シンゴ旅日記インド編5 メイドさんの巻

私の前任者は奥様を同伴しての駐在でした。メイドさんを雇って床掃除だけ頼んでいたとのことでした。 私は単身赴任。四つもバスルームのあるアパートに一人で住んでいるのです。このアパートは前任者が帰任直前に22ヶ月の長期契約の更新をしたばかりなのです。広いからと言ってアパートを替わることもできません。 バンコク駐在時代はサービス・アパートでした。ホテルといっしょです。 掃除、洗濯、食器洗いには全く不自由しませんでした。食事も一歩出れば日本風喫茶店、居酒屋、韓国料理、タイのラーメン屋台なんでもありました。バンコク生活が懐かしいなあ。 さて、インド、アパートに入った翌朝に玄関を激しくノックされました。会社の運転手が来るよりも早い時間です。 ドアを開けるとサリーを着たおばさんがいました。 『ここは私がクリーニングするところだ』と言います。きつい目でドアの隙間から中を窺っています。 私  『○○さん(前任者)は、日本に帰った。もういない。私、メイド、要らない。』 彼女は何か言いたそうでしたが、私はドアを一方的に閉めました。少し心が痛みました。 二週間後の日曜日です。あまりに部屋の床に砂がたまるので、さすがの私も自分で掃除しました。 タイル張りの床掃除の後、ハトのフンで汚れているバルコニー2個所を汗だくになり掃除しました。 しばらくしてドアを激しくノックする音がきこえました。ドアを細めに開けるとサリーを着た女の人が立っています。前回とは違う人です。 『エンプティ?クリーニング。』とメイドの売り込みにきました。きっとランニングシャツと短パンで掃除する私の姿が見えたのでしょうね。この部屋は四階なのによく解りましたね。 でも『エンプティ』ってどういう意味かな?メイドが居ないのかって言う意味かな? こぎれいな人だったので『どうぞ』って言いたかったんですが、細かい条件や給料を一人で決めるのが面倒なので結局断りました。 メイドをどうしたらよいか分からなかったので帰国した前任者に洗濯、アイロン、床掃除、食事、食器洗いなどしてくれるメイドはいませんでしたかとメールで聞きました。 その回答は次のとおりでした。 『メイドはガードマンに頼めば近隣の人を紹介してくれます。でも、インドで掃除する人は下層カーストの人であることを覚えておいてください。 自分たちは(奥様がいたので)掃除だけのメイドを雇っていました。 駐在中に聞いた日本人の奥様たちのコメントは次のとおりです。 洗濯               :使い方知らず壊すことがある。見ていないと自分のものを一緒に洗う。 アイロン            :洗濯機同様まず使ったことがない。上手くかけられない。 食器洗い          :洗い方が激しい、日本から持ってきた茶碗類を割ってほしくない。布巾と雑巾の区別がつかない。トイレの雑巾で食卓拭いたのを見たことがある。 料理               :まず日本の味付けを教えるのは無理。すべてマサラ(インドの香辛料)で味付けする人たちだから。 ちなみに前任者が使っていたメイドは次のように言っていたようです。 『私はいいメイドです。』 『なぜ?』 『お金盗らないから』 『。。。!?』 そういえば、ある会社の運転手にメイドが要るなーと言った時、聞かれたことがあります。 『洗濯は手洗いか、機械か?』 よって、私、当分自分で主夫します。

