オランダ点描(20)ジュネーバー

日本の皆さんはこの「ジュネーバー」という名前をあまり聞かれたことはないのではと思います。これはオランダのSoul drinkともいうべき酒の名前なのです。アルコール度数40度の麦類などから作った蒸留酒です。GeneverともJeneverとも書きますが、ジュネーバーと聞こえるような発音をします。 私のジュネーバーとの出会いは、10年ほど前日本に出張に来たオランダ人(今、その人物と一緒に働いてます)に土産にと茶色の細長い陶器の瓶(内容1リットル)にはいったものをもらったのが最初です。さっそく、その場で同僚とともに3人で飲み始めました。通常は冷凍庫に入れて、ギンギンに冷やして(冷凍庫でも凍りません)飲むものらしいですが、その時は冷やさないまま冷たいビールをチェーサーにして。 その第一印象はと言えば、まずアルコール度数も割に高く効きそう、ちょっと慣れない特有な香りがする・・・、でも結構いける、というものでした。気がつけば2時間くらいであっという間に1リットル瓶が空になってしまいました。そこまではしっかり覚えていたのですが、不覚にもその後は記憶が完全に飛んでいました。 私は今、そのジュネーバーの国に住んでいるのです。当然、会社に日本からの客が来れば、まずは味わってもらいます。感想を聞いて、お世辞も含めて気に入ったと言ってもらえる割合はそんなに高くないのが、私としては少し残念です。やはりこれはほんとうの酒飲みの酒でしょうね。 焼酎の一種ですからアルコール度数は当然このくらい高い。初めての人が躊躇うとすればやはり独特の香りではないかと思います。この香りの本体こそがこの酒の名前の由来にもなっているのです。ヒノキ科の針葉樹の実「ジュニパーベリー」(右の写真)などで香りをつけているとのことですが、「など」の方に重点がある香りなのです。ずばり、アニスの香りです。 もともとは焼酎にいろいろ薬草をつけ込んだ日本の薬用酒「養命酒」のようなものも色々な種類があり、その中のもっともシンプルなものがこのジュネーバーなのです。また、これがオランダからイギリスに紹介され、そこで発展したのがドライジンなのです。こちらの香りはジュニパーベリーではありませんが、今では兄貴分のジュネーバーよりもすっかり世界的に有名になってしまっています。私も若い頃はジンフィズなどというジン・ベースのかわいいものを飲んでいましたね。 日本人は、アニスの香りがあまり好きではないようですが、不思議なことにお隣の唐土(チャイナ)の白酒(パイチュウ)とかドイツのシュタインヘーガー、スウェーデンのアクアビット、それから水で割ると白濁するギリシャのウゾなどいずれもアニスの香りのついたものが好まれているのも面白いですね。 アニスの話が出たところで、もう一つお話しすると、オランダではドロップの元祖ともいうべき真っ黒の飴があります。しかし、日本の黒飴とそっくりなのでその感覚で口に入れた日本人は、十中八九すぐに吐き出します。そうです、これもアニス味なのです。 また、カラフルなキャンディーもありますが、色と味は無関係、一様にアニス味で、見事にだまされます。私も最初はこの味に少し抵抗もありましたが、これは意外にもすぐ慣れてしまいました。いつだったか、会社の同僚が悪戯のつもりでくれたそのドロップを平気で舐めていると、しばらくして「お前は珍しい日本人だ。」と言って目を丸くします。なぜと聞くと、歴代の日本からの駐在員たちはどうやら皆敬遠していたとのこと。郷に入っては郷に従え。これが一番です。 そんな訳でもないですが、我家の冷凍庫にはジュネーバーの1リットル瓶が常に最低2本出番を待っています。いつ会社の同僚や近所のオランダ人たちが遊びに来てもすぐ振舞えるように。でも、時々補充を忘れて1本しかないこともありますが。 注)この写真は、帰国後の今も私が愛飲し続けている同じ銘柄のジュネーバーです。

