コッツウォルズ紀行②ベランダ菜園からイングリッシュガーデンへ!

はじめに この旅行記は、旅の思い出を綴ったものであると同時に、初めて自由旅行を自ら企画・実行した、その奮戦の記録でもある。いままで旅行といえば、旅行社のパックツアーに頼っていた私達が、「自分の行きたい所を厳選し、気に入れば何時間でもそこに居られる」という自由気ままな旅の演出に如何にして取り組んだかを詳細に記録したものである。 ロンドンの北西、東はウッドストック、西はチェルトナム、南はテットベリー、北はストラットフォードに囲まれた緑の丘陵地帯をコッツウォルズという。コッツウォルズは13~14世紀には羊毛産業にて栄えたが、18世紀後半の産業革命による機械化に追いつけず次第に衰退していった。また、この地方一帯は地盤が弱く鉄道網も発達しなかったため時代から取り残されることになったが、そのことがかえって昔ながらの街並みを保存することにつながったのである。 黄昏時に、ライムストーン(石灰岩)で造られた家々が穏やかな日差しを浴びて蜂蜜色に輝くのを見ていると、まるでお伽の国に迷い込んだような錯覚に陥る。絵に描いたような豊かな自然に溶け込みながら美しい村々を訪れてまったりする。そんな旅もいいだろう。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ ベランダ菜園からイングリッシュガーデンへ! ある日のこと、妻がふと、「イギリスに旅行しない?コッツウォルズに行って、イングリッシュガーデンをじっくり見たいわ」という。今年は、銀婚式ということで、どこかに旅行でもと考えていた私は即座にいいね!と応えたのでした。 二人とも旅行は好きだが、子供のことや何やかやで今まであまり実現できていない。3年前に、勤続25年のごほうびということで会社から旅行をプレゼントされ、友人の住むロスアンゼルスへ行ったきりだ。 何故イギリスに?友人は皆不思議がる。もっと他にいいところがあるでしょうにと。実は、妻が趣味にしていた「ハーブ」でおつき合いのある友人から、「コッツウォルズ旅行」の話を仕入れてきたのだ。その友人の旅は、コッツウォルズを中心にイギリスの田舎をゆっくり周り、豪華な食事がついてしかも土地土地のマナーハウスに泊まるという豪華絢爛なものであったらしい。なかでも、あちこちで見たイングリッシュガーデンが素晴らしかったそうな。こんな話を聞いたときの妻はきっと目を輝かせていたに違いない。 妻の趣味はハーブ、ガーデニング、陶磁器、おまけにアンテイークなどなど・・・とくればイギリスは打ってつけの国なのである。ロンドンは彼女自身遠い昔の学生時代に行ったことがあり、博物館以外の市内観光にはそれほど興味はないという。で、いったいいくらかかるのか? 友人の話に似たツアーを調べてみると、何と一人50万はする、二人で100万円?中には行きたくないところも含まれているし、あまり気乗りがしない。そしてこれが最後の旅行ならいざしらず、まだまだ他の国へも行きたいしもう少し何とかできないものなのか? 旅行会社が主催するツアーは楽だ。特にガイドつきのツアーは、ただお金さえ払えば何も考える必要はない。旅券やホテル、出発の時間、なんでもかんでも決めてくれる。時には食事のメニューまで。楽には楽なんだけれどあまりにもお仕着せで、たまにはもっと自由な旅がしたいと思う。よ~し!ここはツアーに乗っかってばかりいないで、自分達だけの旅を創ろうじゃないか。行きたい所を厳選し、気に入れば何時間でもそこで時間をつぶす。しかも費用は出来るだけ抑える。 あっちの旅行が50万円ならこっちは半額の25万円でどうか、いやもっと安く出来ないのか、20万では?・・・かくして、自ら旅を創るという初めての挑戦がここに始まったのである。以下、記事中の料金等は1999年当時の相場である) ~つづく~