オランダ点描(7)窓

限られた乏しい経験から敢えて大胆な事を言わせて頂くとすれば、ヨーロッパの一般的な住宅を比べた時、オランダの窓が一番大きいのではないでしょうか。窓の大きさの違いには、それなりの理由があると思われます。 北の国では冬の寒さを防ぐ意味で窓は割と小さめになっているようです。それが南へ行くに連れ大きくなり、また地中海に面した南欧では昼間の暑さから逃れるため窓は小さく鎧戸までついています。その中間に位置する(少し北寄りですが)オランダは、ヨーロッパ諸国の中で年間の日照時間の一番短い国でもあり、少ない太陽光を少しでも多く取り入れようと窓をできるだけ大きくしているように思えます。 また、住宅地ではどの家も大きな窓をレースのカーテンでさりげなく飾り、さらに窓際には観葉植物か季節の花などを置き、時にはちょっとした置物を置いてある家がほとんどです。通りがかりに、見るとはなしに(実は後学のためしっかりと)見ると、家の中はキチンと片付けられ「さあ、どうです。なかなかきれいなリビングでしょう。」と言わんばかり。昼間であれば、部屋の中は薄暗く、夫婦共働きの家庭が多いこともありあまり人気がありません。ここでいかにも人間が生活していますと言うという生活感は少し希薄ではありますが、確かに整然としていて目にするものにとっては大変気持ちのいいものです。 たまに住人が居合わせ目が合ってしまうこともありますが、その時は中からにこやかに挨拶してくれます。日本人は窓を通して外から通りすがりの人に家の中を見られるのをあまり好まないようで、この大きな窓をすっかり開け放し中が丸見えのオランダスタイルには多少の抵抗があるかもしれませんが、一度如何でしょう? 私が最初に住んだ家は築20年位のいわゆるローハウスという5-6軒連らなった2階建て(屋根裏部屋を入れて3階)棟割長屋でしたが、表側・裏側とに2枚ずつ、合計4枚の大きなガラス窓がありました。 この窓は2mx2.5mの一枚ものの2重ガラスで開閉は出来ません。開閉はその横についている小さな窓のみ。この大きな窓はまた厄介で、簡単に磨けません、一階部分なら脚立を使えば何とか、でも二階部分は長い梯子か足場がないと素人では無理。 そこで、窓拭きを専門にしている者がいて、近辺の住人は大体2ケ月に1度頼んで拭いてもらいます。さらに、割れるとかなり費用がかさみ大変なので、大抵みんな保険に入っています。窓拭き賃・ガラス保険料とも大した額ではないですが、日本では考えられないオランダならではのものです。

コッツウォルズ紀行⑥レンタカーの予約

今回の旅行の一つのキーポイントはレンタカーだ。何故かというと、ツアーで行けば大勢でバスや列車で移動するので、時間は拘束されるが一人当たりの交通費は当然安い。一方レンタカーの場合は時間に拘束されない代わりに個人負担になるのでその分少し高くつく。費用対効果で如何にバランスをうまく取るかが満足度に影響することになる。 友人のアドバイスに従って、コッツウオルズを周る際にレンタカーを利用し、ロンドンに戻ったら車の運転はやめることにする。よく検討した結果、ヒースロー空港に早朝到着後すぐ借りて、コッツウオルズをずっと車で自由に周り、またヒースローまで戻って返すことに決める。空港からロンドン市内へは地下鉄を利用する、 海外でレンタカーを借りるのは今回が初めての私は、少し不安もあったので東京駅近くの「ハーツ」のオフィスを訪ねてみた。現地で借りる方法を確かめるつもりで、説明を聞いたがシステムは日本と特に変わったところはないし、日本で事前に予約していった方が安くつくとのことでその場で申し込んだ。 内容は、6/30 05:45 CX251便で到着後すぐHertz/Heathrowで3日間借り(24時間営業で夜中であろうが早朝であろうがOKなのがいい)、7/02 15:00に同じHertsz/Heathrowで返却する。予約確認書は後日自宅に届いた。 旅程、チケット、宿、レンタカーと決まったので、これで、旅の準備は万全だ。次回は、イギリスの交通事情について調べておかなくてはいけないだろう。旅先でのいろいろな楽しみを想像していたこの時は、後でとんでもない問題が起こることなど夢にも思わなかったのだ・・・ ~つづく~