あぁ、バレンタインデー

このところのバレンタインデー事情には疎いのですが、洋画を見ていると、その日は素敵なレストランに行って、男女を問わず豪華な贈り物をして、ときにプロポーズと、なかなか派手です。 日本のバレンタインデーの仕掛人がチョコレート屋さん(モロゾフ説と、メリー説があるようです)なのは有名ですし、最近すっかり定着した感のあるホワイトデーも、お菓子屋さんの陰謀(福岡は石村萬盛堂のマシュマロが最初)だそうです。 ホワイトデーのお返しは、バレンタインデーの二倍返し、三倍返しだとかで、職場では、チョコを上げると、男性陣がホワイトデーに気を遣うことになるので、自粛ムードでした。 ただ、休み明けだったりすると、手ぶらで出勤は寂しいので、テレビで見かけて以来、試行錯誤しながら作っていた簡単トリュフに挑戦です。 板チョコを削って湯煎にかけ、同量の生クリームと混ぜて冷蔵庫で1時間ほど寝かせ、転がして棒状にして切り分け、丸めます。 でもこのやり方、どうやってもタネはべとべと。棒状になんか、なりません。 仕方なく、ココアの粉の上にさじで落として、何とか形にします。 次の年はチョコレート2に対して、生クリームを1にしてみましたが、大差ありません。クックパッドを見ても、「絞り袋を使って」と書いてあります。テレビで肝心なコツを見落としたのかもしれません。 ココアをまぶしたのと、粉糖をかけたのと2色作ってみましたが、見栄えのせいか、白い粉糖が人気でした。味はココアの方がいいと思います。 ☆ ところでわが家の男性3人、義理チョコをもらってくる夫はまだしも、息子ふたりは手ぶらで帰ってきます。仕方なく、私がプレゼントしていました。 長男が6年生のときのことです。『学校でチョコを上げてはいけません』というお達しが出ました。 すると放課後、女の子がふたり、手作りらしいチョコを持ってきてくれました。息子は留守だったのですが、家に女の子がやってくるのも珍しく、喜んだのも束の間、「おばちゃん、〇〇くんの家、知りませんか?」 何のことはない、配って歩いていたのでした。 ホワイトデーがまた、情けない話です。せめて3人でひとつ、私にくれても良かろうに、それはナシ。それどころか、私がもらってきたクッキーを取り上げて食べてしまうのです・・・ そして、おとなになった息子たちが言うことに、「ほんとうは、バレンタインデーには結構、チョコをもらってたよ。だけど、お母さんには内緒にしてた。」 なんだそれは!! 優海

