オランダ点描(22)ジャガイモ

オランダで芋といえば、ジャガイモ。もしジャガイモがなければ、今のオランダは存在しなかったかもしれません!これは歴史上の事実を踏まえた話で、誇張でもなんでもありません。また、現在のオランダ人もジャガイモがなければ、多分生活が大きく狂い出すかもしれません。その意味ではオランダ人は新大陸からジャガイモを持ち帰ったコロンブスには感謝、感謝のはず。 ジャガイモは北ヨーロッパのような気候の厳しい寒冷な土地でもよく育ち、当時の極端な食糧不足(飢饉)が発生した時、ジャガイモによって多くの人々が飢餓から救われたことがありました。それからか、ジャガイモは北ヨーロッパ特にオランダ・ドイツでは主食・副食・おやつ等大変重要な食物になっています。 ゴッホの初期の暗い色調の絵の中にも「ジャガイモを食べる人々」と題したものがあり、小さな食卓を囲んで器に盛られたジャガイモを家族みんなで食べています。100年以上も昔の貧しい農家の夕食の情景のようです。 現在といえば、街を歩けば至る所でフリット(ポテトフライ)を売る屋台があり、歩いている人の多くが、三角の紙袋、あるいはプラスチックの皿の山盛りのポテトを頬張っています。あたりには香ばしい香りが漂っています。これが昼飯代わりか、ちょっとしたおやつか。またレストランに入っても余程高級なフランス料理でもない限り、注文した料理には必ずと言っていいほど付け合わせとしてフライドポテトかマッシュポテトがついてきます。それも、これでもかという程どっさりと。 ここまで書いて急に思い出しました、オランダの代表料理の一つ、「フッツポット」。 この料理もマッシュポテトを使います。対スペイン独立戦争終盤、オランダ市民軍はライデンの砦に立て籠もり喰うや喰わずの状態で頑強に交戦していました。そして、最終的に包囲していたスペイン軍をマース川・アイセル川の堤防を敢えて決壊させ水攻めにより撤退させライデンを解放した時に彼らが見つけたものは、野営地で食事中のスペイン軍がその場に置き去りにしていった鍋に残された料理だったのです。それこそが「フッツポット」のはじまりです。詳しいレシピは置くとして、ジャガイモに少しニンジンとかを加えマッシュ状態にしたものを皿にドーナツ状に置き、真ん中に牛肉の煮込みを盛りつけたものです。おそらく、激戦でボロボロになっていたオランダ市民軍は久々のしかも珍しい料理に感激し、思わずむさぼったのではないかと想像されます。でなければ、その後400年もの長い間食べ続けられたりはしなかったでしょう。 私はオランダ語では会話できませんが、英語での会話の中ではよくPotatoが出てきます。イギリス人・アメリカ人もやはりジャガイモが身近なものなのだとその時気づきました。Hot Potato とかSmall Potatoとか、オランダ人もよくこの表現は好んで使っていますが、むしろ、このジャガイモを使う表現、この発想はオランダ人ならではだと思いますが、如何でしょうね。

