詩~冬の市

冬の市 脂肪が焦げる匂いがする 勢いづいた音が跳ね オーブンの熱い排気口から ごく細く青い煙が揺らぎ出る 家の鶏は卵を産むでしょう 肉は固いから 食べたりはしない そんなさもしいことはしない でも そうする所もあるでしょう さあ 何処ででしょう ことのわけを 現実としては決して話さない母 昔であっても 今であってもかまわない 本の中の物語のように 朧な十二月 私は 姉であったか母であったか どちらであっても変わりはない そう囁く声がして 私の目が テレビの画像に釘づけになる 日焼けした子供たちが 鶏の喉首をおさえて 無理やり生米を詰め込んでいる 手っ取り早く目方を増やすためだよ 売るんだよ 豚には冷たい泥を塗り 木の枠に仰向けに縛り付ける 豚はギイーと鳴く カンボジアの子供たちは 「はは」と笑う 軽く笑う かつてあったか なかったか 芝草が凍る冬の休暇 さあねえ どうしてかしらね 物好きなのよね 本の中の物語のように わけは朧で 母方の祖父の家には コーチンやチャボ 無花果の木の傍に ある時には 山羊が繋がれていた 脂肪が焦げる匂いがする 勢いづいた音が跳ね オーブンの熱い排気口から ごく細い青い煙が揺らぎ出る あたりまえだよ 食べるんだよ テレビに映る日焼けた笑顔 後ろめたさなど知らない子供たち 記憶はくるりと入れ替わり 照葉樹の下の 彼らの流儀が 十二月 鮮やかに 私の過去の冬となる 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

シンゴ旅日記インド編10 インドの言語の巻

インドには22種類の文字があり、話す言語が600言語いや800言語あるといわれます。 そしてその支流を含めると2,000~3,000もの言語があるといわれます。 インドならではの話ですね。 これはスタッフから聞いた話です。 インドでは英語とヒンディー語が公用語です。 なかには5つも7つも言葉を話せる人もいます。 でも話せても全ての文字は書けないようです。 一般のインド人の話す言語は2つか3つです。 そして住んでいる州の言葉しか話せない人もいます。 南インドでは北の言葉であるヒンディー語を嫌っています。 自分の州の言葉で授業をします。 ですから学校で習う英語は理解できてもヒンディー語が分らない人が多いのです。 さらに地名の呼び名も現地語表記に変更されて来ています。 『ボンベイ』は『ムンバイ』と名前を変えました。 英領時代の英語読みから州の言語マラーティー語読みに変わったのです。 『マドラス』は『チェンナイ(タミール語)』に、『カルカッタ』は『コルコタ(ベンガル語)』に変わりました。これらはそれぞれ地方言語の復活です。 これは中央政府統治よりも地方政府が如何に強いかを表しています。 日本を含め世界のどこの国も近代化は国語の統一から始めました。 インドも近代化の道にはいりました。 現地語復活、国内に複数の言語があることが近代化を進めるための障害にならないか心配です。 右の写真は地方語の例です。 バンガロール空港(カルナータカ州)での看板です。 上から『英語』、『ヒンディー語』、そして州の言葉である『カンナダ語』の順に並んでいます。 バンガロールはカルナータカ州の州都です。 標高920mの高原都市です。避暑地です。 かつてはマイソール王国の首都でした。 現在は都市人口600万人のIT産業で有名な町です。 チェンナイ(旧マドラス、タミールナドゥ州州都、人口460万人)とともに南インドの政治、経済の中心地です。 トヨタもバンガロールに工場進出して来ています。 避暑地の別荘をバンガローと呼ぶのはここが発祥地だからと聞きました。嘘でしょうか、本当でしょうか? この『バンガロール』も2006年に現地語で『豆の町』を意味する『ベンガルール』に改名されました。でもまだバンガロールと呼ばれる方が多いのです。 私の事務所があるプネはマハラーシュトラ州にあります。 州都はムンバイです。 この州の人が話す言葉はマラーティ語です。 文字はヒンディー語と同じテーヴァナーガリ文字ですが、言葉はかなり違うようです。 インド駐在の内示をもらいヒンディー語の本を買い込んで少し勉強しました。 男性名詞、女性名詞、単数、複数、過去、現在、未来で動詞の活用があるのです。 私が学んだインドネシア語と全く違います。 これは難しいと判断しました。 言葉は駐在してから現地で覚えることにしました。 しかし、ここではマラーティ語が主流です。 うちのスタッフは私の前では英語で話すことにしましたと言ってくれましたが、いつの間にやら事務所内ではマラーティ語が氾濫しています。 私もマラーティ語を覚える必要があるのかなと思いました。 しかし出張でよその州へ行けばマラーティ語は使えないのです。 やはり英語で通すべきと考えてました。 マラティー語どころかヒンディー語も習おう、習おうと思いながらそのままです。 この写真は500ルピー札です。 500の下に15種類のインドの地方語の文字で記載されています。 全てのお札に同じように方言表記がされています。 こんな国って他にありますか? なお図柄はガンジーの『塩の行進』です。 1930年にガンジーが英国のインド支配に対して行った運動です。 誰でも作ることができる塩に高い税金をかけ政府税収にしているのに抗議したのです。 そのために自ら海へ向かって進み塩を作ってみせたのです。 インドの独立にはガンジーさんとネルーさんが有名です。 しかし二人の政治姿勢が全く同じでなかったってことをこっちに来てから知りました。 丹羽慎吾