シンゴ旅日記インド編20 プネの我がアパートの巻

私の前任者が奥様と二人で住んでいたアパートに入りました。 インドでは日本や、タイとはいろんな意味でアパート生活が違います。単身ですので休日は炊事・洗濯・アイロン掛け・床掃除と結構『主夫』仕事があるのです。 スイッチ:『主夫』にとって必要なのはまずスイッチとコンセント。今までの国のコンセントとは形状が違います。 スイッチは縦型スイッチです。下を押すとON、上がOFFです。 コンセントの差込にも電源の入れ切りのスイッチがその横についています。コンセントにアイロンのプラグ差すだけでは熱くならないのです。 よってスイッチの数が多いのです。どれがどれだか分りません。 ここのアパートのオーナーは蛍光灯がないのに配線だけしてします。そのため点かないスイッチの数が増えるのです。 あまりにスイッチの数が多いので常時使うところは前任者の奥様にステッカーでどの電気製品を使うのか書いて貼って帰国してもらいました。 鍵をかける冷蔵庫:これがうわさの韓国のLG製冷蔵庫。鍵穴があるのです。見えますか? どうして? インドだからです。 奥様がつまみ食いする? 旦那がビールを飲み過ぎる? 本当はメイドが信用できないからです。 こんな発想は日本人では出来ませんね。韓国のメーカーは研究し尽くしているのです。技術は日本に任せて、その国で売れるものを作っていくのです。 日本ってありますよね、ボタンの多いリモコン。そのようなものはインドでは要りません。 まずンドは一日中暑いのでリモコン不要です。それもあるのです。韓国製です。 ゴミの処理:前任者からどこに捨てるのかはっきり聞いていませんでした。運転手はドアの外においておけば誰かが持って行きますと言っていました。しかし、まさかと思い最初はゴミを部屋の中に溜めていました。 しかし生活していればゴミは溜まるもの。ある朝にビン、缶の入った箱と生ごみ一袋、紙くず二袋をドアの外に置いて出勤しました。 帰宅してみるとなんと本当にすべてなくなっているのです。生ごみもですよ。 マジックですよね。本当に。 お母さん、私のあのゴミどこへ行ったのでしょう。(古いギャグでごめんなさい。) 蚊取り、蝿取り機器:電気蚊取り線香です。 下部のボトルに液体が入っておりコンセントに差すと蒸発します。 各部屋のコンセントに用意してありました。下のボトル部が詰め替え用になっています。 日本にもありますか? これラケットではありません。 その名も『Electronic Mosquito Trap』 です。取手部のスイッチを押すと電流が流れます。 飛んでいる蝿・蚊をラケットのヘッドで追いかけ接触させるのです。 蝿・蚊が電流に感電してイチコロという次第です。 その時にバチバチと音がします。これタイにもありました。タイではMade in Chinaでしたけど。 アパートのものには原産地が書いてありませんでした。 きっとインド製でしょうね。充電式です。 一番下にコンセントへの差込が出るようになっています。赤いポッチは『ON-OFF』です。 日本には昔、粘着テープを天井からぶら下げた蝿取り紙や、天井に止まった蝿を先がラッパ状になった筒で押さえ、筒を落ちてくると底には水の入ったフラスコが点いている道具がありましたよね。 ちゃぶ台の上には折りたたみのネットが、えっ、ご存知ない。失礼しました。 丹羽 慎吾

コッツウォルズ紀行⑳ブロードウェイ

この村に車で入っていった時、一瞬おとぎの国に迷い込んだような感覚におそわれた。 中世には交通の要衝として栄えたブロードウエイは村名にも由来する幅の広い道路沿いに古めかしいライムストーンの館が並ぶ。軒を連ねる家々は、その軒先に思い思いの花をあしらい、そこで暮らす人々の心の温かさを醸し出している。 少し道に迷ったが、ほどなくイギリス最初の宿、オリーブ・ブランチ・ゲストハウス(The Olive Branch Guest House)に到着した。正面玄関の案内に、「Parking Rear」とあったので裏の細い道から駐車場に回ると、ヒゲをたくわえた見るからに人のよさそうな宿の主人が出迎えてくれた。 ここはこじんまりとしたB&B(Bed and Breakfast)で部屋数は7つ。長旅の疲れもあるのでシャワーよりバス付きの部屋を希望したら空いていた。はるか遠く日本からインターネットでの予約もきちんと管理されており、改めて時代も変わったなと思う。 夕食はついていないのでおすすめを聞いてみると、宿の主人が村で評判のレストランを3軒紹介してくれた。心得ていて、B&Bへの顧客には高いレストランは不要とばかりに、安くて美味しい(?)ところばかりを教えてくれた。 それは、インド料理とウエスタンとPUBであった。部屋に荷物を置いて、早速散歩に出た。メルヘンの世界にしばらくタイムスリップして散策したあと、イギリス最初の夕食はやはりPUBにしようと決めた。 ~つづく~