シンゴ旅日記インド編(その22)雨に濡れてもの巻

モンスーン到来です。その前夜は雨が降り、雷が鳴りました。 その日の朝も少し曇っていました。 夕方に社有車の運転手の結婚披露宴があります。 よってここ数日の出勤はレンタカーの運転手です。 いつもは運転手からアパートに着いたとの連絡があります。 しかし、その朝は8時を過ぎても連絡がありませんでした。 きっと運転手が昨日と代わり、別の運転手がすでに来て、下で待っているのかも知れないと思い、カバン持って下に降りて行きました。しかしレンタカーは来ていません。 5分程待ちました。でも何の連絡もありません。 仕方ないのでオート(小型三輪タクシー)で行こうとアパートを出て50mくらい歩きました。 すると前から黄色いナンバープレートのレンタカーが来ました。 運転席には昨日の運転手の顔が見えました。 何で連絡くれないのかなと思いました。 しかし車が違っているようです。車に乗って分かりました。 なぜなら昨日の車のフロントパネルの上はガネーシャの飾りであったのが、今日はサイババだったからです。 その写真を取らせてもらい会社に向かいました。 いつも来ている総務担当が遅れているのか、一名しかいない営業マンが手持ち無沙汰にシャッターの前で待っていました。総務担当は始業を過ぎても連絡ありません。心配です。スタッフはもう一人メンテマンがいるのですが、今日は出張中なのです。 総務担当は始業から10分過ぎて現れました。 『携帯電話のバッテリーが壊れています。すみません。』。 今夜の披露宴へどうやって行くかを3人で相談しました。 一応営業担当と総務担当の二人が私のアパートに通勤車(オートバイ)で集合し、そこから今借りている車で一緒に出ようということになりました。 アパート出発は7時としました。 営業担当は母親を病院に連れて行くから早めに会社出るとの申請があり、私は承認しました。 (日中の出来事は省略します。) 時間は変わり、夕方6時、場所はまだ事務所です。 総務担当は先月の経理の資料を作成中です。 そこに先に帰宅した営業マンから電話がありました。 すでに私のアパートに着いたとの連絡です。 おいおい出発は7時のはずではないか、早すぎるぞ。 早く着いた理由は彼が母親を連れて行った病院が私のアパートの近くであり、彼の自宅に戻ると時間がかかるので、私のアパートに行ったとのことでした。 だったら早く帰らないでね、お母さんはどうしたのと要らぬこと考える私です。 それならばと総務担当を事務所に残し、私は事務所を出てアパートに向かいました。 アパートに着くと営業マンは朝と同じように手持ち無沙汰で自分のオートバイの側に立っていました。 私は車から降りて営業マンに部屋で総務担当を一緒に待とうと言いリフトに乗りました。 私は彼に日本の緑茶のサービスをしました。 『丹羽さん、これにはミルクも砂糖も入れないのですか?』 『!?』 『私の友人がマレーシアでジンセン・コーヒーを買って来てくれました。 インドにも売っていますが、ハーブ味で美味しいです。』 などと答えに窮する会話をしたり、インドの風習について聞いたりして時間をつぶしていました。 しかし7時を過ぎても総務担当から連絡がありません。 7時20分頃に『やっと近くまで来ました、電話のバッテリー切れかけです』と連絡がありました。 しばらくして部屋のドアがノックされ総務担当が現れました。 そして3人そろって下に降りていきました。 あれっ、レンタカーがない、運転手がいない。 総務担当が『ちゃんと待つよう伝えたはずなのに』とぼやきます。仕方がありません。 皆で歩いてオートを見つけるため通りへ向かいます。 営業マンに新郎へのお祝いの食器セット(27枚入り)を持ってもらいました。 オートを見つけ狭い後部シートに3人が座ります。私は二人の真ん中です。 二人が股を開いているのに私は女の人みたいに膝揃えていました。 結婚披露宴会場である社有車の運転手のアパートへは30分くらいかかりました。 その間にその花婿である運転手からまだ到着しないのかとの督促の電話が2回総務担当にありました。 