インスタレーション

インスタレーション 金属の棒で引っかいた跡 そのようなひび割れもすぐに 崩れる 砂だからと呟くのは アランまたはメイ 白く 乾いた 乾かない時は肌色の そう貴方がた東洋の人の 肌の色にちかい砂 では青みを帯びた黄土色ですかと 血色の良くないマヤが不機嫌に言う 不機嫌はお手のも のだと私は思う どうせ青民を帯びた鬱陶しい顔色です よ マヤも私も 砂丘は今日は乾いている 引っかいた 線は見えない もう液状の崩れとなって 人の顎の部分 が欠けている アランの子供が描いた線かも知れないと 私は言う アランの子供 そんなのいた? とマヤが聞 く あなたね 大抵の人は人の子の親 アランにも子供 はいるさと誰かが言う 言うばかり 訂正するばかりは 私がメイ いや そうではなかった 黙っていても 誰 かが喋る アランの子供 そうアランのとメイがしゃが む 足 いや 棒で線を引いたパパの顔 顎が崩れ 歯 が出てくるの 今にね アランの子供の声をして 不定 形のものが動く ずんずん動く 水のように ゆっくり と あるいは急にぐわっと来る ぐわっと目がね 睨ん でるの ママのがね 頬の辺りを滑って来た砂の子が 丸い顔を砂の表面に現して立ち上がる 驚いてメイは膝 をつく 声をかける暇なく子供は消える 滑って行く 額の縁 耳の輪郭 溝から突起に 突起から平たい円 に 首の後ろの優しい窪み 貝殻骨 砂に描かれた線で あった部分に粒状に盛り上がり 立ち上がり 手を口 に ごぼごぼと声を上げる こんなふうに滑っている よ 砂のある浜辺ではいつも 身体があるって信じてい るの? マヤは見つめる 私はあっと声を上げる 砂の 子はどこまでも潜っていく おあおあ ビヤン 聞き取 りにくい小さな声で 不定型の動きは誘う 崩れて見え ない元の傷痕 パパの顔 ママの胸という痛い徴 アラ ンが言う 乾いていない時はもっと素敵だ マヤにミナ コ 僕たちがなくした砂の子の走りはね 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。 【編集後記】現在、「ハイムのひろば美術館」で特設展としてインスタレーション「もりもと・たかしの作品」を展示してます。文芸館には、荻悦子さんの詩を定期的に紹介していたところ、彼女の詩に「インスタレーション」と題したものがありましたので、本日紹介しました。数ある芸術作品のジャンルの中で、偶然とはいえ、それほど一般的ではないと思われるインスタレーションに関わる作品がここで出会ったことに不思議な縁を感じます。 ただ、それほど馴染みのある分野ではないこともあり、編集者自身も読んでみてよくわからないものがあったので、作者にインタビューしてみました。 「この詩は、私のイマジネーションで書きました。いわば心象風景でしょうか。インスタレーションはその場で即席に造っていく造形美術かと存じますが、私のは想像上の形、動きです。材料は、海の砂と波、人々。砂を棒で掘ったり、線を描いたりすることや人々の会話がヒントにはなっております。」 とのことでした。(八咫烏)

オランダ点描(6)ニシン

現在、日本ではニシンはそれほど一般的な魚ではなくなったようです。京都の身欠きニシンをのせたニシン蕎麦などは有名ですが。ただ、その卵である数の子は今も昔も正月には欠かすことのできないものです。しかし、ここオランダでは少し事情が違います。なんと、数の子は見向きもされません。魚ですから身を食べることには変わりはありませんが、その食べ方が少し変わって(?)います。もちろん、我々日本人の目から見て変わっているということであって、よく考えてみると我々が最も好きな魚の食べ方にも似ていなくもありません。 オランダ流ニシンの食べ方。 6月半ば過ぎ、解禁日(正式に決められているようですが、私はそこまで知りません)になると、一斉に新ニシンが街角のあちこちの屋台で売られます。実は解禁日の前に女王陛下に献上されることになっており、庶民はその後というわけです。屋台で調理する人は、まずニシンの頭を刎ね、はらわたを出し、中骨を取って、身を開き、尻尾だけ残し、皮をむいて、ササっと塩水で洗うだけでおしまい。その手さばきの速いこと。注文すると、たいてい2匹をプラ皿に並べ、玉ねぎのみじん切りをぱらぱらと振りかけ、ハイどうぞ。調味料?そんなの無し。この玉ねぎと塩水で洗った後の微かな塩気のみ。屋台の周りで食べている人を見ると、どんなにめかし込んだ御婦人でもおもむろに天を仰ぎ大きな口を開けて、片手にニシンのしっぽをつかみ高く持ち上げ、そうっと口の中に落とし込みます。ほぼふた口でペロリ。その他の食べ方としては、コッペパンを開き中に一匹はさみサンドイッチとして。これがオランダ流ニシンの食べ方。 日本人は刺身を食べるわりに、このオランダ流があまり得意ではないようで、醤油だワサビだといいますが、何にもなしでも結構いけますよ。一度機会があればお試しを。きっと、オランダ人が「Prima!(最高!)」と言って親指をたててウィンクしてくれること間違いなし。食べた後、手が魚臭くなるのには困りますが。 日本にいた時、よく紹介されていたニシンの酢漬け・塩漬けというのは間違い。ただの生ニシンです。番組を作る人が実際に食べてない事がまるわかりです。 また、この時期になると、それぞれの家庭や企業などでもHaaring Party(ニシンパーティー)というのがよく開かれます。その時飲む酒は決まってオランダのSoul drink ともいうべきJENEVER(発音が面倒なので、ジュネーバーと書きますが)です。いつかこのジュネーバーについてはお話しする機会もあるでしょう。

