう25年以上続く習慣になりました。日本では一応、昼から車を運転する予定のある時は我慢せざるを得ませんが、オランダの時はビール2-3杯なら全く問題ありませんでした。よく飲んだのは、多分皆さんもご存知のハイネケンビールです。また、少しだけ値段が高い銘柄で、Grolsch(フロルシュと発音します)という昔ながらのゴム栓のついた瓶ビール(写真右)もなかなかいけました。 ビールから少し脱線しますが、オランダでの飲酒運転について一言。 結婚式披露パーティーとかクリスマスパーティーなどの時、レストランの前には警官がちゃんと張っているのですが、多少赤ら顔、饒舌になった客が車を運転して帰ろうとしても、ウインクして「気を付けて帰れよ」でおしまい。真っ直ぐに歩けないような輩は、酒が醒めるまでブタ箱に連れていかれるはずですが、そんな現場は私の滞在期間中にはついぞ見たことがありませんでした。  

シンゴ旅日記インド編(その34)私と運転手との会話の巻

地震について 私 『インドに地震はあるの?』         運転手  『あります。』 私 『火山が近くにあるの?』          運転手  『ないです。』 私 『火山がないのに、どうして地震が起きるの?』 運転手  『ダムです。ダムが余った水を流す時に地面が揺れるのです。』   市営バスについて 私        『インドのバスはドアがなくて危ないよね。』 運転手  『ドアがないのは市内を走るバスだけです。長距離バスにはドアがあります。日本の市営バスの停留所の間隔はどれくらいですか?』 私        『近いところでは500メートルくらいかな。』 運転手  『インドもそうです。それなのにドアを開けたり閉めたりするのですか?車掌さんが毎回大変ですね。』 私        『ちゃんと油圧シリンダーで開閉するのだよ。運転手さんが一人でするんだよ。』 運転手  『乗ろうとしている人がいるに閉まったら危ないです。』 私        『ちゃんと乗ってから閉めるのだよ。』 運転手  『それにドアを閉めて走ったら、子供がタダで乗ることができなくなります。』   観光地の入場料について 私        『外国人とインド人で20倍も料金が違うのはおかしいよね。』 運転手  『おかしくないですよ。外国人は一回しか行かないけど、インド人は何回も行くからです。』   ベジタリアンについて。 私        『ベジって、お肉を食べないから体が大きくならないのでは?』 運転手  『なんでですか。牛も、象も草食ですよ。』   次はホテルのボーイさんです。 ボーイ    『Coffee or tea?』 私 『Tea WITH MILK, please』 そしてteaが運ばれて来てボーイさんが聞きます。 ボーイ    『with milk?』 私 『Yes』(注文する時に言ったのに) ボーイさんがミルクポットを部屋の隅のテーブルに取りに行き、それが空だったのでキッチンに取りに歩いて行きました。 丹羽慎吾  