オートは線路を超えて大通りを走り、小さな路地に入ります。 そして元の道にもどったりしています。 会場が分らないみたいです。 総務担当は電池が無くなりかけなのに携帯で新郎に道を聞いています。 路地の奥まで入ったのですが披露宴会場は路地の入り口でした。 こうゆう時は小さい三輪のオートは便利です。 狭くても2、3回の切り替えしでUターンできます。 やっと着いた披露宴会場は新郎の家の裏の空き地を利用しています。 垂れ幕も用意されており、支度しているのは近所の若者たちみたいです。 一応客席ように多くの椅子がセットされて、その椅子に座っていると新郎が登場し、部屋の中に入れと言います。 おっ、我々は特別ゲスト扱いか。 案内された部屋は外からドア一枚で繋がっています。彼が使っているベッドのある部屋です。 部屋の棚には水槽に魚が泳いでいます。 そこで新婦を紹介され、おめでとうとお祝い品を渡します。 『これ君たちだけじゃないのよ、これからは私たちもご馳走になるためよ』 と月並みな冗談を言う私でした。 チェンナイでの二人の結婚式のアルバムを2冊見せてもらいました。 そうしたら急に部屋のドアを閉めると言ってきました。 雨が降って来たのです。モンスーンの季節なのです。 外で食事を振舞う用意をしていたので外の会場は店仕舞いで大変です。 私たちは部屋で食事をいただきました。 言い忘れました、私の運転手はキリスト教徒です。新婦もそうです。 よく見ると部屋にもキリスト様の絵が飾ってあります。 私は朝からどんな料理が出るのかが楽しみでした。 今までの結婚式は全てベジです。 ベジとノンベジの両方が用意してあるのかな。 出てきた食事は黄色いサフランライス(?)とチキンのカレー煮でした。 お腹空いていたものですから、残さずに食べました。 新郎が気を使いお代わり進めますが、残念もうお腹一杯でした。 訪問客も少しですが部屋に入ってきます。椅子は6脚しかありません。 私たちが3脚を占領しています。 子供連れ夫婦も部屋に入ってきて食事を始めました。子供はベッドの上で食べてます。 その父親が私の方をちらちら見てうちのスタッフにどこの国の人間か聞いています。 なんでもプネで空手を習っているそうです。紫帯とのことです。 習った先生はインド料理が苦手だったと言います。 辛い食事は大丈夫かと聞かれました。 私は答えました。『大丈夫です。毎日食べています。』 食事が終わり狭い部屋の少ない椅子を占領しているのが申し訳なくなりました。 外へ出ました。誰もいません。当然です。雨が降っています。 軒下で雨宿りしている同じく軒下にいた若者たちと目が合いました。 『ハーイ、レイン・ダンス』と声を掛けました。仲間を呼んできて本当に踊りだしました。 私にも来いとお誘い掛かります。私、当然行っちゃいます。 雨の中でインドの若者と踊ります。踊りは昔のサタディ・ナイト風。 若者のお尻に我が尻をスリスリします。これ受けました。もう30年以上も前のスタイルです。 カメラ持った人が出て来てフラッシュをたきます。私さらにポーズをつけて胸を反らせます。 硬い背骨、反らない、疲れますよ。高血圧だし。 みんな私の年知らないんだもの。 後ろで踊っている若者に前に出て来いといって私は下がります。 そして疲労困憊で軒下に戻って休憩。 これを2回繰り返して、踊らないうちのスタッフにもう帰ろうよと伝えます。 9時はとっくに過ぎています。新郎に挨拶し、踊る若者に手と腰を振ってさよならして会場を去りました。 これからが本題。『雨に濡れても』です。 3人で大雨の中をオートを求めて歩きます。 夕方に会社からアパートに戻った時、レンタカーの運転手に『ちょっと待っててね』と再確認しなかった私の責任です。反省しています。 ちょっとした油断がこんな大きな問題を引き起こすのです。 大通りに出ました。やっと来たオートを捕まえてスタッフが聞いています。 私のアパートの方角へ行くのは駄目らしいです。 隣に傘をさして立っている人がいました。インドにも傘を差す人がいるんだ。 スタッフ二人はハンカチで頭を覆っています。私は何にもありません。 […]