サンタさんってほんとにいるの?

子どもがいつまでサンタクロースの存在を信じているか、話題になることがあります。わが家の場合、はっきりじています。 実家では、小さいころからあっさり「サンタはいない」と教えられていました。 ご馳走を食べたりプレゼントをもらうのは誕生日、あいにく私も妹も夏生まれ。 クリスマスにはちょっとしたお菓子を買ってもらうくらいで、母の手作りおせちを待つのです。 だからなおさら、子どもの夢を壊したくないと、11月から1月まで、家族3人の誕生日とお正月に挟まれてはいるけれど、クリスマスも祝うことにしていました。 小学2年生くらいだったでしょうか、長男が「サンタさんってほんとにいるの?友だちは家の人がサンタのふりをしてプレゼントをくれるって言うよ。」と聞くようになりました。 「いるよ。」と答えてはみたものの、信じたかどうか。 4年生のとき、プレゼントに亀が欲しいと言い出しました。亀を飼うには、水槽と循環ポンプが必要です。家具の陰に隠しておきました。 イヴの夜も更けてくると、あたりはシーンとして、かすかにポンプの音が聞こえてきます。 長男が、「音がする。」と言いながら、家の中を探し始めました。半分困ったと思いながら「気のせいよ。もう寝なさい。」と止めるのですが、ますます必死の形相で探し回ります。 とうとう、音の出所を突き止め、途端にわぁわぁと大きな声で泣き出しました。目からは大粒の涙が。夢が壊れた瞬間だったのです。 おかしいやら、それまで信じていた長男がいじらしいやら・・・ 一部始終を見ていた1年生の二男は「サンタさんはいないよね?」 ケロッとしておしまいでした。 ⛄ 知人手作りのほわっとするクリスマスカードをここからどうぞ。 優海

コッツウォルズ紀行⑪旅のはじまり

旅行記というから読み始めたのにいつまでたっても準備の話ばかり。いったい、いつになったら旅行が始まるのかしらといらいらされた方もいらっしゃるかもしれません。でも最初に、これは旅行記であると同時に、いかにして個人自由旅行を創ったかという記録だと申し上げたはずです。とはいえ、そろそろ始めないと読むのをやめてしまわれるかも知れません。ということで、お待たせしました。愈々旅のはじまりです。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ 6月29日(火) 夕刻、成田を出発したキャセイ航空CX505便は、予定通り5時間と少しで中継地である香港に到着した。 以前は仕事の関係で旧(啓徳)空港へ何度か降り立ったことがあるが新空港は初めてである。アジアのHUB空港との呼び声高くオープンしただけあって、広々としてその威容を誇っている。一方で、高層ビルの間を縫うようにして離着陸していた当時のあの一種のスリルがなくなったと旧空港を懐かしがる向きも多い。 到着後、2時間25分あった待ち時間もボーデイングタイムが1時間前ということで、実際に待った時間はそれほど長くは感じなかった。CX251便は定刻通りロンドンに向けて出発した。もともと機内食は期待していないが、やはり満足できるものではなかった。ただワインだけは赤、白ともになかなか美味しかった。 このところのワインブームではないが、過去1年間に200種類以上のワインを飲んで勉強した実績に免じて信用して頂きたい。 機内はほぼ満席である。少し肌寒くてみんなが毛布を要求するものだから足りなくなって、CAはファーストクラスから調達している。我々は貧乏旅行だからもちろんエコノミークラスだ。ブランケットでさえこんなにも違うのかと妻とその隣の日本人客はその質の違いに驚いている。もともと全員分は準備していないものなのか、どなたかご存知なら教えていただきたい。 しばらくは、飲み物を飲んだり読書をしたりで時間をつぶしたが、明朝からの車の運転のことを考え、なるべく睡眠をとることにする。3年前にロスアンゼルスに行った時は、機内で眠れなくて翌日疲れたことを思い出す。時差の問題は、東西南北、飛ぶ方向にも関係があるようだが今回は大丈夫だろうか。アルコールのせいもあってか良く眠れたようだ。着陸の2時間ほど前に朝食の準備のざわめきで起こされた時は、わりとすっきり目覚めることが出来た。いよいよロンドン到着である。 ~つづく~

