しんごのキなる話㉛ ギリシャ神話アポロンの巻(その1)

♬お囃子~ (落語の師匠、天竺亭シンゴ之助が登場) え~、毎度お話を聞いていただき、厚くおん礼申しあげます。 さて、あと2年もしますてぇと東京オリンピックがやってまいりますネ。 東京オリンピックと言えば、この前の東京オリンピックをご存じの方が少なくなりましたね。 この前と言いましてぇも昭和39年、1964年のことでございますが。 2020年の東京オリンピックはそれから56年ぶりとなるのでございます。 当時4歳だったお子さんが還暦を迎える年でございます。 世の移り変わりは早いもんでございますね。 私なんか、まだ昭和の時代をそのまんま生きているような気がしております。 えっ、昭和の東京オリンピックをテレビで見ていた世代かって? そうでございますよ、うまれ故郷の小学校にあった観音開きのカラーテレビの前で先生、生徒と一緒になって見ておりました。あのテレビは確か鍵かかかり、垂れ幕もあったことを覚えております、はい。 「かあさん、あのテレビはどうしたでしょうね。」ギャグが昭和ですみません。 すごかったですね、遠藤、小野、山下の体操チーム、東洋の魔女と呼ばれた女子バレー、南、猫田の男子バレー、三宅選手の重量上げ、柔道の神永選手、マラソンの円谷幸吉選手などなど、思い出すだけでも当時の感激で胸が一杯になるのでございます。 この前の東京オリンピックの開会式があった10月10日が体育の日となったのでございますよね。 三年後の東京オリンピックの開催日もまた国民の祝日となるのでしょうかね。 あの当時のポスターがまた素晴らしかったのでございます。 ギリシャ神話アポロンの巻(その2)へつづく

しんごのキになる話㉚ 散歩していて気になる話の巻(その15)

ガンジーさんが糸車を引く写真をよく見ますが、これは英国から安い綿製品が入って来てインドの人たちが糸を紡ぐことをしなくなったので、自らが糸車を持ち出して紡いで英国の植民地政策に反対する姿勢を表したものです。塩の専売に抗議した「塩の行進」とともによく描かれます。 インド更紗はヨーロッパばかりでなく、シャム(タイ)、ジャワ(インドネシア)、台湾、中国、日本などにその製法が伝わり、それぞれの地で発展していったのです。 インドネシアのジャワ更紗はバティックと呼ばれます。 先ほどミドリムシ模様といったのはペイズリー (paisley)柄のことです。 この模様は19世紀にインドがイギリスの植民地とされると、インドのショールを模倣したものがスコットランドのペイズリー市でつくられるようになりました。 東洋趣味の流行も伴って、ペイズリー文様のショールはたいへんな人気となったようです。 「ペイズリー」という名前は、このペイズリー市からつけられた名前です。 この模様は日本語ではその形から松毬(しょうきゅう、松かさ)模様や勾玉(まがたま)模様とも呼ばれます。 私のインド駐在の後半の三年間は南インドのチェンナイでした。チェンナイは旧名をマドラスといいます。 マドラス・チェックで有名な綿織物の産地です。マドラス・チェックの模様は、スコットランドの毛織物のタータン・チェックのそれとよく似ています。 これまた歴史をひも解いていくと面白い発見があるのでしょうね。 いや織物だから、ひも解くのでなく、糸口を見つけるとでもいうのでしょうか。 散歩していて気になる話の巻 終わり