詩~「星群」

星群   シンバル わわっと背を揺すられる その後ろで ヒューと 花火のように 高く昇っていく音 ペルセウス座流星群が見えるかもしれない 明かりは消してある ベランダの天井が仄白い そこに 柱の影が折れて二本 霞んでしか見えない街灯の光が 手すりの下に嵌まった網ガラスに 淡い茜に滲んでいる いつまでも何ほどか色を帯びて ぽおっと広がる大気 闇のない夜 ペルセウス座星群が近づいてくる ヒューと昇っていく 聞いたことのない物の音 同時に シンバル モダンジャズは鳴りやまない 背中に接触しているアルミサッシ 闇のない夜の空 あなた いま何をしているのですか 呟いて 空になったビール缶を弱く捩じ曲げる ペルセウス座星群は真上に 流麗な光が束のように 束のように光があるはず 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

オランダ点描(21)郵便

数ヶ月前のことだったが、朝事務所に出勤していつものように郵便物にざっと目を通していると、その中にそれまではあまりなじみがなかった会社名の大型の封筒がありました。よく見てみると、何と前日に出席したある会合の昼食会の時、同じテーブルについて初めて名刺交換をした人物からのものであることがわかりました。まだその時点では「なんだ、昨日は書類を送ったなどとは言ってなかったが、こちらとコンタクトをとろうとしていたのか・・・。」と思って、封を切りました。しかし、同封された小冊子に添えられていた手紙には、「昨日は大変楽しく話ができてよかった。この小冊子は何かの参考になると思うので送ります。今後ともよろしく。」とあるではないですか。 咄嗟に、驚きで何が何だか分からなくなりました。慌てて封筒の消印を確かめたら、はっきり昨日の日付と午後の時間が読み取れます。また、昼食後別れた時間を思い出して「2時を少し回っていた」ことを確認し、さらに、車で市内の事務所まで帰る所要時間、私の名刺を秘書に渡し小冊子を送るよう指示し、それが発送されるまでの時間、後は郵便局の手で翌日の朝一番で私の手元にその封筒が届くまでの流れを想像してみました。自らが直接持参したとしても、翌朝一番というのは容易な事ではないと思われるのに、普通郵便(速達などではなく)として、そんな早く集配できることって、日本ではあるだろうか?と、思わず知らず日蘭を比較してしまいました。そして、その時は大変な驚きを感じました。これが、わずか100円足る足らずの料金で成り立つサービスだろうか? *注) オランダのビジネスマンのさりげないスマートさとオランダ郵便局PTTPostの仕事の迅速さに感激して、その日は一日中妙な興奮のまま過ぎたことをつい昨日のように思い出します。 *注)1996年当時の郵便料金 一般封書が80セント(50円程度) 大型封書が1.6ギルダー(100円程度)

