オランダ点描(9)山

オランダに山はありますかという質問には答えにくいですね。ですが、オランダの海抜最高地点はどこですかと尋ねられれば、南部のリンブルフ州にあって、海抜は320m強ということになります。ただし、北部から比べるとドイツ国境に近い南部は丘陵地帯で少しずつ地面全体が高くなっているので、その海抜最高地点(写真左)は頂上らしさも感じられず、丘と呼ぶにも少々気が引けそうです。日本もそうですが、山には特に定義はないので、わずか数メートルでも地域の人が「○○山」と呼ぶものが日本にもたくさんあります。だから、オランダ人がこれは山だと言えば、こちらはそうですかということになるんでしょうね。 それは別にして、オランダには山を意味するBerg( ベルフと発音します)を使った「・・・ベルフ」というスタイルの名字が意外と多いのも面白いことです。例えば、会社の同僚にもSchaberg (スハベルフと発音)Stunnenberg(スツネンベルフと発音)という人物がいます。また多い名前ではVan den Berg(ファンデンベルフ)というのがあり、そのままの意味では「山出しの人」ということですが、日本流で言えば、山本さん、山中さん、はたまた山上さんとでも言ったところでしょう。 16世紀ごろからのオランダの絵画は風景を題材にしたものが多くなりますが、その絵には結構険しい山が描かれています。あたかもヨーロッパの他の国の山のある景色を羨むような何か強い情念を感じられます。オランダにもこういう山があればいいのに、と言った感じでしょう。昔のオランダに生まれた人の大半はほとんど山を見ずに一生を終えたことでしょう。隣の国のドイツ人が今でも夏になると海を求めて、西へ西へと北海を目指しオランダに押しかけますが、彼らも大陸のど真ん中で海からは遠く、一生海という大きな塩辛い水たまりを見ることなく一生を終えたかもしれない、それと似たことがオランダの山への憧れであったのでしょう。 ある時、オランダ人とイギリス人と私の3人で、食事のあと雑談をしていて、オランダ人が自国の一番高い「山」について話始めたら、急にイギリス人が話を遮り、言うことには「それは山(mountain)とは言わない、丘(hill)でもない。単なる土盛り(mound)だ。」と。野球のピッチャーマウンドと同じ感覚だということを言いたかったようです。横で聞いていておかしくなったのを思い出しました。 今私が住むロッテルダムの北の郊外、かなり広い荒地に下から30-40mくらいはありそうな小高い丘のようなものがあります。低いながらも丘があるではないかと思ったのですが、これは自然物ではなく人が作ったものだそうです。第2次世界大戦で、ドイツ軍の空襲でロッテルダムはほぼ壊滅し、その時のレンガやら瓦礫をこの場所に集積して山にしてしまったのです。今では、夏でも人工スキーができるそうで(冬はスキーができるほど雪は降りません)、頂上までの階段と照明が整備されています。この程度の高さであっても、周りにほとんど障害物がなく真っ平だと頂上では爽快な気分を味わえます。