フランスあれこれ(1)盲目のノコギリ奏者 – 私のカルチャーショック

今から50年も前の、パリ駐在になって現地に赴任後まだ間もないころの話です。 パリの中心と言うべきところにコンコルド広場があります。北にマドレーヌ寺院、南に国会議事堂、東がチュイルリー公園とルーブル博物館、西がシャンゼリデ大通りでやがて凱旋門です。そして地下にはメトロ(パリの地下鉄)の乗り換えターミナルがあります。乗り換えは結構長いトンネル通路です。 ある日仕事から事務所に帰るため、このトンネル通路を出口に向かって歩いていたのですが、遠くからノコギリ演奏の素晴らしい音色が聞こえてきます。実に哀愁に満ちた、ちょっとうら悲しい音色で心に沁みます。いつもの盲目のおじさんだと思いながらポケットから小銭を準備しながら角を曲がったところで音色がはたと止みました。 時刻はちょうど5時、彼はスローなそして手探りで荷物を一つ一つまさぐりながら片付けています。私はしばし立ち止まり遠くからその動作を見つめました。ノコギリにもタオルを巻いて大きなリュックサックに収納、杖を持ってゆっくりと立ち上がり、杖の先で道を左右に確認しながら出口に向かってゆっくりと歩き出しました。私も遠くに距離を保ちながらついて行きました。 日本と異なり地下鉄の階段を降りたところに「ここからがメトロだ」と言わんばかりのドアがあります。無論その奏者は逆にこのドアを静かに押し開けて階段を上るわけです。私はすぐにも追いつく筈と思いましたが、私がドアを開けたとき彼の姿はありませんでした。一体どうした?と思って急いで階段を駆け上がりました。そこで見た光景は!!! 今まで奥深に被っていた黒い野球帽を反対に後ろ被りにして、黒い大きなサングラスは多分ポケットに、そして大股で交通の激しい車を縫うように横断舗装を渡って向こうのコンコルド広場に向かっているではありませんか、しかも大股で足早に。私は暫し呆気にとられて眺めるばかりでした。話はまだ終わりません。 当時コンコルド広場は無料の駐車場でした。私も通勤に車を使っていてこの広場の一角に終日、時には連泊で放置することもありました。何と彼の向かう先は私の車の方向!そんなバカなと思いながら私も後を付けることにしました。やがて近くても違う別の車に到着、車のドアを開けて荷物を豪快に投げ込みエンジンをかけて出発。それがまた凄かった!キーキーと言う音を立てながら猛発進、あっという間に消えてしましました。 今まで彼の前を通るたびに小銭を投げ入れてきたのですが、何かがっかり!と言う気分でした。何というかちょっと騙されたという感情を持ったことは事実です。 私たちの事務所にフランス人の大先輩がいました。今から思うと50才位ですが、当時の私からは老人もいいところ、でも色々と教えてもらった先生でもありました。今後も登場願うことがあると思うのでご紹介します。ムッシュウー・メムランさんです。 仕事が一段落したところでこの話をメムランさんにしました。私のカルチャーショックはこれからです。 彼曰く。貧しい人には施しを、お互いに助け合って・・これは日本でも同じでしょう。これが人の善意と言うもの。その通りです。しかし・・・ 彼に言わせるとこの盲目の奏者はただ黙って施しを頂くだけでなく、自分の出来ることでお返しをしたのでは?と考えられませんか。本当に盲目であったかどうかは別の問題です。盲目の真似をすることで、それだけ大きなお返しをしているのだと考えられませんか。もう一つ、施しをするのは貧乏人だけです。金持ちは知らないふりをします。何故貧乏人が施しをするのか?ですか。施しを出来るという喜びがあるからです。 私は気分もすっきりしました。以来盲目の奏者に騙されたとは思わなくなりました。素晴らしいカルチャーショックを頂いたと思っています。あのメトロの出口までの盲目の立ち振る舞い、そしてあの演奏、実にお見事でしたと拍手を送りたいと思います。 もう一言、赤い羽根の共同募金、中高生が駅頭に整列して「お願いしま~す」という光景、いささか違和感を感じます。カルチャーショックのせいでしょうか。 東 孝昭