シンゴ旅日記インド編(その21)インドと日本の神様の巻

インドのバラモン教、ヒンドゥー教は日本人にとって遠い存在ではありません。 バラモン教、ヒンドゥー教の神々が日本の仏教、密教の中に多く入って来ているのです。 その姿は頭が3つ、4つあったり、手が4本、中には千本もあったりする姿が多いようです。 本当は“仏”像と言ってはいけないのでしょう。 ヒンドゥー教の神々は中国で漢訳され日本に入って来ました。 その時ヒンドゥーの神様たちに『天』が付きました。 サンスクリット語の『デーヴァ』です。『デーヴァ』は男神、『デーヴィ』は女神です。ねっ、夫人。 さてここで質問です。日本の七福神の中に何人のヒンドゥーの神様がおられるでしょうか? それではインドの三大神からです。 絵の左からブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神です。 ブラフマー神 :『梵天』創造担当です。 宇宙の根本原理を表しますい。頭4面です。 仏陀が悟りを開きその内容を人に言わないでおこうと考えて いた時にこの梵天が現れ教えを説くことを要請したと言います。(『梵天勧請』) でもこの神様、現在ではあまり人気がありません。 神様の相談役的存在です。 シヴァ神 :『大自在天』『大黒天』『湿婆天』『不動明王』破壊の担当です。 色が黒いのでアーリア系でなく土着のドラヴィタ系の神様をバラモン教が取り入れて行った時に取り入れた神様と言われます。 この神様は三つ目と頭からガンジス川の水を噴出しているのが特徴です。そしておチンチンを象徴する足元にあるリンガです。 踊りの旨い神様とも言われます。 日本では『オオクニヌシ』の『大国』が『ダイコク』=『大黒』と読めるところから大国主命と同一視されています。 大黒様ですから七福神の一人です このシヴァ神はインドではヴィシュヌ神と人気を2分する神様です。 また乗り物が牛のナンディンです。 菅原道真の天満宮にも牛が祭られていますよね。 菅原公の神名は『天満自在天』です。 神仏習合の結果シヴァ神と菅原公が同一視されてしまいました。 ヴィシュヌ神:『那羅延天』繁栄維持の担当です。 この神は10も20も化身するのです。 魚や亀などなどの他に『ラーマーヤナ』の『ラーマ』、インドで一番人気の『クリシュナ』そして、なんと『仏陀』も彼の化身の一つなのです。 その人気の程はインド人の名前にラーマとかクリシュナという人が多いことからもわかります。 このヴシュヌ神もシヴァ神同様バラモン教が仏教、ジーナ教にその地位を脅かされてきたときに土着の神々を貪欲に取り入れてヒンドゥー教と形を変えていく時に生まれたようです。 インドを、インド人を見るときにこれらヒンドゥー教の神々の生成過程を見逃すわけには行きません。 現在インドのヒンドゥー教徒は人口の81%で、仏教徒は0.8%です。 その間にイスラム教が13%、キリスト教が2.3%、シーク教が1.3%います。 次は3大神の奥方です。 サラスヴァティー :『弁才天』 ブラフマー神の妻です。 本来は学問と技芸の女神です。また河川の神です。 ヴィーナという楽器を持っています。 この女神の乗り物は孔雀なのですが、白鳥が夫の乗り物なので白鳥と一緒に時々描かれます。 サンスクリット語やヒンディー語の文字であるディーバナーガリー文字の発明者と言われています。 日本では利殖、蓄財の神として弁才天の『才』が『財』に変わり『弁財天』になりました。七福神の一人です。 弁財天の琵琶をヴィーナに持ち替えただけで姿は一緒になりますよね。そして弁財天は水と関係深いですよね。日本中に『銭洗い弁財天』がありますよね。     ラクシュミー :『吉祥天女』または『吉祥功徳天』 ヴィシュヌ神の妻です。 冨と幸運と豊穣の女神です。夫が化身するたびに奥様も化身します。クリシュナとルクミニーに、ラーマとシータに。 インドの正月ディパーバリー(灯明の列、旧暦10月)はこのラクシュミーを家に招き入れるために夜に家に明かりをと灯すのです。右の絵は象2頭が幸福の水を背中からかけ、右手から金貨が零れ落ちるという冨の即物的な表現です。 この女神は古くは『毘沙門天』(財神クべーラ、別名多聞天)の妻とされていました。 毘沙門天は七福神の一人です。 吉祥天女は日本では前述の『弁財天』にランクを奪われました。   パールヴァティ :『雪冰天女』 シヴァ神の妻です。 ヒマラヤの山神ヒマヴァットの娘でガンジス川の女神ガンガーとは姉妹です。 左の絵はシヴァ神ファミリーです。 パールバティは軍神スカンダやインドで一番人気の神ガネーシャの母です。 右の絵はシヴァ神との一体図です。男女一体となって神も力を出すようです。神様も女性は強いのです。 日本ではあまり知られていませんよね、この女神。 インドの神様は一夫多妻制です。 前述のシヴァ神の妻パールヴァティが女神の温和な面を表しているのに対しシヴァ神の別 の奥様たちの中に武器を取り激しく戦う女神がいるのです。 ドゥルガー(右の絵):別名のヴィカラーラから『畢婆迦羅』です。 10本の腕に様々な武器を持ち、トラあるいはライオンに跨って描かれます。やさしい顔立ちなのに怖い女神さまです。         カーリー神:『瑠璃圣母』 ドゥルガーの分身と言われます。 また黒き者の意味です。アーリア系ではないですよね。 頭10面、手10本、足10本。血と酒と殺戮を好む女神です。 髑髏を繋いだ首飾りをしています。 大勢のアスラを殺し勝利のダンスに踊り狂い世界が振動し壊れそうになりました。その時シヴァ神が彼女の足と大地の間に入ってクッションとなり、衝撃を吸収しました。カーリー神がそれに気付いて踊りを止めたと言います。絵ではカーリー神が夫を踏んづけたことに気がついて『しまった』といって舌を出したといわれています。南インド、特にベンガル地方で絶大な人気があるようです。 その他の有名神たちです。 インドラ神 :『帝釈天』 雷を操る神です。 インドの2大叙事詩の中の一つのラーマ・ヤナ物語では天空の神です。 ゾロアスター教では魔王です。寅さんの映画に出てくるお寺の守護神です。 『梵天』と一対で描かれることが多いようです。仏教では東方を守る神です。 ガネーシャ :『聖天』『歓喜天』 ご存知シヴァ神の長男。スカンダの兄。 インドで宗教儀式を行う場合の進行役みたいな存在です。 スカンダ :『韋駄天』 別名クラーマから『鳩摩羅天』(鞍馬天狗?)。 スカンダと言う名前はイスカンダール(アレクサンダー大王)からとする説もあります。 また彼がお釈迦様のために駆け巡って食物を集めたので『ご馳走』という言葉ができたとか。 ガルーダ :『迦楼羅天』 インドでは鳥が毒蛇を食べると信じていました。 その鳥への崇拝から現れた神? きっと蛇を崇拝する部族と戦った鳥族を表していると思います。 人間の胴体と鷲の頭部、嘴、翼、爪を持つ姿で現わされます。 ちなみにインドの国鳥は『孔雀』です。不死の鳥です。 インドネシアでは国営航空会社の名前になっています。 タイの王様のシンボルでもあります。 アスラ :『阿修羅』 本来は神族であったのですが、呪術面が強調され悪になりました。 漢訳の『阿』が子供の『ちゃん』にあたるため修羅とも呼ばれる。 『修羅場をくぐる』『修羅のごとく』です。 興福寺の阿修羅像有名ですよね。 その他:ヴァルナ『水天』、アグニ『火天』、ラーヴァナー『羅刹』(ラーマと戦ったランカー島(スリランカ)の魔族)、ヤマ『閻魔』(太陽神の子であったが、最初の人間になり最初に死んだ人間となった)など大勢います。 日本の古事記、日本書紀の神様たちももっと頑張らねば。ねっ、アマテラース神。 なお、七福神のメンバーは恵比寿、大黒、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋です。 丹羽 慎吾