シンゴ旅日記インド編7 プネの結婚式の巻

一週間前の南インドの盛大な結婚式出席に続き、私の住むプネでも結婚式に出席しました。日本から出張で来ていたインド人社員も一緒です。今回はこじんまりした感じでしたが、これも良かったです。 小さな鋳物工場の息子さんの結婚式です。お父さんが好々爺で私たち日本人参加者を下にも置かぬ扱いでした。 昼間の結婚式でした。銀の容器に会社名を記入したものをお祝い品として持参することにしました。そして式に向かう途中にブーケを買いました。 そのため10時30分開会でしたが到着が30分遅れました。 当然ながら(?)結婚式はまだ始まっていませんでした。 会場は大き目の家の中庭に屋根をつけたような感じでした。150人位が座れる椅子を並べ正面に舞台が設けてありました。 舞台の垂れ幕にはヒンディー文字で新郎と新婦の名前だけ書いてあります。質素です。会場の入り口で新郎の弟さんが色のついたお米をお盆に入れて参加者に渡していました。そのお米は式の途中で新郎新婦めがけて投げるのだといいます。 私がカメラボーイ(カメラおじさん?)よろしくあちこち写真を取って歩いていると、新郎のお父さんが寄って来て入り口に向かった新郎を撮れと言います。その新郎の後を追います。 そこで少し儀式を行って新郎は舞台に戻るのですが、なかなか新婦が現れません。 式が始まりません。我々は4時から他にアポあるのでちょっと遅めの進行が心配です。人の良いお父さんは我々をいろんな人に紹介してくれます。 そんな人たちに挨拶していると新婦の入場です。 式が始まりました。新郎新婦が舞台に上がると二人の間に布がたらされ仕切られました。そして傍の人が声高らかに何かを歌い始めました。 新婦の手を見ると入れ墨みたいな模様があります。 どこかの部族か? そういえば出張先からプネに戻って来る飛行機の中でも同じような入れ墨した女の人たちがいたことを思い出しました。インドにもまだいるのか入れ墨族? 詩吟のような、コーランのような歌はなかなか終わりません。布も二人を引き裂いたままです。 歌の途中に数回に分けて参加者が入り口でもらったお米を新郎新婦に向けて投げつけます。歌が終わりました。布が下ろされました。 二人がお互いに花飾りを首に掛けます。そして二人は舞台の上に腰をおろして座りました。 介添え人が器に入った水のようなものを二人の眼に塗ります。目をハンカチでぬぐう新郎、水だけではないようです。 それが終わると参加者が壇上にあがり新郎新婦にお祝い品を渡し挨拶します。 私も写真を撮るため靴を脱いで舞台に上がっていましたが、一旦舞台を降りて挨拶の列に向かうため靴を履こうとしました。しかし参加者が投げつけたお米が舞台上に散らばっており、それが靴下にくっついて払い落とすのに四苦八苦しました。結局、全部は払い落とし出来なくてそのまま靴を履きました。変な感じでした。 それでも列に間に合い同行者と一緒に新郎新婦にお祝い品と花を渡しました。 しばらくすると新婦は一旦退場しました。お色直しとのことです。 お嫁さんの持参の品が舞台の袖に飾ってあります。 その間に昼食です。 お父さんが付きっ切りで椅子を用意したり、料理の追加を持ってきたりしてくれました。そして出席者に我々を紹介してくれたり。感激です。 私は料理を食べるのが楽しみで結婚式に参加しているようなものです。 真ん中上の緑の汁は、豆が原料です。結婚式の時にしか作らないといいます。美味しいです。何杯もお代わりしました。 今回もベジです。お肉類は一切ありません。 先ほどの新婦の入れ墨について食事中に隣に座った現地の人に聞きました。あれは入れ墨でなく印刷ですよ、2-3日で落ちますよと説明してくれました。そしてその印刷刺青のことをメンディというと教えてくれました。 私は刺青をする種族だとばかり思っていましたのでホットしました。 そうか、飛行機の中の人たちも知り合いの結婚式に参加するために印刷していたのですね。 食事を終わるとお色直しした新郎新婦が舞台にいました。お別れに一緒の記念写真を撮りました。 帰りがけに本社から来たデリー出身のインド社員が、どうしてこちらでは結婚式に踊りがないのかと不思議がっていました。 北インドでは結婚式では踊りが付き物とか。同じインドでも『ところ変われば』ですね。 赴任一ヶ月で2回も結婚式に出席できました。 そして、私の運転手はチェンナイで結婚するため帰省中です。帰ってきたら来月プネで披露宴をします。これにも招待されています。 またベジの美味しい料理食べれるかな。でも、私の運転手はキリスト教なのです。 どんな料理が食べられるのか楽しみです。