オランダ点描(2)運河

何百年も数知れず多くの人々が踏みしめ、あたかも石工が最初から磨き上げたように光沢と丸みを帯びた街なかの石畳の細い道。その道に沿って静かに水をたたえている運河。水面は地面からわずか20センチあるかなしかで、考えようによっては危なっかしい感じもしないではありませんが、水がごく身近にありむしろ親しみが感じられます。 同じ街なかのものでも、何百年前のシックな赤いレンガ造りの7-8階建の建物が両岸からこちらに玄関を向けて隙間なく立ち並ぶその間を縫うように造られた運河。観光客を乗せた運河めぐりの船がゆっくりと行きかいます。両岸の建物の前の幅の狭い道にくらべると、昔この運河が交通・輸送の面で果たした役割の大きさが容易に想像できます。 街なかから少し離れた閑静な住宅地で、道路に沿って路肩から始まる緩やかな草のスロープを下り自然に水の中に滑り込んでいきそうな運河。また、なぜこんなところにまでわざわざ水を引き込んでいるのかと思うように住宅ギリギリのところまで迫っています。水辺の住人にとって運河は道路代り、自前のボートで気軽に移動します。 さらに郊外に出ると、ところどころ牛や羊たちが悠々と草を食んでいる果てしなく広がる牧草地。その緑を切り裂いて遥かかなたの町まで続いている運河。 そんな運河も季節によって表情は変わります。冬ともなると、一面分厚い氷が張り詰め、あちこちの運河が子供たちのスケート場に早変わり。オランダ北部のフリースラント州では毎年ではありませんが、1月か2月の厳冬期に氷の張り具合を見定めて、まさに突然、Elfstedentocht(11都市巡り)という名の言わばスケートマラソンが開催されます。 その舞台は、Leuwarden市からスタートして各都市を運河伝いにめぐってスタート地点に帰ってくる全走行距離は200kmのコース。まだ薄暗い早朝にスタートしますが、なお夜になっても滑り続け暗闇のなかゴールする人も大勢います。滑る当人も大変ですが、それをコース沿いにサポートする家族・友人たちの苦労も並大抵ではありません。給水・食事・医療支援・トイレ休憩などなど。さらに、コース沿いの牧草地などは大勢の人で荒らされ放題、農家の人はお気の毒です。 夏場に運河で見られるのは、長い棒を持って運河を跳び越すFierljeppen(フィエルヤッペン)というオランダならではのユニークな遊びです。これは、春先、牧草地に野鳥(タゲリの一種)が産んだ卵を食用に採集する習慣があり、牧草地を区切る運河・水路を跳び越す手段として始まったということです。今では、夏場のスポーツになっています。 宮川直遠

運河~詩集「流体」より

運河 キャナールでは 何を話せばいいのか うねらないクラリネットは 膝ほどの水位 右足がもたついて カポックの蔭 女の人たちの名前は忘れてしまった 窓際に沈むにしても 泥の水面 運河の水はほとんど動かず 葉のまばらな木々と 電車の高架線路 藍色が恐ろしいほど深かった海水の 鮮やかな残像には 蔦がうつうつと伸びてくる 湾からコテージまで 船を入れるための運河 赤煉瓦で区画され 丘の上から見おろすと 雪の結晶の形に似て入り組んでいた その水には 人の声に反応してまっすぐに宙へ飛ぶ ずんぐりした魚が棲んでいた というのは夢想だったと 動かない水が自白をせまる いま通過する九両目 輪郭の消えた顔の渦が 影の帯となって運び去られる 遠くないビルの四階あたり 人体がたくさん裸体をさらしている 首のないのが 腹部にだけ肌着をつけている 影の帯も 数秒後それを見るだろう 濁り水の際に店を開き キャナールと名づけた人が それら人体の持ち主であると 動かない水が私にささやく 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

コッツウォルズ紀行①まえがき

まえがき 趣味の一つとして旅行をあげたいところですが、13年ほど前からワンちゃんを飼っていることもあって、なかなか出かけられません。若い時は、父親が旧国鉄に勤めていたこともあって鉄道にも興味を持ち、青春18きっぷを利用してあちこち貧乏旅行を楽しんだものです。 もともとさすらいの旅が好きな方で、あまりしっかりとした予定を決めずにふらっと旅に出るのが好きでした。大学生のとき、高校を卒業してから会っていないクラスメイトを訪ねて全国あちこちを巡る気楽な旅を楽しんだこともありました。 熟年といわれる歳になってその若い時の気持ちが再び甦り、今度は海外に自由旅行がしてみたいと思いたち、妻の提案と友人の勧めでイギリスのコッツウォルズに行くことになりました。イギリスは、私自身は初めてで妻は2回目でしたが、アンティーク、イングリッシュ・ガーデン、ウイリアム・モリス、ビートルズなど二人の興味・関心が一致することでイギリスへの旅行に反対の理由は見つかりませんでした。 そこで、せっかく行くなら、パックツアーで振り回される旅ではなく、自分で作る自由気ままな旅をしようと決心し、この旅の計画が始まったのでした。出かける前は、後にホームページを作ることになろうとは夢にも思っていませんでした。 この旅行で訪れたコッツウォルズという村がとても気に入り、どうしてもこの感激を残しておきたいという思いにかられて初めて作ったのが「コッツウォルズの歩き方」というウェブサイトでした。当時はWordPressもBizVektorも全く知らず、ホームページビルダーで作ったシンプルなものでしたが、ある旅行雑誌に紹介されたことで、ウェブサイト制作が趣味の一つに加わりました。 もうかれこれ19年も前のことなので、旅行記の内容には時代のズレを感じる部分もあると思いますが、その辺りををご容赦の上拙文を一読していただければ幸いです。 西  敏 ~つづく~