シンゴ旅日記インド編4 アパートの配管工事の巻

日曜日の夜にバスルームの配管が水漏れを起こしました。私、メーカー勤務ですのでトラブルには驚きません。 たしか前任者の工具があったはずとメイドの部屋の棚を探しました。あった、あった、でもペンチが赤く錆びていてハンマーでたたいてもウンとも動きません。 他の工具はネジ回しだけで配管外せる工具らしきものがありません。どうする、どうする。そうだアパートにメンテマンが居ると聞いていました。 アパートの内線電話で守衛に電話しました。 『メンテナンスの電話番号教えて!!』 すると電話の向こうから、『”#$%&’()%&)』 相手はこれを繰り返してきます。私はゆっくりと話しました。 『メンテナンス、ファット イズ テレホン、ナンバー』 『$”# ツゥ ゼロ ワン &’()』 『201』だけ聞こえました。 電話しました。 誰も出ません。 水が漏れて壁をどんどん濡らし伝わり降りてきています。落ち着いて元栓探しました。 あった。 急いで元栓を閉めました。水漏れは一応止まりました。 でもこのバスルームは使えません。こういう時には部屋数多いアパートは便利です。他の部屋のバスルームでシャワー浴びて、その日は寝ました。 翌朝、生活応援してくれる運転手に現場を見せました。会社から帰ってからアパートのメンテナンスに修理してもらおうと私が言いました。そしてそのまま会社に送ってもらいました。 会社に着くと運転手が言いました。 『業者に依頼しました。あと1時間でアパート来ると言ってます。』 あれっ、夜業者を呼ぼうとは言ったけど、今すぐとは指示していないのに。 前任者がアパートにメンテナンスマンが居ると言っていたことを思いだしました。 運転手  :『いいえ、丹羽さん、今はシステム変わって、アパートの契約する業者が修理します。私はその業者をよく知っているので電話をしました』 私        :『本当?』 総務担当のスタッフに確認をもとめました。 スタッフ : 『丹羽さん、アパートの外回りはアパートの責任ですが、部屋の中は個人負担です。今日、銀行に用事があるので、まずアパートへ一緒に行きましょう。』 3人でアパートへ行きました。私はメンテナンスがあるクラブハウスへ行くよう運転手に指示しました。 その途中で運転手が言いました。 運転手  『丹羽さん、二つの方法があります。アパートのクラブハウスのメンテナンスに頼んで、調べてもらい、それから業者を呼ぶか、直接指定業者に来てもらうかです。私が呼んだ指定業者はもうこのアパートに来てます。』 運転手が業者と組んでいるのではないかとの考えが頭をよぎりました。 総務スタッフとクラブハウスに行ったのですが、月曜日は休館でした。結局腹をくくって運転手の業者に依頼することにしました。 しばらくして一人の作業者が来ました。 サンダル履きです。運転手と親しげに会話してます。手にごく普通のスパナーと配管用スパナーをぶら下げているだけです。 汚れた足で洗面所の流しに上って行きます。配管(Φ10mm、長さ30センチくらいの既製品のフレキシブルパイプ)を外しました。 運転手と外に新品を買いに行って来るといいます。すぐ近くだといいます。 二人を待つ間に私はスタッフにティーパックの緑茶を入れてあげました。スタッフに「日本の茶は味がないでしょう」とか言って会話してますが、出て行った二人が気になります。 しばらくして二人が帰って来ました。 運転手  『今までのは短くて余裕がないから水が漏れたのです。今度は長いものに取り替えます。』 古いものと新しい物を比べると確かに長さが違います。 高くつかないかなあ、と内心心配する私です。 作業が終わって代金を聞きました。なんと約520円(配管購入代220円、作業費300円)でした。配管の購入代金の領収書もあります。 運転手にお金を渡すと配管代を引いて作業費の300円を業者に渡していました。 運転手がピンはねするにしても220円の中でするでしょうか? この配管修理代金にはこの工事とは別に他の部屋のトイレの給水タンクへの詰まり掃除代も含まれています。 私が学生時代に浴槽設備会社でバイトしていた時、空焚きした家で浴槽とバーナーをつなぐゴムパイプ替えに行ったとき確か3千円でしたよ。作業費だけで。 インドの生活水準、物価水準の一端を垣間見た気がします。