フランスあれこれ(3)薬の功罪

私は医者ではないし薬学も素人だということをまず宣言します。 50年ほど前の話、ドイツのデュッセルドルフで聞いた話。冬の寒い時に子供が風邪を引いたとします。ドイツではその子を薄着にして街角を一周させます。暖房のきいた自宅に帰ると子供が高熱を出して、やがて回復する。確かに熱を出さないと風邪ひきは治らないと耳にした記憶があります。 今度は私自身の話です。 20年位前のフランスでのゴルフの話です。冬も近づく寒い頃肘を痛めて思うようなゴルフが出来なかったことがあります。スイートスポットにジャストミートした時は良いのですが、少しでも外れた時のひじの痛みは耐え難いものがあります。肘を抱えてうずくまります。 その場にいたフランス人の一人が、帰り道に医者を紹介するから彼についてくるよう言われました。勧められた医療はオメオパティー(日本語で確かホメオパティー?),、日本でも存在するようですが非常に珍しい治療です。要はごく微量のミネラル系の漢方と思えば良いかと思います。長期に服用して体質転換を図るものです。 もう一人が私に勧めたのが毎晩洗面器に氷水を入れて最初はひじを10秒程度、左右交互に入れ、10回くらい毎日冷やすというものです。慣れればもう少し時間を増やす。これも期待する効果は体質転換というか自然に肘が温まる体質を作ろうというものです。一方日本では痛み止めのシップ、そして肘を温かく保つためのサポーターではないでしょうか。 そこで登場願うのが今回ノーベル医学生理学賞を貰った本庶佑京都大学特別教授です。 体内では通常、免疫が働いてがん細胞を異物とみなして排除する。しかし、免疫細胞には自身の働きを抑えるブレーキ役の分子があるため、がん細胞はこれを使って攻撃を避け、がんは進行してしまう。そこでブレーキ役の分子の役割を発見し、この働きを抑えてがんへの攻撃を続けさせる新しい治療を提案した。(新聞記事) 要は今までがん細胞を直接攻撃していた外科手術、放射線、抗がん剤とは異なり、人間自身が持つ免疫力を使うと言ものです。 フランスで勧められた医療はいずれも本庶先生の発想に近い、或いは少なくとも何か共通するものを感じられませんか。 10年ほど前に今度は膝が痛くなりました。エジプト旅行をしたときです。場所はシナイ山、真っ赤に焼けた山並み、今も忘れられない光景でした。忘れられないのはそこからの帰り道です。シナイ山はモーゼが神から十戒を授かったところです。正直私は不信心の罰を受けたのではと思いました。 整形外科の先生の見立ては歩かないから筋肉が低下しているとして歩き方まで指導を頂きました。とりあえず痛み止めの注射、張り薬、そして付属のリハビリコーナーで超音波や、温熱治療を受けました。このリハビリをしっかり観察して、ご近所の鍼灸院で同じような治療を続けました。 治療を受けて帰宅、暫くすると膝がもう一度鍼灸院に行きたいと要求します。そこで気が付いたのはフランス人のアドバイスです。さりとてオメオパティーや氷水はしませんでしたが、きっぱり鍼灸院をやめて翌日から医者に勧められた歩行を始めました。お蔭で少しばかり筋肉も付き、今では往復徒歩での図書館通いが日課になっています。家では朝日新聞、図書館で産経新聞と言う具合です。 NHKの受け売りを一つ。便秘薬の常用は一週間程度まで、常習化すると逆に悪化すると。体が怠けて薬がないと動かなくなるという事でしょうか。 私は医者ではありません、念のため。 東 孝昭