プロカメラマンの秘密を探る⑮~予測された必然

今までにも雷の写真は何度か見たことはあったし、自然現象のほんの一瞬を捉えた写真としてそれなりに凄さを感じてもいた。しかし、これまで写真についての解説を聞いたことは一度もなかった。そして、野村さんから雷についての解説を初めて聞いて驚いた。 説明の内容はこうだ。「人間の神経の伝達速度は、雷の伝わる速度より遅いです。ですから、ピカッと光ってからシャッターを切っても遅いんです。」 よくわからないので少し調べてみた。人の神経の伝達速度は音速(約340m/s=1225 km/h)より遅い。また光速は俗に「1秒間に地球を7回半回ることができる速さ」とも表現され、光速を超える速度は通常の物理学空間ではありえない。 これでは、雷がピカッと光ってからシャッターを切っても全く間に合うはずがない。ではたくさんある雷の写真はどうして撮っているのだろう。どう考えても結論はひとつしかない。つまり、雷が光る前にシャッターを切っているのだ!こんな写真の撮り方があることなど夢にも思わなかった。 講演会当日、野村さんは「実は今晩がチャンスだと思っているんです」と言った。天気予報を聞いて雷の落ちそうな可能性のある時間と場所に狙いを定めているのだ。そして、じっと雨の様子をうかがって、ゴロゴロと雷鳴が鳴り始めたら、ある目標に向かって連続でシャッターを切り続ける。その雷には間に合わなくても次の雷に照準を合わせて。 連続で10回ほどのシャッターを、何度も何度も繰り返して連射するのだ。果たしてうまく写っているのかどうかは、後でカメラをチェックしてみないとわからない。まさか、こんな面倒なことをしているのだとは露ほども思っていなかった。これはもう素人の想像の域を超えたプロの世界だ。 結果からみると、うまく撮れた場合には、たまたまシャッターを連続で切り続けている間にピカッと光るという「偶然」があったということになる。野村さんも「偶然にうまく写っていた」と表現している。しかし、この場合、偶然と言うのだろうか? この「プロカメラマンの秘密を探る」シリーズの序章として、「編集後記~用意周到な偶然」と題した記事を書いた。そこでは、カメラマンの技を、単なる偶然ではなく”用意周到な偶然”と称した。これに対して今回私の頭の中に浮かんだのは、”予測された必然”という言葉だ。 ”用意周到な偶然”から更に一歩踏み出して、はっきりとした目的を持って”予測された必然”を確実に追いかけているプロカメラマンがそこにいる。 了 これまで、プロカメラマン・野村成次氏の作品についての記事を15回に亘り掲載してまいりましたが、今回をもって終了となります。今日までご覧いただき誠にありがとうございました。 (八咫烏)

しんごのキになる話㉙ 散歩していて気になる話の巻(その14)

インドではお祈りの儀式(プジャ)の時にはバナナを根元から切り、それをお祈りする場所に立て掛けてました。 インドネシアではワヤンクリット(影絵芝居)の使い手が投影するスクリーンの下に横たえたバナナの太い茎に映し出す人形を差して、芝居が始まる前にお祈りをしているのを見たことがあります。 インド更紗についてです。 更紗は世界中に何々更紗と言われるものがありますが、インドが発祥地なのです。 インド更紗は大航海時代の香料貿易にも利用されました。インドに来た西洋の商人たちは、インドやスマトラの胡椒を、そしてインドネシアのモルッカ諸島でしか取れない香辛料を手に入れて自国に持ち帰ることでした。 それら香辛料を買うために本国から金銀を船に積んでインドに来て、インド更紗を含む繊維製品と物々交換をし、つぎにマラッカやモルッカ諸島にむかい,胡椒や香辛料と交換し,それらを積んでヨーロッパに戻り、それらを売って莫大な利益を得たのです。 また、インド更紗はヨーロッパにも紹介され更紗ブームを起こしました。フランスではインド更紗の人気はすさまじいものとなり,輸入禁止令が出されたほどです。 しかし、そのうちにヨーロッパでも更紗が生産されるようになり、特に英国では産業革命で、より大量により安く作られるようになり、逆にインドに輸出するほどになりました。 そうしてインドでの更紗生産が衰退し,品質も見劣りするようなり、インドの木綿の生産は大打撃を受けてしまったのです。 散歩していて気になる話の巻(その15)につづく

しんごのキになる話㉘ 散歩していて気になる話の巻(その13)

インドのマハラシュトラ州は綿の産地でもあるのです。 州都ムンバイはその集積地として昔から栄えていました。 私はインド更紗の生地を日本の家族や親せきのお土産にしようとお店に行くと、いろんな柄の生地を売っていました。その中にヨーロッパのブランドでよく見る模様がありました。 それはミドリムシを顕微鏡で覗いたようなものでした。 てっきりそのデザインは西洋のブランド品のコピーなのだと思いましたが、そうではありませんでした。 その模様がなんであるかを現地の人に聞くと、それはマンゴーをあしらったものだというのです。 しかし、実際はその模様は古代ペルシャなどにもあり、マンゴ―だけでなくボダイジュの葉、イチジクの断面、炎、糸杉(セイヨウヒノキ)などに由来するのではないかとありました。 インドではマンゴーには宗教的意味合いがあるようです。マンゴーはたくさんの花をつけますが果実として実を結ぶ割合が少ないため、人間が悟りを開くことの難しさを表しているとか、また、マンゴーはすべてを支配する神の化身であり、身の周りのものにその模様を取り入れることで、守り神となると教えてくれました。それででしょうか、魔除けとしてマンゴーの葉を家々の入り口にしめ縄の紙垂(しで)のように吊るしている風景をあちこちで見たことがあります。 一方、マンゴーと違いパナナはたくさんの実をつけるため子孫繁栄、生命力ある植物とみなされます。これはインドでもインドネシアでも同じようです。 散歩していて気になる話の巻(その14)につづく