コッツウォルズ紀行㉞~ハーブとシェークスピア

1999年に、自ら企画、実行したイギリス自由旅行記「コッツウォルズの歩き方」を掲載しましたが、実はこの旅行についてのいくつかのエピソードや感想があります。随分と昔の話で恐縮ですが、書きためたものをいくつか紹介しています。 ———————— シェークスピアの生家を訪れたとき、その庭には彼の作品に登場する様々なハーブが植えられていることを知った。特にシェークスピアのファンという訳でもない私にとって、ハーブとシェークスピアとの結びつきに今まで気づくわけもなく、この事実を知ったときの感動はいささか大きいものがあった。作品に登場するハーブは、ラベンダーやローズマリーなどいわゆるハーブは勿論のこと、各種の花、野草、野菜、果物、スパイス、樹木、コケ、キノコ、穀類に至るまで180種類ほどになる。それらは皆、当時英国で出版されたハーバル(植物誌)に載っているものである。 たとえば、「ハムレット」で正気を失ったオフィーリアが王や王妃の前に出てくるシーンでは、彼女が皆に手渡すローズマリーやフェンネルの香りや象徴性が、彼女の思いを鮮やかに伝える。また、ロミオとジュリエットで、ジュリエットが仮死状態になる薬を飲んで倒れた直後、別室にいる母や乳母の対話に出てくるマルメロ(婚礼のご馳走用)は、大人たちの」身勝手なお祝い気分をいやが上にも香らせている。 シェークスピアの作品の多くは原作があるのだが、登場するハーブは殆どすべてシェークスピアが付け加えたものである。その場合、各々のハーブの色や効能や象徴性、そして特に香りを意識していると思われることが多い。また、ドラマの舞台がどこの国であれ、時代がいつであれ、シェークスピアは自ら親しんだ同時代の英国のハーブをドラマに取り入れることにより、当時の観客にとってより身近なものとなった。 ◆ラベンダー(Lavender) 高さは約1mになり生長するにしたがって茎がねじれ木化する。葉は細く、夏に赤みがかったふじ色の花が咲く。生命力は強く他のハーブが2、3年で弱るのに対し寿命が長い。現在は食用と考えられていないが、葉は肉などの臭みを抜くのによい。数多い品種の中で、一般的に香りのよい精油がとれるのはイングリッシュラベンダーが有名。花から取る油がいちばん上質である。薬効:ラベンダーから抽出される油にはいずれも強い防腐性が含まれておりケガの消毒、虫さされに効果がある。また頭痛薬としては古代からの言い伝えがあり、ラベンダー油などをこめかみに塗布すると頭痛が治まるという。これは、こく薄い浸出液などにして内服してもよいといわれている。多量に服用すると眠気を催すこともあるので要注意。強い香りは防虫剤にもなるので、ポプリとして使われる。 ◆ローズマリー(Rosemary) (マンネンソウ)ラベンダーと同じ科で、ねじれた木質の茎をもち生長すると1.8mほどになる常緑樹である。「Rosmarinus(海のしずく)」といわれるように海の色の青い花を咲かせる。利用法:香りは強く、料理ではマリナード、シチュー、匂いの強い鳥獣肉などに使うとよい。またエール酒の香辛料として最もポピュラーなハーブである。薬効:神経を安定させ、消化機能を助け、心臓と頭脳の働きを強化する作用があるので、他のおだやかなハーブを取り混ぜてハーブテイーにするとよい。また浸出液を頭髪にリンスとして用いると、毛根に刺激を与え、養毛剤になる。また防腐剤としての作用もある。 ◆フェンネル(Fennel) (ウイキョウ)葉は長く、細かく切れ込んでいる。。夏になると大きな黄色い花をつける。花、種子、茎など全草利用できるハーブ。ヨーローッパでは「魚のハーブ」とも呼ばれ,魚の臭みを消すために利用される。一般に、フェンネルにはフローレンスフェンネルといって株元が大きくなるものと、スイートフェンネルという株の大きくならない多年草のフェンネルがある。またブロンズフェンネルといって青銅色のユニークな品種もある。利用法:魚料理のほかにパンや菓子に種子を焼き込んだりピクルスに漬け込む。フローレンスフェンネルはスイートフェンネルに比べ甘い味がする。薬効:胃腸の消化を助ける。またやせるハーブとしても知られる。 ◆マルメロ ジュリエットの結婚式の準備をするキャピレット夫人と乳母の会話に出てくる。ジュリエットの悲嘆をよそに、浮き立つ大人たちの気分にぴったりの甘美な香りの果物。多産・結婚をあらわすが失望や誘惑をあらわすこともある。

荻悦子詩集「樫の火」より~「冬の星」

冬の星   流星が見えない夜が明けると 父の命日だった 夜には昨年と同じように 近くの大学のホールへ クリスマスコンサートを聞きに行った 高名なヴァイオリン奏者は 姿からして鮮烈だった ドレスの色が真ん中で 縦に白と黒とに分かれていた その人はすぐに聴衆をひとつにした 流浪する人々から想を得たという ラヴェルのツィガーヌ 遠くにあった畏れ 耳で身体でそれに触れさせる 大きく弓を引き 最後の一音を終えたとたん 幼い男の子がわっと泣いた 演奏会が終わると 丘の上の空に 星がいくつか瞬いていた あれは何等星くらい? 推し測る目安をもう思い出せない それから幾日か過ぎ 同じ人の演奏をCDで聞いている リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ ひとつひとつの音がくっきりと立ち ヴァイオリンの音色は 太く深く響きながら高みへふいと舞い上がる このようには私は翔けられない 私は車輪梅の枝を手にしていた 黒い小さい実を棚に飾ろうとしていた 部屋の明るさ 椅子の綻び 実の枝を飾る位置 心にあったことが飛び去り 手近な物の色や形が遠退いてしまう 窓に近寄って空を見上げた 空は星の光を隠して暗く凪いでいる ピアノの音が 澄んで流れる水面を叩きながら渡ってきて 鳩尾の辺りから身体を揺さぶる 葉も実も乾いた車輪梅の枝を握ったまま 私はくっと頭を垂れた 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