コッツウォルズ紀行⑧ロンドンの地下鉄&バス

ロンドン中心部を移動するのに一番速くて便利なのは地下鉄(Underground、通称Tube)だ。05:30から24:00まで(日曜と祭日は07:30~23:30)数分毎に運行している。 切符は駅の窓口か自動販売機で買えて日本と同じ。料金はゾーンの区分けによって決まっており、同じゾーン内の駅へは基本料金、横切るゾーンの数が多くなるほどそれだけ高くなる。目指す駅までに横切るゾーンの数に応じた料金のキップを買うよう注意が必要である。 正しい料金のキップを持っていないと10ポンド(約2,000円)の罰金を取られる。ほとんどの駅が自動改札になっており、これも日本と変わりない。喫煙は地下鉄の車両内及び駅構内では全面的に禁止である。☆車両から車両への通り抜けは厳禁! 違反すると罰金。 バス ロンドンに来れば誰もが一度は乗ってみたいのが2階建てバスだ。ロンドンの名所を通過してゆく路線がたくさんあり、地下鉄ほど混んでいることはまれである。それに、ロンドン中心部を何度も乗り降りしながら観光やショッピングするのに適している。 バス料金も地下鉄と同様にゾーン制となっている。ほとんどの路線のバスでは、乗車時に運転手に料金を払ったり、トラベルカードを見せたりするが、車掌が来たときにキップを買ったりトラベルカードを見せたりするバスもある。 1階建てのレッド・アロー・バスが走っている路線(501、505、507、521)では、乗車口の料金挿入口に料金を入れるようになっているので、あらかじめ正しい料金を用意しておいたほうがよい。停留所には、表示が白地になっているものと赤地になっているものと2種類ある。前者は、バスは満員でなければ必ず停まるが、後者は手を挙げて合図しなければ停まらない。 各停留所で停まるバスの路線番号は、表示板に書かれており、時刻表にはそのバスが通っていく場所名が書いてある。早朝から24時頃まで頻繁に運行しており、一部の路線(番号にが付いた路線)では夜間もバスを走らせている。喫煙はバス内では全面的に禁止である。 7月2日にヒースロー空港でレンタカーを返した後の足は、もっぱら地下鉄とバスを利用するつもりである。バスと地下鉄乗り放題の便利なカードは以下の2種類を買うことにする。これはお勧めだ。 ワンデー・トラベルカード    一日乗り放題で、£4.50(1~6ゾーン) ウィークデー・トラベルカード  ウィークデー乗り放題で、£6.70(1~6ゾーン) ~つづく~

終わりの空~詩集「流体」より

終わりの空 丸い錫の写真立てに 入れておくのは 他人の冬 夢と呼ぶな 幻とも なつかしい なかった聖日 ここではない土地の 雪の降る祝日 椅子に上着を掛けたまま 人はわけもなく人を呼んで なごりの空を眺めに立った 裸木の林の上に 層を成して にじむ黄色と 浅い水色 暗い雲の帯が 逃げるように掠る 終わりの空は 妖しい明るさ 夕日は 沈みながら 裸木の林をすかして 窓辺を照らし 台所の隅の 古い木のワゴンが 沈んだ赤さで浮かび上がる 香料の壺と 玉葱 こわばった青菜 林に枯れ落ちた枝は 火の幻影に優しく燃やされ 悔恨と 甘い思いが焦げている 裸木の幹をひそかに昇る若い水 その水音も聞き分けて 私たちは 疵だらけのワゴンの前に戻って来る 羽根のない雛鶏の 皮膚の手ざわりを恐れながら 腹の空洞には たっぷりと 香草や果実を詰め込む 聖日と言い 正餐をくぐれば 空もまた 荻悦子(おぎ・えつこ) 1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