オランダ点描(11)電球

ヨーロッパを旅した人はたいてい経験されていることでしょうが、オランダもやはり例外ではありません。というのは、ホテルであれ、家庭であれ、室内の照明が一様に薄暗いということです。旅先の一流ホテルの部屋でも、夜は部屋中の照明を全部つけても本を読むには光が足りないように思います。 ゲーテでなくとも、「Mehr Licht!(もっと光を!)」と言いたくなりますね。よくこんな暗いところで居て目が悪くならないものだと変に感心させられます。どうもこれはヨーロッパ人と日本人とでは目の生理的な構造というか機能に違いがあるためではないかと想像します。極端に言えば、ヨーロッパ人がサングラスをかけて見ているのと日本人が裸眼のまま見ているのが似たような感じではないかと思います。 そんなことで、今私が住んでいる家も照明が問題です。天井には大体電気の配線がありません。つまり天井から電灯をぶら下げる発想がないようです。したがって、私たち日本人にちょうどいい明るさを得るためには、フロアスタンドをいくつも置いたり、さらに壁に自前で照明器具を取り付けたりすることになります。しかし、間接照明であるため効率が悪く、相当なワット数の電球を灯けなけらばならない羽目になります。さらに問題なのは、この電球が昔ながらの白熱灯で、消費電力に比べ明るさが今一つです。日本で蛍光灯の明るさに慣れている私としては、このヨーロッパ式の照明にはいささか閉口します。ムーディーな雰囲気を演出するにはいいと思いますが。 さらに、これは技術的な事でしょうが、これら電球がまた実によく「切れる」。製造会社(日本人でも名前を知っている世界的な電気器具メーカーP社など)の技術的問題なのか、それとも220ボルトという高電圧のせいなのか分かりませんが、日本で住んでいた時よりも電球の交換頻度がはるかに高い。したがって、いつ切れるか分からないので、それぞれの照明器具のサイズの違う電球をいくつも買い置きしておくことになります。 車のヘッドランプについても同様です。日本にいた時は、一度も電球が切れたこともなく、自慢じゃないが電球交換などしたことありませんでした。ある夜運転中に、突然片目になってしまい、慌てて近くのガソリンスタンドに飛び込んで車種を言って同じと思われる電球を買ったものの、薄暗がりでもあるのでうまく交換できず四苦八苦した苦い経験があります。それ以降、車の中にも予備の電球は必ず用意するようにしています。 注)電球交換ということでは、今日本は寿命の長いLEDにどんどん変わっていますが、オランダもそうなんでしょうか。LEDでも日本ほど長持ちはしなさそうに思えてなりません。というのも、よく切れるのは電球のガラス部分と金属部分の接合に問題があるのではないか?とオランダに住んでいる時からずっと思っていたことです。果たして、真相は?