雨の午後のレッスン~荻悦子詩集「流体」より 

雨の午後のレッスン 青年の方に首を巡らせ 自分の胸の辺りから 滞った空気を掬いあげるような目つきをして ピアニストが 曲の解釈を述べ立てている その根拠のほとんどは 同じ主題を扱った画家の絵や 言葉で書かれた書物に負っている 群衆のざわめきが やがて怒涛のような叫びとなったのです 過ぎ越しの祭りの日 どういう日でしたか そう 罪人のうち一人だけを許してもいい日でした イエスではなくバラバを その群衆の声が 次第に大きくなって聞こえてこなければなりません 彼女は弾き始める 大きくうねり 細やかにきらめいた後 息をひそめ 玉を繋ぐ糸がほどけたように 水底へ沈んでいく音色 初老のピアニストは 存分に歌い上げ 恐ろしいほどロマンチックにバッハを弾く ピアニストの背後に 大きく揺れる暗い塊がある 窓の外の 風と雨にあおられる葛である 秋の初め 広い葉の一枚一枚は まだ柔らかな色をして軽やかに見えるが それらがびっしりと重なり合うと 木の枝を覆い隠してしまう 表情の少ない青年は 蝋人形のように動かない 細いジーンズの足を揃え 額を光らせて ピアニストの音を追っている いま彼の感受性を支配しているのは 先に彼女によって説明された劇的な人間の情景 つまりは言葉ということになりはしないか 劇がなければならない なかったかも知れないなどとは言わせない 自信に満ちたピアニスト 灰色の細い眼 丸顔を縁取って ひとかたまりずつ ふわっと立ち上がる短い巻き毛 太い首から 顔を前に倒し その表情は梟を思い出させる 窓の外では 葛の葉と花が揺れ騒ぎ その下で 絡めとられた細い木の幹も撓う 木の枝や葉は葛に覆われてしまって 外からはほとんど見えない 雨のなか 葛の蔓はまた伸びて 取りつく先が見えないまま 宙で揺れている 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

オランダ点描(1)デルフトタイル

はじめに これから何回かにわたって掲載される文章は、筆者が仕事の関係で1990年代の約6年間をオランダのロッテルダムで過ごしていた時に、日本の知人に生のオランダの様子を伝えようと「オランダ点描」と題して折に触れ書き送った私的な雑文をベースに、後年一部手を加え、さらに注記したものです。 短い滞在ゆえの、オランダ事情についての私の理解力不足や、事実誤認、あるいは理由なき偏見なども含まれていることを大いに危惧しております。もしも、それらに気づかれ不快に思われた方がおられれば、誠に申し訳なく思います。 その時は、何卒暖かい目で笑い飛ばして頂き、また同時に寛大な心でお許しを頂ければ誠にうれしく思います。 宮川直遠 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ デルフトタイル デルフトブルーの古い壁タイル。これも骨董品の部類に入るのかもしれません。普通、骨董品蒐集にはそれなりの鑑識眼と多少の先立つものも必要ですが、それもなく、ただ古い物への郷愁だけでかび臭くて薄暗い店の中を眺めまわしていても始まりません。私も以前は、「アンティーク」と書かれた店は横目で見て通り過ぎるだけでしたが、ある時、デルフトのとある骨董屋の店先で思わず足が動かなくなってしまったことがありました。 角が欠け、いくつも傷のある年季のはいった一枚の壁タイル。中央に凧揚げをしている子供が二人小さく、白地に鮮やかな青の単純な線で描かれている約13センチ四方のもの。魅入られたようにすぐその場で買い求め、枠に入れ居間の壁に一枚・・・。 今にして思えば、この壁の有り余るスペースがよくなかったようで、気が付くといつの間にかこの種のタイルの数は百枚を超えておりました。「さあて、日本に還ったら一体どこに飾ろう。何とかうまい方法を・・・。」と思いつつも、まだまだ逸品(?)を探し続けています。 オランダの装飾タイルの歴史は16世紀ころのデルフトなどにまで遡ることができ、他の陶器類とともに歴史的・美術的価値のあるものも数多くあります。*注) しかし、目下私の興味の対象はこの「子供の遊び(Kinderspeelen)」を主題にしたもの。凧揚げのほかにコマ回し・竹馬・縄跳び・ブランコ・馬飛び・喧嘩(これも立派な、子供の遊びなのです)・石蹴り・人形遊び・ビー玉・かざぐるま・魚釣り・スケート、さらにオランダならではの長い棒を使っての運河飛び等々。これらのモチーフは今でもまだ使われていますが、味わいのあるのはやはりごく初期のものから18世紀頃のものまででしょうか。 二、三百年も昔のオランダの子供たちの遊ぶ姿が、絵付け職人たちの暖かい眼差しと軽妙な筆さばきで生き生きと描きとめられ、時代を越え、国を越え、今も見る人に何かを語りかけてきます。 *注)昭和8年、柳宗悦と浜田庄司がこのオランダのアンティークタイルを「工藝」という雑誌で紹介しており、銀座の鳩居堂で一枚5円から10円で販売中云々という一文を書いていますが、あまり売れなかったようです。