オランダ点描(8)泥棒

盗難の頻発する地域、すなわち治安の悪い地域で住むことを敬遠したくなるのは当然です。たしかに、泥棒被害が頻発するとなると、どうやって防ぐかということをまず一度は真剣に考えるでしょうが、相手はその道のプロ。普通の民間の住宅に押し入るのにはそれほど苦労はないものと思わねばなりません。もちろん、充分に施錠はしていても、プロから見れば「朝飯前」なのかもしれません。 こういう私自身も、近所に泥棒が入ったということを噂で聞いて、「大変だ。うちも用心しなくては。」と道具屋に行って錠前やドアチェーンなどを買ってきて、あちこちのドアにつけて、多少の気休めにしておりました。しかし、私自身がどことなくほんとうに安心できていませんでした。それをあざ笑うように、数か月後、家族全員で夜6時過ぎから2-3時間の外出中に、勝手口のドアそのものを簡単に壊され、第一巻の終わり。錠前、ドアチェーンではなく、ドアそのものを壊されたらどうしようもない。見事にプロの泥棒の洗礼を受ける羽目になってしまいました。被害は確かにかなりの痛手でした。装身具などは女房がその時身に着けていたもの以外は全部根こそぎ持って行かれました。後で気が付いたのですが、台所に置いてあったHarrodsの大きなバッグがなくなっており、どうも小物などはこのバッグに入れて持ち去ったようです、思わず笑いが込み上げてきました。しかし、さすがのプロも全く手をつけなかったのが3階という屋根裏部屋。たまたまここの電球が切れていて真っ暗だったことで難を免れました。それに、せめてもの慰めは泥棒の仕事中に帰宅して泥棒と鉢合わせをしなかったことでしょう。 ということで、初めてオランダで自ら警察に通報、おまわりさんを呼んだはよいが、3人の土足のおまわりさんが、荒らされた現場を雨上がりの泥靴のままでさらに踏み荒らし(?)、言うことには「明日、鑑識班が来るから、それまでは現場には手をつけないで。」とのことで、10分くらいで引き上げ。マットレスからすべてひっくり返されたベッドは使えず、結局毛布だけ何枚か引っ張り出して家族でごろ寝をすることになりました。勝手口のドアは壊れたままで、平常時ならばこれ以上の不用心はないが、泥棒が目ぼしいものをもっていった後だから、もうこれ以上盗られるものもないかと思いながら、妙に安心して眠りにつきました。注)警官はこんな派手なパトカー(写真)でやってきます。 翌日鑑識班が来て現場を調べ、形式的に何カ所かで指紋を取る作業をしておりましたが、あまり被害者の私たちの助けになるようにも思えませんでした。あとは、被害届を出して、保険求償の手続きをすることで本件もあえなく終了!コソ泥・空き巣は都会では頻繁で警察もあまり真剣に(?)犯人を検挙するまでの捜査も現実にはむずかしいのか、実に事務的な処理ですべてが終了ということのようです。要は、自分の財産は自分で工夫して守らなくてはならないというどこかの教科書に書いてあるようなことが現実に起こったわけです。

フランスあれこれ(2)三人の子持ちの母

20年ほど前の話です。私は商社マン、フランス駐在当時の話です。数年がかりの大型商談がまとまりフランス企業から一組5-6人の研修チームが数組日本に行くことが決まりました。滞在費用も含めて一切の旅程を日本側で決めることで合意、航空券だけパリ事務所で手配することになりました。契約の相手がフランス公社の一つと言うことを忖度してエアーフランスにお願いすることにました。 早速フランス航空の代理店が打ち合わせに当方の事務所に見えました。若い女性で眩しいくらいの美人でした。一応の打ち合わせが終わったということで私のデスクに挨拶に見え、ちょっと30分ほど時間があるので一緒にワインでもと誘われお付き合いしました。 彼女の話を要約します。1年程前までスチュアーデスでパリ-東京を何度も往復しました。日本は大好きです。日本人の心は純粋できれい!と非情にほめていましたが、表情から心からそう思っているという風情でした。子供が出来て産休を貰いました。やっと仕事に復帰しましたが目下は陸上勤務です。でも何とかしてもう一度飛行機に乗りたいと決心、そこで彼女のやったことは? 一気に二人の子供を養子にして三人の子持ちの母になったのです。まず一人は休暇を貰ってベトナムに行ってきました。無論子供を貰うためです。更にご近所の子供(プチノアールと言っていましたので多分アフリカの黒い子供でしょう)を養子にしました。 フランスの育児支援政策の詳細は全く知りません。子供が一人より二人、二人より三人と増えるにつれて補助金の増えることは間違いありません。収入との関係で所得税の軽減、その他複雑な支援制度のあることだけは間違いありません。保育園などの費用の軽減も累進するかと思います。要は一人では子育てと仕事との両立は難しいが三人になればなんとかなるということはこの事例からも理解できます。 「ぼつぼつ時間になりましたので失礼します。帰るころには子供のお風呂も終わり、私の夕食も出来ているはずです。」との話。念のためにどんなお手伝いさん?と聞きました。ここだけの話ですよと念を押した上での話ですが、アフリカ系の移民、但し不法移民。それだけに心のこもった作業をしてくれています。私は安心して仕事に付けます。ご両親は?全く関係ありません。近く日本まで飛べるでしょう。その時はまたご報告をします。と言うことで別れましたがその後の報告はありませんでした。 東 孝昭