コッツウォルズ紀行㉑初めて本場のパブへ行く

初めて本場のPUBの扉を開ける。店内は結構混んでいたが、夕食には少し早いのか皆ビールを飲んでいる。入り口で立ち止まって少し様子を見たが、誰も案内には来ない。レストランとは違うのでさもありなんと思う。 空いているテーブルについたが誰も注文を取りにこない。また様子を見る。やはりガイドブックで読んだ通りだ。カウンターまで行ってまず現地のビールを1パイントずつオーダーし、テーブルに持って帰って飲む。 さて料理はどうやって注文するのか。聞いてみると、食事ならこちらへどうぞと奥の部屋へと案内された。そこはレストランとなっておりこちらにはちゃんとウエイトレスが注文を取りに来た。このPUBはPUBスペースとレストランスペースをわけているのだ。納得してオーダーにかかる。 イギリスで初めてのディナーは、私はビーフステーキ、妻は無難だろうということでサーモンにするという。期待と不安で味わったステーキは予想通り堅く、サーモンは味がなかった。「がっかり」というよりは、「やっぱり」という感じ。ビールだけが妙に美味しかった。 会計はしめて20ポンドほど。2ポンドのチップを足して支払いをすませてPUBを出る。「イギリスでは食事に期待は禁物」と最初から聞いた上でのことだったが、もし知らずにあの食事をしていたら、宿への帰り道で夫婦喧嘩になっていたかもしれない。やっぱりインド料理にした方がよかったかな。 宿に戻ったあと早々とバスに身を委ねると、急に眠気が襲ってきて二人ともまもなく(多分9時頃-外はまだ明るかった)眠ってしまった。 翌朝は早く目が覚めて朝食までの時間(7時から)をもてあました。時間が来てやっと朝食にありつく。 フル・イングリッシュ・ブレックファストは、たっぷり量があり普段朝はあまり食べない私には重過ぎるくらいだ。オレンジジュース、紅茶、薄く切ったトースト、ベーコン、卵、いためたトマト、ソーセージ、グレープフルーツそれに欲しければコーンフレーク・・・イギリス人は、毎朝同じものをしかもこんな量を食べているのだろうか。この時ばかりは、我が家で毎日バラエテイに富んだ朝食を供してくれる妻に感謝した。 宿に置いてあるゲストブックを覗いてみた。いろいろなところから訪れているのがわかる。イギリス国内からも結構多い。コッツウォルズはイギリス人の憧れの地方で、現役を引退した裕福な人たちが住みたいと思うところだそうだ。日本人のサインもあった。記念にと私も書き込む。 豪華なホテルを望んでいるわけではない我々にとって、ここでの宿泊はまずまずの満足度であった。精算(ツインルームで50ポンド。一人当たり5000円)を済ませ部屋で少し休んだら2日目の出発だ。聞くとストラッドフォードへは車で20分程で行けるという。 ~つづく~