シンゴ旅日記インド編9 街角風景 野良牛の巻

街角風景をお伝えします。 1.野良牛 インドには野良犬ならぬ野良牛がいます。 それも街の中を群れをなして歩いたり、空き地の草を食べていたりします。 鼻輪も手綱もしていない牛もいます。 これってどこから来るの。 インド人に聞きました。 ◎レンタカーの運転手 インドでは家族に瀕死の病人がでると、回復を祈るために市場で子牛を飼って逃がしてあげます。牛はヒンドゥー教の神様であるシバ神の乗り物ですから、神様に来てもらい病気を直してくれと祈るのです。(この運転手イスラム教徒です。) ◎本社のインド人社員 乳の出ない牛とか、役に立たない牛を殺さないで放しているのではないか?(この社員は北インド生まれで18歳から日本に住んでます。) ◎うちの運転手 飼牛です。夜になると飼主の家に戻って行きます。外に放して食事させているのです。(この運転手はキリスト教徒です。) さて、皆さんはどれを信じますか? 牛糞は乾燥させて燃料になったり、壁土になったり、そして溶かして化粧にしたりと人間の役に立つのです。 毎朝それを集める人がいます。 ヒンドゥー教徒は牛を食べませんが、イスラム教徒は牛を食べます。 イスラム教徒はインドに13%います。 総人口が12億人の国ですから13%といっても1.5億人はいます。 インドは牛肉の消費量はアメリカ、中国、ブラジルについで世界第4位なのです。輸出もしています。 2.その他の動物達です。 豚さんたちもよく見かけます。イスラム教やヒンズー教の人は豚を食べないのですが、でも町には豚肉屋さんがあります。 ラクダが歩いているのを見るとインドはやはり中近東に近いのだということを思い起こさせます。 牛馬同様荷車を引いたり、人を乗せています。 通勤途中にロバの放牧風景にも出会います。 ちゃんと後ろからロバを追う人が自転車に乗って付いていきます。 考えてみれば家畜が牧場にいるものという概念が間違っているのですよね。 動物たちは昔から草を食べていました。そこに町ができたと言うだけで。 町に草が生えている限り動物達は町の中を食べ歩くのです。 まるで町の中は動物園かサファリパークのようです、しかしこの国では猫をあまり見ません。 丹羽 慎吾

コッツウォルズ紀行⑩旅先でのトラブル

個人旅行には、お仕着せのパック旅行とは違ってオリジナリテイと自由がある。なにごともなくスムースに事が運べばこんな楽しい旅はないだろう。しかし、自由があるということはリスクもあることを忘れてはいけない。 「こんな筈じゃなかった」と後で泣かないために、きちんとした心構えが必要である。 個人旅行とパック旅行との大きな違いは、「個人旅行には旅程保証や特別補償がない」ことである。個人旅行(手配旅行)の場合、旅行会社は事故や旅程の変更などには一切責任を負わないし、補償金や見舞金を支払う義務も無い。航空機の欠航などで当初予定していた通りに旅行が進まない場合は、代替機の交渉から宿の確保まですべて自分でやらなければならない。補償どころか最悪の場合は、自腹を切らざるを得ないケースもあるということである。 例えば、直行便ではなく目的地まで乗り換えの必要な場合で、天候その他の理由で最初の便の到着が遅れた為に、経由地で乗り継ぎ便に間に合わないケース。こんな場合、航空会社と代替機の交渉をしなければならない。一度予定が狂うと次々としわ寄せで狂って行き、目的地のホテルに着いたら夜中の3時或いは翌朝だったということもある。もっと悪いケースだと、代替便がうまく取れず結局空港で夜を明かすことになったというケースだってある。(事実、筆者もバンコックでコペンハーゲン行きの乗り継ぎでトラブルがあり空港で一夜を明かした経験がある) こういうトラブルに見舞われた時、自分で対処するために最低限の語学力はあったほうがよい。語学力は流暢であるにこしたことはないが、私は、中途半端な語学力よりもむしろ「度胸」のほうが必要であろうと思う。カタコト英語でも人間、必死で事に当たれば何とかなるものである。 旅にトラブルはつきものであり、個人旅行であろうとパック旅行であろうと起こる時は起こるものであるという割り切りが必要だろう。「トラブルを楽しめ」とまでは言わないが、「いい土産話が出来た」と笑い飛ばすくらいの明るさと余裕が欲しいものだ。 個人旅行のメリットといえば、団体行動の制約を受けない自由気ままさと同時に、「旅行代金が安上がり」というイメージがあるが、そうとも言い切れない。滞在日数と泊まるホテルのランク次第で個人旅行の方が割高になる場合がある。航空券は、団体料金を個人に切り売りするようになってからは、個人でも安く手に入るようになった。 しかし、団体だから料金が安くなるホテルはいくらでもある。やはり年間相当数の観光客を扱う旅行会社の力は無視できない。「航空券とホテルを別々にパーツで購入した方が安上がりだ」という人がいるが必ずしもそうではないので誤解なきよう。 計画を立てる時には、もろもろの経費も事前に調べておくべきだ。交通費や食事代、施設の入場料などはグループ割引のない分、個人は割高になる。ただ、安くてもまずい食事は興ざめだし、見たくもないところへ行くのは貴重な時間を無駄使いすることになる。 要は、ケースバイケースで、自分がこの旅で何をしたいのか、どんな時を過ごしたいのかを(時間をお金で買うことも含めて)じっくり考えてみることである。そして、内容を自分なりにアレンジし、料金がどのように変化して行くかを見る。 パックより安く出来た部分があれば、その分を他の部分に当てて内容を充実させるのもよい。あるいは、浮かした分はそのままお土産代にする手もある。「結果的にあまり違いがなければパック旅行にすればいい」と思っておけば、気楽に楽しく計画できる。内容か料金か、どちらを選択するのもあなたの自由。 如何ですか? 個人旅行の計画は結構手間がかかりますが、計画する時から旅の楽しみは始まっています。 その手間をいとわない人は自由とオリジナリテイを手に入れられるでしょう。そんな手間ひまが面倒な人は、パック旅行で十分楽しめるでしょう。 さて、この旅行記は、自由旅行を初めて創った時の様子を企画段階から記したものとお伝えしましたが、出発前の準備については今回で終わり、次回からいよいよ”旅行記”そのものが始まります。 ~つづく~