コッツウォルズ紀行⑤宿の手配

さて、ゲットした格安チケットは、実は「地球の歩き方」の20周年記念、「ダイヤモンドツアー」の30周年記念キャンペーンチケットであった。このチケットにはロンドンのB&B一泊分(ツイン)がついていたので、中心部に近く便利なサウスケンジントンにあるB&Bの予約をお願いした。 ところが旅行会社いわく、ちょうど今、ウインブルドンデニスの真っ最中のため満室なので他のB&Bをトライするという。手配予定のB&Bのロケーションを聞いてみるとあまり良くないので自分で手配しますといったら、一人当たり¥4,000で合計8,000円返金してくれた。これはラッキーだった。 さて次に、海外ホテルの予約を初めてインターネットでトライする。Yahoo/UKにアクセスし、「旅行」「宿泊」「場所」「予算」・・・と絞り込んでゆくと、簡単にロンドンのホテルリストが現れた。そのうちの一つにE-mailで予約を申し込むと、まもなくして空き部屋はあるが予約にはクレジットカードの番号が必要との返事。少し躊躇したが、海外では常識と諦めて連絡すると予約確認のメールが来た。E-mailでもFaxでもOKである。自宅からイギリスのホテルの予約が簡単に取れた事実に、凄い時代になったと今更ながらの驚きとある種の感慨を覚えた。 続いてコッツウォルズのB&Bもネットで検索する。田舎のB&Bがインターネットなんかやっているのかなと疑いつつアクセスすると、やはり簡単に取れた。日本とは違う。ただ、初日のB&Bのみ予約し、二日目は旅程の進捗状況によって飛び込みで決めることにする。少々不安が無いではないが小さな冒険も旅の楽しみの一つだ。何とかなるだろう。 かくして宿がほぼ決まった。 ~つづく~

ラベンダーが咲く斜面~詩集「流体」より

ラベンダーが咲く斜面   ラベンダーが咲き 花の色が広がって行く 草地から突き出た岩が いたる所で花を阻もうとするが ラベンダーの花は斜面を埋めて行く 梨の木が曲がり 桃の木が傾き 切り立った岩だけの稜線が この向こう側はないと 告げているかに見える斜面を ラベンダーの花の一色が どこか白っぽい 希薄な光景に変えてしまう どこへ帰りたかったのか 葡萄の葉をかすって 斜面の下をのろのろと巡った夏 乾燥させたラベンダーの効能を言う 十四歳のマリーの笑顔 八十歳のアンヌの手 乾燥させた花を枕に詰めて 信じるふりをした 藤紫色のラベンダーの花の斜面を 布のように纏うことにし 細い月と向き合っていると 声には出さないもの憂い声が 夜空の深さに響いてしまい 眠ろうとして 全身の力を抜くのが難しかった 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

オランダ点描(5)キス

オランダで一番戸惑ったのが、これでした。初めて会った女性がいきなり顔を近づけてきて、チュッ、チュッ、チュッとキスするではありませんか。しかも、右頬、左頬、右頬と、3回も。そして、また帰り際にもチュッ、チュッ、チュッ。男同士は握手なので問題ありませんが、女性との3回のキスには正直戸惑いました。慣れてしまえば(なかなか慣れません。いまだに。)単なる挨拶ですから、顔を合わすたびに、また別れ際にもチュッ、チュッ、チュッ。どうということはありません。握手よりも親近感を表わせていいのかもしれません。 パーティーなどで女房と一緒の時なども、デカいオランダ人男性が何人も女房にキスしています。ああ、これがオランダの習慣なんだ・・・。でも、こちらからオランダ女性に積極的にキスをしに行くだけの勇気はありません。第一、オランダは女性でも平均身長が170cmちかくあり、中には180cm近い人もざらで、私の背丈からすると背が高すぎる。そのために男のほうが背伸びするというのもちょっと恰好悪いし・・・。 ヨーロッパの他の国でも挨拶として頬にキスをしていることは知っていますが、殆どが1回、たまに2回のようです。3回もするのはオランダだけのようです。なぜ、オランダは3回なのか。何か理由があるはずですが、そこまでは知りません。今度機会があったら物知りに聞いておきます。ただ、ここで間違ってはならぬことは、顔を傾けるのに左右を間違わない事。もし間違うと正面衝突、正面からもろにキスしてしまうことになります。3回は単なる挨拶。夫婦とか恋人とかの間では、むしろ1回だけのようです。これもよく分かりません。 会社の同僚も、日本人のあいさつはお辞儀であること、握手はするがオランダ式のキスはあまり得意ではないことをよく知っていて、キスしたのは初対面の時だけで、後は親切にも遠慮(?)してくれました。日本人がやってもあまり絵にはならないこともよく分かっていたのかもしれませんね。