オランダ点描(19)歩道

ハイウェイとか主要道路となるとさすがに石畳とかレンガ敷きのところはありませんが、街なかの普段の生活空間である道路は、特に歩道については石畳・レンガ敷きがほとんどです。ハイヒールの女性とか、足の不自由な老人とかにとっては微妙なデコボコがあり必ずしも歩きやすくないのではないかと気になりますが、どうもオランダの女性も老人もこの方が好きなようです。 石畳やレンガ敷きの道はアスファルトの持つ扁平な無表情な感じとはちがい、どこか温かみが感じられるからかもしれません。例えば一時的な大雨が降った場合、アスファルトかコンクリート舗装の路面では雨は地面に吸収されずすぐに道路脇に水たまりをつくってしまい、思わぬひどい目に合わされることもしばしばです。レンガ敷きの道なら効率よく雨水を吸いこんでくれます。降った雨水を無理なく地表から地下におくりこみ、水の自然循環という観点からも理にかなっています。 最近の日本は、昔のような土の道がどんどん少なくなって都市化・近代化の名のもとに至る所がコンクリートに覆われてしまい、折角の天の恵みの雨もすぐに行き場を失い道路に大きな水たまりを作り、その果ては濁流となって道路際の側溝を目指してあっという間に下水道へ。そして、地表をあまり潤すこともなく、あわただしく川から海に流れ去るだけです。豊かな地下水が蓄えられるチャンスはだんだん少なくなっているのではないかと心配されます。 そのレンガ敷きの歩道ですが、デコボコなく一面平らに敷き詰めるのはよほどの熟練が必要です。私は日本でこの作業を見たことはありませんでしたが、こちらではよく見かけます。まず、砂を敷き詰め、それを職人が2mほどの棒切れをもって一方の端を中心に円を描くように何度も一帯の砂の水準をあわせます。およそ水準ができたところで、端から一つずつレンガをおいて敷き詰めていきます。 一区画のレンガを置き終わったら、おもむろにゴムのついた大きなハンマーでレンガをトントンと叩いて回り、さらにその上に満遍なく砂を振りかけハンマーで叩きながら路面となるレンガの高さを平準にしていきます。言ってみれば極めて単純な作業ですが、私はしばらく職人の動きに見入ってしまい、職人から怪訝な顔をされたことが何度かあります。 そこで聞いたことですが、職人曰く、「一度の費用はかかるが、結果的に道路を長持ちさせるには、レンガを縦に(レンガの3面ある中の、細長い面を上に)敷き詰めるんだ。」と言っていたのを覚えています。写真は、そのレンガの並べ方が分かります。