オランダ点描(10)シンタクラース(シントさん)

オランダにはほんとに年2回クリスマスがあるの? そう、あるんです。 世界中で一般的にクリスマスと言えば、キリストの誕生日を祝う12月25日です。しかし、ここオランダではさらにもう一つ祝うべきクリスマスがあるのです。それは、12月5日のシント・ニコラース祭。 昔、小アジアにニコラ―スという人がいて、死後聖人に列せられた彼の徳を偲んで彼の命日を祝うようになったものです。オランダでは12月25日よりもずっとこのシント・ニコラース祭が重要なのです。特に、子供たちはこの日にシンタクラース(これはオランダでの呼称で、在オランダの日本人は、親しみを込めて「シントさん」と呼んでいます。)からお菓子やいろんなプレゼントがもらえるのです。したがって、オランダの子供達には25日には何のプレゼントもありません。ジングルベルもほとんど聞こえず、町も静かなもので、オランダのクリスマス商戦というのも10月末から12月上旬です。 ここからは、シントさんで呼びます。このシントさん、実は毎年11月中旬、何と蒸気船に乗ってスペインからオランダまでやってくるのです。シントさんは白い長いひげが特徴で、真っ赤なきらびやかな法衣と冠をかぶり、白馬に乗って、街々を回ります。その時、大きな袋(プレゼントが入っている)を持ったズワルト・ピートという黒い人を何人もお供に連れています。 現在のサンタクロースと比べると面白いですよ。両者の共通点もあり、少し違う点もあり。学問的にクリスマスの起源についてはいろいろ難しい話になりますが、少なくとも現在のクリスマスの主役サンタクロースの原型はどうもこのシンタクラースにあるように思えます。新天地アメリカに渡りニューアムステルダム(今のニューヨーク)で暮らしたオランダ移民たちの原シンタクラース像にいろんな人種の考えが混ざり合った結果、現在我々が知っているサンタクロースに変わっていったと考えられます。 ともかく、この時期になると子供たちは早くシントさんにプレゼントを持ってきてもらいたくて、夜寝る前に家の前に、干し草、ニンジンそれに水を用意します。角砂糖もかな・・・。これらは、シントさんが乗る馬に用意したもの。まさに、将を射んと欲せば、まず馬を射よ、です。さらに、早く来てもらえるように、「シントさんの歌」というのも大真面目で歌います。確かわが娘も、それらしいオランダ語で歌っています。 ただ、子供たちにも怖いことがあり、もしいい子にしていればプレゼントをもらえるが、もしそうでなければズワルト・ピートが持っている大きな袋に入れられてスペインまで連れていかれるのです。ここには現在のサンタクロースにはない教育的指導というものが見られます。親は子供に対して「おー、怖いですね、怖いですね。いい子にしてましょうね・・・。」