シンゴ旅日記インド編6 ベジの巻

インド料理にベジタリアン料理があるのは皆さんご存知のことと思います。 ベジと略します。そしてお肉が出る料理をノン・ベジと言います。 インドではベジであるかノン・ベジであるかはとっても大事な事なのです。 どのレストランでもベジとノンベジの表示があります。中にはベジだけの店もあります。 ベジでも結構おいしいものです。 インド人の81%がヒンドゥー教徒です。その内の80%がベジタリアンと言われています。 牛乳も卵いわんや魚も食べないピュアー・ベジもいれば、卵、牛乳は良いというベジもいます。 男の人がベジかどうかは奥様がベジかノンベジかで決まるとも聞きました。 さて日本からの出張者二人と国内出張しました。現地のお客様の結婚式に出たり、客先と昼食したりでインド料理続きでした。 ホテルには中国料理店がありました。中に入り麻婆豆腐を注文すると豆腐がないといわれました。その替わりにチーズを使った麻婆豆腐があるというので頼みました。 注文してたべました。やはり味がちょっと違っていました。 その街には日本料理屋がありません。 ホテルの受付で『美味しいイタリア料理』があると聞いて行くことにしました。その名も『リトル・イタリー』。 日曜日の夕方でした。レンタカー会社の英語の出来る運転手は今日は都合が悪いとかで現地語しか話せない運転手を派遣してきました。車はトヨタでなく古いシボレーでした。 英語が通じなくても、こちらには現地スタッフがいるので大丈夫と思い、レストランに向かいました。 でも何か変です。やはり言葉が通じないのです。 うちのスタッフはマラティー語と英語とヒンディー語が少々話せます。運転手はタミール語だけです。 Uターンしたり、車止めて人に聞いたりしています。 みなで車の中から通りにそれらしきものないか探します。そして何とかレストランを見つけ到着しました。 暗いレストランでした。 まず『ビール』と頼むと『ありません』。 『ワインは?』これも『ありません』。 アルコール販売の許可がないとのことです。 『じゃー、お水ください。冷えたペットボトルの水ですよ』と念を押します。 仕方なく皆でメニューを見ます。 『ミンチの入ったスパゲッティーは何というのだっけ?』 『シーフードスパゲッティはどれだ。』 『クリームとマッシュルームはどこに書いてあるの?』。 皆で暗い明かりのなか英語かイタリア語で書いてあるメニューをどれだどれだと見ています。 でもお肉も、お魚も見当たらないのです。もしや、ここってベジなの? ボーイさんに聞きました。 『ここってベジ・レストラン?』 そして返ってきた言葉は、 『イエース』!? 何とここはベジのイタリア料理店でした。お店を替わろうかと相談しましたが、お腹がすいてるし、他に行ってもインド料理屋さんしかないので、結局思いとどまりました。 仕方なくピザとスパゲッティを注文し、来た順番にみなで分け合って食べ、お水を飲んでお店を出ました。でも、おいしかったです、麺とパスタ。 この『リトル・イタリー』という店はインドに沢山お店を持つチェーン店とのことでした。 食事が終ったのは店に来てから一時間も経っていません。店内を見渡しても私たち以外は家族連れが一組いるだけでした。日曜日の夜だから皆さんお家で食事するのでしょうか? ミンチ肉の入ったスパゲッティってボンゴレですかミートソースですか? 名前忘れそうです。 それではベジ料理を3点紹介します。 丹羽 慎吾