シンゴ旅日記インド編19 ガネーシャの巻

お酒のつまみ その21 ガネーシャの巻 インドの神様のガネーシャをご存知でしょうか? 象の顔(頭?)を持つ神様です。ヒンドゥー教の三大神の一人のシヴァ神の息子です。 姿はお腹で出た中年おじさん風で、布袋様のようです。大食でも有名です。 また彼の乗り物(ヴァ-ハナ)はネズミです。 出生はこうです。 シヴァ神が留守の間に彼の妃のパールヴァティが彼女自身の召使がいないので自分の体の垢から人形を作り息を吹き込み、人間にしました。 そして自分は水浴をするからと門前で見張りをするように命じました。 その時夫のシヴァ神が帰って来ました。パールバティの息子はそれを父親とは知らず、家に入るのを阻止しました。 そして二人は戦いました。激しい戦いの末にパールヴァティの息子の首を切り落としてしまいました。 それを知ったパールヴァティは夫を激怒し、神々をも困らせました。神々は彼女の息子を生き返らせる約束をしました。 そのためシヴァ神が部下に北へ向かって進み最初に出会った生物の首を持ってくるように命じました。 部下が見つけたのは片方の牙が折れた象でした。そして象頭神として生き返った息子はシヴァ神の長男として大切な地位に着いたのです。 このガネーシャは私の住むプネのあるマハーラーシュトラ州のほかオリッサ州、ケーララ州など東インド、南インドで盛んに崇拝されています。 プネにはガネーシャを祀る8寺参りのコースもあります。 ある日、いつものようにスタッフと昼食をとると、皆の弁当がいつもと違うのです。 いつもはチャパティ(具のないお好み焼き)と一菜なのに、その日は豆のような、蒸かしたお米のような粒々のものだけでした(写真右端)。 キチャディという食べ物だそうです。 どうしたのと聞くと、今日は断食の日だというのです。 断食?イスラム教徒でなく、ヒンドゥー教徒が? 理由を聞くとこうです。 彼らはガネーシャを崇拝しており、今日はヒンドゥー暦(陰暦)の四日目で月の形がガネーシャの牙の形と同じ(三日月?)でその日には断食をするとのことです。 朝はお茶だけ、昼はその粒粒を食べて夜は普通の食事をするとのことです。その粒粒は太陽に当たらない部分、つまり地下にある部分なのです。 ガネーシャと月の関係は次のとおりです。 ある日お腹一杯食事したガネーシャがネズミに乗って帰宅途中で蛇に出会いました。蛇に驚いたネズミがガネーシャを振り落としてしまいました。 そうするとガネーシャのお腹が裂けて料理があふれ出てしまいました。ガネーシャはそれを拾い集めお腹に入れて蛇をベルト代わりにしてお腹をしばりました。 そして、またネズミに乗ろうとしました。するとどこからは笑い声がするのです。 それは一部始終を見ていたお月様だったのです。ガネーシャは右の牙を折ると月をめがけて投げつけ、誰もお前を見なくなるだろうと呪いを掛けました。 それから月は不吉な存在になり、月を見るものは不幸が起きるので誰も月を見なくなりました。 すると月は姿を隠し夜が真っ暗になってしまいました。 困った神々はガネーシャを説得して月に光を回復したり、失ったりするように変更させたのです。 これが月の満ち欠けする理由になっています。 私のスタッフによるとプネでは毎年9月に大きなガネーシャの祭りがあるそうです。その時は州外からも多くの人が来て街が一杯になるようです。また何千ものガネーシャの像が作られ、あちこちに飾られるとのことです。 会社にもその寄付の依頼があちこちから来るようです。 ガネーシャは『富と繁栄の神』『知恵と学問の神』『障害を除去する神』といわれます。 商人階級に大きな人気があるようです。 そういえばあるお客様の事務所の一角は大小さまざまなガネーシャで一杯でした。 断食についての後日談です。 他の州の人曰く、プネの人は今日はこれの断食だ、明日はあれの断食だと言って、力が出ないので仕事しないという理由付けしているのだと悪口言っていました。 ガネーシャは密教とともに日本に入り、『聖天』あるいは『歓喜天』と呼ばれています。正式には『大聖歓喜天』と言います。聖典を祭った最大のお寺は奈良・生駒さんの宝山寺です。日本の聖天振興はきわめて秘教的な色彩が強く、象頭の男女神が抱き合った姿の独特の双身像を礼拝します。ほとんどの寺ではその神像を秘仏として公開していません。 聖天の祭式にはごま油を掛ける欲油供があったりしてインド的な要素が残っています。 双身像は日本では珍しいのですがインドでは性力信仰(シャクティズム)の隆盛により配偶像を伴う神像は沢山あります。