フランスあれこれ(6)フランス救急病院(1)

50年位前の話、私がパリに赴任して一年くらいたった時の話です。連日日本からの来客のアテンドで忙しい毎日を過ごしていました。 その日は珍しく日本からの来客もなくのんびりした土曜日を過ごしていました。言葉の勉強もあって夕食後、家内と映画を見に出かけました。言葉が判らなくても良さそうな愉快な映画を選びました。映画館の中は爆笑の連続でした。私共には冗談のような話は理解どころではありませんでした。ところが暫くして体に異変を感じました。まず頭が何となくかゆくなり、やがて両脇の下がかゆくなり遂には局部までかゆくなってきました。要は毛の生えているところがかゆくなってきたと言うことです。これは大変!毛がなくなったらどうしよう!さては夕食の刺身が良くなかったかと思い、慌てて映画館を飛び出し近くにいたタクシーを呼び止めて、「近くの救急病院へ!」と依頼しました。運転手はゆうゆうたるもので「救急病院に行くなら自宅の近くがよかろう、どこに住んでいる?」「パリ郊外のシュレンヌです」「了解!」と言う訳で直行しました。 我が家の近く小高い丘の上に病院のあることは知っていました。山の麓にゲートがあり、そこからS字型の登坂を駆け上がります。驚いたことに救急口に到着した時、数台のストレッチャーをゴロゴロさせながら若い医師達が看護婦さんと飛び出してきました。ゲートに光電管装置でもあったのではないかと思います。私がタクシー代の支払をしていたのですが、「患者さんはどこだ、どこだ?!」と言う具合で家内もおろおろと言う事態でした。 沢山の病室が並んでいましたがどこもガラガラ状態。そのうちの一つに案内された時には、先ほどからのかゆみも少し収まりつつあったと思います。フランス語に未熟な私はかゆいという言葉を知らないので、手まねで全く猿の風情だったことでしょう。刺身として「生魚を食べた・・・」・・何とか意味が通じたらしい。一人の医者が「日本人は毒の魚を生で食べる」と言うのが耳に入りました。すかさず何とか思い出して「新鮮だったので鯛を刺身にした」「だいぶ良くなってきたようだ」と説明、何とか事情が通じた次第です。 特別の診断も検査もなく、結論はこの薬を飲んで寝て下さいと言って赤い液体の入った2本のアンプルを渡されました。すぐに効くから寝る準備を完了してベッドに入ってから飲むように言われて帰宅しました。診察・薬ともに無料でした。 帰宅後風呂に入り寝間着に着替えて貰ったアンプルの1本を開けて飲みましたが、その後瞬時にして眠ったのでしょう、まったく記憶はありません。ベッドに入ったのは多分深夜12時頃、目が覚めたのは翌日の午後3時頃です。15時間前後眠ったことになります。 目が覚めてビックリ、世の中全くブライトと言うか気分爽快、明るく楽しく、口から冗談の飛び出すこと留まるところ知らず。我ながらこんな気分は初めて、これが麻薬だろうと認識をした次第です。 先述の通り貰ったアンプルは2本でした。あと1本を大切に保存していました。あの恍惚感を機会があればもう一度と考えていたものです。そのまま四年が経過して帰国命令が出ました。結局、再度!の期待も空しく捨てざるを得ませんでした。 私がフランスで垣間見た救急病院のお話をしましたが、その直後日本の新聞で知ったのですが、杉並で救急車が病人を載せたまま立ち往生し、結局その患者さんが亡くなったという「たらい回し」の話です。50年前のフランスと今の日本を比較して如何なものでしょうか。タクシーの代わりに救急車を呼ぶという話を聞く限り、どちらの国が天国か分かりませんね。 この話の後20年くらい経ってもう一度パリで救急病院を経験しています。別の機会にお話しさせて頂きます。 東 孝昭