追憶のオランダ(8)アンパンを買いに行く

私が住んでいた当時(1990年代)のロッテルダムには日本人が大人子供を合わせて約400人、他のヨーロッパの大都市のように日本食材を売っている店はなく、中国人の経営する店の何ともエスニックな匂いの立ち込める中の中華食材に紛れて怪しげな日本食材や東南アジア向け日本から輸出されたお菓子類が期限切れ寸前、あるいは期限切れで置いてあるくらい。しかし、アムステルダムまで行けば(ロッテルダムから北へ約75kmの距離)明治屋があって生鮮食品を除けば欲しいものほぼ揃うのですが、そうたびたびというわけにはいきません。また、ドイツまで足をのばせばデュッセルドルフ(ロッテルダムから東へ230km)には日本人が大勢住んでいるので、食材屋もレストランも色々揃っていました。 そんな日本食に飢えた生活をしていると、不思議なことにそれまで日本ではあまり食べなかったものもなぜか無性に食べたくなったものです。ある時、日本人仲間で「アンパン」の話になり、デュッセルドルフには木村屋の店があり、本物のアンパンが食べられるということで、オランダからわざわざ買いに行くことになりました。片道230kmなら車を飛ばせば2時間弱で楽々行ける、こう考えるようになったということは、やはり禁断症状が進んでいる証拠でもあります。例えば、今、中野島から高速に乗って浜松の先までわざわざウナギを食べに行く、いやアンパンを買いに行く気になるでしょうか? ただのアンパンを、です。 たまたま、私はデュッセルドルフには仕事で行く機会も時々あったので、知り合いの注文も聞いて、最初は2―30個買ってきました。これに味をしめて、次行く機会があればと、また注文が入る。ということで、パン屋の出前ではないですが、都合何回かアンパンの買い出しに行くことになりました。 しかし、ある時、昼を過ぎてからパン屋に行ったらもう4-5個しか残っていなくて、「いつもオランダから買いに来てるんですが・・・。」と困った顔をしていると、店の人が「夕方、もう一度来てください。20個なら新しく用意します。」と言ってくれるではないですか。やはり日本人の店だ、おそらくドイツ人だとこうはいくまい、オランダから来た甲斐があったというもの。ともかく、仕事を早々に終えて夕方急いで店に行くと、もうできています。喜び勇んで大きな紙袋に入ったアンパンを車のトランクへ入れ、一路我が家へ。8時前には帰り、トランクを開けて紙袋を取り出したところまではよかったのですが、いざ紙袋を開けてみると、何とアンパンが大集合をしているではないですかーーー!出来立てのアンパンが車の中で振動のため隣同士がドンドンくっつき、丸いはずのアンパンがいろいろな形の角と面を持つ、何と言おうか、少し締まった多面体になっているではないですか。なんとも不思議な多面体のアンパン。でも、味は何らかわらないので、皆面白がって喜んで食べてくれました。 出来立てのパンにはくれぐれも御用心、ある程度冷まして、いくらか水分も蒸発させないと・・・。

シンゴ旅日記インド編(その33)シン、シンハ、シンガの巻

インド人はターバンをしている。違います。ターバンをしているインド人がいるのです。 シーク教徒です。グル・ナーナク(1469年~1528年)が始めた宗教です。 シークとはサンスクリット語で弟子の意味です。 総本山はパンジャブ州のアムリトサルにあるハリマンディル(ゴールデン・テンプル)です。 経典はグル・グラント・サーヒブと呼ばれる1430ページもある経典です。 (ヒンズー教+イスラム教)÷2のような宗教です。 ヒンズー教の輪廻転生を肯定し、イスラム教と同様ヒンズー教のカーストを否定しています。 イスラム教の影響を受けていますが、ジハード(聖戦)はありません。 唯一神です。世界の宗教にはいろんな神がいるがそれは一つであるというものです。 タバコ、アルコール、麻薬は禁止、肉食は自由です。いろんな宗派があり、ターバンをしているのはカールサー派です。髪の毛を切らないのです。五つのKのつくものを体につけます。 1. 長髪(ケシュ)2.膝上までの縞柄パンツ(カッチャー)3.真鍮のブレスレット(カラ)4.短刀(キルバン)5.木製の櫛(カンがー)です。 シーク教は人口比ではヒンズー教(81%)、イスラム教(13%)、キリスト教(8%)についで2%です。 団結力が強くムガール帝国や英国との闘争してきたため官吏や軍人に警察官などの職につく人が多いようです。カーストが無いので比較的裕福な知識層が多いようです。 開祖ナーナクはパキスタンのラホールで生まれました。誕生日は11月21日です。 いまでもその誕生日の前後にはインドのシーク教徒がラホールに巡礼の旅に出ます。 またこの誕生日は北インドの州では祝日になっています。 シーク教徒の多くは名前の後に男性はシン(Singh)、女性はカウル(Kaur)を付けます。 シンはライオンでカウルは女王の意味です。 日本ではかつてのインド人プロレスラーのタイガー・ジェット・シンが有名です。 また首相を務めたマンモハン・シンもシーク教徒です。 このシンはタイではシンハとなります。シンハ・ビールです。 頼む時は『ビア・シン』を言います。しかし後発でより安い『ビア・チャン(象)』に追いかけられています。 シンガポールという国名のマレー語読みはシンガ・プラ(ライオン・シティ)です。この国のビールはライオン・ビールでなく、タイガー・ビールです。 中国語ではライオンを昔ザンゲイと呼びサンスクリット語のシンハからの音読みだったと言われます。 沖縄でもシーサ、本土ではシシと呼びますよね。 唐獅子、狛犬、シーサーは皆兄弟みたいなものですよね。 日本のビールはキリンですよね。でも銀座ライオンもあります。スリランカにライオン・ラガーと言うビールがあるそうです。でも、シンと言えば日本ではオ・シン、カツ・シンが有名です。モリカワ・シンもいました。古いギャグですみません。私も名前にシンが付きます。ジャン、ジャン。