コッツウォルズ紀行⑲ヒドコート・マナー・ガーデン

チッピング・カムデンの高台に建つ館のこの広大な庭は、19世紀初頭に、植物収集家として知られるアメリカ人、ローレンス・ジョンストン少尉が40年の歳月を費やして完成させたもので、20世紀を代表するイングリッシュガーデンと賛えられている。 このガーデンの最大の特色は、それぞれの庭は部屋(アウトドア・ルーム)とみなされ、合計28もの独立した庭で構成されていることであろう。長さが200mもあるロングウオーク、赤い花のみのレッド・ガーデン、4匹の小鳥のトピアリーがシンボルのホワイト・ガーデンなどいずれも個性的である。 今朝方、バーンズリーハウスガーデンを見たときも感動したが、ガーデンの構図というか全体のイメージは、スケールこそ違っていても日本でも見ることが出来そうなものであった。しかし、この庭園は違う。初めて本場のイングリッシュガーデンを肌で感じたこの感動は筆舌に尽くし難い。 旅の初日で随分といろいろなところを訪れ、たっぷりと異国情緒を味わうことが出来た。陽はまだ高く時間的には何の心配もないが、少し疲れたので今日は早めに宿に入ることにしよう。今日の宿は初めて日本からインターネットで予約したB&Bだ。ブロードウエイにあるOlive Branch Guest Houseというメルヘンチックな名前のB&Bに向かう。 ~つづく~

フランスあれこれ(5)黒い腕章で結婚式

50年ほど前のフランスでの話です。パリ駐在でしたが同僚の秘書が結婚することになり、ある週末彼女の結婚式に招かれました。多分5月の初めころの季節だったかと思います、美人の花嫁にふさわしい明るく緑豊かで実に爽やかな絶好のお日柄でした。家族や友人30名くらいだったでしょうか、10時頃郊外の小さな教会で挙式、その別棟の部屋で昼食を賑やかに頂きました。お父さんからの挨拶と友人からの花束程度で特別の祝辞や形式ばったこともなく、各自ばらばらのワインの乾杯で食事をしました。 どこからともなく楽器のリズムが聞こえてきました。一人また二人と庭に出ていきます。花嫁も誘われて庭に。自然と踊りだす人がいて、それにつられてそれぞれ適当なカップルを作りながらダンスが始まりました。勝手バラバラながら多くの人が庭に出た頃、今度は賑やかな音楽に変わりました。途端に皆が手を取り合ってフォークダンスとなりました。全員が手を取り合って足を上げ、一回転して前進、挨拶をして後退、再び手を取って・・・といった具合です。 花嫁が私と手を取り合う隣になったとき、私が彼女に改めて「おめでとう」と祝福、同時に気になっていた質問を投げかけました。それは先ほどから気になっていたことですが、一人の古老の紳士が左腕に黒い腕章をしていたことでした。咄嗟に花嫁は大声で「ポール!ちょっと来て!」とその紳士を呼び、私を紹介、「叔父さんムッシュウ アヅマに叔父さんの腕章について説明してあげて」と言って二人をダンスから外しました。 そこで彼曰く、「先の大戦の無二の親友が昨夜亡くなりました。突然でした。知らせを受けてすぐにも飛んでいくべきかとも思いましたが、今日は大事な姪っ子の結婚式、外す訳にも行きません。彼とは東部の前線で同じ塹壕に入り、生死を共にした戦友でした。でも彼とは十分なほど同じ時間を過ごしています。私より一足早く彼は神に召されました。今日姪っ子は神の祝福を得て一世一代の結婚式です。彼も許してくれるでしょう。遠からず彼とは会えるでしょうが、姪っ子の結婚式は今回だけでしょう。私は人間生きている間のお付き合いを大事にしたいです。それでも私は今日一日親友を忍んで喪に服します。」ここで彼の瞼に白いものが光りました。 「人間生きている間のお付き合い」肝に銘じた一瞬でした。しかし日本に帰って後、私の仕事の机の引き出しにはいつも黒いネクタイと腕章が入っていました。得意先とはいえ、そのご家族などの訃報が届けばお通夜やご葬儀にどれだけ駆け付けたことやら。 数年後私の弟が急逝しました。最後まで激励を続けながら病院通いをしました。もう駄目だという話を耳にしながら海外出張に出ました。すぐに訃報が追いかけてきました。弟の葬儀には出席出来ませんでしたが、その日一日は黒い腕章をポケットに忍ばせました。 東 孝昭