しんごのキになる話㉗ 散歩していて気になる話の巻(その12)

かつてインドのマハラシュトラ州のプネに私が赴任した時期は、ちょうど4月でした。 朝から道路側の屋台でマンゴーを並べて売っている風景に出合い、インドでもマンゴーが取れるのだと思いました。 そして、赴任してすぐにプネより南の町に車で出張した時に、運転手がここの町で採れるマンゴーが一番おいしいのですといって、お店で売っていたマンゴーを一個一個確認しながら箱に積め、車の荷台に乗せて帰りました。車は座席と荷台がつながるタイプのミニバンでしたので、その後数日間は車の中にマンゴーの甘い香りが残りました。 調べてみると、マンゴーの原産地はインドからインドシナ半島なのです。 インドでは4000年前から栽培されていたと言われます。 ポルトガルの探検家バスコ・ダ・ガマ(1469年~1524年)がアフリカの喜望峰経由のインド航路を発見してから、インドのマンゴーはヨーロッパを中心に広く紹介されました。 さらに大航海時代に世界を相手にしたポルトガル、スペインによってアフリカ方面、南米方面、西インド諸島へ、また陸路を通ってメキシコ、フロリダ、カリフォルニアへと伝わっていきました。 また、東南アジア方面にも広まり、日本にも明治になって栽培方法が伝わってきました。 インドではマンゴーは乾季の後半の5月から6月ころがシーズンです。 そして、そのシーズンの前に数日間降る雨をマンゴーレインと言います。 マハラシュトラ州はマンゴーの一大産地で、州都であるムンバイでは毎年5月にマンゴーフェステバルが開かれて、マンゴーのおいしい食べ方が紹介されます。 そのインドのマンゴーの中でもマンゴーの王様と言われるのがアルフォンソ・マンゴーです。 アルフォンソとは英国より前にインドを統治したポルトガルの第二代インド総督のアフォンソ・デ・アルブケルケ(1453年~1515年)から名付けられています。 彼は1510年にインドのゴアを占領し、ポルトガルのアジア支配の拠点としました。 さらに1511年にはマレー半島における香料貿易の中継地として繁栄していたマラッカ王国をも占領し、マラッカを東南アジアにおける拠点としました。 そのアフフォンソ提督が南インドのゴアにあった品種とアフリカから取り寄せた品種を接木して、美味しいマンゴーを作り、それがマンゴーの王様になったのです。 散歩していて気になる話の巻(その13)につづく

しんごのキになる話㉖ 散歩していて気になる話の巻(その11)

マンゴーの生っている木を見ながらその近くを歩くと、タイ駐在時代のゴルフ場を思い出します。 キャディーがまだ青いマンゴーの千切りにしたものを塩胡椒で食べていたことや、日差しが強いので私は木陰で立っていたら赤いアリに噛まれたことです。マンゴーが甘い蜜を出しているのでしょうか、そのアリをマンゴーアリって言っていました。 また、マンゴーで思い出すのはマレーシア、タイで食べたマンゴーライスです。 もち米ごはんにマンゴーの切り身(?)が乗り、砂糖かココナツミルクがかかった食べ物です。 最初はお米と果物の組合わせにびっくりしました。が、食べてみるとおいしいのです。 お米と果物と言えばパイナップルを半分に割って中をくりぬきチリー入りのチャーハンを詰め込んだパイナップルライスもありましたね。あれっ、パイナップルは野菜?果物? マンゴーの味についてそれを生産している国の人々は自分の国のものが一番おいしい、甘い、香りがいい、色がいい、しっとりしているなどと主張します。 散歩していて気になる話の巻(その12)につづく

しんごきキになる話㉕ 散歩していて気になる話の巻(その10)