コッツウォルズ紀行㉝~心残りはミュージカル

1999年に、自ら企画、実行したイギリス自由旅行記「コッツウォルズの歩き方」を掲載しましたが、実はこの旅行についてのいくつかのエピソードや感想があります。随分と昔の話で恐縮ですが、書きためたものをいくつか紹介していきます。 ———————— 心残りはミュージカル 今回の旅は、初めて自分で企画実践した割には、まずまず成功だと自負している。それでも実はやり残したことがある。それは、ミュージカルだ! ロンドンのウエストエンドは、ニューヨークのブロードウエイと肩を並べるミュージカルのメッカである。そのロンドンに行くならミュージカルを見ない手はない。実は、ロンドンに入った初日か2日目にミュージカルを見ようと計画していた。人気の高い「オペラ座の怪人」などは半年先まで予約で埋まり、チケットも日本円で5万円(正規の料金の10倍)ものプレミアムがついている。 そんな超人気のものでなくとも、「スターライト・エキスプレス」「キャッツ」「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」「グリース」「美女と野獣」「ジーザス・クライスト・スーパースター」と挙げればきりがないが、どれかひとつくらいは見られるであろうと思っていた。 夕食を摂るまではその気でいたのだが、何だか疲れてしまい早くホテルに戻ってゆっくりしたいという気持ちになってしまった。今回の旅行では、とにかく朝は早く目がさめ、積極的に歩き回ったせいかいつもより疲れ気味になったようだ。結局、二人ともミュージカルのことはついに口にせずじまいであった。せっかく本場のオリジナルを見る絶好の機会だったのだが・・・残念! こんなことを言うと、ミュージカルファンのように聞こえるかもしれないが、実は、本場だから見てみようと思っただけだ。これまでは全く興味がなく、日本でも見に行ったことがなかった。帰国してから娘の誘いもあって初めて見たのが「Wicked(オズの魔法使い)」であった。無知の私は、正直「ミュージカルなんて劇に歌がついただけで、面白みがあるとは思えない。劇なら劇、歌なら歌だけ聞いた方がよい」と思っていた。 ところが、「Wicked」を見たときには、体が震えるほど感激したのだ。それ以前は1800円払って映画を見るのも億劫で、封切りからかなり時間が経ってしまうがテレビで同じものが見られるのだからそれで十分と思っていたくらいだ。それがこのミュージカルを見てからは、10000円以上支払っても価値があると思うようになりその変わり様には自分でも驚いた。 それ以降、「キャッツ」「美女と野獣」「アラジン」などいくつか連続して見に行った。中でもよかったのは、それこそ本場イギリスから来た「WAR HORSE(戦火の馬)」の日本公演である。あの狭い舞台でまさに戦場に居るような錯覚を覚えさせる演出・技術が素晴らしくまたまた感激したのだった。いつかまた機会があれば、ロンドンでミュージカル見たいと思っている。 ——————————- (付記) 我々団塊の世代は会社人間になってしまうことが多く、家庭を顧みなかったり、近所付き合いが下手で、退職後の暮らしが寂しいものになりがちだとよく言われた。現役の頃は同僚や得意先の人と出張で飛び回ったり、趣味なら休日もゴルフに出かけたりで忙しく過ごす。ところが、一旦退職して会社時代の人とのつながりが減ると途端にすることがなくなり元気もなくなってしまう。 そういう寂しい老後にならないためには、50歳位から定年までに老後も継続できる趣味を作っておくべきだと言われた。できれば、1人でできる趣味とグループでできる趣味の両方があれば理想的とも。このことは、丁度50歳になるときに会社の研修でアドバイスがあったもの。今思うと確かにその通りである。 その意味では、「旅」は新しい自分を発見できる良いチャンスであろう。昔から「傷心の旅」という言葉があるが、別に心が傷ついていなくてもおすすめである。何故なら日常から離れることで何かしら新しい自分を発見できると思うからだ。そしてその旅は、できれば与えられたお仕着せのものではなく、できるだけ自由気ままな旅であればなおよいと思う次第だ。 (了)