コッツウォルズ紀行⑦英国交通事情

英国の車は右ハンドル、道路は左側通行、つまり日本と同じなのでドライブは安心して楽しめそうだ。交通標識もそう違わないし独特の交通規制さえ覚えればOKだ。ドライブマナーは紳士的でクラクションを鳴らしてせかせる人などほとんどいないという。(と聞いていたので安心していたが、今回訪れたコッツウォルズ地方では車が少ないせいか、クラクションはならさないものの、かなりのスピードを出して走っている車も多かったので注意が必要。) 英国中に舗装道路が張り巡らされ、道路標識も完璧といっていいほどなので迷わずに快適なドライブが楽しめる。田舎道で迷っても方向指示の標識が必ず出てくるので慌てることはない。高速道路をはじめ全ての道路が無料なので安心。 Mはモーターウエイ(Motorway)のことで高速道路を意味する。最高時速制限は70マイル(112km)。信号はないので都市から都市へのスピーデイな移動に便利。サインはブルーの標識。 Aは国道1級線を意味し、信号があり他の道路とは交差する。3桁までの数字があり、A4とかA40などの2桁までのA道路には中央分離帯のグリーンベルトがある片側2車線(Dual Carriageways)の部分があり、そこでは最高はMと同じで70マイル。その他のAの最高時速制限は60マイル(96km)となっている。サインはグリーンの標識。 Bは2級道路にあたるもので、英国のカントリーサイドのドライブの醍醐味を味わえる道路といえる。B486とかB4425というように3桁と4桁の道路番号になる。最高速度制限は30マイル(48km)。サインは白の標識に黒字。Bなら静かな田園風景を堪能できるが、狭い道だったり曲がりくねっていたりするので、運転には注意が必要。羊や牛の群れに出会ったらもちろん羊たちが優先だ。 ラウンドアバウト(Roundabout) 日本でいうロータリー交差点のこと。交差点の真ん中に丸い部分を置くことで信号なしに車が交差できるシステムだ。左折または直進したいときは左側の車線から、右折のときは内側の車線に入って、中央の円を右回りにぐるりと回って右折する。ラウントアバウトでは右からのロータリー内の車が常に優先するので、ラウンドアバウトに入るときはスピードを緩めて中に入ること。4コーナーくらいなら行き先を迷うこともないが、6コーナーくらいあると訳がわからなくなることがある。(実際あった。)そんなときは落ち着いて何回でも回ってよく標識をよく確認してから出てゆけばよい。因みに、日本では北海道旭川市で実際に利用したことがある。 ペトロル(Petrol) 英国ではガソリンのことをペトロルといい、ガソリン・スタンドはペトロル・ステーションという。ペトロルのグレードは星のマークで2ツ星、3ツ星、4ツ星で表されるのでレンタカーを借りるときに確認しておくとよい。無鉛(Unleaded)もあるので注意。 多くのペトロル・ステーションではセルフ・サービスなので、各ポンプの星のマークを選んで入れる。店の人にも頼めるが、使い方を知らないと言うと呆れられるらしいので、いいチャンスと思い自分でやってみよう。ポンプのところに入った量と料金が表示されるのでレジで払う。ポンプの番号を店員にいうといくらか教えてくれる。(今では日本でもセルフ給油はあたり前かもしれないが、当時、私自身はやったことがなく初めてのセルフ給油を彼の地で経験した。) パーキング 町中では普通は駐車メーターがあるところのみ駐車できる。歩道に沿っての黄色い線は、1本が表示された指定時間駐車禁止。2本が常に駐車禁止。観光スポットや町には大抵駐車場が完備しているので、そこを利用したほうがいいだろう。出入り口に料金駐車ボックスがない場合は、チケット販売機で駐車する時間に応じてシール(支払済みの証明)を買って、車に貼っておくこと。20pとか50pの場合があるので小銭を用意したい。きちんとシールのチェックが行われ、駐車違反は厳しく取り締まりが行われている。 横断歩道 ゼブラ横断歩道は日本と同じストライプの白い線なのでよく分かるが、日本と違って、手前の車道脇にジグザグ模様があり、ドライバーに警告している。このジグザグ線と横断歩道の中は追い越しと駐車が固く禁じられている。夜はオレンジ色の街灯がフラッシュして横断歩道が近づいていることを知らせている。ゼブラ横断歩道に近づいたらスピードを下げていつでも停止できる体勢をとること。いうまでもなく、歩行者が横断歩道に入ったら歩行者に優先権があることを忘れずに。いずれにせよ、事故を起こしてしまっては、言葉の問題その他で国内以上にトラブルになるので、充分注意が必要である。違反すると重罪になる。 ~つづく~