住宅地を散歩していますと家々の庭先に生っている南洋の果物に目が惹かれます。 果物と書きましたが、バナナ、パパイヤ、パイナップル、マンゴーは本当に果物なのでしょうか? で、果物と野菜の違いは何かなと自問し、夫婦漫才的に答えると次のとおりです。 妻 「野菜と果物の違いは何か知ってる?」 夫 「野菜はご飯と一緒に食べるもの。果物はご飯のあとに食べるもの」 妻 「だったらマンゴーライスのマンゴーは野菜?」 夫 「違うか、じゃあ、畑で採れるのが野菜、果樹園で採れるのが果物。」 妻 「イチゴ畑のイチゴは野菜?」 夫 「違うか、じゃあ、煮て食べるものが野菜、生で食べるものが果物。」 妻 「じゃあ、栗ご飯のクリは野菜?酢豚に入っているパイナップルは野菜?生で食べるスイカやトマトは果物?」 夫 「あれれっ」 調べてみると野菜と果物の違いの線引きは明確には無いようです。 種を蒔いたあと1年で花を咲かせ、そのあと枯れる一年草本類が「野菜」で、木やつるのまま何年も成長をする多年生の木本類の果実を「果物」としているものもあれば、一年以上育つ植物については、茎に生るものが野菜で、幹が固くなった幹を持つ木に生るものが果物であるという分類もあります。 ということで後者の分類からすると、バナナ、パパイヤ、パイナップルは茎に生るので野菜、マンゴーは果物となるのです。 散歩していて気になる話の巻(その11)につづく

しんごのキになる話㉔ 散歩していて気になる話の巻(その9)

このパンノキの仲間に世界最大の果物と言われるジャック・フルーツ(インドネシア名はナンカ)があります。和名はパラミツ(波羅蜜)です。パンノキとの対比され長実パンの木(ながみぱんのき)とも呼ばれます。パラミツの木材は建材、家具、仏像、印鑑の他ガムランの楽器にも使われます。 パンつながりで話を続けます。散歩中に教会の前を通るとオートバイのパン売り屋さんの前で、小さな女の子がパンを買ってとお父さんにねだっていました。 そのパンを入れたケースの絵模様が黄色と黒の横縞で、まるで阪神タイガーズの球団旗にそっくりでした。そのパン屋さんは同じ模様のハチミツのマスコットを乗っけていました。 日本には昔「ロバのパン屋さん」がありましたよね。 子供の頃にはいろんな移動販売でお菓子を売っていましたよね。 田舎と都会ではそれぞれ違うでしょうが、私にとっての思い出の菓子は、暑い夏の田舎道をおじさんが自転車に旗を立てて売り歩いていた一本10円のアイスキャンディーです。 その他には、お米を袋に入れて持っていくと自転車の後ろにある容器に入れ、圧力をかけ爆音とともに膨れて飛びだしてくるポンポン菓子でした。 散歩していて気になる話の巻(その10)につづく

しんごのキになる話㉓ 散歩していて気になる話の巻(その8)

散歩中に大きな木を見上げていたら、警備員が近づいて来て「何をしているのか」と聞いてきました。私は「この木は何というのか、生っている実は食べられるのですか」と聞きました。 彼は「この木の名前はポホン・ティンべルです」と親切に教えてくれました。 私にはティンブルと聞こえ、その名を繰り返すと、ブルでなくてべルであると何回も直されました。 散歩から戻ってネットで「ティンべル」と検索してみたらバナナの葉で包んで蒸したご飯のナシ・ティンベルはありましたが、樹木については見つかりませんでした。 私はさらに「インドネシア 木」で検索してみると、ボゴール植物園の樹木の一覧表があり、そこ表示される木の名前を一本ずつクリックするとその木の映像が出てくるサイトがありました。 それで樹木名を一個クリックしては映像を見て、これは違う、そして、また一覧表に戻って、次の樹木名をクリックするといった作業を続けて行きました。 私が名前を知りたい木の葉の形は手を広げたような特徴があったのです。 それを手掛かりに探していくとありました。同じ葉の形をした木があり、パンの木と書いてありました。 ティンべルとはバリ名で、インドネシア名ではポポン・クルウィーとかスクンとか言うようです。 英語では Bread Fruits Treeです。というのは、この実を焼いたり、蒸したりして食用にできるのです。スライスにして油で揚げたチップスを町で売っているのです。Kripik Sukun です。 散歩していて気になる話の巻(その9)につづく